カジ
やっぱりこの子を産まなければよかったみたいなとかさ、
障害のある子を産んでしまって申し訳ないとかいう気持ちとかも、
懺悔っていうか謝罪の気持ちと、
なんでこんな私の人生こうなってしまったんだろうっていうところとかもあるけども、
本当にすごく印象に残った言葉は、
360何日まではすごくしんどいんだけども、
でも1日とか2日本当にいい日があるみたいなセリフ。
で、それがまさに今日だみたいな。
あれがすごい印象に残ってさ、
なんだろう、全部は共にしてないよ、僕もね。
全部は共にしないんだけども、
やっぱりずっと障害福祉のところの仕事に関わっていて、
やっぱり大変な日ありますよ。
別に親の立場じゃない、あくまでも仕事としての利用者さんとの付き合いやけども、
やっぱりいろんな医療ケアが必要な方とかとも一緒にいて、
やっぱりちょっと環境がくずれて何かが興奮になってワーってなったりとかさ、
ちょっと体調崩して発熱があったりとか、
じゃあその時に周りの環境をどうするかとか、
医療環境を整えてとか、
胃ろうからチューブで栄養剤を入れるのがいいのかとかさ、
やっぱり体位交換は何時間ごとにしてとか、
ちょっとでもやっぱり体調崩したりとかすると、
もう本当に周りがワーって環境が変えてバタバタっていう感じなのが、
ほとんど続くっていう人もいる。
続かない人ももちろんいると思うんだけども、
実際にそういう方とか現場とかにも入らせてもらったりとかするからこそも、
今日本当に幸せだねとか穏やかだねっていう日が本当に1日2日、
もっと多分多いかな、僕のところは。
もっと多いんだけども、
そういう日が、当たり前の日々が当たり前に過ぎていくことの、
素晴らしさとか楽しさ、喜びみたいなんて本当に感じることがあって、
今日も充実してたなみたいな。
自分の人生に置き換えて、なんとなく過ごしちゃったなって日とかももちろんあるんだけども、
本当にしんどい忙しいからこそ、
穏やかな日っていう日が来た時に何十倍にもなんていうのかな、
言葉にうまく表せないんだけど、
充実したというか胸がいっぱいになる日。
思い返すとすごく胸がいっぱいになる日があるんですよ。
やっぱり環境とかに慣れない、
例えば自分の障害特性で環境が変わるとやっぱりすごい馴染むのに、
1日2日とかじゃなくて、1ヶ月とか3ヶ月、半年とかかかる人っているんですよ、特に。
いるんですよ、特性ってね。
で、やっぱり徐々に慣れてきて、慣れてくると、
今日は何もなく本人さんも落ち着いて過ごせたなっていう日がたまに来るんですよね。
その時に何か良かったなってかな、印象に残った言葉。
なんかシーンで言うと本当に秋野としんくんが長屋のところで一緒に過ごしてるシーンって本当に穏やかだよね、あれね。
なんていうの、さとこがずっと頭上で聞いてて、どんどん感情を動かしていってさ、
最初は秋野のいびきがさーとか、うるせーんだよみたいなこととか言ったけど、
おならがどうこうとかね、おならがどうこうとか話からね、あの子ね、あの子ねみたいな感じで、
どんどん自分の子供に重ねていくみたいな、笑えるんだけども切なくなったりとかね。
ネギ
私は音で楽しむというか、生活を想像してさ、きっとこれは何をしてる音だみたいなところから生活が見えてくるっていう、
なんか生活とか、
そこもまた想像をかきたてられるというか、
実際に見るよりも倍以上なっていうか、いろんなことを想像してるんじゃないかなと思って、
でもなんかそれがちょっとだいぶさとこを加速させちゃってるっていうか、
カジ
加速させちゃってるね、あれね。
ネギ
すごくほほえましいはほほえましいんだけど、
心配にもなっていくっていうか、どんどん思い入れが、
歌が上手なのあの子みたいな、
カジ
言ったよね。
ネギ
歌うんですよって言って。
カジ
何度も何度も自分のさ、さとこが自分の子供の頬をなでるシーンみたいな、夢かな過去の回想みたいなシーンが何度も来るじゃないですか。
あれってやっぱりこう、自分がもう手に入らなくなってしまった幸せなシーンみたいなのが、
