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アーベイのAとユージフジサワの談話室滝沢
さあ、始まりました。談話室滝沢でございます。新年明けましておめでとうございます。
おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
この番組は、私アーベイのAとユージフジサワのプライベートラジオのユージさんとの月一対談番組でございます。
お正月はゆっくりできましたか、ユージさん。
そうですね。充実したお正月ではあったんですけど。
本当ですか。
バタバタはしてたけど、お正月だからもう充実してたというふうに言っていいと思います。
寝正月とかそういうのはなくて、寝正月というかグダグダする正月というのじゃなくて、
いろいろイベントごとがたくさんあって、いいお正月でした。
なるほど。では今日なんですけれども、昨年末に行われました振り返りライブのラストで決まりました。
キルというエピソードテーマでお話をしたいと思うんですけど。
それではユージさんのキルお話聞かせていただけますでしょうか。
早速お話しさせていただきます。
このキルっていうので、物を切るっていうところの話から、
ハサミで物を切る、包丁で物を切るっていうところで、
僕は左利きだったんで、小さい頃から苦労したっていう話。
なるほどね。
僕の小さい頃、小学校ぐらいの頃ってハサミは三匹用が多くて、
なかったんですよ多分左利き用って。
あんまりないですよね。
包丁は片刃だし、だからすごくハサミも使いにくい。
でもだから僕多分両利きみたいになっちゃったんです。
やっぱり直されませんでした?
直されました。
私も一部左を使うことがある子供だったみたいで、
直されてたみたいです。
だから小学校の頃にすごい先生に怒られた記憶あるんですよ。
なんか直される世代でしたよね、私たちの時ってね。
そうそうそう。
だからハサミなんかも左でやってるとうまく切れないもんですから、
結局右で切るんですよね。
使わざるを得ないよね。
そうそう。で、そうしてると右でも上手に使えるようになってきて。
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うんうんうん。
だから両利きみたいな感じにだんだんだんだんなってきましたね。
あーなるほどね。
他に右でやれるようになったものとかあるんですか?
書くことは最初左だったんですけど、それで右に、完全に右に変わった。
えーすごい、途中で変わったってことだ。
それはおばあちゃんが習字の先生でやってたんで、
習字習いに行った時はこれ直されたっていうのがあるんですね。
筆右で持ちなさいってことか。
そうですよね。たぶん習字で左で書くっていうのが現代の人はあるのかもしれないですけど、
あの当時は誰もいなかったんですね。
そうねー。もう型みたいな形でやるもんね、あれね。
そうそうそう、習字っていうのはそういう風にしていられるんで、それは直りましたね。
投げることは左で投げるんですけど、これは結局右で投げることはあんまり得意にはならなかったですね。
左の方が上手っていうことね。
蹴ることは、蹴ることは右が得意だったんです。
あ、そうなんだ。へー。
だからもうバラッバラなんです。
いろんなことがこっちが得意だったりあっちが得意だったり。
で、当時、昔の時って包丁に関して言うと包丁って型場じゃないですか。
うん。
で、このうちなんかもう田舎だから、おばあちゃんとかおじいちゃんに包丁の研ぎ方も教わるんです。
あー、なるほどね。
この研ぐのが結構なんかね、不器用でしたね。
いやー、やりにくいんじゃないかな。
やりにくいんです。
左利きの人が右利き用の包丁を研がないといけないっていうね、
なんて言ったらいいんだろうな。
なんかね、研ぎにくいんですよ。
うーん。
で、それはすごい、研ぐっていうことはもうめちゃくちゃ苦労しました。
まあ、研ぐ方もあんまりね、今いらっしゃらないかもしれないですけど、
研がないと切れないしっていう感じでしたしね。
それをね、それをなぜおばあちゃんたちは研ぐことを教えるかっていうと、
