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ゆいなわさんの聞く人ラジオ。みなさんこんにちは。ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は、S&Dプロトタイピング株式会社の三冨敬太さんにお話を伺いました。
企業の新規事業開発におけるプロトタイピングを専門とされている三冨さん。
今のお仕事にされるようになったきっかけから、プロトタイピングを起点として、さまざまな興味のあることについてお話を伺いました。
例えば、普段お仕事、好きなこと聞くんですけど、お仕事って具体的にこういうことをしてますよ。
普段どういうふうにみなさんにお話しされるんですか。
そうですね。仕事の説明の仕方としては、すごく端的に言うと、分かりやすくするために言ってるんですけど、
新規事業の文脈において、新しいものを作るときの初期のアイディアに価値があるかどうかを試しに形にして作ってみて、
ユーザーに実際にそれを使ってもらったりして、フィードバックをもらい、精度を上げていく。
つまり、新規事業を失敗させないための方法論についてコンサルティングをしたり、一緒にものを作ったりということをしています。
そういうことですね。その仕事は長く?
そうですね。キャリアの始めがアプリケーションの開発デザインをしていて、そこでも言ったらプロトタイプみたいなものを作るんですよね。
それをお客さんに持って行ったり、チームメンバーに確認を取ったりということを積み重ねてきているところですかね。
なので、キャリアに続いてプロトタイプ、ものづくりに向ける試しに作ってみることは継続的にやり続けているという感じがあります。
それって、それをやろうみたいなことを思ったということなのか、何かやっているうちにそこに至ったのか、どういう感じが今あるんですかね。
そうですね。やっているうちにそこに至ったのが違って、最初のキャリアの時に入ったのが、周りの方も優秀なエンジニアが多いような環境だったので、
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自分でプログラムを作ってというところで、体制というかうまくやるというのはなかなか厳しい環境だったんですよね。
体制というのは。
大きくなる、成功する、厳しい環境だったので、その中で試しに小さく作って確認を取るみたいなことをやっていくと、あまり失敗しないんですよね。
なので、それで認識を擦り合わせながら、最終的に作ると、誰か例えばすごいエンジニアリングができる人が、少し外れた要件で作っちゃったものより、結果的に早く作れたりする。
そうすると、エンジニアリング能力というかプログラミング能力が低かったとしても、最終的には成果が出る。
これいいなというふうに思って、そこから小さく作っていくみたいなことを好んでやり始めたというのはありますね。
そうか。例えば学生のときの勉強というか専攻というか、そういうのとは何やったんですか?
学生のときの専攻は全然違って、経済系だったんですよ。
そうなんですね。
なので、そこは関係がないんですよね。
関係ない中でそこに入っていくっていうのは?
アルバイト先が麻雀屋さんの斬草だったんですよね。
そこの中で割とエンジニアになる人が多かったんですよね。
先輩が入っていって、そこにちょっと一緒に行っていったような形になられていたという形ですね。
それはなんか、当然初めて聞きましたね。
じゃあ、そういう出会いというか、斬草で働き始めたから、先輩がいらっしゃったからこそ、そういうところに入っていったって感じなんですか?
そうですね。
はあ、そうなんだ。
じゃあ、その先輩たちのやってることみたいなところに、だんだん三富さん自身が難しいことをやっていって。
そうですね。
最初は未知な部分?
そうですね、未知ですね。
ですよね。そこに面白みみたいなのを感じたってことなんですかね。
就職するにあたって、何かビジョンとかがあったわけじゃなくて、結構ズルズルいっちゃったところがあるので、
特にすごいやりたくていったわけではなくていう感じではあるんですよね。
その中でやっていく中で、ちょっとずつ自分の今につながるところにいくんですかね。
そうですね。
へえ。それはなんか欲しいな。もっとイメージとして、もっと明確なものがあってやられてるのかなと思ったんですけど。
そんなことはないですね。
へえ。
じゃあそれ、例えば斬草で働いてなかったら、全然違うことしてるかもしれない。
そうですね。何が影響するかはわからないですけど、
例えばもっと小さい頃とか、中学生、高校生とかの時に何か熱中してたこととか、好きだったこととかってありますか。
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根本的に、何て言うんですかね。物を集めたり、本を読んだりするのが好きなんですよね。
なので、そのあたりの物が好きってところがあるかもしれないですね。
オブジェクト的なもの。
オブジェクト的なもの。でも一番大きいのは本ですからね。
じゃあ結構たくさんの本を読みになって、小説とか、一般書っていうかいろいろ。
そうですね。
へえ。そうなんですね。今も変わらず本は読み続けてるんですかね。
そうですね。今も変わらず。
歳とってくると、歳とってくるとどうなりますかね。
重ねてくると本の読む感じも変わってくるじゃないですか。
なんだけど、僕もそうなんですけど、何か10代とか20歳になるあたりの高んな時期っていうか、
そういう頃に出会ったものが今も自分の中に宿っているような感じってあります?
