1. そろそろ美術の話を...
  2. #083 作家とキュレーターによ..

アーティスト 今井俊介さんをゲストにご自身の作品や、オペラシティアートギャラリーで開催中の個展についてお聴きしました。

⁠⁠⁠⁠https://sorosoro-art.vercel.app/ep/083 番組の感想は、⁠⁠⁠⁠#そろそろ美術の話を⁠⁠⁠⁠ でお願いいたします。

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Guest Profile

今井俊介(いまい しゅんすけ)

  • 1978年、福井県に生まれる。2004年、武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース修了。
  • 主な個展に「第8回 shiseido art egg 今井俊介 range finder」(資生堂ギャラリー・東京、2014年)、「float」(HAGIWARA PROJECTS・東京、2017年)、「range finder」(Kunstverein Grafschaft Bentheim・ドイツ、2019年)、主なグループ展に「絵画の在りか」(東京オペラシティアートギャラリー・東京、2014年)、「絵画の現在」(府中市美術館・東京、2018年)などがある。東京都現代美術館、福井県立美術館に作品が収蔵されている。

Show Notes

今井俊介さんについて

大学時代の話

資生堂artegg賞

爬虫類の話

今井俊介さんの美術に関する経歴
アートテラー・とに、そろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにが、アートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は、前回に引き続き、アーティストの今井俊介さんをゲストに、ご経歴を交えつつ、美術についての話を続けます。
ということで、前半ありがとうございました。間髪入れずに後半が始まるということです。
これ、皆さんにも聞いているんですけども、いつから美術に興味を持っていましたか?
これは、いつからですか?
正確に言うと、生まれた頃から、美術のある環境で育っていたので。
それはどういうこと?お父さん、お母さんが?
父親が多摩日和に出ていて、僕が行っていた高校の美術の先生だったんですよ。
僕は親父に絵を教わっていたんですよ。
3年間?
そうです。3年間というか、受験も含めて教わっていましたね。
お父さんは厳しかったですか?それとも優しかったですか?
美大って言い出した時に、絶賛描いてみると生物を組まれて、描いてみろと言われて。
二郎くらいしたら受かるかなと。本当に二郎して。
すごいです。指導者として。
お父様も画家?
画家というか、美術教師ですけど、ペインティングと銅板画とやっていました。
じゃあ、美術は当たり前で育った?
育ちましたね。
でも、途中でどこか野球選手になりたいなとか?
もちろん子供の頃はあったんでしょうけど。
自然と高校の時に進路を決める。
まず、行けない楽部と行きたくない楽部を削ってみようと思ってました。
意外と美術と音楽ぐらいだな。
だいぶ削られましたね。
音楽は今から。もちろん数学とかすごい好きだったんですけど。
これ、大学行って専門に勉強してどういう風になるのかが想像つかなかった。
当時の高校生には。それで美術なのかなっていう。
美術で福井から行く場所がむさびなわけじゃないですか。
福井って場所的に関西圏にも行けるじゃないですか。
そうですね。
それはもう東京志向だったんですかね。
僕、正直言うと京都でもいいなっていう思いはありました。
美術大学進学の経緯
ありましたけど、父親が美大に行くなら東京以外ダメだと。
そういう教えがあったんですか。
これはなんでかっていうと、美大、大学生の4年間ぐらいは東京を経験した方がいいよって。
っていうので、固く何?東京しかあかん。
東京しかあかんって関西弁で。
そうですね。
お父様も東京4年?
4年いましたね。ちょうど大学闘争の世代なんですけど。4年間いましたね。
むさびを選んだのは何か理由はあったんですか?
むさびしか浮かんなかったっていうのもあるんですけど。
当時、宇佐美圭司さんっていう作家さんが先生でいて。
彼がいるところで学べるんだったらむさびいいなって。
もちろんイメージとしては玉火の方がかっこいいなとか。
それはある。
技術やってる人間のイメージとしてですけど。
あったんですけど、むさびに行こうっていう感じでしたね。
どうですか?むさびのその4年間で。宇佐美さんにもいろいろと教えてもらう。
結局、大学入って最初の授業は宇佐美さんが担当だったんですけど、2年目かな?
京都芸大に行っちゃいまして、宇佐美さん。
いなくなっちゃったじゃんみたいな。
関西に行っちゃったじゃん。
どうすんだみたいな。
話が違うじゃん。
アーティストとしての成功の要因
その後に印象的だった先生とかっていらっしゃるんですか?大学で。
前半も話したんですけど、僕美術やらなくても周りいっぱいできる人がいるんだなって分かってしまって。
デザインとか建築が好きだったので、そういう方面を個人的に勉強したり、事務所にバイトに行ったりしながら、いろいろあって絵を描くことに決めたんですけど。
もう一回絵に戻ってきた理由とかきっかけはあったんですか?
