00:02
ネギ
こんにちは、カジです。 こんにちは、ネギです。
カジ
この番組、kigooは、福祉の仕事をするカジと、 アートと福祉の間で働くネギによる雑談ポッドキャストです。
知らないうちに繋がりが増えているkigooの2人が、 見たもの、読んだもの、気になっていることをおしゃべりします。
感じられて、「うーん、なんか良かったなぁ。」 みたいなところはあるんですけど、
ごめんごめん、それは後で喋った方がいいね。
ネギ
そうですね、じゃあ今日は、 映画「時には懺悔を」の感想会を始めていきたいと思います。
カジ
思いまーす。思いまーすってこんな感じのテンションか、 ちょっとおかないけど。
ネギ
ちょっとね、でも、私はあんまり重い映画だとは思わなかった。
テーマは、なんか深刻かもしれないけど。
カジ
そうね、一人の命というか、個人の特性というか、
いろんな仮面性に当てる、人の揺れ動く心みたいなところに スポットを当てる映画だからこそ、
暗い部分もあり、でもそこだけじゃなくて、
しんどい時もあるけども、やっぱり、
しんどいしんどいだけじゃなくて、小さな幸せというか、
っていうところのしっかりスポットが 日常のところで当てられていて、
両面見れましたね。
映画全編を通して人にスポットを当てていった作品だなっていうふうなのが、
一番見終わった時の感想ですね。
ネギ
なんか、完全な悪人、完全な善人みたいなキャラクターがいるわけじゃないというか、
あとはなんか、完全に絶対に良いこと、
絶対にやってはいけない悪いことみたいなのも、
あまりないというか、そう言い切れるものがないじゃないかみたいな。
カジ
ね、そうですよね。
絶対的な、さっきも言ったけど、絶対的な、絶対的な、
ところが、ないからこそ、
カジ
そういう複雑な感情、立場みたいなところとかがしっかり描かれていて、
だから、フィクションなんだけど、
なんか本当に生々しいというか、
カジ
本当に現実と、自分が生きている現実と地続きみたいな映画だったからこそ、
03:02
カジ
なんか結構自分ごととして、絶対にこういう感情あるような、
っていうのをすごく感じた映画だったね。
あ、そうだ、あらすじだけは、ちょっと皆さんお話ししておきます。
ネギ
はい、じゃあ、公式のあらすじを読み上げたいと思います。
はい。
探偵が一人殺された。
死んだ方がマシな人間と呼ばれた男、米本、佐藤二郎。
調査することになったのは、元同僚の一匹狼、佐竹、西島秀俊と、
助手で修行中の佐藤、三島光。
調べを進めるうちに、9年前に起こった新政治誘拐事件にたどり着く。
殺された米本が死の間際に調査していたのは、
9年前に失踪し、今は父親の秋野、過去九郎、冠九郎と2人で暮らす、
重い障害のある少年、新。
過去に傷つき、誰かを傷つけ、孤独にさまよう大人たちが出会った新という小さな命。
家族から目を背けた男、娘に捨てられた女。
子を生きる糧にした男。
産んだ子を愛せなかった女。
生きているのが奇跡と言われたその一つの小さな命が、
逃げ場のない現実にもがき苦しむ大人たちの心を動かしていく。
カジ
ありがとうございます。
ネギ
あれだよね、探偵の人たち他に何人か出てくる。
カジ
そうだね。
ネギ
佐竹と佐藤以外に。
あれはさ、みんなアーバンリサーチっていう大手の探偵事務所に所属してたり、
ネギ
そこから独立してアーバンの仕事を手伝ってるみたいな感じの人たちで、
そこに役所工事とか片岡通太郎とかもいて、みたいな。
なんか、俳優が豪華すぎて、
なんかそのメタ的な読み方がもはやできないというか、
その、あるじゃないですか、なんかパッと見たときに、
あ、この俳優さんか、みたいな。
ってところで、あ、この人物は重要なんだな、みたいな。
これだけ有名な人なら、みたいな。
この人も、まったくこの人も、みたいな。
もうみんな主役級だもんね。
カジ
そうそうそうそう。
