1. ゆいなわさんの「聞く人」ラジオ
  2. v.78-1 額縁職人・西村卓さん..
2024-02-29 44:05

v.78-1 額縁職人・西村卓さんに聞く「星がきれいやったんですよ」

今回は、額縁職人・西村卓さんにお話を伺いました。
京都にある額縁専門店で額縁制作の職人をされている西村さん。
まずは、ご自身が若い頃、どのように日々を過ごしていたのか、というお話から伺っていきます。
大地堂:https://daichido.co.jp/
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ゆいなわさんの聞く人ラジオ。みなさんこんにちは。ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は額縁職人・西村卓さんにお話を伺いました。 京都にある額縁専門店で額縁製作の職人をされている西村さん。
まずはご自身が若い頃、どのような日々を過ごしていたのか、というお話から伺っていきます。
まず西村さんにお聞きしたいのは、この額縁職人というお仕事についてなんですけど、
普段、額縁を作っているんですよね。 毎日額縁を作っているんです。
なぜこの世界に入ったのか、ということについていますか。
まず端的に言うと、額縁に興味があったからです。
いつからですか?
そういうきっかけはもちろんありまして。
例えば何歳からこの世界に入ったのか?
ここに入ったのは、22歳になるかな。
高校生のときに、それなりに勉強と部活も一生懸命頑張って楽しい学園生活を送っていたんですけど、
電車通学だったんですけど、
当時、電車に乗っていたときに、中釣り広告に、
ルーブル美術館展が来ていますっていう。
結構、歴史であるとかが好きな部分もあって、世界史とかが好きだった。
結構、美術っていうのも好きだったっていう、いろんなことがあって。
あと、ちょっと悶々としていた時期でもあったんで、
その電車を乗って、ルーブル期間には見たことがない。
一切それまで美術館に行ったことがなかったんで。
そのまま駅に降りて、自転車でここに行くんですけど、
ルーブル美術館展にまず行ったという。
広告を見て、その足でここに行かずに。
03:00
いわゆるおさぼりですね。
なるほど、なるほど。ルーブル美術館展に行くという。
まず入ってみて、何歳目にするのは初めてだったので。
まあ、いろいろすごかったんです。
うまいとか、雰囲気も含めて、いろいろ驚いて。
で、一周見て回って。
普通みんなそこで出られると思うんですけど、
当時高校生の僕が1800円ぐらいしたんかな。
こんにちは、すいません。お邪魔します。
聞いてます。
すいません。
よろしくお願いします。今お話聞いてます。
すみません。
焦った人の声が録音されてる。
大丈夫です。お邪魔します。
わかりました。ありがとうございます。すいません。
どうぞどうぞ。
すいません。
当時高校生の僕には1800円ぐらいしたんですけど、高くて。
で、一周見て回って。
やっぱりそのまま出るのがもったいなくて。
一周見た後にですよね。
もう一回戻って。
結構一周目でもしっかり見てたんです。
わからない技術とかも一切わからないですけども、
何か書いてやろうなと思ってずっと見てたんで。
で、二周目回って。
さすがにもう見るものがなかったって言ってもいいぐらい絵を見てたので。
しっかりこう見て回って。はいはい。
で、そこでふと気づいた時に、
ものすごい額縁に全部入ってるんですよね。
はいはい、まあそうですよね。
これ誰作ってんやろっていうところにまず行って。
というか、なんやこれと。
一周目じゃなくて二周回った後。
二周回ったからこそ多分の発見だと思うんですけど。
はいはいはい。
なんこれと。
よくよく考えたら、絵は額縁に入ってて、
美術館の額ってそういうものに入ってるっていう常識は多分あったんで、
なかなかイメージはあったんですけど。
よくよく考えたら、なんやろこれと。
こんだけすごいものがあって。