そうですね。それは多分あると思います。
あると思います。
音楽もそうなんですけど、音楽とはどうなんですかね。
はい、します。
やっぱり今も新しい音楽を聴くんだけど、何か自分がよく聴いちゃうのはその頃の音楽みたいになってあったりします。
あると思います。
何かその頃の音楽が自分の何かを形作ってるみたいな。
例えば誰とかってありますか。アーティストとか。
中高生の時はエレクトロニカというアーティストが好きで、
高島さかつっていう人が好きだったりとか、青木たかむすとか、
あの辺のちょっと日本のエレクトロニカは好きでしたね。
あとは普通にロック、それこそオアシスとかブラックアップとか、
ビバ・トムスとか、この辺のアーティストは好きではありませんね。
そうなんですね。
何か若い頃好きだったもので、
今の自分に影響を与えているみたいなところで言うと、
やっぱり本の話は強いかなっていうところがあります。
例えばどういう本とか。
あらまた広瀬とか、清沢達彦とかの、
この辺のこう物心な方が、
博覧協議系が好きではあるんですけど、
プロトタイプって広いので、
拡大回避とか、
あくまで物になるので、
いろいろ物をテーマに扱っているみたいなところで言うと、
少し近いところがあったりするかも。
あらまた広瀬とかの作品というと、
本当に広く深くもあり、
なるほど、そういうところがあるんですね。
それはもう幼いと言ってもあれですけど、
ある程度学生ぐらいの時から?
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そうですね。
最近は自分の中ではキャリアを始めて、
ある種の生きる術として学んできたプロトタイプ。
それは深く潜っていって、
その中で、
特に新規事業とか、
エンジニアリングの現場で使えるスキルとして成立させたんですけど、
それともう少し拡大解釈ができる要素があるプロトタイプ。
物を試しに作ってみて、
試しながら何かやっていくというような、
出来上がる前の物の状態なんですよね。
だから出来上がる前の物、
その物という音は、
自分が昔好きだった渋さとか、
あらまたの要素をうまく掛け合わせて、
拡大解釈できるんじゃないか、
みたいなことは最近興味がわりとあって、
面白い、それ。
そうなんですよね。
お仕事の文脈で言うと、
よくアイディアのプロトタイプとして、
チラシとかワイヤーフレームみたいなものを作るんですけど、
全然関係ないような、
美術におけるプロトタイプみたいなものがあって、
トルソってあるじゃないですか、
原型。
あれも言ったらプロトタイプだと思うんですよね。
この間、学会参加でボストンに行く時に、
ボストンにボストン美術館ってあるんですけど、
そこにいろんなトルソがあって、
そのトルソを何パターンかに分類すると、
トルソで首がないとか指が取れているみたいな、
壊れちゃってる未完成のトルソと、
ミケランジロとか、
作るの途中でやめちゃってるトルソがあるんですよ。
それは完成させるのをミケランジロがやめたっていう、
作り途中のトルソと、
あとロダンとかは、
頭がない状態を完成形だとしているトルソを作ってるんですよ。
どれがプロトタイプかっていうと、
真ん中のミケランジロのやつは、
作り途中のプロトタイプ、
完成してない、完成形に向かう途中なのでプロトタイプなんですけど、
壊れちゃってるやつとかは、
完成したやつが真ん中の手によって破壊されているので、
それは完成形に向かっていってるんじゃなくて、
逆に戻ってるんですよ。
ロダンはそれが完成形なんですよ。
だからトルソっていう見た目が同じような、