憧れのデザイナーたちが自分のデザインしたものを楽しそうに、これはこういうことなんだよねとか教えてくれたのを見てて、
物を作るって素敵だなって思ってしまった。
じゃあもう一回物を作りたい。
じゃあええかなと思って、どうしたらいいんだろうと思って、当時僕の先生だった丸山直文さんと会って相談したら、
いやまあデザインとかやってたんだったら、それをキャンバスに描けばお前の絵なんじゃねえのみたいなことを軽く言ってくれて、
それでああそうかと思えたのがすごく大きかったかなと思います。
もっと何か考えて積み上げてきて、絵を描かなきゃいけないのかなと思ったんですけど、
お前はお前で積み上げてきたものがあるんだから、それをやればいいんだよって言ってくれたのは僕はすごく大きいなと思ってますね。
その周りの人たちっていうのはあれですか、絵の腕前がすごかったと。
腕前もそうですけど考えてることも面白いですし、
アーティストって多分こういう奴らがなっていくんだろうなという感じがすごくあったのかなと思いますね。
優秀な人が多かったですしね。
でもこの結構ボッドキャストは、画家目指す人とか美大の子も聞いてくれたりしてるんで、中にはやっぱ悩んでる人もいると思うんですけど、
そういう悩みを経ても古典が開けるまでになったわけじゃないですか。
だから多分、大学時代の僕を知ってる先生たちが一番びっくりしてると思います。
そういうふうに考えると、今井さんにとってアーティストにとっての一つ支出って何があったら、
それを信じればいけるよみたいなアドバイスするとしたら、例えば腕前がなくてとか悩んでる人もいると思うんですけど。
僕結局作家になった人って辞めれなかった人だと思うんですよ。それでしかないっていうか。
続ける才能があるかどうかっていうのが一番大きいのかなと思いますね。
やっぱり辞めちゃったやつもいたんですか、その周りで。
いっぱいいますよ、優秀なのに。
でも彼らは優秀だから、他のジャンルに行って自分が面白いと思うことをやっても、ちゃんと成功してますからね。
そうか、しがみつくじゃないけど、そこも一つの才能なのかってことですかね。
そうですね。
前半ではそういう話しなかったですけど、ストライプシリーズの話は前半したじゃないですか。
ポルノ画像からの作品創作
どういう作品を描いたのかなっていうのがちょっと気になったんですけど、なんかどうもインターネットからダウンロードしたポルノ画像や花の図柄を加工し、ウォールペインティングや絵画作品を作り出していた。
はい。
これ本当なんですか?
本当ですね。ハードコアポルノですね。
ポルノ?ポルノでも?なんでそんなことをしようと思う?
当時僕が大学に入ったのが1998年で、一人一台パソコンを持っているなんて時代じゃなかったんですよね。
テレ放題みたいな。夜11時になるとみんなモデム回線つないで、画像がゆっくり出てくるのを待つみたいな、そういう世代なんですけど。
なんかそういうポルノサイトのリンクを友達が送ってきて、「おー!」と思って見てて。
でもすごく薄っぺらい世界なんだなと思ったんですよね。
その世界がですか?
そこに映っているものが重要で、その人じゃなくてもいい。
これが絵みたいだなと思ったっていうか、絵って表面でしかなくて、僕にとっては裏側がないっていう意味で、
なんか似てるなと思って、これ使ってなんかできないのかなっていうのがきっかけで。
だからいやらしいものを描いてやろうっていうつもりは全然なくて、
いやらしいイメージを全然いやらしくなく、いろんなものを脱究させながら、
違うものに置き換えていくっていう作業ができないのかなっていうので、こういうものを作ってたんですよね。
これは絵に戻ってきてから描いたということなんですか?
そうです。
でもこれをずっとやりつつ?
やりつつなんか、この部分を描いたら面白いなとか、
この部分に他の絵のこの部分を重ねたら面白いなとかいって絵を作ってて、
ポールも描いてた最終版ぐらいの作品が今回オペラシティには出てるんですけど、
全然何描いてるかわからないので、
今の作品たちとそれを並べてみたら、僕の興味全然変わってないんだなと思った。
それがちょっと面白かったっていうか。
だからシマシマの間にその作品たちがトンと入ってきても全然違和感がないっていうか、やってること変わらないふうに見えるし。
一番最初の展示室にあったやつですよね。
そうです。
斜め壁の向かい側というか。
僕は丸画面見てるので、丸画面なかった作品だからあれこういうのもあるんだと思ったけど、
あれはスカートになる以前の作品?
