ケイシャのしゃべり場
はい、始まりました。ケイシャのしゃべり場。この番組は、映像制作会社KOO-KIのメンバーが日々感じているおもろいを語り合い発信するトーク番組です。
毎回、いろんなメンバーとともにゆるーく雑談していきます。
私、KOO-KI原山です。
KOO-KIヒージャーです。
よろしくお願いします。
前回はですね、上原さんをお呼びしてちょっといろいろお話を伺ってきたんですけども、
上原さんのおかげで、僕が改めて感じたのは、やっぱ我々の仕事って結構広告だったりとか、エンタメとかだったりするので、
ちゃんとクライアントさんがいて、その目的があって、それをしっかり伝わるように伝えるっていうのが改めて大事だなっていうふうに感じてたんですけど、
今回お呼びするゲストの方の作品はですね、お呼びするにあたってちょっといろいろ作品見させてもらったんですけども、
もっと映像って自由でいいんだなとか、映像を通していろいろ考えさせられるというか、っていうような作品が多くて、
なんかそういった感覚って、僕が大学生時代に感じた、大学生時代ちょっと考えてたような感覚に近いなっていう気がしまして、
ちょっと懐かしい気持ちになりながら、なんか思い出してたんですけど、
ちょっと今回はなんで、ゲストを交えつつですね、そういったこの映像の世界にどっぷりつかれるような内容になればいいなというふうに思っております。
私がちょっと全然わからない。
そうですね、なんでひじやさんがわからなかったらなんか聞いてもらえると。
わかりました。
ちょっと深い話ができるかもなと思っています。
というわけでじゃあ早速ゲストをお呼びしたいと思います。
実験映像作家の伊藤隆さんです。
こんにちは、伊藤です。
よろしくお願いします。
もう一方、空気から江口寛監督もお呼びしております。
どうもこんにちは、江口寛です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということで今回は結構スペシャルな内容でお送りしていきたいと思うんですけど、
ちょっと早速なんですけど、伊藤さんのプロフィールを先にご紹介してもらっていいでしょうか。
1956年、福岡市生まれ、九州芸術工科大学在学中に、
実験映像作家松本利代ゼミで制作したスペイシー、1981年でデビュー。
以降、日本を代表する実験映像作家として、数々の映像作品、映画を手がける。
1999年、演出家の太田昌吾とともに、京都造形芸術大学、
現在の京都芸術大学映像舞台芸術学科の創設に関わり、
ダンサーとの共同作業による舞台芸術作品も多数発表する。
2016年からは九州産業大学芸術学部で教鞭を取っていた。
主な作品にゾーン、1995年、最後の天使、2014年、三人の女、2016年、遠い声、2024年などがございます。
ありがとうございます。
今、有名な実験映像作家ということで。
しかも、最初にちょっと言われてましたけど、芸工大卒でもあられますんで、
僕の大先輩でもあり、江口さんの先輩でもあるんですよね。
そうなんです。
芸工大の少なくとも画像設計にいた人たちにとっては、みんなね、伊藤隆大好きですよね。
そうなんですね。
気持ち悪いですけど、気持ち悪さを乗り越えて、すごい好きで。
っていうのもね、芸工大受けようかなって思って、高校3年の時に、
オープンキャンパス、夏休みだったかな、行った時に、いきなりハリウッド大作とかしか見たことなかった僕が、
伊藤さんの実験映像を二本立て続けて浴びるわけです。
なんじゃこりゃというとこから僕の芸工大体験が始まるっていうね。
多分みんなそうだったと思うんで、みんな伊藤さん大好き。
結構会社の人に聞くと、みんな学生時代の時に見た見たって言って。
伝説の男で、この前たまたまちょっとね、本当にたまたま引き合わせていただいて、
飲み屋に行ったら、おじさんが一人座ってたわけですよ。
この人誰かなって思ってたら、伊藤さんだよって言われて、
伊藤さんって?って言って、伊藤隆さんだよ。会ったことないの?って言われて、
えー、この人があの伝説の男?と。もう感動しちゃってね、今今日に至ると。
