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2024-08-09 19:19

#9 人形劇の役者になるとは思ってなかった/永野むつみさん④

人形劇ひとすじ49年!人形劇団ひぽぽたあむ代表の永野むつみさんが、「人形劇を生業とするまで」を惜しみなくお話くださいました。


「人形劇は一度しか観たことがないんです!!」

人形劇で描きたいのは「今、生きている人間」

衝撃的だったロシア発の人形劇「女の子とボール」

人形劇は何度でもおいしい、そこに魅かれたんです

約束事とそれを飛び越えて広がる表現

人形劇をアカデミックに勉強したかった

プーク人形劇アカデミーの1期生に

「ゴッホとゴーギャンの違いは分からなくても」



思っていることをストレートに相手に伝える、なかなかできないことを、「若い時でも今でも何でも言えちゃうの」とお茶目におっしゃるむつみさん。

「自分の在り方に正直な方がいい」というご自身の言葉を体現されています。

やっぱりかっこいいなあ~。

ぜひ最後まで聴いてくださいね!


人形劇団ひぽぽたあむ


#人形劇 #永野むつみ #人形劇団ひぽぽたあむ #ロシアの人形劇 

サマリー

永野むつみさんは49年間、人形劇一筋ですが、実は人形劇を生涯の仕事にするつもりはもともとなかったそうです。彼女は町田での障害者の青年学級と人形劇アカデミーの活動に参加し、運転手としても働いています。思ったことは何でも言えてしまうという永野むつみさんのドキドキするお話を最後までお楽しみください。

