2025-10-01 32:09

3-3 マシンガン突きつけられながら2時間詰問、10ヶ月間の世界一周が人生の礎に

【今回の内容】

10ヶ月間の世界一周が人生の礎に/マシンガン突きつけられた経験2回/イミグレで別室に連れられて2時間詰問/「日本」の信頼性の高さに感謝/休みの度に旅した大学時代/卒業式でプロポーズ、結婚指輪を買いに/英語習得もせずにバックパッカーに/英語は実地訓練、文法は分からないけど話せる/初期研修時代の内視鏡が面白かった/それって子どもの自然治癒力では⋯?/リアル「ナースのお仕事」/内視鏡と家族の時間、どっちを取ろう

 【出演者】
◯ アイジュ…ハノイ在住 腎臓内科専門医。「大事なことは全て旅が教えてくれた」

https://x.com/aijyunotoushi

◯ ゆー…消化器内科専門医+パーソナルドクター+産業医。「人生は命を賭けた思い出作り」
https://x.com/yu_tayousei

【情報】
◯アイジュ著『人生100年時代を豊かに生きる「外貨 × 投資」戦略』」
https://amzn.to/4orK5di

◯ ゆーブログ「パラレルキャリア推進」
https://ishi-tayousei.com/

 【動画編集】
◯ サトシ…医療podcastプロデューサー。「自己愛から社会愛へ」

https://x.com/yun__yun

【BGM】
◯ MusMus

※ ご意見・ご感想・誤りのご指摘などはぜひ下記からご連絡ください。

https://forms.gle/4YB2BXDtPC9zrfTx5 

サマリー

大学在学中、愛樹は休学して10ヶ月間の世界一周旅行を行いました。その体験談を語ります。彼は旅の中で、マシンガンを突きつけられた危険な状況や、コンタクトレンズに関する誤解から起こった事件を振り返ります。そして、その経験が彼の人生にどのような影響を与えたのかを考察します。このエピソードでは、周囲の期待に応えつつ旅行と仕事を両立させる医学生の経験が紹介されています。主に旅行を通じて得た人生観や英語力の向上について話が展開され、医学生生活の中でのアルバイトや結婚に対する道筋が描かれます。また、消化器内科への進路選択や家族との時間に対する考え方の変化についても語られます。特に、子どもが生まれたことで仕事中心の生活を見直すきっかけとなったことが強調されています。

