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v196-1 価値づくりデザイナー・野田拓也さん「ユーザーのことだけ考えろ」
2026-04-13 32:45

v196-1 価値づくりデザイナー・野田拓也さん「ユーザーのことだけ考えろ」

今回は、価値づくりデザイナー・野田拓也さんにお話を伺いました。
UIUXデザイナーとして、ガラケーの時代から20年以上にわたってデザインの道を歩み続けてきた野田さん。
まずは今のお仕事と、現在に至るまでのキャリ
アについてお伺いしました。
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サマリー

今回の放送では、UI/UXデザイナーの野田拓也さんが、自身のキャリアとデザインに対する考え方を語りました。野田さんはガラケー時代から20年以上デザインの道を歩み、広告デザインからキャリアをスタートさせました。その後、ダーツライブ社でイベントや販促物のデザインに携わった後、ソーシャルゲーム業界へと転身し、UI/UXデザインの分野に進みました。キャリアの転機となったのは、家庭の事情から働き方を見直し、子供向けの教育アプリ開発に携わるようになったことです。特に、スマートエデュケーション社での経験は、子供向けIPを活用したアプリ開発や、AppleやGoogleのベストアプリ賞受賞につながる大きな成果をもたらしました。 デザインに対する野田さんの哲学は、「ユーザーのことだけを考えろ」という言葉に集約されます。アーティストが自己表現を追求するのに対し、デザイナーはユーザーが快適に、そして満足して使えるものを具現化する役割を担うと説明しました。ダーツライブ社での経験から、締め切りや予算といった制約ではなく、ユーザーにとって最も響く体験を追求することの重要性を学び、それが現在の彼のデザイン活動の根幹となっています。この考え方は、彼が指導する若いデザイナーたちにも受け継がれています。

UI/UXデザイナーとしての現在とキャリアの始まり
今回は、価値づくりデザイナー・野田拓也さんにお話を伺いました。
UIUXデザイナーとして、柄経営の時代から20年以上にわたって
デザインの道を歩み続けてきた野田さん。
まずは、今のお仕事と現在に至るまでのキャリアについてお伺いしました。
今のお仕事は、UIUXのデザイナーをやっております。
UIUXのデザイナー。
今は、どちらかというと上のほうの立場なので、
実際にそんなに手を動かすというよりは、やっていただいたものに対して
こういうふうにしなさい、こういうふうにしなさいというチェックとか、
そちらのほうが大体、今は主になっているような感じですね。
そうか。UIUXのデザイナーという言葉が
聞いている方は知らない方もいらっしゃるという時に、
どういうふうに説明されますか?
わかりやすく言うと、スマホのアプリの設計がまずUIですね。
ただ、設計をしてデザインを起こすだけではなく、
UXがやっぱり体験ですので、
それを使っていただいた人が、途中で
なんかこれ面白くないなとか、使いづらいなとかにならないように
それを気持ちよく使っていただくっていうのを設計する。
そこもやっているというような感じです。
もうそれはやられて長いんですか?
そうですね。もう相当経ちますね。
ガラ系の頃からやってますので。
結構長いですね。
かなりの長さになるんじゃないかなと思います。
それはキャリアとしても長くて、
例えば社会人になってからもうそういう感じの方向性?
