いや、そうですね。まさにそれだと思います。
いや、たぶん僕はあのほら、このままでいいんだろうかって思った一番最初はやっぱ大学だから。
うん、そういうのもだいぶ前ですもんね。
で、前もね、これの前の収録の時でちょっとお話したんですけど、
子供できてとか、ご結婚されてどうこうとかっていう風にほら、いう先生はもちろんたくさんいるし、たぶんその医者に限らずいっぱいいらっしゃるでしょう。
それを考えた時に、僕は大学の時に結婚も決意しちゃって、
ずっとその時から奥さんも一緒で、もう医者になってキャリアが始まった時には家族があったみたいな状態だったから。
そうですね。
そう、だからなんかその仕事がむしゃらにしすぎて大丈夫なのかなとかっていうのは正直僕は思ったことないですね、人生で。
で、やっぱ最初から家族ありきだったから、研修員時も、もちろん研修の付き合いとかはあるけれども、
でもたぶん研修の同期でだけで飲みに行ったとかっていう回数は、他の奴らに比べれば少ないとは思うんですよね。
そういうことですよね。もう家庭がありますもんね。
奥さんいるからね。
うんうんうん。
で、僕はもうすでにその家庭っていうものがあったので、結婚した時に家庭このままでいいんだろうかって振り返ることもなく、
子供が生まれた時が3年目、後期研修1年目と後期研修3年目の時に生まれてるんですけど、
その時も一番忙しい時期だからガムシャラなわけですよ。
ガムシャラにしてても、それまで友達付き合いも別に決して良くなかった影響もあったのかもしれないけど、
別に仕事以外ですごい飲みに行くかにもいなかったし、すごいたくさん飲みに行ったとかっていうわけでもなかったし、
で、週2回はご飯、夜7時か8時ぐらいには帰るみたいに決めてたから、
それで、もちろんやっぱりちっちゃい頃に接してた時間っていうのは、今は子供たちに接してる時間に比べれば全然少ないですけど、
でも、自分の親もそうだったし、
医者っていうのはこれぐらい忙しいんだよっていうのを結構妻に教え込んで対応してもらったっていうのはあったので、
それは大きかったかな。僕の奥さんも全くOLなんで、全然関係ない畑から出身なんで、
え、医者って土日休みじゃないの?っていうことをさらっと言ってくるような人だったんですよ。
日曜日も休みじゃないことなんてザラにあるんじゃない?って。
だって俺のお父さんそうだったよみたいなこと言うと、え?だし、
当直の次の日って休みじゃないよって言ったら、え?っていう。
でも、そんな当たり前だから僕は医者の家庭に育ってそんなのが。
マジ全然変えれてなかったから、それはでも昔の時代だから、
俺はなるべく休みとかは友達と遊びに行くとかじゃなくて、
友達と若いもんだけでつるんでとかじゃなくて、家族で遊びに行きたいとかっていうのをすごい言ってたんで、
学生の時から休みとか長期の休みがあれば妻と遊びに行くとか、妻と旅行に行くっていうのが自分の中でのライフスタイルだったから、
夏休み同級生たちと旅行するとかっていうのも多分少ないと思う。他のやつに比べると。
そういうことか。
もちろん同期の友人たちと旅行行ったとかあるけれども、
同じ部活の仲間だけで毎年旅行行ってるみたいなやつは普通結構いるじゃないですか。
いますね。
そういうのはなかったな。仲のいい友人と台湾に行ったりとか、
仲のいい友達と仲のいい友達の実家に福島県まで遊びに行ったりとか、
どこどこにみんなで泊まりに行ったとか、そういうのはあるけれども、
でも決して数は多くない。
だから、アイジュと一緒に行ったの?みたいなのを言ってくるやつもいたかもしれない。
珍しいなみたいな感じですね。
むしろいつも旅が好きなやつらだけでつるんでるうちの一人だったと思うな。
そういうことか。
だから仲のいい一番仲良かった、大学時代一番仲良かったやつは、
今でもやりとりとかしてますけれども、
そいつはエジプトも一緒に行ったし、キューバとかも一緒に行ったし、
イエメンも一緒に行ったし、イエメンなんてうちの奥さんも一緒に行ってるしね。
キューバもうちの奥さんも一緒に行ってんなとか、
そういう一緒に行くっていうのを結構してるやつはいるけれども、
でも基本的にそこには奥さんが絡んでくることが多いかな。
なんか医者になった後も、そもそも別に結婚して家庭も持ったから、
よしこっからみたいな、そういうのはもう一切思ったことはない。
最初っから一緒だった。もうずっと一緒だった、今考えると。
それ考えるとやっぱ愛知産ってちょっと特殊例ですよね。
そうですね、立ち止まってこのままでいいのかっていうのよりも、
とりあえず動いてるうちに是正しなきゃいけないところを頑張って是正していこうみたいな方が大きかったかな。
忙しくても、いつか親とか見てると家庭の時間を持ってる時間来るだろうっていうのを言い聞かせてやってて、
結局自分の学年が上がってくると時間を持てるようになったりするんでね。
なので、そこで行ってたりとか、
その分土日とかも含めて時間になるときは家族にべったりだったしね。
僕もね。
っていう風にやってて、出港の時に時間ができて本格的に始めたのが投資だったんですよね。
県まで遊びに行ったりとか。
そこで投資が出てくるんですね。
で、その投資で何をしたかったかって言ったら旅をしたかった。旅の資金をする。
家事の資金。
でも、僕はやっぱり母親と仲が良くて、
母と僕と妹はですね。
父親は結構馬が合わないというか、性格が結構違ったんで。
僕はやっぱり優さんのお父様を見て反面教師に育ったっていうのはあるかもしれないですけど、
僕もやっぱり反面教師として、
