才能について考える【ショーン編】(その2)です。


【今回の内容】

才能を発揮できる社会/老害になりたくない/子供に伝えたい想い/親がどこまでナビゲートするか/お金があったら何をしたい?/他者と信頼関係を築きたい元体験/根源的な欲求と現在の仕事のギャップ/才能の過剰使用/伝統と改革/優秀な仲間に囲まれる/全体のバランスをとる役割


【パーソナリティ】

とよだ:富士通で働くビジネス哲学芸人。

ショーン:シリコンバレーのテック企業で働くデータの魔術師。


【番組へのお便りはコチラへどうぞ!】

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※このラジオは、個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではございません。


#白米FM #哲学 #才能 #データサイエンティスト #信頼関係

サマリー

第2段階で価値観を見つけるというところをやりたいと思っていますが、現在の社会には不十分だと感じるものがあります。それは、それぞれの人が自分の得意なことや好きなことを発揮できる場が足りないと思っています。私は、人と信頼関係を築くことや人を助けることに興味を持っています。特に初対面の人に対しては、自分の特性と合わない感じがあり、チームメイトとの長期的な関係構築に向いていると感じています。私がいなかったら、結果は異なっていたでしょうし、サークル活動では優秀な人々とチームワークを取りながら役割を果たしました。

社会に足りないもの
じゃあね、次はね、第2段階で価値観を見つけるっていうところをやりたいんですけど。
はいはい。
えー、じゃあこの質問は、今の社会に足りないなっていうふうに感じるものは何でしょう?
あ、社会ね。これ結構難しいよね。
いやー、社会に足りないもの。
まあでも、そうね、なんかそれぞれ自分の得意なこととか好きなこととかが発揮できる場みたいなのが足りない?
なんか縛られてるじゃないけどさ、前回の。
うん。
個人の思いとか、その裁量とか、なんかこう特徴とかがいろいろ制限されてる、社会構造によって。
っていうのはあるのかなと。
まあ我々がちょうど囚われてる話とか、メタ認知の話してるからかもしれないけど。
うん。
そういうのに対して自由じゃないというか。
うん。
辛い、窮屈だと思ってる人が多いのかもしれないなと。
うん。
うん。
そうね。
うん。
それは僕も感じるね。
うんうん。
なんかね、もっとみんなが自分の才能を発揮して、それぞれの場でね、生き生きと働けたらいいなと思うけど、なかなかそういう感じではなってないかなーっていう感じがするね。
自由で生き生きと働きたい
ちょうど昨日ぐらいに、陸上選手だった、選手の今もか。
うん。
為末さんが呟いてたやつで、日本の教育の特徴は、興味のないことをやり続けるっていうことにフォーカスしてる。
あー、うんうんうん。
って言って、あー、なんかこれ確かにいろんなこと説明できちゃうなーと思ってさ、なんか。
だから、自分を押し殺してやり続けてる人が全体的に多くて、日本では。
そうね。
周りの国ではそうじゃない。
まあ、アジア系の国だと結構あれ、同じようなことあったまってるなっていう気もしたの。
うんうんうん。
韓国とか中国もトップダウンで、周りを尊重しろとか、年長者を尊重しろとか、組織に従えみたいなのって結構共通してると思って、日本だけじゃないなと思ったんだけど。
うん。
まあでも、生きていくために必要なインフラとか、食べ物とかは、もう何だろう、みんなもう、最低限、そこそこそんな死ななくなってきたよねって中で、こんなに個人の興味とかを押し殺す必要はなくなってきたのかなーっていう気はするよね。
そうだね。でもなんか徐々にそういうね、方向にはなってきてるのかなーっていう感じは。
向いていってる気もするけどね。それもするけどね。
まだまだそういうのができない人もたくさんいるっていうのが現状かなー。
うんうんうん。
なるほど。そこはちょっと僕と一緒ですね。
うんうんうん。
足りないと感じる部分が。
うんうんうん。
次の質問なんですが、自分の人生においてこういうことはやりたくないっていう思うポリシーみたいのはありますか。
そうね。まあさっき今言ったことの裏返しで、それに加担する感じ?人の興味が湧かないこととかを人にやらせるとか、こうしといた方がいいよと言って、自分の成功体験をもとに人を縛りつけるというか、老害みたいな感じのことを自分はやりたくはないなと思ったりする。
うん。
いやー、そこも一緒ですね。
うん。難しいけど。
なんかね、学びと教育の回でもなんかそんな話をした気がするんだよね。
うんうんうん。そうだよね。
なんか、押しつけられたら。
押しつけちゃったら、もうそれは彼にとっては、受け取る人にとってはあまり嬉しいものじゃないというか、自分でね、獲得しないといけないし、自分の興味とか自分のなんか、うちから湧いてきているものに沿ってないと意味ないというか、誰にとっても価値あるってことはないだろうからね。
じゃあ次の質問なんだけど、これも繋がるような気がするんだが、自分の子供にこれだけは伝えたいとか、これだけは教えたいとかいうことはなんかあります?