やっぱり何回も何回もフラッシュバックして、
こうやって録音を聞くと、自分が欲しかった光景があるみたいな。
そこでどんどんどんどんしんくんに肩を入れていくか、浮いていってしまって、自分の環境が。
カジ
秋野がね、しんくんが熱いとしてもなかなか病院とか連れていかないですよみたいな。
ネギ
そのさ、だからなんだろ、そのやきもきしてるさとことさ、ほぼ同じ状態が、
あのノートに書いてあったわけですね。
その秋野の奥さん亡くなったさんが書いてたノートにさ、
結局熱が下がらない、どうしようって中で最終的に便秘だったっていう。
カジ
書いてあった書いてあった。
ネギ
そのタミエだけじゃなくて、他の柴咲コウが演じてた佐竹の奥さんもそう
ですけど、やっぱその夫からの協力がほぼ得られてないっていう状況。
なんかいろんなことがやっぱり、お母さんという存在に集中して、
お母さんという存在がどんどん一人になっていくというか、
その理不尽さというか、ずっと子供とお母さん、周りにたくさん人がいても二人きり孤独になっていく感じが。
カジ
それこそ佐竹に関しては、佐竹の息子が障害を持っていて、
それを世話をしているのはお母さんの方で、自分はそもそも向き合うことすらできなかった。
なんていうのかな、その小説が書かれた時代、
映画の舞台もさっき1994年とか3年とかその辺の後の時代、
もうなおさら顕著だったと思うんだけども、
でも今でも一部ね、全部とは言わないけども、
一部もしかしたら通じる部分もまだあるかもしれない。
ネギ
XとかThreadsとかもうそういう話ばっかり、障害があるないとか限らずなんですけど。
カジ
あそこ佐竹のところはきょうだいじで、上がお姉ちゃんがいて、
お母さんはやっぱり息子さんの方を見るから、ケアが必要だから、
なんで私の方を見てくれないのってイライライライラして、
いい子でいなさい、なんでそんなことしないのって言ったら、
もうめちゃめちゃ逆に荒れちゃってみたいなところで。
それこそあまりにもお母さんがかまってくれないから最終的に手を切っちゃってみたいなところとかも。
で、やっぱり息子さん亡くなって、息子さんともやっぱり関係修正できなくて、
奥さんは精神科科で入院してっていうのが、
やっぱり佐竹の罪というか懺悔っていうかにつながってくるんですけども。
ネギ
結局さ、やっぱりタミエが結局引き取るシーンをね、わけだけど、
やっぱそれは本当あのノートが大きいというか、
一体佐竹がどういうプロセスでタミエをそこまで話をするまで行ったのかが、
全然想像できなくて、
めっちゃ勢いがすごくてさ、
カジ
聡子の?
ネギ
そう、だし、なんかこう善意を、善意というか、
正しいことを押し付けてくるような感じも、
なんというか、自分がやってみろよみたいなことも思いたくなるような、
その実の母親っていうところにすごくこだわっているのか、
結局最後では本当の母親、血のつながった母親に落ち着くっていうところが、
ちょっと、それがいいって話なの?みたいな、
とかちょっと思っちゃったりとか、
私は病院で、
佐竹が電話をかけるシーンのところで、
あ、これ佐竹が引き取るんだって思ったんですよ。
新のこと。
カジ
あったね。
ネギ
結局、タミエが引き取るっていうことで、
公衆電話まで行くのに、そのシーンの車いすを移動させてっていう、
で、手を握るというか、
そこで私はなんか、もう今から誘拐すんのかなと思いました。
もうこのままの勢いで、
誘拐というか、もう連れて帰るのかと、
ちょっとそれを想像、てか望んでたのかもしれないですね、自分がね。
昨日の奥さんが育ててるシーンとかを見て、
それがあのノートに、育てた記録があのノートに残ってるわけだけど、
自分の意思と関係なく出会った子供を、
本当に他人の夫婦が育てられたっていうことは、
なんていうか、タミエさんにとっても、
こう、なんだろうな、勇気というか、もらうことだったのかも。
あの、やっぱお母さんという、なんか自分一人に押し付けられてたことが、
他の人にもできたっていうこと?