社会人になってから10年間ぐらいは広告デザインをやってまして、
なのでチラシであったりアンフレットであったりロゴ作ったりとかの
そちらの方のデザインをずっとやっておりました。
途中で大学に入り直しまして。
そうなんですね。
大学を卒業したと同時に、
そのときはまだ地元が新潟なんですけども。
新潟にいて、卒業と同時に拠点を東京に移しまして。
そういうことか。
学校自体は東京にあったんですけども、
通信制の美術大学に通って、
やらなきゃいけない課題とか実技とかは全く一緒なので、
こっちに来てあっちに行ってを繰り返していこうような生活を送っておりまして。
4年かけてなんとか卒業をして、
そのまま東京に基盤を置いて、
そこからは、さっきお話を少し若干出たんですけども、
ダーツライブという会社で。
ああ、ダーツライブ。
そこでプロモーションデザイン科というところに入って、
イベントのデザインとかですね。
イベントのブースのデザインであったり、
反則物のデザインであったりとか、
デザインと名のつくものであれば、
全部やっていました。
そこで当時課長で課を持って、
イベントのデザイン、
ビッグサイトとかでもやっておりまして、
ビッグサイトで貸し切って、
イベントをやったりとかもしてました。
その後に、
怪盗ロワイヤルとか、
ああいうソーシャル系のゲームとかがものすごい流行り始めて、
もともとさっき言った、
イベントとかのデザインの方に変えたっていうのも、
印刷系が社用になることがわかっていたので、
このままだとまずいなと思って、
印刷だけではなく、
他のいろんなことのトータルのデザインができないとダメだなっていうので、
そちらに変わったんですけど、
その後に先ほど言ったような、
SNSとかがすごい流行りだして、
これからは携帯とかPCとかの画面系の設計が、
UI系ができないとダメだなというのに思って、
それでダーツライブを辞めて、
そういうソーシャルゲームとかを作っている会社のところに
勤めさせていただきます。
そこからがUI系をいろいろ作り始めたという形ですね。
そこからがUI系のスタートという感じです。
ガラケーからスマホへ、そしてキャリアの転換点
それまでは全然知らないというか、
その世界は。
その世界は知らずに、
もちろんデザインという繋がりはあるので、
全くということはないんですけど、
ウェブとかもやっていたんです。
だからある程度はあるんですけど、
当時まだガラ系だったので、
本当に一画面が文字とかテキストとか、
絵とか動画とかも全部含めて100キロで、
100キロバイトで表現しなきゃいけないという世界だったんです。
だから絵を描くのとかパスを少なくして、
いかに軽くするかみたいな世界の時から始めてて、
それからしばらくしてスマホが出てきて、
スマホが出てきたら圧倒的に表現の幅が、
いろんなことができるようになって、
そこからはずっとスマホの方のデザインとかをやっていまして、
GUMIという会社で、
当時中国の担当をやってて、
中国の方で開発とかをやってました。
そこのマネージャーやってたんですけど、
今はだいぶ変わったかもしれないんですけど、
当時のソーシャルゲームメーカーさんというのは、
どこの、全てそうだったと思うんですけど、
もう本当に遅かった。
業務がほぼ終電で帰るみたいな感じで。
当時初めて息子ができて、
奥さんが専業主婦だったんで、奥さんに全部任せて中国行ったりとか、
日本にいるときも世の中まで働いたりとかしてたんですけど、
そこで奥さんが倒れてしまって。
育児が大変で。
こっちに親戚とかがいなかったので、
仕方なく新潟の実家のほうから、
母親とか呼んで対応してもらったりとかして、
なんとか乗り切ったんですけど、
2回目また倒れてしまって。
そのときに、こういう働き方はやめてほしいと。
というのを奥さんに言われまして。
仕事自体は楽しかったんですけど、中国行ったりとかするのも。
いろいろあったんですけど、
これずっと40,50とかになってもなかなか難しいなと思ってたときに、
もともと美術大学で絵本とか作ったりとかしてたんで、
子供向けのものをしてあげたいなってずっと思っていたんです。
大人向けのカードゲームとかをずっと作ってきたので、
いかに承認欲求を煽って、
大人は持ってるかというような、
言ってしまうとそういう場面もいろいろあるので。
もちろん大人の人が喜んでくれるのも嬉しいんですけど、
やっぱりそうじゃなく、
子供とか、本当に世の中になるためのものをやりたいよねっていうのを思っておりまして。
そのときに、
ある地域アプリを作っている日本のメーカーがあるんですけど、
そこが初めて、
今でも日本が一番トップなんですけれども、
そこが初めてデザイナーの募集をかけたんです。
たまたま偶然。
で、私ももうここだと思って、
奥さんにここを受けてみたいと思って。
ここを受かんなかったら今のところ続けるよって。
でもここですごく自分のやりたいことがあって、
働き方もだいぶ変わると思うから、ということで受けさせていただいて。
初めてのデザイナーの採用だったんで、めちゃくちゃ厳しくてですね。
ああ、そういうことか。
何回面接?3回ぐらい面接に。
