1. 研エンの仲
  2. #95 逆に身近に感じるアートの話
2023-02-17 1:21:25

#95 逆に身近に感じるアートの話

資生堂ギャラリーで個展「サカサゴト」を開催(@銀座, 23年2月26日まで)されている岡ともみさんにゲストに来ていただき、今回の展示で日本の葬送の習慣をモチーフにした経緯や、これまで制作キャリアを歩んできたのか、アイディア出しやどれくらい手を広げるか、など研究と芸術活動に共通する創作の悩みや考えについて伺いました。また、「アートの展示をどのような目線で見ていますか?」というおたよりを元に、3人がどんな風に展示を見ているかについて議論し、岡さんが今後作って行きたい作品についても伺いました。

資生堂ギャラリーのHP:[https://gallery.shiseido.com/jp/exhibition/5655/](https://gallery.shiseido.com/jp/exhibition/5655/)

岡さんによる作品の解説:[https://www.youtube.com/watch?v=flZddLs5aL4](https://www.youtube.com/watch?v=flZddLs5aL4)

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本日は、研エンの中に特別なゲストの方に来ていただいております。
私、Ryoheiの中古の友達でもあり、美術家をされている岡田萌実さんです。
今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。美術家の岡田萌実です。
実は、エピソード92の「いつか死ぬのになぜ極める?」というエピソードで、
僕ら二人が友達の古典に行ってという話をしたんですが、
実はその友人というのは岡さんで、その作品、
その時、去年の12月に行ったのはグループ展の一部という感じだったんですけど、
今回、なんと2月に銀座の資生堂ギャラリーというところで古典をされていて、
その話を聞いていたので、これも二人でぜひ行こうということで行ったところ、
実際にまた在牢されていてというか、ギャラリーにいた岡さんに会うことができて、
その時に、ぜひポッドキャスト出てほしいんですけど、どうですかってオファーしたところ、
もう明日収録しようということで、昨日行って今日収録という。
そうですね。
史上最も早いスピード感で収録が進んでおります。
なので、お忙しいところに来ていただきありがとうございます。
はい、ありがとうございます。昨日はありがとうございました。
あと、ちょっと修正なんですけど、12月に行っていたのも一応古典で、
古典をダブル古典でやってたという状態になってました。
はい。
なんかワンフロアずつお二人でやられてたという感じですね。
そうそう。
じゃあ、ちょっと軽く自己紹介というか、あと作品とか展示の説明についてもちょっとお願いしてもいいでしょうか。
はい。美術家をやっています岡友美です。
うちを所属としては博士課程にも在籍していまして、東京芸術大学の美術研究科の博士課程に所属しながら、美術家としても活動しています。
作品としては、今回の作品というか、私のステートメントみたいなことの方が先に言ったほうがいいかな。
お願いします。
最近は、小さな記憶だったりとか忘れ去られようとしている風習みたいな小さな物語を何か装置の中に封入して、それを空間にインスタレーションというんですけれども空間に配置して、空間ごと美術作品にするというような作品を制作しています。
昨日2人に来てもらった個展は、資生堂ギャラリーで開催中の、岡友美展逆さごとという作品なんですけれども、これは資生堂が開催しているアートエッグという、
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資生堂アートエッグ、第16回資生堂アートエッグという美術のコンペティションですね。それで入選をさせていただいて、3人選ばれて1人ずつ個展が1ヶ月強かな、1ヶ月ちょっとずつ開催されるというような企画でした。
次に私が展示していたのは逆さごとというようなタイトルの作品になるんですけれども、これの軽くどういう作品かっていうのをお話しすると、まず古時計があります。古時計の盤面が反転しています。
逆向きに針が回ってたよね。
鏡に映したような状態になっていて、針も逆回転しています。
普通古時計って振り子が入っている部分があると思うんですけど、そこに映像が入っています。
で、今回の作品のテーマが日本の古い早々っていうところになっているので、通常振り子が入っている部分に、私が各地でリサーチをしてきた古い早々の風習だったりとか、
シーンに対する価値観みたいなところをベースにした、して作った映像が封入されていて、時計の振り子の部分を覗くと映像が何かこう動いて見えているような感じになります。
で、コンセプトとかまで行った方がいいかしら。
そうですね。一旦じゃあその行ってみた感想を。
全体的にちょっと薄暗い空間の中に、時計が浮かび上がっているみたいな感じで、急に空間の中に柱があって、柱ごと時計が存在しているみたいな感じで浮いていて、
それがちょっと古い家の中にありそうな感じのちょっと古時計を見ながら、その中にある映像を見たりする感じになるんですけど、やっぱり死に関する考え方とか、結構知らないいろんな風習とかについて色々お話し聞かせてもらって、それがすごい個人的には面白かったですね。
あとはかなりそのあまり意味的なものを見なくても展示として面白いというか、その映像そのものであったり、特に個人的にはその小さい部屋にあった一つをフィーチャーされているっていうやつの展示とかはやっぱりそのビジュアルとしてもすごい綺麗で、すごい良かったです。
ありがとうございます。
小さい方の部屋のピックアップされている時計っていうのについてちょっとお話ししたいんですけども、まず、どうしようかな。
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そうですね、この制作、作品のきっかけになった出来事でもあるんですけれども、私の祖父の死にまつわる経験っていうのがこの作品の制作のきっかけになっていて、ちょっとそのエピソードっていうのをお話しすると、
私の祖父が亡くなった時に2年少し前ぐらいで、ちょうど雨の季節だったんですけども、母に棺に入れるお花を買ってくるようにっていうふうに頼まれて、お花を買っていったんですけども、梅雨の時期だったのですごく紫陽花の花が綺麗で、それを買っていったんですけども、青い紫陽花ですね。
それを棺に入れて花葬するっていうことをして、お骨が出てきたのを見てみると、白いはずのお骨が少し花の色で薄青く染まっていたっていうような経験をして、それまですごくコロナ禍もあって、祖父に最後会ったりとかお見舞いとかもあまりできずにいたので、
その祖父の死っていうことに関して、自分の関われなさというか気持ちの置きどころなさっていうのを感じていたんですけども、その出来事を通して一つ祖父の死に何か関われたというか、すごく美しく染まっていたっていうところで、祖父を送る自分の中での個人的な儀式のような風になったっていう経験がありました。
それをもとにして、日本の葬儀っていうのはすごくシステマチックでどんどん流れ作業のように進んでしまうんですけれども、昔の葬葬にまつわる風習っていうのを見ていくと、本当に小さいものというか小さいコミュニティが作ったようなものだったり、何か小さい願いが込められているような、そういったものが多いので、
何かそういうところをヒントにしながら、個人が誰かを大切な人を送る儀式っていうのを、もっと個人的なもの、個人的な物語だったり、個人的な何か情景だったりっていうものとかに受けるというか、それを個人的な儀式として、経験として持てるのではないかっていうふうに考えました。
それが制作のきっかけになったっていうこともあって、先ほどお話しした焦点実質の方でピックアップしている時計っていうのが、青い紫陽花が雨に濡れてだんだん色が溶けていくような映像が入っている時計になっていて、その紫陽花の情景がさらに小部屋の方からもっと大きいスケール感で覗けるっていうような、
09:01
配置になっていました。
もう一つ気になってたんですけど、そのアーティストとして活躍していく上で、結構その大学とかゼミのつながりっていう話があったかと思うんですけど、大学院に進む人たちってどれくらいの割合でいるんですか。
確かに、博士課程あるんだっていうのもね、気になる人はいるかもしれない。
ちょまど あるのはね、私は知ってましたけど、でもどれくらいの割合で院に進んだりするのかなとか、その辺ってどんな感じなんですか。
私がいる先端芸術表現科っていうところだと、まず学部から修士に上がったのが半分ぐらいだったかな。
ちょまど 結構行くんだね。
半分も行ってないか、3分の1から半分の間ぐらいかな。行っていて、修士から博士になるのはすごい少ないは少ないですね。