世界一周の始まり
前回からの続きだよ 愛樹
ゆーの 医局の外で会いましょう
こんにちは、ベトナム在住の内科勤務医、投資科ドクター愛樹です。そして、人生は命をかけた思い出づくり、パーソナルドクター及び産業医として働くゆーです。
この番組は、いつのキャリアって何だろう、人生をもっと豊かにするには、そんなテーマを軸に、お金や家族、そして生き様について、自由気ままに本音で語り合う雑談型ポットキャストです。
6月にワールドカップが確かあったんだよね。
ワールドカップの途中か、ワールドカップの決勝が終わった直後くらいから、世界一周し始めた気がする。
それは大学1年生?
そうです、大学1年生です。結局6月1日だか5月31日付けだかってちょっと忘れましたけど、休学途中に出して。
で、同級生たちにはちょっと面白いことしていきたいと思ってっていうのを言ったら、面白い、なんかすごいなお前って言われたけど。
いや、そりゃそうですよね。
いや、でも俺はお前らの方がすごいと思ってるからって思って、外国に出たのを覚えてる。
大学入って1ヶ月、2ヶ月で休学しちゃうんですもんね。
そうです。だけど、僕の中では、お前らの方が人生面白いことやってるし、お前らの方が人に誇れることやってんじゃん。
だから僕、優さんとかでたま会ってたら、やっぱり水泳で全国大会とか出れるやつには俺かなわないなと思いながらやってると思う。
ああ、そういうことか。
まあ、そういうふうな人生の考え方をしてるんだったら、別に行ってきなさいって言ってくれた母親と、OK出してくれた親父のおかげですよね。
まあ、結論的に言えば、それが大正解だったんですけど。
で、大学を休学して、9ヶ月ぐらいか、10ヶ月なかったのか、ぐらい世界一周して、
マシンガンの脅威
で、帰ってきて、その時に学んだこととかがもう自分の礎になって、やっぱ自信はつきますよね。
まあ、そうですよね。一人で世界一周して、要はまあ無事で帰ってきてるというか、生き抜いて帰ってきてるわけですもんね。
まあ、そんな危ないことはしてないと思うけど。
うんうん。まあでもそれにしてもね、危ないことはね。
バスジャックあったりとかね。
結構なんかありましたよね、バスジャックとか。
バスジャックあったり。
マシンガン突きつけられたりとかね。密輸を疑われて別室に監禁されたりとかね。
ちょっと待って、マシンガン突きつけられたを聞いてないですよね。
マシンガン突きつけられたのはね、銃口を向けられたのは2回あって。
ちょちょちょ、1回じゃないですか。
銃口は2回。でもね、2回目の、2回目の、2回目というか1回目はね、一瞬だったんですよ。
向こうが間違えたっていうか。
え、間違えた?
寝てる時に軍人の横を横切っちゃったっていう、僕が。
軍人さんが寝てるところにパッて構えられて、うわーっつってやってたら、なんかおー、ソリソリみたいな感じだったんで。
もう自己防衛のためにってことですね。
そうです。それは別になんかそんなに。
ただ寝てた軍人も悪いはずなんですよ、多分。
そのまたぐような場所に寝ちゃってたってことですよね。
検問みたいな場所だったんですけどね。
おー、なるほど。はいはい。
なんだあいつ寝てたんだろう、今考えると。
確かに、そもそもそうですね。
っていうのがあって。
で、もうマシンガンあれは間違いなく突きつけられたって言ったのは、イスラエルの国境で、コンタクトレンズ、ワンデイコンタクトレンズっていうものを僕、当時大量に持ってたんですけど、
2ウィークコンタクトレンズと1ウィークコンタクトレンズ、両方大量持ってたんですよ。
だってそうしないと目見えないから。
ワンデイコンタクトレンズってその、なんか何て言うんですか。
そのなんか10箱も20箱も持っていけないでしょ。
だから、2ウィークが結構たくさんあって、ワンデイはたぶん当時1ヶ月分もなかったと思う。
だけど、やっぱ何十日分間はあって、それで普通に何ヶ月、10ヶ月分とかぐらい、まあなんか持ってたんですよ。
で、検問っていうか、カスタムですよね、なに、税か、カスタム、イミグレ?
あの、イミグレーションの検査のときに、なんかこんなバッグみたいなの入れてたら、こんなバッグみたいにこうやってやって、