まあおそらく誰か作ってる人がいて、
画家が作ってるってことはおそらくないと思うし、
額縁屋さんがいるのか、他の家具職員が作ってるのか。
なんこれと。
やっぱすごい額が多いんです。
彫刻とかもかなりすごいものとか、
モチーフとかもすごく凝ったものであるとか。
そのときはでもそこまでやったんですよ。
なんこれと。
06:02
そこまでやったというか、
そのときに漠然と、
言ったら存在してるけど、してない感というか。
なんと言いますか、
なんともなんなんやろっていう。
本当にその額縁に対して、
なんなんだろうっていう思いだけが残ってたっていうところで、
その日は終わる。
その後ちょっとプラプラして、
放課後は学校に戻り部活をして。
ちょっと余談なんですけど、
戻ったときに、
当時担任の先生がいて、
僕が言ってたんですよ。
ここにいたんで、僕が。
いなかったのにね。
あ、言ったんですね。
長かったんです。
なるほど、じゃあ言ったんですね。
担任の先生が、え、もう行ったかって。
なんかちょっとそういうのは、
たぶん肯定された感もあったから、
たぶん自分の中に残るものがおそらくあったんだと思います。
そこから、当時高校3年生で。
正直進路に悩んでた時期がありまして、
僕それなりに勉強も部活も、
それこそ学校の行事とか、
そういうものにも結構積極的にも参加してたほうだったので。
なんですけど、
ちょっともう一個前になりますけど、
僕中学の時に、
高校行くじゃないですか、みんな。
当然みんな行くし、僕も行くんですけど、
高校なんで行くんだろうって思ったことないですか。
あったかな。
中学の時にってことですね。
中学の時に。
あー、疑問に。
はいはいはい。
だって義務教育終わるじゃないですか。
そっかそっか。行かないことだっていいじゃん、みたいなところ。
そうです。
ふと思って。
親にもそれをつけて、担任の先生にも言うと、
何言ってんのっていう感じがあったんですけど。
そこで親に、じゃあ何するのって言われた時に、
別に何をしたいというのもなかったので、
じゃあやっぱり自分の世界を広げるために、
高校に行ったらどう?っていう話なんで。
それで高校に行ったんです。
別に学校が嫌いとか勉強が嫌いとかではない部活も一緒だったんで。
高3になって、今度は進路問題になって、
09:02
特に僕もその頃までやりたいことっていうのがなくて、
好きなものとしてはずっと陸上部やってたんで、
陸上好きだとか、
研究ももちろん社会科の授業は結構全般的に好きでしたし、
もちろん美術館のことも好きだったんで。
もちろん絵、絵というか作ったりとかそういうことも。
でも大学行って何か勉強したいっていうことはもうちょっとワクワクとはなくて、
そこでやっぱり出てきたんで、
それでも一応ちょっと成績取ったんで、
推薦で、大学に行ったらと先生も言ってくださってて、
ああそうかと思って。
そこでまたフツフツと出てきたのが、
なんで大学に行ったんだろうって。
見聞を広げるためやって言われたんですよ。
高校のときそれ知ったでと思って。
さらにっていうのもわかったんですけど、
違う、同じやなと思って。
で、ちょっと傲慢なんですけど、
当時の僕はもうこう、
18くらいだったら何でもできると思ってるじゃないですか。
逆に何にもない人間やったんで、
その得意なこととか何か引いててるとかじゃなかったので、
何でもできるなっていうのもちょっとあって、
こうやって何にも選びきれへんなっていうのもあったりとかしてて、
それをまあ多分大学に行ってもっと狭めてってなるんですけど、
4年間、そこに学費が。
で、もう一回世界を広げるために、
もったいないなって思ったのが正直なんです。
これ多分一人で、大学に行かんでもそれってできるんちゃうかなって思っちゃって、
もうそうだったらあれで、
いやもう大学行きませんって。
その前やった時にルーブルも行ってるんですけど。
そうかそうか。
じゃあ行かないってなって、何しようってなって。
特にしたいこともないし。
例えば大学行きたくなったらまたそのときに行けばいいし、
