登場人物の魅力
聞いてかじってくぐられ!おいでおいでよ劇場へ!
キキカジ劇場!
言葉に暗い舞台芸術や、アートに関わる人にスポットを当てるポッドキャスト番組、
キキカジ劇場。人形劇一筋49年、人形劇団ヒポポターム代表の永野むつみさんの3回目です。
今回は、チップとチョコという作品の妹チョコについて、
どうして登場人物が動物なのか、
軽く見られがちだという片手使い人形で人間の深い心模様を描き出すなどをお送りします。
どうぞ最後までお楽しみください。
妹チョコが生まれたり、その人らしい読み方に私永野むつみが演じれば永野むつみが演じたようになるし、
他の人が演じたら他の人が演じたようになるという、そういう個性は自ら生まれるものだし、
チップはお兄ちゃんだし、チョコは妹だし、妹が泣くっていうところも、
妹のチョコが技というっていうのと、役者が技というのを混ぜちゃダメなんだ。
私のマフラー素敵でしょっていうシーンがある時に、
私のマフラー素敵でしょってちょっと媚びて、女の子って媚びて言う時あるじゃん。
どうしていつからこの色気が生まれるのっていうぐらい色っぽく言う時あるじゃん。
私のマフラー素敵でしょっていう風に言うのありだけど、
役者の花岡沙織が自分が媚びて、私のマフラー可愛いでしょっていうのとは違うってことなんだ。
だから役として媚びるっていうのと、役をやってる本人が媚びるというのをちゃんと分けられる人であってほしい。
チョコが言うこと。
チョコが媚びて言ってるっていう。
片手使い人形の演技
チョコのこんな気持ち。
そういう時に大体セリフは浮くもんだよねとかあるじゃない。
大体私はチッポとチョコと芳林がね、あの女の子がわがままだってみんな言うけど、
わがまんまに生きててから二人で困難に出会った時に、お兄ちゃんすぐに諦めちゃうのに、
あの子はまんまに生きてきたから絶対来れないのよ。
何か次の手、次の手、次の手って考えて道を切り開いてるのあの子だよ。
何とかしてそこにたどり着く。
たどり着く。
わがまんまに生きるっていうことをもっと肯定してほしいし、
それから私もおしゃべりだから分かるんですけど、私の相方は無口だから、
一緒にいると、こちらの相方さんどんなふうにお考えですかって、
みんな丁寧に彼の意見を聞こうとするんだけど、
私はたくさん喋ってるから娘さんは言いたいこと全部言ってると思って、
私の話なんかいい加減にしか聞いてないなこいつらと思う時があるわけよ。
きっとね、チップとチョコもそうで、
妹は私が私も綺麗でしょ、私が私が私がって何であんなに言うかっていうと、
大人の扱いがやっぱり無口なお兄ちゃんにちょっと偏ってて、
君はどう思うのってこういつも聞いてくれて、
あなたはいつでも喋ってるから言えってね、
存在に扱われがちだっていうね、思いがあって、
私はチョコにとてもね、思い入れをしてるんです。
私が私がって言うよなぁって、誰が私をこうしたのってね。
やっぱでも下の子のね、形質、私も下なんで。
結構ね、ちやほやされて大事にされて育ってきたと思うけれども、
いつもたくさん喋ってるから何でも言ってるかっていうとそんなことない。
私は多弁性自閉症と呼んでるんです、自分は。
たくさん喋るとね、質問しなくなるの相手は。
何でも言ってくれる人だって心をそちらに持ってっちゃって。
質問しにくいでしょ。
たくさんお話をしてくださるのは私にとってはとてもありがたいです。
そうですね。チップを演じながらチョコに心を寄せてらっしゃるんですね。
愛しい。もうちょっとこの子も大事にしてやってよって。