空間表現への挑戦
直前ですね。
一緒にカモフラ柄のように見える感じの作品でしたよね。
どんどん柄を複雑にしていくことで、奥行きとか字と図とかっていう問題が錯乱していくような状況が作れないのかなっていうのでやっていて、
最近はシマシマの使いながら同じように、もっと単純な形でも同じような錯乱を起こせたりするのかもしれないしと思いながらやってる部分があるので、
結構ブレてねえなっていう。
自分でもびっくりしたっていうか。
でも逆にその前はどういうのか。
普通にやっぱり生物とか風景、いわゆる景色とかそういうものを描いたりはしない?人物とか。
課題があれば描いてましたけど。予備校とかではモデルさんを描いたり生物を描いたりもあったし、大学入って一番最初は人物を描かされて、それ以降はもう何やってもいいような授業を選択していたので。
でもあまり美術を続けるつもりもなかったので、ボールペンでひたすら線を引いてみるとかっていうことをやってましたね。
最初からそういう興味が違ったんですね。そっちが偶像、今も偶像は偶像だけど。
圧倒的に空間が描けなかったですね。生物とかでも人物でも。ボリューム感が描けないとか。
最初のモデルさんを描く授業で、それこそ宇佐美圭一さんが担当してたんですけど、
僕なりにどうやってボリュームが出て空間が描けるんだろうなと思って描いてたんですけど、
その時に、レリーフみたいで面白いなって言われたんですよ。要は向こう側がない。
それで圧倒的に描けないんだなって最初の洗礼を受けたっていうか。
向こう側は褒め言葉として言ったんですか?
いや、わかんないですけど。
ちょっと皮肉な部分もあるのか。
でもこういうの面白いじゃんって言ってくれたのがありましたけど、衝撃の方がでかかったですね。空間ねえんだこれ。
自分の中では空間があったのか。
レリーフって言われる。
でもじゃあこのボルノのシリーズ描いてて、それで前半出てたスカートの話もシリーズになったじゃないですか。
自分の中で最初に手応え感じた瞬間というか、
ああ俺アーティストでやっていけるかもみたいなっていうのはどこだったってあります?
正直言うと、俺絵描きなんだなって思えたのはずいぶん最近のことなんですけど。
けどなんか一つ形が持てたのかもしれないと思えたのは、資生堂のアートエッグショーで個展ができた時ですね。
僕もこれ見させていただきましたけれども、2014年なんですね。
そうですね。9年前ですね。
公募活動への取り組み
それまでには応募はされてたんですか?
学生の頃とかはしてました。何回か。
もう橋にも棒にもかからないみたいな。向いてねえんだなっていう。
それは絵が向いてないとかじゃなくて、公募に向いてねえんだなと思うようにしてた部分もあります。
だからそういうのを全然出さずにいて、大学院を出て10年とか。全く出さなかったですね。
でも再チャレンジ出したらその年に受かった?
そうですね。一発で。
やっぱり資生堂アートエッグって実はこの番組にも富谷相馬さんが出てくれたりとか、寛美香さんも出てくれて。
で、この前岡さんもね。岡智美さんも出ていただいて。
なんか資生堂アートエッグが提供番組なのかぐらい資生堂アートエッグが出てるんですけど。
なので資生堂アートエッグは多分皆さん、番組聴いてくれたらわかると思うんですけど。
公募の中でも珍しく、作家さんが自分でプランまで考えなきゃいけないわけじゃないですか。
それはちょっと他の公募店とは違うなと思うんですけど。
この段階で寛美さんも自分の作品をこう展示する、インスタレーション的な感じの発想はあったってことですか?
応募の時点では、急ぎよい絵画の展覧会をしたい。
制作プランと展示空間の構想
アートエッグって当時から、今もそういう部分あるんですけど、絵画の人が通りにくかったんですよね。
そうですよね。空間作んなきゃいけないから平面の人。
全然空間を作るっていうよりも、絵を絵として見せたいというプランを最初立てましたね。
その通りに行ったんですか?ちなみに。
応募して通りましたとなって、資生堂ギャラリーのスタッフさんたちとまず打ち合わせをした時に、
プランを一回すべて忘れてください。もう一回考え直してください。
それは本当に好きなことをちゃんとした方がいいと思うんでっていう話で、それでもやっぱり絵画を中心に。
当時の僕としては結構広いなと思ってた空間で、9メーター角ぐらいの空間なんですけど、天井も高いし。
そこで、大きい空間だからたくさん並べるってことはしたくないなと。
1枚1枚がちゃんとパンと目に入る。その1枚を見てると他の絵が目に入らないみたいな空間は作りたいっていうのはありました。
この時にもう布もありました?
その時に初めて作りました。
ここで繋がってくるんですね。
この時の、一応デビューという、周りのリアクションとかってどうでした?
絵描いてる人たちからは、ちょっと勇気が湧いたって言われました。
ああ、アートエッグいけるんだみたいな。
絵もいけるんだっていう。
それはありましたし、僕、応募するからには、通ってアートエッグ賞を取らなきゃいけない。
それを絵で取るっていうのはすごく意味が大きいんだろうなっていうのはありましたね。
じゃあ、絵の人たちの期待を背負ってるわけですもんね。
いや、背負ってるのかどうかわからないですけど、
やっぱり絵だって、淡々と絵とか彫刻とかっていわゆる古いメディアって言われてるようなものを
実直にやってる作家たちだってちゃんといて、
当時のアートシーンってあんまりそこを見てくれてなかったっていう思いが僕らにはあったので、
いやいやそうじゃないでしょっていうことを応募の資料のステートメントに書きましたね。
ちゃんと見てください。いますよ、僕らみたいな。
それをきっかけに変わったなって思うことはありますか?