大学卒業後の経験
言葉にしづらい舞台芸術や、アートに関わる人にスポットを当てるポッドキャスト番組、キキカジ劇場。
人形劇団ヒポポダーム代表の永野むつみさん④です。
片手使い人形の魅力や、お客さんとのやりとりをたっぷりお話ししてくださったむつみさん。
49年間、人形劇一筋というむつみさんですが、実は人形劇を生涯の仕事にするつもりはもともとなかったそうです。
今回のお話は、むつみさんが大学を卒業後、児童館で働くことになっていたところ、
子どもたちと対等に向き合うためにアートを学ぼうと尊敬する人形劇団カラバス代表の大井和夫さんを訪ねていったところからお話が始まります。
思ったことは何でも言えてしまうというむつみさんのドキドキするお話を最後までどうぞお楽しみください。
中だから大きな部屋に集められて、それの5、6年生が全員集められて3つの学校に並んで見て、人形も覚えてないしお話だと覚えてないの。歌は覚えてたの。
見た1回の。
歌った。
こういう歌を歌ったんです。全部1曲歌って。
私が心から尊敬するカラバスという劇団の代表の大井和夫さんが、ああそれは僕の劇団だわって言って、
僕が人形座にいたときに、山形の田舎をずっと回っていたときの人だわって言われて、びっくりして。
えーっと思って、私ねこういう話がさ、えーっと終わり方するの好きじゃないのね。グッと押して終わる。
びっくりさせられて終わりたくないってことですか。
うんうん。グッとこういう感じで終わるの好きじゃないのね。自分で丸つけた丸。
急いでああああって思って、そうだそうだと思って。カバンの中から本を取り出して。
実はね、兄の息子にとても心から惹かれた、根拠付けになったような人生のバイブルのように読んでいる本があるんですって見せて、
ページをめくりながら、ここなんかすごいでしょって。こんな風に生きられたらどんなに素晴らしいかしらって。
オブラソフっていう人の芸術における創造の仕事っていうね、本を見せて、すごいちょっと力が入って興奮して喋ったの。
そしたらそもそも、それ、僕が翻訳したんですって。
多い数だね。
僕はこの本が読みたくてドシア語を勉強したんですって言われて、もうびっくりでしょ。もう逃げ返るしかないと思いません。
そう言った私は、モーツァルトとシューベルトの区別もゴッホとゴーヤの区別もつかない、ただの山猿なんです。
山猿なんです、すいませんって言って、帰ったのよ。帰ったけど人形劇勉強したいでしょ。
人形劇アカデミーへの参加
それで、プーク人形劇場っていうのが、その前の都市に出来上がったの。
新宿。
今の建物が出来た。そこに来れば何かわかるでしょ。
仕事をしながら人形劇を、ただアカデミックに勉強したいだけなんだって。劇団になりたいわけじゃないんだって。
そういうところを教えていただけませんかって電話したら、プークで人形劇アカデミーっていうのを始めることにしました。
来ますか?明日試験ですけどって言われて、行きます!って言った。
試験受けに行ったら、多分全員合格したんだと思うんですけど、合格したの。
一期生ってことですね。
そうしたら昼間の学校だったのよ。それも2年間。
中5とかですね。
ああそうか、こういう風に勉強しないとダメなんだと思って、私はすぐさま児童館のね、私を引っ張ってくれた組合に行って、
ごめんなさい、2年間人形劇の勉強して、それからもう一回来ますって言った。
お前ふざけんじゃないよ!どんなんじゃ!お前はここに居るものに耐えられてこないわ!
稲毛市民を裏切る!って言われて。
人に指を刺さるところに怒られたの。
すみません、ちゃんと勉強してからまた戻ってきますから!って言って74歳なのに戻ってない。
でもそう言われたの。
でもごめんなさいって、昔はスキルなんて言い方はしなかったと思うんだけど、
そういう自分にね、たくわえ、人間としての、児童館だから人形劇を教えるとかそういう意味のたくわえじゃなくて、
人間としての物の見方とか、
子供と向き合うための一心遂げみたいなもんですかね。
人形劇と呼ばれるアートに、人形劇のノウハウじゃなくて、
アートとしての人形劇を学ぶ2年間を教えてて、
僕人形劇アカデミーなんと1期生なのよ。
それでも学びの時期が始まったのに、
半年くらいしたら子供ができちゃったの。
うち結婚してたんで。
学生結婚してたんで。
それでそこで挫折というか、
それだけじゃないんですけどね、
鉛があって、私のこのままでは舞台には立てないという。
山形のご主人ですね。
でも人形の芝居だと、
地方の鉛が入ってもいいっていうのはあるけれども、
口の動かない人形で演じる時に、
鉛は何言ってるか分からないんでしょ。
少しほらもっと人間だと分かってないなと思ったら、
もっと喋ればいいのに。
できないから、どうにかしなきゃいけないっていうことを
本気で考え始めたのと、
妊娠したのと、
妊娠した子が8割が障害児だって言われたし、
産むのかって言われて、
今では産むのかって言ったお医者さんの言葉も、
それからプークのアカデミーの先輩たちが、
産むのって言ったの。
意味は分かるんだけど、すっごく頭にきて。
医者は命を助けるはずのものだし、
小さな人たちのためのとか言いながら、
産むのかって言い方は何?みたいなの。