でも私の年は結構多くて、5、6名行ったかな。
でもそれは外部からも半分来てました。内部からは3名、4名ぐらいで、でも結構多い年ですね、それは。
聞いてると比率とかは東大の理系の学部とかと変わんないというか、芸術ってどっちかというと、大学院ってイメージはなかったけれども、
例えば東大でも文系、学部によってはもっともっと大学院行く人が少ない領域もあるんだけど、それに比べると結構多いんだなっていうのは驚きだった、個人的に。
先端技術系って結構どっちかというと、いろいろ制御したりとかっていうのもあって、理系に近いのかなって。
雰囲気として、どんな雰囲気なのか気になる。
思ってましたけど。
でも先端技術表現家っていうのは、ちょっと名前がすごいあれなんですけど、全然先端技術とかを、先端芸術表現家なんですけど、
全然最先端技術扱うぜみたいな人々はめちゃめちゃ少なくて、いるにはいるんですけど、実はすごく少ないですね。
言ってしまえば、英語だとインターメディアアートっていうふうに言うんですけど、
彫刻とか絵画とか映像とか、そういうメディアを定めずに、自分の表現したいことによってメディアを横断的に変えていくっていうような派ですね。
変えていったり組み合わせたりっていう感じ。
今どういう感じで大学院とかっていう話になったので、ちょっとお伺いしたいんですけど、
岡さんのどういう感じ作品とかの構成とか、変遷してきたのかなっていうのを、ちょっと時系列で教えてもらってもいいですか。
岡田 確かに、ざっくり。
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こういう空間の中に、インスタレーション的な感じをずっとやってきたのか、それとも変遷の末、こういう感じになっているのか、今後どうしたいのかとか。
まず学部で入った時には、まず私芸大の学部に入る前に、筑波大学のデザイン科にいたんですけども、そこでデザイン2年ぐらいやって中退して芸大に入ったんですけど。
筑波にも芸術系っていうのがあるんだったっけ。
岡田 そうそうそう、芸術専門学軍っていうのがあって、デザインとか建築系とか、あとインフォメーションデザインみたいなやつとか、あと一応現代美術の科があったりします。
で、そこで2年ぐらい、その2年間は大体いろんなジャンルをぐるぐるさせられるっていう感じなんですけど、そこぐるぐるして、
で、ぐるぐるして、私デザイン科だったので、デザインでじゃあどこの領域行きたいか、3年でゼミ入るから決めなさいみたいな感じになった時に、ちょっと行きたいかないなーみたいな感じになっちゃって。
ちょっとどうすればいい、これはとなった時に、なんかちょっとまあ、そこですごく次のことが決まってたわけじゃないんですけど、とにかくちょっと行きたいところがないので、ちょっと一旦やめようと。
感じでちょっと一旦やめちゃいまして。で、そこから先端芸術表現科っていうのをなんかで知って。
で、なんかやっぱデザインやってて思ったのが、ちょっと動き物やりたいなっていう気持ちになってたんですよね、その時に。デザインってやっぱそのまあ、グラフィックデザインとかがメインだったので、
まあ動かないじゃないですか、基本的には。
平面のデザイン。
そうそうそう。
グラフィックデザインっていうのは、例えばチラシとか平面とかそういうイメージってことですか?
あと建築模型作ったりとかもしてたんですけど、なんか動き物で、私中高で吹奏楽部にいたっていうのもあって、大学でも少しオーケストラ入ったりとかもしたんですけど、
多分その影響だと自分では思ってるんですが、なんかそのやっぱ消え物、動いて時間的でなくなっちゃうみたいなものに対する、なんかまあ好きという感じというか親しみがあるみたいな感じは大きかったのかなと思うんですけども、
そこでなんかやっぱ、動いて時間的なものがやりたいような気がしていて、それで先端に入って、結構最初から1年の時から割ともうプロジェクションマッピングみたいな映像を使ったパフォーマンス作品みたいなことを結構すぐ始めました。
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で、そこから3年間ぐらいは結構ずっとそういう、自分でその映像が入ったステージを立ち上げたりとか、あとチームで活動してたりもしたんですけど、あと外部のなんかその打楽器奏者とかとコラボレーションしたりとか、ジャグリングの人たちと一緒にやったりとか、結構その舞台周り、
あとその元々ある劇団の映像部分を担当したりとかもしてましたけど、あの舞台周りを結構長い、長いことというか3年、4年ぐらいはやってましたね。
なんか展示の作りも結構その舞台芸術っぽくもあったかも、舞台美術っぽくもあったかも。
確かに。あの時計が単体じゃなくて柱とともにあるっていうのも結構ね、ああいうこう釣ってあるみたいなの結構舞台芸術っぽいといえばっぽいというか、その空間を空間ごとそれっぽくするみたいな感覚がちょっと近いのかなと思いましたね。
そうですね、完全にそれは影響しているというか、自分でも意識的にやっている部分はあるんですけど、やっぱりある種舞台を拡張したようなインスタレーションというか、みたいなあたりに自分の作品がまあ今もちょっとそうだし、今後もそのあたりに点を打ちたいなみたいな気持ちはあったりとかしてます。
そうですね、東京芸大の学部の3、4年まではそういう活動をしていて、4年生の時に卒業政策をしなきゃいけないんですけど、最後出るために。
その時に初めて、何かそれまでは割とチームで、チームとか人と関わって動くことが多かったんですけど、卒業政策ってことで初めて一人で作品を作るっていうことになって、その時に舞台作品というよりはインスタレーションという形で何かまとめてみたいっていう気持ちになったので、そこで岡山さんと一緒に、
岡山市柳町1-8-19っていう私の岡山県にある祖母の、もう亡くなった祖母なんですけども、祖母の空き家とそれにまつわる記憶っていうのをテーマにしたインスタレーション作品を初めてそこで作りました。
で、その作品は祖母の家の家具が本当に一室祖母の家みたいな感じで組んであって、そこにアクリル板がレイヤー状につってあって、あと照明と映像が入っているような作品で、そのアクリル板が反射というか映り込みを出せるので、
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そこでその巨像と実像っていうのが混在したような空間っていうのを目指して作りました。
で、それはあの私の祖母が亡くなってからずっと家が空き家になっていたけれども、そこに行ったときに行っていろいろ見ていったら、こう祖母が書いたノートとか、祖母がお花の先生をやってたんですけど、
そうそう、その花瓶とかが大量に出てきたりとかして、でも私が関わってきた祖母っていうのは、お花の先生みたいな話は全然聞いたことがなくて、普通になんか料理作ってくれたりとか、なんか一緒にどっか行ったりとか、
だから残されたものから想起される祖母の像っていうのと、私が今まで関わってきた祖母っていうのにちょっと乖離が生じたというか、っていうそのズレみたいな。
で、もう祖母の記憶っていうものはもう祖母はいなくなってしまったから更新されないけれど、残されたものを見て自分が感じるものっていう部分は更新されていくわけですよね。だから今後も、今後ももっと離れていくのかもしれない。その祖母の像っていうのは。
っていうことも考えながら、祖母の実態と実態がないものっていうのが混在している空間っていうのを作りました。
で、それをいろんな、たくさんのガラス、アクリル板に映る像のたくさんのレイヤーを使って表現されているみたいな感じなのかなと受け取ったんですけど。
おばちゃんのお家は、僕らが普通に中学生の頃みんなで遊びに行ったりしてたんで、すごい衣装がすげえ懐かしいなって思いながら見てました。
でもなんかさ、いろいろとものがおばちゃんおばちゃんあってすごい楽しい。
そうそうそうそう。ちょっと変な空間だったでしょ。
昔のおもちゃとかあったり。
そうそうそう。ちょっと奇妙なというか怖い感じの。
確かに確かに。
パンチング、なんかパンチングするマシーンみたいな、パンチする人形みたいなさ。
人形は確かにあったり。
なんかちょっときも怖いみたいながあって、それで遊んだりとかした記憶でありますが。
確かに。小っちゃい頃は確かになんか楽しいけど怖いみたいな、そういうイメージがありますね。
そうそう。だからやっぱ空き家になって、なんかこう数年経ってからこう入った時のインパクトみたいなのが結構強くって。
いや俺1回か2回ぐらい遊びに行っただけだけど、結構いまだに覚えてる。
21:00
すごいイメージとして残りやすい。なんか説明して面白いってよりはやっぱ空間としてすごい印象に残ったし、
そこですごい小っちゃい頃過ごしたら、こうそういう思い出というか、こう思いもあるだろうなっていうのは聞きながら。
なんかそういう作品を作られてからインスタレーションの方に鍛冶を切ったっていう感じだったんですか?