アートエッグ賞とその影響
いやー、あんまないんですかね。
本当ですか?
でも生活は変わりました?やっぱりこれまでと。
やっぱりアートエッグになってからアオファー増えたなとか。
まあそれは実際ありますね。
同じ年、アートエッグの展示を始まる前から決まってはいたんですけど、
オペラシティの絵画のありかっていうグループで決まっていて、
同じ年に2つ大きい展覧会があって、
より多くの人に僕みたいな作家がいるってのを知ってもらえたっていう意味では、
その後につながっているのかなとは思います。
はい、実はずっとこの番組立ち会っている天野さんがいらっしゃったので、
ここから参加していただこうかなと思いますので、よろしくお願いします。
そもそも天野さんと今井さんの関係があったから、
オペラシティアートギャラリーでこの展覧会が巡回してきたんですよね。
だから、物事ってだいたい結果としてあるものは振り返るとそういう言い方になるんだけど、
本当にね、偶然が重なったとしか言いようがない。
強い意志があってその意志の通りに動いたというよりは、
本当に偶然が重なったとしか言いようがない。
それを今井さんの作品についていろいろお話しされているのも聞いて、
それも同じようなことを思ったんですけどね。
このそもそも関係性というか、どこで知り合ったんですか、最初。
だから最初は、これもね、今思えば、
どうしてムサビに行ったんだろうというのを思い出せないんですけど。
まだムサビに行ったんですか?
うん。何か良い意味で。
ムサビにいたんですよ、たまたま。
当然それはさっきのムサビ自体の話じゃないですよね。
もう卒業して作家としてやってて。
何年前かな、4年か5年かそれくらい前。
それで、僕の知り合いがそこにいたんですけど、
その知り合いの彼が、今井さんのね、スタジオがわりと近くにあるから行きませんかいって言う。
で、スタジオなんかなかなか見れないし、じゃあ行こうかいって言う。
今井さんの許可は取ってるんですよね、当然。
いやいや、許可は。
連絡来て。
はいはいはい。
いますかーって。
そうそう。全然カジュアルな感じでね。
作品はしてたんですよね。
それはしてましたけど。
じゃあ初に行くわけですね、初めては。
で、近くですから行きましょうって言ったのに、全然近くなかったので。
車では行ったんですか?
歩いて歩いて。
距離あったんですか?
いや、それをブツブツ言ったの覚えてましたけど。
それでね、結局、結果としての作品は知ってたけれども、
それが一体どういうプロセスで制作されたなんていうのは、
言うほどね、展覧会でもやろうかいっていうような機会じゃない限りは、
なかなかわからないんですよね、僕らでも。
で、それを知ることができたっていうのがそこで。
そっか、本人ともお話もできて。
そうそうそう。
こうやって作ってんですよね、みたいな話。
そうそうそうそう。
それで、それはそれで終わったんだけど、
これもね、いつっていうのは、はっきりと年まで覚えてないんだけど、
これはね、聞いてる人が大きなクエスチョンマークになるかもしれないけど、
たまたまブラタモリを見ててね。
クエスチョンですね。
ブラタモリって全部が全部じゃないかもしれないけど、
でもあの番組の面白いところは、ある土地に行って、
その知識としての歴史を頭に叩き込むというよりは、
まずこの道歩いてみませんか?とか。
そうすると何か感じませんか?とかいう問いがけに、
実際に歩いてみると、ゆっくりとした傾斜であったりとか。
それが紐解いていくね。
テキストを書く
つまり体の身体的記憶じゃないんだけど、体験みたいな。
で、それを見てた時に、
これってひょっとしたら、今井作品を紐解く面白い話でもあるなと思って、
で、まあ間走りますけど、それで生まれて初めて、
今井さん本人にね、
テキストは書きたいで、書いていいかなというか、
別に原稿料とか、どっかに出すとか、カタログに出るとか、出版するとかじゃなくて、
とりあえず書いてみたいんで読んでくれんかなみたいなことを初めて言ったんよね。
それもその後何か企てようなんていうことは全く考えてなくて、
単に書きたかっただけだったんですよ。
結構な文字数書いたんですか?
まあ、結構書いたな。
で、それが送られてきたわけですか?
そうです。だいぶ時間経ってから。
どうでしたその読み?
それが都市の読み解き方と、僕の絵画の読み解き方をつなげてたりとか、
そういうのが都市の裏表の話であったりとか、結構面白くて、
すごいですね、みたいな感じで。
これ何にも載らないのもったいないなと思いながら過ごしていて、
その翌年かな、ドイツのコンストフェライン、
ギャラリーのような美術館のような市民ギャラリーのような、
そういうスペースで個展をやるってことになって、
カタログ作るからテキストみたいな話になって、
あ、これ天野さんのやつだなと思って。
去年も書いてもらったあれだみたいな。
あれをドイツ語と英語に翻訳して掲載していいですかねってお願いをしたらいいですよと言ってくれて、
でも日本語では出てなかったんですよ。
展覧会の動向
その段階では?