なんだこれはって言うから、いやこれコンタクトレンズだって。
なんでコンタクトレンズがこんなにいっぱいあるんだって。
っていうのが1個1個ずつ入れるからって。
This is a very big problem とか言って、は?って思って別数ですよ。
え、マジっすか。
当時はワンデイコンタクトレンズっていうのがあんまりなかったらしくて、夜だったのかな。
これ以外なかったんですか。
ちょっと、いやたぶんね、途上国にあんまなかった。
そういうことか。
分かってなくて、売ると思われた。
なるほど、良くないものっていう想定だったんですね、僕は。
で、売るって思われちゃったから、悪いやつなんですよ。
あーなるほど。
え、なんで僕はここ通されたんですかって言ったら、
This is a very big problem ってまた言われて、どういうことやねんと思って。
最初ね、すげえ片言の英語の人で、何言ってんのか若干分かんなかったんですよ。
だから僕が怒って、なんで俺は出れないんだよ、何をやってんのって言ったら、
また、This is a very big problem って言った。
何がビッグプログラムなのか説明しろよって怒って、
普通に、いやドンとは叩いてないな、普通に立って、その偉いっぽい人が見てたテレビも消して、
どういうことなんだよ、みたいなことで、結構迫ったんですよ。
そしたら、気づいたら俺の後ろに兵士みたいなやついて。
そしたら、普通に怒って、お前ちょっと下がれ、みたいな感じで言ってきて、
いやいやいや、別にそんなつもりじゃないしって言って、そのまま僕は座って、こんな役してたら、
いや別にそんなね、このガキなんだから、当時18歳とか、ガキなんだから、みたいな感じで言って、
偉い人が下ろしてくれたから、結局、重厚を突きつけられたのは多分、僕的には数十秒くらい経ったと感じましたけど、
多分数秒くらいだったんだよね、多分。
多分5秒、10秒くらいだったと思うんですけど。
日本人としての信頼
でもずっと、This is a very big problem とか言って、
You will sell it みたいなこと言ってくんですよ、超片言葉英語で。
何やと思ってたら、通訳みたいな人が出てきて、
Hello mister とか言って、彼はアラブナマリなんですけど、英語ベラベラで。
なんでお前はこれを持ち込んで売ろうとしてるんだって言ってきたんですよ。
売るつもりねえって。
売るんじゃないですよって言って、僕は旅をしてるんですよって言って。
パスポート向こうに預け、募集されちゃったけどって言って。
募集されてどっか持っていかれちゃったんで。
そうなんですね。
そう。だから偉い人も、通訳の人も、僕が何者かを知らないで、
売ろうとしてる奴がいるっていう送りだけ聞いたんでしょうね。
なるほど。なんか悪いもん持ってきてるぞ、売ろうとしてるぞっていうのだけ。
で、1枚ずつ1日ずつ入れるんだよって言ったら、通訳の人が、
なんか種類が違うじゃないかって。
ワンデイコンタクトの2week持ってたんで、
今で言うワンデイアキビューとワンデイシュアビューみたいな、なんかそんな名前だっけですけど。
2つ持ってたんで、2種類も売るのかって言ってきたんですよ。
売ることしか考えてない。だから、いや、そんなんないよって言って。
自分、毎日付けるのと2週間に1回交換するのが2つあるんですよって言ったら。
毎日それは付け替えるだろって。
え?ちょっと今通じてない気がすると思って。
コンタクトレンズの保存液に保存するタイプのやつと、
1日ずつ交換するやつがあるんですよって言っても、
いや、保存液を使ってるだろって。
だからお前は1個しか必要ないんだって。
もうそれの繰り返しになっちゃうんですよ。
あーなるほど。
で、いやいやいや、エジプトとかヨルダンとかイスラエルには、
ワンデイコンタクトはないのかとか言ってても。
こんなんなってる。
そんなんないんですね。
え?マジ知らないの?と思って。
よく考えれば2人ともメガネかけてないと思いながら。
おーなるほど。