うちのおばあちゃんのところって農家で牛飼ってたんです。
うん。
で、牛飼ってるってことは田んぼもあって、田んぼで米作って稲作でこう切るじゃないですか。
はいはい。
で、それを稲穂を取ったら藁を干すじゃないですか。
はい。
で、その藁を砕いて牛の餌にするんですよ。
あー、そうね。
そうそう。で、その収穫をさせるのに今度は鎌で稲を刈らないといけないじゃないですか。
はいはいはい。
で、その時に親戚全員で稲刈りってやるもんですから、鎌が研げないと仕事にならないんですよ。
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なるほどね。一気にね、みんな使うから。
そう。だから研ぐことだけは小学校の子からでも教えるんですよ。
すごいね。すごいね。小学校でも包丁とか研ぎ出しちゃうんだね、刃物を。
それが当たり前みたいな。もう研がないと夏休みねえぞみたいな感じ。
なるほどね。
そんなのでね、研ぐっていうことで、研いで切るんですけれども、
そんなので、研ぐっていうことはすごい教えられて、
ハサミは研いだことはないなあ。
ハサミは研がないですよね。分解したらちゃんと、それこそちゃんとしたやつであればやるのかもしれませんけど。
だから美容師さんとかに僕は慣れなかっただろうなと思うんですね。
ああ、ああいうちゃんとしたハサミはね。
基本絶対右利きで作る。今では絶対あると思いますけど、左利きで作るの。そんな苦労があったなあ。
なるほどね。ちょっとだけ気持ちわかります。
Aさんって左利きではなかったんですよ。
一部変なところで左が出るっていう変な癖があって。
だからその度に直されてたりとか、たぶんうちの妹も変なところで左出たりする子だったと思うんですけど、
たぶんね、両方とも直されてきてたんですよね、きっと右に。
やっぱそうですよね。
だから何不自由なく右利きなんですけど、
なんかね、お札数えたりとか、
あとなんかギターを初めて持ったときは逆で持っちゃったとかっていうのがあって。
そうだ、ギター、そうそう。大学の頃僕ギターをやろうと思っててやったけど、
右利き用のギターしかないじゃないですか。
そうですね。
一般的に売ってるんで、たぶんオーダーすればあるんでしょうけど、
だからもうなんて弾きにくい楽器なんだろうと思って即やめました。
無理かもね。
右利きで覚えなきゃダメだろうね、あれはね。
でも憧れたんですよね、ギター弾くっていうことに。
それはなんかね、一回通りますよね。
何も見ないで、ギターの弦のところをいろんなコードが抑えられるんだろうって。
あれが羨ましかった。
楽器はちょっと苦労するかもしれないですね。
楽器はね、左利きだとちょっと苦労するかな。
私エレクトーンやってたんですけど、小さい時。
エレクトーンって右手も左手も右足も左足も使うので、
バランス取るのにすごくいい楽器だったなって思いましたね。
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なるほどね。
左も鍛えられるし右も鍛えられるみたいな感じで、
こういい感じでバランスが取れる。
多分ドラムとかもいいんじゃないかなとか思ったりしますよね。
左利きとか両利きの方はすごく向いてるっていうか。
ドラムはそうかもしれないです。
やれる気がするもん。
でもちょっと弦楽器はちょっともう肩が右なんでね。
無理でしょうね。
多分無理だったなと思って。
左利きの人に教わらないといけないですしね、それも。
ちょっと話が飛んで、昼っていうことでちょうどお正月なんで、
うちのおばあちゃんのところって昔から親戚中が集まって、
親戚中の餅を作るっていうのが恒例のイベントだったんですよ。
餅つきやってたんだ。
餅つきやってた。
絹でドスドスやるっていうのから、ある時から機械でガンガンやるようになったんですけれども、
その量たるや、木箱あるじゃないですか。
多分どれくらいなんだろう、1メーターくらい、奥行き50センチの1メーターくらいかな、
どれくらいの木箱が30段くらい並ぶんです。
それはちょっと異常じゃない?