うーん、これだけは。
これだけは限定しなくてもいいんだけど、これは伝えたいなとか感じること。
うーん、そうね。なんかやりたいことがあるとか、没頭できることがあったら、それはやってほしいし、でもそれが見つかんないっていう苦しみもあると思うんだよね、フェーズによっては。
まあでもそれはその時でしょうがないから、それはそれで、それも焦んなくていいと、なんか本当になるんだろうっていう感じかな。
なんかどっちも脅迫観念になるような気がして、自分のやりたいことをやっていいよって言われても、そんなやりたいことを見つけなきゃっていう脅迫観念になって、それがストレスになるというか、
それもまた押し付けられた正解みたいになると思うから、それがないならないで、別にそういう時期もあるよねという風に、なんていうのかな、これ一言で言うと何を伝えたいと思っているのかちょっと分からないんだけど、
まあいろんなフェーズがあったり、その時ときにやって、やりたいと思うことやり気になることって違うから、その時点で自分の中でベストだと思えるというか、いいと思えることをやっていればいいんじゃないかなみたいな。
子供への伝えたいこと
何かを伝えているのかよく分からないけど、そのままでいいよって言っているような気もするんだけどね。
自分たちの親も自分に対してそう思っているかね。
どうだろう、もうちょっと親の世代はこれをやったらいいって結構強くあったんじゃないかなと思うけどね、自分の親の世代の方が、自分の親に関しては。
それはどうなんだろう、こういうのをやった方がいいっていうのを、まあ少なからず自分が感じたのは、もうちょっと弱くてもよかったなって感じるってこと?
いや、でもね、どうだろう、自分は直接そういうふうに言われたわけじゃないから、たまたま結構上手い感じに隠されてた、それは。
隠されてた。
興味あることに沿って自分は進んでいるかのように感じてきたんだけど、結構親は上手く誘導というか、選択肢を見せて興味のあるものを選ばしているんだけど、結局どれを選んでいても、実は例えばある程度勉強するとか、
この今の社会において、ちょっと最低限生き残るための力をつける方向には向かってたのかなとは思う。
親に敷かれたレールみたいなのを、やっぱりちょっと感じちゃってる部分があるのかね。
まあ、でも敷かれたって言うと、がっちりこのレールから外れられないような気がするから、なんかそこまで窮屈な感じはしてない。
なんか結局全部やりたいことはやらせてもらってきたっていう感じはあるから、
まあ、どっちかと言うと、列車のレールじゃなくて、広いこう、なんて言うんだっけ、獣道みたいなのがあるよみたいな感じで、
確かにこっち道ありそうみたいな、で、ちょっと行ってみたいから行ってみるぐらいの感じ?
あ、そのこっちに獣道あるよっていうところをなんか指し示してくれたってこと?