だから、ここでこの俳優さんを起用してるから、
まあ、この人たちは最後までとかね。
そういう筋とかは、一切通用しない。
ネギ
のろ歌謡がほんと一瞬しか出てこなくて、びっくりしました。
カジ
そう、一瞬でしたね。
06:00
ネギ
誰とはまだ言わないけど、
なんか、それでコウホーでも、この、たぶんその映画を撮ってから、
そのときからのろ歌謡評価されたとは思うんですけど、
なんか今までの、なんか出世ぶりみたいな、
ネギ
ドラマの主演やるようになっちゃった、のろ歌謡からは考えられない。
なんかセリフもほぼない感じでしたよね。
カジ
ほぼあったんじゃないかね。
最初、それこそ本当に、シーン的には本当に短いじゃないですか。
ご出演されてるのね。
だから、パンフレットとか後で購入して、パラパラパラって見ることで、
のろ歌謡、あれ?みたいな。ここか?みたいな。
ネギ
でもやっぱ、すごい印象には残りましたけどね。
本当に短いシーンだけど。
カジ
うんうんうんうん、ですね。
それこそさっきね、本当に重い障害を持った息子さん、
シンっていう今回、子さん。
シンという役を、しんすけさんという役者さんが演じられてるんですけど、
しんすけさん以外にも、スペシャルニーズ。
要は障害とか他の特性を持った、
お子さんたちが結構出演されているシーンとかがあって、
医療的ケア児の人たちっていう感じの、車椅子とかストレッチャー乗ってたりとかね。
カジ
乗ってたりとか、それこそ支援学校のシーンがあって、音楽?
ネギ
府中東養護学校ね。
カジ
よく覚えてるよ。
いや、府中の特別支援学校行ったことあるからさ。
カジ
あ、そうなんだ。
ネギ
でもさすがに東とか西とかないよね、あんまりね。
そんなたくさんないからさ、支援学校が。
カジ
はいはいはい。
ネギ
府中にはたぶん2校ぐらいあると思うけど。
カジ
あ、そうか。
あ、そうそう。
それこそ養護学校の中のシーンってやっぱりあったじゃないですか。
ネギ
そうだね。
カジ
で、あとプラス、訪問学級か。
ネギ
先生がご自宅に来て。
カジ
自宅に来て授業とかをするみたいなのがあるみたいなのとかも、
あれやっぱり僕自身はまだ成人、18歳以上の方を対象とした施設で勤めてるからさ、
あんまり支援学校の中の制度のことって全然わからなくて、
なるほど、やっぱりそういう訪問学級みたいな制度ってあるんだみたいな。
と、やっぱりドキュメンタリーではさ、
カジ
医療的ケアとか、医療的ケア児の方とかが出演されてるものとかは見たこととかはあるんですけど、
09:03
フィクションでここまで一人一人を取り上げて出演されてる映画って、
カジ
過去に見たことあったかな、出会ったことあったかなって思うと、
やっぱり初めての出会いだなと思ってさ、
カジ
やっぱりそこに行くまでには本当にたくさんの方の力が必要で、
いろんなものに備えて望まないと成立しないというか、
いけないというものがやっぱり大前提としてあって、
本当にたくさんの方が俳優として、一俳優として出演されていて、
本当に自然な笑顔とか、本当に日常的なシーンとかを撮影されていて、
本当にワンシーンの裏側にはいろんな準備がきっとあっただろうし、
カジ
そこに対してやっぱり映画だからさ、
次こうしてみよう、合わせてみようっていうのとかもあったんだろうなと思うから、
裏側ですごく緻密なコミュニケーションとか、
そういう不足の事態に備えて安心できる体制みたいなのがしっかりと取られたからこそ、
ああいうみんなが自然と楽しんでるシーンみたいなのとか、
訪問学級のシーンが撮られたりとかっていうのとかが、
自然とシーンとして成立してるんだろうなっていうのが、
自分の職業柄なんですけど、やっぱり感じて、感傷というか、
カジ
考え深いものがありましたね。
ネギ
今回こういうキャスティングができる時代というか、
そういう流れが来てるタイミングで、