九三大での特別講義でしたもんね。
そうですね。
それを聞いてて、飲み会があるって言うんで、私も強引に参加して、初めてお会いしたっていう。
僕が初めてだったんですよ。
でもあの日の記憶は、僕は自分の講演会よりも断然伊藤さんに初めて会ったっていう記憶の方がね、残ってますね。
そうなんですね。
その後、もう一度伊藤さんと一緒に飲みに行くんで、空気メンバー来ませんか?ってぐっちぃさんから呼びかけがありまして、
その時に僕も参加してもらって、話が盛り上がって、空気でポッドキャストもやってるんですよっていうので、
ちょっと出ていただけませんか?っていうので、今日に至るという感じなんですけども。
やっぱ空気のいろんな人も見ていると思うんですけど、これ見たことあるっていうのがやっぱスペイシー。
伊藤さんのデビュー作でもあるんですけど、僕も最初それだけ見たことがあって、
このスペイシー作ってる人なんだっていうので、飲み会に行った記憶があるんですけど。
まずこのスペイシーの作品っていうのをちょっと聞いてる人にも紹介したいんですが、
なんともこの実験映像を言葉で説明するっていうのがかなり難しいなと思いつつ。
実験映像って言ったらみんなだいたいわかるものなんですか?
いや、いろいろあるんじゃないですか、実験映像って言っても。
今もう死後ですよね。
あ、そうなんですか。
僕、芸工大卒業してからやっぱり実験映像とか見に行く機会がずいぶん減っちゃったもんで、
今のその世界がどうなってるのか全然知らなかったんですけど。
今はね、実験映像っていうと、例えば雷が落ちたときに人間にどういうふうに伝わるかみたいなことを、
科学的に実験した映像を見せるみたいなことをよくテレビでやったりしてますけどね、
そういうときに実験映像っていう言葉がよく使われてて、
だから私が学生の頃に初めて触れた実験映像っていうのは実験映画って言われたんです。
実験映画って言ってましたね。
最初は70年代、80年代ぐらいまでは実験映画って言ってたんですよね。
で、実験映画ってなんだろうって僕もその当時ね、劇映画ばっかり見てたもんで、
ちょっと不思議な響きがあって、興味津々でね。
そういう上映会とかがあるわけですよ、福岡でもね。
そういうのに足しげく通ってて、こんな映画があるのかっていう驚き、
それと可能性みたいなことをね、感じて、そっから自分でも作品作ろうと思い始めました。
まああれですね、松本敏夫先生のデビューに入られたと。
その当時、芸工大松本敏夫さんという、この方も映画監督、映画作家だった方で、
もう亡くなられましたけど、ここもちょっと不勉強であれですけど、
一番有名なのはもう劇映画としてはドグラマグラですよね。
ドグラマグラっていう劇映画があるんですけど。
これもメジャー作ですけど、かなり実験的な映画でしたね。
その先生がいた頃なんで、もう一番やっぱり、
芸工大実験映画の一番華やかな。
松本敏夫さんは、そもそもドキュメンタリーのね、
ドキュメンタリーの世界で出てきた人なんですよね。
岩波映画って結構有名だね。
であそこで、どんなドキュメンタリーを作るかっていうことで、
彼はかなり実験的なことをちょっと考えてて、
それを実践していったわけですよね。
そこから、ある時にテレビのドキュメンタリーを撮ったんですよね。
その時に石の歌っていう作品なんですけどね。
それはね、石切り場の作業をドキュメントするっていう
30分の番組だったんだけど、
全編写真でやっちゃったわけですよね。
スチール写真。スチール写真の構成で30分間やってたんですよ。
それがね、結構大問題になった。
つまりTBSで作ったらしいんですけど、
大問題になって、
放映せざるを得ないみたいなことで放映はしたんだけど、
相当大問題になって、出入り禁止っていう目にあったぐらいの人なんですよね。
でもまあ、それを覚悟してでもね、
そういう映像を作り抜けるっていうところもあって、
やっぱりそういう世界から飛び出しちゃって、
個人的な実験映画っていうのを作り始めたわけですよ。
70年代にね。
そこで生まれた作品を僕らは見てね、
大学生の頃に恐ろしく刺激を受けたんですけど、
劇映画も同時に作り始めた。
だから劇映画の作り方っていうのはね、
大学生の頃からね、
いわゆるメジャーの普通の作り方ではない作り方を彼は模索していて、
4本ぐらいあったかな、劇映画はね。
どれもやっぱりある違和感というかね、
見る人にとってはね、思った作品ばっかりだったんですけどね。
まあそのね、1960年代、70年代ってもう映像だけでなく、
もう映画だけでなく、
いろんな方面で文学でも舞台でも、
いろんな方面でみんな何か新しいことは表現できないか、
模索してた時代なんで。
やっぱり一番大きなきっかけはアメリカの実験映画を
ソーケツホールで集中的にやったんですよね。
60年代の仲間かな。
だからアメリカの実験映画をね、
そこら辺を集中的にやったのを、
その日本の若手のアーティストたちが見てね、
すごい刺激を受けて、
カメラさえあれば何か表現ができるっていうね。
だからその当時は、
画家であったり、音楽家であったりね、
小説を書いてる人とか、写真家であったりとか、
だから映像とは違うジャンルの人が
カメラを持ちながら、
自己表現を始めた。
新しいおもちゃを手に入れたって感じがするし。
寺山修司さんとかも映画を撮った人でしたもんね。
寺山さんも始まりはそこら辺ですよね。
60年代の仲間ですよね。
まさにさっき伊藤さんの言葉の中に、
違和感って言葉が出てきましたけど、
まさに最初に、
蛍光大実験映画を見た時に感じた。
キーワードの一つは違和感というか、
違和感しかなかったですからね。
どうやって違和感を作るか、みたいなものばっかり考えてました。
それを考えてるんですよね。
どうやったら違和感になるか。
それを考えてました。
技術的なことでもね、
この技術を自分で生み出したら、
すっげえ違和感がある映像ができる。
そういうのが、
音楽の力って半分ぐらいは音楽や音の力かなと思うんで。
そこはそうなんですかね。
弾けるかっていう話で言うとちょっと全然ダメですけどね。
私もダメですね。全然弾けないですもんね。
弾かずに音楽の趣向性としては、
じゃあやっぱりお兄さんの影響を受けてそういう。
あるのかもしれないですね。
そこはね。
割と伊藤さん作品その環境音というか、
それこそ不気味なようなこともありますけど、
あれは、
ずっと同じ方。
稲垣さんでしたっけ。
学生の頃、スペーシーの頃からは稲垣君と一緒にやってたんですけど、
その後はいろんな人とコラボレーションして。
毎回こういう音がいいってオーダーはされるんですか。
大々しますけど、
学生の頃は割と稲垣氏に任せてましたね。
そうなんですね。
意外とね、任せた方が面白いっていうところがあって、
自分の想像じゃない向こうの想像力で映像にぶつけてくるんで、
それが合体した時にどういうイメージになるかっていうのを
自分も想像できないものが現れてくることがあってね。
そこが面白かったですね。
だけど、どなたが作ってもなんとなくやっぱり
伊藤隆作品風になっちゃいますよね。
なんかね、
伊藤さんの映像のイメージがもう強すぎて、
なんかあれですかね、そこからなかなかこう、
はみ出ない感じもするんですけど、音楽が。
最近はね、
どっちかというと自然音。
そのメロディーがあるものを使わない方向で
ずっとやってますね。
そうですね、今回ちょっと僕も
最近の作品初めて見たんですけど、
発電所の風車が映ってくるやつが遠い声でした。
あれのね、風切り音みたいなものの音も印象的に。
そういうの。
こんな音がするんだと思いました。近くに行ったら。
実際に撮りに行ったそうです。
大体東区でしたよね。
東区が中心ですけど、
長崎も撮ったし、佐賀とかこういった。
なんか分かんない部分がちょっとあるなと思って。
旧三大の近くに私住んでるんですよ。
じゃあ見たことある。
そうそう。
チラチラと行きますからね。
どのロケーションもやっぱ絵の力が強いなっていう、
なんか面白いなって感じたんですよ。
ロケ版は一人で行くんですか?