作り途中と同じでも分類があるんだろうなみたいな。
そういう作り途中、最終制画物に向かっていくプロトタイプみたいなところが、
やっぱり面白いなっていう。
そこを横串にしていろいろ見てくれるといいのかなって。
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すごい、そういう視点。
そうなんですよ。そこが最近好きで。
面白いですね。
目の前にあるものとしては、
何も知らない人がパッて見たらトルソだったっていうことなんだけど、
そこに至るまでの文脈とか過程とかをちゃんと紐解くというか、
それを見ていくと、こういう違いであり全然違うものだみたいな。
それはちょっとぞくっとしましたね。
面白いですよね。
それをおっしゃっていただいたように、
昔の自分が好きだったものと、
無理やり紐づけるというか、
そういったアプローチで見るとどうなるのかなみたいな。
じゃあ芸術のほうに当てはめるとこういうことになると何かって。
最近、それこそしぐささんの本とかに読み返して、
彼における取り扱っているものでプロタイプ的なものはないのかなみたいなのを見たりしてて、
それはすごい個人的に面白いですよね。
面白いですね。そうなると、
昔、当時読んだときとまた今は違うじゃないですか。
プロタイプの本を普段されているわけですから、
その話からのしぐささんの読み方みたいな。
そうですよね。
それはすごいな。そうするとやっぱり違う感じ。
全然やっぱりそこが違うのが面白いんですよね。
読むときに自分の視点があると、
彼の中の特にこの部分は面白いなとか、
この部分は共通見解ができるなみたいな。
より対話に近づく。
公演を受けているのから対話に至るんじゃないかな。
視点があると面白いな。
面白いですね。
確かに。
初めて出会ったときとかは、
こちらも防備と言いますか、
純粋に楽しんだ、こういう世界なんだって読むんですけど、
時を経って自分があるものになりつつある中で、
私は同じ作品、作品としては同じものですけど、
読み方とか、
それは確かにおっしゃる通り。
本とかでもチクみたいな視点を持って読むと、
昔とは違う読み方とかできたりするじゃないですか。
そういうのは面白いですね。
それは面白い、すごい。
例えばよく言うのが、
創石の心っていう作品があって、
あれって中高生のときに読むのと、
ちょっと大人、青年になって読むのと、
70、50になって読むのと、
全然違うみたいなことを言われる中で、
やっぱりどの作品においても、
自分の年月重ねる中の経験値とかと、
照らされて、照射されて、
改めて読むことで、
あ、こんなこと言ってんだってことに気づいたりですとか、
それは本当そうだな。
ドラえもんとか見ても、
昔とは視点が違うじゃないですか。
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母親、父親視点で見ちゃってるわけじゃないですか、多分。
そういう視点の変化みたいなのはありますよね。
あります。
例えば、自分の子供が生まれた父親みたいな視点が生まれてみたりですか、
ドラえもんとか、子供の純正のままで見てるのとはまた違うような。
ああ、そうだわ。
そう思うと何の作品見ても、
何でも面白い、楽しめる感じがしますよね。
そうなのかもしれないですよね。
そうですよね。
それは本当そうだな。
そういう未完成なものとか、いろいろないかなって探してて、
例えば対話における未完成なものって何があるんですか?
対話における未完成なもの?
対話における未完成なもの?
対話って感性とかってあるんですかね?
