ケイシャのしゃべり場。
でもそれはやっぱり、伊藤高志で育ったから、実験しないわけにはいかない体質になっちゃってるんで、
少なくとも何かちょっと、1個でも何か新しい実験入れたろうかなっていうのは、いつでも思ってするやん。
メンタイピリリを見ていても思いましたよ。
お互いに実験集を鍵取る能力がすごいから。
助人だらさんが出てくるところとかね。
そういう幻想シーンで処理してるのはいいんだけど、時々楽屋落ちっていうか、
これメンタイの映画なんだけどって言って。
通り紋がいきなり出てきて。
あんなのね、見ててドキドキするわけですよ。
ドキドキする?
しますよ。フィクションとして見てるのに、恐ろしい楽屋落ちっていうかね。
部屋の裏が突然ぶち込まれてくるみたいな。
え、これいいのかな?みたいな感覚がドキドキさせるんですよ。
それをやり抜くっていうね、カンさんの実験精神はすごいと思いました。
確かに江口さん作品も井戸さん作品もそうですけど、ドキッとする瞬間多いですよね、結構。
なんかそのドキッとが、例えばホラー映画で突然そういうお化けが出るドキッともあるんだけど、
今自分はこの映画という作られたものを見てんだっていうことに対して客観的になるドキッともあるんですよね。
そうそう。
ちょっとメタというか、そこは。
それを入れながらも冷めさせないみたいなことが多いですね。
いやだからね、そうなんですよ。松本俊夫の劇映画のね、バラの草列っていうピーターの初出演作品も見たことあります。
あれなんかも、ピーターが主演なんですよね、池畑慎之助でしたっけ今はね。
彼が芸能役で出てるすごい映画があるんですけど、フィクションとしてやってるんだけど、いきなりインタビューが入るんですよ、ピーターに。
松本さん自身がインタビューし始めたりとかね。
やっぱり見てる方はずっとフィクション見てる感覚なのにね、いきなりそういうものが入ってくることで、え?とか思わないですよね。
そういうことをね、松本さんあたりはね、結構意識的にやってたことが、私たちに伝わってるんですよね。
あともうあれですよね、空十郎さんの舞台とかもそうですよね。
テントの中でやってるんだけど、最後大体必ずテントがバカッと開いて、周りの景色が見える。
今ここで見てたんだなっていう。
たくさんありましたね、そういうお芝居ね。
70年代とか、福岡でもずいぶん東京の劇団が来てね、テント芝居を。
最後の舞台崩しって言ってね、今おっしゃられたような。
完全だから裏側が見えちゃうってことですよね。
壊しちゃうんですよ、壁とか。
バーンと壊して、その場所が見えちゃう。
だから最後まで夢の世界に置いてくれないっていう感じかな。
有名なピヨネソっていう昔ね、長谷の海岸にスモベ屋があったんですよ。
そこを使って、その福岡の劇団がやった時に、最後の舞台崩しがあるんですよ。
壁がバーンと倒れると、長谷の海岸が奥に見えるっていう。
そっちに向かって、役者たちがずっと海に向かって。
素敵!
