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2022-04-25 30:18

21. podcastでやっていき手になろう

yatteikifmの話とpodcastの消費心理 やっていき手であり続けたいですな

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言語化ウセをつけるために、podcastを聞こう!
すごいストレートなタイトルじゃーん、という感じなんですけれども、
実はですね、とあるpodcast、ゆるふわポッドキャストさんというポッドキャストに、
このなかよしインターネッツというね、ポッドキャストが言及していただいておりましてですね、
前にやってたね、やっていきFMみたいなの聞いてくださってたというお話から始まって、
毎日30分くらいなので、散歩するときに聞いてます、みたいな風にご紹介していただいて、
わーってちょっとドキドキして嬉しかったんですけれども。
やっていきFM、数年前にやってたときはですね、そこからだんだんいわゆるエンジニア界隈といいますか、
プログラマーのクラスターでポッドキャストをやるっていうのが、
ムーブメントに、しかも若手がやるっていうのがある種のムーブメントになっていたっていうのがあると思います。
それについて詳しく知りたい方はAmazonとかで、
今日から始めるポッドキャストっていう風に検索していただけると、
いとっぽいどもね、文章を書いている本が1冊出てきて、
それ確かKindle Unlimitedで無料で読めたと思うので、それ読んでみてください。
今読んでも我ながら、へー、なんかまともなこと書いてるやんけと思うんですけれども、
ぜひ読んでみてください。
今だからこそ話せちゃう内容もちょっと今日話そうと思うんですけれども、
そもそもエンジニア界隈のポッドキャストというのはどういうような消費をされていたかというと、
同年代の同じエンジニアというか同じ業界に働いている人たちっていうのが、
どんなものを見てて、どんなものを聞いているのかっていうのを、
ある種、自分が遅れないようにキャッチアップしようっていうのがメインだったのかなというふうに思っています。
もともとはてなダイアリーであったり、個人ブログであったり、はてなブログであったりっていうので、
技術情報をちょっと前は聞いた、今は聞いたじゃないのかもしれないですけれども、
技術情報を書くというのはもちろんなんですけれども、
そもそも自分たちの人生についてどう考えているのかみたいなのを、
同年代がどのように捉えているのかっていうのを話すっていうのはなかなかないことだと思うんですよ。
筆部省の人なら特にそうですよね。
あとはちょっとピリッとしたことを言うと、書くほどでもない技術ブログ、
もちろん技術ブログというのはどんなに車輪の再発明であっても書くことによってそれを救われる人がいるし、
自分の成長にもつながるからいいっていうのもあるんですけれども、
それも書けないとか、書けないというよりはそもそも文章を書くのが得意じゃない、
タイピングするのが得意じゃないっていうパターンも含めですよ。
書けない、書かない、あと書く内容がないっていう人でも、
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しゃべることによってアウトプットはできるし、
実際にそもそもそういう技術の内容を知りたいのではなくて、
どんなことを周りの子たちが考えているのかっていうのがよほど知りたいっていうのが、
当時の状況だったと思うんですよね。
特にやっぱりウェブ業界みたいなものはかなり流動性が激しいですし、
技術の流行りの技術といいますか、
どれを選択するかっていうのも、
自分の学習コストと人生を天秤にかけて何を選ぶのかっていうのが結構ドキドキしてた時代、
今でこそもちろん、今フロントエンドっていうともう、
JavaScriptと言っていいんじゃないでしょうか。
すみません、語弊があったらごめんなさいなんですけれども。
JavaScript Engineerイコールということでいいんじゃないでしょうかっていうところまで育ちきりましたけれども、
当時はやっぱり何使うかみたいなまだザワザワしてたタイミングなので、
そういうのもやっぱり注目が集まってたんじゃないかなっていうのは思います。
ちょっと話を戻しますと、すなわちPodcast当時のムーブメントというのは、
一体どういうようなことを見て感じて、今考えているのか今悩んでいるのかっていうのを聞くっていうのがメインのある種面白みだったわけですよ。