感性ないですよね。
ないんじゃないですか。ないと思います。
普段やっぱり話聞く中で、
対話って大事だなって思うんですけど、
時に自分ばっかり喋ってる時って、
対話としては成立してないような感じがしていて、
ある時お互いがお互いパンパンパンパンと、
さっき言ったようにダンスが見事に決まって、
二人がまるでその二人じゃなければ踊れないような、
ダンスが踊れているような対話は、
感性とは言わないですけど、非常に美しいものだと思うんですよね。
その時はお互いが矛盾になってるから、
気づきづらいんですよ、その二人は。
それが講演会か何かで、
二人のイベントだったりしたら、
こっちの人は見ててきっと面白いんですよね。
とかが一つの対話の感性みたいな話を
テーマにするのであれば、
そういうこともあり得るかなとは。
なるほど。もう意識しずとも盛り上がっちゃう。
そうですそうです。そういうことはありますね。
人によってやっぱり、
対話がどうしても噛み合わない二人みたいな。
ありますよね。
ありますよね。
こういう人噛み合わないなっていう時って
どうしてもあるけど、
それも楽しんじゃいみたいなところがあるので、
噛み合わないなと思いながら、
それはそれなんですけど、
何かそれも、
時にすごく噛み合う人もいるんですよ。
初めて会ってるのに。
なんだこの人、このテンポ、テンポ感、
言葉の掛け合いとか、
それは何でしょうね、不思議なもので。
それ自体で、
何だろうな、
例えば本当に講演会とか、
人前で喋るってなると、
緊張したりもするとか、
別の要因が絡まってくると、
また話は変わってくるんですけど、
時にそれさえも越えて、
僕は演劇期限してたので、
演劇的なそういうグルーヴ感とか、
その瞬間は何度も稽古して、
セリフも覚えていて、
お互い言うことは既に予想されてるのに、
まるで初めて出会ったみたいに、
喋って対話するっていうのは、
結構良かったりして、
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感性されてるみたいな。
これなんですけど、
やってる最中は気づかないんですよ。
気づきづらくなってしまう。
後で言われて、
ああ、確かに良かったか、
そういうことはありますね。
面白いですね、確かに。
質問もありますよね。
何て言うんですかね、
どういう質問を投げるかで
話が変わってくるみたいなのもありますよね。
あります。
質問の完成度とかって
何て言うんですかね、
ざっくりした質問、
具体的な質問とかって
あったりするじゃないですか。
あると思います。
どういう質問が、
どういう相手に対して
効果的かみたいなのもあるんですかね。
あるんじゃないですかね。
ミントリーさんが普段されている
インサイト、
いちぶったんのインタビューとかっていうと
ある程度、
こういうところの答えに至りたい。
結構具体的に聞きちゃいますよね。
そうですね。
ってなると質問も
ある程度の準備もされているでしょうし、
全く関係ない方向から
質問を飛ばすっていうことはあんまり
基本しないですね。
スクリプトを用意しておいて
その通りに聞くみたいな感じですね。
たぶん道筋はある程度
予想には沿ったものになっていくかな
とは思うんですけど、
例えば僕だと全くないので、
本当にその時にパッと思いついたりとか、
今これかなとか
っていうことを色々するんですよね。
するって言っても
あんまり意図的ではなくて、
この人今、
純粋にこれ聞きたい
っていうふうなことを聞くんですよね。
もちろんはまらないこともありますし、
はまる時もありますし、
それでその方がずっと
ふわーっと喋りだす
っていうこともありますし、
それは何だろうな。
ちゃんと聞いてるから。
わかんない。
そんなことないでしょうけど、
聞くのが楽しいから
っていうのも一つあるんですかね。
この方に今このこと聞きたい。
もやっとしてる。
その話のもうちょっと
解像度を上げたいとか。
なるほど。
それをお聞きすると、
その人もはっとした顔をする時もあるんですよね。
あ、そのこと聞かれたことない。
そこに降りてったことないとか。
あ、なるほど。
声をかけて、
それはどういうことですかっていうと、
しばらくやっぱり沈黙の中で
何か探してくる。
こういうことかなっていうのを
少しずつその方がそこに
降りてくか放ってくか
向き合うか何かして、
一つずつたどたどしくて
言葉が繋がれていくと、