素敵それ。
そういうお芝居ですよ。いっぱいありましたね。
本当にそれもフィクションか現実かわかんないっていうところもありますよね。
そうなんですよ。現実と現実ではない世界を同価値にしちゃうっていうかね。
別のものではなくて、同じものにしちゃうみたいなことは、
そういう舞台でもあったし、僕もそういうことはものすごく考えて映画作ってるんですよね。
方法としてはね、例えば男は辛いよっていう映画でね、
一番最初に寅次郎が見る夢があるじゃないですか。
夢を見るんですよね。夢のシーンから始まったりする。
それで寅次郎が目をパッと覚めるっていう、
ハッと目を覚ますというワンカットがあって、現実に入っていくんですよね。
じゃあ、そのハッと目を覚ますっていうカットがなかったらどうかっていうね。
確かに全然違います。
そうそうね、どこまでが夢なのかわかんないみたいなことが起こり得ると。
それはだからそういう演出の方法ですよね。
そういうことをうまく使っていくと、境がこう見えなくなってくる不気味さがね、生まれるんですよね。
それはいろんな映画を見てて、そういうアイデアが出てくるんですよね。
男は辛いよ見て、思うんですよね。
たぶん私は絶対気づいてないですよね、そういうのにね。
たぶんそういう視点がないと気づけないですね。
ある意味ちょっと意地悪な見方というか。
意地悪なんですけど、でも探そうっていう気持ちを持ちながら見ると、やっぱりいろんな見え方がしてきますよね。新しいね。
ちなみに、つい格論の話ばっかり言っちゃうんで、もうちょっと俯瞰的な話で聞きたいのは、今まで何本くらい撮ってこられたんですか?作品として。
本数はどのくらいなんだろう?ちゃんと数えたことないんだけど、40本くらいかな?
40本くらい。
短編長編入れて。そんなのないかな?
年一くらいな感じですか?
いや、今はもう3年に1本くらいですね。
初期は1年に1本ずつ作ってて、だから大学卒業した後、東京でサラリーマンやってましたね。
西部百貨店に入って、西部が作った映画配給会社に10年間いたんですよ。シネセゾン。
はいはい、シネセゾン。一時期すごい良かったですよね。
ミニシアターの走りっていうか。そこで宣伝部に行ってね、予告編とか作ってたんですよ。
ちゃんと実験せずに作れてたんですか?
そこはね、そこはものすごく商業的な気持ちで、要するに観客が面白いと思えるような予告編をずっと作ってました。
それが評判良かったんです。シネセゾンの映画ってね、売りにくい映画が多くてね。
アフリカの映画とか東欧の映画とかね。宣伝しづらいんですよ。絵的にも静かなのが多くて。
それでいかに面白く見せるかっていうのは、どう見せないかっていう。どう見せないかをものすごく工夫しましたね。
それでね、映画を何回も見ることになるんですよ、予告編を作るときって。ものすごく勉強になったんですね。
カットのつなぎとかをね、本当に細かく見るんで。
このカットの次に、このカットがなんでこのカットなのかっていうことをすごく考えたりする時間があって。
これはね、自分の中ですごく勉強になりましたね。
その時期に毎年1本作ってたんですよ、16分以内。
イメージフォーラムフェスティバルっていう実験映像のフェスティバルが毎年開催されていて、それの招待作家だったんでね。
毎年出してましたね。大変でしたよね。
ちなみに、あんまりこういうこと誰も聞かないんじゃないかなと思って聞くんですけど、大体いくらぐらいかけてるんですか?