カタログも出てたけど、ドイツ語と英語のバイリンガルだった。
今は読める?どっかに載ったんですか?結局日本語版は。
で、僕が丸亀で個展をやりますってなった時に、
天野さんも含めいろんな人たちと飲んでる機会があって、
まだちょっと言えないんですけど、丸亀で個展やることになったんですよ。
天野さんのテキストが日本語で出てないのがすごくもったいないから、
あれを軸にもう一回書き直しみたいなことをしてもらえませんか?
当時、天野さんはあさみの辞めた後のフリーで、
あのフリーランス時代だった。
いいよいいよっていう、じゃあお願いしますねみたいな感じで書いてもらう。
だから今回、オペラシティでも買えるカタログにそのテキスト、
ちゃんと綺麗になったものが載ってます。
ついに載ったわけですもんね。
ついにって言ったんだけど、カタログに出たのはついになんですけど、
今の話のようにね、フリーだったし、
フリーなんで、いただく仕事はもう全部ありがたいっていうね。
フリーの時ってなってよくわかったんだけど、
ありがたいなと思ったし、美術館天野会のカタログに書けるなんていうのは。
だけどその時はもちろんオペラシティに勤めるであろうなんていうことも、
これから強いことを考えてもなかったし、予定もなかったよね。
で、それが結果として巡回に動きつけることができたっていう。
これのね、アトリエに訪問も含めてこの流れがね、
非常に強い意志というか、目標を立ててとかじゃなくて、
いろんなことが偶然重なったのってのはすごく面白いなと思う。
その出会いがなかったら、もしかしたら丸亀一貫で終わってたかもしれない。
そうですもんね、展覧会としては。
だってそうですもんね、これ巡回するのは実は決まってて、僕もアマノさんから聞いたけど、
早めに告知しちゃうとみんな丸亀行かなくなっちゃうかもしれないから、
結構ギリギリまでみんな黙ってましたよね、東京でやることも。
実際、丸亀が始まる1ヶ月ちょっと前ぐらいに、
巡回していい?みたいなこと言われて。
そうなの?みたいな。
そっちの丸亀さんとオペラさんの間では色々やり取りはもちろんあった上で、
僕は何も知らずに。
ちなみにアマノさんからの言葉しか聞いてないからなんですけど、
最初に来た時の第一印象とかはどうだったんですか?
僕はやっぱりアマノさんのことは存じてましたし、
アマノさんが作った展覧会も見てたし、
色んなところでお見かけもしてたし。
緊張とかするもんなんですか?
全然したことはない。
どうでした?第一印象は。
大きいな。
緊張もでかい。
足長いとかさ。
そんな感じなんですね。
けど僕がこうだこうだ喋ってるのをすごく面白そうに聞いてくれてたのが印象に残ってますね。
でもその書いた論文じゃないけど、テキスト書いたよって言われた時も、
そういうもんかみたいな感じだったんですよ、最初は。
アマノさんがそういうことするのが初っていうのも知った上でもらったんですけど、
書いてくれるもんなんだなーみたいな。
こういうことしたことないんだけど、書いてみたいと思ったんでいいですか?みたいな。
テキストとトーク
そんなの喜んでるんですよっていう感じですよね、作家としては。
実際そのアマノさんの文章は、やっぱり皆さん図録買っていただいて読んでいただければなと思うんですけど、
実際初めて読んだ時に今井さんは、分かってるなっていう感じ、どうでした?
こういう側面からこういう絵を見ることができるんだなっていう驚きの方が大きかったっていうか、
全然やっぱり僕が見えてない角度から物を見るんだなとか、
それって一つの物を見ていろんな人が見ればバラバラなのと同じだと思うんですけど、
それはすごく新鮮だったし、でもそれがすごくエキサイティブな内容だったので、すごく面白かったですね。
実際丸亀でもトークされたんですよね。
練習しましたね。
どうでした?その時の。
面白いスライドとかを出してくれながら、結構面白い。
またそのテキストとは違った角度で話ができて面白かった。
日本美術の話をされたっていうのは、風の噂で聞きましたけど。
日本美術というのは、この間、この5、6年ぐらいすごい興味のあることがあって、
絵画の置かれた状況の変化
その興味のあることの、今井さんの作品もそのテーマに結びつくようなね、
作品であったりっていうのも今思えばあってさ。
これはいろんな見方があるからね、これが絶対ですなんていうような話じゃなくてさ。
つまり、スカートというテーマで使われてるしね、タイトルで。
芸にやっぱりスカートっていう具体的なものがあって、
そのスカートの模様やパターンみたいな。
そこがデザインだよね、普通。
美術の分野で言うと、スカートの柄ってさ、みんなどう扱うんだろうって考えると、
一般的にはそれを着てる人をまず描くんだよね。
つまり人物像として描くっていう。
そうすると人物がいわば主題で、それを支えるというかな、
主演に過ぎないものという関係が、絵の歴史でもあったわけですけど、
これ明らかにそれが転倒してるわけね。
転倒どころか、主役の人物はないわけ。
消失しちゃってますね。
つまり、主題でないはずの、みんながデザインと勝手に思い込むものが、
主題になってること自体がある種の事件かなと思ったよね。
これが僕の一番面白いなと思ったところで、
そうすると、絵ってキャンバスの上に描かなきゃいけないのが絵という風な考え方すらも疑えば、
エプロンとかトートバッグとかいろんなグッズがあるんだけど、
あれグッズって言い方してるんだけど、
あれも絵なんだよねっていう。
そこはデザインで、これは絵ですっていう、
この境界がよくよく考えたらないんですよね。
それが本当に面白いなと思って。
でもそれは浜野さん、今井さんの作品は見たわけじゃないですか。
もし出会わなかったら、そこに気づいてなかったかもしれないってことですか?