資料深いみたいなね、ちょっと喋らない方が資料深くて
より何かいろんなことを考えてそうみたいな扱いをされるっていうのは何かわかります。
もう一回ご覧くださるとわかりますよ。
最初に出てきた黄色い小鳥もイノシシもドッドさんも
嫌いでしょってそうねって。
可愛いねって。
でしたね。そうな。
そうなんです。
私が私がって言うよね。
でも道開いてるのはあの人だからね。
もう一回見たい。もう一回見たいなって。
何度も何度も見たくなる人形劇でありたいと思ってるわけ。
私はなぜやってるかっていうのの一つには人形劇を卒業させないと思う。
人形劇の魅力と可能性
子供の時見たからいいわって言わせない人形劇をやりたい。
何度も何度も何度も何度も同じ芝居が見たくなって
二十歳の時に見た時はこんな風に思ったけど
子供が生まれて一緒に見たらこうだと。
おばあちゃんになって見たらこうだと。
一つの作品を見ながらその作品に自分を写して
その時の自分を感じるみたいな。
だから日本の人形劇は新作主義みたいなね。
女性キンは新作にしか出ないみたいな。
文化庁というかやってる人たちの思いと私は別で
特に小さな人のものはね。
本と同じように何歳になったらこの作品に出会う
何歳になったらこの作品に出会うっていうのがあっていいはずだと思っていて。
だから同じ作品ずっとやってるって言われてもめげずにずっとやってるんです。
何度も何度も同じ芝居を見る人がいるんです。
だけど一回も見てくれない人もいるの。
全く関心のない人にどうやったら見てもらえるのかっていうのは
本当に74歳になって模索し始めました。
今までいいと思ったの。
見たくない人見ないでいいと思ってたんだけど
でももうじき死ぬのでできるだけ多くの全く関心のない人も
見てくださって嫌いはありだと思うんだけど
見ないとわかんないですよね。
もしかしてほんと好きかもしれないよってお誘いしようと思ってるんですけどね。
どうしたらいいか。
人形劇っていうものの一般的なイメージみたいなものが
テレビとかの影響も多分あるだろうし
それこそ小さい時に幼稚園とか保育園とかで学校で見たみたいなもので
止まっているっていう人が多分すごく多いんじゃないかなと。
それ世界的で伊藤康美一番なんだよ。
2番棒使い、3番手使いなんだよ。
何のランキングですか今?
やってる数?
香舞さん。
なんていうの?
手使い、人形ね、こうこうこうね。やったことある、やったことあるみたいな。
すごく身近にあるから
人間の深い心なんか演じられないと思ってるわけよ。
その片手使い?
片手使いの人形。
テレビなんかのも、なんかね、それほどでもない。
ちゃんとした物語なんか演じられないみたいな扱いを受けて。
棒使いはちょっとあれだけど。
伊藤康美一になるとこう、なんか美しい世界、だって
八頭身美人でも美しい世界を描きうる
美術家もとても興味を持つ、絵描きも興味を持つ
美に対して可能性をたくさん持ってる。
手使いっていうのは手にはめるっていう都合があるもんで
大きさも形も限定されるのよね。
八頭身は難しいかもしれない。
いや、できるけどつまんないと思うんだね。
で、手の形が拘束するし
そうすると三の線画を演じるのにふさわしいみたいな扱いを受ける。
それで、ハリネズミと雪の花という美しい物語を
片手使いでやったの。
ネズミにおぼうという美しくて
本当に大きな問題を投げかけるのを片手使いでやったの。
片手使いだって人の心に問いかける
人の心の内側を細やかに描き出す力があるんだよっていうのを
やってみたいと思って。
今からご覧になった人が
