1. 研エンの仲
  2. #96 上京ものがたり
2023-02-25 1:51:02

#96 上京ものがたり

2023年3月の博士号取得が決まったAyaka。この機会に、地方出身の2人それぞれの大学受験・上京の経緯から、エンジニア・研究者という今の仕事に至るまで、どのような出会いや転機があったのか振り返ってみました。 

Ayakaの博士課程の研究に至るまで1日では語りきれなかったので、今回はAyakaが学部で研究を始めるまで、修士課程での研究とイギリス留学までを収録しています。留学中の経験や博士課程、これまでの研究内容を俯瞰しての振り返りに関しては後日公開予定の後篇でお話します (収録済)。

  • 博士応援うちわ
  • 2人の大学受験の思い出
  • 東進ハイスクール - 林修さんの授業DVDも観ていました。
  • 渋谷109メンズ館 - 全館改装されてMagnetという名前になった。
  • ダイアログ・イン・ザ・ダーク - 完全に光を遮断した”純度100%の暗闇”の中で、視覚以外の様々な感覚やコミュニケーションを楽しむソーシャル・エンターテイメント。東京・外苑前の常設会場が2017年にクローズしたのち、2020年竹芝に再オープンした。
  • 全学体験ゼミナール - 東京大学の前期課程における総合科目のうち、実際のフィールドに出て学び、調査や研究の体験ができる科目。
  • ASCONE - 日本神経回路学会のオータムスクール。
  • ライアンエア - アイルランドの格安航空会社。国際旅客数としては世界最大の航空会社
  • Champalimaud Centre for the Unknown (シャンパリモー財団)
  • Welcome Trust - イギリスに本拠地を持つ医学研究支援等を目的とする公益信託団体
  • IELTS - 「みんなはギリギリマンにならないでくれ! 頼む!」
  • ファーストジェネレーション - 家族の中で初めて大学に進学する世代のこと。
00:01
Ryohei
明けましておめでとうございます。
Ayaka
おめでとうございます。
Ryohei
本年もポッドキャスト、研エンの仲、よろしくお願いします。
Ayaka
よろしくお願いします。
2023年、ウサギ年ですね。
Ryohei
ウサギ年ですね。初収録となっております。
そしてですね、おめでとうございますということで、もう一個おめでたいことがあるんですね。
Ayakaさんから発表お願いします。
Ayaka
前の回、何回か忘れましたけど、何回か前の回に博士論文を提出したっていうのが、会を取ったと思うんですけど、博士論文って提出した後、審査会みたいなのがあるんですね。
で、それを年始一発目みたいな感じで。
Ryohei
1月4日にやったんですか。
Ayaka
そうそう、1月4日に先生方がね、都合付けで集まってくださって、審査会が開かれて一応合格をいただくことができました。
ありがとうございます。
Ryohei
じゃあもう博士ってことですか?
Ayaka
いやいやいや、まだちょっといろいろ、なんかちょっと修正があったりとか、経会議にかけるとか、いろいろあるんで、結局確定というか、ちゃんとしたやつが、賞書がもらえるのは3月になるんですけど、一区切りはついたかなという感じです。
いやー、本当に。
Ryohei
いやー、良かったね。
Ayaka
ちょっと感慨深かったです。
Ryohei
晩はレストランでお祝いをしましたね。
Ayaka
そうですね、なんかいろいろお祝いセットみたいな感じで、いろいろね。
いや、もう急遽大変だった。
お花も。
Ryohei
12時ぐらい、1時過ぎぐらいかなにそれが決まったって言って、で、まさか今日こうそんなね、お祝いな感じになると思ってなかったから、とりあえず発表疲れで、レストランちょっと予約してたんだよね。
うん。
Ayaka
で、でも急遽ちょっと今からプレートとか買ってもらえませんかねって言って、博士おめでとうって言ってね。
Ryohei
ありがとうございます。
Ayaka
プレートも作ってもらって、あとお花も買ってもらってね。
で、あと何でしたっけ?
あ、なんかドンキで買った。
うちは?
いや、おめでとうっていう。
おめでとうの横断幕みたいな。
Ryohei
タスキか。
Ayaka
タスキね。
タスキを用意してくれたり。
Ryohei
ドンキ行ってパーティーグッズみたいなところで探して、なんかめでたいものねえかな。
Ayaka
めでたいもの。
Ryohei
で、いやこれ、おめでとうみたいなタスキ、もう宴会とかでしか見ないけど、でもこれもう人生の中でこのぐらいめでたいことってなかなかないぞって思って、
Ayaka
ちょっと買ってみるかと思って、したらレストランでつけてあげれましたね。
はいはい。
Ryohei
いい記念写真が撮れました。
Ayaka
しかもなんか、こう、うちはも作ってくれたんですよね。
Ryohei
あ、そうだね。
手作りの。
それはね、ちょっと間に合わなかった。
レストランの会議は間に合わなかったので、後日というか、まあ帰ってきてから。
Ayaka
家に帰ってきてからね。
Ryohei
安静させましたね。
Ayaka
そう、ドクター綾香っていう、なんだろう、こう、あるじゃないですか、ジャニーズの応援とかで、
そうそうそうそう。
あの、なんか、キラキラの文字が貼ってある大きなうちは、あれをなんか作ってくれて、で、裏には博士。
Ryohei
博士、漢字でね、めっちゃレタリングしてあるよね。
Ayaka
そうそうそうそう。
いや、ちょっと本当にびっくりしました。
03:01
Ayaka
そこまで言われることある?と思って。
Ryohei
いやもうこれはなんか、祝うチャンスだと思って。
Ayaka
でも嬉しかったですごい。
なんか、私よりも、りょうえさんの方が喜んでくれたぐらいのぐらい喜んでくれたし、
りょうえさんのご両親がすごい喜んでる。
Ryohei
確かにね、実家に帰省した直後だったので、それで4日に審査あるんだみたいな話もしてたから、
それでね、急になんか、この前話してたやつだけど、合格したらしいよって言ったら、めっちゃ喜んでましたね。
Ayaka
はい。もちろん私も後々自分の両親にも伝えたんですけど、先にりょうえさんの両親の方からうちの両親に伝わっていたっていう。
Ryohei
確かに。おめでとうございます。
Ayaka
偽実家LINEが伝わってしまうという。
私まだ自分の親に言ってないっていう。
いや、私終わった後、結構忙しくて、やることがいっぱいあったんですよね。
Ryohei
僕はなんか暇だったんで、なんか合格したらしいよって言ったら、そっちのLINEで伝わってしまって、まさかの。
すみませんでした。
Ayaka
いや、でも本当に嬉しかったです。ありがとうございます。
いや、まあなんか正直、スタートラインに立ったっていう感じの方が強いので、
そんな、こう、多分一人だったらこんなに喜んでなかったなって思うんですよね。
だから、りょうえさんとか周りの人たちが喜んでくれてるのを見て、なんかめでてぇのかもしれねぇみたいな気持ちになりました。
Ryohei
ちなみにですね、このポッドキャスト聞いてる人もしかしたら知らないかもしれないで、博士って何ですかってこと聞いていいですか?
博士って何ですか?
博士号って何?
Ayaka
博士号って何?
Ryohei
PHDってもいいよね?
PHDと同じこと?
Ayaka
PHD、まあ、ドクターオブフィロソフィーでPHDですね。
Ryohei
それはなんか資格?学位?
Ayaka
学位です。
なるほど。
大学を卒業したら、学部の学位がもらえますよね。
で、修士修了したら修士の学位がもらえます。
で、博士課程を修了して論文審査とかに合格すると博士号っていうのがもらえるんですけど、博士号とは何かを一言で何て言ったらいいんだろう。
Ryohei
現物としてはさ、その修了証明書みたいのがあるっていう意味では、なんかその学生なんだろ、いわゆるこの学士を持っている人のものとも実体的には一緒なわけですよね。
Ayaka
まあ、そうですね。はい、ただまあそのなんだろう、何があるんですかね。
Ryohei
研究の世界ではなんだろう、パスポートじゃないけど、やっぱ研究を一人前にできるということの証明として、
Ayaka
そうですね。
Ryohei
使われている分野が多そうですよね。
Ayaka
なんか今wikipediaで調べてみたんですけど、
多くの国の高等教育機関体験の中で当たられる学位のうち最高位のものである、だそうです。
で、まあ、あの、まあそんな感じなのかな。
Ryohei
はい。
はい、じゃあ今回めでたく博士号が取れそうだと。
取れそうだと。
06:00
Ryohei
取れそうだということなんですけど、
なんか彩香さんはいつ頃からその博士課程に進もうと思ったんですか?
中学とか高校の頃から。
Ayaka
いや、全然なんかそんな昔じゃないですね。
想像してもいなかったと思います、そういう意味では。
え、いつだろうな。
なんか研究面白そうみたいな思ったのは、実はあの、東大のオープンキャンパスなんですよね。
Ryohei
オープンキャンパスってこう意味あるんだって。
なんかそういうことにもなるんですね。
Ayaka
いや、なんか私、あ、そうで、なんかもともと私サセボの、
あのサセボって皆さんどこかわかりますか?長崎県なんですけど、
長崎県のサセボにから18年たぶん出たことないというか、
ずっとそこに住んでて、親も転勤とか全然そういうのなかったんで、
そこの実家におじいちゃんと、おじいちゃんが建てた家にこう家族で住んでいて、
で、なんか旅行とかでもね、そんなディズニーランドに子供の頃家に連れて行かれたぐらいで、
全然海外とかも行ったことなくて、
で、なんだろう、だから外の世界を全然知らなかったので、
東京も、だから東京ディズニーランド以外ほぼ行ったことないんだ、そういう意味では、その高校生ぐらいまで。
一応、なんか、公立中高一貫校みたいなところに入ってたので、
そこの、なんだろう、修学料が結構独特で、
なんかすべてを日本一を体感しようみたいな、すごいなんか熱いね。
公立中高一貫校って、なんかちょうど私たちが、たぶん中学生ぐらいのときにでき始めた新しい形態で、
なんかもう60周年ぐらい経ってる高校の下に、なんか中学ができ始めたんですよ、その中等部みたいなのができて、
で、私そこの二期生とかだったの。
だから二期生ぐらいって、一期生二期生のときって先生もやる気があるし、
なんかいろいろ新しいことしようぜみたいな雰囲気があって、
Ryohei
初めての研修旅行とかも企画するっていうことができるわけです。
Ayaka
で、それがあったんで、なんか、なんだろう、みんなやる気を出して、
富士山に登り、その後、ディズニーランドに行きみたいな、
灯台に行き。
そうそうそうそう。国会議事堂とか目の前通るだけだけど行き出しに。
Ryohei
なるほどね。
Ayaka
っていうのをやったんですよ。
なんか、やったんすよっていうか、
連れてってもらった。
連れてってもらって、だからそれが、なんだろう、ディズニーランド以外の東京に行った唯一だったんだよね。
で、それぐらいなんかあんまり、旅行でもそういうとこ行ったことなかったし、
なんか基本九州、旅行といったら九州の中で車で行く以外で、九州から、
Ryohei
九州ね、いろいろあるからね。
Ayaka
そう、九州からは、
Ryohei
山あり海あり、食べ物もおいしいし、沖縄もあるしね。
Ayaka
そうですけど、九州からほぼ出ることがなかったんですよ、その18年間の間ね。
09:02
Ayaka
で、ただまあ、そういう中高一巻校を作った先生たちって、やる気がある先生たちが集まってたのもあって、
で、私はたぶん、高一とかまでずっと、なんか求大を目指してた、九州大学。
Ryohei
九州大学。
Ayaka
福岡にあるやつですね。
で、だいたいあの九州の人間はそこが一番だと思ってるので。
Ryohei
求大えらいってやつね。
Ayaka
そう、求大を目指していて、
で、もう学校の方針もね、そんな感じなんですよね。
なんか、長崎大学、長崎大学と九州大学と東大以外の大学は、お前ら知る必要がないみたいな感じの、
Ryohei
わかりやすい世界観だね。
いずれにせよ、五教科七科目をやる必要がある。
Ayaka
そうそうそうそう。
Ryohei
だから、基本的には一緒だっていうことね。
Ayaka
そうなんです。
それ以外の選択肢を考える、なんだろう、考えさせもしてないっていう、
今思うとどうなん?って思うけど、
当時はそういう感じだったんですよ。
で、私は求大をとりあえず目指してたんですけど、
先生の価値観としてはそうだからさ、
求大に行けそうなやつ、成績良さそうなやつは東大を目指させたいわけです、先生たちからするとね。
それで、高1ぐらいの進路相談の時に、
お前ら、お前らってか、お前は東大を目指せみたいなことを言われて、
で、ほーんって思って、
その時は、なんかあんまり、自分の中でも響いてなかったんですけど、
高1かな、高1の夏休みだと思うんですけど、高2かな、どっちかに、
オープンキャンパスで連れてってもらったんですよね。
学校の先生が演説してくれて、
で、東大の。
いいね。
そうそうそうそう。
まあ、先生たちもね、葉っぱかけるからにはこう、
ちゃんとやる気にさせようとしてくれるわけですよ。
で、東京連れてこられて、
で、なんだろう、
ちょうどその本郷キャンパスで、たくさんいろんな先生が研究の話とかしてるんですよね。
それ聞いて、
で、なんか、その当時からちょっと生物学とかには興味があったから、
めっちゃ面白いな、みたいな、思って、その講演とか見て、
で、なんか、こういう話もっと聞いてみたいと思ったし、
なんか自分自身もこういうことやってみたい、みたいなことを、
なんか思って、
で、そこ、それまではなんか正直学校の先生が言うからまあ、みたいな感じだったんですけど、
それからはなんか明確に私も東京行きたい、みたいな気持ちになって、
っていう感じでした。
だからすごいあれだよね、なんか狙い通りみたいな感じだよね。
オープンキャンパスやる側もさ、
しめしめみたいな。
先生もさ、
なんかさ、狙った通りに動いてくれたな、みたいな感じじゃない?
Ryohei
いや、でもよかったね、その、
ね、オープンキャンパスで講演頼まれる先生もさ、
普段の研究の業務をありつつ、
なんかいろいろ準備してくれたわけで、
でも、なんかこうして、
一人の研究者が生まれたわけで。
Ayaka
こうして一人の博士が生まれた。
そうそう。
確かにね、そう考えるとすごい、
12:00
Ayaka
いや、全く考えたことなかったんですよ。
そもそもなんか、
私は両親ともに、
高校卒業して、そのまま働いてて、
で、なんか、でも両親はすごい、なんだろう、
大学までは、自分たちはいろいろ経済的な理由とかで、
行かせ、自分が行くことができなかったから、
子供は大学には行かせたいって思ってたんですよね、すごい。
で、だからって言って、別に全然、
教育パパママでは一切なかったしも、
まじ、あんたは自己責任で生きていきなさい、みたいな。
自己責任っていうことだけを教えられて育てられたんだけど、私。
そうそう。で、なんか、
だから全然、そういう親からのプレッシャーがあったわけじゃなかったんだけど、
Ryohei
ま、塾とかもね、ほとんど行ってなかった。
Ayaka
そうね、一応なんか、自習室とか使わせてもらってたから、
Ryohei
進学実績にはなったってこと?