ほんとにメガネかけてなかった、すごい覚えてる。
後ろの兵士もメガネかけてなくて、ずっとマシンガン抱えてるし、超怖ぇし。
どうなってんだよこれと思ってたら、
だいたいお前はどっから来たんだって。
もう15分くらいその問答してるんですよ。
10分くらいだったかな。
いやもう15分。
いや15分もっとしてるな。
だって2時間くらいいたもん。
いや長いっすねそれ。
なんの人がだいたいここにしてんだみたいなことを言ってきたから、
学生で旅行してるんですよ。
学生ってお前、なんで学生が旅行するんだこんな時期にみたいなこと言って。
夏休みでも春休みでもない時期にみたいなこと言われたから、
1年休学して旅してるんですよ。
メディシンを専攻してますから。
メディシン?お前医者になるのか?みたいな。
チャイナの医者になるやつはこんなとこ来るのか?みたいなこと言ってきたから、
だいたいお前どっから来たんだって言うから、
え、東京?って言ったら、
んー、東京?お前日本人か?って言ってきて、通訳の人が。
アナヤバーニーって超覚えてる。
アラビア語でI am Japaneseってアナヤバーニーって言うんですけど、
Yes, I am Anaya Barneyって言ったら、
その一番偉い人。
多分その国境を管理してる人の一番偉い人は、
ヤバーニー?って言ってきて、
なんかむちゃくちゃガーって通訳に向かってガーって聞いてるんですよ。
で、あの今ボスはもう一回説明しろって言ってる。
これどうやって使うんだ?って言ってる。
だから日本ではワンデイコンタクトっていうのと、
ツービークコンタクトっていうのがあって、
これを使うのとこれを使うのとっていうのを、
旅によって分けてるんだって言ってる。
で、これは日本製なのか?って聞いてくるから、
日本製じゃないけどアメリカ製なんじゃない?って、
ジョンソン&ジョンソンだからね。
アメリカ製だけど日本ではよくポピュラーだよって言って。
もう一回聞くけど、お前は日本人なのか?って言ったから、
だから向こうにパスポートありますからって言って、
パスポートを持ってこいって言ってパスポートを持ってきたら、
日本、ジャパンパスポートじゃないですか。
行っていいって。
あの時ほど、早く日本人って言えばよかったって思ったことはない。
そうかね、そこはもう日本人の信頼だったんですね。
あの時の特に、中東の日本への信頼というか、
もう日本へのお金持ちだったからとにかく。
もう扱いというかは抜群だった。
だから、もうヤバーニーですって言った瞬間から目違ったの覚えてる。
そうなんだ。
それで後からその話をすると、
それ言わなかった、愛次君が悪いよって。
そうなんですね。
確かにそうだなって。
今考えればなんであの時言わなかったんだろうな。
言ったのにスルーされたのかな、ちょっと忘れちゃったけども。
だから言って、解放されて、すぐ。
へー、なるほど。
もうヤバーニーって言ってから、1分以内には解放されてる、絶対。
パスポート持って行け。
日本人に信頼が。
行っていいの?って言ったら、行っていいって。
売るか売らないかとか、いつだって聞かなかった。
すごいですね、もう日本人って言っただけでは、もうじゃあ大丈夫っていう感じ。
大丈夫、スルーでした。
当時はね、特にね、日本人悪さしないし、お金持ってると思われてるから。
で、なんか夕方なんだけどって、昼に着いたはずなのにみたいなことを覚えた記憶がある。
旅と医学生の生活
か、午前中だったのか午後だったかな、ちょっと忘れちゃったけど。
で、目的地に夜着いたの覚えてるんで。
まあまあ、なんかそういう話ですね、ごめんなさい、全然。
でもそんな体験談をしちゃったから、
やっぱ旅が忘れられなくなって、
僕一応、部活は空手部だったんですけど。
はい、空手部?
空手部だった。部活よりも圧倒的に旅してた。
休みの旅に旅してた。
いやもう、ちょっとそれは、なかなかすごい経験ですよね。
しかも、だって高校生、卒業したて、大学生、成り立ての年でそれ経験しちゃってるんですもんね。
そうですね、懐かしいですね。
いや、すごいなあ。
まあ、で、大学中は、もう基本休みあれば旅行ってたし、