若かったからね。
すごく入り口のところでムカつくところが、
本質が見抜けずムカつくところだなって。
頭にきてて、結局具合も悪くてね、
アカデミーには通えなくて、
お腹が大きくても通えたんだろうと思うんだけど、
調子が悪くて通えなくて、
2年目生まれてからちょっと通おうとしたんだけど、
それもちょっと無理だなと思って、
もともとカラバスの多い和夫さんに話をしに行ったときは、
初めてじゃないの。
先輩に言われて、
椅子から転げ落ちる芝をやってる劇団あるよって言われて、
見に行ってごらんって言われて、
見に行ったら本当に素敵で、
人形劇の意義とむつみさんの決意
セリフのある芝居とセリフのない芝居やってたんですけど、
小さい人形劇の会っていうのがあって、
それはね、
エチュード、
モスクワ地方人形劇場のアカデミーの人たちが作った作品を、
日本でもカラバスがやっていたんです。
翻訳してやってたんですけど、
女の子とボールっていうのが一番分かりやすいと思うんですけど、
女の子とボールっていうのは、
ボールを持って出てくるのを、
マリつきするの。
それはものすごい巧み。
本当にボールをついて、
で、投げたり、
壁にぶつけたり、
ところがボールが落ちてこなくなるんですよ、こういうの。
浮かんで。
女の子が違うボールを持ってきて、
ボールを叩くわけでこうやって取ろうとするの。
で、ボールが落ちてくるんです。
ボールを叩くわけでこうやって取ろうとするの。
見てる子供はここにボールがあるから、
ここ叩けっていうのよ。
操作棒を叩けっていうの。
そうするとさ、人形劇を知ってますっていう人はさ、
ここは叩かない約束になって、
これは見えないことになってるからって思った目で
フフンって笑いながら、
あんなおかしいこと言ってるみたいに笑ってるんだけど、
でも見えてはいるのよ。
でも見えない約束になっているという、
ここがね、
自分についてるボールね。
ところが女の子が諦めて戻ってくると、
ボールがこう、自分でこうするのよ。
ところに人形がつくの、こう。
頭を。
つまり、みんなドコッと笑うわけ。
でも人形もボールもたまたま物なのね。
こっちは人間の形をしてるから、
ボールを作った時にはおかしくはないのだけれど、
ボールが人形を作ると突然笑うのは、
何を笑ってるかってことなんだよね。
こう叩けって言った体の方が正しいんじゃないの?
改めてプログラムを見ると、
女の子、矢の実、ボール、長のもつみたいな、
ちょっと配役として書いてあるの。
役なんだ。
だから、物と人形じゃなくて、
人と物じゃなくて、物と物で、
改造医者じゃなくて、出演者だっていうことよ。
ボールも出演者ね。
それで衝撃を受けて、
同じってことですね。
結局、イメージを、
勝手にイメージして決めつけているところを
覆していくっていう。
あなたは何を笑ったんですか?
っていうのが残るものだった。
何度も美味しいっていうね。
ボールがつくところも美味しいけど、
見終わってから、あれ?お?みたいな。
それで人形劇は素晴らしいと思った。
当たり前だと思って見ちゃう大人はどうしても
そういうものっていうのを飲み込んで見ちゃうから、
逆に気づいてないところが。
思いもいるし、子供の気づきの方が早かったり。
そういうことですよね。
最初からそこ、棒叩けばよかったね。
確かに。
でもその約束ごとを無視して、
飛べるっていうかね、見る側。
人形劇の表現の可能性ってすごく広がって、
人形だからできる。
人形にしかできない転換でしょうか。
すごいと思って。
で、人形劇をやりたいと学生の頃から思って、
バランベ劇団の中に引っかかったのね。
その作品でやってなければ、
人形劇をやりたいと思わなかったと思う。
バランベ劇団っていうのは、
バランベ劇団制度っていうので、
京都の府の取り組みだね。
人形劇を通して地域に子供の集団を作るみたいな
取り組みなんじゃない。
私はそういうわけで、人形劇好きだけど、
役者になるなんて本当に思ってなくて、
うちに行って子供が障害児だって言われたから、
しょうがない。
もう人形劇はできないだろうなと思って。
風薪にかかってたのよ。
ご自分がですか。
妊娠と同時に風薪がわかったので、
ちょうどその時代は、
障害者の青年学級と町田の町作り
沖縄から風薪が流行りが移ってきてて、
妊婦が何ヶ月の段階で風薪にかかるかで
障害の位置が変わってきて、
でも覚悟したんだけど、
もう人形劇はやれないんだなと思って泣いたんですよ。
30分は大泣きしましたね。
夫に電話して、
大丈夫だよ、どんな子でも育てられるんだ。
そんなの私は知ってたけど、
もう人形劇はやれないってのが悲しくて、
この子のために泣いたわけよ。
一度も会ってない人のために泣いたわけよ。
その時は、
この子のために泣いたわけよ。
一度も会ってない人のために流す涙を持って泣いたちなもんで。
身体の中にいたとしても、
確かに顔も見てないんですよね。
ああ、できないんだ。
でもまあ、しょうがないかと思っていたら、
障害者の青年学級というのを作るっていう町田でね、
町田って、
障害者の安心して進める町作りってのをしてたもんね。
社会教科の職員が、
私の卒論、
