経営会議の始まり
ほぼノー編集のつもりです。
はい、了解です。言っちゃいけないことを言った方がきれいなんですね。
はい。
固有名詞出しちゃった。
そうですね。そこは決めればいいから、まあいいか。
はい、了解です。
では、本日より経営会議を始めたいと思います。
よろしくお願いします。
お願いします。hitoshiです。kantaです。
この番組は、何ですかね、世の中にある経営の考え方とか
ビジネスの考え方を疑っていこうという番組でございます。
はい、疑っていきましょう。
僕は数年経営をしていて、まだ多分知識が浅いので、
大経営者であるkantaさんに色々学ぼうとしております。
すごいハートが上げてきましたね。
そういうのを出し、ベテランとかを出したくないと言ってたのに出しちゃいました。
そうですね、僕はもうすぐ会社を起業してから10年ぐらいもうすぐ経つみたいな感じで、
とはいえ、いわゆるスタートアップというよりは中小企業経営者という感じかなと思うんですけど、
自分なりに色々考えてきたことみたいなのを、
hitoshiさんと話すことで深掘っていきたいなと思っています。
僕は15年後の自分がこの音源を聞いた時に、
なんて思うかに興味があって考えを残していこうと思っています。
はい。
はい。
じゃあ早速。
はい、いきましょう。
初回のテーマは。
自責と多責の議論
今回のテーマは、自責ですね。
はい、自責で考えようと言われますもんね。
自責と対になる考え方として、多責みたいな言い方をしたりしますよね。
例えば、何か目標を掲げていて、目標が三つで終わりましたみたいな時に、
いや、まあやっぱり営業が良くなかったからねとか、市場環境あんまり良くなかったからねみたいなのを多責って言いますよね。
はい。
自分以外のものに原因を求めるとか、自分じゃないもののせいでうまくいかなかったみたいな言い方。
はい。
それに対して、やっぱり自分のここがうまくいかなかったとか、
自分がこうしていればうまくいったんじゃないかみたいな考え方のことを自責って言うかなと思うんですけど、
ふうさん、この自責、多責について、なんかどういう風に考えて捉えてますか。
はいはい、そうですね。
まあそのことを聞いた時に、よく新卒で入った頃から言ってもらってたなとは思いますね。
自責で行動しようねとか。
まあビジネスだとそれが良いことですよね、自責で行動することが。
まあビジネスじゃなくてもか。
まあ良いことと言われてますよね。
言われてますよね。
僕はなんか自責で考えた方が良いシチュエーションと多責、戦略的に多責を使った方が良い状況もありそうと思って。
で、なんて言うかな、なんかはるかとよく言うのが積極的多責?前向きな多責?みたいな、なんか言う時あるんですけど。
自責になりすぎるデメリットはやっぱ責任感じすぎて辛くなっちゃうとか、
結局なんか物事を前に進めようと思ったらここは多責で考えた方がいいみたいなことが使える、
使うことも自責の1個なんじゃないかと自分と思ってるので、そういう状況です今。
例えば、だから僕とひとしさんが一緒のプロジェクトをやっていて、
僕が何か重要なタスクの締め切りを守らなかったみたいな状況があったとするじゃないですか。
はい。
そういう時に、ひとしさんが、いや僕がもっとここで先にリマインドしとけば良かったんですよね、みたいな感じの自責をするのは僕ちょっと違和感があって。
はいはいはい。
で、まあ明確に原因が僕がタスクを守らせたことにあったとしたら、
なんかそこって、そのファクトとしては僕がタスクを守らさなければ良かったっていうことになるわけじゃないですか。
はい。
っていう、なんかすごく、まあ責が明確な時と、
あとプロジェクトの失敗みたいに、いろんな要素が複雑に絡み合っていて、
まあ結局そのAならばBみたいに単純化した原因みたいなものが特定しにくいみたいな状況で、
まあ自分の外側にその理由、うまくいかなかった理由を求め続けるのも、
まあそれはそれでヘルシーじゃないなとは思ってたりするんですけど、
なんかそのひとしさんさっき言ってくれたように、