実際にそういういいキャストの人といいキャスティングができて良かったなと思いますけど、
ネギ
多分あれですよね、当事者が演じるっていうのがそもそも障害がある、
当事者の人が演じるっていうのが無理だと思っている人、
いろんな障害に関して思っている人っていうのはやっぱりたくさんいて、
でも実際にやってる人はいるわけですけど、
カジ
不可能ではなくて、決して多分不可能、不可能って周りから言われてるけど、
ネギ
まあ想像、見たことない、想像できないってことですよね。
すごく表情が豊かなお子さんで、
ネギ
周りからしんすけくんがいいんじゃないかって、
12:04
ネギ
推薦というか、があったみたいなことも。
カジ
一、俳優として周りにどんな影響を与えているかとか、
一、個人としてどんな力があるかというか、
やっぱりこの人がいい。
ネギ
演技する上で、一人の俳優として接してくださいっていうのは、
各俳優さんとかスタッフに伝えてたっていうのは、
パンフレットとかいろんなニュースとかにもありましたよね。
今回障害がある役としてオファーはされてるわけだけど、
変に別に演技できなくてもいいんだよじゃないけど、
まあ甘やかすって言うんですかね、なんて言うんでしょうね。
でも初心者の人とかに対してもさ、うまくできなくてもいいよみたいな。
これはどうせできない。
まあこんなこと言ったら負担になるかなとか、
そういうことを共演の俳優さんが思わないで、
ちゃんとこういうことがやりたいんだけどみたいな、
こういうシーンが撮りたいみたいなことを対等にというか、
遠慮せずに相談してやったっていうふうにあったし、
いろんなシーンありましたよね、そのしんすけくん、
特にしんすけくんだけど、
ネギ
ちょっとだけ形だけ映すみたいな感じではないか。
カジ
ではなかったね、普通にだって、
ネギ
食べるシーンとか、
カジ
体効果のシーンもあったし、
入浴して、入浴気持ちいいみたいなシーンもあったし、
それこそ、排泄のシーンとかも普通にケアの一部として撮られてたし、
導尿というか、そういうところもあったし、
そこも撮るんだっていうか、
普通にそこも撮るんだっていう感想を持ったんだけど、
でもそうだよなっていう。
これ生きてるんだなっていうか。
ネギ
そうそう、生きてるっていう感じだった。
っていうのが伝わるような、そういうことも含めての排泄。
そういうシーンだったよね。
カジ
あれだね、一つ一つで、やっぱり生活というか、
生き生きとしたシーンというか、本当に一つの命というかさ、
それがもうはしばしに、ふしぶしに感じられるような撮り方で、
もちろんね、周りに関わる人たちのいろんな複雑な感情がシーンを愛おしいと思う気持ちも、
煩わしいみたいな思う気持ちっていうところももちろん撮るんだけども、
15:05
ネギ
いろんな角度からさ、彼らの生活っていうのをこちらにも伝えていて、
実際その役でもめちゃくちゃそこに感化される役の人が出てくるわけじゃん。
その生活をずっと見てた結果、めちゃくちゃ好きになっちゃうっていうさ。
カジ
そうですね、あとはやっぱりそれこそさ、兄弟に障害を持つ兄弟がいる。
お姉ちゃん、お兄ちゃん、弟、妹、どちらかに障害を持つ子がいる、兄弟がいる、兄弟児っていうけども、
やっぱり兄弟児の話もしっかり出てて、
お姉ちゃんだからいい子でいなさいみたいなところとか、
お姉ちゃんなんだから、なんでこうやってできないのとかね、
こうあるべきみたいなのを押し付けられてしまって、自分のことを全然見てくれないみたいな、
そういうところとかもしっかり描かれてたし。
ネギ
そうだね、直接的な言葉はミュートされてたりとかもして、
そこがさ、声を張り上げてる表情だけでさ、何を言ってるかなんとなくわかる。
カジ
なんとなくね。
その感じとかもさ、なんていうのかな、その言葉自体が問題というよりは、
ネギ
