1. 敬和キャンパスレポ
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6/9の 敬和キャンパスレポ は、国際文化学科の教員として、着任されたばかりの金耿昊(キムキョンホ)先生にお話をうかがいました。日本近現代史とともに、在日朝鮮人史がご専門です。著書「積み重なる差別と貧困」(法政大学出版局)や雑誌「福音と世界」での連載など、差別やヘイトスピーチに向き合ってきた、これまでのご研究についてお話しいただきました。在日朝鮮人の歩んできた道のりと日本における差別・貧困、関東大震災での朝鮮人虐殺などをテーマに、歴史学者として丹念に研究を積み重ねられた歩みについて、MCの神田、宇賀田がうかがっています。
エフエムしばた で21時00分からの放送、ウェブでも聞くことができます。

新しい先生の紹介
宇賀田雛帆
敬和キャンパスレポ、この番組は、柴田市富塚にある、
清和学園大学の大学生が、大学に関わるイベントや人、
柴田のことなどをテーマにお届けします。
敬和キャンパスレポは、実践するリベラルアーツ、
清和学園大学の提供でお送りします。
みなさん、こんばんは。
この番組は、清和学園大学から大学のことや、
柴田、新潟のことを伝える30分番組です。
私の振興は、国際文化学科4年の穂方雛穂と、
神田智美
国際文化学科4年の神田さとみです。
神田智美
どうぞよろしくお願いします。
金耿昊
お願いします。
神田智美
今日は、新しく清和学園大学においでになった先生の話題です。
学校という空間では、新しい先生が来ると、
神田智美
なんだかソワソワして緊張した雰囲気になったりするものですよね。
穂方さん、何か思い出ありますか?
宇賀田雛帆
そうですね。やっぱり4月は、だいたい新しい先生が来たり、
私は経験上、新しい先生が担任になったとかはないんですけど、
やっぱり毎年、教育実習生とかは担当でクラスに来たりするので、
ちょっと気になったり、ソワソワしたりっていう経験はありますね。
神田智美
ですよね。年も近いし。
キム・キョンホ先生のプロフィール
宇賀田雛帆
そうですね。結構親しみやすかった印象はあります。
ということで、今日は国際文化学科の歴史探究コースにいらっしゃった新しい先生、
お二人いらっしゃるのですが、今日は、
キム・キョンホ先生をゲストにお迎えしました。
キム先生、どうぞよろしくお願いします。
金耿昊
はい、よろしくお願いいたします。
神田智美
お願いします。
お名前がキムということですので、韓国あるいは朝鮮、
神田智美
広く朝鮮半島にルーツがあるのかと思いますが、
神田智美
ご出身は横浜ということなので、在日朝鮮人?
神田智美
在日コリアンということでよろしいでしょうか?
金耿昊
はい、一応そうなりますね。
神田智美
それでは、プロフィールをご紹介いたします。
キム・キョンホ先生。
漢字では耳へんにひという字できょん。
日曜の日の下に天国のてんと書いて、
日本語の読みはこうあるいはそらなのですが、
この字がほとなり、三文字でキム・キョンホというお名前です。
神奈川県のご出身で東京学芸大学教育学部をご卒業後、
東京大学大学院総合文化研究科で学ばれて、
その後、学習院大学横浜市資料室に勤務された後、
この春から慶応学園大学の国際文化学科の先生になられました。
ご専門は日本近現代史、在日朝鮮人史、朝鮮近現代史で、
慶応学園大学では歴史学、日本史解説、日本近現代史、
日本史創新などの授業を担当されています。
先生、まずいろんな大学で研究されてきたんですね。
金耿昊
そうですね。一応、日本生まれ日本育ちで、
日本の公立学校にずっと勤務されていて、
小中高大大学院と国立もですけれども、その中で来たという感じですね。
おじいさんおばあさんの代に日本に来て、それからというふうなことになるので、
いわゆる在日三世ということになると思います。
新潟の気候と食べ物
金耿昊
三世なんですね。どうして慶応学園大学にいらっしゃったんですか?
神田智美
ここで歴史を見ると、
金耿昊
ここで歴史学を教えていらっしゃった藤野先生という、藤野豊先生という人がいたと思うんですけど、
あの人は歴史学においてはとても有名な人で、私も大学生のときからずっと学んでたんです。
学んでたというのは本を通して学んでたんですね。
こんな人がいるのかとずっと思ってたんですけど、その方が退任されるというふうに聞いて、
先生の募集も出ているということで、ぜひ行ってみたいなというふうに思って、
ダメ元で応募してみたら、拾ってもらえたというところですかね。
神田智美
そうですよね。確か公募で応募されたんですよね。
金耿昊
そうなります。
宇賀田雛帆
ずっと横浜にお住まいになられていて、生まれてから?