なんかこう使いどころによって、その自責が良いのか他責が良いのかとか、
過去を振り返り未来を見据える
あんまりバチッと自明に決まるもんじゃないなぁ、僕も思ってますね。
そうですね。僕今聞いて思ったのは、
自責の方が自分が楽だからそうしてるみたいなのもあるのかなと思って、
例えばじゃあカンタさんがしみきり守らなかったってなった時に、
絶対僕はそのムーブをすると思うんですよ。
あ、リマインドしとけば良かったとか、
とか、多分もっとこのプロジェクト重要だと思ってもらえるように、
なんかコミュニケーション取っとけば良かったとか、
多分そうなると思って、
それはなんかお互いの関係性をその、
自分が思う良い方向にしたいっていうのがあるのかなと思って、
なんか若干その自分のために自責になってるところもあるなって今思いました。
僕なんかこの自責他責の議論を見かけた時に、
いつも思うのが、そもそも責って考える必要あるの?って思って。
なるほど。はい。
責ってまあ責任の責じゃないですか。
したらまあ要は誰が悪いのかとか、
誰がケツ拭くのかみたいなことだと思うんですけど、
はい。
なんかそもそも自分が悪いか相手が悪いかみたいな、
何が悪いかって考える必要って、
ビジネスのシーンで実はあんまないんじゃないと思って、
なるほど。
まず何かこう上手くいかないことがあったら、
原因を分析しますよねと。
はい。
で、次に何をするかっていうのを考えますよねと。
で、基本的に何か行動を変えられるのって、
自分の行動だけだから、
自分がどうするかっていう話に帰結はすると思うんですよね。
例えば、まあ営業が実際に上手く営業してこなかったから売れなかった、
みたいな事実が原因としてあったとしても、
営業に上手く売らせるっていう裁量とか権限が自分になかったら、
それは自分が何も改善のアクション取れないわけだから、
もう一回やった時に同じ失敗を繰り返すってことになって、
それが嫌だったら変えられる自分のアクションを変えましょうっていうのは、
それは合理的だと思うんですよね。
でもそれって営業が悪いっていう席は営業にあったとして、
でもそれを良くするために自分がどういうアクションをするかっていう話じゃないですか。
なるほど、なるほど。
だからそれってアクションは自分が主語でないとうまくいかないけど、
席は別にどこにあってもあんま関係ないなと思うんですよね。
なるほど。
だからそもそも席について考える必要ないなってずっと思ってるっていう。
まあそうなってる人があれじゃないですか。
もう自席で考えてる人っていう感じなんじゃないですか。
じゃあ、地でもないけど。
地でもないけど。
多席にしないっていう。
そっか、他人の責任にせずただアクションを考えるみたいな。
そうそう、責任の所在を考えるんじゃなくって、原因を考えればいいんでしょうと。
原因、席っていう時にはやっぱり自分に原因があったからうまくいかないという結果が起きたっていう、
因果の因の方に自分を置くっていう考え方が強いなって思うんですけど、
因果の因に自分を置くんじゃなくって、因果の後に自分の次があるわけじゃないですか。
次のアクションの主語が私、愛であれば、別に因果に言うか愛かあんま関係ないなと思うんですよね。
なるほど、前を見ようという話。
確かにな。
だから、ネクストアクションで私がどうするって話をするっていうのと、
自席って違う概念だなって思うんですよね。
そうか。うわ、ちゃんと学んでます。
確かにな。
自席多席の時点を話し合ってる時点で過去を見てる。
過去を見て、どっちが悪いかの話をしてるじゃないですか。
どっちが悪いとかあんま関係なくって、
Aという事象が起きたからBという事象が起きたっていう、
因果の話でしかないと思うんですよ。
そこに誰が何をしたっていう風の要素が入ってくると、
途端に誰が悪いみたいな雰囲気になりがちなんですけど、
やっぱり成熟したチームはそこから逃げるべきじゃないと思っていて、
カンタがタスクを漏らしたから大事故が起きましたっていう時に、