よく聞かれますね。
16ミリなんでね、結構フィルム現像費ってかかるんですよ。
作品の時間が短いから、5分とか10分とかね。
それってだいたい50万円前後。毎回。
でも美術的なこととかも結構やってるじゃないですか。そういうのも全部含めてですか。
作品によって違いますけどね。でも100万超えることはなかったんですかね。
ビデオになってからはね、ほとんどメディアの経費っていうのはかからないので。
そうですよね。
出演者はボランティアっていう。
ご反対だけは出しますけどね。
出たいっていう人が多かったので。
そうなんですね。
そんなもんですよ、希望的には。
やっぱその学生時代の作品作りの延長な感じなんですかね。
そうなんですね。
だからね、学生時代に作ったっていう経験がものすごい良かったですね。
一人で作るっていう経験がね。
もうその、やっぱり辞めちゃう人もいるじゃないですか。
そうならなかったのは一体何だったんですか。
やっぱり、なんだろうな。
自分で、自分が何を作れるだろうかっていう。
自分に対する興味は昔からあったんですね。
だから、スペーシーボックスサンダーってこう作っていって、
作っていくうちに違うアイデアが出てくるんですよね。
それをじゃあ次やろうみたいな。
それの繰り返しですよね。
もっと自分に何かができるかもしれないっていう、
自分に対する可能性みたいなことは捨てずにね。
その気持ちは持ち続けていたからこそ続けてられるんだろうなと思いますけどね。
やっぱ出来上がった時はもう嬉しくてしょうがないわけですよね。
一番感情のピークはじゃあ編集終わりですか。
そうですね。編集の最中かな。
撮ってる時よりも。
撮ってる時よりも編集の時ですよね。
編集がやっぱり一番面白いですね。
撮影は誰かにやって欲しいって思うぐらい。
こんな風に撮ってって渡して撮ってきたものを
編集する時はものすごく嬉しいですね。
それでか、この間飲んでる時に
META5のね、META5ってバンドで高橋幸郎がやった
すごい豪華なメンバーのバンドのPVに
ミュージックビデオに高橋さんの作品が使われてるんだけど
ところがこれは素材提供だけで
今まで撮ったことがある、今まで撮った作品の素材ですよね。
編集をその多分ミュージックビデオの監督がやってるんだけど
かっこいいわけよ。
めちゃくちゃかっこいい。
そうか、高橋さんのあの映像がこういう音楽に乗ってカットアップされると
こうなるんだって、かっこいいっすねって言ったら
あれ、編集がダメだなって。
ダメだなと言ってない。
そこまで言ってないですけど、自分がやりたかったって言ってます。
自分がやりたかったですね。
それでも俺がやるって言ったらそれはそうなってたんじゃないですか。
なってたと思いますけどね。
そうなんですよ。言っとけばよかったなって今考えるとね。
ちょっと遠慮しちゃいましたね。
経営者のしゃべり場
個人的に好きな作品が悪魔の回路図が結構好きだったんですけど
ビルを東京のいろんな箇所でちょうどコンパスで円を引いて
地図で円を引いてその箇所から一周一定の距離で撮り続けて
それをコマ送りにしてるんで
一周ビルが回ってるように見えるっていう映像なんですけど
あれの仕組み自体もやっぱ面白いなと思いつつ
途中でそのフラッシュしかり
なんかアウトラインのパスしかりっていうのがいっぱい出てくるじゃないですか
あれがまた最高に面白いなと思ってて
あのアウトラインを引いてるのって
当時どうやってたんだろうってずっと気になってたんですけど
コピー機ですね。
コピー機?
コピー機でなんかそういう効果みたいなのあるんですよ
その境界だけ出す?
境界だけ出す
そうなんですね
人間の顔なんかをそのコピーにかけると線で描いた絵が出てくるっていう
なるほど
そういう効果を使って
コピー機だったんですね
画像処理っぽい感じを感じたのでどうやってんだろうって思ってたらコピー機だった
そうなんですよ
完璧にアナログ
コピーの効果っていうかね
ネガポジ反転のコピーもできたし
フレームラインだけを出すっていうのもできたし
4,5種類くらいできたんで
それを全部使って
なるほど。おもろいな
どっかのコピー機をずっと占領してひたすらたくさん出してた
そういうことですね
迷惑ですよね
そうですね
友人のデザイン事務所にあったコピー機を使わせてもらったんですけど
ちょうど空気のテレビがあるところでこのDVDみんなで見てたときに
悪魔の返らずこれどうやってんだって話になって
コピー機だったんだ。おもしろいな
そういう手法を考え出すのもやっぱお好きなんですか?