今のこのお姉ちゃんが置かれてる状況っていうのを、状況をちょっと俯瞰してみれるような感じ。
なんか言葉が直接出てたら、その言葉にすごいフォーカスしちゃいそうだなって自分は見てた。
カジ
確かにそうかも。
あそこはやっぱり音声消されてて、結構お姉ちゃんにスポットが当たってたからこそ、
ネギ
なんかそんな気がする。
カジ
それはすごい道理だわ。
ネギ
なんかね、兄弟時の描写はね、もしかしたら原作の方が結構もうちょっと細かく描いてあったと思う。
原作はまた若干設定が違う、その話もまたできたらと思うけど、設定が違うんだけど、
その家族の描写っていうのがもうちょっと、そこが物足りないなって思った、
もうちょっと丁寧に描いてほしいって思った人は、もしかしたら原作を読むといいかもしれません。
18:00
なんか設定というか、登場人物もギュッとされてるんですよ。
ネギ
原作にだけに登場する人達っていうのがもっと何人かいて、
でも、その人達の設定が別の主人公に写されてたりとか、別の登場人物に写されてたりとか、
でも、もっとケアの様子とか、描写っていうところは文章での描写があるからさ。
ネギ
そうそうそう、もっと詳細になったね。
やっぱり丁寧ですね。
カジ
なんか原作も読みたくなってきますね。
ネギ
この話は、舞台は、その1980から90年代ぐらい?
カジ
94年?90年代が、今最初の物語スタートだったかな。
忍魂蘭太郎とかさ、出てて、忍魂蘭太郎だみたいになったから。
ネギ
肯定電話とかね、公衆電話こんなに今ないよみたいな。
カジ
あの、ここに来いみたいなシーンとかで、めちゃくちゃやっぱり公衆電話が多用されてた。
なんか昔はそうだよなみたいな。
ネギ
でもさ、携帯は持ってたよね。
カジ
あれ携帯なのかな?携帯かな?
ネギ
柄系はあったよね。
だけど、多分足がつかないように公衆電話使ってるんじゃないの?
携帯出ないじゃないですか、みたいなこと言ってたじゃん。
夜に電話かかってきてとか。
カジ
探偵業だからか。
ネギ
時代としてはさ、いわゆる医療的ケア児っていう言葉はまだ生まれてないっていうか、定義付けはされてない時代。
だからさっきから医療的ケア児っていう言葉を使ってはいるけど、
そういう言葉は一切出てこない。
カジ
出てこなかったね。
ネギ
こう、医療的ケア児と呼ばれる人たちが増えてきた時代だったのかなと思っていて、
その中、医療の進歩とともに増えてきたというか、
そこで支援が必要だってなって法律ができていくみたいな、
それは医療的ケア児に限らずさ、戦後、生活困窮者と消費軍人と総工児が増えて、
ネギ
福祉散歩できるみたいな。
社会福祉士。
カジ
社会福祉士の話だね。
お勉強。
お勉強ですね。
ネギ
今まで助からなかった赤ちゃんが生きられるようになったっていうところから、
21:00
ネギ
医療的ケアを受けながら生きる子どもたちが可視化されてったというか。
カジ
確かにね、そのちょうど時代というか、増えてった時代なんでしょうね。
ネギ
医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律は2021年に施行。
で、つい最近あれですよね。
改正があったマイブルのQAPぐらいに。
それは18歳医療的ケア児だけではなくて、
18歳成人を超えた先での支援の話になってたりとか。
カジ
そうですね。
ネギ
自分の子どもがどういう風に定義されるというか、
どういう状態にいるのかとか、
どう生きればいいのか、
どういう人生をこれから歩むのかとか、
そういうことも想像もできない。
やっぱり名付けられるとさ、
ネギ
そこで繋がれるというか、
自分に合うものっていうのが見つけられるようになったりとか、
そうすると思うけど、
この時代はまだ名付けられてない時代だったのかなと思って。
カジ
名付けられて、名付けられることももちろん必要だし、