何をしたいか。
本当にその頃から純粋に自分の興味があることをしてみようっていう、
結構かなり常識人間だと思うんです、自分で。
だからこそ、外すことをしてみようっていうふうにちょっと思えた部分。
外すけど、多分僕の外すって外れてないと思うんです。
元が外れない人間なので。
12:04
何したいかなって思ったときに、旅したいなって。
なるほど、なるほど、はいはいはい。
でも旅しようって。
当時は形から入る感じですよね。
自分探しの旅とかってあるし、そんなのってあるかもしれないなって思って。
ここ卒業して、ちょっと工場で働いて、お金を貯めて夏まで。
で、夏に旅しようって。
ただ当時自転車で日本一周してる人とかニュースとかね、
そこまでの根性もないし。
で、旅人っていんのかなっていうのも僕は知らなかったんで。
本屋さん行ってみると、結構旅人がいるっていうのを知って、
バックパッカーっていう言葉を知り、海外行ってる人いる。
国内でも北海道にそうやってバイクで旅してされてて、
ライダーハウスっていうのが多数そんな感じで。
沖縄にももちろん。
で、ユースホステルっていうそういうヤツヤドがあって、
みんなが行ってるところがあるっていうことを知って、
とりあえずやってみるかというところで、
自転車いるか、でも自転車漕ぐのしんどいし、
折り畳みのチャリを買いまして。
ちょっと大きめの。
で、当時精神18キップが出て、
これ組み合わせようと。
で、折り畳み自転車に乗せて、
一点どこまで行って、ちょっと自転車で回って、
で、また次行って、次回ってしようって。
だからどっから攻めようと。
目的地としては北海道かなっていうことなんですけど、
いきなり北海道も、アルマイゾルからフェリー出てくるんで。
あ、行けちゃう?
そうか、行こうと思えば。
でもそれじゃもうないし。
じゃあどこ回ろうってなった時に、
じゃあ半島潰していこうかなって。
よくわからないでしょ。
で、まず、夏になって準備して、旅。
バックパックっていうのもいいなと思って。
バックパックを背負って、
折り畳みの自転車に乗って、
18キップで旅することにして。
なるほど、はい。
で、まず家を出まして、
ノート半島。
はいはい、まずそうですね。
で、ノート半島。
何も言おうもわからないです。
ただただ寂しかっただけで。
そっかそっか、行ってみたら。
15:02
ちょっとアダチの話聞いて。
いいですよ。
笑ってたんですけど。
僕も親が宗次郎を聞いてたんで。
あー!
すごい腕をお持ち。
っていう情報が入って。
ちょっとあれじゃないですか、
旅人を思い出すみたいな。
あー、わかるわかる。
そういうことですね、はいはいはい。
あの音色というか。
そうそう。
当時僕も旅に出る前にオカリナを。
オカリナだけじゃありえないなと思って。
ブルースハーフと。
おー、はいはいはい。
伝えて、旅に出ました。
あ、カバニア入れて。
はいはい。
はいはい、あー。
ただね、外でね、一人でドレミノ練習から始めるのは、
裏にハーフが高すぎて、結局全くつかず。
カバニア入ってるのに。
そうそうそう。
はい。
オカリナなんかは序盤で割れました。
マジか、そうか。
そうなんですね。
全然も吹かなかった。
まあ、形から本当に入って。
あー、そうかそうか。
ノートハントを回り。
はい。
で、次、電車でギュンと降りて、キーハントを回って。
あー、そっち行くんですね。
そうです。
あ、違う、逆か。
キーハントを行って、ノートハントを行って。
あー、そういうことですね。
京都初、最初京都でキーハントを回って、ノートハントを。
そうそう。
あー、なるほど。
そのあと電車で繋いで。
はいはいはいはい。
ノートハント一周回った時に、さすがにバックパックを背負って、
折り畳みのチャリに乗るっていうことが、体にえぐいこと負担がかかって。
あー、なるほど。
肩がもうおかしい。
はいはいはいはい。
みんなには内緒なんですけど、一時に京都に帰ってました。
あ、みんなには行ってるって言ってる?