あ、そうそう、そんな感じ。
へー。
あ、そうなんだ。
まあ、自分は登ってもいいかなと思えたと自分は解釈してる。
なるほどね。
いや、なんか思ったのが、自分は試したい欲求みたいなのもそこから来てたりするのかなってちょっと思ったんだよね。
その、なんだろう、自分でその獣道を見つけたいというか、
こっちだよみたいな感じでこう指し示されてそっちの方向に行くんじゃなくて、
自分で獣道を見つけて自分でその獣道に入ってみて、で、どうなるかみたいのを自分でやりたいみたいな。
のがあったりするのかなーって思ったんだけど。
そうね。
なんかその、多分当時は自分で見つけたと思ってると思うんだよね。
で、今振り返ると、まあ実はそのヒントが与えられたんじゃないかみたいな感じ?振り返れば。
このヒントもなしに自分を試したいみたいな。
でも今はそうせざるを得ないし誰もヒントくれないから、
ヒントをどうやって得られるかも含めて自分で見つけるみたいな感じ?
じゃあね次、第3ステップ、やりたいことをちょっと探っていきたいんですけど、
じゃあね、今後20年間、家族も含めて余裕で暮らして生きるだけのお金があったとして、何をしますか?
この20年っつってんのは、もう子供の教育とかも、もう何だろう。
終わってると。
賄えますと。子供が独り立ちできるまではもう余裕があると。
っていう状態、でも一生自分が死ぬまで別にお金があるわけではないですっていう状態に置かれたときに何しますか?
いやこれ難しいよ。
とよだくんもどんなビジネスでやるか分かんないみたいなこと言ってたけど、
やっぱその、子供に価値を感じてもらってビジネスをするとか、
組織を動かせるようになるようにはなってみたいと思うっていう感じはするけど、
ビジネスね。
やっぱビジネスなの?ビジネスじゃなくても別にいいんじゃない?
ああそうか。まあビジネスじゃなくてもいいけど、
やっぱその20年しか担保されてないってなって、その先が分かんないんだとすると、
ある程度自分の経済的な余裕を作る装置というかメカニズムみたいなのは、
雇用されてる以外にも作りたいみたいなのがどっかにある気がする。
じゃあ逆にこれがもう、自分が死ぬまで余裕で暮らしていくだけのお金があったら、
じゃあビジネスじゃなくなるっていう感じなの?
ああそうかもしれないな。どうだろう。
ビジネスじゃなくてもいい気がするね、そしたら。
それだったらじゃあ何やりたい?
なんかあんまり具体的には想像できないけど、
その多数の人で、なんか自分が力になれる人がいるんだったらその人を助けるとか、
なんかその人が必要なこと、やりたいことをなんか手伝うとかかな。
それは別にビジネスとかではなく。
なくてもいい気がするし、ビジネスだったらビジネスでもいい気がするけど、
どっちかと言うとその、自分が信頼を築きたいなと思っている人、長期的に。
で、向こうもそう思っているっていう時に、
それを継続する手段として何かを一緒にやるみたいなのは、
ちょっとなんか想像できるけど。
そうかそうか。
なんかその、自分が俺が俺がみたいな感じじゃないのかな?
そうね。今の時点でそうかもしれないね。
誰かをサポートというか支援するというか、
いうところが喜びに近い感じなのかな。
そうね。喜び…
喜び。喜びを求めているかと言うと別に喜びを求めているかというと、
喜びを求めているかと言うと別に喜びでもない気はするけど。
じゃあ何でやる?
やっぱりその人と信頼関係を築いている状態が心地が良いと思っているのかな。
えー。人と信頼関係を築きたいのか。
うーん。
それは何でだろう?
その逆がすごい嫌いだからかな。裏切られるとかが。
あー。あー。
さっきの冷蔵庫の話にも繋がってきそうだね。裏切られるとか。
そうね。やっぱ嫌なんだろうね。
なんかそのちょっとの裏切られるネガティブが嫌いなのかもしれないね。
多分そこは結構敏感かもしれない。
裏切られる。裏切られるって何だ?