今まで見た片手使いの人形劇とちょっと違いますよねって
言ってくださるそのちょっとのところが
何なのかを見てくださった方がもっと表現してくださると
そうですね。
私、残念ながら自分の芝居を一度も見たことないのよ。
見れないですもんね。
そうですね。
最終的にどういう仕上がりになって皆さんに届いているかわからないんだよね。
そうですよね。ビデオで見るのと全然違いますもんね。
生で。
悲しい。もうやめたくなる。
そうですね。
生で見る。
生の良さってその自由。先ほど娘さんがおっしゃってた
どこを見てもいいっていう自由さもそうだし
毎回違うじゃないですか。
お客さんも違うし。
人間だって機械みたいな同じことをできるわけではないから
今そこにいて生きているっていうものを
同じ空間で同じ息を吸いながら見ることで伝わるものが
多分パーセンテージが大きいんだろうなと思います。
その変わった手遣いの人形っていうのは。
だから本当に生で見ていただきたいなと。
観客の反応ね。
そうですね。一緒に見るお客さんのですね。
反応も一緒に。
一緒にそうですね。
その劇場空間はお客さんも含めて
お客さんが入っていないと完成しないですもんね。
その生の舞台っていうのは。
映像作品はもう映像作品が完成形ですけど
生はお客さん、毎回違うお客さんが入って完成ですもんね。
そうですね。そのライブの。
だから映像として残すと固定した感じがして
こんなことやってるなら私人形使いやめた方がいいんじゃないかと思うぐらい
がっかりするんで。
自分の声を録音したのを初めて聞いた時のような感じ。
自分が演じてて感じてるものとは全く違う光景が。
そうですね。耳、自分の声初めて聞いた時は
穴があったら入りたくなりますけど。
そんな感覚になるんですね。
本当にあんなちょっと。
全然違うんですね。
それと人形劇の良さは74歳でも3歳は演じられるってことなんだよね。
そうか。
そして基本人形は座満なのよ。
人。
だから年齢も設定も見る人によって色々変わっていいのだという前提なんだね。
顔が動かないことの力っていうのがあってさ。
あるじゃない。
背の小さい人大きい人、人間だと。
世の中で言うと美人って言われる人と必ずしもそうじゃないだろうとか。
人形劇の特徴と魅力
ふっくらしてるとか痩せてるとか。
役者の人間の自分の肉体の条件で
が、観客に及ぶ影響っていうのは
責任を負えないぐらい届いてしまうところがあるでしょ。
人形は作り物なもんで。
受け取る人の受け取る方に委ねられる
その良さと悪さがあって
シンプルであればあるほど
見る側の力を求める
だから
委ねる分が増えてくる。
そうですね。
なるほど。だからさっきおっしゃった
豊かに見られるかどうかも半分投げかけられてるような感じもあるんですね。
だから生の豚は嫌いって人よりも映画の方が好きって。
そうか。
もうすごく責任を負わされるっていうか
ポテトチップ食べながら見たいのによ
人間の人はそう許さないだろうみたいな。
好みは確かにそうなんですね。
なのでだから
例えばチップとチョコだって一応
小さな人って設定だけど
ハリネズミと雪の華だって今やってる作品だって
一人暮らしなのみんなね。生き物たちが。
そう子供なの大人なのっていうのも境界線ないし
確かに。
でも生き生きと生きてる大人って結構子供っぽいでしょ。
はい。
若いっていうか
はしゃぐことができる。
年分からない人が多い。
はしゃぐしね。だから人形が小っちゃい子向けのように見えてるけど
あれは大人があんな風になっちゃってるって想定で見たらそうなのよ。
そう思いません?