そうですそうです。
だけど、帰ってきてるんですか?
帰ってきてる。
で、その時になんかね、次東北の向こうの方に行こうと思ってて。
おー。
なんかすっごい向こうが、雨がすごい年あって。
うーん。
うわーと思って、なんで行って大変やなと思って。
で、とりあえず京都に帰ってきたら、その時まだ自転車にキャリアをつけてなかったんで。
あー、なるほど。はいはいはい。
キャリアをちょっとカスタムして、荷物をちょっとそっちに分散して。
あー、そうかそうかそうか。はいはいはい。
で、行こうと思ったら東北は損ないし、もう無理やなと思って、
マイズル行って、フェリーで北海道に行ってくわ。
あ、そこそのルートを行ったわけですね。
で、もう北海道に入ったら、もうそここそ当時は旅人の楽園とでも言いましょうが、
ライダーさんがいっぱいいて、キャリダーさんがいっぱいいて、ライダーハウスがいっぱいやって、
まあ一通りいろいろ回って。
わかりやすく言うとフラノの近くのビエーっていう。
ヘソ真ん中です。
で、ビエーの隣町にビバウシっていうところがあって、
そこにビバホームっていうライダーハウスがあって、そこにたどり着いたんですけど、
18:06
そこは結構長期滞在者がいるような宿って。
で、行って、あれしたら南北は何も考えてなくて、どうもいたいやんって言って、
ほら、明日バイト行くぞって言って。
またいきなりそんな。
農家のバイトやねん。行こうよ。
分かりましたって言って。
バイトに行って。本当に北海道の広大な畑で芋掘りをするという。
バイトをして。
またそれが何もこうもったいない、次どうしていいかわからない人間からしたら、
まあ居心地よくて。そんな人間ばっかりいるので。
朝早朝から出て畑に入って働いて、
お土産をもらい、宿に帰って、みんなでご飯を作り、焚き火を囲んで。
めっちゃ楽しいやつですよね。
っていう生活をずっとして。
で、夏が終わりまして。
ちょっと待って、ずっともいろいろ幅がある。夏が終わってしまうぐらいずっと。
で、秋になりどうしようかなと思った時に、スキー場の場合があるよ。
わーっつって。興味津々ですね。
で、一回京都に戻り、今度フランのスキー場に行き、一冬を過ごし。
そうやってライダーさんとかで、季節労働者とか北海道の農家とか、楽農とか、そういうとこで夏場働く。
で、みんなその次に鮭売って言うんですけど、鮭のバイトをまず行くんです。
鮭売、いくらですよね。いくらのとって鮭売。
鮭売。
ホタテの事業合流。で、スキー場でリゾートバイトです、いわゆる。
人によってはそこからみかん行ったり。
で、行くつく先は大体みなさん沖縄の青棟工場。
そういうルートみたいなものが回ってるわけですね。
中には長野で高原のキャベツとか、そういうルートも。
そうか、ルートはいくつかあって。
季節労働者っていうので、みなさんそうやって回っておられる方も旅人と言っていいのかどうか。
なるほど、なるほど。
僕はその街頭でバイトにして、1年目過ぎて京都帰ってきて。
21:07
そこからまた悶々と、どうしようかな次。
ここから大学を勉強していこうか、旅人しようかと思いながら。
旅なんかしても結局何もないですよね。
楽しいだけで。
そうかそうか。
どうなるの。
僕もいまだに感情として言い表せないんですけど、
当時旅してたときに、そこで焚き火で喋ったときに。
まあ言ったら全くの自由じゃないですか。
そうですね。
でも明日って死なあかんじゃないですか。
必ず生きてる以上は何かしなあかんじゃないですか。
っていう話を、当時僕18、19ですから。もっと上の方ですよね。
一回り以上上の方もいましたし、5つぐらい上の方が一番多かったかなって話したときに。