親から親に引き継いでるわけですよね。
あのノートとかも含めて、なんていうか、引き継ぎ可能だし、
共有可能で、
死とか、愛っていうものとか、なんか暴政とか、そんなものに、
縛られなくても。
カジ
縛られてなかったもんね。
ネギ
例えば、複数のヘルパーで、
一人の人をケアすることができるってこととかも、
そうだと思うんだけど、親じゃなきゃいけないなんてこともないとかね。
それは障害がある人とかがってことじゃなくて、
人が人を育てるっていうこと。
結局は、そういう関係性を積み上げ、
育っていくっていうことで、
誰でもというか、関係性を積み上げていけばできるっていうことが、
なんかノートによって。
カジ
あれが要は象徴というか、
それのなんか証明ですよね。
それこそ、タミヤさんだけだったときは、
もうあなた本当の母親なんだからとか、
要は今までみたいな、なりなりだからっていう、
あなたしかできないことがあるからっていう縛りみたいになってしまってたけども、
私じゃなくても、この子って育つんだみたいな。
私だけ頑張らなくていいんだみたいな。
っていうのが、ノート閉じて帰ってくるっていうことで、
なんか証明されて、ちょっと肩の荷が下りたというか、
考え方とか視野が広かったっていうとかが、やっぱり大きな変化だったんだろうね。
ネギ
ノートが引き継がれたことによって、
一人で育てるわけではないってことですよね。
亡くなった奥さんの育てた記録と、
一緒に育てていけるわけだから。
カジ
あきのがさ、自分の言葉で奥さんのノートに追加すんじゃん。
カレーは、はちみつをたくさん入れるともっと甘くなって、たくさん食べるみたいな。
あれちょっとおもしろかった。めっちゃ大きい字で書き込まれてるの。
ネギ
あきの自身も調理師だっけ?調理師免許があるんだっけ?
料理の何か仕事あったんだよね、もともとはね。
今は働いてない。
しんくんが蛍光栄養になるっていうときに、
それじゃ食べ物の味わかんないじゃんみたいな。
あきのとしても、やっぱそれが生きる喜びの一つだっていう認識が、
食べて味わうってことが、何が食べたいとかっていう意思って結構強いものですよね。
カジ
強いですね。強いと思いますよ。
ネギ
なんていうのかな。あれが好き、これが好きって言葉で言うのもそうだけど、
食べないっていう意思表示。
カジ
食べないね。
ネギ
これすごい立派な意思表示だなと思っていて、
自分から言葉を発せないことができなかったり、
自分から体を動かせなくても、
嫌だって、食べたくないっていう、
この味は無理って、ノーって言うっていう、
なんかそれはこう、だから日々、すごい選択をしてるってことだなって。
カジ
なんかね、食べないっていう意思表示。
なんかそれこそさ、人間っていうよりか、いろんな人と関わってて、
感じることがあるんだけども、
例えば支援者と関わりを作っていく、
例えば自宅障害のある方とかと関係を作っていく中で、
ご飯が来ました、食事を出します、出されたものは全部食べますみたいな。
ところがまずゼロベース、最初のスタートであったんだけども、
その次にご飯を持ってきました、出しました、食べません。
以前は食べていたものを食べませんみたいな。
そこで、この人食べなくなった、食べないっていう意思表示をした。
これは問題だ、ではなくて、
しっかり食べないっていう意思表示ができてるじゃないかっていう風に、
むしろすごくちゃんと、本来ここが問題になるんじゃなくて、
食べないっていう意思表示ができたんだっていうところにとって、
すごい食べないって言えるようになったじゃないですかみたいな。
ところに持っていくべきであるんですけども、
食べないことは問題だ、問題だ、問題だっていう問題ばかりに
フォーカスされるのはやっぱり違うと思うんですよね。
意思決定とか、そっちの話の話でもあるんですよね。