名付けられたら、
要件に入らないけどもこういう症状を持っている人とか、
やっぱり制度の中からこぼれる人っていうのも一定程度はいて、
そこに対してどうアプローチしていくかみたいなところとかっていうのは、
やっぱり常に考えていかないといけないですよね。
それこそちょっとその医療的ケアの方と話はちょっと外れるけどさ、
やっぱり生活保護じゃないけども困窮してるみたいな生活、
困窮者とかガタガタとかもいらっしゃって、
やっぱりそこにちゃんと制度にこぼれる人たちはどうやって救済していくかっていうこととかは、
やっぱり常に考えていかないと。
できたから終わり、はい終わりじゃなくて、
やっぱり使える人と使えない人がどうしても出てきてしまうから、
その間にいる人たちってじゃあどうしていくのかとかいうのは、
カジ
やっぱりそこはずっとアンテナ張っていかないと、
できたからはい安心っていう話じゃないですよね、ずっと。
ネギ
名付けられることでまたそのくくった枠から、
にギリ入らなかった人とか、
カジ
ギリ入らないと。
ネギ
人が出てきたり、
でもまたそこでそうやって人を見つけてみたいな、
24:05
ネギ
こういう人たちがいるよねっていう、
そうやって社会を発展していくというか、
なんか問題が増えているようで、それはなんか発展してますよね。
カジ
発展してると思う、発展してるっていうか、
やっぱりそういう発見をしていくっていうことが絶対にあるっていう前提で、
やっぱり作っていかないといけないから。
ネギ
終わりはないというか。
カジ
終わりはないですよね、終わりはないし。
ネギ
ちょっとまた話が変わるんだけど、
本当によく食べる映画だなって思ってました。
食べてた、超食べてたね。
特に道島ひかり演じる里子ね。
里子さんね。
ネギ
常に口になんか入ってないみたいな。
で、なんかガツガツ食べるっていうか。
カジ
そう、ガツガツ食べてたね。
ネギ
アイス口に入ってたりとかさ。
カジ
そうそう、アイス入ってたりとか、パンみたいなの食べてたりとか。
ネギ
そういう勝手で食べれるようなね。
カジ
なんかそれに対してさ、
佐竹さん、西島さんは、なんか飲むシーンが多かったですね。
お酒、ウイスキー。
ウイスキーかな。
お酒を飲むシーンが多くて、すごい対比的だなって思って。
そこでやっぱり、生きているって感じがするのがさ、
やっぱり、佐竹さん、道島ひかりさんのほうでさ。
ネギ
食べるイコール、生きることっていうのを表してるのかなっていう感じが。
エネルギーがね。
カジ
そう、エネルギーがね。
ネギ
シーンのシーン、しんすけさん演じてるシーンのシーンも。
しんくんがご飯食べる。
カジ
そう、しんくんがご飯食べるシーンとか、
秋野さんか、お父さんの秋野がやっぱりご飯食べてるシーンとか。
なんかそういう、食べる食べるっていうシーンがしっかりなのに、主人公の佐竹は飲んでいるみたいな。
すごく対比的だよなみたいな。
ネギ
佐竹の食べるのは、生きるエネルギーとかもそうだけど、
27:00
ネギ
いろいろ気を紛らわすように食べてるような感じも、
私は割と自分がそうっていうか、
食べたい、おいしいものが食べたいとかじゃないっていうか、
なんかさ、結構、挙飾とかの話にも通じるかもしれないんだけど、
お腹が空いてるから食べるというよりは、
ネギ
なんか不安な気持ちっていうか、そわそわ心もとない気持ちみたいなのを、
なんか食べるっていうことで満たすみたいな、
そういう感覚はあるし、
佐竹がそうかわかんないけど、
やっぱ佐竹もうまくいかないことがあるじゃない。
カジ
あるね、うまくいかないこととかね。
こう、なんか何か埋めてるような感じっていうか、私はなんか、
この前、何だっけな、
ネギ
ポッドキャストでさ、体の修理って、
磯野真子さん、急に具合が悪くなるとかの磯野真子さんと、
すみません、もう一人の方、アーサーさんですね。