そうですね。なんかその作品を初めて一人で作るインスタレーションとして初めて作って、
なんかすごく個人的にはバチッときたというか、
その自分のなんか舞台みたいな経験と、その自分が持っている記憶みたいなものを空間として立ち上げるっていうことがすごいハマったような、
これだみたいな感じがして、そこからは結構もう一人でインスタレーションを作るっていうことをメインに主軸に変えました。
ちなみになんかその空間を作るとか、そのインスタレーションって話があったんですけど、
そのどのレベルで、つまり部屋があってそこに合わせて作るのか、それともどのぐらいの大きさの部屋を作ろうって言って、
壁立てて、暗くしてみたいに作っていくのか、なんかどこから始まることが多いんですか?今までの制作とかだったら。
私が一番まずいいと思ってるのは、まずMAXの状態を描く。
こうしたい。もう例えばそれが100メートル必要なら100メートルでとりあえず描く。
こんな空間ないけれども。
そうそうそうそう。で、まあでも結局はどこかで展示するっていう機会がもらえるのであれば、そこで見せたいから、
それにフィットするようなパートに分けてパートを一つ持ってくるのか、100メートルをギュッとするのか、
それはプランにもよると思うんですけど、そうですね。
で、その時の卒業制作に関しては、完全にこれは欲しい空間を建てるっていうことをやりまして、
芸大の外のステージみたいな、野外ステージみたいなところがあるんですけど、
そこにもう欲しいだけの空間、大きさで言うとだいたい5メートルかける6、7メートルぐらいかなの小屋を木でバーンと建てて、
で、その中に作品を展開するっていうような感じで。
完全に建物も何もないところにドカンと出現する感じ。
そうそうそう。
小屋を建てたりする時ってなんか手伝ってもらったりするんですか?一人で建てられるんですか?こうやって。
24:01
小屋建てるってもう3匹の小豚でしか建てられない。
建築家を卒業した人で、荒木亮さんっていう建築の方がいたので、その方が図面を引いてくれて、で一緒に建てました。
3人ぐらいかな。結構あの設計がめっちゃ良かったんで、すぐ。
1日、2日、1.5日か、そのぐらいでバーンと建ちましたね。
すごい。
なるほど。結構なんか何だろう、大工仕事的なこともやってるよね。お家でというか。
いやーそうなんだよね。
空間ってなるとどうしてもそういうのも入ってくるっていう。
なんか本当に、まあその逆さ事、今回資生堂ギャラリーでやってる逆さ事もそうなんですが、
あのマジでやることが多いって本当に思ってて。
最近、なんかその逆さ事で言えば、あのなんだろう、針を回すギミックみたいなところから、映像みたいなところ。
映像制作。
そうそう映像制作。でまあその映像に使う小物の制作とかもしないといけないよね。
確かに。確かに。
でそれを時計の中に組み込んでいく。
で、あのちっちゃい縦具みたいな、あの障子とかが時計の窓から覗けるように今回作ってるんですけど、
ああいうのをこうレーザーカッターとかで作ったりとか、
あのエイジング加工したりみたいなそういうのも入って、
で時計だけでも結構時間かかるところをさらにその柱を作ったり、
空間を構成するものを、まあ要は建築みたいならへんのスケールのものも作るとこまでいかないといけないので、
ちょっとマジでやることが多くて。
これはちょっとすごいことになったぞって思う人はいるんですが。
確かに今私もすごい静堂ギャラリーで自分が見たものを思い出して、
これ全部作ったのかと思うとすっごい大変だなと。
確かに。
あれは手作りなのかと思うと、
やっぱその空間にいるときは作り方とかあまり考えず浸るじゃないですか。
こうスッて引いてこれ作るのかと思うと結構大変だなみたいな。
確かに。
てか美術館に行って見るものって大体手作りなのすげえなって思うよね。
確かに。
改めてね。
手作り。
手作り。
どうやって運んでっていうか。
あと純粋に気になるのは、
どんなアートの作品とかでもデジタルじゃない限り、
どっかに置いとかなきゃいけないわけじゃないですか。
そうですね。
どうするんだろうっていうのもあるよね。
確かに展示が終わった後どこに行くんだとか。
完成したものもあるし、
多分おそらくはそのドラフトというか作りかけ試作だったりもあるわけじゃないですか。
27:00
捨てちゃったらもう何もなんないけど、
もしかしたら進化するかもしれないというか何か元になるかもしれないと考えると、
自分だったら100個ぐらい捨てられないなって感じで、
大変なことになりそうだなっていうのを思ったんですけど、
その辺はどうなんですか。
大変なことになっております。
なっております。
それはみんなそうなのか。
みんな大変なことになってて、
でも、だんだん捨てることを学んではいく。
なるほど。
私も学部の3、4年ぐらいまでは捨てられない商工群すごくて、
でもその時は芸大の寮があって寮に住んでて、
そこは結構安く借りられる倉庫みたいなところがあって、
結構そこにぶち込めたから、
結構作品作った後、パーツとかこれ使うなーみたいな思ってめっちゃ入れてたんだけど、
でもまあ使わない。
まあ使わない。
っていうのが、何だろう、
作った作品のエッセンスみたいなのは、
結局次に生きることはめちゃくちゃあるんだけど、
再制作するってなった時に同じパーツを使うってほぼなくて、
やっぱり大きさとか、
アップデートさせちゃうから、
もう一回使わないんですよね。
まあ、でもなんかなんていうか、
例えばワイヤーとかさ、
工具はもちろん取っとくし、
若干こう特殊な釣り具だったりとか、
そういうものはまあちょっと取っといたりもするんですけど、
なんかそれが何本どこにあるっていうのが、
そんなにちゃんと管理してないから、
そうそうそうそう。
あるんだよねって思ったら数足りないとか。
そうそうそう。
ってなるともうさ、
形が揃ったやつが10個欲しいとかなったら、
もう買うしかないから、
あんまりその前のやつを、
あれ3個あるから、
あれをじゃああと7個買おうみたいな感じにあんまなんない。
なるほど。
まあ必要な分だけ用意してしまうみたいな。
さっきちょっと話したことに関連するんですけど、
ちょっとさっき、
作品が1個出来上がるプロセスってどうなの?みたいな話が出て、
ちょっとそこで、
作品の一番始まりの話、
アイディアとかって、
アイディアがこう生まれたりとか、
それをストックしたりとか、
それを展開したり、
これで進めよう、もう最後までこれでいくぞって、
なったりみたいなとこの話がチラッと出たと思うんですけど、
そこでなんかちょっと研究の方との共通点みたいなのが、
30:00
見つかるかなってちょっと思ったりとかして、
実際こう研究の場合は、
その始まり、一番始まりのところって、
どんな感じなのかなっていうのをちょっと聞けたらなと思いましたが。
すごいこれいろいろパターンがあると思うんで、
なんかそんなに一つには決まらないかなと思うんですけど、
それこそコンペみたいな感じでイメージすると、
コンペにこういう展示がしたいですって出す提案って、
かなり研究費の応募書類を書くのに似てる感じがあって、
こういう研究をしたいですっていうビジョンを書いて、
いろいろコンペ出すときに、
事前にこういうイメージですみたいなイメージ映像を撮ったりするっていう風におっしゃってたじゃないですか、
