1. ケイシャのしゃべり場
  2. #156 KOO-KI シン・プロデュー..
2024-08-23 21:39

#156 KOO-KI シン・プロデューサーは特撮好き!〈前篇〉/P.前畠慎悟

【内容】ゲストは今年入社のプロデューサー✨/経歴から特撮ワードが並ぶ、クセ強キャリア/DirからPに転身?二刀流?その戦略に迫る!/高校-大学時代の自主制作特撮エピソード/停学寸前⁉︎特撮にのめり込み過ぎた話/幼稚園の頃からゴジラ好き/夢の『特撮研究所』からなぜ、企業案件の映像会社へ?→後篇へ続く🔥


【ゲスト】

前畠慎悟/KOO-KIプロデューサー


【出演】
山内香里/KOO-KI ディレクター

泥谷清美/KOO-KI 広報

原山大輝/KOO-KI アシスタントディレクター
▼感想・質問などお便りお待ちしてます!フォームは⁠⁠⁠こちら

⁠⁠⁠⁠⁠⁠番組の概要⁠⁠⁠ 【BGM/Jingle】invisi ⁠https://invisi.jp/⁠ 【Sound material provided by】OtoLogic ⁠⁠⁠⁠https://otologic.jp/⁠⁠

サマリー

今回のエピソードでは、KOO-KIの新しいプロデューサーである前畑慎悟さんの特撮に対する情熱と経歴が掘り下げられています。彼は大阪芸術大学で特撮映画を自主制作し、商業映像業界で特撮監督としての実績を持っています。このエピソードでは、特撮愛に満ちた前畑さんが高校時代からの自主制作の経験や仲間とのクリエイティブな活動について語ります。特撮のコンテンツが少ない時代に自ら作る楽しみを見出した彼の情熱が伝わります。また、前畑慎悟さんが特撮研究所での経験や日本の特撮業界の現状についても話します。特撮の制作過程やコスト面の課題、特撮研究所の魅力が詳しく紹介されます。

KOO-KIの新メンバー
ケイシャのしゃべり場。
はい、始まりました。ケイシャのしゃべり場。
この番組は、映像制作会社KOO-KIのメンバーが日々感じているおもろいお語り合いを発信するトーク番組です。
毎回、いろんなメンバーとともにゆるーく雑談していきます。
私、KOO-KI YAMAUCHIです。
KOO-KI HIIJYAです。
KOO-KI HARAYAMAです。
よろしくお願いします。
はい、ケイシャのしゃべり場も3年経って、最近はコラボ会が多かったですよね。
ちょっとコラボしましたね。
社外ゲストの方にわんさか出ていただきましたね。
最初の1年目はね、わりと社員の紹介的に、社員さんを呼んでその人一人を深掘るみたいな回が多かったんですけど、
一通り回った後、社外の外にゲストの方向を広げていっての3年目みたいな感じなんですが。
でもやっぱり社内のコミュニケーションもしっかりしていきたいよねっていう話は引き続きしてまして、
最近KOO-KI、また新しいメンバーが入ってきたりしているので、今回は久々にKOO-KIスタッフを深掘りする会をやりたいと思います。
では早速お呼びしますかね。
2024年よりKOO-KIに参加してくださいました、この方です。
どうもよろしくお願いします。
特撮制作のキャリア
KOO-KI大阪オフィスプロデューサーの前畑です。
よろしくお願いします。
今年の1月からですよね。
はい、今年の1月から大阪オフィスで勤務させていただいております。
ちょうど半年ぐらいですか。
今まで半年ちょっとぐらいという感じですね。
私も勝手に1年ぐらい経ってると勘違いしてました。
そうですね、なんかよく言われますね。
では早速、そんな前畑さんの経歴をご紹介したいなと思います。
大阪芸術大学在学中に自主制作特撮映画を制作。
卒業後2015年に株式会社特撮研究所に所属。
様々なテレビ番組や劇場作品での特撮パートの助監督をして、商業映像業界でのキャリアをスタート。
その後、2018年の劇場公開作品、聖なるものにて特撮監督を担当。
2020年より株式会社サムシングファンにて、ディレクターとして様々な企業案件の映像企画制作。
その後、2024年より空気株式会社にプロデューサーとして入社。
学生時代の経験と情熱
現在は企画演出、プロデュースまで幅広い領域での対応力を武器に活動されています。
プロフィール読んだだけで、情報多いな。
特撮多めですよね、やっぱりね。
入り口がやっぱり特殊なところから入ってはいるので、
経歴見られた方は皆さん、だいたいはなかなか癖の強いキャリアだねというふうによく言われますね。
やっぱりそうなんですね。
私、僭越ながら前畑さんが空気に応募してくださったときに面接に同席させていただいて、
そこでいろいろと前畑さんの話とかを聞いていたんですけれども、
前畑さんは経歴もすごいんですけど、しゃべりがすごい。
大阪だからなんですかね。
仕事柄をよくプレゼンしたりすることもよく、前職自体かなりそういう場もあったので、
もともと話すの好きだっていうのはあるんですけれども、
よりちょっとそういう自己PRしないといけない場とかだったりすると、
エピソード交えて話したりするのは得意かなというところはあったりはしますね。
今日めちゃくちゃ楽しみだったんですよ。
しゃべりすぎないようにちょっと気をつけて。
ここはしゃべり場なので大丈夫です。
今まではディレクターでしたり、作品作りを主にやられてたってことなんですけど、
空気に入社するときはプロデューサーとして入社というところで。
もともとは一応ディレクターで最初は応募させていただいてたっていうのはあったんですけれども、
前の会社がディレクターではあったんですけれども、
実際やってたのは本当に自分で映画を作ってたんですけど、
ディレクターではあったんですけれども、
実際やってたのは本当に自分で営業も兼任してやってるような状態だったので、
なので実質も本当プロデューサー的業務はやりながら、
自分で企画もやって、現場の演出もやって、
編集への指示ですよねっていうところまで一貫してやってはいてたので、
そういう話を面接の際に役員の皆さんにさせていただいて、
プロデューサーでもいいんじゃないのかっていうふうなお話いただいたっていうのが、
そもそものきっかけっていう感じですね。
ただ僕としては今までのキャリアで、
ちゃんとそういうプロデューサーっていう役職を名乗ったことがなかったので、
やっちゃっていいのかなみたいな不安なところはあったんですけど、
とりあえずやってみたらっていう感じで言っていただけたので、
じゃあちょっと一回やってみようかなというようなことで、
なんとなく今もやらさせていただいているというふうな感じですね。
すごいめちゃめちゃ頼もしいですよね。
両方こなせる。
前職で営業っぽい動きもされてたってお話されてたんですけど、
やっぱ大学時代から自主政策で特撮を作るってなると、
結構な人数のチームを大学時代から率いてたみたいな感じなんですか?
大学の時は大体僕入れて10人ぐらいの規模感でやってたかなっていうところで、
基本的には同期と、あとは興味持ってくれた後輩とかに声をかけて、
一緒に回してやってたっていうふうな感じですね。
そもそも特撮っていうジャンル自体がなかなかやっぱ自主政策でもそうですし、
商業映画でもそうですが、なかなかそんなに
できるジャンルのものではないんで。
撮影するにあたっても準備するものの数が多かったりだとか、
あとは技術的な障害ですよね。
劇場でかかってるようなCG作品とかあったりすると、
それは当然プロの方々が携わられてるんであれですけど、
実際にそれを自分たちでやるってなった時に、
その表現というのはどういう技術を使って、
どういう撮影の仕方をして、
どういう編集をしたらそれっぽく見えるのかっていうところを、
まず自分たちなりに研究していくところから始めないと、
何を準備したらいいのかも分からないっていうところではあったので、
なのでそういうのをまず調べたりするところから始めたっていうのも、
企画としてはありましたね。
なのでそういう作業をやっていくうちに、
メンバーが徐々に固まっていって、
学生時代のそういうチームの編成になったかなっていうところですね。
大阪芸術大学に特撮専門のサークルがあったとか、
そういうわけでもないんですよね。
僕が入学した当時は、
そういう専門のコース自体はなくて、
今はあるんですけど、
それは僕らが入学してからの話なんですよ。
だから入学した当初はそういうのも全くなくて、
ただ一応、学生時代の中で、
そういうのが好きでやっている先輩方はいらっしゃったんですけれども、
ちょっとそっちとは違うことをやりたいなっていうところもあったので、
本当にゼロからスタートさせたっていうふうな感じですね。
でも高校が映像の専門の学校だったんで、
そうなんですか?
そうなんですよ。
大阪にある大阪一律工芸高等学校というところなんですけど、
そこの映像デザイン科というところも出身で、
映像デザイン科というところも出身で、
当時だからまだフィルムがギリギリあった時代だったんで、
フィルムで写真撮ったりだとか、
それを自分たちで現像して暗室でプリントしてとか、
っていうのをやったり、
映像はまだ当時、
DVテープだったんで、
テープで編集するやり方ですよね。
だから結構初期の方のノンリニアの編集機器を使って、
それでこう、
繋いだりみたいなことをやってたんで、
だからアナログもデジタルも一応いじれるみたいなところは強みかなと思います。
テープで編集するって、
テープを切ったり貼るってことですか?
いやいやいや、
僕らの時はテープを取り込む専用の機材があったんですけど、
それをデジタルのデータに変換して、
びっくりした、まっガチの。
そうそうそうそう。
それをデジタルのデータに変換して、
まっガチの。
そうそうそうそう。
大学入ってから一応実習で、
フィルムの編集もあったりはしたんで、
まだ僕らの時は。
なので撮った16ミリのフィルムを本当に切って、
専用のガッチャンていう機械で繋いで、
絵写機にかけながらやったりとかっていうのもやってた。
ほんとギリギリ最後の世代かなっていう。
高校時代すげー。
お二人とも、
山内さんも原山君も芸大出身だけど、
そういうことはやってない。
やってた。
そうですね、私高校はデザイン科の高校だったんで、
デザインの色の構成の授業とか、
高校時代の特撮活動
デッサンとかそういうやつはやってましたけど、
映像は全然なかったですね、カリキュラムに。
原山君は?
僕はもうCGだったんで、
それを実際に、一応まあ、
ビデオカメラで撮影みたいなのもあったんですけども、
それも完全にミラーレス一眼みたいなやつでやってたんで。
フィルムは扱ってない?
そうですね、大学の倉庫の奥にフィルムはあったな、
ぐらいの記憶しかないですね。
じゃあ、高校時代から特撮っぽいことは、
カリキュラムの中で、
山内さんが興味持ってされてたりとかしてるんですか?
そうですね、高校の時から自主制作で特撮のものは作ってたんですけど、
授業で課題があってやってたっていうわけではなくて、
本当に勝手に自分たちで好きでやってたっていうふうな感じなんですよね。
っていうのも、僕が高校生活って2008年から2010、
卒業したの2011年なんですけど、
この期間って本当に特撮モノのコンテンツがですね、
戦隊モノとライダーぐらいしかなくて、
何もないような状態ですね、ほとんどそれ以外っていうものは。
僕は元々怪獣モノが好きだったんで、
ゴジラとかガメラとかそっち系ですよね。
あとはハリウッドのクリーチャーモノとか、
エイリアンとかプレデターとかそういうのが大好きだったんですけど、
僕のその思春期の時代って、
そういう系のコンテンツがもうほとんど旧式館中だったっていうのもあって、
新作が見たくても見れない時期だったんですよ。
でも周りの世代は全くそういうのも興味もないし、
ほんとオワコンオワコンって言われたぐらいの状況だったので、
じゃあもう自分たちで作るしかないかということで、
見たいものも自分らで作ろうっていうところからスタートして、
そこからたまたま僕の一つ上の台の同じ学科の先輩で、
同じようなことをやってた先輩方がいらっしゃったんですけど、
その方たちと一緒に組むようになって、
過去の特撮モノとかですよね、
パロディをまず自分たちで始めるところからスタートして、
ゴジラのパロディモノを作ったりだとか、
ウルトラマンのパロディモノを作ったりだとか、
それを作って文化祭とかで上映して、
みんなに盛り上がってもらってみたいなのを楽しむみたいな、
そういうちょっと変な生活を送ってましたね。
クリエイティブな取り組み
特撮の自主制作ってジオラマとかを作るんですか?
そうです。
ゴジラの着ぐるみとか。
その辺りが本当に特撮やるときに一番の障害になるんですけど、
今だったら高校生でも扱えるソフトとかもかなりあって、
フリーのエフェクトの素材もかなりあるので、
作りやすい環境を整っているかと思うんですけど、
僕らの時代は本当にまだそれがギリギリ出るちょっと前だったので、
じゃあ怪獣どうやって作るねんっていう時も、
着ぐるみは本格的なものを作れないんで、
先輩にただの黒のスウェットを着てもらって、
顔は素顔のまんまで出てきてもらって、
それを煽りで撮って巨大っぽく見せてやったりだとか、
あとは新聞紙で怪獣を作って、
それをでかく見せたりっていうのを
研究したりだとか、
撮影するのは学校なんで、
学校を学校っぽく見せないアングルって
どういう風にやったらいいのかなっていうのを、
ひたすら毎日考えながらやったりとかしてました。
でもそのせいで低学位を一歩手前まで行ったりはしてたんで、
あんまり、
だんだんちょっとそういうのやってくると調子乗ってくるんで、
やっぱり怪獣映画でやりたい絵っていっぱいあるんですよね。
特に憧れるのって、
人が逃げてくるシーンとかってやりたいじゃないですか。
でもなかなかやっぱり、
同級生に協力してくれって言ったって、
そうそうそんなにやってはくれないんで、
じゃあどうしようかなって考えたのが、
学校の最寄駅までの通学路ですよね。
だいたいこれって、
何時から何時はこのうちの生徒が通るってわかるじゃないですか。
で、全員が制服だったらもう学校ってばれちゃうんで、
上から簡単に羽織れるような、
パーカーみたいなやつを家から持って行って、
10着か20着くらい。
それを持って、
通学時間に通学路で待機してるんですよ。
僕はカメラを持って、
その友達に待ち伏せさせて、
うちの学校の制服を着た生徒が来たら、
勝手に人止めして、
ごめんちょっとこれ上から羽織ってって言って、
その私服を全部彼らに着せて行って、
こっからあそこまで走ってくれって言って、
そのまま道路のど真ん中に、
ギャーギャー騒がせながら、
ゲリラで撮ったんですよね。
そしたら、
警察が来て、
何やってるんやっていうことで、
大問題になったっていう。
一度に何十人も走らせたってことですか?
そうですそうです。
欲しい映画撮りたいって、
そういうのをやったりしてたんで、
もうなんかね、
絶対真似しちゃダメですよって、
そういう風なことをやっちゃってましたね。
その作戦は誰が考えたんですか?
僕が考えても、
やるぞって言っても。
絶対に欲しかったんや、その映画。
でも結局、
使わなかったんですけど。
ビルとかも作るんですか?
ビルはね、
実景でやれるところは実景で、
普段の街中撮影してきて、
合成とかできるだけ使わずに、
簡単なビルとか、
あとは一番よくやってたのは、
写真を印刷してきて、
それを発泡スチロールに貼り付けて、
かき割りですよね。
を作って、
それでこう、
擬似的に何かこうやったりみたいな、
無線映画の時代にやってたようなこととか、
自分らでやったりとかはしてましたよね。
あと、
自衛隊と戦うところとか、
当時まだ発泡のエフェクトとか、
もう販布されてなかったんで、
自衛隊って年に何回か、
中東地で記念式典っていうのをやるんですけど、
ありますね。
それを、
自衛隊のその情報を集めてきて、
いついつだったら入れるっていうことを調べて、
何人かでその式典に入っていって、
多分このルートで、
何台の戦車が何台来るだろうからっていうので、
カメラを張っておいて、
実際の本物の戦車とかを撮ったりとかして、
無断で編集で使ったりとかして、
ってなった。
だから、
そういう演習の展示とかだったら、
実際に空砲の射撃とかしてくれるんで、
それを隠し撮りして、
そうやって、
発砲シーンとかを本物を使ったりとかして、
それっぽくやってましたね。
大学での進展
そういう時ってやっぱり、
これもうちょっと違うアングルで撮ればよかった、
みたいな、
そんなのとかなかった?
めちゃめちゃありましたよ。
なので、
多分ここの中東地だったら、
このルートで次の都市は構えよう、
みたいなふうなことを考えながら。
レクストプランができる。
そうそう。
大体やること一緒なんで、
じゃあこのヘリ飛んでやったら、
こういうふうな話とかは、
よくしてましたね。
楽しそう。
それが高校時代ですか?
それが高校時代ですね。
小中学生の時も、
すでに特撮好きだったんですか?
そうですね。
僕、幼稚園の時から、
ゴジラが好きで、
ゴジラ作りたいっていうのは決まってたんで、
だからそこから夢は変わってないんですよね。
そこから大学もあれですよね、
卒業政策がテレビで取り上げられたりとか。
そうです。
だからそういうのは、
映画講師園っていうコンクールがあったりとか、
それで賞をいただいたりとかして、
そのまま調子乗って大学行って、
じゃあ大学行ったら、
次は着ぐるみとある程度のCGと、
もうちょっとオリジナルのものを使ってやろう、
みたいなところから、
ここのノリを発展させていって、
作っていったものが、
大学卒業するときに、
ちょこちょこメディアで取り上げていただけるようになったりとかもしてて、
タイミングも良かったっていうのがあると思う。
ちょうど僕が大学卒業する最後の年が、
ハリウッド版のゴジラが、
復活する年だったんで、
特撮研究所の魅力
なのでちょうど世間的にも、
そろそろ怪獣映画をもう一回見たいという気分が、
高まってたときだったんで、
なのでそういうときに、
バカな大学生がそういうのやってると、
みんなそのムーブメントに乗ってきやすい、
っていうようなところもあって、
うまくタイミングがあって、
メディアに取り上げていただけた、
っていう感じかな、
っていうふうに今振り返ってみたら思いますね。
そこから卒業して、
特撮研究所に行ってますからね。
そうですよね。
特撮研究所は国内の新生ですよね。
新生なんですね。
特撮研究所さんって、
日本の長たる特撮物の特殊効果を、
手掛けてきている会社さんで、
有名なところで言ったら、
それこそ戦隊もののロボット戦とか、
仮面ライダーの特撮シーンであったりだとか、
あと映画のいろいろな特撮関連の場面を、
手掛けてきている会社さんで、
当然そのお世話になった、
今は社長されていらっしゃる、
宇都田博士監督は、
いろんな賞も受賞されていて、
多分絶対皆さんも一度は見たことがあるような、
有名な作品を、
何本も手掛けてきている、
日本の特撮業界においては、
新生中の新生の会社さんですね。
アナログ特撮においては、
本当に誰もが知っている会社さん、
というような感じですね。
だから僕らからすると、
憧れの場所ではありましたね。
ホームページを拝見したら、
本当に名立たる作品ばかりがあって、
こちらの会社、
日本の特撮業界、
意外にはあまりないんですか、
特撮の会社さんって。
そうですね。
特撮をメインに扱っている、
しかも会社というのは、
なかなかやっぱり、
効かないなという感じですね。
あとはあっても、
ウルトラマン、
つぶら屋さんとかになるかな、
と思うんですけれども、
なかなかCG専門にやっている、
プロダクションさんとかは、
かなりあるんですけれども、
やっぱりアナログも特撮もやって、
かなり数は限られてきてしまうかな、
というのは現状ではありますよね。
技術が結構ニッチだから、
職人さんしか知らない、
みたいなことって多いんだろうな、
というふうに思っていて。
そうですね。
昔はね、まだCGとかが本当に、
そこまで今ほどじゃない時代というのは、
爆発にせよ、
特殊な現象を起こす場合というか、
実際にそういう現象を起こすしかなかったので、
そういう技術職の方々は、
重宝されていたんですけども、
今って大抵のものはある程度、
そういう状況にはなっているので、
そうなってきた時に、
やっぱり一番大きな問題になってくるのは、
コスト面でのお話ですよね。
なので、
やっぱり一つのエフェクトを作るにしても、
デジタルでパーティクル維持って作るものと、
爆発のエフェクトを作るにしては、
多分その火薬を持ってきて、
撮影許可、
そういうの使っていい場所の許可を取って、
免許を持った専門の方々を呼んで、
機材を据えて撮るってなってくると、
やっぱり一つのエフェクトを作るにあたっての、
単価っていうのはかなり変わってくるので、
なので、
貧乏っていうのは、
昔に比べるとかなりも数は減ってきてしまっているかな、
っていうのは、
実際やっぱり、
僕自身もそちらの業界で、
いろいろやらさせていただいて、
感じた場面ではありましたね。
前田さんの経歴で、
大学卒業後に特撮研究所に行かれて、
そこから、
企業案件を扱う会社で、
ディレクションと、
自分で営業しながら、
特撮をされている、
みたいな感じだったんですけど、
幼稚園の時からの特撮好きが、
夢の特撮研究所で、
働いた後に、
何で企業の映像を作ろう、
みたいな感じで、
方向をかじ切りしたんですか?
普通に考えたら、
そのまま残っていればよかったし、
そっちでずっとやっているのが、
端から見たら普通かな、
とは思うんですけど、
経営者のしゃべり場、来週へ続く。
特撮制作の課題
本日も経営者のしゃべり場、
聞いてくださって、
ありがとうございます。
経営者のしゃべり場では、
皆様からのご質問、ご感想を、
常に募集しています。
映像制作会社の人に聞いてみたい、
素朴な質問や、制作裏話を知りたい、
など、何でもOKです。
SNSでは、
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DMも受け付けています。
我々の励みにもなりますので、
ぜひお気軽によろしくお願いします。
21:39

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