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2024-09-06 18:37

#10 『思い込みが外れた時』/最終回!永野むつみさん(人形劇団ひぽぽたあむ代表)


人形劇団ひぽぽたあむ代表 永野むつみさんの最終回です。

人形劇団カラバスでの初舞台「くまが森でパイプを見つけた話」が秀逸です。どうにかしてもう一度めらららないものか…と思ってしまいました。


愛想で笑わないロシアの人形劇

思い込みがパカっと外れた瞬間

看板女優とは…

子どもが観客という恐れ

「くれよんはうす」のお仕事


貴重なお話を惜しみなくシェアしてくださったむつみさん。手使いの人形の温かさは「生」で観るとよりわかります。

気になった方は、ぜひ人形劇団ひぽぽたあむのHPをご覧ください!


人形劇団ひぽぽたあむ

サマリー

ポッドキャスト番組『キキカジ劇場』の最終回では、人形劇団ひぽぽたあむの代表である永野むつみさんが、自身の舞台芸術への情熱や演技に対する考え方について語ります。特に、ロシアでの経験が彼女の演者としての自己認識に与えた影響について深く掘り下げています。このエピソードでは、永野むつみさんが人形劇団ひぽぽタウンについて語り、彼女のキャリアや人形劇の魅力についての見解を提供します。また、絵本や子育てに関する話題にも触れられています。