後の妻になる彼女と、休みの旅に旅行ってた。
あー、もう海外にも行って。
いや、まあ国内も行きましたよ、もちろん。
あー、国内も、はいはい。
和田島行ったりとか。
あー、なるほど。
うん、なんか温泉行ったりとか。
もちろんもちろん、わざわざそこの場所に、戸羽凧に行ってみようとかね。
おー、すごい、なるほど。
そういうのも全然あったし、なんか面白いところを行こうとしたのが、バックパッカー的な感じで行こうとしてたっていうところはいっぱいあって。
で、えーと、僕はどちらかというと、やっぱ途中からその子と結婚したいなと思ったから。
はいはい。
旅の費用を稼ぐことと、やっぱ、なんか結婚するための費用とかで考えて、大学時代から結構バイトばっかしてたなあ。
そういうことですね。バイトして、貯めて、旅行行ったりとかしてっていうのが大学生だったんですね。
そうですね、なんかあの、えーと、ほら、家庭教師とか塾講師とか。
うんうん。
部活が週2、3ぐらいでしょ?週3かな?
うん、まあ。
で、その以外は週3はバイトしてた、基本。
うん、なるほど。
夏、いつだったっけなあ。
大学3年?違う、4年?違う、なんかの夏は、部活の合宿とかなかった時だから、冬か。
はい。
冬とか春とか、その、当時付き合ってたその彼女の嫁さんですね、今の。
の、休みが合わないから、もうひたすらバイトしてたみたいな。
あーなるほど。
うん、1月20万以上稼いだりとか、そんなの全然してた。
すごいっすね。
うん、そんな感じでしたね。
で、あのー、医学的な何かしたんですか?つって。
これね、ちょっと面白いですけど、医学的な何かしたんですか?とかする、やっぱあるじゃないですか。
そうね、さっきのクリエイターに聞いて。
親父になんかそういうのどう思う?とか言ったら、そんなの医者になってからやればいいんだよっていう一言で終わった。
なるほど。
へーって思って、僕はやらなかったな。
いやー、まあでも今考えればもう間違いないですよね。
いやー、あのアドバイスは本当にまとえてたと思う。
うんうんうん。
だから、でもそうですね。
今考えると、お金の区面とかどういうふうにすればいいのかとかっていうのは、大学生ぐらいから好きだったかな。
昔から、幼少期からお金のことは好きだったかな。
はいはい。
こんな感じでしたね。
で、学生の時にこの人と結婚しようと思ってプロポーズして、で、研修院になって結婚するっていうのは。
何、学生の時にもプロポーズしたんですか?
うんうん。
おーおー、早っ。
卒業式終わって結婚役指輪買いに行ったの、そこでプロポーズしようと思って。
その時持ってたんですか?そんだけのお金も。
だからバイトしてたから。
いやすごいな、なるほど。
いや、結構1年間に100万とかは全然稼いでましたよ。
いやー、それすごいさ、そこまで稼いでなかったですもん、大学生の頃。
なんか、結構やってた。
まあ、嫁さんが社会人だったからね、その平日の何とかとかそんな遊べなかったから、余計かもしれない、お互いに。
あー、そういうことか、はいはい。
でもその姿を見て、うちの嫁さんも、この人は本気で結婚してくれるかなと思ったんじゃないですか。
あー、でもそうでしょうね、そんだけ、学生ながらにね、働いてためてっていうのもしてたしね。
かなり信頼して、もう当時からかなり信頼し始めてくれてたかな、結婚しようって決めてからは、はい、ですね。
だから学生の後半2年ぐらいは、うん、そんな感じだったね。
なるほど、もうそっからあれですね、旅とかが、本当に生活の中心になってる感じですもんね。
そうそうそうそう、だから医学生の時何やってたって、旅とバイトと、
まあ、友達と遊んだりとか、たくさんしましたけどもちろん、部活もそれなりにしたけど、
でも、なんか、うん、全然割合というか、
まあ物質で食っちゃべったり、物質で鍋やったりとか、そういう楽しい思いではあるけど、
英語力の向上
はいはい。
でもそうですね、はい、学生時代も、なんか旅が好きだったから、
会議が、なんだっけ、英語なんとか教室みたいな、英語なんとかサークルみたいなとこあったりするじゃないですか、ああいうのって。
ありますあります。
