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みなさん、野球ゲーム結構やってる人っていらっしゃいますかね?
今の世代の人たちっていうのは、そうですね。 スマホを利用したプロピスとかですね。
まあそうだな、その コントローラーをね、使って
やる場合には、まあパワープロ、この2つのがほとんどだと思うんですよね。まあ30代よりも
何十代以下の年齢の人はね。でも40代以上になってくるとね
やっぱりね、ファミスターとかね、野球作るとかね、まあそういうことをやっていた人が多いのかなというか、40代?まあ50代かな?
ちょっと微妙なとこですけどね。僕はまあ当然50代、53歳ですから、もう時期ね54歳になっちゃうので、この世代はね、あのいわゆる
元祖、ファーストファミコンというかね、最初のファミコン、ファミリーコンピューターの世代ですので、
当然野球ゲームというのはね、一番最初は任天堂のベースボールというね、 特にね選手パラメーターとかがない、チームはね一応
12球団を選べるようになったんですけど、ユニフォームの色が違うだけというだけでしたね。機能は全員一緒、選手のレベルというかね、それも全く一緒という感じでしたけども
その後に出たね、1986年のデータを元にしたファミリースタジアム、ファミスタですねいわゆる。これがまあ一斉封尾したわけですけども、この時僕は中学生でしたね。
直撃世代ですからね、ファミコンのね。 まあもう一気にファミスタに関してはハマったわけです。
中学生というかもうこれ、あれだな、高校生になってたな。その中学生の時はね、 まだね中学生から高校1年ぐらいまではね、まだあのいわゆるカードゲームですね。まあそのプロスピーなんかがね、今はそういうカードのなっているようなものを
スマホだとかにして、まあプレイの詳細なグラフィックなんかは別なんですけど、要素的なカード的な要素、サイコロを振ってね
結果を出すというね。結構ねマニアックなコミュニターゲームがあったんですが、それについてはまたね、違う時にお話ししたいと思います。
まあ今日はそのファミスタですね。最初の 85年か、そっかそっか86年に出たんですけど、当時ってのはね
データを前の年のデータで作ってようやく翌年にできるみたいなね、そういう流れでしたので、1985年のデータで1986年に出された初代ファミスタ。
これはね、ものすごいブームになったんですが、今となってはですね、ナムコがですね、これ黒歴史にしてしまっていて、基本的には
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ナムコが公の場で思い切り出すということはないんですね。 これどういうことかというと、当時は選手名に関していわゆる肖像権の関係というのを基本的にはダマで出しちゃっていたので、
選手の名前がですね、正式名称ではないんです。いわゆるあの当時ジャイアンツの外人選手でいたクロマティ、ウォーレン・クロマティ選手が
例えばクロマテという表記になっていましたし、 腹立つのりさんも多分ね腹立つになってたと思うんですよね。
篠塚さんが篠塚とかね。 中にはね本名のママ、名前のママ使っていた人とかもいたので、ごちゃごちゃになってたわけですけれども、
これいわゆるあの 選手の肖像権に関しての
許可とかそういったものを全く取らずに 最初の何年間かなその後翌年87年版が出て88年開幕版
89年版とかっていう形で確か出ていったと思うんですけども まだそうですけど91年とかまあそのぐらいからですかねなんか確か
どっかを区切りにしてNPBの公認を受けてですね名前も 正式な登録名を入れるようになったという流れがあったわけです。
そのためその正式になる前のものについては一番ブームになったにも関わらず黒歴史になっているというね
そういうちょっと複雑な大人のご事情があるということなんです はいでファミスターまあ今日はねあのその後の話先話しちゃって細かいところの
ところはまたね違う機会にと思ってるんですがその後にですね また思いっきりハマったのがこれ僕大学生ぐらいになってからじゃないかなと思う
実際にはねあのベストプレープロ野球というですね アスキーが出したあのファミスターに関してはナムコね
ベストプレープロ野球とはねアスキーが出たこれ監督をするゲームですね この当時ですねファミスターの爆発的なあのブームのおかげでですね
いろんな野球ゲームが出たんです あのちょっとそれもね覚えている範囲でいずれ紹介したいとは思うんですけれどもまあよく有名
なのはね プロ野球中継と同じアングルで
映像を制作している 燃えるプロ野球とかですねまぁそれは結構そのギャグでねバントかホームランになっちゃった
