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みなさんこんにちは、マスコットです。 今回はですね、考察する建築家というタイトルで話をしていきたいというふうに思います。
考察する若者たちっていう、三宅花穂さんの本があるんですよね。 文芸評論家の。
三宅花穂さんのその本は、他の本も結構たくさん、僕はいくつか、たくさんというか、いくつか本を読んでるんですけども、
そのね、考察する若者たちの内容がすごく面白くて、現代の、だから20代とか若者ですよね。20代以下とかかな。
を考えたときに、その考察するということが結構多くやってるんじゃないかという話をされていました。
まずね、その考察って、この三宅花穂さんが言うところの意味の考察っていうのは、一つの答え、例えば作者とかですね。
が持っているその答えに謎を解いて、そこを導くみたいな、そこを謎を解いてっていうかな、そこを見つけ出すみたいな行為が考察という、
答えがあるものということを前提に、それを探していくみたいなことを考察っていうふうに言ってるんですよね、その本の中で。
一方その対比としてあるのが批評っていうものがあって、それは答えっていうものはなくて、なんだかそのそれぞれの人が考える考え方であって、
そこでまあ、私はこう思うんだけどっていうところ、それが答えかどうか、作者が考えているかどうかっていうところは全く関係なくて、
なので批評にはいろんな考え方があるっていう話なんですよね。
今はそういう考察っていうものが若者とかの間ではより多くされているんじゃないかっていうのがあって、
考察系動画とかもよくあるじゃないですか。
僕ね、なんかそれ読んだときに、まさに僕自身も結構考察動画とかね、YouTubeとかで見てたりしたんで、
それはそうだなと思って、僕本当にね、多分かなりびっくり、
意味がわからない人からする、普通の人は多分意味わからないんじゃないかなと思うんですけど、
僕、呪術回戦すごい好きなんですけど、漫画とか、最後らへんとか全然読んでなくて、
でもアニメは見てたんですけど、漫画読んでなくて、
でも最終ってかどうなったのかなっていうのが気になっていて、アニメを見ながら。
ただ漫画も読んでないし、買ってもないからっていうときに、僕は考察動画だけ見てたんですよね。
つまり考察動画って漫画を見た人を前提に、これってこういうことなんじゃないか、
作者はこういうふうに考えてるんじゃないかみたいなことを、
その考察動画をやってる人が語っているんですけど、
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僕はその漫画を見た前提で語られてる方の漫画を見てなくて、
でもそっちの考察動画だけを見てたんですよね。
その人の解説がすごく上手だったからっていうのもあるんですけど、
ジュース回戦自体結構難しい話なのでっていうところもある上で、
すごくわかりやすくて、
なおかつ絵があるわけじゃないんですけど、
漫画みたいにそれぞれの絵があるわけじゃないんだけど、
こういうふうに進んでったっていう流れは把握することができたので。
なんでその動画を今考えると見てたのかなっていうふうに思うと、
わかりたかったんですよね。
だから、ジュース回戦というものを見たんだ。
自分は、僕はジュース回戦というものを見たんだっていうふうに
思いたかったっていうことなのかなっていうふうに、
そんなに深く考えてなかったんですけどって思うんですよね。
これすごい不思議で、だから僕の場合はその正解っていうかな、
ジュース回戦って面白いよねっていうふうに
僕も思ってたしまいの中でもそういうふうに言われてたから、
最後までその話の流れを分かりたいなっていうふうに思ったから見てて、
でもよく考えると、なんでその分かりたいって思うんだろうっていうのは、
今思うと不思議なんですが、
確かに分かりたいっていう感覚はすごいあるなって、
僕自身もそうだから思うんですよね。
分かりたいってすごく安心感があるんですよね。
世の中って本当はすごく複雑で分からないことだらけなんだけど、
何か自分の中で、つまりそういうことだねっていうふうに思えたりすれば、
そういうふうに納得できたりすると、そこで安心感があって、
そういうの、安心感を得たいからやっぱ分かりたい。
で、何て言うんですかね。
ただ単に見たっていう感動だけで本来は良かったのかもしれないんだけど、
そういういろんなメディアとかそういったエンタテインメントかな、
見るだけですごい面白いとかすごい楽しいみたいな感覚だけでは満足しなくて、
そこに報酬的に分かったんだとかっていうところの納得感とかかな、
そういうものがあるっていうことをすごく求めているよね、