そういう具体的になるような情報が増えるように、
例えば予備実験してデータ載せるとか、
そういう感じで補強するところとかも似てるなと思ったし、
それである程度採択されてから進めるっていうのもあると思うんですけど、
とはいえ、研究費を出すときにある程度固めるっていうパターンと、
やってるうちに派生していくみたいなパターンとある感じがして、
そういう意味では結構似てるなっていう風には思いました。
ただ学内のところで一回作ってみるみたいなのも雰囲気としては似てる感じがして、
実験して例えば学内とか学会で、
まずそんな厳しくさどくされないような状態で一回発表して、
小さめの学会とかで話すのが多いんですけど、
大きな学会だと逆にスクープされる、アイデアを盗まれたりする可能性があるから、
ある程度出来上がってからしか出さない。論文とかもある程度出来上がってさどくに耐えられるものになってから出すんですけど、
その前にそれこそ大学の中とか小さな研究会とかでシェアして、
そこでコメントをもらってブラッシュアップするみたいなそういう感じかなっていうイメージですね。
やっぱりこれは研究もアートも結構似てるかなと思うんですけど、
完全に最初ってないですよね意外と。
個人の中でもあの研究をやり残したからとか、
あのテーマについてまだやり尽くしてないとか、
もっとこういうことやりたいみたいな過去に作った作品から派生することって結構多くないですか。
多いですね。
それこそ学部の時とかにチラチラ課題でちょっと触れてたやつの種みたいなのがストックしてあって、
それをじゃあこれ展開してみるかなみたいなこととか結構多いかなと思います。
33:02
確かに。なんかそういう感じで多分、前の研究でここまでいけなかったからこれをやってみたとか、
なんかその前の研究ではここまで理解してて、
じゃあその他のチームがこういう案を出してきたから、
じゃあこれ組み合わせたらどうなってくるかなとか、
なんかそういう感じで結構まあそういうリファレンスを使いながらやるって感じだと思うんで、
なんかゼロベースで何か思いついてるっていう感じではなんかあんまりないのかなと個人的には思うんですけどね。
まあそういうタイプの研究もあると思うんですけど、
かなりこう、先行研究とかリサーチベースにして考えるっていうよりは、
もう本当にこういうものがあったらいいなと思って設計するとか、
なんかそういうものもあるのかなっていう感じがして、
まあいろいろなパターンがあるかなとは思いますね。
まあでもなんかこうそういうなんだろう、
ある程度過去のリファレンスを大事にしつつ新規制を出さなきゃいけないっていう意味では、
結構共通点があるのかなっていう感じがします。
作品のこれでいくぞってなる前に、
その関心領域について、なんか調べ、リサーチ期みたいな、
リサーチしてる時期みたいなのが結構あるんですけど、
例えば逆さごとで言えば、その早々の風習について結構調べてた時期。
でもその調べてる時に、
なんかこれを映像にして、ここにこういうふうに入れて、
コンセプトがこうなるみたいなことまでってあんまり考え、
そこがカチッとハマってるからリサーチしてるわけじゃなくて、
早々の風習に関心あるぞってなって、
その辺をとにかく手探りでちょっといろいろ見ていくみたいな時期があったりとかして、
そこでこうリサーチ、リサーチ自体は、
やっぱりある程度の広さと深さみたいなものが欲しいと思っていて、
要は作品に使わないようなところもいっぱいこう手を広げていきたい。
けど例えば、何ヶ月後のここに展示があるぞってなったら、
めっちゃ怖いんですよね、その広げていくのが。
広げすぎるとまとまるかわかんない。
でも狭すぎるとつまんない、自分もリサーチ自体もつまんなくなっちゃうし、
作品の広さみたいな深さみたいなものが減るような気がするというか、
っていうのもあって、手を広げていきたいけれども、
怖い、まとまるか怖いみたいなことがあったりするんですけど、
研究においてそういうことってあるのかなと思ったりとか。
どうだろう、いやでも先行研究のリサーチと実際、
36:01
もうすでに実験を始めることのバランスみたいなのは確かにある気がしますね。
でもその辺はかなりラボごととか分野ごとに、
どれくらいリサーチベースにしないとできない実験なのか、
それともとりあえずやってしまった方が早いのかみたいなのもある感じがしますね。
そういう意味では、よりアーティストの方が難しいのかなって思うのは、
アイディアをすごくどう表現するかっていうところに価値があると思うんですけど、
私たちは多分アイディアよりは、アイディアも大事なんですけど、
最終的にデータを見つけてそれが本当に新しくないといけないから、
きっと新しいはずだと思ったものが蓋を開けたら新しくなかったりとかもするし、
そういう意味では結構やってみないとわからんみたいな、
やって出てきたもので反応を見るっていうことの方が価値が高いというのがあるから、
そういう意味ではリサーチはもちろん必要なんだけれども、
それに頼りすぎてはいけないっていうところがあって、
その辺はどっちかというとやっぱりずっと過去研究を探すっていうよりは、
どこかで切り上げて実際実験するみたいな流れの方が多いんじゃないかなっていうふうにはちょっと思いましたね。
それに限らず、どれぐらい最初にテーマを決めるときに、
具体的な実験のアイディアだとさっきみたいな感じだと思うんですけど、
自分が今後研究者としてどういう研究をメインでやっていくかとか、
そういうもうちょい抽象的なレベルの広さ狭さみたいな意味だと、
多分すごく似たような悩みがある感じがしますね。
そういうのをどうやって探すんですか?
それはもう人によるよね。
その人らしさみたいなのをある程度作らないといけないところは結構共通していると思っていて、
それをテーマで作る。
テーマでその人らしさを表現するのか、手法でその人らしさを表現するのかみたいなのがあったとして、
例えば、岡さんの場合はさっき言った水のアートっていうのをモチーフを常に使うとか、
時計のモチーフとか、何かしらモチーフとかテーマみたいなので、
これを見た人がこれは誰の作品だなって感じられる作品を作る。
それは研究者で言うとこのテーマといえば一番論文出してて、
岡田さんのこの人だよねみたいなイメージを作る。
テーマの話ともうちょっと技術的な話。
この技術を使いたかったら誰とかとコラボした方がいいよねみたいに思われる相手。
39:00
それはさっきちょっとお話に出てきた建築家の人に小屋を建てるんですって思ったじゃないけど、
この人にこういう時は声をかけた方がいいよねっていう感覚で思ってもらえるっていう。
その両方で自分らしさみたいに出すことができて、
どっちもある程度広くできた方がいいし、
それが作品の深みとかにもつながっていくし、研究の上でも重要だと思うんですけど、
あんまりいろいろできすぎるっていうかあんまりいろいろ手を出しても、
あなたは何の人なのっていう感じになっちゃって。
思い出してもらえない。
この作品といえばこの作風といえばこの人だよねとか、
こういう研究といえばこの人だよねって思ってもらうっていうのは結構大事だから、
そこの広げるのと極めるっていうののバランスが結構難しい。
その辺ってどう考えてますか?