そこのカンタがっていうところをごまかさないはいいと思うんですよね。
で、そこはファクトとしてみんなで受け止めた上で、
じゃあ次どうするのっていう時に、
じゃあその締め切りをちゃんとチームで管理しましょうとか、
カンタがタスクを漏らしにくい構造を作りましょうとかっていう風に話せればいいと思うんですよ。
なるほど。経営者さんはよく言うじゃないですか、
チーム社員の皆さんにこう、自責で物事やろうねとか、
そう言わずとも自責になっていくみたいな感じなんですかね。
どうなんですかね。
だからその自体が違うっていう話かな。
自責とかじゃないっていう話だから。
自責か多責かどっちでもいいなと個人的に思っているっていう感じですかね。
なるほど。
とはいえ多責志向みたいな人が嫌がられるのは、それはそれで理解できて、
自分が悪くないっていう話をするっていうのはやっぱり良くなくて、
それは結局、成長するしないじゃなくて、ファクトを客観的に見つめられないじゃないですか。
それが良くないと思っていて、
だから誰が悪いとかどうでもいいなと思うけど、
何が原因かの中から誰がの要素を抜いちゃダメだなって思うっていう結構難しいことを思ってます。
とはいえ責を考えた方がいいシチュエーションもあるなと思っていて、
例えばさっきの僕がタスクを漏らして、ひとしさんとの共同プロジェクトで迷惑をかけましたみたいな状況で、
僕が責任を感じてないのもどうかと思うんですよ。
それは僕が悪いじゃないですか。どう考えたって。
みたいな、やっぱりその責任というか、責があるときって必ずあるから、
それってじゃあ何のために責を考えるのかっていうと、
基本謝るためだと思うんですよね。
僕がタスクを漏らしてごめんなさいっていう謝るためにはやっぱり責を考える必要があって、
謝らないと次に進めないっていうシチュエーションたくさんあるし、
自責の考え方
あとそのどこまで謝るのかっていうことをやっぱりちゃんと検討する必要はあると思っていて、
僕がタスク漏らして、僕みたいなダメな本当にどうしようもないクズの人間で生まれてきてごめんなさいとか言われても、
ひとしさん困るじゃないですか。
そこまでなんだろう。
まあでもその事実ですよね。期限までにこれをできなかったのは、そこがごめんなさいだけである。
だけであると。
で、じゃあ次どうするっていう話になると思うんですけど、
じゃあその今回タスクを漏らしたっていう自分の失敗に関してはこれが原因だと思うとか、
こうすると改善できるという仮説を今持っているからこうしてみますとか。
ひとしさんが、じゃあ僕は神田さん漏らしやすいということを今回認識したので、
ちょっとリマインド、こまめにするようにしてみますねって例えば言ったら、
二重のプロテクションでタスクを次漏らすっていうことが起きそうじゃないですか。
っていう建設的な話し合いをする、やっぱり手前にやっぱ席がある時にはちゃんと謝った方が良くて、
で、謝る時にはその席が何なのかっていうのはやっぱ考える必要があるなと思うんですよね。
なんかミスをした人が席を感じて謝ります。
その時にその人に改善のアクションを求めるっていうのが一般的だなと思うんですけど、
そうじゃなくて全員で前向くってなったのは何かきっかけがあったんですか。
何だろう、あんまりないんですけど、その方がミスを起きにくくなっちゃって。
いや、そりゃそうだな。
でもなんか一般的じゃないじゃないですか。
その片方が責任、責任を取った方が謝った方が何改善するか考えるみたいなことになってる場面多いなとは思うんです。
その責任を取るの考え方がどこまでのレンジなのかみたいな違いもあるなって思ったんですけど、
僕はちゃんと自分の非を認めて受け入れて謝罪して、その謝罪を受け入れるっていうところで、
責任は取られたと思うんですよね。
で、お前次同じミスしたら許さんからなみたいなやつって、そこで謝罪を受け入れてないと思うんですよ。
なるほど。
結局、未来英語同じミスをしないということをもって、あなたの謝罪を受け入れますっていうことじゃないですか。
うんうん。