親戚がそれだけ多いんで。
ちょっと異常だと思うよ、売る感じだもん、それ。
これ餅屋さんっていうのが。
いやもうほんとすごかったです。
それはすごいと思うよ。
だから米を炊くときも、このおっきい釜、
だからガスコンロじゃないんですよ。
下で焚き木をどんどんくべて、釜みたいな大きい釜があるんですよ。
多分釜じゃないとその量も入らないんでしょうしね。
そうそう。それでガンガン餅米を炊いて、隕石中の餅を作りまくるっていうね。
うわー、正月っぽいね。
そのときに30段くらいあるじゃないですか。
それが餅が作ってやられて、しばらくすると、
その餅つきはそのときに終わるんですけれども、
また後日、この固まった餅を切るっていう作業があるんですよ。
切り餅にするのね。
これが大変。
30段のやつ包丁で切るんですよ。
たまったもんじゃないんですよ。
いや、固いんだよね。
そう。
だから、研ぐっていうことをとにかくやらせるんですよ。
なるほどね。
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そうそう。研がないと仕事にならないから。
そうか。
だから、子供の頃から包丁を研いでもちを切るっていうことも一生懸命やらされた。
まあ、いい思い出でしたね。
うんうん。
じゃあ、刃物とは割とご縁もあるというか、
そうですね。
身近なものだったってことですよね。
誰か言ってましたね。刀鍛冶になりたかったって言って。
そうそうそうそう。
滅したいって言ってましたね。
また、滅して叩くところまではいかなかったけど、
やっぱり研ぐっていうことに関しては、すごいですよね。
だから、Aさんも前に言ってたけど、釣りが好きって言ってたじゃないですか。
はいはい。
で、うちもじいちゃんの台から代々釣りが大好きで、
釣り針も研ぐんですよ。
あー、なんかね。
そう、なんか針自分で作ったりとかしてる子もいたもんね。
で、昔の釣り具って今の釣り具と違って、やっぱり錆びるんですよ。
だから錆びてた状態だと、引っかかりが悪いもんですから、
この小さい針も研ぐっていうね。
で、仕掛けはナイフで切るんで、
で、切って切るときにやっぱりその、
この針のところにちっちゃく結ぶのってすごい繊細じゃないですか。
だからめちゃくちゃ切れるナイフで切らないとダメなんですよ。
で、そのハサミで切りゃいいのに、ハサミで切ること教えられないんですよ。
使っちゃダメなの?
そう、ナイフで切るって言って。
ナイフで。
で、なんでって言うと、釣った魚を今度捌くとき、そのナイフを使うんですよ。
だから、あのエラのとこに入れて閉めるじゃないですか。
そこから教えられるんですよ。
あー、じゃあもう結構ちゃんと教えられてるお家だね。
そう、だからね、結構サバイバルなことはよくやってましたよね。
ねー。お正月の行事もやり、
ねー、秋の珠もやり。
だから、今こうやってお正月で鏡餅ってみんな多分、ちょっと分かんないけどほとんどが、
今スーパーで売ってるじゃないですか、箱で。
あー、もうね、お手軽に買えちゃうんでね。
うん。で、絶対みんなそれでしょ?どうなんだろう。
作るところはほんとに田舎行かないとないと思う。
そうそう。だから、うちなんかは30段ぐらい餅を作るわけですから、
鏡餅も全部作るんですよ。
いや、そうだろうね。
うん。で、その弊害があってか、僕あんま餅が好きじゃないんですよ。
あ、なんかもう大変な思いっていう、記憶で。
どうなんだろう。
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あんまりそんな餅食いたくねーなと思ってる。
ちょっときつかったんじゃないかな、やっぱ。
でもみんな餅好きですよね。
いや、好きよ。餅は好きでしょ。餅嫌いな人いる?
でしょ?で、そう。
で、なんかその、餅も、僕は宮崎の宮古の城ってところなんですけど、
普通の白い餅を重箱に入れてやるっていうのと、
もう一種類作るのがあって、黒ゴマと砂糖を混ぜて餅米にですよ。
で、それで炊いて甘い餅を作るんですよ。
あー、餅米にも甘くしちゃうってこと?