というか、そもそもそのメディアアートというか、
今のインターメディアとか、
インターメディアアートっていう分野自体が多分すごい多分や融合的だと思うんですけど。
そうですね、それに関してちょっと思いながら聞いてたのは、
らしさを、らしさ狙うべきか狙わないべきか問題みたいなところあるなと思って、
っていうのが作品を作っていくうちに、
例えば2作3作4作って作っていって引きで見ると、
結局はらしさって出てくるとは思うんですよね。
一人の人が何か戦場の感覚かと思って作っていくから、
出てくるんだけど、それをなんというか、
自分はこういう作品をこういうテーマで作っている人ですっていう風に言わないといけない瞬間みたいなのもやっぱりその中で必要性として、
それこそコンペで資料出す時とかに自分の作品の一貫性みたいなものが見えてこないと見えてきてほしいみたいな時もあるから、
らしさを作りたいというか作った方がいいみたいな時も瞬間もそこで出てくるわけで、
なんかそのらしさ、そこってどうですか?なんかそのらしさって作って、意識的に作ろうとしてますか?
いやどうなんだろうな、なんかでも私は多分、そもそも手を広げすぎている嫌いがあって、自分にその自覚があるので、
手を広げる代わりにテーマにどうにか一貫性を持たせようというか、まあそういう風に語れるようにはしようっていう感じかな。
なんか私の場合それこそテーマにある程度共通性、なんかこうドーパミンに関連したことをやるみたいなそういう共通性があっても、
42:05
本当にやってることは実験もそのシミュレーションとかもいろいろやるから、なんかそういう意味では手法で何か強みとかこの人らしさっていうのを出すよりはもうテーマで出すしかないみたいな感じ。
で、なんですけど、それは何かこう言い換えれば何だろう、説明しないとなかなかテーマが見えてこないからっていうところもある気がして、
なんかそれが本当に何だろう、ずっと同じ系統の研究をしている人は多分それを説明する必要がなかったりするんですよね。
そういう意味では何か私は説明せざるを得ないから説明してるし、できるだけ何か一貫性を高めようとしなきゃいけないタイプで、逆に言うと何か同じ研究室でずっと研究してて手法とかテーマも大体一緒みたいな感じだと、
今度は多分その研究室のボスとの差別化っていうのがゆくゆくは必要になってくるので、そういう意味では何かどこどこ研究室っぽいよねみたいな感じからどっかで抜け出す必要が出た時に広げるみたいな必要性が出てきて、それは人によると思うんですよね。
私は多分いろいろやりすぎててあんまどこしょくっていうのがないタイプなんですけど、なんかその代わりに一貫性を逆に探さなくちゃいけなくて、一貫性が見える人はその上でその人がどうユニークなのかっていうところをちょっと違う軸を出さなきゃいけないみたいな感じなのかなっていう感じだと思います。
だからどのタイミングでどっちにより成功したか、一貫性を出すのに成功したのか、それともその多様性を身につけるのに成功したかっていう、どっちがより先にうまくいったかによる気がする。最終的には両方多分高める必要があって、ある程度どの研究のバラエティとか作風のバラエティの中でなんかその人らしさっていうのもあるみたいな状態にするっていう感じが、
最終的には目指すところなんでしょうけど、実際両立するのはなかなか大変。
なんかまあ、そういうどうやって展示するかとか展示のためにいろいろ活動するっていう部分と、なんか一人で制作するっていう部分となんかバランスがあるかなって思うんですけど、仕事の比率的にはどっちが多いとかありますか。
一人で作っている時間と、展示するために、コンペに応募するとかもそうだし、そういう動く作品を外に出すために動く時間と、みたいな、その辺ってみんなどうしてるんだろうなっていうのが疑問だったんですけど。
そうですね、それは本当にあの結構作家の悩みでもあって、本当いえばずっと作ってたいはたいんですよね。作って、もちろん人に見てもらって何かフィードバックというか感想をもらったりっていうのもすごく面白いとは思いつつも、やっぱり作家にもよると思うけど、私の場合は自分が見たい風景を作ってるみたいなところがあるので、
45:19
やっぱり、作ってる瞬間瞬間がすごい楽しいみたいな感覚ではないんですけど、割と辛いことの方が多かったりもするけど、でもなんか自分の生活、生きてるみたいな感じになるのはやっぱり作ってたり、リサーチしたり、やっぱり作るっていう方をずっとやってたいんですけど、
でも結局はやっぱりそれを出して、生活していく分を稼いだりとかもしないといけないし、予算を取ったりとかもしないと結局は生きていけないから、やんないといけなくて、結構なんか無理やり頑張ってやっているところはめっちゃあるんですが。
ちょまど ある意味意外だったっていうか、なんだろう、研究者も結構すごく似たあれがあって、なんか実際研究、例えば本当にシミュレーションするとか実験するとかして、本当に新しいことを発見するときってだいたい一人っていうか、一人っていうか、なんだろう。
ちょまど もちろんチームでそういうのはあるけれども、わかりやすく人に提示するみたいな感じではないですよね。だからなんだろう、一番想像的なプロセスっていうのは人に見せることが実はできないっていうか、それが最終的になんかまとまったものをどうにかこうにか人に見える形にわかってもらえる形に論文とか発表にするって感じになると思うんですけど、
結局それをどれぐらいのバランスでやっていったらいいのかっていうのは結構難しいなっていう感じがあって、
ちょまど 難しいですね。
ちょまど なんかこう、ある程度外に出していかなきゃいけないし、でもなんかこう外に出してるばっかりで、自分の内側で育てていく研究テーマに対する理解だったりとか、データの積み上げっていうのがないと結局外に出すものも枯れてっちゃうし、
そこのバランスっていうのがなんか一番難しいなって感じるところなんですよね。なんかそれが、やっぱり私もでも、私は今までやっぱり鑑賞者として言ってるから、なんか鑑賞者として言ったらやっぱり展覧会がなんか花のように感じるんですよね。
48:00
そこが一番なんか展示してる瞬間っていうのに、なんか見に行く人としてはそこでなんか知的興奮を得たりするから、それはそうなんだと思うんですけど、でも実際作ってるときは、なんだろう、発見があったり、こう生きてるって感じがするのは一人で制作してるときって話を聞いて、
なんかめっちゃわかるしそうだよなみたいな。私、あ、意外だなっていうか、あ、そうなんだって思いました。
なるほど。研究も、なんか研究してるときに得た知的興奮と、それを出す形に整えていって、論文として見える形にしていく作業っていうのは、なんか別の種類のプロセスで。
別の種類ですね。
で、なんだろう、ただやっぱ読む人はこの論文ってすごいとか、この論文のここを引用しようとかってなるけれども、その人の一番楽しい部分っていうのは、なんか人によって結構そのどのプロセスが好きかとか、どこを楽しめるかっていうのも違うし。
でも私は比較的その、なんだろう、外に出すプロセスが好き。例えば会で話して、いろいろフィードバックもらったりするのが好きな方ではあると思いますね、そういう意味ではね。
まあそれいろいろどっちがより好きっていうタイプがいろいろ違うと思うんですけど。
まあでもどっちにしろ言えるのは、こっちが大好き、こっちだけやってたいっていうのはかな、いうことはなかなかないっていうことですね。
ないですね。それは両方やらないといけないところかな。
でもさっき、なんだろう、一人で作っている時が志向みたいなこと言ってしまったが、私の作品のタイプ的に、完成形は結局展示でしか見られないっていうのもあって。
そっか。これは絵とかと違いなのかな。
そうそう、絵とか彫刻だったら自分で完成したぞってなれると思うんですけど、私の場合は展示っていうものがないと立ち上げることがかなわないので、作品自体を。
だからそこの難しさもすごいあって、だからこうやっぱりいろんなところに頑張ってアプライしていって展示の機会を得てようやく自分の作品が完成に持っていけるっていうところはすごいありますね。