いや、だから、さっき言ったような、
大げさに言うと、絵の歴史みたいなのがあってね。
今まで絶対に取り扱うことがないようなものが、主なテーマとなっていくっていうのは、
実はその流れとしては来てたわけですよね。
21世紀になってっていうか。
だからそれはなんとなくぼんやりとそうだよねって思ってた中であったから、
余計においおいおいって。
自分が探してたんじゃないけど、この人だってなって。
もう一つ面白いのは、
この展覧会に来ていただくとね、
普通は作品の横にキャプションと称してタイトルがあったりとかあるわけね。
それがないんですけど、その代わりに番号を振ってるんですよ。
ハンドアウトで渡しているリストを見ながら、
この番号はこのタイトルなんだとか、制作年がいつとか。
壁の番号がバラバラなんですよ。
前半でもその話してましたけどね。
作品や番号の組み合わせによる時空間の意味
普通なら、最初から1、2、3って、
なんでこんなにわざわざバラバラになってんだいって言うんだけど、
これは丸画面ではそうだったんですけど、ある程度ね。
だけど、同じ作品で、構成は同じっちゃ同じなんだけれども、
実は違ってて、順番が違うんですよ。
これってね、これも一般的な話ですけど、
展覧会、僕ら学院はバラバラっていうかな、
いわゆる一定の法則以外の理由で、
例えば制作年とか、テーマが同じだとか、
そういう決まりきった法則に従って以外の、
シャッフルをする権限は我々にないわけですよ。
なるほど、なるほど。
権限がないというよりも、
もちろん作家と話をしたとしてもね。
ただ今回は、僕が言ったような意味の制作年だとか、
テーマ別とかいうふうな、今までの従来の、
言ってしまえば伝統的な分類の仕方を、
明らかに逸脱してるわけですよ。
でも逸脱してても、
お互いに作品同士がこうし合うっていうのは、
これもね、実はこの展覧会の最大の特徴の一つなんですよ。
だからこれはみんな他のアーティストもできるかって言ったら、
それでもないと。
あのね、いや、できないなんて言いませんよ。
言わないんだけど、少なくとも今回に限って言うと、
順番を変えたとしても、
その変える理由は明らかにあってね。
画面同士とか、画面の構成のあり方とか、
いろいろなそういう理由があるんだけど、
しかしそれにしても、
途中にエプロンが手にしてたりとか、
パジャマが手にしてたりとか、
つまり普通ならこんなグッズみたいなものを置いてどうするんだい?
っていう話なんだけど、
実はそれらも、
私パジャマですとか、私絵画ですとか、
っていうふうなことじゃなくて、
みんなが実は同じ絵画なんですよ。
グッズと絵画の境界の曖昧さ
ペインタリーな世界を構成してるっていうのも、
僕あるようでないと思うわ。
だから一種の、ある種の事件だと。
この展覧会。
大げさに言えば。
でも絵画だからこそ、
できることって感じですよね。
だからずっと今井さんが絵画を突き詰めてきたからこその一つの展覧。
だからそれはわからん。
彫刻でもあるかもしれないし。
ただその、今井さんが突き詰めてきたこと自体が、
まさに今言ったようなことを可能にしてることは間違いない。
なんかそんな気がする。
ちなみに今井さんは本人から言いづらいかったです。
推し作品みたいな。
推しね。
作家本人から言いづらかったですから。
いやいやいや。
それはね、
僕がレストランをしてるとしてよ。
シェフやっててよ。
どれが一番うまいですかねって言うと、
全部決まってるだろうって言うに決まってるわけですけど、
さっき言ったように、
こういうの全体の展覧会として見てほしいのよ。
空間も含めるんですかね。
つまりね、一個を取り上げて、
何もない白い壁にポンと展示してね、
眺めながらいいよね、
もいいんですよ。
いいんだけど、
明らかに関係性を見て、
関係性の中に自分の身を置いて、
見てほしいんですよ。
そうですね。
展覧会の再現不可能性
図録ではもう決して楽しめない。
いやいやもう無理無理無理無理。
だからやっぱり展覧会ならではってことですよね、そこは。
だから本当に、
展覧会って実はね、
再現不可能なんですよ。
皆さんなんとなく、
同じ作品で、
同じ順番にやれやできると思ってらっしゃるかもしれないけど、
それはね、
本当に何ミリ単位で測って、
再現するやできるかもしれないけど、
事実上不可能なんですよ。
実際もう、だって丸亀とオペラシティで。
全く違いますね。
作品が増えたと言ったってですもんね。
だから一回生なんですよ。
絵画も一回生という言い方をするのね。
一回生というのはそこの場で立って見ないと、
見れないじゃないですか。
例えば、
いやカタログでも見れますけど、
いやそれはもう写真なんで。
だから一回生なんですよね。
で、展覧会も、
そこに身を置くっていう一回生の経験しかできないので、
できりゃね、
いろんな皆さん、
用事があって大変かもしれないけど、
あそこに身を置いてもらったら、
たぶんここで言ってることの意味がね、
おーなるほど、こんなこと言ってんだいっていうことがわかってもらえると思う。
じゃあ話をちょっとまた今野さんのパーソナルな部分に戻しまして、
今野さんの爬虫類趣味
これもう皆さんに聞いてるんですが、美術以外の趣味はありますか?