Ayaka
そうそう、進学実績にはなったんだけど、
なんかまあ、そんな感じで、
だからこう、周りにもあんまり大学行ってる人がいない環境だったから、
そもそも自分が東大を目指せるっていうこと自体が、
あんまり信じられない環境ではあったんだよね。
なんか状況として。
でも、そのオープンキャンパス行って、
なんかすごい楽しそう、こういうことやってみたいみたいな、
思ったことがやっぱりすごい大きかったなって、今思い返すと思うかな。
それでそのままね、研究して博士まで取っちゃうんだから、
Ryohei
すごいよね。
Ayaka
すごいよねって自分で言ったらね。
一直線じゃないですか。
Ryohei
でもまあ、いろいろ迷いはあったりしたんですか?
Ayaka
あったあった。別に全然一直線じゃなかったし、
なんか、こう、そうなるとですね、
まあ、世の中今、博士課程が減ってるとか、
博士は何か稼げなくて大変とか、
いろんな話があると思うんですけど、
逆に言うと、あんまりそういう感覚がなかったんだよね。
知らなかったから。
で、し、こう、何だろう、茨の道だぞみたいな感覚も、
まあ、もちろん中にいたらね、大学に入ってから知ることになるんだけど、
でも、なんか最初の動機の時点では、そういうことあんまり知らなかったんだよね。
まあ、親も知らないし、私も知らないから、
それもあって、親もなんか止めたりしなかったんだと思う。
終始で就職しとけとか、
たぶん逆にすごい、ご両親高学歴だったりすると、
止められたりするのかもしれないんだけど、逆に。
Ryohei
他の選択肢とかをね、こう知ったりしてるし。
Ayaka
そうそうそう。
うちの親はマジで、なんか、よくわからんけど、まあ、頑張れって感じで、
ずっと応援してくれてたんで。
Ryohei
まあ、上級をすると、結構そうなりがちな気はするけどね。
Ayaka
まあ、そうね。
Ryohei
うちもまあ、東京に出た時点で、
結構、よくわからんことやっておるわいって。
僕の場合、特にかもしんないけど、
あったのは、そうでしたね。
それ似てるかもしんない。
Ayaka
そう、そんな感じでした。
私は、なんか、そんな感じの状況ストーリーなんですけど。
状況ストーリー。
Ryohei
状況、状況でいったん。
Ayaka
うん、そうね。
私はそんな感じで、まあ、あの、受験を決意して、
まあ、なんか、でも、ほんと運良くって感じで、合格することができて、
まあ、上京したっていう経緯でしたね。
15:02
Ayaka
りょうさんは、なんか、りょうさんも地方から上京組だし、
その、そういう有名な市立みたいなところじゃないじゃないですか、出身が。
Ryohei
なんか、どんな感じで、こう、行こうと思った?
僕は、そうだな。
まあ、でも、かなり似てる。
その、公立高校、公立中高一貫校っていうのが一緒なのは、結構珍しいと思うんですけど。
Ayaka
ね、そんなに全国に多いわけじゃないですからね。
私、ほんとに出来立てだったから、私たちの時期。
Ryohei
結構、そういう話も合うよね。
なんだろう、学校の、なんか、思い出話とか聞いても、なんか、結構似た話。
やっぱ、ちょっと尖ったというか、こう、やる気のある先生多くて、すごい楽しかったなってことだし。
なんか、受験対策とかも、あんまり、こう、確立されていなかったから、正直。
かなり、なんか、たまたまというか、その、ちょっとパズルっぽい適正検査の入試があるんですね。
その中学の時点で。
Ayaka
中高一貫に入る。
Ryohei
中高一貫に入るための。
なんか、それも結構、なんだろうな。
Ayaka
僕は、なんか、漢字ドリルとか勉強して、なんか、効果あったんだなって思いつつ。
結構、運的なところもありますよね。
あの、なんだろう、建前上は、普通の中学入試みたいな試験をやっちゃいけないことになってるから。
効率だからね。
効率だから。
だから、こう、小論文とその適正検査っていう、よくわかんない、なんか。
そうね。
いわゆる、たぶん、中学受験した人からすると、たぶん、簡単なんじゃないかなとは思うんですけど、
まあ、そういう、なんか、パズルみたいな問題とかされるっていう。
Ryohei
まあ、なんか、そういう、なんだろう、考えたりすることが好きなっていう意味では、まあ、向いてたらなと思うけど、
なんか、こう、ガチで、あの、入試対策とかがしっかりしてきた後の時代に、また受けて受かったかというと、ちょっとわからないなっていうか。
Ayaka
ね、ね。
そう、だから、りょうさんも三期生とかなんですよね。
そうだね。
だから、かなりできてすぐで、まだ、たぶん、対策が確立してない頃だったから、入れたのも、私もけっこう運があったなって思いますね。
ちょっと、状況お話から、中学から始めちゃったけど。
中学から始めちゃった。
なぞに。
Ryohei
でも、なんか、でも、私も中学、中高というか、まあ、わかんないですけど、その、いた環境にいなかったら、九州から出てなかったんじゃないかなと、思いますね、やっぱりね。
ちなみに、この辺の話は、次に出る予定の内越くんゲストの回にも、一緒に聞いてもらえると、すごく、なんだろう、まあ、なんかつながるかなとは思います。
僕らの個人的な話なんですけど、こういう人たちが話してるんだっていう話として、こう、参考になるというか、面白いかなと思います。
で、戻ると、そうだな。
僕も、なんか、東京大学に行きたかった理由ってのは、やっぱ、でも、僕の場合は、なんか、より、その、東京って町が面白くて、何度か行ったことあったり、
Ayaka
研修もそうだけど、なんか、旅行でも友達と一緒に行って、
Ryohei
渋谷とか新宿とかの町とかを、こう、なんか、あ、こんなところあるのかとか、
18:05
Ryohei
なんか、美術館とかも結構、その、好きだったね。地元の、なんか、結構、家から近くに、まあ、それは結構ラッキーだったんだけど、
岡山県立美術館っていう美術館って、なんか、行ってたんだよね。まあ、それもマジ近くにあるから、図書館、美術館みたいな感じで行ってた。
だから、でも、それはかなり、なんか、運が良かったっていうか、なんか、面白い体験だったかなと思うんだけど、
だから、その延長で、東京にはすっげえでっかい美術館があるらしいぞって言って、行ってみたんだよね。
で、そしたら、いや、なんか、ちょっとインスピレーションというか、
いや、まあ、なんか、都市というか、こんな集積されている場所っていうのは、なかなかないぞと。
その、東京にしかね。だから、まあ、ここで、こう、大学生活を過ごすっていうのは、結構意味がありそうだ、みたいなことを思ったんですよね。
で、まあ、なんか、そっから、まあ、勉強をしようってことになって、まあ、勉強して、
まあ、でも、どうだろうな。なんか、それも、わりと、こう、
僕は、なんか、あんまり、こう、苦しんで、つらい勉強をしたっていう感覚が、そんなに、こう、なくて、
まあ、なんか、これは、ちょっと、どう聞こえるかわからないで、なんか、まあ、あの、あれなんですけど、
まあ、でも、なんか、正直に言うと、結構、なんか、まあ、楽しくやってたなっていう感じはある。
なんか、教えるのも好きだったし。
Ayaka
友達を集めて、なんか、勉強合宿みたいなのやってたんですよね。
Ryohei
まあ、なんか、一人でやっても、なんか、面白くないし、っていうことで、まあ、なんか、朝、早朝に友達とファミレスで勉強したりとかもしたし、
なんか、うん、そういう自習空間をね、とんあつ開拓して、ここはいいらしい。ここはクーラーが効いていて、
Ayaka
え、水道とかってことですか?
Ryohei
あ、水道とかもそうだし、なんか、障害学習センターとかもあるので、自転車でちょっと行ったところで、
で、なんか、そこは、なんか、何時までクーラーが効いていて、どうだこうだみたいな、ここには、なんか、いい椅子があるぞ、みたいなことを共有して、
なんか、やってたし、あとその、さっき言った勉強合宿っていうのは、あの、東新ハイスクールっていうね、
あの、今で一緒の先生がいるところですけど、あの、あそこの模試があったんですね。
うん。
あれ、東大模試とか受けて、なんか、判定によって、あの、招待してくれると。
まあ、要は、あの、実績稼ぎなんですけど、塾にとってはね。
うん。
でもまあ、僕らにとっては、まあ、お金払わずに、こう、有名な先生の、あの、講義に来るっていうのはすごいいいわけですよ。
うん。
じゃあ、それに行こうじゃないかって思ったけど、まあ、当然のように、大阪と東京しかありませんって言われるんですね。
そんなんね、何日も行けないから、どうするんですかっていう人のために、DVD送ってあげてもいいですよ、みたいなことが書いてあって、いいじゃんと思って。
で、じゃあ、俺、数学と物理を申し込もうと。
うん。
そしたら、なんか、友達が、いや、俺もなんか、なんとか判定、まあ、C判定、B判定とかによって、何枚もらえるか決まるんですよね。
Ayaka
へえ、そうなんだ。
Ryohei
で、それで、じゃあ、じゃあ、俺、社会取るわ、みたいな感じで、みんな分散して、こう、取ったわけですよ。
へえ。
で、これ、みんなで見ればよくねって言って、で、なんか、あの、県の施設みたいなところを借りて、じゃあ、合宿しようって言って、勝手に。
で、あの、生徒だけで、あの、合宿をしたんですね。
21:03
Ryohei
まあ、それは、まあ、割り勘で、まあ、その、ね、本当に、あの、公営の施設なんですごい安いんで、まあ、親に出してもらって、みんなで、まあ、無料で勉強合宿をしたわけですね。
おお、すごいね。
で、そしたら、なんか、先生とかも、なんか、まあ、たぶん、なんか、そういう、そこまでやる人は珍しかったのかなとは思うんですけど、なんか、見学というか、なんか、来てくれて、で、なんか、こう、ちょっと、講義もしてくれるわけですよ。
Ayaka
お前ら、やっとるな、みんなで。
Ryohei
そうそうそう。で、まあ、今思うと、なんか、先生も、なんか、そんな、予備校の、なんか、授業とか見る機会ないわけじゃないですか。
Ayaka
ああ、確かに、確かに。
Ryohei
事件対策の、あの、東大に特化したような、講義を、こう、してくれるのを聞く機会ないわけじゃないですか。まあ、ちょっと偵察の意味もあったかなと思いますけど。
Ayaka
へえ。
Ryohei
うん。まあ、なんか、そんな感じで、結構、あの、楽しくやっておりました。
Ayaka
いやあ、すごいですよね。私、りょうへいさんが、そんな、なんか、こう、状況、友達と旅行で東京とか行ってるのを聞いて、クシティボーイめみたいな気持ちになりましたよ、今はちょっと。
Ryohei
確かに。それはでも、なんでだったんだろう。なんか、でも、あの、夜行バスで行きましたよ。
Ayaka
へえ、いいなあ。いやあ、なんか、全然、その、友達と旅行で東京に行くみたいな、なんか、想像が、こう、サセボの民にはちょっと遠いから、東京は。
まあ、確かに。
まあ、飛行機に乗らないと基本的に厳しいんで。
Ryohei
他には、ギリギリ夜行バスで10時間ぐらい乗れば、行けるっていうのがあって。
Ayaka
すごい。でも、新幹線で行ったな、そういえば。
おお。
あの、最初のオープンキャンパス。
結構、時間かかる。
さすがに、受験のときは飛行機使ったんですけど、オープンキャンパス、たぶん、新幹線で行きましたね。
すごいな。
Ryohei
長かったな。
5、6時間。福岡から5、6時間ぐらいかかるね。
Ayaka
そうですね。で、福岡からさらに電車で2時間ですね。サセボ駅まで。
7時間の旅か。
電車で。まあまあ、でも、楽しかったですけどね。
だから、私にとっては、オープンキャンパスの東大の様子と、あと、なんかちょっと自由時間があったから、高校生ですよ、私。109とか行くの。
Ryohei
109、当時のギャルズ世代。
Ayaka
ギャルズ世代だからね。で、ギャル服とか見に行くわけ。で、あの、東京はすげえとこだってなるわけですよ。
Ryohei
俺は東京さ行くぞ。
Ayaka
そうそうそうそう。
懐かしいな。
Ryohei
でも、当時のギャル服ってどのぐらいの盛り上がりだったの?
Ayaka
いや、でも、もうギャルとかいない時期だったね。
でも、私は、サセボのね、長崎にずっといたんですけど、洋服とかすごい好きだったんだよね。
だから、セブンティーンとかノンノンとか買って、切り抜きとかしてたんですよ。
で、本当にその服買える場所に初めて行ったのよ。やばいよね。今みたいにやっぱさ、通販がないからさ、行かないと買えないんだよね。
確かにね。
Ryohei
いや、109な、なんかこう田舎の高校生にとっては109って場所がすごい、すごい場所に違いないっていう妄想をいろいろ膨らませるわけですよ。
僕も、今思うと笑い話なんだけど、大学1年生になってね、上級してね、どこで服買えばいいんだってなって109メンズ館に行ったんですよね。
24:03
Ryohei
だいぶ面白いじゃないですか、その時点で。
Ayaka
ギャル王になりたいのかっていうね。
Ryohei
109メンズ館に、当時行ったことある人っていうのは非常に少ないと思うんで、一応解説をすると、まあそうですね、ギャル王ファッションの服しか売ってないんですよ。
Ayaka
で、なんだこれはみたいな、普通の服がないのか?ってなって、普通の服ってどこで買うんだ?って。
なるなる。田舎から出てくると、本当に服買う場所、どこで買ったらいいのかわかんないから。
Ryohei
ライトオンはどこだ?って。
Ayaka
確かに。
イオンしかないんですよ、教席に。だから、イオンがない時点で積むんですよ。
都会にはイオンがないって。
Ryohei
なんだ、おいおいって建物は。
Ayaka
あ、丸いのことね。そう、おいおいだと思った。
Ryohei
デタだけどね。
デタだよね。
ネットがないから、今状況する人はあるあるを先に知ると思うんですよ。おいおいじゃねえよっていうのを先に知るんですけど、普通に素直にやるんですよね。
わかるわかる。やらかすよね。本当に。
それはありましたね。懐かしいな。
Ayaka
懐かしいね、その感覚。いや、わかんなすぎてさ、私、地元の高校から何人かで上京してたんですけど、その何人かでみんなで服買いに行ったりとか。
かわいいよね。
めっちゃかわいい。
なんか、私以外結構男の子が多かったから、ある男の子の服を選びにみんなで服買いに行ったりとかするの。
で、いや、この服はこっちの方がいいよとか言ったりする。
いや、いい話だな。
いや、そうそう。いや、その状況多分あるある。
Ryohei
うちの大というか、高校中学の同期も、上京した人でも、なんか4、5、6人とか、7、8人とかそんなもんだったんで、結構その団結感というかね。
Ayaka
あるよね。
Ryohei
大学の、同じ大学行ってたら、そのね、講義の情報とか、なんか合宿の状況とか、いろいろ報告したりとかしてましたね。
Ayaka
でも、やっぱり田舎から出てくると、なんだろう、東京にずっといた人たちの、なんかこう、これが普通感に打ちのめされませんか?