それってやっぱヘルシーじゃないなと思っていて、
一回謝罪して、それを受け入れてこのチームでもう一回しっかりやっていこうってなるんであれば、
それはもう話はそこまででおしまいで、
次はそのミスが起きにくい構造をチームでどう作るかっていう、
多分主語がまずWEにならないといけないと思うんですよね。
それは僕もWEメッセージってすごい概念だなと思ってて、
IでもUでもなく、WEだなぁはすごい活かしてますね。
ただその時にアクションを取るのはWEじゃないんですよね。
Iという。
うん、I。
まあ、Iしかアクションの主体にはなれないですよね。
みんながIじゃないとアクションの主体にはなり得ないから、
目的はWE。
だからWE、私たちのチームがどう良くなるかなんだけど、
できることはIですよね。
私がどうするかでしかないから、
建設的にその次のアクションを話し合う時には、
WEという目的の組織、構造、仕組みとして、
どう防げるのかっていう問いに対して、
私がその仕組み、構造、組織を作るために何をできるのかっていう、
ふうに問いを変換しないといけないなと思ってます。
いや、なんか生かします。
なんか僕が教えてるみたいな。
そうなっちゃうかな。
いや、大事だな。
結局ね、自責多責論争というか、
自責で考えてよっていう上司とか経営者は自責じゃないなと思ってたりしたんで、
チームの文化
その責使わずにみんなで前向くのをいかに作れるかと思ってたけど、
その切り分けが今できたんですよ。
責任を取る、謝ると、次に向けたアクションはみんなで。
みんながそれぞれIでやるっていいですね。
やっぱり経営者として、大概的に謝るって、
やっぱ会社を代表して謝ることになるから、
いろいろな契約上とか法的な責任を伴うことっていうのがあるじゃないですか。
その感覚でいくと、やっぱりどこまで責があるのかっていうのをしっかりと分析して、
どこまで謝るのかっていうことがやっぱり必要で、
その分析のときにチーム内の誰の何に落ち度があったのかみたいなことは、
結構、あまり逃げずに向き合わなきゃいけないなと思っていて、
やっぱ自責文化みたいなのも良くないところって、
結局誰が悪かったのかの話を決してしてはいけないタブー感あるじゃないですか。
あります。
あれも結構ヘルシーじゃないなと思っていて、
それって結局謝罪の範囲を特定しにくくなるから、
謝罪っていう一つの区切りをつけて、次に前向きな話をしましょうっていうところに運べないというか、
中盤ボール運びできないのに、ゴール前の技術だけ磨いてるみたいな感じがするんですよね。
なんか言おうと思ったの何だっけ。
サッカーのイメージが出てきて飛んでしまった。
変なアナロジーを出して膨らまくさせる。
サッカーの絵がもうぎゅうじってしまいましたね。
そう、だからさっき言ったかんたさんのそれぞれじゃあ何するかっていう前を向こうとした時に、
ミスをした人がめっちゃ責任を感じて、
自責を押し付けられてる感覚があるとかがもしかしたら出るのかなと思って、
それどうしたらいいんだろうなって今思いました。
難しいけど本当にミスしたんだったら、多少は引きずったほうがいいかなって。
なんかかんたさんそれ言われた気がするのは、
PJティーチャーで発信した内容でいろいろコメントがあった時も、
リスナーさんからコメントが来た時に、
味わう、ミスじゃないけどその社会からの反応を味わうの大事よねっていう話。
気まずさを味わうとか、
そこをちゃんと感じるみたいなのは大事かなって思いますね。
はい、ということで自責について会議をしました。
でもあんまりね、かんたさんから教えをこうみたいになるのも面白くないし、
僕も提案できる何かを持って来ようと思いました。
自分の考え述べたいので、そうしないとね10年後振り返る。
振り返れないのでこの番組持ってきます。
では経営会議、会議は会議的な会議ですね。
ポストとかいただけたら嬉しいです。
はい。
ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。