舞台芸術への情熱
言葉にならない舞台芸術や、アートに関わる人にスポットを当てるポッドキャスト番組、キキカジ劇場。
全5回にわたってお送りした、人形劇団ひぽぽたあむ代表永野むつみさんの最終回です。
お話を伺えば伺うほど、人形劇と舞台への熱意、作品への愛情を感じることができます。
そして、観客が大人でも子どもでも真摯に向き合うこと、人としての自分のありようを紛れないという誠実さ。
どこまでも正直でかっこいい方でした。
どうぞ最後までお楽しみください。
カラバスってところで、プロとしての役者の仕事はね、
クマがパイプを見つけた話っていう作品の、狩人の役をもらって、それで出演した、それが初舞台だと思う。
カラバスで。
クマがパイプを見つけた話。
森でパイプを見つけた話かな。
クマが森の中でパイプを見つけるのよ。
タバコが好きになって、タバコ中毒になるの。
人間が置いていったタバコがなくなっちゃうと草を干したりして、なんとかそれに火をつけて、
そしてヘロヘロに、ニコチン中毒になってヘロヘロになってるクマを捕まえて、サーカスに売るっていう話なんだ。
すごいアバンギャルの話。
アバンギャルの話。
最後はツイタテが膜が外れると織りのようになってて、そこでクマがこうやってるっていう。
ニコチン中毒のクマ。
それの狩人の役だったんだけど、大井和夫さんの妻の大井ひろこって手使いの人形の名手だったんですけど、
クマの役をやってるわけね。人形を使って。セリフは大井和夫が言うんだけど。
それはね、絶対捕まらせてくれない。
狩人に捕まらない。
稽古の間に一回も捕まえたシーンやらせてもらえなかったんじゃないかな。
私はそんなの捕まらないねって言って逃げ回るのよ。舞台の中を。涙が出たね。
捕まえなきゃいけないですよね。お話的には。
本番の直前と本番ぐらいじゃないかな。捕まってくる。
だから本当に演じるっていうのが、どういうことか分からず段取りでは捕まえさせてくれない人だったの。
自己認識の変化
ここでこうしてこうやるからこう来てねみたいなのじゃないってことですか。
そうじゃない、稽古。規剥とかさ。
そっちを先に学んだよね。
それと対峙する。小学校2年生のとき大きな株っていう学芸会でやるときに、
私は面取りの役で、私の前に音取りの人がいたんだけど、本気で引っ張って先生に、
お芝居だから本気でやっちゃいけないって教わったんですけど。
それはご自身が子供のとき?
小学2年生のとき。
本気でやって、たしらめられて、
楽しくやればいいんだって学んだんですけど。
でも空場そのとき、そういうもんかなと思って段取りでね。決まってんのかと思って。
涙が出た。
でもほら、空場でセリフのない芝居をやってたので、
セリフがなければやれるかとは思った。
なんか語りかなんかいたかもしれない。
でも少なくとも私にはセリフがなくて。
はっ!はっ!みたいな。捕まえねえ。はっ!みたいな。
内側から生まれるね、そういうのがあっても。
緊迫感すごそうですね。
へえ、面白そう。その話、ストーリーもなんかすごい。
そうそう、それがね。
障がい者の性能学をやってたから、
1976年ぐらいだから、
初舞台。
障がい者の性能学の楽器を主人はやってたので、
人形劇誰でもできるんじゃないから、
あなたは人形劇をやった方がいいってさ。
うつむしさん、僕たちのことはいいから。
あなたは人形劇って、
手話でやってくださいって。
誰でもやれるわけじゃない。
カラーボスに入ったのは1975年ですね。
1975年にカラーボス。
その前の年に障がい者の性能学級に
1974年の7月に子どもを産んだんですけど、
100日目から子どもをおんぶして、
障がい者の性能学級作りっていうのを、
本当にみんな閉じ込められてたところの
障がいの人を外へ連れ出すっていうね。
子どもをおぶってたから、
抱っこしてたりしてたから、
かえって信用されたかもしれないね。
なるほど。
やっていた。
人形って離れてはいないんだけど、
軸足がこっちに重くなったらこっちは重くなる。
しっかりこちらになったのは、
クレゴハウスの仕事が始まる前後からですね。
というか、1984年に初めてロシアに行ったのよ。
芝海に。
3週間後だったな。
それでね、ロシアの子ども盗まれてる劇場の人たち、
ニコニコしてなかったの。
社会主義国の特徴でもあるかもしれないけど、
例えばチケット買いに行ってさ、
アジアの国の遠い日本から来てよ、
チケット買いに。
なかったら、あら遠くからおいでになったのねって、
残念だけどチケットないわとか言うじゃん。
一言で終わるの。
それと同じように、
舞台終わってカーテンコールで表に出て行っても、