まあでも期待値の問題だと思ってて。
こっちが期待してなければ裏切られるも何もないから。
あー。あー。
まあその自分が期待した範囲で、別にそのさ、そこら辺通っている人に対して何かを期待しているわけでもないし、
例えば危険な、なんだろう、ことをされたとしてもそれはもう想定内だったりするからさ、アメリカだと。
だからそれは裏切られたと感じないんだけど、だから裏切られないと思ってたのに裏切られるのがきっと嫌なんだろうね。
人と信頼関係の構築
でもやっぱそれ人と信頼関係を築きたいって思ってるから裏切られるのが嫌なんじゃないかなと思って。
まあ俺も別に裏切られたいとは思わないが、なんだろう、あんまり人と信頼関係がどうのこうのみたいなのって考えたことないんだよね。
おーそうなんだ。面白いね。じゃあ自分得意なんだっていうかそれが強いんだね。
そう強いのかなと思った。俺にはない感覚。
あーでも今思ったのはさ、それを聞いて思ったのはやっぱりこう、人生で海外にいろいろ移動したり引っ越しとかめちゃめちゃしてるから、
こうサバイブするために数人の本当に信頼できる人を見つけるっていうのが多分キーだったのかもしれない。
ここで生き残るために。だから本当に2人か3人信頼できる人が見つかったら生き残りでっていうのがもう現体験としてもう永遠と繰り返されてるのかもしれない。
結構これ面白いかもしれない。
本当に10カ所以上多分新しい土地で引っ越しまくってるから多分暮らしてて、
例えば学校とか職場とか、小学校も3つ行ってて、日本も違うとこ行って海外住んで、
でもやっぱり一番最初にすることって、信頼できる人を見つけてその人と仲良くというか、
そういうプロセスを経てるかもしれないから、それさえあれば大丈夫って思ってるのかもしれない。逆に何かあっても。
処世術というか、どういう生き方をしてきてるのか。なるほど。
面白い。
なるほどね。今その話を聞いてさ、自分を振り返って思っちゃったのがさ、
人と信頼関係を築くことを恐れてる感じがちょっとある気がしたんだよね。自分がね。
それは裏切られることを最初から想定してるからってこと?
初対面の人との関係
そうあっても傷つかないようにというか、期待値を低くしてあるって感じ?
そうかもしれない。裏切られるというか、そもそも相手が自分の思った通りにはどう頑張ったって動かないと。
だからそもそも期待しないというか、信頼しないというか、そもそもそういうふうに。
でも一般的というか、大半の人に対してはその期待値で多分いいと思うんだよね。
やっぱり人はコントロールできないし、そんなに期待した通りに動かないことも世の中いっぱいあるから。
だから、一人とか二人とかでいいと思うんだよね。
相対的に多分信頼できるなと思える人と一緒にいるっていうのが、僕にとってはありがたいっていうか、すごい貴重だなと思わされたんだろうね、その過去の経験できっと。
で、その人と一緒にいるっていうのが、僕にとっては何だろう、
僕にとっては何だろう、ありがたいっていうか、すごい貴重だなと思わされたんだろうね、その過去の経験できっと。
てかやっぱり助かったなってこう、それぞれの途中で、そういえば信頼してたというか、助けられたなって人がやっぱり浮かぶもんね。
お世話になったとか。
なるほどね。
そういうことか。
なるほど。
意外だったな、こういう感じに。
チームメイトとの関係
自分でもね、何か知ってたかもなと思ったけど、意外とそういうふうに気づいてなかったね。
いろんな土地を渡り歩いてきて、そこで生き残るための、生き残るための手段、処世術って自分の中では柔軟であることだと思ってたわけよ。
いろんな環境に適応して、来たものに対して障害物レースのいろんなものを乗り越えていってる、自分がそういう能力を得たからだと思ってたんだけど、
この人の、特に信頼できるとか、人間関係で長期的にいい環境を結びたいと思っているのが、
そういう新しい環境に何回も飛び込んできたからっていうところとかは結びついてなかったから、結構面白いね、これは。
今の話だと人を助けるとか、人と信頼関係を築くとか、そういうやりたいこと?やりたいことっていうのか、方向性みたいのが出てきたんだけど、
それは何だろう、今自分がやってる仕事とは繋がる部分とかあったりするのかな?
