to R mansionの紹介
ひいてかじってくすぐられ、おいでおいでよ劇場へ。
キキカジ劇場。
言葉にならない舞台芸術や、アートに関わる人にスポットを当てる
ポッドキャスト番組、キキカジ劇場。案内役のHarukoです。
今回も、とっても素敵なパフォーマーの方に、ゲストにお越しいただきました。
パフォーマンスカンパニー、to R mansion の野崎夏世さんです。
はーい、こんにちは。よろしくお願いします。
カヨさん、よろしくお願いします。
私がカヨさんと知り合ったのは、20年くらい前ですか?
経ちますか?
経ちますかね。
もうやめようね。
私の話はやめましょう。
そのくらい前になるんですけれどもね。
今はto R mansionはずっと大人気で、国内、海外問わず飛び回って大変お忙しい中で来ていただきました。
今日はですね、実は知り合ってからずいぶん経つカヨさんなんですけれども、
今まで聞いたことがないようなお話を、いろいろとねほりはほり伺っていきたいと思います。
ドキドキ。よろしくお願いします。
まず最初に、to R mansion と野崎夏世さんのプロフィールをご紹介します。
to R mansionは2007年結成。現在までに18カ国85都市の劇場や演劇祭、ストリートフェスティバルに招待され、世界各地で大人気のパフォーマンスカンパニーです。
世界3大演劇祭の一つ、フランスのアビニオン演劇祭。
こちらはフリンジフェスティバルですよね。
ではですね、1080人ある作品の中で口コミトップ20に選ばれ、連日ソールアウトになりました。
国内では神戸ビエンナーレ大道芸コンペティションで2度のグランプリ獲得など多くの受賞歴があり、
皆さんが知っているところでは、2021年の東京オリンピックの開会式にも出演されるなど、大活躍を続けているカンパニーです。
舞台作品と原作
そして野崎香夫さんは、フランスのジャック・ルコップ国際演劇学校を卒業され、フランス語が大変堪能でいらっしゃいます。
少女時代に、身体操と演劇に没頭して養われた独特の動きと感性をもとに、人間、動物、宇宙人など様々なキャラクターを演じる変幻自在なコメディエンス。
トゥーアルマイションの全作品に出演され、作品の創造性を広げる、なくてはならないキーパーソンでいらっしゃいます。
ありがとうございます。
トゥーアルマイションの舞台作品というのは、たくさん種類が、演目があるんですかね。
そうですね。やっぱり主催公演も年に1回はやっていきたいねっていうのは、本当に初めの時からずっと変わらない思いではあるので、
東京だけではなくて、いろんな場所でできるようにしていきたいなと思っているんですけど、
最近だと神戸の新海地アート広場という劇場で、走れ!星の王子メロスという原作が2つありまして、
そうですね。
走れ!星の王子メロス、間に挟まっているってわかりますね。
そういうことですね。
走れ!星の王子メロス、この2本を原作に経営した芝居というのを、
ストーリーというのは、それぞれの原作のキーワードというか、すごく原作が大切にしている気持ち、
友達を思う気持ちというようなこととか、そういったものは変わらずに、
それぞれメロス、友達のために走り急ぐメロスという人や、
星の王子様という人が出てきたりとかはしますけれども、
そこの設定とか、あとその2つの物語を並行させるみたいなところっていうのは、
すごくオリジナルなプラスアルファの部分というのがたくさんあって、
去年の10月に初演をして、神戸の新会社と広場で再演ができたという作品になります。
神戸が2回目の公演だったっていうことですね。
そうです。早速宣伝みたいになっちゃいますけど、
これ見逃しちゃったなっていう方も、来年東京で再演が決まっておりますので、
さすが!皆さん、来年までまだ時間あるんでね。
という原作があるやつとか、あとは物語からしてオリジナルで作ったもの。
海外公演の経験
ワンダフルパレードという、初めて私たちが、シアター・トラムという憧れの劇場。
素敵な劇場ですよね。
やつとかは、ストーリーも自分たちの出演者の中でみんなで考えたというものでしたし、
あとはマジカル・ミステリー・ツアーというものとか、
あとヘンテ工場という、最近ファミリーシアターとして私たちが一番たくさんやっている作品ですけれども、
これも45個ぐらい段ボールが出てきて、その面にいろいろ絵が描いてあるんですけど、
それを組み合わせてシーンを作ったり、物語を作ったりというふうに展開していく。
そうすると、原作があるものは脚本があるんですか?