金耿昊
そうですね。横須賀なんですけど、横浜の南の横須賀なんですけど、そこにずっといて、
基本的にはずっとそこで暮らしてましたね。
大学生のときにちょっと東京の方に行って、居宿生活を1,2年したぐらいで、
あとは横浜から通い、あるいは韓国に留学してたことが2回ほどあるので、
そのとき以外はずっと神奈川でしたね。
宇賀田雛帆
となると、私たち新潟県民から見ると、神奈川であったり東京であったり、
首都圏というのは大都会というのもありますが、温暖で過ごしやすい気候というイメージがあります。
木村先生はまだ新潟の冬を経験されていないのかと思いますが、これまでのところ気候はいかがでしょうか。
金耿昊
私は三浦半島というところにいて、神奈川でも一番南の方にいたんですね。
だから年に1回雪が降って積もるとすごいという感じだったんですよ。
だからかなりやっぱり新潟の冬ってどういう感じなんだろうというのは、全然想像がつかなかったんですね。
ここに来ることが決まって、12月の確か27でしたかね、不動産屋さん見に行ったんですね。
その5日くらい前ですかね、新潟県は結構大雪で、すごいことになってたと思うんですけど。
宇賀田雛帆
去年すごかったですね。
その時に来たので、なんだこれはと思いましたね。
金耿昊
その後、一応家を決めてこっちに来るというふうになったんですけど、
その時の契約の中にも雪かきをするようにって書いてあったんです。
雪かきってどういうふうにやるんだっていうのもまだわかってないので、
ちょっと本当にこれから冬をどう迎えるのかというのが、すごく心配だなというのがあります。
ただやっぱり春はすごく気持ちよかったですね。
とてもすごく涼しくて、桜も綺麗だと思いました。
宇賀田雛帆
そうですね。じゃあまだ雪かきの経験もまだない?
ないです。ないです。
横浜の方では、積もっても雪かきするほど積もることはない?
金耿昊
だから本当に雪だるまは作れないぐらい。
宇賀田雛帆
作れないんですね。
金耿昊
10センチ以上積もると、すごい数年に一度という感じがします。
宇賀田雛帆
じゃあ、頑張ってください。雪かき。
金耿昊
はい、頑張ります。
神田智美
雪かきもそうなんですけれども、タイヤ交換も首都圏ではしないと思うので、
いい経験になると思いますので、ぜひやってみてください。
寒さは新潟は厳しいんですが、お米やお酒はもちろん、食べ物がいろいろおいしいところでもあります。
4月からの数十日というところだと思うんですが、何かおいしいものに出会うことはできましたか?
食べ歩きの愉しみ
金耿昊
趣味は食べ歩きでもあるので、いろんなところに行ったんですけど、そこに言及する前にやっぱり水と米がとてもおいしくて、
家で同じ電子釜で炊いても、なぜか味が違うというか、おいしい感じるのを家族で感じています。
一応、柴田市内でいうと、ちょっと渋めですが、ドライブイン豊山であったりだとか、あるいは宮村食堂であったりだとか、
結構長く地域に親しまれた味というのを知りたいなと思っていて、そういうところでご飯を食べていると、
地元の人が、おじいちゃんとかも集まってご飯を食べているので、いいなと思っていたりもしています。
神田智美
いいですね。宮村食堂、モツラーメンを食べられたんですかね。
そうですね。全然モツじゃないっていう。頭肉だったということですけど。
宇賀田雛帆
大学でのお仕事はある程度想像がつくのですが、横浜市市資料室でのお仕事はなかなか想像が難しいところがあります。
横浜市での歴史、つまり港町横浜の発展の歴史について、学芸員として調べていらっしゃったということでしょうか。
私たちでもイメージができるように少し教えていただけたらと思います。
金耿昊
柴田市でいうと、柴田市の歴史図書館があったと思います。あれとほぼ同じ感じだとは思っています。
横浜市は横浜市の歴史を2回編集していて、1回目の横浜市市、大体関東大震災までのが横浜海溝資料館という博物館があって、そこにまとめられています。
その時に集めた資料というのが横浜海溝資料館というところに入っているんですね。
2回目の横浜市市2というのが、関東大震災から大体1970年頃までの歴史を対象にして編参されたんですけど、その時に集められた資料を保管して公開するという施設が基本になっています。
なので関東大震災以降から1970年頃までの歴史資料に関するものを研究をしたり、こういうものがあるよというふうなことを広げたりしていたのが基本ですね。
さらに公文書館の役割も一部持っていて、横浜市が持っている公文書があるわけですね。
それを保管期間が過ぎると捨てるか、歴史的な価値の高いものは公文書館というところに送って公開をするのが基本になるんですけど、横浜市は公文書館がないので、横浜市市資料室がその機能を持っていたということになります。
横浜市市資料室の仕事
金耿昊
なので歴史研究施設の部分と、それから公文書館の機能という2つを持っていたということになるわけですね。
なので横浜の近年代、現在に近いところの歴史を研究して公開する仕事を私はしていたということになりますね。
というとちんぷんかんぷんだと思いますが、一応私は横浜市内の小学校の歴史をずっと見てたんですね。
関東大震災から復興していく家庭で子どもたちにどういう教育をするかとか、あるいは戦争の時代の中で子どもたちはどういう立場に置かれたのかとか、
そういうことを誰もやっていなかったので、中心にして歴史を見ていくということをしていったということですね。
神田智美
近年代だと子どもたちもいろんな歴史の荒波にさらされて、なかなか研究の仕事がありそうだなという文言ですね。
金耿昊
やっぱり小学校ってどの地域にも子どもの足で歩いていく範囲があるんですよ。
その一方で先生というのは当時のレベルでいうと非常に高い教育を受けて、
何かを教えたり記録したりしているので、非常にいろんなことが学校の中の文書には現れるんですね。
そういう意味では非常に面白く、今もそうですけど地域の人との協力関係がないとできないので、
結構その学校を取り巻く地域の状況もちょっとわかるっていう、そういう面白さがありましたね。
神田智美
ご専門は日本近現代史、在日朝鮮人史、朝鮮近現代史となっていて、
一般的な日本の近現代史と朝鮮近現代史はわかるのですが、そこに在日朝鮮人史、
つまりキム先生ご自身にも関わりのある歴史ということになるかと思います。
神田智美
例えば日本史好きというと、戦国時代とか幕末なんかに興味がある人は、
神田智美
ゲーム好きも含めて結構いるような気がしますが、近現代というと私たちの数世代前の人たちぐらいまで
遡っての話ですので、なんだか生々しさがあって興味がある人もいれば、逆に難しそうだと敬遠する人もいれば、
神田智美
私は高校時代に日本史をとっていたんですけれども、近現代の部分って資料もたくさん残ってるじゃないですか。
教科書の部分としても厚すぎて覚えきれなかったんですね。
うがたさんはどうですか?
私もやっぱどちらかというと、戦国時代の時代の人たちが、
宇賀田雛帆
好きでしたね。なんかすごい近現代って難しいイメージが自分の中で強くて、
なんか大変だったなという印象があります。
文化としてはね、レトロでなかなかいいものだなと思うんですけれども、
日本の近現代を学ぶ意義や面白さについて、短くご紹介いただけますか?
神田智美
そうですね。一番大きいのは、現在に直接つながる歴史だというようなところになるかと思います。
金耿昊
なので、それぞれの歴史に関しては、日本の歴史に関しては、
一番大きいのは、現在に直接つながる歴史だというようなところになるかと思います。
なので、それぞれの生活の中で、例えばなんで今こんな状況になっているんだろうということを
思うところが皆さんいろいろあると思うんですね。
そういうものの原因は何なのかということを、時間を遡って捉えていくということは、
これは現在に一番近い近現代の歴史の非常に有用な部分だと思います。
なので、もちろん背景として覚えたり考えたりすることはいっぱいあるんですけど、
そうではなくて、自分の問題意識、自分はどういうことを知りたいのかというところに応じて、
どのような形にでも研究ができるという、その部分は非常に面白いところだと思います。
歴史、縄文時代であったり戦国時代であっても、それを研究してきた歴史であったり、
それが人気になってきたというのは、実は近現代の歴史でもあるわけですね。
だから長岡で火炎式炉器が、縄文炉器が発掘されたのも1930年代だったっけな、
戦前期の日本でもあるし、それが人気を博していったのは戦後でもあると。
新潟の1960年代の国体のときに、その縄文炉器が使われるわけですよね、成果台に。
というふうな形で、現在にも、なぜ今皆さんがそれを好きだというふうに言えるかというと、
近現代の中でそれが人気を経るような形を取ってきたからでもあるんですね。
日本と朝鮮半島の歴史と結びつき
金耿昊
だからそういう意味では、現在につながる部分を見ることができるという意味では、
素材はとてもいっぱいあるということになります。
なので覚えることは多いかもしれないんですけど、
本当に自分がやりたいことを探すために、必要な部分をピックアップする感覚だと思えば、
わりと近現代史というのは、とっつきやすくなる可能性があるかもしれません。
宇賀田雛帆
原来と結構つながっていたりすることが多くあるということですか。
金耿昊
そういうことですね。
宇賀田雛帆
そこまで詳しくやった覚えがないので、私は。
たぶんこことここがつながるんだってなっていけば、
もっともっとってなっていくのかもしれない気がしますね。
神田智美
確かにラジオをこうやって活動していく中で、
ラジオの歴史とかも調べたりもしたんですけれども、
それこそ近現代史ですよね。
神田智美
近現代の資料だとか、その時に立てられたラジオ棟だとか、
神田智美
いろいろここ数年で学んだ気がします。
金耿昊
だから対象はほぼ無限大だと言ってよくて、
その人の問題意識に即していろんな調べ方ができるっていうのは、
近現代史の非常に大きな特色だと思います。
宇賀田雛帆
じゃあもっと昔のことに対しても近現代とつながるし、
現在のことに対してもつながるしっていう中継地点っていうか、
そういう感じがしますね。
日本と朝鮮半島というのは、近現代において切っても切られない、
結びついた歴史を積み重ねてきたと思いますし、
その中で在日の人たちが歩んだ道というのも、
日本の歴史の一部になり、韓国、朝鮮の歴史の一部ともいえる
意味かなと思います。
日本の近現代の面白く学んでいくというときに、
在日の歴史を学ぶ意義というのはどのように感じていらっしゃいますか。
金耿昊
先ほど近現代史を学ぶ意義の中でもお話ししたように、
それぞれの立場から問題意識を持って歴史を見ていくときに、
いろんな研究の仕方があるという話をしました。
私にとっては在日朝鮮人3世としてここに生まれて、
その一方で言葉も歴史も知らない私がいるわけですね。
なんでこんな状況になったんだろうというふうなことを考えていく。
そもそも在日朝鮮人って何なんだろうということを考えていくというふうなときに、
まずは歴史から考えないといけないなというふうなところから始めたところにもなっていきます。
日本と朝鮮、あるいは日本と韓国の関係というと、
政治レベルのその対立が基本になっていくようなところがかなりあると思うんですけど、
そうではなくて日本の中にも朝鮮人がいて、
そして戦後の状況の中で韓国と北朝鮮に分かれていくわけですね。
そのどちらにもつながる存在がいるというふうなことにもなるわけですね。
だから在日朝鮮人がどういうふうに過ごしてきたのかというのを考えることが、
在日朝鮮人の歴史と意義
金耿昊
実は日本と朝鮮半島、韓国と北朝鮮の関係を統一的に考えることにもつながっていくという、
そういう意味では面白さがあると思います。
私の場合はやっぱり朝鮮に関わることから深掘りしていくと、
そこに行き当たったというふうに思います。
それはやっぱり一番近い国でもあるので、
そういう意味での意味を持つようにもなったということになるかと思います。
なので皆さん、私の場合はたまたま在日でしたけど、
皆さんの立場から歴史を見ていくと、
そういうふうな形である部分で自分のところだけじゃない、
もっと広げた歴史を知ることができるようになるかと思います。
そういう可能性が広がっている一事例として考えていただければと思います。
神田智美
つまり、キム先生にとっての在日朝鮮人史というのは、
ファミリーヒストリーの延長線上という感じなんですかね。
金耿昊
そうですね。家族の歴史も一つはありましたし、
ただ家族だけではなくて、ある意味では朝鮮人同士で集まって
支え合って暮らしていたようなところもあるので、
ある部分では家族の歴史から民族であったり、
共同体であったりという歴史にも広げていかなければ
分析はできないというところがありますので、
少しずつ家族の歴史から集団の歴史へという形で深振りしていけば
宇賀田雛帆
どんどん広がっていくということになりますね。
目の付けどころがすごいですね。
表現の多様性と着任の背景
宇賀田雛帆
歴史をたどっていけばという思考になるのが
私的にはすごいなというふうに思います。
金耿昊
歴史学全体が持っている資格だと思うんですよね。
歴史を深掘っていけば、個別の状況が全体につながっていく
という考えでもあるし、過去から見えるものを通して
現在がよりよく見えるということでもあるので、
そういうところが歴史学の学びの一つの醍醐味だと言えるかもしれません。
神田智美
さて、ではここで一曲をお届けします。
今日の曲はこちら、ルセラフィム・フィアレス。
ルセラフィムは韓国の女性グループで、
こちらの曲は2023年1月25日に日本語版が
今年1月25日にリリースされています。
日本版チャートでの累計再生数1億回突破というのが発表されています。
今日は韓国語バージョンでお届けします。
神田智美
ルセラフィム・フィアレス。
神田智美
お届けした曲はルセラフィム・フィアレスでした。
今日のK-WAキャンパスレポは国際文化学科に2023年4月に着任されたばかりの
キム・キョンホ先生をお招きしてお話を伺っています。
よろしくお願いします。
神田智美
キム先生は著書の中で在日朝鮮人という自らのルーツに言及されていますが、
在日と短く表現されたりする一方で、
神田智美
在日韓国朝鮮人、在日コリアンと
南北朝鮮の分断も反映されているのだと思います。
いろんな表現がありますよね。
「在日朝鮮人」という言葉を選択されている背景など、解説していただけますか。
金耿昊
まず植民地支配に行く時期に
日本というのは大韓帝国という国を併合して
植民地朝鮮にするんですね。
大韓帝国の人は韓国人と言っていて、
大韓帝国になる前は立地朝鮮なので朝鮮人なんですね。
朝鮮人として使うというふうに正式に決定するんですね。
さらにそれを朝鮮人を短くして先人というふうに呼んだりするんですね。
在日朝鮮人の呼び名の歴史
金耿昊
それがすごく差別的な意味で使われていたりもしていました。
戦後になると朝鮮半島というのは
いろいろ経て北朝鮮と韓国になるわけですね。
そうすると北では朝鮮といい南では韓国というわけです。
植民地からいる朝鮮人をどう呼ぶかというと
これが難しいんですね。韓国人と呼ぶと南の大韓帝国につながっちゃうし
朝鮮人と呼ぶと北朝鮮にもつながっちゃう。
だからどっちの呼び方をしても角が立つという状況があったんですね。
植民地から考えると在日朝鮮人というのが自然な流れなんだけれども
微妙なところがあるんです。なので在日韓国朝鮮人と言ったり
在日朝鮮韓国人だろうと言ってみたり
在日コリアンと言ってみたり、非常に複雑になるんですね。
なのであえて朝鮮人韓国人というのを取って在日という言葉を
使っていることが多かったんですね。
でも1990年以降になると朝鮮韓国人以外の外国人も増えてくるわけです。
そうすると在日と言った時に在日何人だろうという話になるわけですね。
だからずっと日本にいる民族集団のことをどう呼ぶのかというのは
非常に難しいんですね。何を言っても角が立つんですけど
ただやっぱり南北の韓国朝鮮も朝鮮半島と呼ばれているような
ところもありますし、植民地から現在までつながるという
ことを考えると一旦は在日朝鮮人と使うほうがいいんではないか
神田智美
というふうなことを思って一応使っているということになりますね。
神田智美
今まで今の朝鮮半島の北朝鮮、韓国の意味のまま捉えて
在日朝鮮人、在日韓国人みたいな感じで思っていたのが
間違いだったんですね。植民地の歴史からして
在日の植民地統治されていた場所の名前だったんだ
神田智美
ということが分かりました。
神田智美
さて、金先生は2022年に積み重なる差別と貧困
在日朝鮮人と生活保護制度の問題
神田智美
在日朝鮮人と生活保護という書籍を出版されています。
神田智美
こちらのお話を伺いたいのですが、しかしなかなか難しいタイトルです。
Amazonなどに出ている書籍の概要を読んでみます。
神田智美
在日朝鮮人と生活保護という書籍を出版されています。
神田智美
こちらのお話をお伺いしたいのですが、
在日朝鮮人と生活保護の問題は
戦後日本における排外主義の標的となってきた。
果たしてそれは不適正な特権なのだろうか。
神田智美
様々な歴史資料から在日朝鮮人の苦難に満ちた暮らしを書き出し、
神田智美
生活保護制度からも排除されていた事実を明らかにする。
南北分断、朝鮮戦争、北朝鮮への帰国、
朝鮮戦争を経て現在まで続く民族差別と貧困の道のりをたどる。
ということなのですが、生活保護のような社会保護制度を
日本国籍を有しない在日の人々に適用するのかどうか
という話だと思いますが、現状はどうなっているんですか。
金耿昊
【佐藤】朝鮮籍、韓国籍の外国人に対しても
一部には生活保護をしている。
神田智美
生活保護を順用されているということになります。
金耿昊
外国人は生活保護の正式な適用対象にはならない
ということになっているのですが、貧困の状態のまま放っておくと
問題が起きてしまうので、いろんな条件を考えた上でも
一旦生活保護に順次と扱いをするということで
ある程度生活保護を受給している人はいるということになります。
国民の権利としての保護を認めていないので
何か行政の側で一方的に生活保護を打ち切ったりだとか
そういうことになったときに、国民の権利の場合には
不服もしたてという形で、例えば市とか行政から
県の方に行き、国の方に行き、民事裁判までできる
いくつもの権利保障をしているのですが、そういうものが
宇賀田雛帆
国民の権利になります。
必ずもらえるわけでもなく、それはもう国の判断で
金耿昊
という感じなんですか?
神田智美
そうですね。
神田智美
今は3世だとか、その下の世代になると4世になってくるわけで
ほとんど日本に、日本人として日本の中で生活している人も
結構いるんだと思うんですけれども、日本国籍を取る
金耿昊
必要はしないんですか?
一応、外国人が日本国籍を取るためには、帰家のための要件を
満たさないといけないんですね。その中にはある程度
日本で長く暮らしていたりだとか、日本で安定的に生活を
していたりしていることが基本的には考慮されるので
貧困問題を抱えていて、生活保護を受けるような人に
日本社会、日本の国家というのは、日本国籍を与えない
与えるはずは多分ないと思うので、生活保護を受けるために
日本国籍を取るというのは、かなり困難というようなことにも
在日外国人と社会保障制度
神田智美
なるかと思います。
神田智美
そうなんですね。そしたら、法的な社会保障制度と
在日の人たちが、ちゃんと食べていけるような食を
安定させることが必要になってきますね。
金耿昊
そうですね。
宇賀田雛帆
著書を出されたということなんですが、内容というのを
もう少し詳しく教えていただいてよろしいでしょうか。
金耿昊
外国人の生活保護受給者がある程度いるということを
前提にして話をしますが、日本社会では生活保護全体に
対しても、働かないでそうやってお金をもらっている
人はけしからんという風潮が出てきていて、さらに
外国人がそれを得ているのはけしからんという話も
出てくるんですね。いわゆるヘイトスピーチという
在日朝鮮人や自治外国人に対して、いろんな形で出ていけ
というようなグループが出てきて、社会問題になっていますが
非常に問題にして取り上げているというようなところが
ありました。特に在日朝鮮人が攻撃されていて、1950年頃から
ずっとそれをやっているだろうというようなことを
言っていったりしていたんですね。その一方で、歴史の中で
在日朝鮮人の生活保護をめぐる問題を見てみると、実は
1950年代の初めに、あなたたちは外国人だから生活保護の
受給の中で不明な部分があるから、詳しく調べて生活保護を
打ち切るということをやっていくんです。当時13万人ぐらい
生活保護を受けていたんですけれども、5万人ぐらい
切っていくわけです。その直後にどうなるかというと
北朝鮮への帰国事業が始まります。その中でも2万人から
在日朝鮮人の歴史と生活保護
金耿昊
2万5千人ほどが生活保護を受けている在日朝鮮人が
北朝鮮に帰国をしていったという話があるんですね。
新潟港から出ているんですけど、そういう話も含めて
歴史上の問題と現在言われていることの違いがすごく
出てきたんですね。それは何なんだろうかと思って
1945年、つまり日本の敗戦から帰国事業までをずっと
調べてみたというのが、基本的にはこの本の内容になっていきます。
神田智美
この本の最初に書かれているのは、
「住み重なる差別と貧困。在日朝鮮人と生活保護。」
法政大学出版局から4,180円で発売されております。
Amazonにも在庫がありましたので、ぜひ皆さん
お読みいただければと思います。もう一つ、
福音と世界というキリスト教関係の雑誌のようですが、
「朝鮮人史と教会史。関東大震災から100年を覚えて」
というシリーズだそうです。関東大震災の3位には
神田智美
朝鮮人の虐殺が行われたとされていますが、そこから
100年の歴史の中で在日の人々の歩みを連載されていく
神田智美
ということかと思います。教会史という視点が入る
ということで、先ほどの著書とは違う観点が入って
入ってくるということになりますか
関東大震災と朝鮮人虐殺の背景
金耿昊
はいこれはもともと横浜市市資料室にいるときに
あの地域の歴史をずっと調べていくと
どうしても横浜における関東大震災の
虐殺の問題にやらざるを得ないところがあったんですね
でも横浜市の行政に関わる公務員の端くれのようなところにいたので
そこの立場でやると非常に問題があるわけですね
まあ朝鮮の歴史のことを取り上げるのも難しい状況でもあるので
なかなかうまく公表できてなかったことでもあったんですけど
研究としてまずその横浜あるいは神奈川地域の在日朝鮮人士
特に朝鮮人虐殺の問題でどう考えるのかというのを
自分なりにまとめてみたいと思ったところが一つありました
それと同時に私は横須賀にある在日大韓キリスト教会という
韓国人系の教会にずっと通っていていたので
その歴史もここの朝鮮人虐殺とも
少なくともどこかで関わってくるだろうと思ったんですね
なので地域の中にある歴史を
自分の朝鮮と韓国というところから捉え直すというのをしてみると
そのことを通して日本社会の歴史に
どういう問題提起をできるのかなというふうなことを考えて
神田智美
一応連載を始めてみたというふうなところです
神田智美
そもそもなんですが
関東大震災から100年ということを知らなくてですね
さらに言うと
その時に朝鮮人の虐殺が行われたということも
神田智美
今初めて知ったんですが
金耿昊
それはどういった理由で行われたんですか
背景を説明するのはなかなか簡単ではないんですけど
まず朝鮮半島に対する植民地支配を
全ての朝鮮人が認めていたわけではなくて
1919年に三一独立運動というのが始まって
朝鮮半島でも植民地支配に反対する人たちが
非常に大きな行動を起こしていたんですね
その中から今の大韓民国に繋がるような政府が
上海とかにできるんですね
満州とか海外にも出てきていて
独立運動が続いていくってなるんですね
だから日本の警察とか軍隊は
それをとても警戒していたんです
そこから日本に来る朝鮮人も
そういう海外の独立運動をしている人に
繋がってるんじゃないかということで
ずっと警戒をしてるんですね
そういう状況の中で首都圏に地震が起きて
ほぼ壊滅するんですね
地震と火事で
そういう中で朝鮮人が
暴動を起こすんじゃないかという話が
警察であったり人々の中から
デマとして広がってくるっていうことにもなるんですね
そういう中で警察であったり
地元の地域を守ろうとした自警団であったり
っていう人たちが
神田智美
朝鮮人を見つけ出して殺し出してしまうっていう
そういうことになっていったということになります
神田智美
デマから始まった虐殺ということなんですけども
神田智美
100年前といえど怖いですね
金耿昊
そうですね
なのでなぜそういうことが起きて
終わらなかったのかということに加えて
関東大震災の虐殺というのは
当時の日本政府にとっても大失態なわけですね
明らかにするとこんな虐殺があったっていうことを
西洋の国にもバレるし
朝鮮人の独立運動側からしたら
こういうひどいところをやっているところで
植民地支配をまだ続けるのかって話にもなるので
事実をあんまり明らかにしないまま
今まで来てるんですね
あるいは朝鮮人の側が事実を解明しようとしたんだけれども
それを防いだりだとか
そういうこともしているので
事実がそういう虐殺が非常に大量にあったということは分かりながら
その一方で詳細が十分に明らかにできない状況なんですね
なので結局今でもその問題があるにもかかわらず
全然明らかにされてないという状況になるので
やっぱり現在に至るまで一つの問題として
残り続けている状況だということになります
金先生の教育哲学
金耿昊
ぜひ金先生にはご著書などで明らかになったことを発表されていただけたらなと思います
私だけではなくていろんな歴史学者や
関東地方の市民の人がすごい頑張っているので
宇賀田雛帆
そういう成果を学びながら出していかないといけないなと思っています