あと課題も結構出て。
それも課題も同時やって。
夜遅くに仕事帰ってきてから課題をやったりとかしてたので。
あとちょうど検定を当時受けてて、
アイガン動物っていうやつで。
その検定も受けたくて。
その一級の勉強とかも当時してて。
全部重なっちゃったんですけど。
夜12時過ぎに帰ってきて、朝何時ぐらいまで勉強して。
で、また勉強とか課題やって、
それからまた出社するみたいなことをやって、
で、なんとか受かることができて。
ありがたい話で。
で、そこでスマートエディケーションっていう会社なんですけど、
そこでクリエイティブディレクターとして授業をしていただいて。
で、そこからはずっと子ども向けの子育アプリをずっとつくり続けてました。
そうですね、ドラえもんとかアンパンマンとかイーテリエとか。
結構有名な。
もちろんオリジナルもつくってたんですけど、
そういう有名なところのIPものもつくらせていただいて。
おかげでAppleとかGoogleのベストアプリショーとかもつくらせていただいて。
そのときはもう本当にガンガンそういうのをデザインさせていただいてつくっていました。
プロデュース的な、自分のほうでプロデュース的な形で出すものとかもあるんですけども。
それをずっとやってて、7年くらいですかね。
リアルな体験への憧れと新たな挑戦
やってたったころに、やっぱりリアルっていいなってすごく思ったんですよ。
ずっとタブレットとか携帯とかで。
子供に対してやって。
子供がめちゃくちゃ喜んでくれることとかはすごい嬉しいんですけど、
やっぱり本物の体験に勝るものはないなってすごく思うようになったんですよ。
そのときに、恐竜を作っている会社さんが、恐竜の本物の恐竜サイズの。
それが走り回るのがあるんです。
そういうすごい超リアルで。
それのたまたま知るきっかけがあって、それを見たときに、
あんまりにもすごい衝撃を受けました。
こんなにすごいものはない。
正直ディズニーを越えるなみたいな衝撃を受けました。
勝手に企画書とかを作って、社長さんとお話をさせていただいて、
お手伝いをするようになって、
ウェブとかを。
そうしたら、いろいろとお誘いとかも受けまして、
最終的にツイートアプリの会社はやめて、そのあとにお手伝いをさせていただいたという形なんですけども。
ただですね、これもなかなか面白いな。
入った瞬間にですね、コロナになります。
その時期なんですね。
そうなんです。2020年のまさに2月とかだったかな。
本当にお手伝いを始めさせていただいてから、もう1ヶ月も経たずにコロナになって。
コロナになるとですね、あの当時全部イベント中止になったのを覚えていらっしゃる。
わかります。そうですよね。
基本的にイベント講演をして、光江で講演したりとか、
結構大きいところでいろいろ講演とかしてるんですけど、
そういうのがすべて、その年は全部キャンセルになってしまうんですよ。
やっぱり、公表しないことにはなかなか難しいので、
入って、一旦やることがなくなってしまう。
もちろん何かやらなきゃいけないことはあるんですけど、
そういう大きな、完全に行ってやらなきゃいけないみたいなのが、
全部ストップしてしまって。
そのときに、どうしたものかなと。
今後ってどうするのかなと考えてたときに、
私の知り合いが、今の会社ですね。
ここの会社の社長とお知り合いで。
ちょっと声をかけてくるんですよね。
子ども向けのUI、UXとかができる人を探してるんですけど、
どう?っていう。
ただ、私たちに行くつもりとかも特になく、
話を聞く分にはいいかなという形で、
まず社長とお話を聞いたら、
今までの前のアプリとかだと、
一つで完結していたものが、
今だと子どもだけじゃなくて、
保育士さんであったり、親御さんであったり、地域であったりと、
全部繋がって、全部のところに繋がるサービスを作ってるので、
みんながハッピーになる。
もちろん前のところでも、みんなハッピーになるような形にはなってはいるんですけど、
よりハッピーになるみたいな形で、
これはすごくいいことをやってるし、
未来に繋がっていくなっていうのを感じて、
わかりましたということで、
ただすぐにはもちろん行けないので、
半年ぐらいですかね。
半年後ぐらいに、
折り合いをつけさせていただいて、
今のところに来たという形ですね。
今のところはまだそこまで年数は?
もう6年は経ってます。
もうずいぶん経ってますね。
はい。もう6年は経ってます。
そっかそっか。
じゃあ今は、今の会社で申し事をして。
そうです。今の会社でURUXの仕事をしてる。
デザインへの情熱と大学再入学の決意
でも現場というよりも上のほう。
そうですね。ただ、入った当初はデザイナーが2人しかいなかったので。
そうなんですね。
ほぼほぼずっとデザインを1つずつやってたみたいなことをやり、
今は人数も増えて、
みんなが手を動かしてくれるようになったので、
お任せするほうが多くなったかなという形ですね。
そっかそっか。そういうことですね。
実際には一貫してデザインというか。
そうなんです。そこだけは崩さずに、
デザインという道だけはずっとやってます。
もともと、例えば学生時代とかもデザイン?