原作があるものは、そうですね。
あと、アンデルセンの人魚姫も原作があって、それを芽継さん、NHKのね。
お母さんと一緒の。
お母さんと一緒の人魚劇、ファンターネという、アネコーナーの脚本を描いている。
脚本を描いていらっしゃるんですね。
そうなんだ。
芽継くんはもちろん俳優さんとしても活躍なので。
映画にも出ていらっしゃる芽継リッキーさんですね。
芽継くんはいろんな顔があるんですけど、
でも初めて脚本を描いてくれたのは、この2Rの人魚姫が初めてなんですね。
そうなんですね。
もちろんアンデルセンの物語を代理しながらも、原作は人魚姫っていっぱい姉妹がいるんですよ。
6人とか。
いわゆるアンデルセンの人魚姫は。
原作はね。
それを双子の人魚姫という設定に芽継くんはして、
で、そのお姉ちゃんと妹っていう、その2人がお互いを思い合って冒険をしていくという物語。
すごくバラエティに富んでますよね。
お話の筋を追っていくものもあるし、
原作的ににされるというか、オムニバス的にシーンを繋いでいくような作品とかもありますよね。
ザ・ショーとかはそうですか?
あれはオムニバスとして、今も学校公演とかでもたくさんやっていることが多い作品なので、
漢劇習慣、劇場で演劇を見るみたいな習慣がないような人たちにもすごく見やすい。
初めての劇場の体験として楽しんでいただけるものなんじゃないかなって思っています。
サーカスっぽいシーンがあったりとか、演劇で見せるお芝居っぽいものがあったりとか、
オブジェクトを使ってパフォーマンスで見せるみたいなシーンがあったりとか、
そのいろんな要素を楽しめる、そういう作りになっているかなと思うので、
海外でやってきた作品もザ・ショーみたいな形が一番多いですね。
やっぱり言葉を一番使わずに伝えられるものなので。
海外でやるんだったらセリフのあるお芝居だと、そこに字幕をつけるか、
もしくは外国語でやるかっていうのはかなり大変ですね。
私たちが海外でやる劇場っていうのは、そういう字幕をつけようみたいな規模のものはないですね。
オペラシアターみたいなところではやらないから。
だからやっぱり中国でやった時は、中国語を頑張って覚えていきましたし。
その劇場公演のものはね、言葉が少ないっていうのもあるけれど、
みんな単語で、丸本くんとかも単語で、私たちもなるべく現地の。
なるべくでもやっぱり現地の言葉で直接お客様にも話しかけるとか、
伝えたいみたいな気持ちもあるから、言葉ができなくても、
なるべく現地の人たちにこうで伝わるかなっていうところを相談しながら、
その土地の言葉で話しかけていきたいっていうのはありますね。
嬉しいですよね。一生懸命ね。
一生懸命ね、その国の言葉を覚えて、
喋ろうとするというその気持ちが伝わるというかきっと。
そういう気持ちをずっと持ち続けていらっしゃるってことですね。
だって海外公演も長いですもんね。
そうですよね。
一緒に行きましたよ。
3カ国行ったね。
一緒に行ったのは、フランスとスコットランドと、
でもシンガポールも行ったし。
シンガポールと韓国。
そうですね。
私も実は2Rマンションにいたことがありますので。
2011年までの私たちの活動はすごいですね。
そうですね。12年に離れたので。
それこそ最初の私たちのアビニオ演劇祭のトライの時にはね、
一緒に行きましたし。
過酷な1ヶ月間も共に。
面白かったですね。
しかも春ちゃんと私はアイディアだったから。
大学のアビニオ演劇祭っていうのは、
アビニオンっていうのは城壁のある街なんですよね。
そこで、その街全体で。
1ヶ月間、本当に朝から晩までたくさんのカンパニーが集まって、
1000演目以上。
私たちも1082でしたもんね。
1082でしたもんね。
ご紹介いただきましたけども。
そしてそのベニューっていうか場所も200箇所近くある中で、
それぞれのカンパニーがね、
仕込んで、バラして、仕込んで、バラしてっていう。
1箇所の劇場で本当に4作品、多いところは5作品、
1日の中でも毎日展開していくっていう祭典で。
本当にフェスティバルに行って、
ああすごいなと思ったのは、
決してその演劇が大好きみたいな人たちではない人たちも、
その夏のバカンスの1つの楽しみとしてね、
アビニオンを訪れて、
でも本当に2、3日家族でいろんなサーカスとか、
ダンスとか、演劇とか楽しんで、
そしてまた次のバカンスのうちへ旅立っていくみたいな。
そういう楽しみをするんだな、フランスの人たちは。
すごい羨ましかったし、
そういう場所で私たちの演劇を楽しんでくれるっていうことも、
すごく幸せだったなと思いましたね。
そうですね。
大変だったけどね。
でも本当に時間帯とかちょっと覚えてないんですけど。
お昼。
お昼でしたっけ?
