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佐藤奏海
敬和キャンパスレポ、この番組は、新発田市富塚にある敬和学園大学の大学生が、
大学に関わるイベントや人、新発田のことなどをテーマにお届けします。
みなさん、こんばんは。
今日の進行は、英語文化コミュニケーション学科3年の佐藤香波です。
今日は、番組内容もいつもとは違いまして、
2月に同級生のMC、西脇大輝くんと吉田由加さんが、
国際文化学科一戸先生と魚沼に来て、いろいろ収録していった内容をお届けします。
よし田結香
魚沼といえば、お米、コシヒカリのイメージが強いですよね。
私も地元、十勝の目室高校で使った社会の教科書に、
魚沼さんのコシヒカリの資料が載っていたのを思い出しました。
佐藤奏海
最強ですからね。
よし田結香
実は、ここ魚沼市小出は、我がMCチームの佐藤香波の出身地でもあり、
その佐藤香波のルーツを探ってみようという気持ちもあって、小出の街にやってきました。
小出のホルモン文化
よし田結香
かなぴー、小出といえば何がおすすめなんですか?
佐藤奏海
ちょっと恥ずかしいんですけど。
何と言っても、小出といえばホルモンで有名ですよ。
ホルモン焼きはどこでも食べられる料理だと思うんですけど、
焼肉とかみんなホルモン食べるんじゃないかなと思うんですけど、
よし田結香
小出は特にホルモンが有名で、独特の文化があります。
佐藤奏海
それをぜひ紹介していきたいと思います。
佐藤奏海
それからもう一つ、先ほど一戸先生から渡されたんですけど、
小出といえば戊辰戦争ということで、
戊辰戦争って小出関係あったんだっけ?
名前は聞いたことあったけどな、程度あったので、
こっちの方も取材していきたいと思います。
よし田結香
では私が資料から概略を説明します。
あんまりわからないんですが、
魚沼の戦い。
慶応4年、1868年4月、
新政府軍と町野源之助率いる藍津藩兵が、
ここ小出島で戦い、
敗れた藍津兵が藍津に配送したとあります。
つまりここは藍津藩僚だったということでしょうね。
ではこの渡された資料をもとに、ちょっと尋ねていってみようと思います。
Kはキャンパスレポ。
佐藤奏海
というわけでハイテンションで始まった収録ですが、
まず最初に戊辰戦争の際、小出で行われた戦いの後を尋ねていきます。
戊辰戦争・小出島の戦い
佐藤奏海
最初は藍津藩烈士の碑が建てられている小出の諏訪神社を尋ねています。
よし田結香
さて、ここは藍津藩烈士の碑ですね。ここまで来ています。
平成8年に朝鮮志向100年を記念して、諏訪神社の境内に混流されたものです。
小出の町の中心部から、だいたい車で2、3分ですかね。
佐藤奏海
そうですね。2、3分くらい。
魚沼郡小出町、横浜町というところに。
横浜町の線路沿い。
小出駅から徒歩5分。
踏切渡ってすぐ横にある神社ですよね。
今日とても雪が降っているんですか。
佐藤奏海
そうですね。
雪除けのカバーみたいなのがあって、それがなかったらすごいいい景色。
よし田結香
今日は休日で、お茶会が開かれていて、
佐藤奏海
隣のセンターにかなぴーの知り合いの方がいて、地元感。
よし田結香
夏には子どもたちが遊具館で遊びに来て、
ジャングルジムがありましたね。
佐藤奏海
夏祭りの休憩所として使われたり、今でもイークイーの場には立っています。