すなわち見ているものが多い人、考えていることが多い人、悩んでいるものが多い人っていうののお話が人気になるというか、
需要を捉えているという状況だったと思います。
ただこれってよくよく考えてみると、Podcastだけではなくて、ラジオの基本でもあるんですよね。
何を見たり聞いたか、それでどう思ったか、いわゆる何を見ました、何を聞きました。
それは日報形式ですよね。それはわかる。
それを見てどう思ったかっていうところまでセットで摂取できるのが実は音声メディアなんですよね。
特にPodcastに注目して言っていいと思います。
なぜかというとラジオっていうのは尺の都合があるんですよ。
尺の都合がありますし、コーナーもありますし、一方でPodcastってケツの尺がないんですよ。
終わりの時間が決まってないじゃないですか。
そこがPodcastのかなり圧倒的に強いところで、
プラス動画メディアだと、それは音声メディアだけではなく、動画もそうだから、YouTubeもそうなのではないか。
音声メディアの時代が始まったというのをまた言うのか。
うー、みたいに言う人がいると思うんですけれども。
動画って途中でやめやすいんですよ。
ただ音声メディアって一回聞いた人ってだいたい最後まで一応垂れ流しにする可能性が高いんですよね。
そこに注目して意識を傾けているかっていうのは別の話なんですけれども、
少なくとも垂れ流しにしてもらいやすいメディアなんですよね。
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ってなると、どう思ったかっていうところまでっていうのは、
いわゆるこれを見ましたっていう具体的な話、そしてこう思ったんですよっていう抽象的な話、
そこからこう思ったっていうのをきっかけに、自分のこういう話のことを考えちゃったんですよ、
また具体、抽象、具体、いわゆる別の話まで転がることで輝くんですね。
こういったトークは尺の都合があるとほぼ無理です。
ほぼ無理ですね。
生配信のトーク番組とかでも無理だなっていうのはやっぱり思います。
例えばテレビっていうのは一言で面白いことを言うテクニックの場所なんですよ。
芸人さんとかまさにそうですね。
一方で、じゃあそういった芸人さんじゃないテレビだと違うんじゃないか。
違いますよ。
ワイドショーとかっていうのはふわっと結論を言わずに何か何かを言ってそうで言ってなくて何か言ってるっていう形に着地させるののテクニックです。
なぜかというと、ある事象が起きたときにそれに対する意見を言うってなるじゃないですか。
それって別に数学的に正しいとか、ファクトとして圧倒的にその考えが成立しているっていうのは言えないじゃないですか。
だから正解がないことでも何か言わなきゃいけない。
っていう風になると、ふわっと結論をぼかして言うっていうテクニックが大事なんですよ。
何かを言ってそうな雰囲気で何かを言うみたいなね。
っていうテクニックが必要になります。
それって具体中小具体で転がしちゃいけないんですよ。
具体中小中小中ぐらいで止めとくのが一番大事なんですよね。
これもかなり頭良い人じゃないといけないので大変なんですけれども。
相当知識人じゃないと無理だなって毎回思うんですけれども。
ポッドキャストの場合はですね、もうとにかくずらーっと適当にケツを気にしないで喋れるのでっていうところがメインであると思います。
結構世の中は音声メディアの特徴って今みたいにだら流しされるとか何かをやりながら聞かれるからすごいエンゲージメントが高いし再生時間も多いんだよって言うんですけど。
それは片手落ちだなと思っていて今言ったように尺のケツがないことっていうのがポイントだと思うんですよね。
なので一つの話に付随してワントピックがあったとしたらワントピックが1.5トピックに進化する。
具体中小具体っていう風に転がるっていうところがポッドキャストの面白いところだしユニークなところだろうなっていうのは思います。
あともう一つ面白いところが純粋に、例えばこういうアニメを見ました。そこでこう思った。
もっと具体的にしよう。響け!ユーフォニアムを見ました。感動しました。部活のああいう空気感ってあるよなって思いました。
そういえば自分は吹奏楽部じゃなかったけど、テニス部だったけど先輩後輩みたいなのはそんなになかったな。
先輩後輩って今って成立するんだろうかみたいなね。
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で、そこからまたユーフォニアムの話に戻ったりしてっていうのは結構尺がないと無理なんですよ。
で、それができるっていうのがポッドキャストの面白いところで、これどういうことかというと形にならない何かをどうにかして掴もうとするっていう過程をそのまま流せるのがポッドキャストなんですよね。