12時20分とか。
人が、お母さんが子供を連れて手繋いで歩いてくるみたいなね、
そういう方が観客になってくれるっていうのはね、
すごいですよね、本当に。
そうか、その間にアーティストはたくさん世界中から
アビニオンの街にやってくるんですけど、
いろんな場所に宿泊してると思うんですけど、
大学の寮だったんですよね。
大学の寮が、大学生はバカンスでもいないから、
その間アーティスト使っていいよって割り振られて、
そこに泊まったんですよね。
その次アイビアだったんですね。
なんかお風呂が、お湯が出るか出ないかみたいな話。
出なかった。
出るか出ないかみたいな話ありましたよね。
ありました。
私はすごい急に思い出したのが、もう嫌だ。
急に思い出したのが、なんか瓶のビールを買って、
幼少期の演劇体験
どうしてもそれが飲みたくて、でも洗濯機がなくて、
もうどうしても飲みたくて、その日に。
多分なんか汗いっぱいかいたんですよ。
夏だし。
どうしても開けたくて、
フォークで王冠を無理矢理開けて、
めっちゃ怪我したんですね。
結局開いたんですよ。
9年で開けて、怪我しながらビール飲んだんですけど、
ほんとバカに。
暑いし、なんか今はわからないけれど、
その当時はやっぱり冷房がついている部屋っていうのが、
ほとんどなかったんだよね。
私たちの部屋にも当然なくて、
夜とか朝方はすごく涼しいんだけど、
やっぱり日中は乾燥もしてるし、
日も凄いてるし、暑いから、
もう私たちその寒暖差っていうのも慣れなくて、
体力的にもすごいそれに慣れるまで大変だったんですよ。
めちゃくちゃ歩いたしね。
で、パリから電車に乗って、
それで到着したのが夜で、
重い荷物をえっちらおっちらで寮に着いたら、
エレベーターがないんですよ。
それで4階だから狭い。
割とそんなに広くない。真っ暗な階段を。
すごいね、苦労して。
めちゃくちゃ疲れてるのに荷物を。
23キロギリギリ連れ込んだ荷物をみんな持ち上げて。
でもほんとによく歩いて懐かしいですね。
ほんとですよ。
それと同じじゃないと思いますけど、
今は招待されて行かれてるフェスもあるし。
でもほんとにたくさんの海外フェスに行くと、
ほんとにいろんなところからアーティストが集まってきてて、
旅に行ったんだよって言うと、
ああ、見たよみたいな感じで、
その後出会ったこともあったし、
ああ、そうだったんだ、いたんだねっていう、
ヨーロッパのいろんなフェスティバルに行っていると、
また再び会えるアーティストっていうのがね、
あったりとかもして、
すごく再会を喜びあえたりして。
いいですね。
そうなんですよ。
今日は特にカヨさんのことを聞きたいなと思って、
もともとカヨさんがフランスの演劇学校に入られたっていうところからは、
先ほど説明したんですけど、
そもそも演劇っていうものに出会ったのはいつですか?