そうなんですね。
諏訪神社、そうだった。
経話キャンパスレポ。
よし田結香
資料の方をもう一度確認しますと、
佐藤奏海
諏訪神社は町野玄之助らがブーン長期を願った場所みたいです。
町野玄之助は藍津藩士で、
慶応4年小出島軍武業として赴任し、
小出島の戦いでは山内大学らとともに奮戦するも敗退してしまいます。
日の裏のブーンを一応写真を撮ってきたので、それをお読みしますと、
よし田結香
昆竜の心。
作家の柴良太郎氏は、
幕末期の藍津藩とその人々を人間秩序を磨き上げた光沢の美しさと称賛していますが、
藍津藩と小出とは、1700年代、共法時代から一つの文化ルートとして密接につながっていました。
母親の役の時も小出の武業は典型的な藍津藩士で、
このため多くの藍津藩士が小出の地で悲鳴に倒れたのです。
あれから清宗124年の歳月は過ぎ去りましたが、小出に生まれ育った者として、
今日の小出の街の繁栄を思う時、志を後世に問うと、
死をもって小出の地を守るために、
藍津藩士は、
藍津藩士は、
藍津藩士は、
藍津藩士は、
藍津藩士は、
心差しを後世に問うと、死をもって小出の地を守り、
順次た藍津藩列司の魂を慰めずにはおられません。
母親・戦争巡覧車の皆様、どうか安らかにお眠りください。
佐藤奏海
やはり藍津藩士の方々がいたからこそ、
今の小出の街が繁栄したという心を忘れないようにしようという。
そうですね。
よし田結香
岡波さんも読んだりしましたか?
佐藤奏海
授業でやったんですが。
よし田結香
たぶん来たことはあると思うんですけれど
佐藤奏海
やっぱりなかなか当時小学生読むことなんて難しい方なので
また読む機会がこうやってあって
よし田結香
改めて小出について出身地の方が良かった
良い機会ですね
佐藤奏海
地元を知るという
はい、そうですね
佐藤奏海
宇尾沼市小出の諏訪神社
佐藤奏海
藍津藩烈士の日を訪ねた日の私たちの音声をお聞きいただきました
小出出身の私も地元小出と藍津の関わりを知る良い機会になりました
小出島神谷跡
佐藤奏海
さて小出諏訪神社の烈士の日を訪ねた後
佐藤奏海
私たちは市内中心部にある小出島神谷跡を見つけます
佐藤奏海
ここでも雨で悪天候が続き
秘文の文字もあまり読めない状態だったのですが
小出島の戦いの痕跡について車の中で語っています
佐藤奏海
それではお聞きください
今私たちは諏訪町に来ています
佐藤奏海
今とても雪が降って周りが見にくくなっているんですけれども
ここには小出島神谷跡というところがあります
佐藤奏海
ここは大通り、その町の繁華街中心地から中心地を入ってすぐのところにあるんですけれど
佐藤奏海
小出保育園というところが入ったところにあって
佐藤奏海
その横にちょうど石碑が建っています
佐藤奏海
近くには清水川辺神社もあって
そうですね、大通りからちょっと見にくい引っ込んだところにあります
戊辰戦争・小出島の戦い
佐藤奏海
ちょっとわかりにくいですね
わかりにくかったですもちろん
よし田結香
その日には大きい方の日と小さい方の日と中くらいの日があるんですけど
大小中のあるんですけど
その大きい日は漢文で書いてあって
雪もびちょびちょでちょっと読みづらくて読むことができなかったんですけど
よくよく目を凝らして読むと
合図とか死者14名余りとか書いてあって
佐藤奏海
ここでどんな戦いが行われてこうなったよみたいなことが書いてあるのかなと思いました