そうですよね。もちろんね
必ず何かしら新しい手法が入ってくるんじゃないですか
そうですね
だからCGで作品作らないんですかとか言われるんですよね
ものすごく現代的なメディア、最先端のメディアを使って
作品作らないんですかってよく言われます
使えたら使いますけど、使えないものは使えないんでね
でも何でもできちゃうCGとかっていう手法からは出てこないことですよね
そうなんです
僕も普段CGを触ってる人間なんですけど
これやっぱもう撮らないとできないなって感じはしますね
できないし、撮る撮らないとかもあるんだけど
なんていうのかな
さっきの切り返しのパターン、切り返しに関して
みんなが思ってる法則みたいなものを破ろうよって思うっていう発想が
CGで何かやろうよって発想と全く違う脳みその回路じゃないですか
そこがなーって思う
けど一方で僕ちょっと思うこともあって
仮にたかしさんがジブリにいたとしたら
これはこれでなんかめちゃくちゃなものができるんじゃないかな
ジブリですか
でも早尾さんも結構やっぱり自分の会社のスタッフたちを使って
結構めちゃくちゃなことをよくやってるじゃないですか
今までのアニメにないようなことを
個人映画のノリで
そうやってるんで
なんかそういう環境に身を置いたたかし作品っていうのを見てみたいなって
思う時があるんですよね
ちょっと生まれ変わったらね
人生前かもしれないですね
例えばステディカムカメラってあるじゃないですか
振動とか揺れを完全に吸収して
滑らかに移動できる
あれ出始めた頃ロッキーとかで最初使われて
すごく不思議な移動の運動だったんですよね
それでいろんな映画とかコマーシャルなんかでも使われ始めたんだけど
キューブリックフルメタルジャケットっていうベトナム戦争映画があって
あれではねステディカム使うんですけど
ステディカムにあえて振動が伝わるように
ガクガクガクっていう振動が伝わるように作ってるんですよ
それで移動撮影してるんですよ
だから見慣れた動きじゃないんですよ
でもハンディーでもないわけですね
そうハンディーでもない
滑らかなんだけどすごく振動してるっていうかね
そのすごい違和感なんですけど
その違和感が戦場の酷さとか怖さみたいなことをちゃんと描いてるっていう
だからキューブリックなんかは
そういう当たり前に使われて生まれる効果に対しての疑いみたいなことから
何か発想してるんだなと思ってね
確かでもステディカムってキューブリックのシャイニングで
シャイニングで頻繁に使ってますね
キューブリックが使ってキューブリックが壊したんでしょうねだからね
そうかフルメタルジャケットはずっと後ですからね
面白いですよね壊していくっていう
伊藤さん作品の中でも自分の手法を自分でちょっと壊す的な発想ってあったりします?
ないですね
ないですか
壊しまくってません
そういうのもちょっと感じたりしたんですか
壊さなきゃって思う前に飽きちゃうんですよね
もうこのし方はいいやみたいな感じで
ちょうど飽きちゃってその後ちょっと物語的なものに移行していくんですけどね
でも最近のやつでもやっぱりちょっとコマ撮り入れたり
ありますね
ちょっとバルブ入れたりあれはファンサービスなんですか
ファンサービス
ファンサービスというよりは
つまり実写的な視覚的な世界とコマ撮り的なものって違和感があるんだけど
違うものなんだけどそれをくっつけた時にどういう視覚的な世界になるかということには興味があるわけですよ
だからスペーシーから初期の頃ずっと作ってたようなトリッキーな方法を
実写の中に組み込んでいったらどんな新しいものができるだろうっていう考えはあります
遠い声なんかもそうなんですけど
ド頭にコマ撮りの映像から始まるんですけど
あれはそういう方法をぶち込みたいっていうところから始まった映画なんですよね
そこから発想したんですか
そっからですね
伊藤隆ファンからするとコマ撮りがそこに出てくると
起きたよと
やってくれるんだと思っちゃうわけですよ
それは次の作品でもそういうことはものすごくやりたいなと思ってて
なんかそうですねだから今隆さんが実写の中でっておっしゃってたけど
演劇的演出っていうか演劇的演出と実験映画的演出がどんどんどんどんミックスされていってる感がしますね
僕結構意外と驚きだったのがあんまり肉体を感じさせる作品が少ない中で
肉体表現する人が出てくるなんだっけな
甘い生活か
コンテンポラリーダンス
グニャグニャ動くんですか
ダンサーを使ったやつですね
あれは京都での一緒に大学でやられてた環境があったから
そうですね大きいですねそこはね
映像舞台芸術学科っていう学科が2000年に出来上がって
そこの映像の責任者だったんですね私がね
舞台の方は太田昭和さんという演出家で
それは合体した学科なんでね
学生は一応映像の方と舞台の方と受験をして入ってくるんだけど
入ってきた学生に対しては同じことをやらせるんですよ
演劇をやろうとしている子にもビデオカメラを持たせて
自分で撮影して編集してみたいなことをやらせるんです
映像をやりたいという子も日部やらせたりしてたんですよ
ダンスとか日部とか
そうやって一緒くたにしちゃって
面白い学科だったんですよ
甘い生活に出てくれてた寺田美沙子さんっていうのは
映像と舞台の方のコンテンポラリーダンスの先生でね
先生だったんですね
動きが普通じゃないもんね
指先まで足先まで
あれは編集でちょっといじくってます
ちょっと人間じゃできない動きですね
すごい不気味だったっすね
映像と舞台が合体した学科だったから
そういう交流が激しくありましたね
映像と舞台をミックスした講演を
何か考えましょうよとかいうね
非常にクリエイティブな現場でしたね
面白かったですね
その舞台に映像を投影するみたいなこともされてましたよね
あれも面白かったなと思って
映像はあくまでも曲を出して
そこに肉体を持った人が絡んでくることによって
そこがないまぜになった空間が生まれるじゃないですか
それで何か新しい表現ができないかみたいなことをね
模索してましたね
お互いに先生同士でね
何かそういうだから何て言うかな
作風がめちゃくちゃ終わりだけれども
何とかそういう割と来るもの拒まず的な
そういうものをどんどん取り込みながら
やられてるなって思いますけど
そうですねよく考えるとね
割とうまくやってるんですね
そうそう
鈍欲 秋っぽいっておっしゃってたけど
秋っぽさも鈍欲さの一つのかもしれないですけどね
そうかもね
そうですね
よくうちの会社にもフィルムで撮ってみたいんですよ
みたいなことを言うやつがいますけど
あっさりもう辞めたわけでしょ
もういいやと思って
そうですね
こだわりはもうなかったですね
そうですよね
いまだにこだわってるそういう映像作家っていっぱいいるんですけど
私は全然こだわりなかったですね
むしろデジタルでの可能性みたいなことを追求したいなみたいな
そういう欲望のほうが強いですよね
だからすごくそういう意味では本当にどんどんどんどんね
取り入れてるんですね
変化してる
そうですねそこはあんまり頑固じゃなかったですね
伊藤さんのDVDを頭からずっと見ていったんですけど
年代順になってるじゃないですか
その変化をすごい感じて
ここでこういうの取り入れたから
次の作品にもそういうのが出てきてるみたいな
すごい面白かったなって思ったなと
なんかそのこのDVDディスク1とディスク2があるんですけど
ディスク2からお子さんが出てきたりされてますよね
それもまたうまく自分の人生を取り入れてるというか
実のお子さん
実の子供がね
割とそうですね
子供ができた頃っていうのはそうですね
なんか子供ができることによって
私自身のことを考え始めたっていうかね
親っていうのは何だろうとか
子供と親の関係とか
なんかそういう自分って何だろうみたいなことを
考えた時期が結構あって
だからビデオで子供を撮った前後の作品って
割とそういうテーマっていうかな
ゾーンなんかもそうですね
割と自分って何みたいな
いやそれはね
子供を撮った12月のかくれんぼっていう映画なんですけど
これね東京での仕事を辞めてね
京都で大学の先生になって
一番最初に作った作品なんですよ
それでその当時の学生たちがね
その当時の映像の先生たちにね