今やってる仕事は、もうちょっとマス向けな感じするよね。どうやってスケールして何千万人の人たちに価値を届けるかとか、
効率よく物事を動かせるかって感じだから、一人を見てる感じはしないね。見てるとしたらチームメイトで、
どうやってうまくチームでやっていくかみたいな感じ?チームの人を助けるとか助けてもらうとか。
そうだね、データサイエンティストだとそういう感じになるよね、マス向けって。
大きいデータを扱ってどうのこうのみたいな。たった一人の人間のデータを扱ってどうのこうのみたいなのは多分やんないよね、なかなかね。
やんないよね。真逆だね。
だからコーチングみたいなことで逆に走ろうとしてるのかな。
でも逆に今思ったのは、特定の人のデータみたいなのを集めて、その人にすごい分析して、
いろいろ教えてあげるというか、コーチングというかしてあげるみたいなのが一つあるのかなって思ったけどね。
ストレングスファインダーとかでも分析が一個上がってきて、分析すること自体は多分好きっていうか勝手にやれちゃうことだと思うんだけど、
社内のこういうセッション、自分の才能とかキャリアを考えてみましょうっていうセッションで面白い質問があって、
自分のストレングスファインダーを使いすぎてるシーンってありませんかみたいな、オーバーユースしてるシーンってありませんかみたいな質問があって、
結構これはドキッとさせられたんだけど、僕がこれを分析するとか、あとは人のことを個別化して考えてあげる、
インディビジュアリゼーションっていって、この人の個性は何だろうかとかを考える中性があると。
で、それをでも結構新しい人に対してやっちゃうと、しかもさらに3つ目のデリバティティ、慎重さでちょっとこうコミュニケーションが最初はビジネスライクに見えるみたいな慎重だから、
この3つを合わせると、なんかこう冷たくて分析してきてる人、この会話をさ、いちいち細かく見て、自分のことを評価しようとしてるって思われがちだなと思ったわけよ。
こっちは僕はどうやったらこの人を深く理解できるだろうかと思って、この人のちょっとパーソナルのこととか聞いて、考慮できるなら考慮してあげたいなと思ってるわけよ。
もう小さなヒントでもあったら、あ、この人こういうとこ嫌いなんだとか気にするんだってあったら気にしてあげて、それが相手にとっていいことにつながるんだったら、そのちょっとしたヒントとかも逃したくないなと思ってるんだけど、そういう姿勢が、なんかこう評価してやろう、細かいとこ見てやろうみたいに取られちゃうっていう。
そうなの?
そういうことにも気づいた。あんまり発揮しすぎるのも良くないんだよね、最初から。
俺全くそんなの感じたことないんだけど、なんかそれは何、誰かからそう評価されたってこと?そういうふうに見えるって。
いや多分これは僕の勝手な思い込みかもしれないから分かんないけど、やっぱり何だろう、自分で喋ってて、初対面の人とかに対しては特に自分が思いついた質問とかをそのままぶつけちゃうと詮索してる感じ?
その人のこと、初対面なのに何でこんなに深く聞いてくんだよ、この人みたいな。ってなっちゃう。
へー。
から、あんまり聞かないようにしてる、初回、初回では。
あ、そう。
この、とよだくんとかだともう長い付き合いだから、別に、その何か詮索してるとかいうふうに捉えられないじゃん、別に。ちょっと深いこと聞いてもさ。
そうなの?