どうしたらいいんやろう、明日何しよう、次何をしたらいいのかわからないし、どうしたらいいんやろうっていう話をしてて。
まあみんないろいろ話を聞いてくれてたけど、結局みんな言われたのは、まだ若いしなとか。
そのとき僕はもんもんで、なんかわかってもらえへんのかな。
でも絶対明日って何かしなあかん。起きるわけですから。起きたら何かしなあかん。
だから全くの自由っていうのが初めてじゃないですか。ご卒業して。
そうか。そうですよね。学生じゃないからね。
結構それが恐ろしく。
そういう状態に一時期陥ったときに、なんかちょっと難しいんですけど、星が綺麗やったんですよ。
なんだ急に来たよ。星が綺麗。そこで。星は綺麗ですよきっとずっと。
いやわかんないです。
そのときに。
そのときにたっきりしながら、なんか浮いてうんってなって話してて。
誰かが言ったんかな。見たとき。めちゃめちゃ綺麗で。
そもそもミルキーウェイじゃないですけど。
びっくりする綺麗で。
どうでもよくなったっていうか。
なんか今だにそれが何かわかんないですけど、なんか僕の中ですごい落ちたもんがあったんですよ。
面白いそれは。
結構そこから気持ちが楽になって。
だから流されることも大事だなっていう。そこと完結するか準決として。
なんかそういうのもちょっと思ったりもしたり。
なんか考えなくてもいいのかなというか。
今だにちょっと僕どう表現していいのかわからないけど。
なんかそういうものを得たんで。
24:00
だからそこから福岡スキー場とか行って帰ってきて、どうしようかなと思ったときに。
最初から興味のあることをしようっていうのはどこかにずっと持ってたはいたんですけど。
興味がないこともあるじゃないですか。
まあまあそうですよね。
それもありやし、流されるのもありやし。
流されるのも意思を持って流されれば正解なんじゃないかなと思って。
ただなんとなくダラダラと旅続けるとかはいいんだけど。
俺は流されるんだと思って流されればいいことも悪いことも自分の意思を持ってしっかりと流されればそれでいいかなってちょっと思ってた部分があって。
だからもう流されまくりで。
星が綺麗だった。そこで得た流されることも大事。意思を持って流されれば正解というまるで悟りのような思い。
そしてお話はどのように展開していくのでしょうか。
電話がかかってきて、旅仲間から。
農家が待ってるぞと。芋が待ってるぞと。
バイトで回ってた人と帰った人がいると。
そうか、免許も取ったし、トラック運転できるぞと。
また戻りました。また夏を過ごし。
たくさんの芋、人参、ジャガイモ。
待ってたんですもんね。
でもその年面白かった。その年何かというと、旅とか旅行ってして、京都に住んでて京都に旅行とかみんな来られるじゃないですか。
あれってどう言ったらいいんですかね。でも住んでるじゃないですか。
何も違わないのに旅行行くと何か旅行に行きたくなるじゃないですか。
僕、北海道で農家で働いて広い畑で芋とって夕方とか夕日沈むと綺麗な景色になるんです。
その中に逆に入っちゃった。
僕らを見て観光客とか他の旅人たちが写真を撮り、なんかいいなっていう。
すっごい面白いなと思って。
本来はね、違うんだけどそこの風景になってしまってる自分みたいな。
27:02
これって確かに北海道のおじちゃんとかおばちゃんからしても、自分ら日常で何を畑の写真撮ったんだ。
何してんだみたいな言われてて。自分が入った時はやっぱりそうで。
確かに京都に住んでて、観光客来て毎日通ってて、それこそ北の天満郡が有名なと。
みんな観光に来てありがたがって。
僕らは高校の時はあそこで夜通し遊んでたし。
そこの違いって何やろうなっていうのをちょっと感じたりもしてて。
それって結局モチベーションとか自分の持ち方、安定の張り方なんやなっていうのがあったんで。