食べる、食べないの話って。
そこの話も考えておかないと、一遍倒の話にしかなっちゃわないんですよ。
その前に、この人拒否してるじゃないか。
わざわざそれを食べさせる必要はありますかみたいな。
むしろこれでちゃんと拒否してくれるんだから、
じゃあ他のにしましょうねっていう話とかが出てこないと、
問題の種類としてちゃんと分けていかないと。
ネギ
そうだね。やっぱどうしても気になる言葉がさ、
神様っていると思うかってさ。
カジ
ずっと出てきたね。神様っていると思うかみたいな。
ネギ
聞くじゃん。
特に何回か出てきたけど、
米本、佐藤二郎やってる米本が、
佐竹に行ってたよね。
雀荘かなんかで。
カジ
雀荘だったね。確かね。
ネギ
あれイライラしましたね。
自分が苦しくて、神様なんていないんじゃないかとか思うってこと。
例えばこの映画だったら、当事者の家族がそういうふうに思うってことは、
全然いいというか、私は別にイライラしないんだけど、
何を指して言ってるのかなんとなく分かる中で、
外から他人に向けて、
特に息子を亡くした佐竹に、
神様っていると思うかいないよなっていうのって、
どういうつもりなのって。
カジ
どういうつもりだったのね、あれ。
ネギ
私は最後のいろいろあっても、米本のこと全然いいやつだと思えない。
ここの部分で。
結構、障害がある人のアカウントというか、いろいろたくさんフォローしてる中にさ、
結構コメントの中に、神はいないのかとか、
神様が乗り越えられる試練しか与えないですよ、頑張ってとか、
そういう言葉ってたまにある。
結構あるんですけど、
ものによって削除され、
ちょっと本当にこれひどいのは、
似たところで、前世でどんなことをやったらこんな風になるんだみたいな、
一番ウォッチしてる、一番好きな、まだ小学生とかのこのアカウントにそういうコメントがあって、
それは複数の障害があるからっていう、
そういう人を多分その人は見たことがないとかいうことでのことなんだとは思うけど、
あまりにも、
だって結局神様がいないとか、そういうことを言ってるのは、
その人が不幸だっていうふうに決めつけてるってことですよね。
多分その人たちの思うに、神様っていうのは、
良い神様っていうのがいて、
神様がいるなら、こんな状態にはさせないはずみたいな。
障害があるっていう状態は、
不幸なこととか、あってはならない、こうな状況みたいな。
ですね、あなたはとか、あなたの子さんはって言っている。
だからそんな状況になってるってことは、神様なんていないよな、みたいな。
それなんか慰めてるつもり、
ちょっと本当に言われたことがある人の気持ちっていうのはわからないし、代弁することもできないけど。
カジ
自分で受け止めきれないからこそ、
なんか他のものというかに投げてしまうっていうか、
代わりに代弁させるっていう感じだよね、どっちかっていうと。
ネギ
そもそもさ、人間やっぱ因果関係を求める人間っていうか。
カジ
そうですね、なんかそれは原因を求めてしまいますね、なんでもね。
ネギ
すべては偶然じゃないですか、無慈悲だよな、みたいな。
そう思うのは、100歩譲ったとしても、
それを相手に言って、神のことを批判してるようで、
実際は目の前の人に、あなたはバグみたいな存在だ、みたいなって言っちゃってるわけじゃん。
カジ
でもそうだね、あの言葉は引っかかりますね。
いや、引っかかる、引っかかる。
ネギさんはもっと引っかかってたけど。
僕のはるか上のところに引っかかってたけど。
ネギ
1個。この映画に結構私は一気に引き込まれたシーンがあって、
柴崎甲、佐竹の妻が初めて登場するところで、
佐竹がこの子はどういう障害なんだって写真見せて、
ネギ
言うところで、そんなに気になるなら資料でも何でも家にあるのにって笑うところ。
カジ
はいはいはい。
ネギ