もうそういうの一切出なかった。
そうなんですね、そっちではないと。
たぶん、学生の中でも、英会話はかなりできる方だったと思います。
普通に英語の授業とかやってても、全然違ったから。
ああ、そうか、そもそも英語は習得して、行ってるんですか、海外、世界中。
いや、たぶんですけど、普通の医学生ぐらい、ぐらいしかしゃべるんじゃなかったと思いますよ、もともと。
ああ、なるほど。
たぶん、その、多少はね、短期留学の経験とかあるんで、自分から話すっていうこととか、そういうのは知ってたと思いますけれども、
別に日本人のお医者さんたちに比べて格段にしゃべれたとか、そういうのは、医学生とかに比べて格段にしゃべれたとかいうことはなかったはずだけれども、
やっぱ外国に、バックパッカーで行った時にはもう必然に迫られるから。
まあそうですよね。
あの1年間の財産で、その後の医学部時代というか、その後も英語力は補ってた気がする。
さすがに今のほうが上手いかな。
さすがに今のほうが普通にしゃべらざるを得ないじゃないですか、仕事で。
まあ、そうですね、今はもう仕事で使いますもんね。
だから、今のほうがしゃべるかな。
でもやっぱり、そうですよね、必要に迫られて、そこで生活するには英語が必要っていう状況になるとか、しゃべれるようになるってことですよね。
英語とか、南米だったらスペイン語とか、そういうのが必然的には身につきますよね。
その経験、もう学生時代にしてるってでかいっすね。
僕だから、よく聞かれるんですけど、英語を勉強したっていう日はほとんど、高校が最後です。
なるほど。
その後はもう実地訓練みたいな感じ。
そういうことですね。
学生の時に医学の勉強して、あとずっとポリクリやってるみたいな、そんな感じで読んだ気がする。
それで身につけていきたいな。
もう使わざるを得ないから、もう使っていく。
グラマーとかも1ミリもわからない、多分俺今。
なるほど。
娘とかに、これってグラマーどっちあってんのとか言うと、娘は子どもたちとかグラマーのこと、グラマーって文法のことよくわかってないですけど、
これでしょ?とか言ってくるんですよ、やっぱ。
感覚で。
そうなんですね。
で、ダーってんすよ、だいたいそれは。
なるほど。
それで、何の理論なのかよくわかんないけど、それはやっぱそうだよねっていう感じで僕もいるので、結局なんか誰、文法はよくわかんないです、僕も。
そういうことですね。もう、やっぱり話し言葉としても、それが身についてるというか、わざわざあれですよね。
日本人が細かく文法を知らないのと同じですよね。
そうそうそう、別に3単元のSとかぐらいだったらわかるけど、だけど、オブだっけ、フォーだっけ、トゥーだっけみたいなそういうのとかも、全知識とかもそうだし。
でも言われれば、どれが正解ですかって言われたら多分正しいのを、これなんじゃないって選べるけど、それがどうしてなのとか言うグラマーになると僕はよくわかんない。
だから。
普段使ってるのはそれだから。
どう言ってるのかとか。
ネイティブ、でもネイティブも国によったりとか全然違いますからね。
例えばイギリス人の選ぶ全知識とアメリカ人の選ぶ全知識とか違うから。
英語ってそういうもんだんだなっていうふうに思ったのもその頃だと思います。
研修と未来の目標
世界一出身。
そういうことか。
やっぱインパクトがでかいですね、そこは。
なかなか医者にならないね。
医者、まだ医者になってないですね。
医者になってなかった。
僕は1年休学してるんで、学生は形状は7年。
不可覚してからはもちろんストレートで言ってますけど。
ユウさんも6年間ですよね。
そうですね。僕は1年浪人して医学入って6年ですね。
だからそうですよね。
国師終わって、今の医学生たちは国家試験どうやって勉強したんですかとか言う質問言ってくるから、
それはぶっ飛ばして覚えてないというか半分。
国家試験受かってお医者さんになるじゃないですか、ユウさんになりますね。
その時にもう愛知に戻られたんですか。
そうですね。初期研修先を愛知で選んでて、愛知の病院に勤めだしたって感じですね。
それご実家に戻ったんですか。