だから今回の作品だと、やっぱこうインストールして全部がこう動かしてみた時がハイライトになるのかもしれない、むしろ。
じゃあその設営の瞬間みたいなのですかね。
そうそう、だからだんだん立ち上がっていって、誰もまだ入ってない展示の空間を一人でなんかこう眺めてる。
めっちゃいいですね、なんか。これすごいいい話を聞きました。
めちゃめちゃ幸せですね。
確かに、ずっと想像して、これはこうしようこうしようってね、準備していったものが目の前にあって、まだ誰もまだ見てないっていうのがいいですね。
51:11
じゃあそういう制作、その設営の期間っていうのは、アーティストさんとか関係者だけは当然入れるけども、そういう期間があるわけですよね、おそらく。
ギャラリーとか美術館で展示する前っていうのは。
なんか大体何週間ぐらいあるのかなって単純に興味ですけど、今回の場合はどのくらいあったんですか。
今回は一応3日でした。
3日?意外と短っ。
短くて。
それぐらいスパンで期間が。
そうだよね、かなりぶっちゃけ結構人気のスペースというか、かなりいい場所にもあるし、お客さんも多いし、そんなにだから長く展示外の期間というのを設けないっていうのもあるかもしれないし。
そうですね、ギャラリーだと結構そこ融通効くというか、例えばこの2週間3週間抑えましたよってなったら、じゃあ反入どんぐらい取りますっていう話になる。
なるほど、展示の期間が先に決まるんじゃなくて、この作家、この作品のために用意した、避けておいた期間があって、その中でバランスを取っていく。反入反出っていうのを決めて、残りの真ん中の期間が展示っていう感じなのかな。
そうですね。
だから美術館だとやっぱちょっと短いことは多いかな。でもその前に何にも展示が入ってなければ意外とここがっつり空いてるから別にいつ来てもいいよみたいになったりもして、なんかそのICCで展示した時とかは結構向こうで割と作業自体なんか結構長く、
そのICCって、何ヶ月かな、8ヶ月とか。
オープンスペース。
なんかその1個の展覧会が、そうそうオープンスペースっていう企画だと。
毎年やってますよね。
そうですね。で毎年1個その大きい展示をやるっていう感じなので、その展示外の期間は例えば3ヶ月4ヶ月空いてたりして丸々。
でも向こうに行ってあのなんかテーブルとか借りて、そこでアトリエみたいに使わせてもらったりとかもあったりして。
いやそれはでもねいいよね。実際に展示する空間で考えられるっていう。
そうそうそうそうそれはすごく、でなんかキュレーターさんとかもすぐ近くにいるから毎時間見に来てくれて、これどう思います?みたいな感じでやったりとか結構楽しかったんですけど。
いやICCはねそういうメディアアートとか興味ある人には是非行ってほしいですね。これも入場無料で確かNTTがやってるのかな。
そうですね。
そうです。
ので非常にいい場所です。僕もたくさん好きな作品であった場所なので、興味ある人は行ってみてほしいですね。
はい。
そろそろ関連するお便りをいただいたので。
54:01
美術館の話とかもできたので、ちょうどいいかなと思うので。
実はこの収録が決まる前に、いいタイミングで美術、アートに関する展示に関するお便りをもらったので、ちょっとそれを読みつつそこの質問に3人で答えられたらと思うんですけども。
はい。
じゃあ読み上げますね。確か匿名希望の方だと思うんですけども。
はい。
いつも更新ありがとうございます。お二人の何気ないお題でも深掘りしていく会話や穏やかな語り口がとても心地よいです。ありがとうございます。
ちょっと好きな回をあげていただいて、特に小さな自分の書き方についての回。
あやかさんが語っていたような。
そうですね。
予感する部分が多く、他の人にもそういうことがあるんだなという安心やそうした活力を応援する気持ちが湧いて好きな回です。
あくまでエピソードの候補にしていただければくらいのリクエストです。
お二人は時々アートの展示を見に行っておられますが、いつもどういった目線で見られておりますか。
アートについてその価値を測る自分の中の基準があるか、あるいは美しさや楽しさを率直に受け取っているかなど。
自分自身は作家の腕前や技術的価値に重きを置いて楽しむことが多いです。
それで十分でもあるのですが、もっと伝えたいテーマを読み取ることなどができれば楽しめるのかも、ともよく思います。
長くなりましたが今後のエピソードも楽しみにしております。ご自愛くださいということで。
どういう目線でアート展示を見るかということですよね。
これは僕ら二人、作ったりはしてないけど見に行くというお話もできればなと思うし、
美術家として岡さんが展示、他の展示とか作品を見る時にもどういう目線で見ているのかというのも、もしかしたら。
確かにそれは気になります。
気になるし、興味を持ってもらえるかなと思って取り上げました。
どうですか、どんな目線で見ていますか。
どうだろうな、僕は。
でもやっぱり、ベースにはそういう美しさ楽しさとかを文脈とか関係なく、これいいなって思うかどうかっていうのもあるし、
やっぱりでも好きな、何か期待をしていく、例えば知っている作家が出ているから行くみたいな、
そういう時にはやっぱり、この人がこういう作品を作ってたんだなとか、
あとはこういうジャンルの中で、これは結構攻めてるなみたいな、新しいなみたいな、
そういうちょっと基礎知識があっての、そこから文脈の中で、自分の中で勝手に生き続けるか、
それは別に美術史とか歴史とかは関係なく、自分の中のアートの地図みたいな中に、
お、ここ来たなって、新しく書き出したりとか、そういうイメージで、
そうですね、作っていくっていう両方があると思います。
あとはやっぱりそのね、技術的な、これすげえ、何日かかったんだろうみたいなのもあるけど、
57:01
ベースはその最初の2つかなとは思いますね。
いや、なんかまぁ、大体似た感じかなと思いますね、私も。
まぁなんか、割とその、本当に見たままの印象みたいなところを、まずは大事にしたいとは思ってるんですけど、
とはいえ結構私は解説読むのが好きかですね。
で、やっぱどういうメッセージを込めて作ってるのかなとか、どういう経緯で作られた作品なのかとか、
やっぱそういうところを、何だろう、作家がどういうメッセージを伝えたいのかみたいなところを読むのが割と好きだし、
最初は何も見ずに見て、途中で読んで、もう一回見たりとか、そういう楽しみ方をしているような気がします。
あとは、技術館で思い出すのは、あやかさん見たことあるかもしれないですけど、僕だいぶ歩くの早いというか、
マジでスタスタスタって一個二時間使うみたいなタイプかもしれない。
そうだね。
カリトースそこは自分でも、一番最初は結構じっくり全部見てたんだけど、
だんだんこれでもいいのかなみたいな、勝手に目覚めたみたいなのか、確か誰かにそういう影響を受けたのか忘れましたけど、
っていう転換点があって、それから本当に気になるものを見つけて、それを長くいろいろ、いろんな角度で見ていたりとか、
時間かけて体験したりとか、そういう風になってきたかなとは思うかな。
結構その展示の流れに乗っていると、その美術館の中の人の流れに乗っていると、
全部じっくり見るみたいな感じになりがちな気はしてしまう。
それはめちゃくちゃ、ある意味クロート的見方なような気もするんだけど、
でも本当にそれは正直おすすめではある。
私も全然、一個一個すごい時間かけるタイプじゃなくて、めっちゃ早いですね。
めっちゃ早くバーッと歩いて、あとなんか普通に展示自体に歴史的な流れだったりとか、
テーマが入ってたりすると、なんか展示の全体を先に把握したい欲みたいなのが出て、
先にバーッと歩いて、それから戻ってきたりとか、そういうのも結構あるなと思いますね。
たしかに、それはある気がしますね。ゆっくり見てると、全体のテーマが後半になって、
やっとこういう作りだったんだなってなって、
そういうふうに思ってたら、もっとあれとかああいう意味だったのになるみたいな感じになったりすること結構あるんで、
それはなんかすごい納得って感じ。
1:00:01