僕はそこが面白いなっていうのを
感じたりしますね。
なるほど。
ちょっとずつ
描画化されていって
そこのプロセスが面白い。
そんな感じはしてます。
いいですね。
なんかその
21:00
プロトタイプ、
未完成なものについて
言ったら僕は
研究をしているんですけど、
未完成のレベルが
何て言うんですかね、
あんまり出来上がってない方が
周りとしては興味を持つ、
手伝ったりとか
自分の意見を出したり
みたいなのは
出来上がりきってない方が
いいみたいな風に
自分としては思っていて、
出来上がりすぎちゃっていると
あんまり自分が口出しとかが
出来なくなっちゃうっていう、
だからこそあんまり出来てないものを
活用した方が
いろいろなデザインとか
各種でいいんじゃないかな
っていう風に思ったりしてて、
その未完成なもののレベル、
言ったらこういう対話って
基本的にずっと
自分の状態じゃないですか、
何も分からないという状態だから、
あとはもう解像度を上げていく
という作業になるんだろうな、
でも解像度が上がりすぎちゃって
何か分かったって風になっちゃうと
そこが終わりになっちゃうから、
その分かったっていう風に
思わないような考え方が
大事になってくるんですかね。
そうですね、そうだと思います。
僕はやっぱりここかっていうと
到達点みたいなのは
時にやっぱり訪れますし、
そうするとそれ以上行くのか、
そこを全く違うところから
行くとか、
そこは変わりますね。
確かにおっしゃる通りだな。
そこはプロタイミングとかにおいては
もしかしたらそこに至れば
良かったみたいなところも
あるかもしれないですし、
僕の聞く人とかは別に
そこは到達点でもないんで、
それはそれで時々で
変わってくる気がしますね。
なるほど。
めっちゃ面白いですね。
こういう話って好きなんですよね。
なんだろう、
三富さんが聞くのが上手だなって思ったんです。
いやいや、何をおっしゃってんの。
僕すごいです。聞いてて。
興味があるだけです。
ユニアさんに言われてることは面白いから。
興味持つって非常に
一つあると思うんですよね。
興味持ってないことは
僕も聞けないんですよね。
そうなんですね。
その人別に俺は興味ないなって思って。
終わっちゃいますからね。
やっぱりその人に対して
好奇心持つっていうか
その人のことを好きになるっていうか
とにかくこの人なんだろうっていうのを
普通に純粋にお聞きしたいっていう
心持ちでやっているわけですよね。
そうですよね。
何て言うんですかね。
自分の分野に置き換えて
必須に考えようとしてるんですけど、
それこそプロトタイプの
やっぱり
自分の分野に置き換えて
必須に考えようとしてるんですけど、
それこそプロトタイプに関する
みたいなものと
対話ってどういう関係なのかなって
ずっと考えてるんですけど
あんまり結論が出なくて
どうなってくるんですかね。
でも
24:00
相手のこと分かりきることなんてないですかね。
ないです。
それはないと思います。
どう興味を持つかっていう
AさんBさん相手BさんAさんに
興味を持つと
初めて
相手の未完成度合いが
ゼロから始まって
上がっていくと
まずは興味を持つ
っていうことが必要ですね。
そこはあると思いますね。
どうしても
例えば仕事でやる
みたいな部分になっちゃうと
自分の中で仕事です
っていうモードになって
興味とかっていうのじゃない
仕事っぽくやると
相手もそれは察知するので
それ以上仕事だな
みたいな感じですけど
自分の中ではなくなって
自分にただ聞いているので
この人どう思っているのかな
これ聞いたら面白いな
って聞くと
やっぱり面白がってるから
面白がる
以前聞いた方が言ってたのが
授業でレクチャーする人なんですけど
どうしたらいい授業できたらいい
みんながついてくるのって
自分が一番楽しむ
っていうことをおっしゃってたんですよ。
自分が一番になって
そういう授業できた方は
引っ張られて
もしかしたら
今の台湾においても
自分が率先して
楽しんでいくぐらい
少し前に出るぐらい
なんですけど
そこも前に出すぎると
引いちゃうので
いい距離感でダンス踊る
みたいな感じになるのかな
という気がしますね
確かに
こうやって
自分で喋りながら
言語化してるって
思っちゃいました
話しながら言語化するのが
いいですよね
そうだと思いますね
これ後でまた撮ってるので
聞くんですよ
自分でも多分聞いたら