Ryohei
そうね、たしかに。
なんの状態なんだろう。
Ayaka
打ちのめたときから東京にいた人がいるって。
びっくりする。
それはそうなんだけどさ、それはいるんだろうけどさ、なんかちょっとびっくりするっていうか、
特に、やっぱ東大は、そういう周りの新学校からの入学者がすごい数が多いじゃないですか。
で、みんないろいろ詳しいんですよね、東大のシステムについて。
こっちは初めてなのに、なんかもう友達とかから聞いて、知ってるみたいな。
なんかみんな友達もいっぱいいるみたいな、どうしようみたいな。
Ryohei
たしかにね、いやーそうだね、なんか一番最初のね、自己紹介とかで、もうすでにこう学校名を聞いたら、
あ、ああいう学校ねってみんな知ってるみたいなのを、え、どういうことどういうことみたいな感じで、なんかね、そわそわして。
Ayaka
そうそう、やっぱサセボから出てくるとみんな知らないから、
サセボって言うとみんなハウステンボスとか、こう、
Ryohei
サセボバーガー。
Ayaka
バーガーとか言って、あ、そうそうそう、それです、みたいな。
27:00
Ayaka
確かに。
感じだよね。
いや、なんかやっぱり、あとは、こう、何だろう、いろんなことにすごい興味があって、なんかサークルも私たくさん入ってたんですけど、映画サークルとかね。
で、なんかこう、なんかちょっと意識高い系のサークル、なんかハーバードと交流するようなやつとか、なんかいろいろあるじゃないですか。
その辺ってこう、なんかセレクションとかあったりして、
Ryohei
ああ、あったね、セレクね。
Ayaka
怖いんでしょうね。
Ryohei
たしかに、セレクあるサークル全然。
Ayaka
私も怖くていけなかった。
だって、学生同士でセレクションって何?ってなるじゃん。
Ryohei
そう思うと、こう、ねえ、何が起こってなんだっていう。
Ayaka
そう、だから、なんかそういう系のも全然いかなかったし、なんかテニサーとかにも私は入んなかったんだけど、なんかやっぱこう、怖かったね、そういうこう、慣れてる人たちが。
なんかそういうのもあって、本当は、なんだろう、留学とかも当時からちょっとは興味あったんだけど、自分よりやっぱ圧倒的に英語ができる人たちが周りに多いわけで、
たしかに。
なんか私は本当に受験英語しか知らなくて、なんかだったのもあって、なんか本当に自分がやりたいことっていうのなんかあんまりこう、出せなかったなって、今振り返るとちょっと思うかも。
特に大学1、2年とか。
そうそう、1、2年生の時は。
で、なんかそんな時に、またなんかこう、なんだろう、こう、講義というかを聞いて、なんかやっぱちょっと研究自分でもやってみたいなみたいな思うことがあって、
で、なんか大学2年生とか3年生ぐらいから研究を始めたっていうのがあったんですけど、それはやっぱりなんだろう、こう、研究室の中ってあんまりそういうなんだろう、こう、東大ないヒエラルキーみたいなのを感じずに住んだというか、
自分がその先生に何か教えてもらえるっていう感じの状態だったから、なんかそれもあって、だからなんか地方出身だったからこそ、なんか早めに研究を始めたっていうのもあったかもしれないです。
その周りに対する焦燥感みたいなのもあったし。
Ryohei
なんかやりたいことを日産に選択していくと、そこにたどり着けたっていうのもある。
Ayaka
そうですね。
Ryohei
まあなんか、留学、まあなんか、今振り返ると、例えばそこで、留学行って海外で研究を始めようみたいな選択肢もあったけど、なんか、こう、それより、今素直にここにいる場所から研究を始める方法っていうのを探してるっていうのを感じた。
Ayaka
まあ、そう、そうかな。
まあ、というか留学とかにも興味あったんだけど、そっちは学部生の時には全く手が出せなかったっていうか、
Ryohei
まあ、要件的にも。
Ayaka
うん。
なんかまあ、自分の状況的にも、あれだったし、なんかもう周りが、なんか恐怖症みたいな人もいっぱいあるし。
Ryohei
まあ、東京来る時点で既に留学だからな。
Ayaka
そうそう、そうなの。そうなんです。
いや、それほんとわかってほしいんだけど、東京出身の人に。
もうこっちは留学してんだよ、とりあえず。
Ryohei
確かに。
こっからさらに別の場所に行くっていうのが、なんか、いや、そもそもまた東京をエンジョイしてませんし、みたいな。
Ayaka
そうそう、そうなんですよ。
Ryohei
そういう感じもあるよね。
Ayaka
それな、そうだったのです。
でも、やっぱ研究してると、海外PhD行きたいみたいな人に出会う機会が増えるんですよ。
30:04
Ayaka
確かに。
で、なんかこう、私は、それこそ学部4年生の時かなに、なんかこう、オイストのサイエンスチャレンジみたいなのに参加したんですよ。
で、それは春にやってる。
Ryohei
オイストっていうのは沖縄の。
Ayaka
沖縄の、はい、大学院、大学で、すごいキャンパスもめっちゃかっこよくて、研究もバリバリ。
Ryohei
すごい研究実績がある、有名な大学ですね。
Ayaka
実績もできるすごい良いとこなんですけど、そこは大学院からしかないので、学部生をそうやって招待したりとかしていて、
なんか、いろんな分野の本当に、自然科学系だったら、物理から生物からいろんな人たち、科学もなんかなんやらかんやら全員集まって、
なんか、学部生の人たちがオイストでどういう研究ができるのかとか、いろいろ体験するっていうプログラムがあって、
それすごい楽しかったんですけど、そこに来てるような自分以外の人たちっていうのが、やっぱ、全然見てるところが最初から違う感じの学部生が多かったんですよね。
私はもう4年生だったから、日本で大学院に行くことを決めてたんですけど、その時点で、私は結構早くから研究を始めさせてもらってたのもあって、
ちょっとした業績はあるっていう状態だったんですけど、それだったら、なんで海外目指さないんですか?って言われて、
なんでもくそも考えたことないっていうか、海外大学院に自分が行けるとは、学部の時には全然思ってなかったから、なんでもくそもねえよって思ったの。
Ryohei
その感覚はわかるな。
Ayaka
でも、その人たちからすると、なんでチャンスがあるのに、それを生かさないんだっていう感覚だったと思うんだよね。
で、そこで、自分がなんだろう、学部2、3年生の子たちと比べても全然英語ができないっていうことを感じたりとか、なんだろう、
頭の中にアイディアがあるのに、英語がしゃべれないから、それを伝えられないみたいな経験をして、
で、なんかそれから留学を真剣に考えるようになったっていうのはありますね。
煽ってくれた子のおかげかもしれない。
Ryohei
その人にとっては、ここは自然な感覚というか、自分はこうでこうで留学を選択したけど、
Ayaka
あなたは結構似たモチベーションを持ってるようだけど、そういうのを考えてないのって、割と純粋な質問だったと思うんですよ。
別に全然煽るつもりはその人にはなかったと思うんですけど、やっぱり東京出身の人がナチュラルに海外を目指すのと、
地方から出て東京に来た人が、そっからさらにまた留学を考えるっていうのはまた別な気がするんですよね。
Ryohei
それはなんか僕は今、外資系の会社にいますけど、それも結構近いものを感じるかな。
東京の人ってわけじゃないけど、自分の知り合いとかに、その人が東京出身だからっていうことを持続させる必要はないかもしれないけど、
なんかでもすっごい素直に聞かれたんですね。
外資の会社とか、東京の東大の学位を持ってるんだったら全然応募できると思うし、
33:02
Ryohei
英語も喋るんでしょうみたいな。
僕は海外旅行とか行ったぐらいだったから、いやいやって思ったけど、
まぁでもいけるのかもしれないみたいな、受けてみるかって感じで受けたわけですけど、
なんかそういう人がいなかったら、なんか目指さなかったというか、なんか考えもしなかっただろうなみたいな。
自分が英語圏で英語の環境で働くっていうことは考えなかったろうなと思うし。
それはなんかあんま自分から出てこない発想。
東京にいる時点でもうすでに留学っていうのは、自分で言ってて本当にそうだなっていうふうに思いました。
そこですでにジャンプしてるから、そっからっていうのはね、あんまり最初は考えてなかったですね。
Ayaka
うんうん、そうですよね。
なんかこう、私は学部の時に、なんかそうやってこう自分からなんかこう、なんだろう、研究を始めようみたいな感じで始めてみたんですけど、
りょうへいさんの中でエンジニアとしてやってみようって思ったきっかけとかってなんかありますか?
Ryohei
なんか自分も結構その脳科学だとか神経科学の研究に興味があって、
で、なんかそういう学部に行って勉強しようかなって思った時期もあったんですけど、
なんか結構並行していろんな興味を探っていて、その大学1年生とか、なんかいろんな人にインタビューするサークルとかに入って、
本とかも好きで、本の編集とかも興味あったから、そういうインタビューをまとめて本を出版するみたいな、そういうサークルにいたんですね。
それはメインの活動のうち1つで、非常にたくさんの他の活動をしていて、
その中でパフェ部をやったりとか、ロシアの大陸横断の旅行に行ったりとか、
Ayaka
そうですよね、あれもすごかったですよね。
Ryohei
とか、その同じメンバーでアメリカを横断してみたり、横断部みたいなのできたりとか、
謎の面白い人がいっぱいいるサークルだったんで、すごい刺激を受けたんですけど、
Ayaka
その中で1人インタビューした人が、ITベンチャーの社長の人で、その人がバイトしに来ないよ、みたいな感じで。
そういうサークルの経緯だったんだ。
そうですね、それはきっかけですね。
Ryohei
で、そこから始まって、結構面白くなってきた、バイトの仕事が面白くなってきた時期に、
休学して1年間やってみたらどう?みたいな話をされて、で、ちょっとなんか面白そうだな、みたいな。
あと、大学の勉強も、1年の後半になってくると、こんな感じか、みたいな謎のなめが発生して。
Ayaka
なめが発生して。
Ryohei
あるあるだと思うんですけど、で、なんかちょっとやってみようかな、みたいな感じで、休学をして、そこで働くことになって、みたいな。
Ayaka
だからもう、なんか同級生が普通にまだ大学行ってるときに、休学して、フルタイムで働いてたんですよね。
Ryohei
そう、だからサークルとかも全部やめなきゃいけなくなって、それはちょっと寂しかったけどね。
特にバンドサークルだったんで、2年3年ってなって、いろんなバンドに誘われるみたいな人だったんですけど、
36:05
Ryohei
自分の中でも、サークルの人間関係とかは、別にサークルをやめたって終わらないっていう謎の確信というかはあって、
友達であり続けることができるんだったら、1年お休みするっていうのは、そんなに、それよりも結構面白い体験っていうのが起きそうだなと思って始めたんですね。
で、1年間インターンシップみたいな形で働かせてもらって、すごい、なんかそれはいい体験というか、ありがたかったですね。
そこで初めて海岸にも行ったし、行かせてもらったし、なんかそういう経験を経て、また大学に戻ってきて、
で、学部選択では、そういうエンジニアリングをもっとちゃんと勉強してみようと。
Ayaka
なんか言語とか作ってましたよね。
Ryohei
言語というのはライブラリーですね。
で、かつ僕が最初に、一番最初に作ったっていうよりは、一緒の時期に、同時期にインターンしてた友達が作ったものを、僕が発展させる形で広めていったり、
それを本とかを書く、1章とか2章とか、文的ですけど、書いたりとか。
Ayaka
めちゃくちゃすごいですよね、それは。
Ryohei
結構なんか面白いことやらせてもらったなとは。
本当に僕がやったっていう感じでは全然ないんですけど、そこで面白い経験をたくさんさせてもらったなって感じはしますね。
Ayaka
すみません、なんか再言っちゃった。それで学部が。
Ryohei
そうそうそうそう。で、その大学に戻ってきた時に、一応まだ選択肢あったんですね。
神経科学とか脳科学とか面白そうだし、それをちゃんと勉強しようかなっていうのと、
そのプログラミングっていうのをしっかり学んでみようかなっていうことで、
プログラミングは会社に入ってしまう仕事として勉強しながらやったりしていて、
で、それをもうやったしなみたいな気持ちもあったけど、
やっぱその、実地というかリアルな現場でちょっとやらせてもらったことを、
もっと体系的に勉強したら、なんかより深く学べるんじゃないかみたいな。
普通の人は、それ逆の順番じゃないですか。勉強してから仕事するわけですよ。
Ayaka
確かに。
Ryohei
仕事をして、というか、まあ、し終わってってわけじゃなくて、続けてたんで、仕事は。
なんで、しながら勉強するっていうのは、結構より面白いんじゃないかと思って、
エンジニアリングの仕事、分野に進もうと思って、学部を選択したと。
Ayaka
なるほど、でもそれって、なんかなんだろう、社会人大学院で入り直す人とかのモチベーションを、
学部のときに持ってたってことですね。
Ryohei
それは、なんか本当にラッキーだったなと思うし、
Ayaka
今の大学生とかは、よりインターンとか増えてるし、
Ryohei
増えてますよね。
そういう人も、結構少なくかないんじゃないかなと思います。
39:01
Ryohei
まあ、でも、これはあれですよね。
学部選択が、大学2年生ぐらいで起こるっていう、東大と他にどのぐらいあるのかわかんないけど、
そういう大学でしか起こらないかもしれない、現象かもしれないですね。
Ayaka
まあ、その働いた経験をもとに学ぶことを選ぶっていう。
Ryohei
学部の1年、2年で働いてっていうのはね。
なんかいろいろラッキーは重なって、
エンジニアリングをもうちょっと勉強しようってことになるわけですね。
Ayaka
なるほど。
Ryohei
いやー、でも学部のとき、お互いいろいろめちゃくちゃいろんなことしてたよね。
まあ、そうだね。
まあ、でも、それはなんか、自分たちにとってはすごい自然だったと思う。
Ayaka
まあ、そうですね。
私はでも、親からかなり心配されてました。
心配されてたっていうのは、なんか、え、あんたもう次から次に予定を詰め込んで、みたいな。
予定詰め込みすぎだと思われてた。
Ryohei
まあ、それは俺も一緒だな。
Ayaka
もっとなんか、予定に余裕を持ちなさい、みたいな。
Ryohei
そうね。
Ayaka
サークル3つも4つもやってたじゃん、お互い。
確かに。
私はなんか、暗闇を作るサークルとかやってました。
Ryohei
楽しいって、ポッドキャストしたことあったっけ?