だからチップとチョコで描かれるべきは
あの二人の兄弟の関係で
えてして妹っていうポジションにいる子はあーだよねとか
えてしてお兄ちゃんっていうポジションにいるのはあーだよね
まるで女と男が変わってもあり得ることだよねとか
あれ年齢って書かれてないんだよね。
そうですね。
だから見てる方も我が子の娘と息子として見てる
たりうちの子と同じだって見たり
あー私が子供だった時に
もうちょっと弟に優しくしてやればよかったんだね。
自分のこととして見たりっていう
その自由度もあるわけなの。
人形にわざわざ年齢をはっきりさせて作るものもあるけれど
比較的ヒポポタームのものは年齢を問わずに
そういう作り方の方が好きね。
だから小学校1年生とか
年齢や性別、設定を超えた楽しみ方
そういう設定の芝居はあんまりやらないね。
自由に見られるように
そうですね。資深居を超えてる超えてないの差は
ちょっと持ったりしますけど
面白い。
ただイメージがあるので
比喩として生き物を使うっていうか
小さな人たちが小動物が好きだから
犬や猫やカエルが登場するっていうだけじゃなくて
説明をしないで済むわけ人物の
この人は何者だという
例えばテレビドラマを見て刑事者だとすると
一頭最初のシーンが刑事者なのに
虫捕りをしてるシーンなんかから始まって
この刑事は刑事だけど虫が好きなんだとかっていうのの
説明的な人物をはっきりさせるための必要じゃない。
しかし人形劇でウサギとカメが登場したら
どっちが強者でどっちが弱者ですか。
ウサギです。
カメの場合もあるよね。背中の固さの競争だったら。
カメ。そうです。
すぐにウサギとカメって言っただけで
もうかけっこの話ってすぐに思うから
ウサギが強者でカメが弱者に見える。
でもそれはあなたの勝手で
今日は背中の固さの競争
どれだけの意思を受け止められるかとかね。
カメが。
いやカメは割れちゃうからダメとかね。
そんないくらでも話を作るようがあるけれども
でもカメはカメ的な人
ウサギ的な人っていうことになるわけじゃない。
イメージがありますね。
その関係にカメが引っ込んで
そこで突然オオカミが登場したら
どっちが強者でどっちが弱者ですか。
そうですよね。
ウサギは全然変わってないのに
相手が変わっただけで
弱者になり果てたわけ。瞬間。
ほんとだ。
何にも変わってない。
ところがバーッと逃げ出したのは
オオカミの方だったらびっくりするじゃん。
びっくりします。
どうしたのって。
ウサギは舞台にもう一回登場して
ハァハァハァって行った時に歯が全部なかったとかね。
面白い。
姿はオオカミなのに
歯がないってだけで
弱者になり下がるっていうね。
そういうの人形劇はやれるわけ。
すぐに。
設定ひっくり返したり。
テレビだったら1時間かかるドラマ
人形劇だったら45分で済ませられるかもしれない。
人物の説明全部カットできるんだから。
もうしょってるイメージもあるし。
イメージがあるから。
いきなり始められる。
いきなり始めていきなり終われる。
そうか。
オオカミから歯を抜いただけで
突然弱者になるっていうのも
いろんなものを象徴して
誰かにとっては歯がお金だったり
美貌だったり
若さだったり。
それでそこにまた自分の立場からの
なんかあと記憶とか
いろんなものを投影して
なんかすごい。
どんどん自分で作っちゃって
やった側から言うと
それはやってませんけど
見た見た見たって言い張って
それで友達に誘ってきたりすると
あれやりませんでしたね。
やってない。
自分の頭の中で作っちゃって。
そう。そういうことがある。
だからそれが大人でも楽しめるっていう
そうです。
だから50年生きた人は
50年の暮らしから培ってきたもので見るし
5歳児は5歳児の直感で見るし
そうか。子供を連れてきて
子供に見せなくていいんだ。
自分が見に行っていいんですね。
子供と一緒に
そうです。
絵本と同じですね。
いやー。めっちゃいいこといっぱいいるな。
永野茂さんへのインタビュー
3回目をお届けしました。
見る人それぞれに
感じることや思うこと
見ているものが違っていい。
子供に見せるのではなく
一緒に見に行けばいいんだと
大切な気づきをいただきました。
年齢も性別も
設定も飛び越えられる人形劇
もっともっと見てみたいなと思っています。
次回は
むつみさんが人形劇を
生涯の仕事とするようになった道のりを
たっぷりお届けします。
次回もぜひ引きかじってくださいね。
さようなら。