はい、僕は爬虫類の飼育の趣味ですね。
意外なのが。何を飼ってらっしゃるんでしょう?
主にトカゲなんですけど。
主にってことは何匹も?
今何匹いるんだろうな。ちょっとわかんない。
でも20ちょいぐらいかな。
え?トカゲだけで何匹いる?
へー。
10もいないかな。10ぐらいですかね。
昔から好きなんですか?
いやー、見るのはもちろん好きでしたし、
子供とかトカゲ見つけたらわーって捕まえたりとかはしてましたし、
でも本格的に爬虫類っていうのは、
高校生の時にリクガメを飼い始めたっていうのがありますね。
一緒に東京出てきて。
名前は何だったんですか?
ハルミちゃん。
呼び込む時の友達から勝手に付けたのがそのまま付いちゃったんですけど。
ハルミちゃん今もう?
今もう十数年でちょっと死んでしまって。
あらあら、カメ長生きなのかと思う。
じゃあ今一番いる中で長生きしてる子は何人さんなんですか?
その後にいろいろブランクがあって、
5、6年前からまた爬虫類を飼い始めたんですけど、
長いのは6年ぐらい。
最初に飼い始めたのは何でした?
トゲオアガマっていう。
トゲオアガマ?ガマガエルですか?
アフリカのアガマカと言われるの中の、
尻尾がトゲトゲで、お腹がボテッとしてて、
要はゴヘモチみたいな形してるんですけど、すごく愛嬌のある。
何に近いんですか?アガマっていう種類が?
アガマと言ってもいろんな種類がいるので。
トゲオってことはトゲのオッポのアガマなんですね。
大きいんですか?トゲオアガマ。
一番ちっちゃい種類だと多分15センチぐらいから、
一番大きいので60センチぐらいじゃないですかね。
そのトゲオアガマはちなみに名前を何て付けてるんですか?
いろいろガハクとか。
ガハクがいっぱい。
トゲオアガマが何匹もいるんですか?
何匹かいてだいぶ減ってきたんですけど、
いろいろうまく飼えなかったりとかも。
今一番メインになっているのは、
またこれもトゲオなんですけど、トゲオイグアナっていう種類の
繋ぎトゲオイグアナっていうイグアナがいて。
なんで繋ぎ?トゲオまでは何かトゲのオッポで。
背中にクレストってギザギザがあるんですけど、イグアナの。
で、しっぽのトゲトゲとが繋がっているから、
繋ぎトゲオイグアナっていう和名が付いてるんですけど、
それは一番大きくて。
どれくらいのサイズが?
今、1メーター10センチぐらいです。
えー!そんなに20匹。
浜野さんがアトリエ行った時もいたんですか?
いましたいました。
ああ、その時はいたかも。
へー。
ちなみにイグアナの名前はなんですか?
いっぱいいるので、
通称雷様って呼ばれているオスがいて、
梅子っていう梅雨の時期に飼ってきたオスがいて、
もう1匹別のフーコっていうのがいて、
で、梅子と雷様から子供が取れたんですよね。
で、それはもうめんどくさいので、
1番から番号振って、
今、うちにいるのは2ちゃん、
4様、
6ちゃん、
で、チビって呼んでる12っていう。
そんなにいるんですか?
今、4匹残してて、
10何匹生まれて。
それはもう人にお譲りしたり?
専門のショップにお譲りしました。
絵画の下手さと制作の楽しみ
そんなにオス好きなのに、それ描いてみようはなんなんですか?
やっぱり生活と制作は分けたいなっていうか。
好きで止まってしまうのは嫌だなって思うんですよね。
でも趣味で描いたりはしないんですか?