Ayaka
ないかもしれない、もしかしたら。
たぶんしたことないんじゃないかな。
Ryohei
すげえ、中二病みたいな名前に聞こえた。
暗闇を作るサークル。
Ayaka
まあ、ダイアログインザダークっていう、ドイツの心理学者が提唱した、
暗い中で、その視覚を奪って、その聴覚とか味覚とか、あと、触覚とかを研ぎ澄ます、みたいな。
そういうワークショップがあって、
それを、この場祭とか、学園祭でやろうっていう、そういうサークルで、
だから、もう、必死に部屋をめばりして暗くして、
その中に、こう、日本庭園を作るみたいな。
元は教室で、みたいな。
Ryohei
一応、そのオリジナルというか、バージョンが、概要前だっけ?
Ayaka
あ、そう、今はでも、
常設されてたんですよね。
常設がなくなっちゃったんですけど、
体験は今、たぶんできると思うので、もし興味ある方は調べていただきたいんですけど、
そんな感じで、本当に、本来は、前毛の目が見えない方が、アテンドもしてくださるんですけど、
我々の場合は、なんかもうちょっと、うちらが頑張って、地形を覚えて、
Ryohei
なおね。
Ayaka
アテンドするっていう、そういう感じでしたね。
地形って言っても、教室の中だから、
本家の、例えば、外縁前にあったものとかと比べると、全然狭いんで、
Ryohei
なんで、それをやろうとやったの?
Ayaka
なんでだろうね。
みんなでそれこそ、ダイアログ・イン・ザ・ダークを見に行って、それでかな。
Ryohei
なんでみんなで行くことになったの?
Ayaka
それは、なんかノリで。
Ryohei
確かにね、結構カジュアルに行ける感じで、
Ayaka
なんか脱出ゲーム的なぐらいの感じで行った記憶もある。
Ryohei
僕も同じ時期に、たぶん行ってると思うんだけど。
Ayaka
そうそう、で、それを自分たちでやろうっていうサークルをやってたり、
あとは、結構教育系の学生団体みたいなのが当時流行ったので。
Ryohei
流行ってたね。今もあると思う。
42:01
Ayaka
今もあると思うんですけど、
そういうNPOの真似事みたいな感じですね。
何か一つ自分たちで解きたい課題みたいなのを見つけて、
割とその教育に興味を持った人たちが集まったサークルで、
いろんなワークショップとかが、ちょうどたぶん流行り始めた時期だったから、
そういうワークショップとかゲームフィケーションみたいなものに興味を持って、
いろいろなんかね、それこそマシュマロチャレンジみたいな、
マシュマロの、なんだっけ。
Ryohei
マシュマロとパスタを使って高いタワーを作りなさい。
Ayaka
作るみたいな、そうそうそうそう。
何かそういうところから始まって、もう少しオリジナルのものを作ったりして、
何かいろんなワークショップ研究者の人と実際一緒に仕事させてもらったり、
そういう関係で企業とコラボさせてもらったりとかして、
そういうのがかなり楽しかったのは楽しかった。
てかもうめちゃくちゃいろんなことやってましたね。
そういう意味では、ずっと研究だけやってたって感じではないかもしれないね、私の場合は。
なるほどね。
りょうさんもずっとエンジニアリングだけやってたって感じじゃないから、お互い即興。
Ryohei
僕は何か友達に誘ってもらって、プログラミング教室の一時クール、
ワークショップの設計と実施みたいなのをやったことがあって、
それはね、1回は公営でやって、1回は営利でやったんですね。
Ayaka
すごい、ちゃんとお金を取ってやったっていう。
Ryohei
僕はね、伊勢丹のおもちゃ売り場に、
そういうちょっとワークショップの、すごくたぶんね、高級だと思う。
いくら取ってるのか、結局怖くて調べなかったんですけど、
そういうお子さんに向けて、プログラミングゲームデザインとかそういうことを、
すごく簡略したものを、たとえばスゴロクを作ってみようみたいな、
そういうレベルまで簡易したものをやってもらうっていうふうなことをしていて、
それは結構面白い体験で、すごい好きだったんですけど、
そういうこともいろいろ頼まれててないけど、そういうきっかけで、
Ayaka
やりたい、やりたいって言ってやってると、すげー忙しかった。
私もそういう関係で言うと、背伸びゼミナールっていうお子さん向けのワークショップ、
大学でやってるような学問を、すごいわかりやすい形にして、
そのエッセンスが面白く伝わるような、
たとえば私は高校生のワークショップみたいなのをやったんですけど、
高校生の仕組みを理解するための、ボールを使ってキャットするみたいなので、
構想の説明をするみたいなワークショップをやっていて、
なんか、そういうことをお互い興味あってやってたっていうところも結構共通点としてありますよね。
Ryohei
こうして言語化してみると、すごい意識高い学生だと思われるのかな。
Ayaka
そうですね。でも、なんか当時は別に意識高いとか、なんかに使えるとは全く思ってなくて、
たぶん楽しくてやっていたみたいな。
気分そんなに使えてるかって言うと、使えてない。
Ryohei
そうね。
意識高いって言葉が出始めの時期でもあったよね。
45:02
Ayaka
うちらの大学生の頃って。
Ryohei
たぶん、僕の学園ら辺から言い出してた気がする。
意識高い系って。
意識高い系。たぶんなんか、ツイッターとかが広まっていく。
なんか、ツイッターとかないと、そういう言葉生まれなさそうじゃないですか。
Ayaka
そっかそっかそっか。
Ryohei
意識高い人、学生みたいなのが。
でも、なんかそういうのが生まれて、
これって、なんかそういう、やゆされるというか、っていうことでもあるんだなって言うと、
もうなんか同時に学んだっていうか、
Ayaka
なんか難しいよね。意識高いって言葉との付き合い方、概念との付き合い方みたいな。
でも、あんまりなんか、なんだろう、
私は、ザ意識高い系って、もっと企業とかそっち方向な感じがするのよ。
ビジネスに寄ってる方だったと思っていて、
あんまり私はそっち方向じゃなかったから、
あんまりそういう、なんか、なんだろう、他者の意識高い目線を感じることがなかったし、
あと、たぶん、研究やってる人って、意識高い系って呼ばれなかったんだよね。
たぶん、当時の感覚からして。
なんか、こう、それもあったかな。
だから、やっぱ、就活に使えるかどうかっていうところが、たぶん、結構、
意識高い系って言われるときによく言われることがある気がして。
Ryohei
就活を、目線を見据えつつ、何かやってる人についてだと解釈していた。
Ayaka
そういう意味では、2人とも、いわゆる就活をそんなにしてないから。
Ryohei
僕は、なんか、説明だけすると、なんか、ベンチャーでインターンしててみたいなのがさ、
今思うと、なんか、そういう類系だったわけですよ。
だから、なんか、意識高いっていうことを揶揄する流れができてきたときに、
なんか、非常に、直感的に、なんか、やだな、みたいなのも思ったし、
なんか、なんでそんなことを思うんだろう、みたいなことも思って、
なんか、それに対して何かできたわけではない。
Ayaka
ああ、揶揄する人に対してってこと?
Ryohei
そうね、なんか、でも、結局、大人になったら意識高いことをするのって、
結構、尊いことになってるじゃん、最終的に。
Ayaka
まあ、そうだね。
Ryohei
ね、その社会課題があって、それに向き合ってる人ってのは、すげえってなるわけだし、
なんで学生のことを心にしていると、そう言われるのかっていうのが、なんか、謎だったんだよね。
なんか、そういうのもあって、なんか、結構、その…
まあ、でも、なんか、ちょっと気にしてはいました。
Ayaka
なるほどね。
Ryohei
まあ、まあ、無視してたけど。
Ayaka
やっぱり、学生の間って時間はあるじゃないですか、だから、行動力だけはあるんだけど、
なかなかそれが、こう、継続して何かをし続けるっていうふうには、
まあ、基本的には、やっぱりなりづらいですよね、なんかやるにしても。
まあ、そういうのもあって、現場が滅されたりするのが嫌とか、そういうことなのかしら。
まあ、それがまあ、多分、より建設的な方向に解釈すると、そういう方向かなと思って、
まあ、より非建設的な方向に行くと、まあ、単なるね、厄仮見とかやる。
で、別にそれ自体が何かを生むのではないっていうことかもしれないですよね。
48:02
Ryohei
まあ、まあ、まあ、そういう類型があるということは否定しないというか、
まあ、確かにそういうパターンはあって、意識高いあるあるみたいなのはあったし。
Ayaka
そうね、なんかでもあんまりそれを、私はそこまで感じずに済んだかもしれない感覚としては。
あんまり何だろう、就活に使いながらそんなことばっかり言ってたから。
私ね、そんなに私は、そうね、そういうインターンとかをめちゃめちゃやってたって感じは学部。
Ryohei
まあ、なんか自分から始めるみたいなことは多かったよね。
Ayaka
ああ、そうね、なんかそういう感じではあんまりなかったからっていうのもあるかな。
なんかそれが気になって、むしろそのビジネスサイドのこともっと学びたいと思って、
いろいろやり始めるっていうのが、フェーズが私はまた後にのほうに来るんだけど。
うんうん。
学部生の時はあんまりそういうのがなかったのかなっていう感じはする。
Ryohei
これは、この話は、あやかさんが研究者になるまでのストーリーなんですけど。
今はどこなんだ?
Ayaka
今は学部がだいたい話をしてる。
Ryohei
学部がだいたい終わった。
Ayaka
うん。
まあでもそう、りょうへさんの話も一緒に聞けて、
まあ、ある種の状況ものというか、状況して。
Ryohei
状況物語2人分を聞いていただけて。
Ayaka
お届けしておりますが、いやなんかでもこんなに、なんか以前お二人について掘り下げることが少ないみたいな話はあったじゃないですか。
確かに地味に。
お便りにいただいた。
そう、お便りでそう言うとお便りをいただいていて、
まあその時は、よりお互いのカップルとしての側面についてより話してくださいっていうお便りだったので、そういうふうに答えたんですけど。
こういう、なんだろう、キャリアに関して、キャリアでもないな。
なんだろう、こういう昔話。
難しいね。
うん。
確かに。
昔話とか、まあ自分のバックグラウンドかな。
バックグラウンドみたいなことってあんまり話すことがなかったので。
そうだね。
なんかちょっと新鮮な感じがしますね。
確かに。
Ryohei
まあバックグラウンドはバックグラウンドだし、ある意味トゥルーバックグラウンドっていうか、こういうのがあるから、こういう県の中で話してるような話が出てきてるわけで、
なんだけど、こんなことを、例えばさ、研究者としてこれから体制するとして、すごい大物の研究者になるとして、
誰が?
あやかさん。
インタビューとかで聞かれるとしても、こんなに深くないじゃないですか。
さすがにこんな話を聞いてもだいぶカットされる。
Ayaka
だって、枝葉すぎるもんね。
まあ、でも枝葉を話そう回なんじゃない?
Ryohei
まあ、てかね、枝葉が話せるのが面白い場所なんじゃないかなと思いますけどね。
Ayaka
はい、まあ枝葉ばっかり喋っていきましょう、じゃあ。枝葉ばっかりっていうか。
そうね、あれ、なんだっけ?
で、私が博士課程に行くまで話すんだっけ?
