言葉を超えたコミュニケーション
こんにちは、健康塾ホリスティック・ヘルス・ラボ、ナビゲーターの岡田です。
私たちは毎日、多くの言葉を使って生きています。
仕事でも、家庭でも、SNSでも、あらゆる場面で、言葉が機械、コミュニケーションの中心になっていますね。
でも、実は私たちが本当に心を通わせている瞬間というのは、言葉だけじゃない、
むしろ言葉のない静かな眼差しが、もっと深く人の心に増えることがあります。
例えば、悲しみに沈んでいるとき、何も言わずにそっと見守ってくれる人がいるとします。
その眼差しには、あなたの存在を大切に思っているよ、という無言のメッセージが込められていて、
どんな励ましの言葉より、心の奥まで染み渡ることがあります。
眼差しは、相手の存在そのものを受け止める行為です。
評価でも、アドバイスでもない、ただそこにいて見ているよ、というシンプルな在り方。
これはまさに癒しの原点ではないでしょうか。
心理学では、乳幼児が母親と交わすアイコンタクトが、安心感や信頼を育む土台になっていると言われています。
赤ちゃんは、言葉を知らなくても、お母さんの目を見て、温もりや安全を感じ取っています。
つまり、私たちは、眼差しによって育てられてきたとも言えるんです。
大人になってからも、それは変わりません。
介護の現場でも、教育の現場でも、医療の現場でも、
ちゃんと目を見て接することが、相手との信頼関係を築く基本だとされています。
ある介護師さんは、言葉を発することが難しくなった認知症の高齢者と接するとき、
言葉より眼差しや手のぬくもりで、通じ合えることの多さに驚いたそうです。
あなたがここにいることを、私は見ているよ、と伝えるその視線は、
たとえ相手が言葉を忘れてしまっていても、心に確かな何かを残すんですね。
眼差しには無言の承認という力があります。
あなたはそのままでいていい、という深い許可。
そこには、ジャッジもコントロールもありません。
ただ、存在を認める静かな肯定があります。
これは対人関係だけではありません。
自分自身への眼差しにも、同じような癒しの力があります。
私たちは時に、自分に対してとても厳しい目で、
どうしてこんなに失敗したんだろう、と責めたり、
もっと頑張らなきゃ、と追い込んだり、
そんなときこそ、自分に優しい眼差しを向けてあげてください。
例えば、鏡の中の自分を見て、
よくやってるよ、今日もお疲れさん、と心の中でそっと声をかけてみる。
これはちょっと照れくさいかもしれませんが、意外と効果があります。
たった数秒でも、自分に温かい視線を向けるだけで、
心の中に張っていた無意識の緊張が、わーっと緩むことがあるんです。
人間関係の中で、
眼差しは相手との距離を測る見えない指標でもあります。
見つめすぎれば、圧になります。
目をそらしすぎれば、距離が生まれる。
ちょうどいい眼差しとは、相手のペースを尊重すること。
見守ることと、干渉しないこと、
その絶妙なバランスが、相手に安心感を届けるのです。
自己への優しい眼差し
それから、こんな経験はありませんか?
ペットと目があって、言葉はなくても通じあった、と感じる瞬間、
または森の中でふと立ち止まったとき、
大きな木に見守られているような気がすること。
実はこれも眼差しの延長にある体験なんですね。
人間以外の存在とも、私たちは深くつながることができるのです。
癒しのコミュニケーションとは、何かを伝えようとするだけではありません。
むしろ、ただそこにいるよ、私はあなたを見てるよ、
と静かにいることの中に本当のつながりがあるのかもしれません。
言葉にたおりすぎず、時には目と目が合う静かな時間を大切にしてみてください。
今日、あなたが出会う誰かに、そして自分自身に、優しい眼差しを向けてみましょう。
本日もご視聴ありがとうございました。
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皆様の健康な毎日を応援しています。
ナビゲーター岡田でした。