こんなこと言ってるって思う気がします
そうですね
不完成だから
発生する
物に対する
人間の想像力みたいなのに
興味があって
例えばアイボ
ロボットのアイボとかって
割と設計者が
意図してなかったバグとかが
あるらしくて
転んじゃうとか
動かなくなるとか
それが逆に可愛い
愛らしさになる
不完成な部分
に
こういう理由だからこうなんだ
拡大解釈して
好きになっちゃう
さっきの美術の話で言うと
首とか腕がない
銅像とか
それが逆に魅力を増してる
そういう
27:00
未完成だから感じちゃう
魅力みたいなのって
ないかなと思ってるんですけど
今聞いてパッと浮かんだのは
CDのアルバムシャケットとかって
たくさんありますけど
人の顔映さないやつあるじゃん
映さない
ある時からノッペラ棒だったりとか
あえてブレてたりとか
なんか僕が覚えてるやつで言うと
ジェームス・フレイクっていう人がいて
そのアーティストの
アルバムシャケットが
こんな感じでブレてるんですよ
顔は
それのアルバムシャケット見て
最初ダボりゃって思ったんですけど
その後なんかみんな顔ブラしたりとか
あと言ったらダフトパンクみたいなの
隠してるじゃないですか
顔出さないじゃないですか
それ以前って
もっとアーティストって俺ですみたいな感じで
ジャケットに顔いっぱい出て
それは別にそれなんですけど
顔出しませんっていう感じ
でもそれによって
見たいみたいなことを想像させる
想起させるものを
何か今
三富さんのお話聞いてる中に
今それがフワフワフワって浮かんできたので
チラリズムでもないけど
見せないことによる見たさ
みたいな
家来さんなのか
そういう感じ
なんかそのお話で
ちょっと聞きたいんですけど
見せないことによる
魅力っていうところから
ちょっとずれちゃうんですけど
そのアルバムで
人の顔がブレてるみたいな話
あったじゃないですか
ブレてる写真みたいなのがあって
1960年代ぐらいの
写真が派末で
プロウォークみたいな
言われてるんですけど
森山大都
中平拓磨さんが
やり始めたやつで
わざとブラしたりするんですよね
元たとえば
ニューヨークのウィルン・クラインっていう人が
やり始めた手法なんですけど
あれブレボケって呼ばれてるように
あれって
あれブレボケ
あれブレボケ
あれブレボケ
ブレてる
あれブレボケ
こういう手法なんですね
こんな感じ
これとお話聞いてて
モネとかの印象派あるじゃないですか
あれってどう違うのかちょっと思って
すごく感覚的なんですけど
モネとかの印象派って
これがこれで仕上がってるというか
作品な感じがやっぱりすごいんですけど
なんですけど
こういうプロウォークの写真群って
少し余白があるというか
奥行きがある
それをさせるみたいな
未完成なんじゃないですかね
感じがあるんです
あとちょっと不安になるんですよ
こういう方が
モネとかは完成されてるとおっしゃった通り
30:00
そうだなと思うんだけど
なんかまだ
この中平さんの作品とかは
これを提示して通ってるというか
これどう?みたいな
この人自身も分かってないみたいな
確かにね
今この写真においては
気がしましたね
モネは分かってる
なんか分かってる感じが
そう
こういうのいっぱい作るじゃないですか
モネって
自分の見ているものを表現している
ということになって
面白い
森山大道とか中平拓磨は
カメラっていうインターフェースがあるのを
媒介にしていて
そのカメラの変数が入っているから
完全にこのアウトプットを
分かりきってないのかも
そういうことか
だからちょっとこれってどうなってるの
違う世界が見えちゃったんじゃないのって
写真家自体も思っている
そんな感じがしましたね
写真を見ている人もそう思う
なるほどね
面白い
めっちゃ面白いと思います
ありがとうございます
そうですね
不安になります
こういうのを見ていると
いいのかみたいな
そうですよね
やばい話だ
面白い
これ未完成って理由って
どの辺になるんですかね
写ってない部分とか
完成された写真っていうのが
あるのかっていうと
それは分からないですけど
ちゃんと写ってたりとか
色味が綺麗だったりとか
言ったら見ている風景がきちんと写ってるとか
いろいろ話はあると思うんですけど
今この白黒の
ちょっとボケてたりとか
黒いフチが入ってて写ってないとか
白く飛びすぎちゃってるとか
様々な要素が
何か
ちゃんと写ってないけどいいのとか
あと夢に近しいとか
そういう
淡い色が写ってるみたいな
そんな感覚を抱かせる
確かに
そうですね
不安になるっていうのがそこ
子供が
お化けが好きとかってあるじゃないですか
子供って
未知2階になるお化け
うちの子がちっちゃい頃に
お化け屋敷に食い付けになって離れられなくなって
お化け屋敷の呼び込みの人が
おじいちゃんおじいちゃん
いけないよいけないよって絶対行かないって
こういう世界に何かを感じるっていう
その不安と魅力みたいな
同居してるもの
お化けみたいな
っていうのがこういう写真はもしかしたら
お化けとか幽霊とか
そういうものにも
綴るもの
面白いですね
今おっしゃっていただいた
不安と魅力っていうのが
すごいいいなって思いました
完成してないからこそ
完成に至る魅力
でもできてないから不安だし
そうですね
33:01
やっぱり完成
ジャコミッティ
ジャコミッティの作家が好きで
あの人が
柳原いさくっていう
人が書いた本があるんですよ
それは柳原いさくをモデルにして
ジャコミッティがひたすら肖像画を書く
っていうただそれだけの本なんですけど
それを柳原いさく
モデル側の柳原が
ジャコミッティとの対話をずっと書いておく
それってジャコミッティは
毎日毎日柳原を書くんですけど
書いては消すんです
書いては消し書いては消し
完成しないんですよ
鼻をずっと書くんだけど
この鼻じゃ全然ダメだとか
いろいろ言いながら
今日はダメだってバーって消しちゃうみたいな
柳原は何時間も育てたのに
日々それをする
けど柳原は
それに生き続けて
パリかなんかにそれやってるんですけど
日本に帰らなきゃいけないけど
そのチケットも不意にして
まだずっといるみたいな
完成させない
ずっと追求する過程の
面白さみたいなのが
僕その本すごい好きで
そういうことにも何か通じるような
できない
未完成
そこに行く
完成しちゃうと終わっちゃうみたいな
その感じ
そうですね確かに
面白いですね
その未完成のプロセス
特に芸術家の方々は
勉強しますもんね
完成の持っている像と
自分の作っているものを
買いは埋め切れないですからね
そうですね
そうすると三富さんは普段やっぱり
お仕事でやってるプロタイプみたいなものも
どっかで期限みたいなのもあるじゃないですか
それ期限があるから追われるのか
ってなかったら
どうするのかみたいな
そうですね
だから仕事の時に
そのプロタイピングする時に
スケジュールを引くことなんですよ
やっぱり
2週間に1回プロトを作って
ユーザーに当てて
フィードバックをもらって
次のプロトを作る
それを3ヶ月間繰り返して
3ヶ月間のタイミングで判断しましょう
やるかやらないかみたいにしてるんですよね
そこは終わりを見終わりに設定しないと
永遠と続く制作プロセスになっちゃう
そこを明確に
明確に
多分芸術家とかとの違いですよね
そうですね
じゃあないと
ずっとそれやれちゃうかもしれないし
そうですね
やればやるほどその世界観に入り込んでいって
ちょっとこれはこっちだなと
ずっとやれちゃうじゃないですか
でもどっかで終わらせないと
っていうのは
そうですね
面白いですね
じゃあコメッティーにスケジュールなんてないですか
あったら日本に帰れてますからね
そうなんですよ
36:01
すごい話だなと思ったんですけど
それを若い頃に読んで
そういうのは好きで
僕も演劇やってる時に
演劇も同じようにスケジュールがあって
公演が本番があるので
2ヶ月後に本番
それに向かってやるんですけど
どっか最後の方は終われない自分がいて
完成はしないんですよ
確かに
舞台作品としてお客さんが見てる時点で
それは完成とは言えるんですけど
そうなると全部終わっちゃうというか
だからなんか
ふぬけになっちゃうというか
本番終わると空っぽになっちゃう状態っていうのは
何かその同じものを追求してきたのが
やれなくなっちゃうから
っていうようなのも
今の話にちょっとつながるような
それがずっとできたら
もしかしたら幸せなことなんですけど
そうではないっていうのは
そうですね
それをやり続けてるのが
さっきのジャコメッティー
ミヒランジェロシカリ
そうですよね
すごいですね
すごい
こんなここに来るなんて
全然思ってない
こんなお話を
すごいですね
面白い
こんな感じで聞きました
ありがとうございます
あと一個だけ
これは聞きたいなと思ってたのは
全然違うんですけど
サイゼリアの話聞きたくて
是非是非
行ってますか?
