2025-10-08 27:10

3-4 旅がもたらした「目で見えないものを想像する」楽しみが腎臓内科医の原点に

【今回の内容】

子どもの成長に関わらない人生を歩んでいいのか、と自問自答/医師になる前に既に家庭を持っていた/後期研修医時代、がむしゃらに育児/投資のインセンティブは「旅の資金を貯めるため」/「全く違う世界を見たい」という旅の経験から腎臓内科へ/「目で見えないものを想像する」楽しみ/患者との繋がりができる透析は天職だった/母の死が人生の転機に/親に感謝はしているが、縛られるのとは違う

 【出演者】
◯ アイジュ…ハノイ在住 腎臓内科専門医。「大事なことは全て旅が教えてくれた」

https://x.com/aijyunotoushi

◯ ゆー…消化器内科専門医+パーソナルドクター+産業医。「人生は命を賭けた思い出作り」
https://x.com/yu_tayousei

【情報】
◯アイジュ著『人生100年時代を豊かに生きる「外貨 × 投資」戦略』」
https://amzn.to/4orK5di

◯ ゆーブログ「パラレルキャリア推進」
https://ishi-tayousei.com/

 【動画編集】
◯ サトシ…医療podcastプロデューサー。「自己愛から社会愛へ」

https://x.com/yun__yun

【BGM】
◯ MusMus

※ ご意見・ご感想・誤りのご指摘などはぜひ下記からご連絡ください。

https://forms.gle/4YB2BXDtPC9zrfTx5 

サマリー

このエピソードでは、旅を通じて得た新たな視点が腎臓内科医としてのキャリアの基盤に繋がることについて語られています。特に、腎臓内科医としての選択や家族との時間の重要性が取り上げられています。また、腎臓内科医が旅を通じて目に見えないものを想像する楽しさを発見し、自らの医師としての道を考え直した経験についても触れられています。母親の影響や長期間にわたる患者との関係の中で、腎臓内科医としての選択に至った理由が描かれており、コミュニケーションの重要性も強調されています。旅がもたらす「目で見えないものを想像する」楽しみが腎臓内科医にとっての出発点であることについての話も展開されています。パーソナルな体験や家族との関係が、医療への情熱にどのように影響を与えたかについても触れられています。

医師としてのライフイベント
アイジュ
ゆーの
医局の外で
会いましょう
こんにちは、ベトナム在住内科勤務医、投資家Dr.アイジュです。そして
人生は命を懸けた思い出づくり、パーソナルドクター及び産業医として働くゆーです。
この番組は、医師のキャリアって何だろう?人生をもっと豊かにするには、そんなテーマを軸に、
お金や家族、そして生き様について、自由気ままに本音で語り合う、雑談型ポッドキャストです。
で、果たして今後人生いいのかな?っていうのを、やっぱり振り返るというか、考える危険になったっていうところですよね。
それで今のマルチプルキャリアゆーが形成されていくわけですね。
何ですかね、徐々にですね、もう本当にいきなりそんな感じじゃないですからね。
だって僕が会ったのも結婚されて直後でしたっけ?
そうです、そうです。
あの頃はだってまだ投資を始めたぐらいとかですよね、きっと。
そうですね、投資始めたぐらいですね。2018年とか19年とか、それぐらいから始めてるので。
何かやろうとかっていうふうに思い立ったぐらいの時ですね、それって。
そうですね、はい。
そのうちの一つが投資だったりとか、バイト先を変えるなら大学院をどうするかとか、そういう色々な話が出てくるわけでしょ、その後も。
そうです、そうです。
やっぱり子供が生まれたっていうのは一つきっかけですよね。
皆さんなんかそこのところありますよね、結婚だったりとか子供が生まれてるとかのライフイベントがあって、結局そこでやっぱり最終的にあまり決断して変えないっていうのも一つだったと思うんですけど、
自分はそこのところで結局子供と関わる、自分の子供がいるのにそこの成長に自分が関わってないっていうのは果たして人生においていいの?みたいなところが。
寂しくなる。
そうなんですよね。将来的にじゃあ自分が死ぬ時にそれで良かったの?って言われた時に何か仕事づけの人生でしたっていうふうな終わり方嫌だなって思っちゃったんですよね。
特に今時代はね、親たちの時代と違いますからね。
そうですね。
なんで、まあそうですね、それこそ本当にうちの父親も結構やっぱり仕事人間だったので、なんかそういうのも一部反面教師になってたのかなとは思いますね。
やっぱり、それこそ母さんからの愚痴もよく聞かされてましたし、なんかもう父さんはなかなか家にいないとか、仕事のことでやっぱりよく出かけることもあったので、
なので、まあそういったところでなんとなく擦り込まれてたのかなとは思うんですけど、やっぱりそういう父親っていうのが良くないっていうような擦り込みがあっての、そういう自分のなんか人生を振り返るというか、人生を俯瞰した時に、なんかそれだと寂しいなって思ったっていうのが多分きっかけで行動に出たんだと思いますね。
それまでがむしