1. ケイシャのしゃべり場
  2. #72【KOO-KI 25周年】スペシャ..
2022-12-16 21:01

#72【KOO-KI 25周年】スペシャル企画第3弾は東京・福岡・大阪のBOSSが大集合!/D.木綿 達史、D.白川 東一、P.窪田 善仁

【内容】3拠点の仕事内容やメンバーの特徴/KOO-KIは映像の幅が広かった⁉︎/20年越しに他県へ進出したワケ/東京・大阪進出の意外なメリット・デメリット/イノベーター木綿達史/BOSS同士で議論して決める経営スタイル/大阪オフィスを立ち上げたワケ/まるで夫婦社長副社長コンビ/続きは#73へ

【ゲスト】
木綿 達史/KOO-KI 代表取締役社長 兼 ディレクター(東京BOSS)
白川 東一/KOO-KI 代表取締役副社長 兼 ディレクター(福岡BOSS)
窪田 善仁/KOO-KI プロデューサー(大阪BOSS)

【出演】
山内 香里/KOO-KI ディレクター            
泥谷 清美/KOO-KI 広報              

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info@koo-ki.co.jp
※件名は「ケイシャのしゃべり場」にしていただけると助かります。          

【Sound material provided by】OtoLogic https://otologic.jp/
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ケイシャのしゃべり場。
はい、始まりましたケイシャのしゃべり場。この番組は、映像制作会社KOO-KIのメンバーが日々感じているおもろいを語り合い発信するトーク番組です。
私、KOO-KI山内と、
KOO-KIヒージャーが毎回いろんなメンバーとともにゆるーく雑談していきます。
よろしくお願いします。
この冬、25周年を迎える弊社なんですけれども、それを記念した特別プログラムでお送りしております。
前回は、新米ディレクター原口山内と、住賃P小澤さんとで、今後KOO-KIでチャレンジしていきたいことや育成についてなど、これからを感じさせる厚いトークを繰り広げてきたんですけれども、
25周年シリーズ最終回は、なんと福岡、東京、大阪3拠点のボスにじきじきに集まっていただきました。
それでは皆様、自己紹介のほどよろしくお願いいたします。
KOO-KI代表取締役兼、今は東京オフィスのボスということでもやっております。
福岡オフィスを代表して、取締役副代表しております。
大阪オフィス代表をしまして、プロデューサーの久保田です。よろしくお願いします。
皆さんよろしくお願いします。
皆さん一同、それぞれ経営者のしゃべり場には出ていただいているんですけれども、
もめんさんはシャープ30から33、しらかわさんは18から21と、シャープ50から53のパワープロ回、
久保田さんはシャープ14から17で、それぞれご出演していただいております。
それぞれのお仕事の感じとか、人柄については過去の回を聞いていただければと思っております。
めっちゃ江口さんに怒られたやつやん。
小沢さんがめっちゃ怒られた回。
でも、すごい視聴者ランキング的には上位なんですよ。
そうなんですよ。結構人気がある回なんですよ。
そうなんですよ。やっぱりお二人とも、すごい大きいバジェットの仕事を回しているPなんで、
いろんな人と今まで仕事したよみたいな感じで、引きが強いタイトルというか。
引きが強いお二人のトーク内容だったんで、結構ランキング上位だったりします。
うまいこと編集していただいてありがとうございます。
今回もよろしくお願いします。
本当、この3人のスケジュールを合わせるのがどれだけ大変だったことか。
結構前から予定入れさせてもらったもんね。
なかなかみんなのスケジュールをね。すいませんでした。
いえいえいえ。集まっていただけただけでね。
奇跡ですね。奇跡の。
みんなね、これ違う場所でそれぞれ撮っているというね。
あ、そうですね。
でもね、俺は大阪なんだよね。しらかが東京なんだよね。
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僕は今日東京ですね。
拠点バラバラじゃないですか、じゃあ。
そう、そうだそうだ。
そうなんだよ。福岡に今誰もいないっていう。今日はそうなっちゃってる。
なるほどなるほど。というわけでね、その貴重な3人に集まっていただいたということで、
せっかくの25周年記念なんで、ここでしかね、聞けないような話をちょっと私とひじやさんで聞いていこうかなと思っております。
よろしくお願いします。
東京オフィスと大阪オフィスができてもう何年ぐらいなんですか?
大阪4年?
あれ、大阪ですね。2019年の10月に設立されてますね。
3年で4年目に突入。
そんな感じなんですね。
2017年の9月。
2年前だもんね、大阪2年前の。