最近あんまり行ってないです
3週間前から
2週間くらい行ってないです
頻度高いときは1週間に1回
サイゼリアは
人に好きなんですけど
何がいい?
何ですかね
自由度
そうか
確かに
自由度っていくつかあるんですけど
もちろん雰囲気の自由
みたいなのもありますし
あとは
食に対する自由度
組み合わせていいとか
調味料がいっぱい置いてあるとか
そういうところがいいですよね
そうかそうか
これとこれを組み合わせたら
美味しくなるんじゃないか
そういうのを試せるところがいいですよね
あとは普通に
ワインがめっちゃ安い
ところが強いですよね
確かに
あんなところないですもんね
すごいと思いますね
自らの道を追求
先に言ったら値上げとかも
抑えしないというか
企業努力で
メニューをちょっと変えながら
頑張っている感じが
言ってはないけど
伝わってくるので
めっちゃいいよなと思って
そうですよね
防虐男女なのか
子供も好きというか好きだし
一人の方もいっぱいいらっしゃってますし
やっぱいいわ
誰でも受け入れてくれますからね
39:01
そうですよね
うちの子はサイゼリヤ以外と
外食しなくなっちゃいました
マジですか
素晴らしいお子さん
どうなんでしょうそれは
外食って言ったら
うちは決まってサイゼリヤ
お子さんは何を食べているの
決まってチーズのドリア
最近でもそればっかりだな
それとポッカチョがあれば十分
すごいですね
教育した覚えはないんですけど
そんなに落ち着いた感じはあります
いいお子さんですね
どうなんでしょうそれは
もうそっか
サイゼリヤね
サイゼリヤいいですよね
この町にもいっぱい
何軒かあるのか
2店舗です
2店舗か
サイゼリヤも店舗によって違うので
ちょっとずつ
店の雰囲気とか広さとか
たまに違う町に行った時に
行くとまた面白いですね
確かにそうですね
結構好きですね
結構好きですね
ついついサイゼリヤは
行きたくなっちゃうし
一人でも行けますし
行った先の町で
子供もできますし
家族で行くことも
仲間で行くこともできますし
そうですよね
ファミリー何軒かで行っても
受け入れてくれますよね
どういうような組み合わせ
そうなんです
その面白さ
ちゃんと時代に合わせて進化もしてますし
間違い探しがなくなるって
あるの知ってますか
復活
この辺りあったんですよ
あるじゃんと思って
ちょっと安心したんですけど
そうですよね
一時期あれはだいぶ悲惨な感じでした
何だかなっちゃうのか
そうですよね
家族3人で行くと
新作が出てると
今日はそれの日に
黙ってじっと見て
それで30分1時間過ごしちゃう
なかなか見つかんないですからね
あれがまたいい難易度なんですよね
最後の1、2個気満ですもんね
本当に見つかんないですもんね
そうなんです
これだけの話じゃんみたいな
鬼畜な難易度出してきますもんね
たまにね
本当ですよね
あれはね
いっぱい密集してるところの数数えても
意外とないんですよ
そうなんですよ
絶対ここあるだろってところにも
ないんですよね
ここなの?みたいな
やりきれいですよ
あれはすごい
普段左上の文章もあるじゃないですか
たまにあるじゃないですか
そうですね
たまにあるんですよね
1年1回くらい
あそこ見ようとしたりとか
相当好きですね
嘘だね
間違いがないってのが間違いなんじゃないかと
絶対言いますよね
そこに
42:01
目の前にあるトルソーの捉え方の違い
対話における未完成
そして聞く時の興味を持つことの大切さ
そしてサイゼリアのお話などなど
非常に興味深いお話をたくさんしていただきました
三富さんありがとうございました
それではまた次回
雄一河さんの聞く人ラジオでお会いしましょう