そうなんです。もともと専門学校だったんですけど、
そこでもデザインをやっていて。
ただ、グラフィック系のやつだったので、
今でもあるイラストレーターとかフォトショップとか、
そういう基本的なソフトとかをやって、
チラシとかそういうのとか、デザインをどう作っていけばいいかだったので、
それでもともとそっちの道に住んで。
大学もそちら系に進んだので、
どうするかというと油絵描きとかそういうほうが苦手ですね。
そういうことですね。
大学に入り直すっていうのは、やっぱりそれはさせる何かがあったってことですよね。
そうなんですね。
行かなくてもいいかもしれないじゃないですか。
そうですね。
そこはやっぱり行きたいというか、行かなきゃみたいなのを思って入られた。
おっしゃる通りですね。
当時10年間ぐらい広告のデザインをまずやってたと言ってたときに、
通い直したんですけど、
先ほど言った通り専門学校で働き始めたので、
20歳から働き始めたんですね。
こういう仕事ってやっぱり、
例えば歌の業界であれば、歌がめちゃくちゃ上手かったら年齢なんて関係ないし、
絵を描く仕事であれば、すごい素敵な絵を描く。
別に年齢なんて60だろうが10歳だろうが、
でも10歳の子のほうがすげえ素敵で心が響くっていうのがあれば、
そっちのほうがいいじゃないですか。
基本的にそういうふうに今も思ってるんですけども。
ただですね、当時まだ、今から26年前とかは、
かなり古い、新潟だったので古い体質で、
大学絶対主義みたいな。
いろいろあったんです。
そこの会社に20歳で入ったんです。
22歳で入ったのかな。そこの会社に22歳で入ったんですけど、
今だったらもうありえないんですけど、
初めて提示されてた給与より低くて。
それでなんでですかと。
雇用期間が終わったんでなんでですかって聞いたら、
いやこれは実は大卒の金額だからみたいなことを言われて。
それで、でも当時はそういうのとかってあんまりだったから、
仕方なく受け入れたんですね。
なんですけど、私20歳から働いてたんで、
もうデザインの経験も全然ありますし、
それからまた後輩の子が入ってきたりとかしたんですけど、
後輩の子のほうが給与が高かったりして。
それで後輩のほうにデザインを教えてって言われて。
わー、そうか。ちょっとそれはそうですね。
当時、今も若干そういうのがあるんですけども、
潔気盛んだ。いやおかしいでしょ。
それはちょっとありえない。
これはちゃんと正当に評価していただきたいしと。
という話をして、当時の先輩、上司、部長とか全部あげてて、
最後専務だったかな。
上務だか専務だかちょっと忘れちゃったんですけど、
専務に話しする機会を取ってもらえたんですよ。
そのときに話をしたときに、
その専務の方から、大卒と専門卒は期待度が違うからって言われたんですね。
ほんと頭にきました。
信じられないくらい頭にきて。
いや、これ実力の世界でしょ、と。
わかったと。
じゃあ、こんな田舎の学校に全体に出てこれない、
大学出てやるって言って、
それで武蔵野美術大学に入り直したんです。
それでも意地でも絶対卒業してる。
それがあったから、絶対みたいなパワーにしてという。
ほんとです。
大卒と専門卒では期待度が違う。
会社の専務から言われたその一言に猛烈に腹を立てた野田さんは、
仕事をしながら大学に入り直しました。
怒りをエネルギーに変え行動されて、
その先はどうされたのでしょうか。
じゃあ、それで入って、よしって感じですよね。
そうです。
もう受かったので、もう辞めようかと思ったんですよ。
会社に、もう辞めたいですと。
どっちかっていうと、東京に越して、そっちに基盤を作って、
そっちで働いたほうがやりやすかったんで。
そしたら、でも私当時めちゃくちゃ働いてて、
自分で言うのもあれなんですけど、
エース的な形で活動してたので、
辞めてもらうと困ると言われまして。
じゃあ、わかりましたと。
働くの半分、学業半分で、半分に減らしていいですかと。
交渉したわけですね。
そしたら会社がわかりましたと。
言ったので、じゃあわかりました。
じゃあそれでやらせてくださいと。
という形で、学業半分、仕事半分で、
仕事も夜晩みたいなのにさせていただいて、
夜な夜な通うみたいな。
当時アパートに住んでたんですけど、
そこの住民のおばさんとかなんかが、
この人何の仕事って。
夜になると出てくるんですけど。
そうですよね。わかんないですよね。
っていうようなことを、4年続けて、
なんとか卒業して、
そしたら会社から、
今度終わったんだったら、
フルで頑張ってほしいみたいなこと言われたんで。
ああ、そっかそっか。
いやいやいや。
なんて言ったか覚えてます。
私、全部にそういうこと言われたんですよ。
別に残ると約束して、
その半分で残れますよって言うわけじゃないんですよ、全然。
それでもう卒業、3月卒業したと同時に、
東京にすぐに移転して。
でも今となっては、
それを言ってくれた専務に、
もうね、頭が上がらないです。
今となっては。
今となっては、
もう本当にあれを言ってくれたこっかけで。
そうですね、人生ちょっと変わってますね。
変わりました。
あれがなかったら、
そのまま新潟の1デザイナーとして終わってしまった。
そうか。
そうなんです。
それはちょっと、
デザインとは何か?ユーザー中心の哲学
でも野田さんがそうやって解釈というか、
思ってやっぱり報道して、
結果出してっていうことがあったからっていうのもあるとは思うんですけど、
でもやっぱりそれは今、その専務の方の。
いやもう、今となってはもう感謝しかないですね。
もう会わない?