そうそう。
結構長いね。
長いね。
Ryohei
学部3年ぐらいじゃないですか、今。
Ayaka
ああ、そっかそっか。
まあ、それで、あ、なんか研究分野を選ぶ話を全然しなかったね。
良平さんが専門を選ぶ話はなんかちょっとしてましたけど。
私は最初は、まあ、それこそオープンキャンパスとかで興味あったのは、生命科学一般だったから、
生物にはすごい興味があったんですよ、研究面白いなって。
51:00
Ayaka
でも、やっぱ当時って、分子生物学全盛だけど、
まあ、ちょっとずつ、なんだろう、超全盛だった分子生物学が、まあ、これが当たり前だよねっていう風になってきた。
生物学にとって、その、分子でいろいろ説明していく生物学っていうのが、まあ、新しかったんだけど、
でも、その新しさがもう薄れずつあった時期なんですよね、私が入った。
Ryohei
分子生物学っていうのは、たとえば、タンパク質の高度解析しますとか。
そうですそうです。
Ayaka
まあまあ、高度解析とかもそうだし、まあ、タンパク質とか遺伝子とかで解くっていう。
Ryohei
なるほどね。
Ayaka
それが、たぶん、まあ、80年代、90年代とか、ものすごい、やっぱり、流行ってたと思うんですけど、
あの、私たちが入った頃には、もう、なんか、こう、なんだろう、まだもちろん、主力であるし、
まあ、ある意味、もう当たり前になった。
分子で理解することが、全員にとって当たり前になったっていう時期が来ていて、
で、最初、そういう方向に興味を持ったんだけど、まあ、でも、なんか、こう、情報にも興味があったんですよね。
その、こう、生物と情報、なんか、コンピテーションって面白そうだなっていうのは、
どういうふうにツーリーモデルでそれを理解するのかっていうところが面白そうだなっていうことを思い始めてた時期で、
ちょうど、生物情報学科みたいなのができて数年ぐらいだったのかな。
Ryohei
でも、それは結構、当時振り返ると、あんま地名じゃないというか、なんか、結構、珍しい発想だったような気がしていて、
なぜかっていうと、今は割とデータサイエンスとか機械学習とかあるんで、
生物の問題をデータで解くっていうのは、なんか、何だろう、まあ、普通にある発想というか、そうだよねって思うと思うんですけど、
なんか、当時って、まあ、僕は生物情報学科っていうのがあるって聞いて驚きましたし、
あ、そうなんだ、みたいな。
データと生物ってどう繋がるんだろうって、外から思ってたんで。
Ayaka
まあ、でも、当時はやっぱりすごく、その、なんだろう、生化学の、をより進めるためのツールみたいなところがあって、
その、より遺伝子解析とか、そうですね、大量に遺伝子が読めるようになったから、それを高度に解析していくとか、
なるほどね、ヒトゲノム計画とか。
それはもう終わった時期ではあるんですけど、
まあ、そんな感じになってたのかな、で、そういう解析方法とかを開発したり、
生化学実験をより、こう、発展させていくような、こう、計算的なツール作りみたいな、そういうことをいろいろやっていて、
それ自体はすごい面白そうだなっていうふうには思ったんですけど、
でもなんか、自分の中では、もう少し、こう、なんだろう、何かしら、興味はあったんだけど、なんか、これが一番ドストライクだなっていう感覚はもう出なくて、
でも、とりあえずはそういう方向に自分が生物の情報に興味があるなっていうところだけはあったんですよ。
で、そう思った時に、なんだろう、こう、ちょうど学部の講義で、こう、脳の話を聞くことがあって、で、まあなんか、脳もまあ興味はあったんですけど、まあでも、こう、複雑そうだなぐらいの感覚を持っていて、
54:09
Ayaka
で、なんか、こう、その講義で、こう、数理モデルで、こう、ドーパミンニューロンの、その活動とか、そういうの、働きをこう、説明した研究みたいなのを、こう、紹介されてたんですよ。
それを聞いて、なんか、めちゃ、これ面白いな、みたいな。
で、まず、その、生物的基盤を、その、自分の心とか考えとか、その、意思決定みたいなものの生物学的基盤を研究することができるんだっていうことが、まず面白かったです。脳を研究することで。
で、自分が興味あった生物で、自分の考えとか、その、意思決定の研究ができるんだっていうことが、まず、一番最初に面白いなと思って、かつ、その、私が興味を持った生物と情報が融合する例っていうのが出てて、これやりたいと思ったんですよ。
それが、たぶん、学部2年のときかな。学部2年の後半ぐらいで。
まあ、学部が決まってからっていうことか。後半ってことは。
たぶん、学部がちょうど決まった後ぐらいだったかな。まあ、なんか、その辺微妙なんですけど。たぶん、決まった後だったと思う。興味を持ったのは。
で、だから、生物の興味したがって、生物学科に入ってたんですけど、やっぱ、神経科学勉強したいと思って。
で、でも、なんか、神経科学ドストライクをやっている学部っていうのは、まあ、ないんですね、基本的に。
学部では、まあ、それじゃなくて、まあ、研究室単位だとたくさん研究室あるんですけど、
その、学部で神経科学の教育を受けられるっていうことは、まあ、基本的にないので、
まあ、とりあえず、生物学科で勉強をしつつ、まあ、その、情報にも興味があるっていうところを生かしたかったから、
そういう、なんか、いろいろ勉強会とか出たりして、なんか、アスコーンっていうのがあるんですけど、
オータムスクールで、あの、なんだろう、神経回路に関して、数理モデルとか使って研究するみたいな、
神経、日本神経回路学会がやってるんですね。
そういうのに、こう、参加したりとかして、まあ、いろいろ興味を深めてきたっていうのが、たぶん、学部。
Ryohei
それ、なんか、先生に誘ってもらったりとかしたんですか、そういう。
Ayaka
ああ、いや、まあ、でも、自分で調べたのかな、の、なんだったんだろう、まあ、なんか、経緯は忘れましたけど、
ああ、でも、もしかしたら先生に紹介してもらったのかもしれないですね。
そう、それこそ、その、なんだっけ、研究室に参加してたっていう話をしてたじゃないですか、
それで、たぶん、学部3年生の時から、その、参加してた研究室っていうのは、
なんか、東大がやってる、なんか、体験活動プログラムっていう、なんか、あらゆる体験をしようみたいな、
謎のくくりのプログラムがあるけど。
Ryohei
確かに、体験だったらなんでもっていう。
なんか、いろいろあってね、マグロの漁に行きましょうとかさ、
Ayaka
ああ、そうそう。
Ryohei
なんか、遺跡の発掘をしましょうとかさ、
なんか、アルバイトなんじゃないか、それはっていうやつもあったし。
Ayaka
私、たぶんね、学部2年の時にも別のに参加して、
57:03
Ayaka
それは、その、ニューヨークで働くOBOGの話を聞くっていう会だったんですよ。
で、それで、実際向こうで働いている、もう本当に、なんか、超高層ビルでの投資会社みたいなところで働いてる人と話したりとか、
そういう、まあ、東大に何かゆっかりがある人で、ニューヨークで働いてる人の話を聞いて、
で、まあ、休憩時間は、ぷらぷら観光するみたいな。
Ryohei
ああ、ニューヨークに実際に行って。
そうそう、実際に行って。
へえ。
Ayaka
っていうのがあって、それとかもすごい楽しかったんですけど、
なんか、そういう経験があったから、大金活動プログラムっていうのは、なんか、おいしいらしいとかって、そこで私は知ったんですよ。
Ryohei
いや、今思うとね、もっともっとやればよかったな。
僕は結構、取ってたほうであったと思うけど、
なんか、いや、あんな機会っていうか、あんななんかランダムにさ、こう、なんでも、これでもいいし、これでもいいよみたいな機会ってないじゃないですか。
ここに行きたいって行かないと、マグロの量の船とか乗れないし。
Ayaka
そうそう。で、まあ、そういうのの中に、先生たちも、やっぱ自分たちの院とかに来てほしいから、なんか出すわけですよ。
Ryohei
大金活動プログラムに。
面白い、一番面白いところね。
Ayaka
いや、大金活動プログラムに、うちの学科で、こういう研究体験を半年間やって、なんかこういうことをやりませんか、みたいな、学部生向けに体験プログラムみたいなの出してて、それに応募したのが、
Ryohei
なるほどね。そうだったんだ。
Ayaka
それで、実際に、さっき話したドパミンを説明するような、氷河不朽モデルで、ドパミンの動きを説明するっていうか、そういうこと、研究を実際自分でやられている先生のところに行くことができて、
それでずっと、その先生とは未だに私は共同研究させていただいてて、本当にずっとお世話になってるんですけど、そういう研究始めるきっかけがそこでできたっていう感じでしたね。
おかげで本当に、ポスター発表とか、プログラミングも一緒に勉強させてもらいましたし、ポスター発表を学会で初めてしたのも学部生の時だったんですよ。
結構早かったんですよ、いろいろ始められるのが。
で、学部、研究室配属が始まる前に、もう学会発表もしてるみたいな。
なるほどね、早熟と言えるかもしれない。
まあ、そうそう、そんな感じで、勉強会とかすごいいろいろ一緒にやらせてもらって、大学院生の人たちと一緒にいろいろやらせてもらって、すごい本当にそれは良かったですね。
Ryohei
まあ、なんかこうね、その集団の中で、ちょっと若いじゃないですけど、学年が若いっていうだけで、なんか追うっていうか、なんか注目してもらえるっていうのはありますよね。
Ayaka
そうですね、本当にいろんな人によくしてもらったなっていう感覚があります。
Ryohei
僕もなんかそういうタイプというかね、その、まあ、嫌でも目立つじゃないですか、大学院でそういう場所に、まあ、仕事を。
会社にいたら。
会社にいてっていうのは、まあ年齢は関係ないっちゃ関係ないけどね。
まあ、でもなんかそれで結構なんか面白がってもらって、よくしてもらってっていうのはありましたね。
1:00:03
Ayaka
そうですね。
で、まあ、あの終始か、終始の話どうしよう。
なんかね、ちょっといろいろ問題があって、語れなかったりするところもあるとは思うんですけど、
まあ、あれ、ようやくすると、私ちょっと最初に入った研究室であんまりうまくいかなくて、
で、まあちょっといろいろあって、別の研究室に移らせてもらって、そこで終始を取ったっていう感じだったんですけど、
結局そのニューロサイエンスというか神経科学そのもので、日本で終始を取ったわけでは実はないんですよね。
で、あの、そのときはもう一つ自分が興味あった、その進化と人間の行動みたいなところとか、学習がどう進化したのかみたいなところに興味があったので、
それに関することをやらせてもらうことができて、でも途中からなんかわけありで移ってきた私に対してすごい、なんというか、しろの先生はすごいよくしてくださって、
で、まあ私がもともとその神経科学の研究がしたいから、その博士はその研究室に行かないっていうのは、わかった上で受け入れてくれて、本当によくしてもらったなっていうふうに思うんですけど、
まあでも今考えるとやっぱりその終始で一回こう挫折をしたというか、そのなんだろう、うーん、まあなんか何をどこまで話したらいいのかちょっとわかんないんですけど、
でも簡単に言うと私はなんかちょっとこう、その最初に入ったラボと合わないかなって、なんかうすうす感づいてたんですけど、でもそれを優先することができなかったんですよね、そのうすうす感じてた嫌な感じみたいなの。
Ryohei
テーマ的にはやりたいことにより近かった?
Ayaka
まあそうですね、テーマ的には近かったからやりたかったんですけど、まあでもその、なんだろう、その研究室の一番の強みを私がやろうとしていたわけじゃなくて、その先生が次一緒にやりたかったこと、次やりたいことはかぶってたからやろうとしたんですけど、でもこう誰もそこでこう知識を持ってる人がいなくて、で、ちょうど人がいろいろ出てってしまってた時期だったし、
まあそんな感じで結構いろいろボタンの掛け違いが起こってしまって、なんて言ったらいいんですかね、特にその大学院の生物系とかそういうとこ多いと思うんですけど、結構こうなんだろう、こう、教授が絶対というか、こう機嫌を損ねてはいけないみたいな感じ?で、こう緊張感がある?
なんかまあ緊張感っていい面もあると思うんですけど、なんかこう心理的に圧迫されているっていう側面もある気がして、まあでもこうそういう人ってやっぱり実績も残している場合が多いんで、ていうかそうじゃないとまあ残れないわけじゃないですか。
Ryohei
まあついて来れないっていうのはあると思いますね。
Ayaka
まあこう自分がこうそういう人に、まあでもこうやっぱ自分が耐えていけばこう力がつくはずだみたいな感覚でいたんですよね、最初は。
1:03:04
Ayaka
まあなんかこう全然違和感がないわけじゃなかったんですけど、最初から。
でもなんかそういう違和感はちょっと無視してしまって、でもなんかこう自分はその、まあ私に対して明確にすごいパワハラだったかっていうとそうでもなかった気がして、
自分だけじゃなくてこう周りもこう心理的にちょっと圧迫されているような状況でこうやり抜けるタイプというか気にしないで頑張れるタイプではあんまりなかったってことにそこに入って始めて気づいたんですよね。
だからなんか明確なパワハラかっていうとそこまで全体的にひどくなかったとは思うんですけど、
でもこう私だけじゃなくて、ラボの構成員がボスに尊敬の気持ちはありつつ、まあでも同時にみんなすごく抑圧されていて、なんかどう思われるだろうかみたいなことを気にしてちょっとビクビクしているのを、まあ先輩たちもそうなのを見ていて結構つらくて、
なんかやっぱり学部の時、研究について高いスタンダードを持っているかっていうことを一番重要視してどうしても探してしまっていたので、
当然なんですけど、今考えればそこは高い基準はあるけど心理的安全性がないみたいな、みんな自分が思っていることを素直に言えるような状況ではなかったのかなっていうふうに思いますね。
なんかでも当時はそういうもんだと思ってたっていうか、高い基準を持っているところが厳しい雰囲気っていうかそういう緊張感があるのはまあ仕方ないじゃないかと思ってたし、自分が耐えるべきだっていうふうに思ってたんですよね。
でもなんかこう、でもやっぱりそこでの経験を通じて、ある程度その心理的安全性が担保できる相手、なんか言いたいことをちゃんと伝えることができる相手じゃないと、なんか健全な成長っていうのが自分の場合はできないなっていうふうに、その時ちょっと学ぶことができたっていう感じかもしれないですね。
だからその最初学部の時の話をしたじゃないですか、その辺の話だけ聞けば、なんかこう比較的スムーズに研究が始められたというか、のように聞こえるかもしれないんですけど、実はそうじゃなかった時期が結構あったっていうのは、なんかこの話するかすごい迷ったんですけど、やっぱ言っておいてもいいのかなっていうふうに思ったりはしますね。
で、結局その研究室は途中で移っちゃったから、CVとかには全く残ってなくて、で、そうですね、だからこう、またその研究室のことをなんか悪く言いたいとかそういうわけではないんですけど、でもやっぱりこう、私こういう、こう入ってみたけど会わなかったとか、なんか私だけじゃないのかな、こういうことで悩んでる人ってじゃないかなと。
1:06:04
Ayaka
思ったので、なんかちょっとこう言ってみようと思ったっていう感じですかね。
Ryohei