そういうことを感じたりしながら、どこにいても一緒なんやっていうのをずっと思い出して。
京都帰って、京都で今度また過ごそうと思ったけど、やっぱり地元ではなかなかそうもいかなくて。
だいぶ院に入る時期が来ました。
またちょっと工場で働きつつ、どうしたもんかなって。ここからどう進もうかなって。
その時にちょうど成人式やったんかな。
行ってもなと思ったんですけど、友達に誘われて行って。
行くと意外に知られてて、僕が旅をしてるって。
ああ、そうなんですね。
こうやって来てるって、いいと思った。ちょっとこうやって来てるねみたいな。
そうなるとまた今度ね、俺そうしなあかん。
ちょっと旅人っぽくみんなの方からは、西村は旅人だぞみたいな感じになってるか。
そんなんもあって、冬はちょっとバイトして、地元で。
それまた春になって、今度は宿のオーナーさんが、美馬牛の。亡くなられて。
そこを整理するのもあって、ちょっといろいろあって。
整理するのが、もともと旅人やった人が、後をちょっとやるって。
行きましてるなら手伝って。
ああ、また風が吹かれて。
そういうことですよね。呼ばれたわけですよね。
北海道また行って、また一夏過ごしまして。
そのときも農家で働きながら、何してたろうなあ。
でもまあ何かね、何っていうもんじゃないですか。
やっぱり旅すると、結構みんなはっきり聞かれるんですよね。
旅して何かあって、どことかに人が渡ったとか。
井戸とか行けば人が回るって言いますけど、国内で別にそんなことない。
何を得たんやとかよく聞かれましたけど、いや何もって言いながら。
30:02
ジャガイモの掘り方ぐらいは覚えたよっていうことぐらいで。
でもまあそのときも僕は完全にそれでもいいかっていうのはちょっとどっかにあって。
今度それで戻って、あと何したらな。
そっか、その次の年は、
その度の友達とかもやっぱり多いんで増えてって。
そうですよね、長野で今度。
1年目に僕スキーとかしてなかったのに、スキー場でバイトしたじゃないですか。
リフト券ただなんで。
めっちゃ滑って。それなりに滑れるようになった。
ガリュウなんですけど。
今やったら、その年は長野でインストラクターのバイトせえへんから。
いや俺できん。大丈夫大丈夫。修学6個生とか大丈夫やし。
やってみるわ、行って。
修学6個生相手にインストラクターして。
やれるもんなんですね。
やれるもん。
当時ちっちゃくて、関西弁じゃないですか。
修学6個生、結構関東の子多くて。高校生とか中学生とか大人気で。
なるほどなるほど。
ちょっとアイドル気分。
そんな別のやつでもいいですけど。
その年でしょ。
その次の年に、いよいよどうしようかなっていうところになって。
やっぱりちょっと次のフェーズに移らなあかんかな。
さすがに北海道を繰り返し繰り返しでは。
やっぱり学ぶことも多かったし、いろんな知り合いもできたし。
やっぱりちょっともう一歩進もうかな。
自分を自由にするというか、
そういう意味ではもう北海道でいろんなことが開放されて、
いろんなアンテナの張り方というか。
いろんなアンテナを僕の中でアレにしたんで。
ちょっとやっぱりもう一歩進もうって思ったときに。
そうなるとやっぱり海外。
もともと視野にワーキングホリデーとかに行きたいなっていうのがとっかになって。
結構北海道に行ったときはそういうのも調べたりはしてて。
やったんですけど。
あれだからあれかな?
ちゃうわ。
行こうと思ったら3.11。
さすがに行けなくなって。
あれどっちかさっきやったかな?
違う、逆や。
違うわ。
どうしようってなって。
ワーキングホリデー行こうかなと思ってたんですけど。
当時オーストラリアとニュージーとロンドンがあったのかな?