会うことはないです。
会うことはないけど。
会うことはないです。
あ、そうか。
会うことはないです。
でも人生決められましたよね、そこで。
決まりましたね。
キロというか、そこで。
そのときに結構私がいろいろ言ったりとかしたおかげで、
給与改正もその後なって。
ちゃんと高くなったんです、他の人とかも。
ああ、そうなんですね。
でも正直言うと、
私自分のためにやってたので、
皆さんの制度を変えたわけではなかったんですけど。
ああ、そっかそっか。
結果的にそうなってたんですね。
結果的に制度が変わったんで。
ああ、そっか。
会社にもちょっと変革を起こした人みたいな。
変革が起きたんですね。
でもそれは良かったと思います。
そうじゃなかった。
たぶん辞めてました、他の人も。
ああ、そっかそっか。
会社としては健全にというか、
健全に。
フェアな感じになったんですね。
そう、フェアな感じになるっていう。
ああ、それはなかなか素敵なお話だと思います。
そっか。
ちょっとさらに戻るんですけど、
もともとデザインというかが好きだった?
そうです、そうです。
子供の頃から。
子供の頃から絵を描くのがずっと好きで、
当時だったら新聞撮ってくるチラシが入ってたと思って、
チラシの後ろに絵をずっと描いてるみたいなことをやってた感じですね。
じゃあもう専門でそういうとこに行くのも、
自然なルートとして、
そうです。
自分で選んでいって。
そうです。
もう絵のイラスト、
イラストたまに描くんですけど、
絵のデザイン関係で何かご飯を食べようっていうのは、
もうずっと変わらなかったんですね。
じゃあそう思うと今は一応その道をちゃんと踏まえてやる。
そうです、そうです。
そんな野田さんにちょっと別角度の質問なんですけど、
ちょっとバクッとしてますけど、
デザインって何ですか?っていう質問だとしたら。
なるほどなるほど。
デザインというのは、
それを使ってくださる人が、
一番いいというものを具現化してあげるのがお仕事かなと思っておりまして。
これうちに入ってくる新しい子とか新卒の子とか、
いろんな人にもちょっと言っているんですけども、
デザインを勘違いしてる人がいると。
はいはいはい。
アーティストの場合は、自分の出た作品を突き詰めればいいと思ってるので、
どんな自分がいいと思うものをどんどん作って、
それを他の人に認めさせて売り切ればいいと思ってるんですけど。
デザインというのは、アーティストではないので、
いかにそれを使ってくれる人が気持ちよく使ってくれて、
認めてくれて、これはやりやすいね、使いやすいね、
変な違和感とか感じないよね、みたいなところを作ってあげてあげるのが、
デザイナーのお仕事かなと思っております。
それ自体はデザインの仕事を始めてから、その思いでやってる感じですか。
そうですね。基本的にはずっとその思いでやっておりましたが、
すごく考え方が変わったのは、先ほど言ったダーツライブという会社に行って、
そこから一貫してメーカーのデザインをやってるんです。
自社で何か商品とかを作って、それに対するデザインを起こす。
その前までは、受託で受けて、ご依頼があったらそれを作るという。
クライアントさんのニーズに応えてみたいな。
クライアントさんのニーズ。
なので、ユーザーとクライアントの両方の顔を立てるデザインを起こさなければいけなかったんです。
そうか。ちょっと違う。
ちょっと違うんですよ。
そうですね。
なので、クライアントさんが例えば50万でこれを作ってくださいって言われたら、
その50万の範囲の中で、クライアントさんとクライアントさんの先にいるユーザーさんを納得させるものを作るみたいな形で。
だから、あと締め切りとかも。もちろんどのあれも締め切りあるんですけども。
そういうのを全部考えて、だとしたらこれかな?みたいな感じでやるんですけど。
ダーツライブに入ってですね、それからはメーカーの作り方っていうのを学んだんですけども。