っていうかねそういうまあバグに近いようなね
なんだろう設定のミスみたいなのがあったりとかしてまぁそれがね受ける要素に逆 になっていたんですがまあまあそれ以外もその
いろんなものが出てたんですよ張り切りスタジアムとかねまぁ 名を挙げればねキリがないほどあったんです
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ただそのベストプレイプロ野球との一戦を隠していてこれ監督をするゲームね 今言った通り
ゲームなんですねなのでプレイはしません見ていてサインを出す そういうゲームなんですねであと投手系統とか
ダイダー出したりとかっていうことをやってですね ペナントレースを当時は130試合でしたのでそれを競うというすごく何て言うんだろう
言い方悪いけどまどろっこしいゲームなんですが要するにじっくり 1年間こう一つのチームでですね監督としてこう
スターメンます監督というかマスター面を決めて まあ見て社員を出して投手交代をしてダイダーを出してみたいな
そういう感じですね これがねハマりまして私はですね
まあ今でも実はやってますあの暴露してしまうとつい先日もですね ちょっとデータをエディットするのがもうめんどくさいのできちゃったんでもうデフォルト
データでやってることが多いんですけども 90年89年か89年の
ロッテですからつまりロッテオリオンズですね当時はね川崎球場を結とした でやってですね
僕は割とあの小刻みな投手系統というか結構ピッチャーに無茶遣いをしてですね あんまり打つ方ではインチキチート的なセーフティーバウンドとかねたまにあの足の早い選手
よねチー セーフティーバウンドすると何でも政府になっちゃうケースとかがあったそれなるべくやらないようにして
やってるんですかそれでもまあ ロッテには当時ね西村選手
監督もやりましたけども超瞬速の選手がいるのでついついねそれを生かしたくなって しまうんですが何しろねロッテ当時のった打てない
ピッチャー まあそこそこなんですけれども勝負強いバッターがあまりいなくてですね
ディアーズとかねマイクディアーズとかいるんですけど 設定上ねこの当時の設定っていうかの能力設定というのはもうまあ当時制作してた人の
まあ目標目検討で作ってたのでデータとかほとんど今のねあの パワープロみたいにあんな細かい
あれがあるパラメーターがあるわけじゃなくてですね非常にいい加減に作っているので 僕なんかが見ると a コリン嘘だろうっていうようなねとにかく強いチームのデータ
めちゃめちゃこう データが良くてですねこれ西部がダントツで勝っちゃうよね当時西部黄金時代でしたから
そういうデータ設定になっているんです なので特にですねロッテロッテはまだいいんですけど
当時ダイエフォークスですねまあ僕は当時フォークスファンだったわけですけども これタブチ監督の初年度になった年なので
確かにダントツ再開だったんですよねこの時 でもデータを見た時にいやこれはもうプロとしてもありえないし
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これ現実3 を帯びてないデータ設定だよっていくらなんでも酷すぎるっていうようなね
もうプロチームじゃないぐらいのデータの辛いつけ方を代理はしてるんですね ですのでそのままあのスキップモードと言ってコンピューターで任せるというよね形にして
シーズン130試合をねそのまま流していくとですね本当に100倍近くするような感じになって いるんですよ
これでね こう手動でやるとねある程度強化できるんですけど強くな
コンピューターであるよねそれでもしんどいですよ もうあの今までダイエーでやって a クラスにもなったことない
ほんと途中でやんなっちゃうそういう感じの あの
データ設定のひどさみたいなのがあるんですが結構これね 今でもやってると一生懸命夢中になってやってしまうという感じでこのロっても
ですねここ1回130ゲームで頑張ってやってみたんですけどね どれかかったかな1ヶ月ぐらいかかったかなそんなかかってないか2週間ぐらいだと思うん
ですけど2週間か3週間 いや間少し空いたからやっぱり1ヶ月以上かかってると思うんですけどなんとかね
同率3位というね a クラス入りをギリ果たしちゃっ ちょっとね満足したみたいなそんな感じになっています
今度ねそういった 話もしたいしこれねちょっと youtube で交えてね
実況みたいなのをやってみたいなのってねちょっと連鎖連載実況みたいなねちょっと やってみたいなんて思ってちょっと画作してます
はいということでまたこんな話もいずれねちょこちょこできればと思います ではまた次回お楽しみください
それじゃあバイバイ