あとやっぱ、無限に時間があるわけじゃないから、ここにもっと時間かけてみればよかったみたいな作品が後で登場する。
あるあるある。それはめちゃくちゃありますね。
あとのその種類にもやりますけど、映像系の作品だったりすると、
あ、もう逃しちゃったみたいな見るタイミングとかもあったりするし。
そうなんですよね。なんかそういう、私も同じ感じの見方をしてるんですけど、
一方でなんかその映画とか舞台みたいなものを見に行った時に、なんかこれ2時間拘束されてたから全部見れて、
それで良さわかったわみたいなこともやっぱりあるじゃないですか。
なんかその時にちょっとこうジレンマというか、
普段の展示の見方で取りこぼしてる、なんか自分に刺さる作品ってあるんだろうなーみたいなのはすごい思ったりもしますね。
なんかそういう、ある意味こうファスト消費みたいなのさ、美術館でやってると見えなくはないよね。
別にそれはなんか必ずしも悪いことじゃないと思うし。
まあでもなんか僕は時間配分というか美術館の中での過ごし方で思うのは、
自分に刺さんないからといって、自分に見る目がないわけでは多分ないと思うことが大事だと思うんですね。
それは結構自分の鑑賞願への自信にもつながるというか、
思ってないと自分は結構見る目ある気がするみたいな不尊な自信がないとなかなかしにくいことだと思うんですけど、
でもみんな別にそれで良くて、刺さる作品を自分で選ぶ権利があると思って、
これはちょっと違うかなみたいな感じで、自分で好きに回ることでだんだん、
これは良いかもしれないっていう逆に足を止める時間が出てくるかもしれないけど、
ずっとこう乗って順番に見てると、それこそ映画みたいな感じだけど、
自分がどれに刺さったのかっていうのが結果的にわからないみたいな体験になってしまうんじゃないかなっていうふうに思うので、
僕は結構そういう自分でその過ごし方を決めるっていう意味でも、
どの作品の前でお時間を過ごすかっていうのを選んでいくっていうのは、結構面白い見方なんじゃないかなっていうふうに思いますね。
そうですね、なんかこの質問者さんのご質問いただいているあれでは、
そうですね、なんか私がやっぱこう惹かれてしまうのは、何かしらのジャンプがある作品っていうのに惹かれると思っていて、
1:03:06
ジャンプっていうのはすごいいろんな角度があるんですけど、その質問者さんが言っているような腕前技術的価値っていうのも一個ジャンプだと思うんですね。
普通の人ができないことを何年も修行していった人が作った技術でしか完成できないっていうこのジャンプがあるものもあれば、
なんかその、例えばタイプとしては、例えば南極のどこどこのサウンドを取ってきて、それが使っててみたいな、そういうジャンプの仕方もあるし、
あとはそうですね、なんかそういう距離的なジャンプだったりとか、
この作品をやることによって、なんか例えばこの時代のこの事件なり何かあった出来事の背景が見えてくるみたいなジャンプだったりもするし、
そういうこう何かしらのこう、なんかそうですね、なんか距離を出せるようなものにちょっと惹かれてしまうっていうのは私はありますね。
それはすごく面白い視点だなと思いました。
あとなんか思ったのはその美術作品を見る時に、これが価値があるのかないのかみたいな、その普遍的な一般的にどうなのかっていう見方はそんなに楽しくないんじゃないかなと思っていて、
自分にとって価値があるのかないのか、価値がないっていうのはちょっと微妙ですけど、自分がいいと思えるかどうかっていうので見ていいって思っていて、
でもなんかそれは、なんだろうな、ハートの見方は自由だみたいな、そういうことっていうよりかは、自分の経験とか興味とか、もしくは自分の興味がなかったことに飛ばしてくれたとか、
そういう何かしらの自分との関わり方を見つけられるようなものっていうのを見るのがすごくいい体験になるのかなと思っていて、
あとなんか好きな考え方として、ちょっと友人が言ってたことなんですけど、ノットフォーミーっていう言葉が結構好きで、なんかあんま刺さんなかった作品っていうのも、なんか自分にとってノットフォーミーだっただけであって、
その作品だからといってその作品に価値がないとか、そういうことではなく、自分に刺さるか刺さらないかっていうことだけであるっていう感覚で私は見ていて、
そうですね、なんかそうやって見ていくと面白いのかな、だからさっき言ったみたいに1個1個全部じっくり見ていくというよりかは、自分に1個何かフックがかかったものをじっくり見るっていうような行動になっていってるっていうことだと思うんですが、
1:06:19
だから見るときにわかんないけど、もしかしたら何か自分の中にテーマを持っていってもいいかもしれないし、なんか今日はこういうの見るぞみたいな、ちょっとじゃあ今回は技術的なことを見るぞでもいいし、歴史的なことを見るぞでもいいし、
最近自分がこういうことに関心があるから、こういうことに関するちょっと紐付けられるようなことないかなとか、何か自分の中にフックを持って見に行くっていうのも面白いかなって思ったりします。
面白い。なんかこれは質問に答えるっていうよりは作る人に対しての質問なんですけど、何か刺さる作品に出会って悔しくなることってありますか。
ちょまど それはありますね。なんか結構めっちゃへこむみたいな時あったりします。
そうですよね。なんか結構私もこれいい論文だなって思うと同時にへこむこと結構あるんで、なんかもしかしてあるのかなって、私はその後に関してはあんま悔しいがあるよりは純粋に楽しめてるけど、なんかでもやっぱり作ってたら悔しくなるんだろうなって思うんですよね。
ちょまど なんか普通に2、3週間へこんだことがありますね。
そうですよね。やっぱりね。
ちょまど これもうできてるやんみたいな、自分のちょっと作りたかった風景、見れちゃったわ幸せだったけどみたいな。
わかる。だから結構そういう意味では、なんだろうな、その純粋な娯楽って感じでなかなかいけないですよね。なかなかね。それはなんかすごくわかる感じがします。それはなんかでも創作を真剣にやってるとそうなるものなんじゃないかなっていう気がするし。
でも逆に会ったことない人ともすごいこいつとは友達になれそうみたいな感じを作品から感じたりすることもあるのかなって想像しますけど、実際どうですか。
ちょまど でも、思考回路が逆に近そうだと、ちょっとこいつとは会わない方がいいかもみたいな。
なるほどね。私もそうなのか。
ちょまど 実はそうだとちょっと喧嘩になりそうな感じ。なんか同壇拒否みたいな。
そう、同壇拒否に近い。ほんとそれわかりませんね。
ちょまど 逆に結構遠い手法とか。
1:09:02
バチバチなりそうだなっていうか。
ちょまど 私は友達になれそうっていう意見を聞いて、おーおーおー。
そんな平和な世界じゃねーぞって。
ちょまど 実際バチバチするとかそういうことではないんですけど。
ちょっと緊張感があるというかね。
ちょまど 緊張感が、緊張感がある。
なんか僕がイメージしたのは、論文もそうですけど、すごい昔の人の作品と同じように向き合えるじゃないですか。
なんかそうなった時に、こいつもう死んでるけど生きてたらめっちゃ友達になりそうだなみたいな。
そういうのもあったりするのかなと思って。
もしかしたらメディアートだったり、現代アートだったりっていうのはすごく多いことはないかもしれないんですけど。
研究でもアートでもしかしたらあるのかなっていう。
友達になりたいとかなりそうとは全然思わないけど、でも話してみたいなとか、この人がいてよかったなとか、同じ興味がある人がいて嬉しいなみたいな、そういう感じかな。
なんか難しいですね、そこの。
わかりません?言いたいこと。
お母さん雰囲気。
友達じゃないんだよな。
でもなんかその人がいて嬉しいなと思うし、会えてよかったなって思うし、
なんか大事な存在、それは会ったことないけど大事な存在なんだけど、同じことに興味を持って、同じテーマとか、なんかビジョンを追求してる人っていうのは。
ただなんかでも友達じゃないよね。
そうですね、友達にはならないかな。
そうなんですね。
あと美術の見方っていうので、さっき梁平さんも言ってたと思うんですけど、