で、これっていわゆる響け!ユーフォニアムを見ました。先輩後輩のギスギスの関係というのはあるなと思いました。
しかし後輩というのは先輩を乗り越えていくものであり、それがストーリーとして描かれやすいというのも分かりました。
実際の高校生活もそういうようなことがあります。
しかしそういうものは3年生が受験になってっていう追い出しの、いわゆる2年3年って学年が上がっていくことによって発生するものである。
しかし現実の学校が終わった後の社会ではそういった追い出しとか学年が変わるっていうのが発生しないので、先輩後輩の関係というのを整理するのが難しくなる。
だからあの関係性というのは実質やはりあの環境、学校という環境でのみ整理するものである。
以上。
って言ったら、そんな面白くないんですよ。
今適当に話しましたけど、そんな面白くないんですよね。
それよりも、言語化っていうのは何かをこぼれ落としているものになるので、
何かあのギスギスだけどなんかちょっと仲良いあの漢字って何なんだろうねっていうのを一生懸命リアルタイムでうんとうんとって言葉を探して何とか形にしようとしてっていうのをできるのがボットキャストです。
で、音声メディアってやっぱり絵がないので、リスナー、いわゆるユーザー、いわゆる聞いてる人ですね、聞いてる人は聞きながらその人のコア色のテンションとか、
あと2人以上で話してるときはその会話のね、ノリとかを捉えて内容を補完しないとわかんないはずなんですよ。
すなわちリスナーが能動的にあの継承する形になるんですよね。
なぜかというと普通にこう聞いてるだけだとこぼれ落ちてしまうから、どういうテンション、ここでなんか結論っぽいこと言うのかな、いわゆる声がちょっと高くなったりするとこのように結論を言うんじゃないかなという雰囲気を無意識に皆さんは感じますし、
低く話すことによってここは別に大事じゃなくて何か他のことを言っているみたいな気配を感じる人もいますよね。
そこができるのが、しかもそれをかなり頑張って能動的にやらないといけないっていうのが音声メディアのポイントであって、
尺がないことと音声メディアであることっていうのの組み合わせがポッドキャストのユニーク性だろうなと思います。
これラジオの葉書職人とかと一緒の構図ですけどね、音声メディアってお互いに補完しようとするっていう能動性が肝だからですね。
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というね、ポッドキャスト面白話をした上でですね、せっかくだからちょっと人生の話をするか。
久しぶりにポッドキャストを聞きまして、人生の話っていいなと思ったので人生の話をするんですけど、
今まさにその人の話をうまく聞くとか、人の話を引き出すとか、人が何か言えるような質問を投げるみたいなのをお仕事としてやってるんですよ。
具体的に言うと、テレビ朝日さんがダブルでそうなるんですけど、他にもコンサルティングの仕事とかまさにそうなんですけれども、
コンサルティングはどっちかというとソリューションを提示する側なので、こちらから出すって感じなんですよね。
ただ、人の話をっていう風になると、長期のコンサルティング案件契約だったらかなりその人の人生についても掘りますけれども、
それよりも本当にトークっていうと本当にやっぱりテレ朝さんの今の仕事が結構印象的で、
毎週木曜日か金曜日にVTuberさんと専門家の先生をゲストにお呼びして3時間ぐらいお話しするんですよ。
もちろん流れはあるんですけれども、流れじゃないところが面白みでもあるので、それを作らなきゃいけないんですよね。
なので、ちょっと専門的な内容の解説があった時に、これむずいんじゃないか普通の人はと思った時に具体的な質問したりとか、
逆に抽象的にまとめてみたりみたいなことをやったりとか、これちょっとこの子にはむずい内容かもしれんぞと思った時に助け舟を出したりとかっていうのをやるんですよ。
で、あともう一方のまた全然違うのがワールドワイドショーの方ですね。
ワイドの方で、あれは例えば前回の放送会でもありましたけれども、お仕事って淡々とやるのか、淡々と黙ってやって早く帰って楽しいことをやった方がいいのか、
お仕事自体を楽しくやった方がいいのか、どっちの方が大事なんですかって投げかけるシーンがあって、
ああいうのも全部アドリブなんですけれども、あれは意図っぽいとしては結論としてはいいから黙って働けやって思うんですよね。
で、黙って働いた上で楽しくするっていうのが大事なのであって、どっちかに偏ってもしゃーねーだろっていう答えはもう分かってるんですよ。