大体一人です。
もうプラッとじゃああちこち見に行くみたいな。
普段からそれやってるんですよ。
やってるんですね。
もう今の日課ですね。
探しに行きます。
ドライブ、散歩、ドライブ。
両方ですね。
でも車で大体探しに行ってますね。
それカメラで撮るんですか?
撮りますね。
ここで撮りたいんで。
カメラで撮ってみないと分からないですね。
実際に目で見て感じた雰囲気とね。
カメラで撮って写真で見たときと全然違ったりするんでね。
写真で見たときにいいねと思うときに、
その場所をロケ地にしますね。
肉眼で見てすごいなって思っても、
カメラで撮ると手に負えないときってありますよね。
手に負えない?
なんかね、収まりきれなくて、
収めちゃうと収まっちゃってつまんないかなっていう時もあるからね。
難しいですよね、意外と。
カンさんなんかは、
シナリオができた後にロケ地を探しに行ったりするんですか?
そうですね。
最近はもうすっかり仕事としてシステムができちゃってる。
まずその制作っていう職業の人たちがザザザっといっぱい見て、
写真持ってきてくれるんですよね。
言うとだから僕コンテ書き終わってからロケ地に行くぐらいです。
コンテ書いてるときは、その場所の設定が僕の中にはあんまりなくて、
ないんですか。
だって、
コンテを書いてるときは、
場所の設定が僕の中にはあんまりなくて、
ざっくりあるんですけど、
その場所に合わせた、例えば階段の位置がこうでみたいなことは、
僕の頭の中で勝手に想像して書いてるんですけど。
明太ピリリとかはね、結構セット撮影でしたからね。
そうですね、セットも多いです。
風景はそれほど出てこないですかね。
明太ピリリはもう昔の風景を探さなきゃいけないんで、
めんどくさいです。
私も昔の風景をずっと探しますね。
昔の風景っていうか、崩れかかった。
大灰的にはですよね。
ツタが生えまくった団地とか。
あれどこなんですか。
あれは長崎ですね。
長崎の池島っていう炭鉱の島なんですよ。
元炭鉱。だから軍艦島みたいなのがあって。
そこはね、でもフェリーが行き来しててね。
敗北オタク相手の観光地になってますね。
じゃあ人も住んでるんですか。
人はね、ちらほら住んでますね。
だからボロボロのアパートなんだけど、
一所帯だけ住んでたりするんですよ。
映ってたツタだらけの。
すごい信じられない。
私の撮った映画のワンカットの中にね、
パラボラアンテナが一個ついてるとこがあるんですよ。
そこに人が住んでる。
私もびっくりしました。
こんなとこ住んでるんだって。
今の話で思い出したけど、
高志さんのあの作品の中に入ってくると、
全部狙いで計算で入れてるのかなって思わせるものがあって。
そもそもそういう作品なので。
例えばパラボラアンテナがあるじゃんって、
それはたまたま撮ったわけでしょ。
設置したわけでは当然ないし、たまたま撮りました。
だけどそれを見つけた人は、
絶対これ伊藤高志がここに狙っておいてんじゃないかって思わせるものがあるし。
ほら見てると、わりとよく動物がたまたま映り込んでるショット使いますよね。
蝶々がひらひらって飛んでいくのに、
ハエの音なんかつけちゃったりしてて、
もうやるなって思っちゃう。
そうですね。
ハエの音つけてましたね。
岩間ですね。
岩間はね、
その岩間と偶然を取り込む感じというか、
ちゃんと偶然取り込んで自分のものにしちゃう感じとかがね、
そういう発見とかもあって面白いよね。
それは撮影の醍醐味というか、面白いと思うんですよね。
編集の醍醐味でもあるし。
いろいろ撮れるんですよ、偶然に。
いろんなものがね。
結構たくさん回すんですか?
回しますよ、わりと。
でもカンさんみたいには回さないですよ、うちのね。
どうだろう。
すごい話聞きましたけど。
そうですか。
俳優さんはちなみに、
オーディションとかをやる感じじゃないですよね。
違いますね。