僕、描けないんですよ、絵が。
描けないから、ああいう絵を描いてるので、
描き方を決めて、ルールを決めて絵を描いてるので。
美大行ったんだったら絵うまいんでしょう?
何が上描いてるよとか言われるのが一番困る。
僕、めちゃくちゃ絵下手ですけどいいですか?みたいな。
そんなこと言ってくるやついるんですか?
いますよ。
でも絵描けるんだなって思っちゃいますね、確かに。
でも描けないんですよね。
でもそれは一日の楽しみでもあるんですか?
その絵を制作して疲れ終わって戻ったら、
ハチオリに餌あげてる時が楽しいとかそういう感じなんですか?
まあ、そうですし、スタジオにそのでっかいトカギがいた頃は、
ペットについての話
制作してるとゴソゴソ音は聞こえるので、
生きてんなーとか、
俺一人じゃないな、今と思いながら絵描いたりはしてましたね。
矯正してたんですね。
そうですね。
だから、いてくれてよかったなぁとは思います。
何の話なんだよ。
意外な一面過ぎてちょっとびっくりしますね。
いるんですか、ちなみにアーティストの友達とかでハチオリ好きとか?
何人かハチオリ飼ってるアーティストは知ってます。
でもそういう話するんですか?最近お宅の元気?みたいな。
あんましないですかね。
でもまだ他にも描いたいなとかはあるんですか?
いや、でももう今いる子たちを精一杯世話できればとりあえずいいかなとは思います。
彼らが全部寿命を全うしてくれたらあと20年ぐらいは生きると思うので、
そしたら僕いい歳ですし、多分扱えないだろうなと思うので。
大きくて、体力的に。
そんなに大変なんですか?やっぱさ。
やっぱ爪すごいですしね。
あれどうする?爪切るんですか?
爪切りで切りますよ。
爪切るよーっつって。指1本ずつ持ちながら爪切りますね。
引っかかれたりとかしないんですか?
彼らは引っかくっていう意識はなく、体に登ってくると、
これから薄切りになってくると腕傷だらけになってリストカットしたみたいに見えたりはしますね。
アトリエで矯正してた頃に、彼が作品の上に乗っちゃって、
作品が傷ついたとかそういうことはなかったんですか?
完全にトカゲの部屋を作っていたので、なかったですね。
作品に影響はなかった?
なかったですね。
それなら良かったですね。
これはもう本当に美術以外の趣味ですね。
アウトプットについて
完全にそうですね。
これはちょっと他に出てくるとは思えない趣味がある。
僕は苦手なんですよ、爬虫類が。
でも多分見てみると違いますよ。
ヘビはどうですか?ヘビは大丈夫?
ヘビは全然大丈夫ですけど。
ヘビは飼っているんですか?
一匹だけいます。
ただすごく小さい。
鉛筆ぐらいの太さの30センチぐらいの。
なんていうヘビなんですか?
クビワヒメレーサー。
すごい失礼な言い方かもしれないですけど、なんで普通は飼わないんですか?
なんかよくわからないですけど、レアなのしか今日聞けないんですけど。
やっぱ大きいヘビ、いいなと思うんですけど、
餌が冷凍のネズミだったりウズラだったりするんですよ。
うちには、さっき言ったイグアナたち、アガマもそうですけど、
基本的に草食で野菜を食べます。
ヤモリとかはコオロギを食べます。
ネズミとかを食べるものを買うと、餌の種類が増えるなっていうのは嫌で、
だからうちにいるクビワヒメレーサーのヘビはコオロギを食べるんですよ。
だったら餌を増やさなくても飼えるなって。
ちなみにクビワヒメレーサーの名前はなんていうんですか?
エリ。
エリ巻きしてるみたいな。
いろんなアレですよ。
そういうのってインスタとかにあげてない?
結構あげてます。
一時期トカゲばっかりあげてたら、ある美術館の人から、
最近絵描きっていうか、トカゲおじさんやんな、今井くん、大丈夫?みたいな。
言われたことありますけど。
気になる方はインスタを見ていただければ。
遡っていただければ結構出てきます。
貴重な話が聞けましたね。
個展について
僕も遊びに行かせていただいたら是非。
見させていただきたい。
長袖着てきてください。
傷つけられないように。
ということで、そろそろ収録終わろうと思いますが、収録いかがだったでしょうか?
すごい楽しかったですし、
いろんなことを聞かれて、それに答えてると自分がそうだったんだなって、
もう一回考え直せたりもしたので、
いい機会をいただいてありがとうございます。
こちらこそ本当にありがとうございます。
お忙しいところです。
せっかくですので、最後に改めて告知をお願いいたします。
今、東京オペラシティアートギャラリーにて、
スカートと風景という個展を6月18日までやっておりますので、
会期、休みとか、そういうのはオペラシティのサイトとか、
見ていただけたらと思います。
空間を味わっていただきたい。
空間が作品だと思って見ていただけたら、
いいものの見え方がするかなと思います。
ぜひ皆さん、足を運んでいただきたいと思います。
チャンネル登録をお願いいたします。
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