そういう意味でも長期的な関係を結ぶことに対しては、自分は得意というか、思考とか欲求とかと自分の才能というか能力も合ってるんだけど、やっぱマスとか初対面の人で広く会おうとした時には、何か自分の特性と合わない感じがあるのかな。
なんか自分のことを色々聞いてくれたら嬉しいような気がするんだけどなーと俺は思ったんだけどね。
でも多分ここは特殊だと思うんだよね。だって飲み会とかワイワイしてるの嫌だって我々は思っちゃうわけじゃん。
それって多分ワイワイしたい人たちは、この今の会話にどう反応するかで面白い、なんていうの、乗れるかとかさ、その掛け合い、ボケとツッコミとか、何か面白いことに目をつけられるかとか、そういうことをやっぱり気にしてる人たちもいっぱいいるわけじゃん。
そういう人とはやっぱり視点が違うなと思っちゃう。
あーなるほどね。
相手のことを深く理…
どうしてなんですかとか、あなたはどう感じてるんですかとか。
いやーしないでしょ、多分。
それはちょっとね、確かに。
1対1とかで2次会とかさ、なんかすごい深く3次会って言って深夜になって、3人とか最後の残った人たちになったら初めてこうなる会話だと思うんだよね。
そういうのもね。最初の1次会でさ、そんなことしないよね、きっと。
そうか、俺だから1次会が嫌いなのかもしれない。嫌いっていうか苦手なのかもしれない。
うんうんうんうん、そうだと思うよ。
あー、こういう話だったらね、俺大好きなんだけどね。
うんうん。
なるほど。
うん。
わかりました。
そろそろちょっとじゃあ次の行こうと思うんだけど。
はい。
うーん、どうしようかな、成功方程式の方に行こうと思うんだけど。
うんうんうん、はい。
これは自分の価値を発揮できたなーと思える仕事ってなんかありました?過去に。
うーん、過去にね、仕事。
そのー、サークルとか、サークルでやったことは、自分の中では成功体験としてある気はするんだよね。
その、まあ、サークルのリーダーみたいなのを大学3年生の時にやって、
うーん、まあ割と大人数をまあ率いる立場みたいな感じでやってた。
しかもその、長年歴史がある中、結構自分たちの内でなんか変えたりとかして、
で、そのそれまでは、まあ去年もこうだったからというのをずっとこう多分続けてきてたんだけど、
自分たちはなんかそれを変えたいみたいな欲求があって、
で、それをまあ多分日本的な考え方だとあんまりしないんだろうけど、
割とその何十年も同じことやってきたに対してちょっと変えちゃって、
で、それをでもまあ一応OBの人とかアライメントを取った上で、
で、やりたいことをこう実現して、
で、まあ自分たちの思ったような結果を出すみたいなことを、
もちろん自分の一人の力じゃないし、
まあ今考えると多分そんなに自分がめちゃめちゃ貢献したかってちょっとどのくらいかわかんないんだけど、
でもまあ団体としてそういうことを一緒に達成できたっていうのは自分の中では成功体験として残ってる。
なんか今の話聞いて思ったのが、やっぱなんかその簡単には動かせないものを動かす、
このときになんか喜びを感じているような気がしたんだよね。
大人数を率いるとかっていうのもあるし、
その過去の伝統、伝統も脈々と続いてきた伝統ってなかなかこう変えづらいところを、
そこをこう変え、自分で変えてみるっていうところになんか喜びを感じているような気がするな。
しかも今その中で多分自分はできると思えたっていうのも気になる気がするんだよね。
難しそうなんだけど多分自分たちはできると思えてるからやったんだよね。
なんかそれをやっぱ自分を試したいみたいなのが繋がってるのかね。
俺ならできる、俺たちならできるって。
先輩方が変えられなかった伝統を変えるみたいな。
試してみたいな。
そういう確かになんか変な精神は10%くらいあったかもしれない。
自分の存在と結果
まあまあ自分のその欲求を満たすために変えたわけじゃないと思うんだよね。
違うと思うんだけど。
でも変えたほうが良いっていうことがあるから変えたんだけど、
やっぱり少なからず自分のそういう喜びというかを満たすっていう意味合いもあったのかなっていう。
そうだね。それに自分の欲求には反してなかったんだろうね。
だから自然にできたのかな。
じゃあ次の質問なんだが、
自分がいなかったらこういう結果にはならなかっただろうなと思うようなものを過去に何か見ます?