だけど分かった上で、これが答えですどんってやっても別にスタジオは盛り上がらないので、これってどっちが大事なんですかねーっていうふうに、
ある種、アホのふりして聞くっていうことをやってるわけですよね。
その答えを出すと盛り上がらないんですよ。答えがないことをみんなで探していくからトークっていうのは盛り上がるんですよね。
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なので、そのみんながすり張りに引っかかりそうなことをああーってその場で考えてホッて出すっていうやつなんですけれども、相当難しくて本当に胃が痛いんですけれどもね、どちらも。
すげー難しいんですけど、いやでもやっていけFMで結構聞き手をやったりしてたわけですよ。
そこから、それをお仕事にするっていうふうになって、聞くお仕事すごいしてバランスがずれそうだから仲良しインターネットで毎日更新でやって自分からバーって話すっていうのをトレーニングしてるっていうのが裏事情としてあるんですけれども、
でもやっぱりね、当時やってたからできるなっていうのはすごく思います。
これは別にやっていけFMでやってたから全然できるよっていう感じだったんですよ。やっぱり最初は。なので、いや人生どうなるかわかんないなっていうのを思いました。
で、大量にゲストの方、全員キャラクターが濃いんですよ。どういうベクトルに濃いかっていうのはいろいろあるんですけれども、むしろ出演されるっていう方なので絶対濃いんですよ。
で、そこで毎回思うんですよね。もう1回も思わなかったことはないんですけれども、全員皆さんやっぱり魅力的なので、特にやっぱ思うのは感動している人は面白いっていうことですよね。逆に言うと感動してない人はつまんないって言えます。
人に対して面白い人つまらない人っていうのはちょっとあまりにも失礼なのかもしれないんですけども言いますね。感動してる人は面白い人です。感動してない人はつまんない人です。これも明確に言えます。つまらなさっていうのといい人かっていうのはまた別ですからね。人間性の否定ではありませんよ。
これはあくまでも消費者目線で言うとそうなってしまうっていう話だけです。実際に場所によっては意図っぽいではつまんない人になります。これはもうしょうがないですよね。全然わからない内容とかだったら何もいいコメントできないので。それはそのコメントに対して感動した経験がないからっていう話なんですよね。
どういうことかと言いますと、やっぱり話す内容がないっていうの結構みんな言うんですよ。そんなことはないよって意図っぽいでは結構毎回思ってて、私は特に話す内容とかないからできないからみたいなのはよく言うんですけれどもそんなことはない。
なぜかというと最近本当に話すことがないっていうのは最近何も感動したことがありませんっていうことなんですよね。心を動かしてませんっていうことなんですよ。何か心が動いたっていうのがあってそれを覚えていればそれは十分話すことになり得るんですよね。
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何で感動したのか、なぜそう思ったのか、それっていつも思ってるのか、この3つのコムで基本的に話す内容って競りするんですよ。なので聞き手がよほど下手じゃなければ何かを感動したものがあれば絶対につまらなくはなりません。だからほとんどの可能性の場合でつまらない人っていうのはあんまいないんですよ。
これをやっぱりすごく思うんですよね。で、感動っていうのをちょっと具体的に言いすぎたのでもうちょっとわかりやすく言うと、最近考えたこと、考えていることがないっていう人はつまらない人になってしまいます。
ただ、最近何か考えていることがあるよ、これは最近っていうのは昔からずっと継続して考えていることでも構いません。何か頭を動かしていること、意識を傾けていること、ついつい考えてしまうことがある人であれば絶対に話す内容はあります。
ただ、最近考えていることって言い方すると常に抽象的なことを考えている人みたいなニュアンスになってしまって、そういう人って稀なんですよ。そういう思想家、哲学家の人はやっぱり稀なので、最近感動したことがあるかの方がよりハードルが低く万人に対応できる言語家なんじゃないかなというのは思っています。
感動してない人が来ると、じゃあどうするのかってあるじゃないですか。ほとんどないんですけど、ほとんどないんですけど、たまにあります、たまに。めちゃくちゃたまにね。少なくとも今のお仕事ではないですけど、たまにあります。そういう場合は何で感動しないかっていう話をすることになるんですよ。