実家ではなかったです。もう病院近くの寮じゃないですけど。
練習域基本そこに入る感じだったので、そこに入ってですね。
そっか。で、2年間そこにいて。
そうですね。僕もずっと愛知って結構初期研修先と後期研修先も一緒になるパターンが多くて、移動しないんですよ。
大学病院にいたんですもんね、だってね。
いや、大学病院とは別です。ただ愛知がもともとそのスーパーローテとかをもともとやってたんですよ。
要は国がその国主導で初期研修の先に後期研修でちょっと内科もローテさせなさいとか、
そういう仕組みが徐々にできたじゃないですか。
なんか以前は多分もう後期研修入ったらいきなり専門に入って、
で、そこでなんか修練するっていう形だったと思うんですけど、
その愛知県だけ結構特殊で、
多分明大系の教育システム的にまず市中の病院1回全員出して、
そっちで要は学習させて大学に戻らせるみたいな。
要は油のった状態で大学に戻すっていうスタイルをとってたんですよね、多分。
で、なのでその初期研修あと後期研修は基本外なんですよ。
大学に戻る人はほとんどいなくて、大学の研修制度自体があんまりいけてないっていう、そもそも。
はい。なのでその市民病院とか中核病院になる病院のすごい人気病院があったりとか、
そういうところには研修医が16名とか17名ぐらい入れるところがもうあちこちにある感じだったんですよ、愛知って。
今でも多いと思うんですけど。
で、そこでなので初期研修プラス後期研修も一緒にやってっていうのがもう逆に普通の感覚として入ってたんで。
でもじゃあ初期研修で愛知に戻ったら、
ゆくゆくその初期研修先の親元は名古屋大学だとかそういうのはもう分かって入ってるってことですよね。
入ってます。
じゃあゆくゆくは名古屋大学の一局員になるっていうつもりで行かれてるのは事実?
そうですね、そもそも入ってます。
なるほどね、そういう風になってんだ。
そうなんですよ。
小垣内科になろうって決めたのはいつぐらいなんですか?
それは初期研修のほんと2年目の時です。
1年目はいろんな科回って、小児科も楽しかったけど、
初期研修先が結構小垣内科の先生がめちゃめちゃ雰囲気良くて。
カメラもやらせてくれる病院なんですよね。
ちょっと田舎だったので。
初期研修。
はい。
なので上野先生について、まず模型とかでやります。
模型でやったりできて、で、上野先生がやってるのについて勉強というか学ばせてもらってたら、
消化器内科への進路
最終的に入院患者さんの鎮静剤をかけた状態でやってみるかっていうのが回ってくるタイミングがやっぱりあって。
で、やっぱりそれやってやれた時ってすごい楽しかったなっていう記憶がすごい強くて。
なるほどね。
小垣内科ありだなっていう風になったんですよね。
なるほど。
前からなんとなくいいなと思ってたのが、カメラもやって面白くて、それが現実になってきたみたいなのが2年目ぐらいだった。
あれなんですよね。ただそこでもやっぱり小二科とは迷ってる自分はあったんですけど、
ちょっとその職権主義で回って、小二科に対してちょっと感じたことがあって。
実は小二って結局その自分が当時回った時は、入院は当然小二科の子どもとかもしてくるんですけど、
やってるのって一番最初って保育だけなんですよね。記憶だと自分の記憶だと。
なるほど。
要はいきなり大人みたいに絶食にして抗生剤って治療するっていうのじゃなくて、
まずは保育、抗生剤は入れるか入れないかはしっきり判断しましょう。
万歩で判断して、相談して、これだったらこの状態だったら抗生剤いるかなと。
CT検査も極力やらないじゃないですか。被曝の影響を考えてやらない。
そりゃそうだ。グラム染色とかそういうのが大事ですからね。
そうそう。それって自然治癒力で良くなってないっていう。
医者ってくだす必要なくないって思っちゃったんですよ、僕当時。
あれですね、小児科の先生が聞いたら怒りそうな。
そうなんですよね。でも当時はそう感じちゃったんですよね。
要は自分が手を加えて治してるっていう子どもの自然治癒力をサポートしてるっていう形だなって思って、
それよりも自分が手を加えたことによって良くなってるとか治療してるっていう実感を持ちたかったんだろうなと思って、