おかしいなっていうのと、諦めみたいな笑い方が、
そこで、え?ってなって、
何があったんだろうと、何かあったんだなが、
ネギ
同時に来て、佐竹と一緒にバズの悪い、後ろめたいような気持ちになって。
何で最初、あんなに枯れてるんだろうこの人はっていう、
カジ
佐竹ね。何であんなに荒れてるんだろうみたいなところから入って。
確かに、家庭内のバックボーンのところとか見えてなかったからさ。
やっぱりそういうところでは、あのシーンは印象的でしたね。
ネギ
娘との関係性は、そこまで悪くないっていうか、それこそ共犯だって。
カジ
そう、共犯。
ネギ
結局、お母さんと弟にとっては、もしかしたら辛いことかもしれなかったけど、
共犯もいなかったら、本当孤独ですよね、娘。
1人だけ自分が悪いって思うのは、辛すぎますよね。
いやー、辛いと思う。
カジ
俺たちは共犯だっていうので、お互いに悪かったところがあるみたいなところから、
いびつながらだけども、少しずつ1ヶ月ぶりに娘と会話したみたいなさ。
ネギ
あのさ、1ヶ月ぶりに会話したってところでさ、
それはさ、秋野に対して、さっきは病院で言うわけだけどさ、
その前にさ、なんか、いい子だろう、あんたの子ならってさ、秋野が言うところがさ、
なんかさ、ある種皮肉でもありなっていうのかな。
あんたの子ならっていう言葉って、普通の会話だと思うけど、
何々さんの息子さんだからきっと優秀でしょうねとか、似てますねとか、
当然のようでもあり、ちょっと状況によっては呪いの言葉になるようなことってあるじゃないですか。
でもなんか、秋野がすごい純粋に、素直に言うから。
カジ
秋野が純粋だからね。
ネギ
私、叩きの子とこんなに信頼いい奴だって思ってんだとかさ、
そこのさ、なんか人の良さみたいな。
でも秋野的には、別に血なんて関係なくて、あんたの子っていう、
血がどう、遺伝子がどうとかじゃなくて、
あんたの娘、あんたの子っていうことなら、いいやつなんじゃないっていう。
カジ
血のつながりの話じゃない言い方だからね。
単純にことを見て、この人の子ならっていうね。
っていう感じで言われて、あれ刺さったんじゃない?でも。
刺ったけど刺さったけど刺さったと思うけど。
ネギ
だから全然関係ないんだけどさ、今、阿部まで見てるレンリアがね、
生死をさまよう大病を経験した若い20代から30代くらいの人たちによる恋愛リアリティショー
を見てて、めちゃくちゃ痛い気持ちになるような話とかもあるんだけど、
小児の時とか、10代、20代になってからがんとかになった人たちしかいないレンリアなんですよ。
私に残された恋愛っていうレンリアなんですけど、
その子たちがある程度打ち解けた後に、どこどこ病院でしたか?とか言って、
私もです。なんとか先生ですか?とか言って、あ、名医ですよね。
コミュニティではないんだけど、あるあるじゃないけど、つながってて、
ネギ
こういう子がたくさんいたんだみたいな、そんなことを思ったり。
こういう世界っていうか、病院もつらいことばかりじゃないというか、
そういう友達とまたねみたいな瞬間があるんだなみたいな。
カジ
何人かやっぱり常連さんというか仲間というか、
友達にこうやって来てたのしんくんみたいなシーンとかね、やっぱり印象的だったよね。
ネギ
なんかああいうのを、タミエさんも経験ができてたら、
なんかもうちょっと一人で孤独にならずに住んだのかも。
なかなかそこまで育てられ、一緒にいれなかったのかも。
ヨネモトが最後、息子の罪を。
カジ
ああ、忘れてた。
ネギ
でもそう、そこでもあれでした。
結局は自分の息子ってものがそんなに大事なのかみたいな、血のつながりなのかわかんないけど、
息子っていう存在が特別なのかっていう。
カジ
なんだろうな、親子特別っていうか、そういうつながりもあるっていう感じじゃない?
特別っていうか。