最近面白いことありました?いや、ないんですよ。 え、じゃあ逆に人生の中で面白いと思ったことって何ですかって言って、それはこれ面白いと思ったから。じゃあ何で今面白くないんですかっていうので、もうそれで面白いんですよね。それでもうその人のもう完全にコアな自己紹介になるので、全然いいんですよ。
はい、だから全然何をでもできる。ただ問題が何で感動してないんですかって聞いたときにピンときてない人だと、この人はもう天然だなって言って、わははーにするしかないんですよね。でも、わははーにしてしまうと天然だなっていうふうになると、今度はどけとツッコミみたいなファニーの世界観になるので、
人間的な面白みっていうところじゃなくて、芸人さん的な面白みになってしまうので、話す側も受け手側もすごい実力が問われて、さんまさん的な能力がないとできなくなっちゃうので、それとポッドキャストはそもそも相性が悪いです。尺がないからこそできるのがポッドキャストで、そのやりとりするんだったらテレビでいいです。本当にテレビか漫才でいいです。
まあ、場合によっては大阪の人、そのオチワみたいなやつですね。あのかもしれませんけどね。そのオチワっていう人はね、あのテレビの見すぎだと思いますね。本当に。はい。で、その、なんかまあマジでマジレすると話にオチワって聞く人はテレビが編集されているものだと知らないアホな人なんだなっていうのは思います。
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ただ、昔の世代の人は編集ということに対して気づけないはずなんですよ。メディアというのは編集されているものだっていうことを少なくとも昔の時代は気づくことができなかったので、そういう意識になっても仕方ないと思います。だから、昔の人ほどそう感じてしまうのは仕方ない。これはもう文化の話なので、文化と教育の話なので、もしかしたらアホじゃないかもしれませんね。あの、教育の敗北かもしれません。はい。
今はそんなことはないと思うけどね。はい。話戻すと、あの、面白みっていうのはやっぱり意識から来るんですよね。はい。何かを意識的にしているとか何かを考えているっていうところに面白みっていうのが出る。なぜかというと面白みというのは、AはAであるっていう事実を述べることは全然インタラスティングではないんですよ。面白みではないんですよ。
何か違うかもしれないけど、何かこんな気がするんだけど、うーん、ああ、どう思う。これが面白みになるんですよね。面白みというのは興味なので、あの、こういうものです、ドンって置いてあるとそれに対して興味っていうのはないんですよ。こういうものってこうなんだよ、君はどうかなっていう風になると、ああ、どうなんだろうって見るじゃないですか。そこが、あの、興味の、面白みのトリガーなので、もう全てやっぱり意識から来るんだろうなっていうのは思います。はい。
無意識的に何か興味を持つっていうのがあるかもしれないけど、それは多分体験記憶から来てるんじゃないかなっていうのも思いますよね。はい。で、あの、やっぱ何かを捉えようとするのは言語化であって、言語化というのは意識化であるからっていうのがまあ今日のポイントかなと思います。ただ一方でですね、例外の話をすると、アーティストの場合は言語化しない方がいいっていうのもすごく思います。
あの、言語化しちゃうと切り分けてしまうことになるので、その音楽とかストーリーとかを作るときに切り分けてしまうと作りにくいんじゃないかな、そういう人もいるだろうな、そういう作品もあるだろうなっていうのはすごく思います。
実際に人っぽいですしも、コンセプチュアルな作品とか空気感とか、あとはストーリーとかを作るときは、考えてることの言語化をしない状態に持っていった方が調子がいいです。
はい、なので常にあらゆることをね、これは多分こうだろうな、こうなんだろうな、こういうポイントなんだろうなっていうふうに切り分けて考える病にかかっているので、作品作るときはスイッチの切り替えに大体1週間から1.5週間ぐらいかかりますね。
なのでタイムロスがでかすぎて、毎回反省するんですよね。
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特に小説を書いた最近、ガリ大探検隊レポートVことバシュミナの大冒険、単行本のためにかなり回筆をしたんですけど、それはね、ほんとちっぴつ旅行したほうがいいなと思いました。
バゴンってスイッチ変えないと無理だなっていうのは思いましたね。
はい、なので例外ももちろんあります。
あくまでもポッドキャストっていう軸で話をしました。
のように、いわゆるこれってこういうことだよね、まあでも例外もあるけどね、違う場合もあるけどでもなんかこんな気がするんだよなーっていう話ができるのがポッドキャストです。
まだわかんない?