女たちも男たちも似合いにはしないのよ。
毅然として。
どうだった今日の芝居みたいな。
これありなんだったら私できると思ったの。
いつもニコニコしてね。
舞台の上には立てないと思って。
くそー。
あのクマ捕まらなかったみたいなね。
あーみたいな思いをして。
客席でニッと洗うなんて私には到底できないと思ってたから。
なんだ不機嫌なままでいいんだと思って。
人であればいいんだと思って。
分かります?ここ。
人であればいい。
優しいお姉さんが、
あなたたちのために芝居をやってたっていう立ち位置じゃなくていいんだって。
みんなこんにちはみたいな。
あなたたちも好きでたまらないなんて。
言う人じゃないと人形劇なんかやっちゃいけないような文化があるでしょ。
福井の先生いつもニコニコとか。
イメージがすごくありますね。
お姉さんの人たちはあれならできるかもと思って。
その辺りから本気になってたかな。
そうかー。
確かに特に子供が来るような演劇とかお芝居をやってたら、
ニコニコしてなきゃいけないとかしてるもんだっていう思い込みがありますね。
私なんか無心にとか自分にはなかったと思う。
無心に何かやるなんて。
なんかいつも何かこう違う何か目を気にしたり、
自分はできないと思ってみたり。
余分ななんか奇妙なものが入ってくるたちの人間だと思っていたから。
嫉妬してたよね子供にね。
いいな君たちみたいな。
人形劇やりながらというか大人として。
だから自分の芝居を見るのは子供たちだったって脅威だし。
確かに。
そういうことで立てるかお前はみたいなね。
何者だお前はみたいなあってさ。
だからこういい人出なければいけないみたいな気がしてたんだけど。
ロシアに行ったらパッと外れたから。
これでやってもいいかなと思ったんだよね。
自分でいいのか。
自分のままでいいのかって思ったってことですね。
小さい人の前だから余計に普通でいていいんだって。
そのまんまでいていいんだってね。
どうせ見抜かれてるんだから。
見抜かれてることをよく捉えられたっていうかね。
肯定的に捉えられたのがきっかけだった気がするんだよね。
ロシア人の人がね。
ただ今考えると自分のために笑うんじゃなくて相手のために笑うんだねあれは。
ほぐれてる。
私はあなたのことは敵だと思ってないのよっていうのが笑顔なんじゃないきっとね。
ありたいようにあるっていうのはね。
極端だけど。
でもそれでも成り立っているんだから。
私はそれにプラス少しイコリするくらいはできるだろうと思って。
あんなんつけとんじゃないと思って。
でもね、笑わないねん。
普通、怒ってもいないよ。
愛想笑いでもヨーロッパ行った時私もこの人たち愛想笑いしないなって思いました。
愛想笑いだ。笑顔はいいけど愛想笑いが嫌なの。
愛想笑い。
愛想笑いなしのところに行ったら、ああ愛想笑いなしでいいんだと思って。
だから84というのは34歳だ。
今67歳、74歳なんだけど。
だから演者として生きていきたいと思ってからが40年くらいなんだね。
始めたのは45年くらい前からだけど、
本気でっていうのはその辺りかもしれない。ちょっとよくわからない。
決定的だったのは34歳の時のロシア行きだね。
じゃあそこで今の自分のままで人形劇の演者っていうものになれるんだって。
なろうと。
自動館に行くための勉強から人形使いとしてやろうと。
伊藤智子っていうのが劇団仲間のトップ女優だったんです。
その人と同じ部屋でずっと過ごして、
私がだらしないもので化粧前っていうんですけど、
化粧前のダメなのはほとんどダメよって言われて、
私はホテルの部屋に帰ると靴をぺぺんって脱ぐ人なんですけど、
長野むつみさんのキャリア
伊藤と僕はちゃんと育ててホテルに帰った途端に靴を磨くんです。
朝起きたらすぐに根巻きを畳みベッドメイキングするんです。
私たち同室者だったので全部やっていただきました。
日本の自動劇トップ女優を飯使いのように使ってしまいました。
でも人の分も。
頼んでもいない。あの人は長女で私は成虎だから。
そういう役割分担もあったかもしれない。
ちょっとしょうがないわねって言いながらやるのがお好きな方だったんだと思うんですね。
その時すいません私もやりますって人ではなくて、
私はにっこり見て笑ってるもんなって。
ありがとうございます。
でもトップ女優の在り方。
姿勢化と役を結構した演じたりしてたんです。
一枚はっていうかな。
表はこうだけどのんべーとかそういうんじゃなくて。
繋がってるんですね。
大人の女として、
行きなさいって言われたから。
やっぱりどっかで保育園の先生じゃないけど、
そういうのを求められているという勘違いを