大学で今年担当されている科目は
日本近現代史日本史外説日本史創史といった科目
それから歴史探究コースのゼミも担当されているとのことです
歴史探究コースの皆さんは
金先生のお話にとても興味を持って勉強されているのではないかと思いますが
これまでのところはいかがでしょうか
金耿昊
個人的な目標としては
それぞれ私のお話を聞いたりゼミを通して
学生が自分の目で歴史を調べて深掘りをできることを目指しています
なのでできるだけそれぞれの関心に従った調べ物をできるように
していくことができればなというふうなことを
ゼミを通しては考えている
一応それに適した本を一緒に読んでいるというところです
教育方針
金耿昊
講義に関しては私も日本の古代から現在に至るまで
ずっと見ていたわけではないので
日本史外説であったり日本史創史というのは
なかなか大変な状況でもあるんですが
ただ二つの視点はとても大切にしようと思っています
一つはこの地域新潟県地域から見たときに
日本の歴史はどう見えるのかということです
ここで歴史を教えているということの意味を考えながら
日々の授業を作ろうと思っています
もう一つは東アジアとの関係ということで
新潟も海を通していろんな日本海の沿岸地の
いろんな国との関係を持っていた歴史もあるので
そういったことも意識をしながら つまりローカルな視点と
それからある部分ではグローバルとまでは言えないけれども
国際的な視点というふうなところを両方交えながら
日本の歴史を見ていくということができたらと
神田智美
いうことを考えています
歴史学の勉強
神田智美
今日お話を伺って
金先生の授業をちょっと聴講しに行こうかなと思いました
神田智美
最後にこれから歴史学を勉強しようかなと思っている皆さんに
競馬でこんな勉強ができるよ
神田智美
金先生のところで学ぶと
金耿昊
こんな面白いことが学べるよというお話をしていただけますか
私のところで何かすごく斬新なところを学ぶというよりかは
一緒に学びたいと思っている学生自体が
思っていることっていうのを
歴史的に考えることが一緒にできたらと思っています
そのための手伝いはしますし
それをするための補助知識というのは
講義を通して共有できたらというふうに思っていますので
なぜ歴史を学ぶのかというのは
歴史に向け合うその人自身の問題意識に
すごく深く規定されるので
それぞれの言葉それぞれ思っていることを
なんでこうなんだろうと思っていることがあれば
それを一緒に深めることができたらというふうなことを考えています
神田智美
ちょっと弱いですが一応そう思っているということで
宇賀田雛帆
今日のケイワキャンパスレポは国際文化学科に
2023年4月に着任したばかりの
キム・キョンホ先生においでいただき
ご自身のことや在日朝鮮人史研究のこと
授業のことなどいろいろお話を伺いました
ありがとうございました
神田智美
ありがとうございました
金耿昊
ありがとうございます
神田智美
さてエンディングです
エンディング
神田智美
柴田市にもここ最近カンビニといった
韓国のコンビニのようなお店ができました
神田智美
うがたさん行かれました?
行きました
何を買いました?
神田智美
私はトッポギとあとはなんかポテチみたいなスナック菓子と
宇賀田雛帆
あとはなんか青いレモネードみたいな
神田智美
あ、なんか蛍光色のありますよね
宇賀田雛帆
あれを買いました
神田智美
どれも美味しかったです
宇賀田雛帆
見覚えのないものばかりですごい興奮しましたね
なんだこれ
神田智美
キム先生は行かれたことありますか?
金耿昊
時々行けますね
神田智美
ヤンニョムチキンソースがおすすめです
神田智美
ヤンニョムチキン
これは買うしかない
いいですね
宇賀田雛帆
すごいでも面白い場所ですよね
神田智美
私も昨日行ってトゥンカロンを買ったんですけども
宇賀田雛帆
トゥンカロン
トゥンカロンって聞いたことありますか?
神田智美
太っちょマカロンっていう意味で
マカロンの間に挟まれているクリーム量が多いものです
なんか美味しいものいっぱいありますよね
皆さんもぜひ行ってみてください
宇賀田雛帆
では今日の放送はこの辺で
KEOキャンパスレポはツイッター、ノート、インスタグラムなどで番組情報を発信しています
神田智美
番組名、KEOキャンパスレポで検索してみてください
宇賀田雛帆
今日のKEOキャンパスレポ、これにて終了です
皆さん、おやすみなさい
神田智美
おやすみなさい
金耿昊
おやすみなさい
宇賀田雛帆
KEOキャンパスレポは、実践するリベラルアーツ、KEO学園大学の提供でお送りしました
44:00

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