現代の若者たちはっていうような感じの流れの本なんですよね。
ぜひ、僕はオーディブルで聞いたんですけどね、
皆さん興味ある方は見ていただきたいんですが、
まさに現代を表しているなと思って、
で、このことを僕は建築家なんで、建築で考えてみると、
いやこれは僕自身もそうだけど、
考察しているな、今の意味の三宅嘉穂さんの言うところの考察っていうふうな捉え方をすると、
考察する建築家だなって僕は思ったんですよね。
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それは何かというと、ある答えがありそうなところに対して、
それはお施主さん、クライアントだったりだとか、
場所の読み方とかに対して、これが答えだろうっていうところを導いて提案するとか、
で、実際にそれが作り出されるみたいなところがあるなというふうに思って、
僕もそういうふうにやっているし、
割とそういう考え方の建築家の人も多いかなというふうには思うんですよね。
そこの何て言うんだろうな、答えらしきもの。
自分で答えを見つけるっていうところは違うかもしれないけど、
その場所とかそのクライアントならではの答えを見つけようとしてやっていると。
これ自体が三宅さんもね、考察するということ自体が問題があるとか良くないとかって言っているのではなくて、
批評するという人も世の中にいたほうがいいよねって。
そういうほうが多様性があるから、世の中に多様性があったほうがいいっていう考え方なので、
そういう話をされていて、まさに建築の業界でも、
僕はその考察するという範囲と批評するという範囲は結構違うなっていうふうに思っていて、
ある種エゴとか他の人からすれば全然納得いかないけれど、
僕はこう考えたとか、私はこう考えた、で、これはこうに違いないみたいな意思を表明して、
社会に対して問題を定義していくみたいな姿勢っていうのはすごく重要だなというふうに思うんですよね。
で、僕の中ではその範囲で定義すると分かりやすいかなというふうに思っていて、
まずその一軒の住宅みたいな範囲で考えて、住宅で考えますね、仮に例としてすると分かりやすくて、
一軒の住宅を考えたときに、その一軒の住宅の範囲だけで考えるっていうのが、
僕がもう建築家の人はそれじゃないんですよ。
ただ一般的な人が考える建築っていうのはそこに、建物かな、住宅っていうのはそこにあると思うんですけど、
それは一軒の住宅を考えるというのはどういうことかというと、内装からそのお施設さんの要望に対して答えていって、
もちろん多分階層、外からの見え方とか佇まいとかっていうのも考えられるんだけど、
その一軒の範囲で考えているっていう部分なんですよね。
これは普通の人からすれば家ってそういうものだろうっていうふうに思うと思うんですが、
僕が思う建築家の人はその範囲では終わらないんですよね。
そのことももちろん考えた上で、次に言えば考察する建築家、仮にしましょうかな。
しましょうかなというか、しましょうというか、建築家の人は考察はしていると思うんですね、少なくとも。
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っていう範囲が、僕はまあ半径100メートルぐらいまで考えている建築なのかなというふうに思っています。
それはどういうことかというと、それは風景としての在り方みたいなことも考えているということですね。
つまり建築は、いい意味でも悪い意味でも、他の人、近く通勤している人、通学している人、車で通る人とか何でもいいんですけど、
そこを目の前を通る人がいるわけですよね。
それは一回きりかもしれないし、毎日通る、休みの日以外毎日通るみたいなことかもしれないけど、
そこにあるということは風景に確実に影響を及ぼすので、
それは確実に自分たちだけで完結するものじゃないんですよね。
他の僕が家具をデザインするので、例えば椅子だとすれば、それは室内だけに現れるものだから、
それはそこの自分たちの家族がもしかしたら良ければいいっていう話なのかもしれないんですけど、建築はそういうわけにいかないんですよね。
確実に良い意味でも悪い意味でも外の人に影響を及ぼすがゆえに、やはりそこの風景としてどうあるかっていうところは考えるべきだっていうふうに、
僕はもう建築家の人はそう見ていると思います。
だからこそ場所をどう読み取るかっていうところとかを多角的な検討ですね。
いろんな風の吹き方だとか、熱の環境だったりだとか、日射とか同じか。
そういういろんな様々な要因ですよね。
だから考えていくということをしているので、それは半径100m。
僕もその建築家の範囲には入っていると思うんですけど、そういうものかなと思います。
さっき話したみたいに批評する建築家って何かというと、