いや正直これわからんな。
自分がいなかったら。
自分がいたからこういう結果になったなこれはみたいな。
いやそれはね、自分がいなかったらちょっと違った世界線になって似たようなことが起きてたんじゃないかなとか思っちゃうけど何でも。
まあまあまあまあ。
まあそうなんだが、何て言うんだろうな。
なんか自分の誇りになってる過去の出来事とか。
さっきのサークルのイベントを変えるみたいなのも一つ事例かもしれないけどね。
自分の中で一つ挙げてって言われたら多分これになっちゃう、同じことになっちゃう気がするね。
じゃあね。
そのサークルの話で、
なぜそれがその時自分にできたと思います?
自分なぜできたか。
やっぱいい仲間がいたからかな。
同じ代のいい仲間がいたからかな。
僕より優秀な人がいたから。
ちなみにその優秀な人っていうのはどういう点が自分より優秀だと思ったの?
トップ3、僕が一応トップみたいな立場だったんだけど役職的に。
でもその他のもう二人が特に、二人とも優秀だったなと思って。
一人はすごい官僚的なというか、
理知的ですごくいろんなことを細かくロジスティックスとかプランとか考えられる人で、
改革案みたいなこととか、
特に年長者に対してとか上の人たちに対してとか、
どうアプローチしたらいいかみたいなのを結構しっかり考えてくれる人で、
かなりしっかりしてると。
もう一人はサークルの中でやってる活動のコアなことを結構カリスマがあって、
しっかり人間的にも気に入られる柔らかいタイプなんだけど、
結構みんなと仲良くできるタイプで。
だから改革したいだけで中身が伴わないみたいなことにはならなかったし、
人の面でもバランスよく取れたんじゃないかなと思ってて、
この三人がいたからみたいな感じかな。
それを支える他の同学年の人たちもかなりみんな協力的というか、
一緒の方を向いてた感じがするから、
同じ代の人が十数人いて、
割とその中では問題は全然なかったから、
そういう意味ではすごくいいチームだったかなと思う。
そのチームで参謀的な人がいるのと、カリスマ的な人がいて、
サークル活動でのチームワーク
しおくんはその中でどういう役割を担ってたわけ?
僕は本当にその旗振り役とか、
全体のサークルのメンバーに対して一番表に立って、
何かを実際に行動に起こす人も話したりとか、
実行する。
例えば大統領がいて、大統領自身が全部案を考えてるわけじゃないみたいなとこあるじゃん。
官僚組織とか後ろのバックがいて、その人たちが一緒に案を練ってると。
だから自分は表に立って喋ってるんだけど、
中身は一緒に周りで考えてくれて、
強力な抜けがないプランにしてくれるっていうのが、
その参謀の人たちがいたからできたみたいな感じかな。
さっきは人をサポートするとか、
そういう話があったけど、今のは自分が先頭に立って、
その組織の顔になってる役割だったじゃない?
そうだね。
それは自分的にはさ、どっちのほうがしっくりきてるの?その役割的に。
どうだろうね。これは本当にね、自分でも分かんないね。
どっちも、本当にだから環境とか仲間とかによるのかな、今は気はする。
じゃあ別にどっちでも、どっちもいけますよね。
どっちでもいけるかな。
違和感はないんだ。
なんかでも、バランスっていう意味で、
3人じゃない人から、同学年の人から言われたのは、
僕がトップでよかったみたいな、バランスがすごく取れてるからみたいな、
残りの2人でもない、その2人をうまく調和させるというか、
っていう立場で、僕が一番なのが一番しっくりくるみたいなことを言われたこともあって、
その当時はやっぱりメンバー的には僕がトップの方がうまく回ったっていう構造だったと思うんだよね。
なるほどなるほど。
相対的な感じ?
超相対性理論でさ、3人いてさ、
荒木さんが一番お兄さん役でさ、
残りの2人のうまくバランスとって、いい感じにしてるって言ったけど、
なんかそれを今なんか思い出したね。
そういう役割みたいになってたのかもね。
そうかもしれないね。
全体を見て、バランスをうまくとるのがうまいのかな。
そうだね。
次回へ続く。
38:19

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