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2023-09-06 08:16

ポックンの「レトロ三面記事」No.14 #147

147回目のキコアベは…ポックンの登場!

■ポックンの「レトロ三面記事」No.14
タイムスリップ先は…昭和52年の今日。
1877年9月6日(火)
朝日新聞「国民栄誉賞 第二号は…」
♪Take Me Out To The Ball Game


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サマリー

国民栄誉賞の第1号は王選手、王貞治さんです。 福田内閣の人気取りとして狙われていたという指摘もありますが、次回の受賞者はまだ未定で、芸能人の名前が噂されています。

国民栄誉賞の受賞と批判
ポックンの「レトロ三面記事」
「国から栄誉賞を贈るのは不愉快。いつか、巨人軍の王選手に贈られた国民栄誉賞第1号に対して、朝日新聞社にこんな投書があった。王選手の受賞には、国民の多くが拍手を送っているものの批判のあることも事実。
まして、福田内閣の人気取りさ、と、その政治的な狙いに陰口も聞かれる。国民栄誉賞を改めて見直してみると、この賞は福田首相が就任間もない1月に、王選手を念頭に置いて、国民誰もが拍手喝采するような人物に、と、制定を提案したもの。
個人の功績を国が称える制度には、叙勲、褒称、表彰などがあるが、叙勲・褒称ともに、功なり名を遂げた老齢の人に与えることになっているため、王選手の場合は総理大臣表彰を行うことで落ち着き、8月30日に国民栄誉賞表彰規定が決定された。
総理大臣名での賞状は数多く出されているが、表彰状になるとぐっと少なく、それだけ重みが違う。
国民栄誉賞表彰規定によると、対象者は、広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものと定められており、
一言で言えば、授与に当たっては、国民世論の圧倒的な盛り上がりが必要で、事務当局も、過去に該当者がいるとすれば、水泳の古賀選手ぐらいと説明している。
問題は、第2号。
首相周辺を含めて事務当局は、今のところ検討の課題にすらなっていないと言う。
しかし、次は誰かということで、世間では芸能人などの名前も噂されている。
国民栄誉賞制定のいきさつから見ても、人気低迷に悩む福田首相が、爆発的な人気を持つ王選手にあやかろうとした意図があったことは明らか。
それは、5日の授与式での首相のはしゃぎぶりからも、十分伺えよう。
選考基準にしても、主観的な要素が多く入るだけに、
その時々の政権担当者が、国民栄誉賞を道具に国民的人気者と手を組んで、
内閣の人気浮揚を図ろうとするのではないか、という懸念は残る。
はい、ポックンです。
ポックンのレトロ3面記事
ポックンのレトロ3面記事。
このコーナーは何年か前の今日、どこかの新聞に書かれたとある記事に焦点を当てて、
そのレトロを味わうコーナーです。
今月は1977年、昭和52年にタイムスリップしてみました。
今月も明治時代を読もうかなと考えていたんですけれども、
9月6日をググったらですね、この国民栄誉賞が出てきました。
記事で紹介したように、第1回目の国民栄誉賞は、王選手、王貞治さんですね。
でも、僕にとっては永遠に王選手です。
その王選手が受賞したんですけれども、
そのことをとてもうれしく思ったのをよく覚えているので、
今月は昭和を読むことにしました。
その当時ポックンは、学校を終えると一旦家に帰って、
グローブとバットを持って小学校に戻って、
運動場で違うクラスのチームと試合をしていました。
毎日と言っていいぐらいしていました。
また学校に戻るなんて今から思うと面倒なことをしていたなと思うんですけれども、
野球をやりたい一心だったし、
今みたいにみんなが習い事をしているわけでもなかったですから、
ちゃんと人数も揃えてやっていました。
たまに運動場が使えないときは、少し遠出してよそのグラウンドでやったり、
宅地を作るために更地にされた広場なんかでやっていました。
運動場と違って地面がデコボコだったり、
スペースの形がいびつだったりして、
あっちはそこの林に入ったらホームラン、
こっちは150m先の草むらがホームランと、
距離がレフトとライトで違っていたり、
フェンスの向こうにすぐ民家があって、
小二のときは迷惑かけることもほとんどなかったんですけれども、
小三から打ったボールの飛距離が急に伸びてきて、
しょっちゅうその民家にボールが飛び込んでしまって、
またなの?といった様子で出てきたその家のお母さんに怒られながら、
ボールを返してもらったりしてたのを思い出しました。
あと、野球のあとは、
いつも同じ店にみんなで寄って、
当時50円と10円だった瓶のペプシ350mlと、
串に刺したイカを買い食いしてから、
家路に着いたことを思い出しました。
さて昭和52年、
当時の僕のクラスの女子は、
こぞってピンクレディの振りを踊ってました。
うちのクラスのミーちゃんは成績もよかった永田さん、
ケイちゃんは転校生の山内さんがやってました。
本物はミーちゃんの方がアクティブでしたけど、
うちのクラスではケイちゃんの方がガンガン腰を振ってました。
まじめ女子だった永田さんはそこまでついてゆけず、
振りの最中なのに手を口元に持って行って笑いを噛み殺してました。
そんなことを、この国民栄誉賞の記事を読みながら思い出した僕でした。
はい、というわけで今回は1977年、
昭和52年の9月6日に戻ってみました。
次はいつかの10月4日にタイムスリップしてみたいと思います。
また一緒にスリップしましょう。
それでは来月まで。さようなら。
08:16

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