が、やってるポッドキャストで、
空腹の反対は満腹なのか、本当にみたいなテーマにしてるのが、
めちゃくちゃ共感したんですけど、
満腹の反対は空腹なのか、
マドレーヌを一気に食べたいとき、気持ちの裏側にあるもの。
なんか授業終わってめちゃくちゃ疲れたって言って、
めっちゃ爆食いしたいみたいな気持ちなんだけど、
でもなんか30分ぐらい我慢したら、もうお腹空いてないみたいな。
ストレスっていうか、満たすために、
本当の空腹っていう感覚には、
食べたいっていう感覚には、
ただお腹空いてるってことじゃない感情も多分に含まれているというか、
だから本当に純粋な空腹っていうのが、
あるかどうかっていうことなんだけど、
なんかそういう焦燥感みたいなのも、
水嶋ひかりから感じるっていうか。
カジ
確かにそれは繋がるかもしれませんね。
いろいろね、さとこ、水嶋ひかりさんの演じられている役は、
家族ともちょっと事情があって離れるみたいなところとかがあって、
やっぱり孤独感とか、自分がどこか、
満たされない感情みたいなのを常に持ってるみたいなっていうところが、
30:03
カジ
やっぱりずっとあって。
ネギ
あとはさたけとうまくコミュニケーションができないことも、
イライラっていうか、に繋がってる感じはする。
そこでやりとりができたらいいのかもしれないけどさ、
食べようみたいな。
カジ
なんやねんこいつみたいな感じだったもんね。
ネギ
ふざけんなよみたいな。
食べてやるよみたいな、そういう感じも。
なんか飲み物買ってこいって言われて置いてきぼりにされるシーンとかね。
カジ
マジありえないんだけどあいつみたいな。
要件言うだけ言って消えるとかね。
それこそ、食べるシーンがあるからこそ、ずっとお酒入ってるじゃないですか、さたけはね。
西島さんは入ってるじゃないですか。
だからなんだろう、死んでるように生きているみたいな。
生と死みたいな感じで、本当に反対のキャラ合わせだなみたいな感じで、やっぱり見とったね。
ネギ
さたけはあんま食べないよね。
食べてなかったね。
お酒もさ、一気にぐいって飲むから、絶対のどかーって。
そういう刺激で紛らわせないと。
酔うのも大事なのかもしれないけど、ちょっとそういう自分を痛めつけるような。
自傷か、自傷的な。
カジ
自傷的な感じがあって、なんか目の前に突きつけられていることを忘れたいみたいな、逃避みたいな感じがね、やっぱりあったけども、
ネギ
でも足は動くし、目標はあるしって言うて、なんか本当に引きずられてる感がすごく。
でもなんだろうな、本当にわずかだけど、こういう探偵の張り付き行為っていうのはね、バディを組んで、
カジ
二人体制でやらないとトイレも行けないしみたいな、ぷんぷんぷんぷんって、さたこが怒るシーンあったじゃないですか。
そこでまた効き込みを持たないのかなと思ったら、ちゃんと次の日には相棒が来たりとかね。
だから、案外ちゃんとそういうとこは効いてんじゃんとか思って。
カジ
だから全く効く耳ゼロじゃなくてさ、なんかそういうところとかはちゃんと、
効いてるっていうことは、周りを見る余裕は少しあるのかなみたいな、
なんか本当にすごい周りくどい優しさみたいなとか、気にかけ方みたいなとかがあるから。
33:01
カジ
最初は全然、感情はあるけども本当に引きずられてる感じだったけども、
徐々に向き合っていく、どんどんシーンが進むことによってちょっとしたさたこに対する優しさみたいなとか、
しっかり話を聞いてるシーンとか、そういや、障害ってどんなことだっけ、みたいな向き合うシーンとかがどんどん増えていって、
調査対象のしんさんとかのしんくんとかのところとかも向き合うシーンが徐々に出てきてさ、
人間って少しずつ変わっていくんだなっていうところとかはすごく丁寧に見れて、
ちょっと微笑まし方というか、そういう感情を抱いたなあれば。