そうそうそう。
で、黒ゴマと砂糖を入れて、で、
ちょっと薄グレーかかった黒の点々がプツプツプツってついた状態で、
この箱の中で出来上がって、で、それも切って食べるっていうのは、
なんかねー、地元のから、昔からの習わしだったのか、
なんかそこまではちょっと小さい頃だったんだけど、
なんかそんなのありましたね。
なんかその、ちょっと色味がかったやつとか何かを混ぜた餅米にするとかっていうのって、
そのトチトチでありますよね。
そうそう。
黒ゴマでやるとか、
で、うちもやっぱりピンクとか緑とかの餅がありました。
ピンク緑?
えー、ピンクって何だろう?
ピンク何で色ついてんだろうな。
なんか、とにかく色がついてて、味は全然甘いとか、
何かの味がするってことじゃない。
ただ色をつけてるんですよね。
で、それも切り餅で、
ちょっと、ちょっと、何て言うのかな?
長細い四角みたいな感じの餅になってましたね。
うーん。
なんかだからトチトチでその丸にするだとか、
四角にするだとか、
ちょっと長方形でも長めのやつになるだとかっていうのはあるんでしょうね。
うーん。
黒ゴマで甘いはおいしそう。
うーん。
そうそう、めちゃくちゃおいしいんですよ、それ。
おいしいでしょ。
その餅は好きだなって思ってたんですよ。
あー、なるほどね。
だからね、小さい頃から正月はもう餅だらけで、
何かにつけ餅の料理しか出てこないから、
これであんまり好きじゃなくなっちゃったかもしれない。
あー、食べすぎるとね、よくないよね。
そうね。
うーん。
でもいいですね、昔ながらのっていうか、
ちゃんとお正月に餅をつきましょうっていうお家で育ったっていうのは、
貴重な経験ですよ。
だから今の多分、何?
お正月の鏡餅とかでなってるのって、
砂糖の切り餅とか、
そうね。
そういうのが入ってるじゃないですか。
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うーん。
あんまりおいしいと思わないよね。
そりゃつきたての餅が一番うまいんだもん。
あれ食べたら、ほんとあんなの食べれなくなっちゃうんだから。
そう。
つきたての餅で鏡餅を作ってる最中に、
その木箱の一つね、余ったやつに、
きな粉と砂糖がブワーってまぶしたやつが置いてあるわけですよ。
で、つきたての餅をちぎって、そこで転がしてみんなで食べてます。
でしょ、もうあれ、
あんなにおいしい餅ってないよねって思うぐらいのおいしそうだよね。
あれはおいしいと思った。
ねー。
で、大きくなってくると、やっぱそれが食べれる機会が少なくなっちゃって。
うーん。
うーん。
そんな思い出があるなー。
いやー、うらやましい。いい思い出ですよ。
切るっていうところからそこまで行っちゃいましたけど、
お正月なんで餅の話をしようかなと思いました。
そうですね。
で、もう一個の切るが、
はい。
まあ、みなさんもこの切るっていうと、いろんなことやってらっしゃるんで、
まあ、想像はつくと思うんですけど、これ人を切るっていう。
はー、ねー、もう切るといえばね。
これがねー、
うーん。
僕の経験上、一つ切らなければならなかった場面で切れなかったっていう話なんですけど、
あ、切れなかったの話ね。
そう、切れなかった。
で、まあある事業があって、で、その事業やってて、
で、事業がだんだんだんだん傾いていくっていう時ってあるんですけど、
こう傾いてってね、で、最終的にはその会社は潰したんですけれども、
そのね、倒れゆく時って、
あの、従業員たちのことをやっぱり考えるんですよね。
うーん。
で、会社が堅いでって頑張らないといけないっていう時に、
で、やっぱりね、ある程度のところで、
その人たちを解雇しないと、やっぱりね、その人たちも不幸にしちゃうんですよ、最終的に。
まあね、まあね、早い方がいいっていうのもね、あるもんね。
まあリストラとかそういうのありますけれども、