なんかそういうこう違和感とかを感じ始めて、こう変えようかなって思うまでには、どういう、なんか人に相談したりとかいろんなリソースを使ったりとかあったんですかね。
Ayaka
そうですね。
結果的に言うと、私の場合は、もう本当に相談室みたいなところに行って、そしたら、その先生の噂っていうのはそこにも届いていて、
Ryohei
スタイルというか。
Ayaka
そうそう、会わない人もいるよねみたいな感じで、相談員の人も親身になってくれて、で、まあでもどっちかというと、私の方が堅くなだったんですよね。
私がここで諦めてはダメだって思ったし、なんか、話し合って分かり合いたいじゃないけど、分かり合いたいっていうか、なんとかやってみたいって思ってたんですけど、
どんどんその体がついていかなくなったっていうか、
だから、すごい自分の中では、研究室を移るっていうことが、すごくこう、自分はこれで終わりだぐらいの感じで思っていたし、今思えば、まあ別に移ったらええやんって思うんですけど、
当時はそんなことして、生きていけると思っているのかみたいな、自分をすごい追い詰めてしまって。
Ryohei
それはなんか、自分の中の発想なのか、それともそのね、その研究室とかの空気なのかも分かるんですけど。
Ayaka
実際、言ってることが間違ってるかっていうと、間違ってないわけですよね。
ただ、私がどんどん苦しくなっていってしまったっていうのはあって、それはなんか、自分で自分を追い込みすぎた私のせいでもあるし、周りと合わなかったっていうこともあるんですけど、
そうそう、そういう感じで、結果的には、そういう感じで、何回か話し合いも試みたんだけど、やっぱりちょっといろいろ意見が衝突してしまって、周りの先生たちも、もう移ったほうがいいよっていう感じで、周りの先生たち、他の先生たちが協力して私を別の研究室に移してくれたっていうのが結末。
なるほどね。
Ryohei
まあまあ、なので、別に移った先生を恨んでるとかでは全然ないですし、ただ、私はそこでいろいろ学んだなっていう。
それはすごい生きてるのかなと。
Ayaka
そうですね。
やっぱり、私は結構、自分がこうしたいってことをフラットに話せる人と一緒に研究したいなっていう感覚があって、やっぱりすごく尊敬する先生について、もう弟子みたいにして頑張りたいって人も多分いると思うんですけど、私はそういうタイプではなかったんですよね。
で、それに最初は気づけなくて。で、なんかそれに気づいてからは、なんか割とそうですね、自分が一緒に働きやすい人たちと一緒に働けているなっていう感じはありますね。
1:09:09
Ayaka
確かに。
Ryohei
まあ、なんかそういって、自分でいる場所を変えるって経験をしないと、まあなんか変えられるんだとか、で、もうなんか自分で思いづらいっていうのもあるかもしれないし。
Ayaka
でも、あの時は本当に真剣に研究やめようかなって思ってましたね。就職しようかなって考えてました。
だし、やっぱりなんかそういう、私だけじゃないんですよね、多分こういう、なんだろう、合わない研究室に入ってしまったっていう人って、やっぱり途中でやめるとか、なんかいろいろ多分あると思っていて、
で、私はすごく本当に周りの人に支えてもらったおかげで、なんとか続けられて、今のところ博士までは続けてるんですけど、まあでもそうじゃない人の方が多分こういうケースは多いのかなっていうふうには思ったりはしますね。
まあまあ、そんな感じで、でもまあ、それがきっかけで場所を移るってことは可能なんだなとも思ったし、最初はやっぱり性別系の研究室って基本的に2、3年では成果が出ないから、5年行くつもりで入ったわけですよ。
それもあってやめきれなかったんですよね。
5年かけないと基本的に仕事にならないっていうのはわかって、大きい論文にはならないっていうのはわかってるから、それもあって、なんかやめられなかったっていうのもあるんですよ。
Ryohei
僕そのね、学部決めるとかで、研究、脳科学とか神経科学の研究の道というか、そういうのもあるのかなって思って考えたんですけど、まずその生物っていう、生物学がそんなに得意じゃないっていうところがあったし、やっぱそのタイムスパンとして、
それ、仕事してたりしてリリースするサイクルとか、2、3ヶ月とかなわけですよ。そのリズム感で仕事をしていることしか知らないから、1、2年とか、例えばデータ出ないとか、仮説が思いつかないとか、セットアップとか、そういうのがまず想像できないし、自分には向いてる気がしない。
Ayaka
いや、私も未だに向いてる気がしない。わかるわかる、それめっちゃわかるよ。私もそのタイムスパンが一番きついなって思う。
Ryohei
というのもありましたね。いや、それ本当になんか尊敬というかすごいなって思います。
Ayaka
まあまあまあ、そんな感じで、まあ思ってたのもあってっていう、まあ基本的に修士博士が同じ研究室に行くもんだと、その時まではやっぱ思ってたから。
Ryohei
まあ、かつ日本ではすごい多いって言ってますよね。
Ayaka
そうですね。まあ、例えばアメリカとかだと5年、博士課程に入ってから基本5年ぐらいかかるので、日本の感覚だと3年で一応博士課程取れることにはなってるんですけど、修士博士連続していかないと5年分の経験っていうのが得られないっていう、まあそれも手伝ってなかなか難しいのかなっていう感じはします。
Ryohei
博士3年ってなんかそういうイメージあるよね、日本だとね。なんか4年かかる人って、なんか留年したのかなみたいな感じでさ、思われる人もいるかもしれないし。
1:12:05
Ayaka
実際的にはもう少しかかってる人も多いんだと思うんですけど、でもやっぱりその3年で取らないと、いろいろその金銭的なことで大変だからっていう、そういう事情も多分あるかと思いますね。
Ryohei
あとやっぱなんか年数っていうのが留年とかすごい敏感じゃないですか、日本の社会とか就活の仕組みとか的に、どの学年なのかみたいな、その感覚で博士を見る人はいるのかなとは思うかな。
Ayaka
そうですね、いやなんかそれは私もなんかコンプレックスでもあるんですけど、私は結構長くかかってるから。
Ryohei
なるほど、その3年よりもってこと。
Ayaka
それは私がその修士と博士同じところに行ってなくて、そういう時間がかかる研究をしたら当然と言えば当然なんですけど、ちょっと留学の話に戻して、留学っていうか。
映ってもいいんだっていうことを感じたんですよね。
それは人よりは時間がかかることになってしまうと思うけど、でも映ってもいいんだなってその時に感じることができて、それをきっかけにして海外も初めて見始めたんですね、真剣に。
で、元はと言えば最初の本に話したオイストンサイエンスチャレンジで海外とか考えないんですかって言われて、いや考えたことなかった。
そこに戻ってくるんだ。
でも確かに考えることはできたかもみたいな。
で、なんかそういうことを考えるようになって、それがきっかけでオックスフォード大学を受験するっていう。
Ryohei
それはあれですね、そのドクターのラボに配属というか決まってからの話?
Ayaka
いやいや、受験そうですね、だから国内で今私が結果的に博士を取った研究室にも、もちろん受験はしたんですけど、それと同じぐらいの時期にオックスフォードの博士課程にも出願してる。
Ryohei
そうなんだ。
Ayaka
で、オックスフォード留学したきっかけは、夏にポルトガルの、さっきオータムスクールみたいなので、そういうワークショップみたいなのがあったって話でした。
アスコンっていう、その数理と脳について学ぶみたいな。
そういうワークショップって他にもいくつかあって、私はそういうのいくつか参加してて、こういうので学ぶのはやっぱ楽しいなというか。
そういうのがないとなかなか体系的に神経科学を学ぶ機会っていうのは逆に言うと、そういうコースがないので。
Ryohei
東大にも神経科学の学部っていうのはない。
Ayaka
そうですね、だから講義としてはあるかもしれないけど、なんかやっぱりそういうのを定期的にいろいろ受けていくのがいいのかなって思っていたっていうのもあって、
で、ポルトガルでのシャンパリモゼインシティュートっていうのがあるんですけど、そこはまあ主にガンと脳の研究をしているプライベートの研究所で、めちゃくちゃかっこいい建物なんで見てほしいんですよ。
1:15:06
Ayaka
しかもセンターフォーアンノーンなんですよ。
Ryohei
かっこいいですよね。
かっこよい名前、やば。
Ayaka
道についてのセンター。
すげー。
Ryohei
超かっこいい。
Ayaka
12秒のコラックス売られましたよ。
ポルトガルシャンパリモゼさんが作ったんですよ。
すごいね。
ポルトガルシャンパリモゼさんの遺産で作られた研究所。
Ryohei
いや、研究所を作る人かっこいいよね。
Ayaka
かっこいいですよね。
ぜひ聞いてる大富豪の方も聞いてほしいですね。
Ryohei
これはあれですね、昔やったエピソードで浜田さんに来てもらった、大富豪はなぜ研究所を作るのか。
Ayaka
ぜひそちらも聞いてください。
すごくいいエピソードなので。
話を戻すと、
そのサマースクールに参加したときに、
ヨーロッパにサマースクールとかで行く機会ってまずないから、
それ初めて、あんなに長くいたのは初めてです。
旅行以外で多分、海外に長く滞在するってことが多分なくて、1ヶ月弱いたのかな。
だから、せっかくだから他のところも行きたいと思っていて、
それこそその、なんだろう、
さっき言ったシャンパリモゼインシチュートの博士課程のプログラムがどんな感じかとかも見たし、
あとはイギリスのオックスフォード大学とケンブリッジ大学に、
それぞれなんかね、あのときまず自分の行動力すごいなって思うんだけど、
なんか色々知り合いのツテをたどって、
合計4ラボぐらいかな、訪問させてもらったんですよ。
Ryohei
それはあれですね、富士登山とディズニーランドに同時に行く修学旅行みたいな。
遠くから見ると、せっかくだからの距離が広くなるんですよね。
Ayaka
そう、せっかくだからヨーロッパに行ったんだからイギリスにも行こうっていう。
Ryohei
そう、ヨーロッパの範囲が広いんで。
なんかわかります、その感覚は。
Ayaka
そう、まあそういう感じだったんですよ。
まあ高いからね、ヨーロッパまで行こうって。
ただヨーロッパまで行ってからは、まあ安いから飛行機だった。
Ryohei
特にあの時期はすごい安かったよね、ライアンエアとか、LCCが出てき始めて。
Ayaka
LCCが出てき始めてすごい安かった時期でもあったので、
それもあって、ポルトガルに行って、
それから全部アムステルダム乗り換えだったのかな、
アムステルダム乗り換えでポルトガルに行って、
次はポルトガルからイギリスに行って、
イギリスからアムステルダムに行って帰るって、
そういうたぶん便だったと思うんですけど、
まあ体力はまだ今よりはあったからね。
Ryohei
全部エコノミークラスね。
Ayaka
全部エコノミークラス、もちろん。
Ryohei
いやー。
Ayaka
そうそうそう。で、まあ行ったんですよ、イギリスに。
で、そこでなんかまずはケンブリッジ大学に行って、
そのケンブリッジ大学はさっき話していた体験活動プログラムで一緒に研究していた、
モリタ先生って言うんですけど、
モリタ先生っていう先生が以前2ヶ月くらいかな、たぶん1年、
まあちょっと正確な期間は忘れたんですけど、
短期間ケンブリッジに留学されてた時に、
1:18:01
Ayaka
お世話になっていた先生のところを最初訪問する予定だったんですよ。
そしたらその先生がちょっと用事で私の相手ができなくなったからって言って、
2人別の先生、何に興味があるんだって言って、
2人別の先生を紹介してくださって、
そのうちの1人が、私はその学部生の時に興味持ったって言ったじゃないですか。
おー、すげー、そこに繋がるんだ。
学部生の時に興味を持ったきっかけの、
ドパミンの活動を巨額種で説明するっていう、
その研究をまさにやった人に会えたんですよ、そこで。
もう映画やん。
すごいやん。
私はそれは本当に感動したんだよね。
で、本人にも、あなたが私の人生を変えたんだよって言ったら爆笑してました。
Ryohei
そうだね。東京の小さい大学で紹介された、
ちっちゃいちっちゃい名前とフィギュアとかを見てさ、
この研究はできるんだって言ってさ、そこまで来てくれるっていうのはすごいことだよね。
Ayaka
でも本人としてさ、何を言っとるんだって感じが笑ってたと思うんですけど、
そのすごい日本にも興味持って、
しゅるち先生っていう方なんですけど、
日本にもすごい興味を持ってらっしゃる先生で、
何回も来たことがある。
Ryohei
来て、その研究者として。
Ayaka
私、日本人の方も何人も留学されて、
それもあってすごいよく知っていただいたというか、
その時ちょうど私は森田先生と書いてた論文、
初めてのファーストの論文かな、がちょうどリバイス中だったので、
その時、当時修士2年生です。
で、当時そんな感じの状態だったので、
しゅるち先生に実際私の研究をプレゼンさせてもらって、
こういうことに興味があるんですみたいな話をさせてもらって、
本当にね、感激だったね。
大学院とかもちょっと考えてるんですけど、みたいな感じでちょっと相談させてもらって、
そこまで今彼がやってることと私の興味がそこまで合わなかったっていうのと、
もうすでに結構お年だし、
ラボの雰囲気とかがすごい素敵なところだと思うんですけど、
今私がすごく行きたいっていうイメージではなかったので、
そこからそういう話にはならなかったんですけど、
でもそれ以降も論文が出たら、
あの時話した論文はここに出ましたよって送らせてもらったりとか、
すごいよく知っていただいてるっていう、
今向こうがもう覚えてるかどうかわかんないですけど、
学会で会った時、声掛けさせてもらったりとかもしているし、
本当になんか良かったなって聞いてててって思った出来事の最初の一つでしたね。
Ryohei
研究でそういうインスピレーションを受けた人に実際に会えるっていうのはすごいことだよね。
Ayaka
本当にね、
彼がやった研究は1990年代の研究なんですけど、
1:21:00
Ayaka
それを私がもう生まれた頃だよね。
ほぼ生まれた頃の研究が、
20歳ぐらいの自分が感銘を受けて、
それから数年後に。
Ryohei
研究者になるきっかけになるという。
Ayaka
そういうことだね。
Ryohei
研究ってすごいんだなっていう、
そのタイムスパンの話もあるよね。
なんかそんだけ後の世代にまで響くものを作れるっていう。
Ayaka
まあ、そういうのを作るのは大変なんだけどね。
それはね、ごく一部の研究なんだけどね。
Ryohei
まだ見え目がありますよね。
Ayaka
まあね。
で、そんな感じだったのかな。
で、なんか話長ぇな。そろそろ幕開くか。
Ryohei
前後編どっかで別れてるかもしれない。もう出る頃にね。
Ayaka
で、まあそんな感じで、
オクスフォードにも行って、
で、街がすごいまず素敵なんですよね、オクスフォード。
ここに行きたいってまた思った。
それは私はオープンキャンパスと一緒。
Ryohei
実際に行ってみると。
いや、でもそれは本当にあるよな。
Ayaka
ここで学びたいなっていう気持ちにまず結構素直になったのと、
あと一番大きいのは、
イギリスってかなりファンディングが難しいんですよ。
アメリカみたいに、
お金をもらうのが難しくて。
Ryohei
奨学金とかの話ですか?