昭和っぽい考え方の親父よりも、
新しいことをどんどん挑戦していくっていう。
うちの父はもう本当に石橋を叩いて叩いて叩いて渡るか渡らないか決めるかどうかそこでまた決めるみたいな。
めちゃめちゃ堅実な人間なんですよ。
実際はやってることは大胆なこともやりますけれども、
結構やっぱどうしようかなって安排でいくタイプなんですね、僕からすると。
逆に僕はもうとりあえずやってみようよっていう。
母親もそういうタイプだったんですけど。
なるほど。
母親そういうタイプ、ちょっと時代と女性っていうのもあるかな。
ただ間違いなく言えるのは社交的だった。
社交的だったんですね。
社交的でこういう人見知りしないとかいう性格はもう完全に僕は母親のものですね。
そういうことか。
いろんな人とか新しいことを巻き込みながらやっていこうよっていう僕とか、
楽しくやっていこうよっていう母とか僕みたいなタイプに対して、
父は真面目で堅実に新しいもんなんかとかいうタイプだったかな、どちらかというと。
そうか。
特に少なくとも僕、息子からするとそうやって感じるから、
それをつなぎ止めてくれてるのが母親だったんで。
なるほど。
母が亡くなるっていうか、もう全身がんだったんですけど、
全身炎痍というかもう助からないっていうことがわかったときに、
なんかもうすげえ考えますよね、やっぱりね。
今までの人生プランとか違ったなと思ったときに、
普通に僕もそう思ったし、妻も距離を取るっていうのも一つ選択なんじゃないっていう風になって、
外国に出たっていうのはあるんですよ。
それは結構ね、僕は大きかったと思う。
だから別に親父が嫌いで外に逃げたとかするんじゃなくて、
あと20年ぐらいで俺も死んじゃうかもしれないっていう母の死はかなり大きかったんで。
なるほど。
それまで外国に行こうとは全然思わなかったけど、
医者として外国に出るのもいいなっていう風に思ったのは、
やっぱりなんかこう、このままでいいのかなって多分考えちゃったんだと思います。
だから自分の人生でこのままでいいのかなって思ったのは、
学生時代と母親が死んだとき。
この2つだと思います。
そういうことか。
極端な大転換をさせたのはそこですよね。
学生の日が入ったときの衝撃と母親が死んだときの衝撃。
だから次たぶん衝撃、このぐらいの衝撃が起きるとしたら、
やっぱ家族がなくなるとかだろうな。
そういうことですよね。
それを超えるものはないんじゃないかな、僕は。
なるほどな。
やっと駆け足で、あれですね、
ビフォーコロナ前後ぐらいまで行きましたね。
行きましたね。
絶対1回の収録は終わんないじゃん、こんな。
ようやくですね。
ようやくコロナ前ですよ、これ。
ようやく優さんと愛事はあったぐらい。
だってこれ2020年前後ぐらいまでの話でしょ。
そうそうですね。
イメージそれぐらいになりましたね。
優さんがまだ最初に六本木で会ってね、
2人とも大学にいて、
今後の医者のキャリアどうしようじゃないっすもんね、僕らが。
どうやったらお金儲けられますかの話でしたもんね。
いやそうですよ、どの株いいっすかっていうところでした。
今後キャビリアの話はしないでしょ。
僕らも、
医者やってもう15年以上か。
優さんも15年ぐらいですか。
僕は13かな、今。
何年ぐらいか。
なんかやってて、
でもいろいろあったけど、
やっぱなんかその、キャリアのお話するときに、
最初のときに話題にしましたけど、僕。
やっぱ優さんのアドバイスとか、
優さんの今までの医者人生は、
とっても他の方々の参考になったり、
ありがたいお言葉を聞けるっていうような、
身近でアドバイスのモデルになりそうなケースにある、
優に対して、
愛事は物語として聞いてほしいみたいな。
やっぱキャリアなのはそういうところにもあるんだと思うんですよね。
やっぱずれてるでしょ。
人生を振り返ろうとしたタイミングが、
学生と専門医終わって、
しかも専門医終わって、
このままで俺いいのかっていうふうに思った理由が、
キャリアじゃないもんね、僕は。
そうですね、確かに。
このままでいいのかなって思ったのは、
家族の死だったからね。
最初に旅しようと思ったのは、
自分の今後をどうしたほうがいいかと思ったかもしれないけれども、
きっかけになるイベントが違いますもんね。
違いますね。
そういう意味では、優さんのアドバイスを、
すごい参考にしてくれている先生方も多いと思うし、
僕の話は面白いって言ってくださる方は、
確かにありがたいことにいらっしゃるかもしれないけども、
参考になるのは優さんだろうな。
ですかね。
なんかね、子供が生まれてっていうところは正直あるあるですからね、やっぱり。
そうそうそう、そういうあるあるとか、
共感っていう意味では、やっぱり優さんの方とかの方が、
優さんのキャリアの今までの経験とかっていうのは、
やっぱ他の先生方へのとてもいいアドバイスというか、
いい道しるべになるんじゃないかなと思って。
僕はもう読み物、ストーリーだと思って。
この前、昔のバックパッカーの、
昔バックパッカーやってた方と飲んでて話してたんですけど、
世界広しといえど、医者のバックパッカーも何人も会ったことある。
医学生のバックパッカーも何人も会ったことある。
不思議なキャリアをしてバックパッカーをやっていたり、
バックパッカーやった後に外国に住んでいる人もいっぱい会ったことあるけど、
18歳で世界一周したやつは僕初めて会ったって言われて、
そういうふうな時って戻れないから、
あの時放浪してて本当に良かったと思うし、
普通ではあんまりできない経験をさせてもらったっていう意味では、