33:04
イギリス?
フランスが入ったか入ってないか当時そんなぐらいだったんですよ。
そこで興味があったのはやっぱりヨーロッパの。
どっかにたぶんあったんだと思うんですよ。
なんかそういうのが好きとか。
やっぱりちゃうなと思って。
どうしようかなと思って。
でもいきなり英語とかも全くダメ。
むしろ一番苦手だったので。
どうしようと思ったときに。
当時兄貴が三人兄弟の三男。
真ん中の兄がアメリカに留学してました。
ちょっと行こうと。
練習というか。
行って帰ったらいいよと。
日々一ヶ月ちょっとぐらいいたのかなと。
何もしてないですけど。
公園にいて寝て。
みたいな生活をして。
帰ってきて。
海外ってそういう。
言ってもいろいろトラブルもある。
帰ってきて。
海外ってそういうものか。
じゃあ行こうと思ったら3.1時間。
ちょっと考えようかってなって。
またちょっといろいろあって北海道に呼ばれまして。
また一夏を過ごした。
その時点で違ったんですよね。
その前の都市にいた北海道と。
行っては行って過ごしてはいるけど。
ちょっと違うなみたいなところは。
やっぱもうここじゃ。
もちろん北海道にハマって農家で働いて。
旅人で農家で働いてる人もいますし。
自分で農家始めた人もいますし。
なんなら農協に入って。
農家にいたんですけど。
トラクターの会社にか。
そこから農協に呼ばれて農協に行って。
その後市議員が市議員になり。
旅人ですよね。
町議員か。
最終的には町議員。
町長選挙に出ました。
たっぷり言う奴もいるぐらい。
いろんな人間いて。
僕も結構ハマったんで。
住んでもいいかなぐらいのテンションだった。
当時はね。
でもその1日戻った時に。
もう違うんやなっていうのを感じたりもして。
そういう意味ではよかったんですけど。
で帰ってきて。
さあやっぱどうしようってなって。
やっぱもうこれで絶対いいかな。
しゃあないわっていう状況まで。
逆に言うと何もなくなったんで。
イカザロウがいなかった。
っていう状況でもいいぐらいのところまで来たんで。
チケットを取って。
ヨーロッパに行って。
ヨーロッパに行って。
36:02
パリに行って。
まだ同じスタイルです。
長くどっかでウロウロというよりはもう。
ピンポイントでパリに行って。
バルセロナに行って。
やっぱり芸術に興味があったんで。
ブルーブリアとかアウディミナーとか。
なるほどなるほど。
でそんなんで。
イタリアがやっぱり一番興味があったんで。
イタリアに行き。
イタリア何年か。
何ヶ月ぐらい行ってたのかな。
そんな長くはないんですよ。
行って。
やっぱそん中で触れるものがやっぱり芸術のものが多くて。
やっぱりルーブル行ってオルセイ行って。
絵すごいなあ。
画すごいなあ。
やっぱ画すごいなあ。
とか思いながら。
ガウディとか見ながら。
やっぱすごいなあ。
でイタリア行って。
同じような思いして。
でもやっぱりそういうのにやっぱり普通どっか興味があってそういうことしたいなって。
多分どっかでも思ってたんでしょうね。
でもなんでしょうね。
当時その向こうにもやっぱり日本の旅人がいて。
地球の歩き方がやっぱり僕のガイドとか。
地球の歩き方の宿に行くと。
そうか、いらっしゃるんですね。
そういう方とお話しして。
音楽でパリ来られてる方とか。
料理人でパリ来られてる方とか。
普通に旅行で来られてる方とかいろいろおられて。
お話ししていく中で。
音楽の人やったかな。
やっぱり難しいって。
難しい。
日本人なのでかなりの地を感じると。
パリにいることによって自分が日本人であることを感じる。
彼らはずっとそこで育ってそのもんに触れてるんで。
例えばクラシックや音楽。
料理にも言ってましたけど。
日本人であるがゆえにできないというか。
すごくそれを感じる。