そうね、6年目に入っていくって感じですかね。
9期20周年の年に東京オフィスが開設されてる感じですね。
これからの25周年ですからね、丸5年ですね。
本当やね、早いな。
早い、めちゃめちゃ早い。
というわけでね、うちの会社、本社は福岡なんですけど、そういう感じで大阪と東京にも拠点があるっていうことで、東京は割とプロデューサーが多め?
スタートはそうですよね、だけど今は手を動かす人間も半分いるから、純粋にプロデューサーのっていう感じではないかもしれないですね。
ディレクター、モメンさんも入れて3名と、アシスタントディレクター1名とPM1名ですね、東京オフィスは。
制作とディレクション機能もある事務所っていうことですね。
そう、混ざってますね、今は。
大阪はプロデューサー1名とPM3名、大阪のお仕事を獲得が目的で、制作進行までできるって形ですね。
福岡はディレクターが6名、プロデューサーが3名とPM2名とCGクリエイターが2名とアシスタントディレクター2名とプログラマー1名と経理1名、広報1名の計18名ですね。
ディレクター、アシスタント、ディレクターが一番多く、本社機能もあるのが福岡オフィスですね。
全部で20?
27かな?
28?7か8だと思う。
そうですね。
いや、しばらくでもね、30と25の間をずっと行ったり来たりしてるイメージ。
それぐらいがちょうどいいっていうか、俺が名前覚えれる限界の数は30ぐらいになる。
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でも一番最初はそんな人数いなかったんですよね?
本当の最初から言ったら5人ぐらいからスタートして、一時期15人ぐらいでずっと安定してた時期がある気がしますね。
だから次の段階になったら、今度は25から30の間ってイメージですかね。
平均年齢はどんな?上がったでしょうね。
40までは行ってない?
上がってきてたけれども、ここ最近はすごく下がってきている傾向だと思います。
若い子入ってますもんね。
そうですね。
卒業してすぐの子とかもいるしね、確か。
最近確かに若いのは元気ですね。
まだマウチも若い。
いやいや、私も結構もう年ですからね。
そうっすか。
っていう感じの3大オフィスなんですけれども、
意外とあれですよね、福岡はやっぱりもともとCGとかモーショングラフィックスの会社だったっていうこともあって、
そういうCGとかモーションのスタッフが多いんですけど、東京大阪は割と実写の現場を回すのが得意なスタッフが多いっていう感じですね。
そうですね。
もともと立ち上げるきっかけになった東京のプロデューサーもそうですし、熊田さんもそうなんだけど、
実写ってこだわってるわけではないと思うんだけど、CM全般のプロデューサーということでいうと、どうしても実写の方が割合多いから、
そっちを回す、そっちの仕事を受けることが多い人がまず立ち上げのメンバーだったのもあるんで、
その流れで実写の方が多いけど、でもね、空気に入って、僕らの強みの1個でもあるそういうCGとか、
アニメーションとか、オーショングラフィックスとかの、そういうクリエイティブが上手く作れるっていうのは強みになってるから、
そういうものも熊田さん扱うこと増えたんじゃないかなって思うんですけどね。
いや、めちゃくちゃ増えましたよ。
そうなんですか。
最初だって、空気に入る前って本当、アニメーションの仕事なんか全く来なかった。
えー。
空気に入ってやっぱ、いろんなクリエイターがいるっていうのを外部の人も知ってくれたのか、
結構フルアニメだったりね、白川さんにやっていただいたり、柴木とかもそうですし、
そういう意味では半々ぐらいになってきてるんじゃないかな。
あ、そんなんですか。
そんなにか。
えー。
実写プラスアニメーションだったり、実写プラスCGだったりみたいなところ。
結構だから、幅がすごい広がった気がしますね。
両方扱えるプロデューサーさんって少ないんですか?
なかなかいないんじゃないか。
そうなんですか。
そういう機能が社内にないと、そこでなかなか難しいと思います。
えー。
じゃあ、アニメーションだったらアニメーションばっかり扱うプロデューサーさんっていうのもいるんですか?
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いると思う。
いますよ。
得意な人はいると思う。
そうなんですか。なるほど、両方はなかなかいないですね。
結構そういう意味では、特殊な幅の広さという意味では非常に面白い会社だと思いますよ。
うーん。
正直だって一人で受けて見積もりもかけないんですよね。
この作業にいくくらいかかるかっていう作業工程すら入れないんですよ。
普通の社内にそういう機能ないとこだと聞くしかないですよね。
これいくら使うかって聞くしかなくて。
一個一個。
そういう意味ではちょっとあんまりフットワークは軽くないんじゃないかなと思いますよ。
外にそういうふうに。中にない会社のプロデューサーの人っていうのは多分そこは分かんないことは多いんじゃないかな。
もちろん詳しい人もいると思うんですけど、一般的に見るとそんなに多くないと思います。
へー、そうなんだ。
ちょっとじゃあせっかくなんで、立ち上げた時の話とかも。
ぜひぜひ。
正直言うと東京とか大阪にはずっと出してなくて、そこ一つこだわりでもあったんですよね。
福岡にある会社で、一緒に仕事するときはうち来てください、福岡来てくださいっていうのもまあ一個の売りだったりもしたし、
呼んでもらえるぐらい頑張ろうみたいなことも一つ。
そういうことだったんだ。
遠いのにわざわざ呼んでもらおうっていうのも一つやっぱりあったんで、それはすごくよかったんですよ。
めんどくさい会社って書いてありましたね。前のホームページにね。
そういうのも含めてめんどくさいとこもあるよねっていうのは、でもそういうハドルも越えてでもお願いしてもらうぐらい頑張ろうっていうことがあって、
それはよかったんですけど、20年やってみて、僕違う気持ちもやっぱりふつふつと湧いてきてて、
東京に出したらどうなるんだろうってずっとちょっと思ってるところがあったんですよ。
なるほどね。それでごめんさんの題のときに出したんですね。
そうそうそうなんです。その突っ張り精神がすごく好きだったしよかったんだけど、
出したみたいな気持ちもあった中で、一人離校してきた人もいたから、ちょうどいいねって思って、
実験してみたみたいなところがあって。
実験。なるほど。そういう感じだったんだ。
実はやろうよって言ったときに、え?っていう声も役員内ではちょっとあったんですけど、
ちょっとやらせてほしいっていう話はまして、出してみて、出してなかったときの良さもやっぱあったなって正直思うんですけど、
でも今は東京にオフィスができて、大阪にもできて、メリットも全然気づかなかったメリットも結構あったなと思っていて、
え?なんですか?
やっぱりなんだろう、そこに拠点として動いてる人たちの、やっぱり地元にいる人ならではのネットワークみたいなことやっぱあったし、
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福岡にいたときにやっぱ分かんなかったものとかはやっぱあったし、
久保田さんとかが大阪作ってからも全然、今までこの仕事始めて二十年間全然付き合いなかった人たちとやっぱ繋がり始めたりとかっていうのあったから、
よかったし、あとそれぞれの地域にやっぱりクリエイティブの人たちもやっぱいるわけで、
そういう人たちを、じゃあ大阪のこの人、福岡呼ぼうとか、福岡のこの人、東京の仕事呼ぼうとかっていう、
そういう何か組み合わせが全然前よりはやっぱやりやすいっていうか、
それはなぜなら、僕たちが東京の人でもあり、大阪の人でも今はあるから、
福岡だけでやってたときよりも、そういう意味ではいろんな人たちと知り合えて、
作る幅はまあなんか増えてるんじゃないかなっていうのは、ちょっと全然思ってなかったんですけど、
意外とそういうメリットはありましたね。
しなかわさん、反対意見とかあったんですか、東京立ち上げると。
そうですね、ありましたね。僕は反対。
反対。
そうなんや。
あの、もべんさんは本当にフットワーク軽い人だなって僕は思ってて、
で、やっぱり会社の先のことを考えたときに、もちろん僕も考えるんですけど、
こういう可能性があるよねっていうふうなことを、ちゃんとこう行動に示す人。
で、僕はどっちかというとかなり石橋をたたいて渡る人間なので、
当然、大きなアクションをするときに議論をして、
そこは当然さまざまな意見があっていい場所なので、
いろんなメリット、デメリットをそれぞれ言い合うんですよね。
僕は反対っていうか、そういう行動を起こすのであれば、もっと事前に準備すべきこともあるんじゃないかっていうふうに考えていたっていうタイミングだったんですけど、
もべんさんが今のタイミングを外すとダメだっていうふうに、
やっぱりちょっと数年先のことを考えたときにやっぱりアクションを起こさないといけないっていう強い気持ちを持って動いてて、
最終的には僕ももちろん分かりました。
じゃあ、そう考えてやる以上は全力でやりましょうっていうふうな形で、みんな合意して動いたっていうふうな。
今にして思えばすごくやっぱり、そういうアクションをちゃんとフットワークを軽く起こせるっていうのはすごく大きなことだったなって思うし、
うん、すごく良かったなっていうふうに思いますね。
良かった良かった。
いいバランスですね。
メリットデメリットって両方やっぱあるんですね。
あるんで、これやっぱ立ち上げたから大変だなって思ったことも正直あるんだけど、
今、そうやってメリットの方が大きいと感じてくれているのであれば、やっぱやって良かったなって。
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そうですね。
多分その時に設立してなかったら、その2年後ぐらいにはもうコロナが来てますからね。
もう立ち上げなくていいんじゃないみたいになりそうですよね。
あるって思ったけどね。
すごい悪かったけど。
でも大阪オフィスも開設した多分数ヶ月後にコロナが来てるんですよね。
数ヶ月やっけ?あれ?そんな近かったか。
そうですね。2019年の12月ぐらいにコロナが来てるんですよ。1年全然ないですよ。
でもコロナが来てあれですよね。しばらくはコロナっていうのが流行ってるらしいよみたいな感じで、
最初はですね。
2020年ぐらいから結構ね、社会的に休んだりっていうか、自宅で過ごしましょうみたいな感じになったりとかって感じですね。
だからね、ちょっとぼーっとしてたら多分できてないかもしれないですね。
確かに。何が起こるかわからんな。
その意味では、そういうアクションを起こせる人がいたり、それに対してもちゃんと疑問を投げかける人がいたり。
いいバランスですね。
やっぱり取締役が複数いて、家事取りをしていくとか、大阪オフィスに久保さんがいるとか、そういうふうに誰か一人の裁量で全てを決めるんではなくて、
そこでいろんな議論を交わしながら、最終的にはモメさんが答えを出すっていうふうな、そういう形でやっているのは僕はすごく心地いいですけどね。
でもすごいよく怒られるんですよ。
なんかね、あんまり考えなしでやりたいこと言っちゃう時あるから、それもうちょっと考えましょうってやっぱりたしなめられることの方が多いですけどね。
そうなんですか。
モメさんの実験っていうのが面白いですね。
そうそう、イノベーションじゃないですか。いわゆる。
モメさんもね。
モメさんが社長になったからこそできたんだなみたいな感じがしますよね。
そういうことですね。
大阪も東京も。
大阪はどうしてできたんですか?
熊田さんが。
熊田さんからどうぞそれは。
大阪は僕がその前社の会社を辞めたいというか、辞めようっていう心で決めてた時に、たまたま東京を立ち上げたプロデューサーと元同期やって、
実は空気もちょっと大阪考えてるみたいな話もジラッとあるみたいな話を聞いて。
じゃあ、そっか。初めにモメさんが大阪も出したいなって思ってたってことですか。
モメさんが思ってたのか。ちょっとね。
いやでもね、僕もともと大阪の仕事の方が若い時多かったんですよ。東京よりも。
ゲームの仕事が多かったですもんね。
そうゲームのもあったし、熊田さんがもともといた会社の人ともすごく仲良くさせてもらってたから。
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若い時すごく仕事してたから、思い入れはあったし。あとうちね、しらかんもそうなんですけど、
ディレクター二人大阪出身っていうのもあって、正直なくはないと思ってましたよやっぱり。
オフィス。どちらかというと大阪の方がゆかりあったぐらいなんで。
そもそも僕が東京にモメさんに会いに行った時に、大阪オフィス作りましょうよみたいな話を結構個人的に喋ってもらって、
モメさんも結構前向きやって、僕もじゃあ空気作るんだ大阪にって感じで思ってたら、
しらかわさんはその事実を知らなかったっていうね。
え、それで?
最初はね。
いやいや聞いてない人ちゃんとみたいな。
いや大丈夫大丈夫。いつものやつなんだよ。
そうそう、いつものやつ。
いつものやつ。
ツーパーシェル。
モメさんがもうこれは決めたよっていう風に言って、え、俺聞いてないよっていういつものパターン。
あれなんだ。
で、そっから一生懸命プレゼンするっていう。
そうそう。いつものパターンで。
そっから初めて久保田っていう人がいるんだっていうのを聞いて。
一回会おうって言って。
僕会ってないですけど。
なんかめんぴりの大将とおかみさんみたいな。
聞いてないわよみたいな。
確かに。めんぴりの大将や。
先走っちゃうんです。
のぼせもんですね。
のぼせもんだ。
のぼせもん根性が。
のぼせもん。
いいバランス。
行きましたよ。福岡まで面接しに、なんか新入社員みたいな気持ちで行きましたね。
そうなんだ。
その後は馴染むの早かったけどね。
その日に発表したね。
面接終わってそのままね。
そうだったんですね。
そうそう。
早い。
大阪やりますって。
大阪オフィスも今実験中ですから。
実験中。
進行形やね。
進行形。
進行形。
そうだったんだ。
じゃあそんな、東京も大阪も3,4年とか4,5年とか経って、設立時からちょっと変わってきた立ち位置というか、事務所としての立ち位置というかミッションみたいなものってあったりとかするんですか?変化した形というか。
見えてきたの?
東京の方から先に言うと、最初プロデューサーがいて、正直化石の話もちょっと考えてはいて、
大きい仕事はやっぱり多かったし、その意味でお金、結構メインで考えて立ち上げてたんだけど。
経営者の喋りは後半へ続く。
21:01

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