一番小さい日には戦死した人の名前が書いてあったと思います
それでその中くらいの日には
よし田結香
餅月武次郎さんという合図の方が自死なさるんですけど
佐藤奏海
その時の自生の句をが刻まれているという
なんかここでは新政府軍が16名
戦死者だして合図軍も15名戦死者落としたっていうふうに書いてますね
あの小入陣野は戦争で焼けてしまったっていうその戦争で
あの石碑っていつぐらいに売ってられたんですか
あありましたねありました
えっと明治の36年1903年の6月に松平を
でも松平なんて読むんですかね
ちょっと一回止めてもらっていいですか
よし田結香
止めなくてもいいじゃないですか
佐藤奏海
陽台ですかね
よし田結香
片晴
佐藤奏海
片晴松平片晴さんの書という
佐藤奏海
小出島陣野と訪れた際の音声をお送りいたしました
明治36年に建てられた石碑で大事を書いた人物
佐藤奏海
松平片晴についてはその後も話が続きました
佐藤奏海
松平片晴さんは最後の合図版集
佐藤奏海
松平片森の長男で明治2年に生まれました
小出のホルモン文化
佐藤奏海
合図版が加盟再興をかけて移り住んだ青森県南部
佐藤奏海
富見藩でわずか2歳で藩主となった人物でした
佐藤奏海
さてここまで上沼市小出の戊辰戦争の戦績を
尋ねた音源をお届けしましたが
佐藤奏海
この後は小出の焼肉ホルモンの様子をお届けします
佐藤奏海
というわけで今日は獅子戸カフカが
佐藤奏海
焼肉への愛を歌い上げた2014年の曲をお届けします
獅子戸カフカ 焼肉プリンセス
佐藤奏海
さて今日はMC3人で2月に私佐藤の地元
佐藤奏海
上沼市小出を巡った時の音声をお届けしています
佐藤奏海
新発田の大学に通うようになって3年
小出との間を行ったり来たりして過ごしてきて
佐藤奏海
だんだん地元小出のことを客観的に見えるようになってきたような気がします
佐藤奏海
昼間戊辰戦争についてあまり予備知識がないままに
いろいろ勉強してきた私たちですが
最後は私佐藤が地元上沼グルメ一押しのホルモンへ
西脇くん 吉田さん
佐藤奏海
さらに国際文化学科の一之平先生を案内しました
佐藤奏海
小出とその周辺上沼の人たちにとって
焼肉といえば白と呼ばれるホルモンが中心です
大量のホルモン
それも茹でていない新鮮な生ホルモンを焼いて食べるのが
上沼の人たちの主流です
いろいろお肉を食べる場合にも
白に始まり白に終わると言い
最初と最後は必ずホルモンを食べるというのが
佐藤奏海
上沼流と言われています
佐藤奏海
この日は小出の人気店のひとつ山にさんにお邪魔してきました
佐藤奏海
その様子をお聞きください
カナミさんのカナミ流で
よし田結香
小出身
佐藤奏海
2つでいいんですよね
2つ2つで一緒に食べる
白2つとからみ2つ
小袋を1袋
佐藤奏海
せいらも1袋
佐藤奏海
キムチ
佐藤奏海
どこでも踏むんですね
佐藤奏海
小袋の先に白2枚があります
よし田結香
ありがとうございます
佐藤奏海
すごい
佐藤奏海
これが生餅です
これは生餅
白に始まり白に終わる
佐藤奏海
白で始まり白で終わります
佐藤奏海
焼きます
佐藤奏海
全部流しています
佐藤奏海
流すってどういうこと
佐藤奏海
普通分けて焼くじゃないですか
ここに置いて置いて置いて
よし田結香
じゃなくて
佐藤奏海
焼いてあまりひっくり返さないのがいいって言ってました
焦げません?