ちょっと前にはてなブログでこういう話すると、でもこういうのが違う、こういう場合は違うのではないか、ここが漏れている、もう全然ダメだ、うーってはてなブックマークのおじさんたちに書かれてたでしょ。
だから衰退するんだよって思うんですけどね。
ノートがいいところはそういうところも許容したっていうのが大事ですよね。
記事というのは一つのアウトプットであり作品であるっていう風にして、記事を書く人は全員クリエイターであるってことにし、
ファクト情報でないもの、いわゆるクリエーションであるっていうね、ピボット、いわゆるコンテンツの捉え方のピボットをしたっていうのがノートの素晴らしいところだと思ってますね。
はい、というのでお話をしてみました。
最後にじゃあ、やっぱりやっていきFMの話題が出たのでやっていきの話を久しぶりにしますか。
やっていきてやっていかなくなる問題っていうめちゃめちゃコアな話を5分ぐらいでしていいですか。
若い頃は時間もあるし体力もあるけど、しかしだんだん衰えていくっていうのはもうどうしもない事実なんですよ。
それでやっていかなくなるっていうのはもちろんあるんですけれども、人には人のペースがあるって問題もあるんですよ。
やっていきてというのはやっていきというのはING系なので、常に何かを続けていく、何かを成長していく、反省し成長していく、よし頑張るぞっていう気持ちが大事なんですけれども、
人にはやはり人のペースがあります。
これはもう大前提です。
ゆっくりペースの人とせかせかペースの人では、急ぎのレベルが全然違います。
なので、バーっとやって休んで、バーっとやって休んでっていうタイプの相打つタイプと言いますか、多動タイプと言いますか、糸ポイラーみたいな多動タイプの人間もいればそうじゃない人もいるわけですよね。
なので、やっていきの調築がなくなった場合はやっていかなくなるんですよ。
なので、全然人間はやっていかなくなる問題というのを常に抱えているっていうのは大きくなってわかったことですね。
ですが、そういうものはもう本当に人のポテンシャルというか性格の問題なのでどうしようもないんですよ。
じゃあ自分はどうしたらいいかっていう話なんですけれども、やっていかなくなるポイントとしては対応している。
27:05
対応しすぎるとやっていかなくなります。
対応っていうのは、いわゆる自分から何か能動的にやるものではなくて、言われてやることというかやらざるを得なくて何かやっていることとか、
あとは無意識にもうアクセスして何とかするしかないみたいな感じにしている状態を対応と言います。
対応しているなって感じたら自分が思考停止しているか、もしくは逆なんですよね。
これ対応っていうと対応させられているってすぐ思う人がいるんですけど、これ逆だと思います。
あなたが、あなたがというよりもこれは意図っぽいような反省なんですけれども、
いわゆる過去の自分に対して問いかけるように今から言いますね。
あなたが思考停止をしているせいであなたを対応させ、対応さえしていればいいって状態まで誰かが介護してくれているっていうことをわかった方がいいっていうのを過去の自分に言いたいですね、本当に。
なので対応していること、もう本当に自分の思考停止している何も、なんかこれはこうした方がいいなとか、こうしてやるからこうなった方がいいな、こうすると自分は楽しいな、
こうするとみんながハッピーになるなっていうことを考えられず、もうとにかく対応、わーって対応するしかない、こういう状況もあると思います。
キャパシティがないっていうのもあると思います。
人間のキャパシティには限界がある、意図っぽいでも限界があるから。
なんだけれども、それは誰かが悪いとかじゃなくて、まあ普通に自分の気の持ちようとか工夫でなんとかなる場合もあるので、なんとかしなさいって話ですね。
もうとにかく忙しいと頭が悪くなるんですよ、人間っていうのは。
その頭が悪くなる状態っていうのをいかに脱するかっていうのはすごく大事っていうのを常に最近思います。
で、そういった対応が多くなったら休むことがすごく大事なのと。
休むと言うと、なんかこう対応をやめようとかパツッとやめようって風に考える人が多いんですけど、そうじゃなくて対応を終えておくという非対応タイムを自分から対応的ではなく、非対応的に能動的に作ることでいいです。
別に休むって言って休まなくていいです。
休むという選択を意識的にすることだけでいい、その意識を持つことだけで正気に戻れるからっていうのを最近思いましたね。
自分で選択することで生産性を取り戻すことができるっていうのはあるなというのを感じました。
これがやっていかなくなる問題に対する一つの処方箋だと思います。
その意識の取り戻し方っていうのはいろいろあると思うので、そんな話をこれからどんどんしていけたらいいなと思いますということで。
他のポッドキャストとか聞くとちょっと面白いですね。
せっかくなんでゲストとかに呼ばれてみたいという気持ちありです。
ゲストに来ていただく側を毎週やってるのでゲストしたい。
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このポッドキャストを聞いているポッドキャスト主の方がいましたらお声掛けください。
よろしくお願いします。
ではまた明日。
30:18

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