だから逆に言うと日本人の強みっていうのを出していくことが大事なんだろうなっていう話をされて。
僕も逆にそれはでも海外行くと思いますよね。
より日本人を感じるというか。
言い方変えればヨーロッパ人ではないなって思っちゃうとか。
そうかそうか。
いい意味でも悪い意味でも。
日本人にいると気づけないことですよね。
そこで洋口とか見たときにこれって多分僕にはない感覚なんだなってちょっと思って。
これは当時は一切仕事とかにしたいとか。
全くないんですよ。
ただ本当に興味があったっていう。
そこに行ってついて。
39:01
これはなんか俺の中にないもんなろうなとか。
ただ好きやな。
イタリア行ったときに結構フィレンツェを気に入っちゃって。
フィレンツェに結構長いこといたんですよ。
長いってもう一週間。
ちっちゃい街なんですることなく。
結構裏通りとかも行ってて。
めっちゃいっぱい工房があって。
その中にすごくいい感じのおじいちゃんがいて。
どうしても見たくて。
片言で本を見せてくれて。
何も伝わってないけど。
おじいちゃん一人で古い画を。
ピッテキューっていう宮殿の美術館があるんですけど。
そこにラファエロの有名な絵があって。
僕その絵がなぜか好きやと思ったんで。
それを見に行ったかい。
裏通り見てたときに工房があって。
そこで古い画を直した人がいて。
見せてくれて。次の日からちゃんと調べて。
言葉を見に行って。見せてくれて。
見ていいよって。
結局1日半日ぐらいずっと見て。
また次の日も行った。
本当にただただ何もなかったんで。
やりたいとかそんなんじゃなくて。
本当に興味だけで。
それしかなかったんで当時。
買っただけ。
見せてもらって。
お昼食べるから出るんだって。
出て行けって。
1時間2時間帰ってくるんで。
全然何にもかまってくれなくて。
見てるだけというか。
それが面白くて。
今からかまってくるとよかったんだけど。
うまくかまってくれなくて。
3日目やったかな。
また3日目に行ったんですね。
そのおじいちゃんの後ろに女性の方がアジアの。
アジアで来てて。
その女性に
あっって言われて。
変な日本人だと思う奴が
ずっと毎日来るんだって。
何だって言われてたんだって。
日本の女性の方で。
えーっつって。
弟子や。
おじいちゃんの?
おじいちゃんの。
はいはいはいはい。
ならもうちょっとフレンドに仕掛けてもよかったのに。
42:00
で、ちょっと親とお話聞けることができて。
勉強で向こう行ってて。
普段は向こうってお金を払って教えてもらうというか。
働けない。
お金をもらえないか。
あーそういうことか。
なのでお土産物屋で働きながら
時間をかけて教えてもらう。
たまたまその2日間はおられなかったらしい。
そこは学物屋さんではなくて修理屋さんだった。
その前のピッテキューの修理をしてた。
その辺がやっと詳細がわかった。
あーすごいなーって。
日本人でもこんなのしてるしいいんや。
聞いてたら学物屋さんというのも存在してるし
学物作ってる方もおられるっていうことも聞かされた。
なんなら学校もあるって言ってた。
ただその前にも僕は
そんなちょっとちゃうんちゃうかなと思ってたのもあったけど
日本人でこういうことやってる人もいいんや。
そんな思いを持ってただ帰ってきた。
その時点ではまだ何にもない。
本当にまず何にもないんで。
ここまでの話は一切端折ってもらってもいい。
申し訳ないですよ。
申し訳ないです。
上手いこと端折れなくて。
フィレンツェの工房。
古い額を直すおじいさんとの出会い。
現時点ではまだ額縁職人にはなっていない西村さんは
果たしてどのような経緯で額縁職人になるに至ったのでしょうか。
お話は次回に続きます。
44:05

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