同一作家の作品を見るっていう話についてちょっと触れたいなと思って、
作品をまずなんかこう、なんだろ、点で見るんじゃなくて線で、線上で見るっていうのが、私としてはすごく大事なことかなと思っていて、
なので、線っていうのはどういうことかというと、その作家がその展示に出してたその一点だけじゃなくて、
過去にどういうものを作っていたのかっていうことを見ていくと、その作家が今回はこういう表現をしているけれども、
その作家の全体像としてどういうことを一番大事にしていて、またはそれが変遷している場合もあると思うんですけど、
それがどういう奇跡を描いているのかっていうところを見ていくっていうのもすごく面白いポイントかなっていうのは思いました。
確かに。結構そういう展示が好きっていうのはありますね、個人的には。
一人の作家の作った作品の変遷みたいなのが追えるような、そういう形の展示ってそれなりに多いパターンだと思うんですけど、
そういうパターンのやつが結構好きですね、個人的に。絵画とかは多分そういうの多いと思うんですけど。
1:12:03
でもそうだね、現代アートだと結構珍しかったりもするかもしれない。
そうだね、確かに。
現代アートで評価が定まっている人ってすごく少ないわけで、
当然やっぱ絵画とかになるほど、時代の評価を乗り越えて残ってきた人の作品をたくさん集めるってことがやっぱできる一方で、
現代の作家さん、特に生きている作家さんの作品でそういう個展があるっていうのは結構珍しかったりもするかなと思いますね。
そういう機会があるってすごい貴重だったので。
そうですね、追っかけるというか、その作家が、特に生きている作家だったら次の新作が出たりもするので、
気に入った作家がいたらちょっと追いかけてみるっていうのもすごく面白いと思いますし、
そうじゃなくてもうちょっとこの作家面白いなと思ったらちょっと検索して、
過去作をちょっと見るだけでも結構こういうここがポイントなんだみたいなのが結構自分が見た印象とずれてたりすることも多いので、
そういうのすごい面白いですね。
自分が気に入ったポイントがその人にとっては全然中心点じゃなかったりも。
そういうことね。
確かに、その人の歴史を追いかけることができればどんなジャンルでもハマれるみたいな感じで、
多分エピソード92の回では話したと思うんですけど、人生が面白いみたいなノリで話してましたよね。
なんかその一人の人生を通して何かを求めて何かを追求するような生き方を、
プロフェッショナルな生き方をしている人の生き方を知ることがまず面白いみたいな。
それが特に芸術家だと作品という形でそれを目にすることができるっていうところがやっぱりいいですよね。
今後やりたい作品とか興味関心というところでいくと、やっぱり今回の逆さごとという作品で、
結構がっつり民族学的なというか、古い風習とかそのあたりをリサーチしたんですけど、
やっぱりなんかその辺すごく面白いというか、
展示会場でも2人にはちょっとお話したんですが、
その何だろうな、異界とか闇とかあの世みたいなものがすごくこの日常の生活と隣接していた時代のことっていうのがすごく面白いなと思って。
その逆さごとっていう風習自体もそうなんですが、逆さごとっていうのは多分まだ説明してなかったと思うんですけど、
死者が出た時とか、早々の儀式をやるような時にその日常の行動を逆の手順でやるっていう風習があって、
1:15:07
有名なやつだと逆さ屏風、屏風を逆さにする死者が出た時に逆さにするっていう風習とか、
あと着物の右前と左前を変えるっていう風習があったりすると思うんですけど、
そういう風習って結構知られてないやつが割とあったりとかして、
一つ例を挙げると逆さ水っていうのがあって、
湯管って亡くなった方の遺体をお湯で拭く、拭いてきれいにする時に、
お湯を作りたいわけなんですけど、それを作る手順がお湯を水でさばすっていう手順じゃなくて、
手順だと普通の手順なので、それを逆にして水をお湯で温める、水にお湯を入れるっていう手順で、
そのお湯を作らなきゃいけないっていう風習があったりします。
こういうのが結構ちらほらあるんですけど、そういうのを総称して逆さごとっていう風に言います。
この逆さごとにもすごく象徴されてるというか、風に思うんですけど、
日常にあるものをふっと回転させると、反転させるとあのようなことになっちゃうみたいな、
それってすごく現代の感覚ではちょっと失われつつあるものかなと思っていて、
それがやっぱり蛍光灯とか、すごくいつでも明るいような、ある意味家の中に闇っていうものが、
あんまり存在しなくなってきたっていうこととまた関連していくのかなというふうに私はちょっと感じたりしてるんですけど、
その蛍光灯がなかったような時代に、太陽の動きと一緒に生活していたような時に、
時っていうのはもう、闇っていうものがすごく生活の中に入っている、当たり前にある存在としてあって、
そのことと死者の世界とか、あの世異界みたいなものが、少し風習を変える、習慣を変えるだけで出てきちゃうっていう、
隣接してるっていうことが、関連しているような気がしていて、
その辺の時代の風習っていうのがすごく気になってきていて、
はい。
で、この逆さごって今やってる展示の一つ前の展示では、水を使った作品をやってたんですけど、それも水の境界性っていうことについて結構調べたりとかしていて、
水が、水とか川、海みたいな、水に関することが、
1:18:00
この世とあの世の境界のものとして水っていうものが存在していたっていうようなことを、
いろいろリサーチとかしていて、でなんか、そういう感じで、その時代のことをもっと調べていって、
水の作品もちょっと、まだ実験段階ぐらいの感覚ではあるので、それを進めていきたいなっていうのはあります。
っていう軸が一つと、もう一個の軸としては、自分の作品の舞台性みたいなところにも関心を持っていて、
これを今の逆さごとっていう作品でも、中盤でお二人が言ってくれたように、少し舞台的な、舞台美術みたいな要素があるんですが、
それをもう少しこう、意識的に舞台側に少し寄せるみたいなことをちょっと考えていて、
具体的には影と自動演奏ピアノを使った作品っていうのを今考えていたりします。
なんというか言ってみれば、人がいない無人の演劇みたいな部分をインスタレーションとして作るっていうことを考えていて、
人の存在感みたいなものをいかに生成するかみたいなところで、その辺をまた研究の論文の方でもちょっとやっていけたらいいのかなって、今思ってるんですが。
そうか、博士課程の中で。
そうなんです。博士課程だから。
なるほど。
じゃあ作品と論文と両方必要みたいな感じなんですか?
そうです、そうです。
そうなんだ。へぇー。
なるほど。
という二軸で今ちょっと次の展開を考えてますね。
はい、それはすごい楽しみというかですね。
次回の展示も楽しみしてます。
ありがとうございます。
今回の展示、ぜひたくさんの方に、場所もすごくいいところなので、行っていただけたらなと思います。
はい、銀座駅から徒歩4分くらいですね。
是非皆さんに、ぜひ皆さんに見ていただければ嬉しいです。
すごいお勧めですのでぜひ皆さん、行ってみてください。
何か最後、伝えたいメッセージとか、さっきのか。
聴いてください。
聴いてくださいっていう。
そうですね、聴いてくださいっていうことと、
そうですね聞いてくださいということとなんかまぁもしあの美術展とかあんまり行かないけどっていうあの方とか聞いてくださってたら何か何か1個行ってみてほしいなぁと思ったりとかあの今回お話ししたようなあのいろんな視点での楽しみ方があると思うのであの
そうですね行ってみてもらえたら嬉しいですはい ありがとうございましたありがとうございました
1:21:03
それではございましたはいそれでは今回はですねスペシャルゲスト 美術家の加藤さんに来ていただきました
ありがとうございましたありがとうございましたはいございましたください さよならさよなら
01:21:25

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