そこで一気に消化器内科にシフトしたっていうところがありますかね。
カメラとかダイナミックですしね。
そうなんですよね。結局当時ESDとか、
ガンってこんな風に切れちゃうんだみたいなのもありましたし、
で、カメラやればやるほどやっぱり面白いし、っていうのでもうそっちでしたね、結局。
もう2年目入って夏ぐらいにはもうそこの病院の消化器内科に大きい検診でも残りますって言って宣言して。
なるほど。それで消化器内科の道に本格的に入って。
そこからもうどっぷり使ってる感じです。
専門医も通り医の大学医も行ってましたもんね。
はい、一時ですね。
それがどこで道が変わってしまったというか、どこで道を間違えたのみたいな。
まあでも、そこは結局自分も子供が生まれたっていうのがきっかけですよね。
妻と、よくあるあるなんですけど、初期研修先の看護師さんと結局そこで出会った妻と結婚します。
病棟ラブか。
はい、もうあるあるです。
もうナースのお仕事ね。ナースのお仕事だっけ?
確かに。
で、結局子供が生まれましたっていう形になった時に、やっぱり消化器内科っていまだに本当に忙しいと思うんですよ。
夜間は全然緊急呼ばれるし、基本的に土日も当番があったりとか、どっちか仕事してるしっていうので、
全然もう普通によく収録とか働いてたし、夜もそれなりに遅くなってたしっていう生活で、
ただそこに対しては全然やりがいあったし楽しかったっていうのが正直なところの気持ちなんですけど、
ただ待ってるときって夢中ですもんね。
夢中ですね。
いかにやっぱり、あとは特に手技系なので、消化器内科自体が。
そうですよね。
やらないとうまくならないし、やればうまくなるんですよね。
前も言われてましたよね、取り合いというか。
そうですそうです。
販売してるって言ってね。
いやもうスタンバイしてましたね。
だから当時もESDもバリバリやってましたし、だから胃のESDはちゃんと自分で完結できる、
大腸のESDもある程度完結できるようになるっていうのを日々目標にしてやってたし。
面白いな。
ただそういう生活に結局子どもっていうものが入ってきたときに、
子どもと当然生まれた後で別にその生活が変わるわけではないので、
そこで子どもがやっぱり徐々に何かもうその数ヶ月の間にやっぱりできることって徐々に増えていくじゃないですか。
まずは寝返りができるようになりました。
そこからじゃあ捕まり立ちができるようになりましたっていう。
そういうのをやっぱりできるようになったっていうのは嬉しいんですけど、
それを身近に感じることができてなかったっていう自分がいて。
要は家族との時間が少なくて、でそういうふうにできるようになったよっていうのがLINEで来ると。
すごいめっちゃ嬉しいって思いながらもうなんか満たされない気持ち自分のがあって、
そこでやっぱり今のある意味仕事を中心の生活で、
果たして今後人生いいのかなっていうのをやっぱり振り返るというか考える危険になったっていうところですかね。
それで今のマルチプルキャリアUが形成されていくわけですね。
家族との時間の重要性
話は尽きないところですが今日はここまで。いかがでしたか。
最後にお二人からのお知らせです。
さて今日の異極の外で会いましょう。もうそろそろお開きの時間となりました。
りゅう先生今回もあっという間でしたね。
いや本当ですね。楽しい時間あっという間ですね。
この番組は皆様からのお便りを大募集しています。
私たちに聞いてみたいこと、番組の感想、日常でのちょっとしたお悩み、応援メッセージなどどんなことでも結構です。
詳細欄のGoogleフォームや私たちのXのアカウントへのダイレクトメッセージでお送りください。
ハッシュタグは異極の外で会いましょうです。
皆さんからのお便りが私たちの大きな励みになります。
どしどしお寄せいただけると嬉しいです。
それでは今回も最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
またねー。
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