Ayaka
そうです。奨学金とかが、
アメリカってその合格と奨学金が割とセットになっていることが多い。
実はそうでもないっていうのは、
イメージではあるけど。
セットになっているものが比較的多いんです。
Ryohei
日本やイギリスに比べるとってことですね。
Ayaka
そうですそうです。
イギリスの場合は、セットになっているものは、
結構EUの人じゃないとダメだったですよね。
Ryohei
なるほどね。
Ayaka
グラントの都合とかで、
結構企業から出たりするお金とかもあるから、
そういうものってやっぱり、
後々ずっとヨーロッパにいてくれる人に出したいみたいなのも多分あって、
EU外から来る人たちは、
学費も4倍とか5倍とかだし、
かつ支援ももらいづらいっていう、
すごい不利な状況にあるんですよ。
でも、オクスフォード大学のアポイントメント取らせてもらった教授、
ピーターっていうんですけど、
ピーターが紹介してくれたのが、
イギリスでは数少ない給与付きで、
しかも国籍問わずっていうやつがあって、
ただ超狭きものっていう。
で、それを紹介してもらって、
それだけ受けてみようかなみたいな気持ちになって、
っていう感じでした。
それでちょっと受けてみようかなぐらいのノリで、
Ryohei
帰国したのが8月。
Ayaka
で、受験は、
受験っていうか、
出願は12月。
Ryohei
そうぐらいのタイムスパンですよね。
留学する人って。
Ayaka
だから、どう考えてもこのタイムスパンで、
1:24:00
Ayaka
いろいろ間に合わない。
確かに。
だって、その時点で私、
TOEFLとかIELTSとか、
英語のスコアを持っていない。
Ryohei
まずゼロから。
足りないとかじゃなくて、受けたことがない。
Ayaka
受けたことがない。
で、あと4ヶ月後には出願し、
だから出願の時点では、
でも英語のスコア必要ないんですよ、実は。
だから出さなかったよね、この時点では。
Ryohei
まだそこ、それよりもね、
他の書類とかのほう。
Ayaka
しかもその間に修論も仕上げなきゃいけない。
Ryohei
確かに。
Ayaka
しかも私は、
前半で話しましたけど、
研究室変わってるから、
人より研究期間が短い。
その間でなんとか修論を仕上げなきゃいけないっていう、
だからもう修論を仕上げるのがまずめちゃめちゃしんどかったんですよ、
残りのこの4ヶ月。
だからもうアプリケーションとかする、
できるかな、
なんかもう本当にダメ元だ、
ええや、みたいな感じで送りました、12月に。
Ryohei
あやかさんってすごい忙しい人生を送ってきたんですね。
Ayaka
そうですね。
Ryohei
行き急いでとよく言われます。
Ayaka
言われます、言われます。
だからうちの母親にはずっと言われてました。
まあまあ、そんな感じで。
いや、だから本当に、
ちょっとね、これは本当に反面教師にしてください。
4ヶ月で出願は厳しい。
Ryohei
厳しい。
Ayaka
厳しい、非常に厳しい。
まあ無理がある。
不可能ではないか。
不可能ではないが、無理がある。
Ryohei
だから諦めないでほしいけど、
Ayaka
そう、諦めないでほしいし、
なんか私と同じ状況のギリギリマンがいたら、
応援してあげたいけど、
でもギリギリマンにならないでくれ、頼む。
確かにね。
Ryohei
マーレンスタイルにもいろいろ聞いたりしたんですよね、きっとね。
Ayaka
それまでは、自分の中で真剣に動けてなかったんですよ、その留学院に対して。
で、その8月の時点でやっと動き始めることができて、
で、まあだからダメ元で一箇所出してみようって言って出したのが12月です。
で、収論を最終提出するのが31日なんです、1月。
1月の。
Ryohei
1月の。
Ayaka
で、面接に呼ばれて、
で、あの、いや、これ面接呼ばれるかどうかも本当に、
なんか多分5分の1?もっと少ないかな。
多分10%ぐらいしか呼ばれないんですよ、面接自体が。
面接に呼ばれた時点で、え、呼ばれるんだっていう驚きがあって、
面接に呼ばれたことがわかったのが1月の何日だったか忘れました、10何日。
1週間後ぐらいに行かなきゃいけない。
20日ぐらいに行かなきゃいけない。
もうちょっとしてるか、28とかか。
2週間前ぐらいに言われたんですよね。
で、え、みたいな。
恋と。
恋と。
で、しかもまあ出してくれるんですよね、その一応飛行会は。
まあ全額じゃないんですけど、EU外からは一律いくらですとかで、
いくらぐらいだったかな、忘れたけど。
まあ、足りないけど半額ぐらいはもらえるぐらいの感じ。
で、普通はZoomでいいんですよ。
なんていうか、修士のコースとかはいいんですけど、
私のやつは全額奨学金付きで、4年間給与がつくんですよね。
Ryohei
採用面接ぐらいの感じでちゃんと見るよ。
1:27:01
Ayaka
そうそう、めちゃくちゃ多分大事なやつだったから、
だから1年目が修士で、残り3年博士っていうので、
4年間ずっと給与が出るっていうそういうコースで、
学費も払ってくれるっていう、
まあ多分イギリスの中ではEU外の人が取れるものでは多分、
Ryohei
自慢。
Ayaka
他にはなかったと思うんですけど、
そういうプログラムだったんですよね。
Ryohei
ちなみにそれは名前言ってもいいんですか?
Ayaka
ウェルカムトラストニューロサイエンスプログラムみたいな名前。
ウェルカムトラストで調べてください。
ウェルカムトラスト財団っていうところが出していて、
今もあるかな。
Ryohei
今もありますあります。
Ayaka
もし興味のある人がいたら。
大きな財団で、博士学生だけじゃなくて、
いろんな支援を、研究費とかもいろいろ支援してる財団なんですけど、
ウェルカムトラスト財団っていうところが出してるプログラムです。
Ryohei
すげえなんか優しそうな名前だね。
Ayaka
ウェルカムだから。
Ryohei
そんな太っ腹なところに。
Ayaka
で、行きましたと。
で、行って英語で面接するわけですよ。
で、一応海外学会とかその時点では経験はしてたんだけど、
だって、奥祖の教授10人とかに囲まれて、
自分の研究をプレゼンする機会なんていうのないわけですよ。
もう怖いよね。
でも、すごい楽しいのは楽しかった。
その、実際さっき話した、
しるつ先生に説明した、
森田先生と出した論文がちょうどあったから、
てか、たぶんそれがなかったら呼ばれてなかったと思う。
そもそも。
Ryohei
で、その研究の成果みたいなものが、
その時点である学生が珍しい。
Ayaka
まあ、友っていうのもあったと思う。
それがなかったら絶対呼ばれてなかったと思う。
だって英語のスコアも出してないしさ。
Ryohei
じゃあ、どんな部屋なんですか?
オックスフォードの面接室ってすっげえでかそうで。
いやいや、でかくないと思うけどね。
Ayaka
だいたい、基本的にオックスフォードは建物全部古いから。
Ryohei
なるほど。
なんかすごい図書館、なんか本の、なんか本棚に囲まれた。
Ayaka
そんな感じ、そんな感じ。
あ、そうなんだ。
狭いけどね、狭いけど、
うん、なんか円卓みたいなところに真ん中にポツンって座らされて、
で、こうずらーって教授がいて、みたいな感じ。
すげえな。
Ryohei
もう想像するソースは全部、あの、ハリポッターなんで。
あってる、あってる。
ああいう感じ。
あってるんだ、すげえな。
Ayaka
もっとさすがに新しいし、なんかチャチだけど、チャチけどって言ったんだけど。
まあまあまあ、そういう感じで面接がありました。
うん。
で、面接を受けて、
うん。
で、まあ、あの、もうその日の夜か翌日の朝ぐらいには、
えっと、補欠です、みたいな連絡が来たのかな。
で、結局、まあ、繰り上がりはなかったので、
えっと、ただ収支のオファーはできます、みたいな。
1年収支のオファーはできますけど、来ますか、みたいな感じで言われて、
で、あ、まあせっかくだし、行きたいなって思ったんですけど、
その時点で、あの、タイムラインを聞けばわかると思うんですけど、
他に奨学金を申請する暇っていうのがなかったわけですよ。
たしかに。
だから、そっからこう、お金をどうしようって問題がそっから発生する。
Ryohei
12月の、ん?1月か、今は。
で、6月ぐらいからスタートするわけですね。
あ、えっと、10月です。
1:30:01
Ryohei
あ、10月か。からスタートするわけですね。
Ayaka
この時点で英語のスコアがないから、
まず英語を勉強しなきゃ。
英語のスコアを取らなければならないっていうミッション。
そして、奨学金を集めなければならないっていうミッション。
もうね、積んでますよね。どう考えても積んでる、この状況。
Ryohei
私がこの状況で相談されたら、ちょっとそれどうかと思うぞって言いますね。
そのスケジュール感はどうなんだ?
Ayaka
だって、普通順番としては、奨学金の確保を英語のスコアが最初ぐらいでもいいかな。
英語のスコアと奨学金の確保は、たぶんほぼセットなんですよ。
なぜかというと、英語のスコアがないと奨学金の応募もできないから。
Ryohei
あー、そうなんだ。なるほどね。
そもそもこいつが、ここにホールが来る。
英語力があるかわかんないから、奨学金の応募対象にもできませんってことね。
Ayaka
そうですそうです。
だから、奨学金の時点で英語スコアを貸してるところが、特に額が大きいところだと多いですね。
Ryohei
特にイギリスだとってことですよね。
Ayaka
で、私はもともと奨学金付きのやつしか受けなかったのは、そういう事情もありました。
他は全く受けませんでした。
で、一箇所だけ受けたところから、一応法欠で修士っていう連絡が来たから、修士2個目になっちゃうけど、
でも、ここで学びたいなと思ったし、ピーターもすごいよくしてくれてるから、行きたいなっていう気持ちがあって。
Ryohei
ちなみに、イギリスは修士は1年なんですか?
Ayaka
1年です。
Ryohei
1年のものもあるし、みたいな。
Ayaka
2年のものもあります。
っていう感じです。
Ryohei
でも、けっこう1年で取れるって、お得な感じがしますね。
Ayaka
そうそうそうね。そうなんですよね。
で、ちゃんとした学位がもらえて、1年間でっていうのはすごく魅力的だったし、
何回か話に出ましたけど、ニューロサイエンスの学部っていうのがあんまりないっていうので、
大学院はいくつかは日本にもあるんですけど、
1年間体系的にニューロサイエンスの教育を英語で受けられるっていうのはすごく良さそうだなって思ったっていうのもありました。
Ryohei
なるほど。
NBAとかも1年なんだっけ?
Ayaka
NBAも1年。
Ryohei
イギリスはそれが特色というか。
Ayaka
そうですね、1年でっていうのは。
Ryohei
大変忙しそうでしたけど。
Ayaka
忙しいのは、ほんとに忙しいんですけどね。
まだまだ忙しい人生が続くみたいな。
Ryohei
そうそうそう。
収支で、なんか印象に残ってることとか、勉強したこととかありますか?
Ayaka
いや、もうね、死ぬほどありますよ。
てか、これ語ってるだけで、たぶんあと1時間ぐらい語れるから、どうしようかなと思って。
Ryohei
もうすでに後編だから、きっと。
切ってます、どっかで。
Ayaka
ちょっと私も疲れてきたから、そろそろもう後編に回そうかなっていう気がする。
じゃあ、ちょっと入学までやるか。
入学まではやって、ちょっと入学以降と博士は、ちょっとまた次の機会にしましょう。
で、その次の機会の時は、もっとどういう研究をしてたかっていう話も、なんか入れてしたいかな。
そうだね、たしかに。
はい、という感じですかね。
で、今、小学金と、なんだっけ?英語のスコア。
1:33:00
Ryohei
英語のスコアが取れてない。
Ayaka
どっちもめちゃくちゃ大変だったんですよ、ほんとに。
で、英語のスコアがまず、なかなかオクスフォードの、私のコースは、
オクスフォード必要とされるものの中でもアドバンス度だから、
もうたぶんこれ以上の理科や、要求を課してくる大学は、たぶんどこにもないんですけど、
それぐらいすっごい厳しくて、
トーフルだと110点。
Ryohei
やば、120点もあったでしょ。
Ayaka
110点でかつ、スピーキングと、なんだろう?
Ryohei
ライティング?
Ayaka
ライティングのスコアが何点以上っていうのが求められてて、
それがめちゃくちゃ厳しいんですよね、たぶん。
110点取るよりも、そこを取るのが厳しいんですよ。
たぶん日本、ネイティブじゃない人にとってはね。
で、なんかこれはやべえってなって、
で、私はアイエルツのほうにしたんですけど、そっちも7.5必要なんですよ。
アイエルツっていうのはトーフルのイギリス版みたいなやつです。
Ryohei
ちなみにトイックっていうのはビジネス用のまたちょっと違う点数帯域で、
990点もあったんですけど、
トーフル110っていうのは、まずそもそもスピーキング、ライティングあるという時点で違うんですけど、
たぶんトイックでいうと何点くらいなんですか?
Ayaka
何点なんだろうね。
私はトイック受けたことないからあまり感想できないんだけど、
とにかくやばいんですよ。
Ryohei
あかさって英語できるんですね。
Ayaka
いや、どうなんだろうね。
いやいやいや、でもね、ほんとつらかった。
思い出したくもない、ほんとに。
Ryohei
ちょっとこれ話戻るかもしれないですけど、
なんか聞いてる人でもしかしたら疑問に思ってるかもしれないのが、
英語下手なんじゃなかったのかっていう、
でも海外学会で発表できてんじゃんっていう、
そこはどうだったんですか?
そこの時点では英語の勉強とかしてたんですか?
Ayaka
いや、してなかった。
でも、論文読んだり、
それってことですか?
いや、違う違う。
論文読んだりとか、発表の練習とかはしたりするし、
だから、ほんとに研究英語だけは学んでいたんだよね。
Ryohei
だから英語の勉強ってよりは、
研究をするために英語が必要だから英語をやるっていう。
Ayaka
そういう感覚でした、私の中ではね。
だから、海外学会とか聞いたり、
そういう講演を聞いたりとか、
論文読んだりとか、そういうのはしてたから、
そういうのだけは身についていて、
ただ、それこそ学部4年の時のオイストチャレンジで、
私、英語喋れないってなってショックを受けたのは、
そうですね、その時よりは、
たぶん、修士の2年ぐらいでちょっと喋れるようになってるのかな。
Ryohei
なるほどね。
Ayaka
ちょっとできるみたいな。
ちょっとできるぐらいになった。
いや、全然できてなかったんだけど、
Ryohei
でも、なんとか学会に出ても、
Ayaka
学会に出れるぐらいにはなっていたっていう。
で、修士の1年の秋ぐらいにドイツに行って、
学会発表してるのかな。
で、その時とかに一応、
練習、自分なりに頑張って練習したりとか、
1:36:01
Ayaka
原稿を書いて、覚えて発表したりとか、
それぐらいならできる状態になった。
Ryohei
なるほどね。
でも、そっからアイアレツなってんのって、
Ayaka
めちゃめちゃきつい。
本当にきつかった。
ちなみに、私、たぶん最初の学会がいきなり英語だったからね。
最初に神経科学学会の、なんだろう、
サテライトみたいな感じで、
外国人の人も呼んでって感じだったんですけど、
私は英語がたいしてしゃべれるわけでもないのに、
英語で頑張って原稿も作って、
基本的に神経科学学会はポスター英語で作らなきゃいけないので、
英語で作って、原稿も頑張って英語で作って、
それを覚えて。
Ryohei
それはもう、あやかいけますっていう感じで。
Ayaka
で、私はすごい、なんかもう、今思うとめっちゃ度胸あるなって思うんだけど、
当時、本当に今思うとめっちゃ有名な研究者を引っ張ってきて、
こういう研究やってんだよね。
Ryohei
やばすぎる。
Ayaka
プレゼンスケアをするんだよ。
すごいよね。
いや、なんか本当に今思うとさ、
おかげのイタリ。
おかげのイタリ。
超おかげのイタリだよ。
だから、学部と修士のときの私の行動力と、
なんかこう、やばいよね。
行動力がやばかった。
なんか今思うと。
うん。
まあ、そんな感じね。
もう行動力だけだよ。
行動力だけで。
すごい。行動力で英語を勉強したってこと?