アランベ劇団の卒論の名前が、
いつでもどこでも誰にでもできる人形劇っていう表題だったわけ。
その表題の、私の論文なんて言えない、
レポロタージュみたいなのを読んでて、
職員が私の入っていた和工大学に講師科なんかで来て、
私の卒論が面白いっていうことで、
私の先生が見せたんじゃないかな。
それで話題になってたの。
社会教科の畑なんかでも。
それを読んだ人が、
誰にでもの中には障害者は入らないんですか。
これから障害者のための、
学び直しの場としての青年学級を立ち上げようと思うんです。
昔は障害を持っている子っていうのは、
修学免除っていう言葉で、
学校教育が最初からはじかれてたの。
だけど、
学び直しっていうか、学び始めっていうかね、
どこに作るかっていうのが話題になっていて、
今更学校に戻す、
学校に行ってないからって、
学校に入るっていうのはね、
40,50歳になった人、ちょっと奇妙でもあれじゃない。
年度遊びじゃねえだろうって、
年度遊びじゃねえだろうって、
お絵かき教室じゃねえだろうってあるでしょ。
だから、
それは社会教育の場じゃないかと、
町田氏が、
日本で2番目だったんだと思うんですけど、
障害者のための青年学級っていうのを作って、
午前中は、
自分の不得意なものを勉強する、
人形劇のアカデミーと新たな舞台人生
各自の課題っていうの。
文字を書きたいとか、
一緒に働いている先輩に、
全部お金を巻き上げられちゃうとか、
計算ができないから。
文字が、自分の名前が書けないとか、
そういう人たちの、
今、手に入れたい能力を整えるための時間と、
午後は、
みんなで何かをする。
学校に行ってないってのは、
みんなで何かをするって体験がないってことなんだよね。
うん、確かに。
だから、みんなで何かをするっていうので、
演劇をやりたいって。
職員が演劇好きな人でさ、
東大でも、
頭のいい女性だったんですけど、
その人が、
あなたに力を貸してほしい。
あなたしかいないと。
障害者のことも知っていて、
障害者運動に、
いろいろ関わってみたから、
知っていて、
人形劇もできるようになって、
できてないんだよ、
そういうことを勉強している人が、
そういないので、
劇団、特に人形劇アカデミーに、
もう行かないんだとすれば、
劇団に入って、
生まれて100日目から、
障害者の青年学級づくりっていうのに、
入ったんです。
仲間になっていって、
今も、
50人以上の人が通ってて、
3クラスぐらいになってるんじゃないかな。
今も続いてるんですけど、
で、その、
その前後して、
カラバスって海で帰ったところから、
今、何もしてないんだったら、
劇団に入りませんかって。
そこから今度、お誘いもあったの。
その時のね、
またそれもさ、
みんな上手だよね、
まんまとだまされる。
松見さんは、
ゴホーとゴーギャーの区別も、
モーツァルトとシューベルトの区別も、
つかないって言ったけど、
田んぼに水張った春前の風の匂いと、
田んぼに水張った後の風の匂いの違いを、
僕たちによく話してくれたよねって。
もうお付き合いがあったから、
話してくれたよねって。
アートに必要なのは、
そっちの力だと思うよって。
山猿の力の方がね。
アートを作る人にふさわしい。
だってゴホーとゴーギャーは、
すでに絵にしたものから学ぶっていうんじゃなくて、
元のところね、
彼らが元にしたところのことを、
つかめる力があったら、
ゴホーとゴーギャーと並べるんじゃないの?
きっと。
力の差はともかくも。
表現者としてする側としてってことですね。
そう。
彼らは仲間であって師匠じゃないっていうことなんじゃない?
言ってみればね。
ほんと極端な言い方すればよ。
あなたは見る人じゃなくて、
やる人でしょってことですね。
やる人になれば、
知らないのはアリだって。
まんまとへーへーへーとか思って、
ほーって。
すごい素敵な説得文句ですね。
うん。
まんまと騙されるでしょ。
でも私は多分ね、
運転手がいなかったから、
私は運転手として雇われたんだなとは、
そういうときは思って、
運転はできたから、
他の何もできないけど運転はできたから、
皆さんの荷物を運ぶとか、
そういうのは、
そういうので役に立つんだら役に立ちたいと思ったし、
支える人にならなれるかもしれないと思って、
障がい者としてはね、
長期お仕事をしながら、
カラボスに入団したわけです。
ああ、そうなんですね。
ここは兼ねていらしたんですね。
そうそう。
子育てしてですね、
お仕事して。
そうそう。
いいときだけ行くっていうね。
飲む所属をしていらして。
そうです。
そのときにね、
初めてね、
田んぼに水を張る前と
張った後の風って、
どんな匂いがするんでしょうか。
人形劇が好きだけど、
アカデミックに学びたいだけで、
人形劇をやりたいわけではないと思っていたむつみさんが、
カラボス入団後にどんな舞台人生を歩み出したのか、
次回最終回をどうぞお楽しみに。
ここまでお聞きいただきありがとうございます。
次回もぜひ聞きかじってくださいね。
さようなら。
19:19

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