当時の上司に入ったすぐぐらいのときだったかな。怒られたんです。
それが、これこれこういうものを作ろうと思って、どういうふうにやったほうがいいかみたいなことを振られたので。
もう結構時間がなかったんです。
これを使って、これこれこうやって、こうやると一番ロスが少ないし、
たぶん間に合わせるためにはそれが一番いいと思いますっていう話をしたんです。
今までってだいたいそういう考え方を作ってきたので、別におかしいことを言ってたわけじゃなかったんですけど、めちゃくちゃ怒られました。
何考えてるの?お前は締め切りとかそういうのを考えるんじゃなくて、
ユーザーさんがそれが一番いいかどうかを考えるのがお前の仕事であって、そんなことをお前に聞いてんじゃないと。
そんなのは上が考えることであって。
そうか。
そうなんです。プロデューサーの人がそれが間に合うのかどうかとか、予算が足りるのかどうかとか考えるだけ。
お前は一番ユーザーさんが響く、届くものを考えて、それがこれですってのを出さなきゃいけないのに、
何考えてるんだって言って、めちゃくちゃ怒られまして。
でもそのときすごい感動したんですよ。
響きますよね、それは。
そうか。自社でプロダクトを作るっていうことは、今までいろいろな人の顔とかを考えてる。
そうじゃなくて、本当にユーザーさんが何を一番欲してるのかっていうのを真っ先に考えなきゃいけないんだと。
そっかそっか。
そこから考え方が全部グワッと変わりまして。
すごい。
やっぱり一番いいもの。一番響いて、一番印象に残ってるもの。
それ以外のところは、その役目の人が考えてくれるので。
今は自分もそっちの立場でいたりするので、そこはちょっと考慮はもちろんするんですけど。
でも今間は今言った通り、うちのメンバーの子には一番いいと思うものをまず作る。
それができるできないとかはこっちが考えますし、
お金が足りないと思うんだったらお金が足りないって言いなさいとか、時間が足りないと思うんだったら時間が足りなさいとかちゃんと言いなさい。
それがお金を出してでもやるべきこと、時間を待ってもらってでもやることであるんだったらやったほうがいいので。
それはせっかくメーカーにいて、自分たちでコントロールできる立場にいるので、それをしっかりやりなさい。
それはなんかいい。
その最初のガツンと言われたところから野田さんの言葉として作った自分として。
これはもう今でも従ってますし、今の子たちにも私は必ず落とすようにしていますね。
結構デザイナーのキャリアを通して野田さん自身もデザインとかそういうものに対しての思いっていうのが、
立場もありながら、いろんな関わる部署もありながら変わっていくというか、変遷していくみたいな感じなんですよね。
そういうのはもういろんな経験をさせていただいて、初めはやっぱり受託だったので、
受託の中の考え方、次に自社ブランドを持って自社メーカーで自分たちのプロダクトを作るためにはどうすればいけないのかとか。
だんだん変わっていってですね。
今はどんな感じですか?
今はですね、でも基本はやっぱり根幹はあまり変わらなくてですね。
なので、本当はそっちよりも強くやらなきゃ。
ジャッジする側を強くやらなきゃいけないんですけど。
どちらかというと、そっちの気持ちをくびとってしまうほうの人になってしまうので。
本当はもっと厳しく言わなきゃいけなかったりとか、現実的に言わなきゃいけなかったりするんですけど。
そこ難しいところですね。
すごく難しいですね。
締め切りや予算を考えるのはプロデューサーの仕事。
「ユーザーのことだけ考えろ」という教訓
デザイナーの仕事はユーザーが一番欲しているものを考えること。
ダーツライブの上司からガツンと言われたその言葉が今も野田さんの仕事の根幹に行き着いているようです。
そして野田さんのお話の続きは次回にお届けします。
32:45

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