しかない。そう。行動力しかなかった。
Ryohei
発表するって言ったからには、やらなきゃって感じで。
そうそうそうそう。
すごいな。
やばいよね。
そんな英語の勉強方法あるのか。
Ayaka
そう。
でも、試験勉強が本当に嫌いだったから、
全然、その、トイックも受けたことなかったし、
TOEFLも、なんか大学でやったやつを1回ちょろっと受けたかなぐらいの感じで、
その、ちゃんとしたやつを受けたことがなかったので、その時まで。
もう、なんか今考えるとやばいよね。
うん。
そういう感じの状況から、
でも、その、やっぱりリーディングとリスニングはそれなりにできたので、
そこは、最初からそんな困んなかったんですよ。
勉強する上で。
Ryohei
まあ、日本人ってね、
まあ、試験勉強でもしてるしってのもあるし、
まあ、あの、傾向的にはリーディング、リスニングは結構ありますよね。
Ayaka
そうですね。だから、最初から多分、全体で6.5ぐらい。
6から6.5ぐらいは取れてたのかな。
Ryohei
点5刻みなんだね。
Ayaka
うん、点5刻みです。
で、私は7.5が最終的に必要。
全体で7.5。
Ryohei
8点ぐらい?
Ayaka
いや、もっとあるかな。9かな、あれ確か。
Ryohei
ネイティブでもう完璧にいってる人は9ってことね。
Ayaka
まあ、あれはよくわかんない。9とか取れんのかな、ほんとに。
Ryohei
まあ、よく言いますよね。
なんか、アメリカ人がTOEFL受けると120点満点で満点取れるかって言うと、全然そんなことない。
Ayaka
そういう感じじゃない気がする。
とにかく7.5で、そうなんですよね。
Ryohei
いや、あやかさん、僕はその頃ぐらいから多くは知ってますけど、7.5。
Ayaka
いや、でかい、7.5は実際達成できたし、何回か達成できたんだけど、
どっちかというと、スピーキングとライティングのスコアが伸び悩んで、そこも最低点が決められてたから、
1:39:03
Ayaka
そこのほうがつらかったですね。
いや、マジつらかった。
で、でも最終的に1個のスコアで全部揃うってことがなかったんですよ、私は。
で、もう、あ、ごめん、揃わなかったみたいな感じで、
それだから、合計点は基準を乱してるが、スピーキング、ライティングの最低点が両方を超えてるっていうのがスコアと、
Ryohei
また別の時に受けたら、そっちは越してるけど、外なるのが越してないと。
これとこれを合わせたらいけるんだってことね。
俺の自己最高とこっちの自己最高を足すといけるっていう。
Ayaka
そういう理論。
そういう理論。でも本当はダメだったね。
それで説得しようとしたんだけど、ダメって言われて、あと何回あるんだ、最後まで頑張れって言われて、
で、もう最後まで頑張ったんだけど、結局ダメだったから、ダメだった。
でも、一応こことここはなんとかとってるから、勘弁してくれって言って送ったら、
私ともう1人イタリア人でそういうやつがいたらしい。
なるほど。
イタリア人でも、まあイタリア人もいろいろ得意な人苦手な人多分いると思うんだけど、
多分そんなにスピーキングとかでハイスコアつけてもらえない人が多分いて、
で、私と同じようなつらみを抱えていたわけ。
で、特にその人は博士も通ってる、超優秀な人だったわけ。
Ryohei
なるほどね。
Ayaka
で、イギリスで修士をもうすでにとってるんだけど、2個目の修士を。
Ryohei
イギリスで修士とれてるけどなあ、てんかい。
ああ、イタリアで。
ああ、イタリアか、なるほどね。
Ayaka
で、すごい優秀で、もうその奨学金付きののとれてるんだけど、エゴスコア足りない。
こいつはオッケーにするなら、私もオッケーにしなきゃいけないんだよね、状況的に。
Ryohei
なるほどね、確かにね、確かにね。
Ayaka
私もオッケー。
Ryohei
そいつスコアなかったことじゃん。
Ayaka
わかんない、結果的に入ってみたら、そこまでなんか投げ落としで効いたっていう話をちょいちょい聞くから、
Ryohei
まあなんとかなったのかもしれない。
Ayaka
まあそういうルートもあるのかもしれない。
まあまあまあ、とにかく私はとにかくめちゃめちゃ苦しんで、本当にいけるかどうか最後までわかんない状態でした。
みんな計画的、ゴリオは計画的につらかったです。
とてもつらかった。
Ryohei
いやー、それはでもね、1年あっても同じだったんじゃなかった?
Ayaka
いやいや、そうだと思う。
確かに。
それはそうだから、単決戦でよかったかもしれない。
しかもその、受かってるからモチベーションもあるっていうのもあるしね。
だって、受かってるのに、これエゴスコア取れなかったらいけないんだみたいな。
確かに。
まあそれもね、家族に宣言したりとかしてるわけですかね。
Ryohei
オックスフォード行ってくるから私。
Ayaka
いやいや、そんな、いけるかどうかわからないってずっと言ってたから、本当にその時もいけるかどうかわからないよってずっとりょうへさにも言ってましたよね。
ちょうど私たちは付き合い始めたのが、留学の半年前とかなんですよ。
確かに。
だからオックスフォードから留学、その、なんだろう、合格はもらっているが、エゴのスコアがないとお前来れんよっていう状態で付き合い始めた。
Ryohei
めっちゃ英語を勉強してたし。
7.5、7.5。
Ayaka
ほんとつらかった。
1:42:00
Ayaka
思い返したくない。
Ryohei
大変な時期だったんですね。
Ayaka
はい。
まあまあ、というわけで。
で、あと最後、奨学金か。
奨学金も、だから、実は合格を1カ所いただいた奨学金で、エゴのスコアが取れなくて、そのフルのオファーじゃなかったから、じゃあすいませんねって言って、次の候補に行ったっていうことがありました。
つらかったです。
でも、最終的には、孫正義財団っていう財団に合格をいただくことができて、そちらから奨学金をいただくことができたので、留学することができました。
Ryohei
よかった。
Ayaka
いやー、腹もまんじょうというか、忙しい人生ですね。
大変だね、ほんとだね。
そうで、結局、終始は4年、4月で卒業して、あ、違う、3月で卒業しているので、東大の。
で、留学は10月からっていう状態だったから、4月からは、私が最終的に博士校を取ることになる、東大の研究室に一応も所属はしていて、だから実験とかもやってたんだよね。
Ryohei
その半年で、すごい。
Ayaka
やばいよね。
Ryohei
実験って立ち上げとか結構かかるんじゃないですか?
Ayaka
いや、だから立ち上げをやってたんですよ、正直。それと並行して留学の準備をしていたっていう。
なるほど。
よく、よく頑張ったね。
Ryohei
頑張ったね、たしかにね。
Ayaka
いや、そう、だからほんとに、その高校の時から考えると、ほんとになんだろう、もう想像もつかなかった人生ですね。
そうだね、たしかにね。
うん、ほんとに想像もつかなかったし、まさか留学するとは思わなかったし、
さすがに高校生の時は、東大受験までは意識はしてたから、やっぱり和学できたらいいなとは思ったけど、
その時の人生なんて全く予想してなかったよね。
だから、やっぱりすごい両親は応援してくれてたし、ほんとに両親のおかげだと思ってるんですけど、私自身。
でもやっぱり自分の親も大学行ってないし、周りも基本大学行ってないから、
まず大学に行くっていう時点で、めっちゃジャンプなんですよね。
で、しかも東大に行くっていう時点で、まじ何が起きてるんだ、みたいな感じなんですよ。
Ryohei
誰も教えてくれないというか、身近なロールモデルっていうのがいない状態から始まったわけですね。
Ayaka
そうですね。
Ryohei
だから遠くにジャンプできた、さらに行けたっていうのは、面白さがあるかもしれない。
Ayaka
まあね、それもあるのかもしれない。
Ryohei
なんか、周りに東大の人が多くて、かつ例えばいいとこに就職して、みたいな感じだったら、逆にそれを期待されるかもしれないし、
ジャンプだったってことは、っていうのがあるかもしれないし。
Ayaka
確かに、私は全然そういうのなく、むしろすごい研究をしていることを応援してもらったなっていう感じがあるので、それはすごくラッキーでしたね。
あと、やっぱり九州の中って、やっぱり九州から出るな、圧が。
Ryohei
いると。
1:45:00
Ayaka
一般的にはね、あると思う。
特に女の子は、なんか出づらいと言われている。
なるほどね。
Ryohei
だから、九大以外の本州の大学に行くっていうのに、抵抗はあるし、例えば九大に行って、東京の会社に就職するっていうのも、ちょっとなんか。
Ayaka
やっぱり近くにいてほしいって思う親が多いし、九州がナンバーワンだからさ。
九州がナンバーワンだからさって。
Ryohei
九州キングダムがね。
Ayaka
そうそうそうそう、九州王国だから。
九州王国の首都、九州福岡に行って、なぜ東京なんていう外国に行くのか、ということですね。
そこまでは思ってないと思うけど、やっぱり特に女の子は出したくないっていう親が、東京なんて危ないみたいな。
東京に女の子一人でやるなんて何考えてるんだと、うちの親は実は言われていたらしい。
でも私には言わなかった。
私は全然知らなかった。
親は、東京に女の子やるなんて本気ね、みたいな。
本気ね、みたいな感じで言われてたらしいです。
ただ、私はそれを全く聞かなかったし、本当に周りに応援されてるっていう気持ちだけでやれたから、本当になんかね、感謝するしかないですね。
感謝。
感謝。
結局まだ博士課程にも入れなかった。
Ryohei
入れなかった。
Ayaka
その話ではね。
これから博士課程と留学中および博士課程の話は次しようかな。
それで、より研究の中身の話もできればしたいなと思います。
Ryohei
いや、面白かった。
Ayaka
意外と初、初めて聞いたっていうエピソードがあった気がする。
そうだよね、確かに確かに。
私もこんなに自分の話をしたことなかったからさ、
ポッドキャスト2年間やって初めてこんなに話したよね。
Ryohei
かつこんな、ライフストーリーみたいな話を聞けるポッドキャストする機会っていうのは、
Ayaka
ないないない。
Ryohei
テーマ的にもなかなかないでほしい。
Ayaka
そうだね、確かにね。
まあ、でもその研究を始めたきっかけっていうのはやっぱり、
その、最初僕あれ出てきたからっていうのもあったと思うし、
なんか、いかに留学っていうのが地方の人に考えづらかったかみたいなところも話せたと思うし、
その上で、なんかうちの親もイギリスなんてとか海外なんてとか言わずに、
留学もすごいいつも応援してくれたなっていう、
なんか、今思い返しても本当に親すげえみたいな。
Ryohei
ね、感情がね。
Ayaka
親すげえっていうのが一番なんか、私の中ではあるかな。
なんか、私みたいな、親が大学行ってなくて、自分が初めて大学、地属の中で行ったみたいな人、
ファーストジェン、第一。
Ryohei
ファーストジェネレーション。
Ayaka
第一世代って、特にアメリカとかの文脈でよく言われるんですけど、
まあ、だから私は本当に定義通りの第一世代なんですけど、
なんか、なんだろう、第一世代と言いつつ、親がまあ完全にこうなんだろう、
1.5世代分ぐらい、0.5世代分ぐらいはもう完全に親が頑張ったからっていう感じですね、私の場合。
1:48:03
Ayaka
頑張ったっていうか、親が本当に応援してくれて、
本当に全然何も止めなかったからかなっていう感じがします。
だから、外国も危ないとか、東京も危ないとか言わずに出してくれて、
自己責任って言って。
そうそう、自己責任はまあ。
Ryohei
お母さんね、いろんな名言がありますから。
生きる力があればよかとよ。
Ayaka
そうですね、だから私も全然、勉強しろとかも全然言われなくて、ただ生きる力を育てろと言われて。
Ryohei
すげえな、生きる力で英語も頑張ったし、研究も。
Ayaka
そうだね、だから私は本当になんだろう、頭は全然良くないと思うんですよ、なんか。
Ryohei
でもね、生きる力は確かにね。
Ayaka
でも、なんか行動力と生きる力だけで何とかしてきたみたいな感じで、
なんか学歴から想像されるような頭脳名節みたいなタイプではマジでない。
本当にどっちかというと結構抜けてて、なんかこう爪が甘い人。
生きる力から想像される性格とかっていうのと、こうね、違うっていうのはあるかもしれないですね。
でもやっぱり自分が面白そうだなとか言ってみたいなって思ったことを追いかける力を親からもらって。
いい話だね。
頑張っていきましたね。
そんなこんなで、この後留学し、そして博士課程に行きますが、ちょっと力尽きました今日は。
Ryohei
まさかの後半に続く。
これ経営の中指示は初めてじゃないですか。
いくら長くても前後編に切るということをたたくなにしなかった。
もうね、本人が疲れた。
確かに今回に関してはもうちょっと疲れたのもあるので。
はい、じゃあということで。
続こうと思います。
次回はちょっと順番が前後違うかもしれないので、配信的に次の回になるかもしれないですけども、
Ayaka
長谷川さんの留学後研究の話とか、研究内容をちょっと。
そうですね、もともとは結構研究のヒストリーみたいな話をしたかったんですよ。
なんでこの分野に興味を持って、それでなんで今のこの研究するに至ったかみたいなところを話したいなと思ってて。
でもなんか途中から状況話が盛り上がってしまい。
Ryohei
その後波乱万丈の人生。
Ayaka
始まってしまった。
ね、本当に。
Ryohei
面白かったね。
Ayaka
そう言ってくれたなら良かったです。
すいません、なんか自分語りが多くなってしまって。
Ryohei
いやいやいや、でもすごいなんかインスパイアされる人ももしかしているかもしれないし、
まあなんかそうじゃなくてもこう、面白い話。
Ayaka
思います。
まあ、だいたいに常に余裕がない話だから。
Ryohei
そうだね。こんなギリギリでもういけるんや。
Ayaka
ギリ人生みたいな感じ。
Ryohei
思ってしまうかもしれないけど、計画的に。
Ayaka
はい、ご利用を計画的に。
はい、というわけで。
Ryohei
ということで、感じですかね。
はい。
それではまた後編もお楽しみにということで。
はい。
はい、次回も聞いてください。
さよなら。
さようなら。
01:51:02

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