やっぱ従業員たちは家族のように思っちゃってるが故に、
何とかしないといけないと思って、
やっぱりその子たちをね、ずっと雇っちゃうんですよね。
うーん、切れないよね、それはね。
それはね、切れなかった。
でも最終的には、これ結果論ですけど、
あの時切った方が、絶対あの子たちは幸せだったなって。
そうなのかなあ。
でね、切らざるを得ない状況になった時が悲惨だったんですよ、やっぱり。
うーん、そっか。
無理やりこっちも給与を払わないといけないとか、
でやっぱり、切るなら切るで、
あの子たちにも上手に離れていく準備とかさせればよかったんですよ。
なるほどね。
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だからもう2ヶ月後には、やっぱりどうしても耐えられないから、
やっぱり今のうちから次のところを探して、
何とか頑張ってくれないかっていうことをね、
やればよかったんですけど、
やっぱりね、その仕事を何とか復活させたいがゆえに、
やっぱりその子たちにも仕事をやらせちゃったんだよね。
あー、ギリギリまで頑張っちゃったんだ。
そう。
でね、その子たちも、いやあ、ゆうじさんのためだったらやります、みたいなね、
嬉しいことを言ってくれる人もいたりとかするんだけど、
でもね、ダメ。それはダメ。
あー、難しいなあ。
難しい。もっと本質を見極めないと、
経営はやったらあかんと思う。
いやあ、でもなあ、自分でね、思い出がある感謝に、
とどまってくれるって言ってくれる人を、
とどめておきたいって思う心情とか、忍状とかっていうのって、
切れないよなあって、うーん。
で、その苦しい時に、
ある別な経営者に言われたのが、
大変かもしれないけど、
絶対に切らなければならない時だってあるんだって言って。
いやあ、真相だったよね。
で、経営者に必要なのは、その切った後に、
いろんな従業員の子たちがやってた仕事ってあるじゃないですか。
それを一人で出て、
その経営者に言われたのが、
いろんな従業員の子たちがやってた仕事ってあるじゃないですか。
それを一人ででも、
全部ネズミでもやるっていうぐらいの覚悟がないと、
こういう時は会社っていうのは立ち上がっていかないんだぞって。
言われても、
その時は僕もそんなことに耳を傾けられなかったんです。
いやあ、なんか難しいと思うなあ。
切れない。あの子たちのことを思ったら切れない。
ねえ、なんかそっちになっちゃいそう、やっぱり。
心情的には。
だけどやっぱり、切るべきところは切らないといけないなって。
だからといって、その子たちとの縁を切るっていうことは、
絶対やっちゃいけないと思うんですけども、
いったんは、事業から離れてもらう。
ということを、ちょっと表現悪いけど、
人を切るっていう言い方になっちゃうかもしれないですけど。
そういうことは、人の幸せのためを考える中から、
切るっていうことも大事だよっていうのを通列に感じた事件だったなって。
なるほどね。
切るっていうお話になると、ちょっとそういう話も出てきたりするのかもしれないですね。
そんな切るでございました。
はい、じゃあ今日この辺にしておきましょうか。
はい、そうですね。
4つの切るのお話について聞かせていただきました。
ありがとうございます。
はい。
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番組では皆様からのメッセージ、レターをお待ちしております。
今年もお寄せいただけると嬉しいです。
お待ちしております。お願いします。
はい。
ということで、今週末はですね、私A編の方を
ゆうじさんのプライベートラジオさんの方で
配信をしていただける予定でございますので、
ぜひこちらも楽しみにお待ちください。
はい、お願いいたします。
それでは沢下貴沢、お相手は阿部の栄と、
ゆうじ藤沢でした。
さようなら。