範囲は一つの例ですけどね、捉えるとある種そこの100m以上なんですよね。
というかそのエリアとかその地域とか、何なら日本全体とかって広く取ればそれもあって、
例えば他は東京とか郊外とか、そういう場所、かなり100m以上の大きさに対して
どう答えるかっていう、そういうところまで考えているのが批評する建築家だと思うんですよね。
だからその建物、一軒の建物、一軒の住宅かもしれないけれど、
それが社会に対してどうインパクトがあるかとか、どう問題を定義できるかというところまで
考えていっているものを考えていけているかどうかというところが批評する建築なのかなというふうに思います。
そこまで実際にはそうなっているかどうかということは分からないですよ。
ただそれはその建築家がそういう意思を持って、
その一軒の住宅を設計しているかどうかというところに僕は関係すると思っていて、
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そこはかなりすごく難しいことだとも思うんですけども、
そこがある種批評する建築家という人たちのゾーンであって、
僕自身そこまでは全然行けていないとは思うんだけど、
でもそれを持つということは、そういう批評性を建築家が持つということを意識して、
それを通って一軒の住宅だとしても、
世の中にそれで設計していくとか表明していくということができるということは、
すごく宮古家さんの言うところの多様性があるというところにつながるし、
僕はそういう、みんながみんな、全員の建築家がそうあるべきだとは思わないし、
考察するところまで、半径100メートルまで考えているということも、
すごく風景に対して応えているし責任を持っているから素晴らしいことだと僕は思うんですけども、
そういう人たちも世の中に多いといいなというのは思っていて、
僕は今そういう建築家の人たちというのは、
少なくなってきたというとちょっと分からない部分はあるんだけど、
そういう意識でやっている人ももちろんいると思うんですけども、
発表された文章とかを見る限り、そういう僕が言うところの半径100メートルの範囲までを考えて、
やっているみたいな人も割と多いのかなというふうに思いました。
だからそれはすごく批評するということ、批評性を用いるということだとはそもそも思うんですけど、
どんな小さな建物だとしても、世の中に出てくる建築だとしても、
世の中に必ず影響を与えるんだから、それは批評性を持つというふうには言えるんだけど、
それは意識的にできるかというところがあるなというのをすごく思ったし、
ある種考察する建築家というような形になってきているという部分も、
みんながみんなではないし、それがダメとも僕は思っていないんだけど、
そういう人が多くなってきている、僕含めそういうふうになる気がしました。
だから、ある種正解っぽいことを追っている、
そうするとそこに安心感があるから、それで満足しているという部分もあるし、
本当にそれでいいのかなというのを疑うというのはすごく重要なんじゃないかなということを思いました。
考察する若者たちは日本の現状を表している、
そういった分析している本なんですけど、書籍なんですけども、
建築の業界でもそういうことは言えるかもしれないなというふうに思ったし、
形が似てきているかどうかということは関係なく、
書いている文章が割と似てきている部分もあるような気がしていて、
そこら辺は僕もまだ勉強不足というか、雑誌とか読んだりはしているんですけども、
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本当にそうなのか、みんながみんなというふうには絶対100%言えないから、
多くなってきているということも簡単に言えないし、
言えないというかそれを言うことも間違っている可能性が高いので、
僕はあんまり聞きたくはないんですけど、
そこは1回考えるべきことなのかなというのをより思いました。
やっぱり分かるということは安心感があるんですよね。
分かるというか正解か、正解を正解っぽいことに導いていくということは、
すごく安心感を持てるし、そこで分かったという気持ちにもなってくるし、
そういう部分があるんだけど、そこはやっぱり疑って、
自分なりにこれは建物を建てるという、建築を作るということに対して、
そういうふうに問うことを、みんながみんなやれるわけじゃないし、
やったほうがいいよというわけじゃないんだけど、
そこは改めて考えていったほうがいい部分なんじゃないかなということを思いました。
今日はそういった部分の話、
考察する建築家ということについて考えたよという話をしていきました。
最後まで聞いてくださりありがとうございました。失礼します。