何て言うんですか
旨味がこの汁が旨味だから
流さないようにあまり
佐藤奏海
転がしたい
よし田結香
下に落ちちゃうから
佐藤奏海
転がすのは
佐藤奏海
最終的には転がすんですけど
佐藤奏海
あまり
佐藤奏海
落ちちゃうじゃないですか
佐藤奏海
落ちないじゃないですか
佐藤奏海
こうやって閉じ込めることもできる
流すって
よし田結香
それ用の網ですか
佐藤奏海
流すと状態がよく分からないけど
流し込むから
流し込むから流す
正面に見える段階で
よし田結香
こういう風にぐちゃぐちゃに混ぜていくところが大事なんですね
佐藤奏海
私はなんか普通にやってたんですよ
よし田結香
気づかずこれが何か違うとは思う
佐藤奏海
誰が違うと言ったんですか
よし田結香
西脇さん
西脇さんが違うじゃないか
下品だったっけ何て言ったっけ
マナー悪い
ぐちゃぐちゃってやってね
でもこれが
佐藤奏海
わかります?マナー悪く見えてる
知らない人で
普通の焼肉屋の食べ方はそんなに
よし田結香
そうですね
食べる分だけやって
佐藤奏海
混ぜないよね確かにね
私も食べれるの
よしじゃあ行ってみましょう
佐藤奏海
白に始まり白に終わり
小出のホルモン文化の雰囲気を感じていただけたかと思います
私にとって子供の頃から当たり前のようにあった
宇和沼のホルモンですが
どうやら特殊な歴史が背景にあったようです
今回一緒に宇和沼に行った
一之平先生によると
この食文化は昭和29年に始まった
奥田ダミダムの建設がきっかけだそうです
ダム建設の仕事で
全国から集まった人たちの希望により
もともと新潟県ではあまり食べる習慣のなかった
佐藤奏海
豚のホルモンを食べるようになったと言われています
佐藤奏海
温泉の中に出てきた
まとめて一気に流し込む焼き方は
本当に小出・宇和沼の流儀なのか
正直自信はないのですが
私の周りではみんなそうなので
きっと宇和沼文化なんだと思います
小出・宇和沼の流儀
佐藤奏海
さてこの後
他のメンバーが実食するところをお聞きください
佐藤奏海
なんか
普段焼肉屋で食べるホルモンよりも弾力がある
どうでしたか今
よし田結香
焼肉屋でバイトしてたので
よくホルモンというか
テッチャンとかトロテッチャンとか見ると
なんかトロトロしてるっていうか脂肪みたいな
ぷくぷくしてるっていうか
でもこれは全然そんなことなくって
なんか食べた感じ
西明くんが言ったみたいに弾力があって
なんかトロトロしてるっていうよりは
お肉の噛みごたえがある感じですね
佐藤奏海
神田君は2人コメントしましたけど
大体特徴捉えてる
よし田結香
ありがとうございます
佐藤奏海
変なこと言ってないですか
佐藤奏海
変なこと言ってないです
よし田結香
そういうことです
佐藤奏海
よかった
佐藤奏海
普通に食べるホルモンより
普通の焼肉屋で食べるホルモンって
噛んでると伸びてくるっていう
そうなんだ
佐藤奏海
ありがとう
佐藤奏海
サイズがちっちゃいから食べやすい
ちっちゃいというか
分かち合いにきてあるから
佐藤奏海
最後混ぜたのがよかった
そうですね
佐藤奏海
混ぜたっていうか
よし田結香
混ぜたっていうか
広げた?転がした?
転がした?
転がした?
流してね
はい
いただきまーす
佐藤奏海
さて
魚沼市小出のホルモン文化を知っていただくべく
私たちの食レポも聞いていただきました
いかがでしたか?
私は子供の頃から親しんでいる味なので
音を聞いているだけで
お腹が空いてきてしまいました
新発田の皆さんもぜひ一度
魚沼を訪れてほしいと思います
今日は私 佐藤の地元
魚沼市小出のレポートをお届けしました
最後に今回伺った
ホルモンのお店を紹介しましょう
今回は魚沼市小出島にある人気店の
ヤマニさんにお邪魔しました
シロと呼ばれるホルモンを
最初と最後に
シロに始まり
シロに終わる
と言われますが
この日は
途中に
ハラミ
ジンギスカン
コブクロも美味しくいただき
みんな大満足でした
日々満席になる大人気店ですので
ぜひ皆さん予約して
小出に遊びに来てください
敬和キャンパスレポ
佐藤奏海
今日は小出出身で
慶和学園大学に通う
英語文化コミュニケーション学科
3年 佐藤香波の振興でお届けしました