覚えてる限りでは。
覚えてる限りでは。
覚えてる限りでは、
一番最初はもう本当に幼稚園とかだったと思うんですよね。
幼稚園の学芸会っていうか、
自分がやるほうの。
そう、ダンスをやりたい人、
劇をやりたい人みたいなのと分かれて、
私は自分の記憶では最初はダンスをやりたいほうに手を挙げたんだけど、
ちょっと人気すぎて漏れて、
ジャンケンかなんかで負けちゃって、
劇のほうのクラスっていうグループになったんです、確か。
で、なんかセリフが一個だけある役で、
なんかそんな体育館みたいな大きいところでね、
大きい声出してセリフを言うなんて思って、
すごい緊張したのを覚えてて、
その本番の時に言えるかな、声入れるかなみたいな。
すごく引っ込み一案な子供だったので。
そうなんですね。
そう、てか緊張しちゃって、
一人一人質問が回ってくるみたいなこととかも、
もうなんか自分の番の3人番くらいとかになると、
もうダメかもしれないみたいな。
出ないかもしれない。
そう、これ出ないかもしれないみたいな風に思っちゃう。
すごいアナリションだったんですよ、昔も。
でも今ももちろん緊張はするから。
でも子供の頃のそれはもう今とは比にならない何かで、
すごかったので、
そんなことできるだろうかって思ったけど、
でもやっぱり練習をしたから言えたわけですよ。
声出たわけ、その時は。
ていうその達成感とほっとした感っていうのは
すごいよく覚えてます。
覚えてるんですか?
物語は何も覚えてないけど、
なんかねこういう、
小鳥の帽子みたいなものを被った鳥の役だった。
全部覚えてるんですよ。鳥の役。
え、僕は何だったか分かんないけど。
覚えてないし、もちろん主役ではないんですけど、
主役のおじいさんとおばあさんについて何か一言言えるみたいな。
すきに進んで。
いや、分かんない。
どうだろう。
鳥の役。
鳥の役だった。
すごい覚えてるんですね。
覚えてる。
やったっていう感じ。
いや、ほっとした。
やったっていう気持ちもあったかもしれないし、
できたって思った気持ちもあったし、
すごいほっとしたっていう気持ちもあったし。
そこで、自分でもできるんだっていうこととか?
そうですね。
やっぱりそうやって大きい声で何かを言うってことが
できない幼稚園生だったから、
演劇とかだと、
練習すればそうやって何か言えたりとかするんだ。
みたいな風になったのが、それが多分一番最初で、
次は小学校とかに上がった時に、
お楽しみ会みたいなことをするんだりと、
そこにやっぱりグループで、
じゃあ、劇みたいなことをやろうよ。
ヘレンキラーじゃなかったかな。
ヘレンキラーじゃなかったな。
ちょっと忘れちゃったんですけど、
その時に、読んだ本か何かの物語をみんなでやったんです。
それがすごく先生も、
お父さんお母さんたち保護者の方も見に来れるし、
もちろんクラスメイトも見てるんだけど、
お父さんお母さんが喜んでくれたっていうことよりも、
同じクラスの自分たちのグループ以外の男子も女子も、
クラスメイトの人たちがすごい盛り上がって喜んでくれた。
っていうのが、達成感で。
へー。
こんな風に喜ばせることができるんだ。
へー。
ことも覚えてます。
たぶん小学校3年生とか、そんなぐらいだったんじゃないかな。
なんか私今すごいなと思ったのは、
幼稚園の時、だって5歳以下ってことですよね。
の時に、緊張していた気持ちもそうだと思うんですけど、
声が出るか分かんないって不安を持ちながら、
出たっていうことの、
あ、それは練習をあんなにしたからだって、
そこが繋がるのがすごいなと思って。
面白いなと思って。
それはでも失敗もしてて、同じぐらいの中で忘れられない。
悔いの残る幼稚園時代の思い出っていうのが良かった。
それを使い分ければ。
2Rマンション野崎香代さんの1回目をお送りしました。
野崎香代さんの現在
各地で引っ張りだこの人気パフォーマンスグループにおいて、
唯一無二のコメディエンスとして活躍を続ける野崎香代さん。
今ここに至るまでを少し伺うことができました。
私がこれまで出会った中でも一番と言っていいほど心優しい香代さん。
だからこそ、舞台の上ではたくさんのお客さんに愛されるキャラクターを見せてくれるんだなと納得しました。
2Rマンションの舞台公演、
走れ!星の王子メロスin世田谷パブリックシアターは、
2025年8月に開催されるそうです。
どうぞご期待ください。
残り数回にわたって野崎香代さんのお話をお届けいたします。
どうぞお楽しみに。
次回もぜひ聞きかじってくださいね。
さようなら。