そこで全部抜けたっていうのかな。
っていう気がするね。
なので86年の時かな。
クレヨンハウスからお話があって。
その前にも、
カラバスの劇団の時に
日本の児童図書屋さん、子供の本屋さんが
一頭最初にできたのが
名古屋のメルヘンハウスって有名な
もうこの間なくなりましたけど
三羽さんっていう方が
日本で初めて子供の本の専門店をやったんです。
その次、4日市のまだ生きてますけど
増田さんって人が
メリーゴーランドという子供の本の専門店を
3番目の内谷家子さんが
東京で子供の本の専門店をおやりになったんです。
もともとは表参道沿いの
3区ビルっていう一つのビルの
2階だったか3階だったかの
ワンフロアを全部借り切って
子供の本屋さんをやってたんですけど
今の吉祥寺に引っ越す前の
表参道沿いは
森花江ビルをちょっと入ったところの
地上3階地下1階のクレヨンハウスを建てるときに
カラバスに
その3つの子供の本屋さんでさ
年に1回なんか
サマースクールみたいなのをやってて
絵本作家と読者が一緒に合宿して
勉強し合うっていうのをやってたの。
そこのミッドナイトシアターでは
セリフのない私が感動した芝居を
やる側になって
上演に行ったりして
カラバスの芝居は面白いっていう
大人でも十分に見るに値するっていうのを
分かってくれたらしくて
新しくお店を作るんだけれども
地下に人形劇の劇場を作るから
そこでやらないかって言ってくれて
もうそこでやらないと
もうちょっと露出したほうがいい
カラバスの芝居をもっと
いろんな人に開くべきだって言われて
作ってくださったの
2年半
3ヶ月に1本ずつ新作を作るっていう
その話は私を通して
来たので大井和夫さんに
クレヨンハウスでそういう
お話をくださっているんですけど
どうしたらいいでしょうねって
大井和夫さんに聞いて
どうしたらいいでしょうねって
大井和夫さんが
君がやりたいならやればいいって
僕は助けるよって言ってくれて
全部委ねてくれて
それでクレヨンハウスでやって
初日だか2日目に彼は亡くなったの
彼は1回もクレヨンハウスに来てないんですよ
でも私たちだけで
大井和夫夫人を代表になってもらって
私たち若い人たちで
クレヨンハウスの仕事をやって
だから存在がなかったら
今の私はいなかったかもね
2年半やって
2年半3ヶ月に1本新作を
作って
それで大井和夫さんの奥様の
大井ひろこさんが疲れちゃって
夫を亡くしていたし
頑張ったんだと思うんだね
だけど
劇団を解散したいとおっしゃって
日本で辞めるなら
一人でおやめになれば
というものだと思いません
私たち若かったもんで
私たち劇団じゃないのって
おやめになるなら辞めても構わないけれど
なんで解散しなくちゃいけないのって
すごく怒って弁護士を頼んで怒って
おかしいって
だけど今思えばね
お子さんのいらっしゃらないご夫婦だったから
劇団が子供みたいなもんだった
生み出してきたね自分たちの
自分がいなくなって
カラバスという劇団が存在するのは
許しがたかったんだと
今は分かるの
他の方は分かんなくて
そうですよね
結局は劇団解散して
クレヨンハウスも辞めさせていただいて
それで今があるんです
それでカラバスを解散した翌日から
1988年の12月から
ひぽぽタウンに
ということで長野むつみさんを
ゲストにお招きして
人形劇に至るまで
人形劇の魅力それから絵本のお話
などについてたくさん伺いました
絵本と子育て
むつみさんありがとうございました
こちらこそです
むつみさんのお話を聞いて
片手使い人形は気になるなとか
もっといろんな絵本のお話とか
子育てのお話を聞いてみたいな
方はぜひ人形劇団
ひぽぽタウンのホームページを
チェックしていただけたらと思います
本当はですね
講演会のタイトルも
結構気になるタイトルがついていて
59点ママでもいいんじゃない
っていうのとか
クソババアと言われたら
石版オタコとか
ものすごく惹かれる
タイトルの講演会で
そんな講演会もされていらっしゃるので
気になった方はぜひ
チャンネル登録してください
私個人的にはですね
ネズミ女房
あとハリネズミと雪の花ですね
を見られるチャンスを
ちょっとスケジュールページを見ながら
狙っていきたいと思っております
では今回のききかじ劇場
ゲストは人形劇団
ひぽぽタウン代表の長野むつみさん
ありがとうございました
ありがとうございました
案内役は劇場大好きはるこでした
次回もぜひききかじってくださいね
さようなら
さようなら
ありがとうございます
18:37

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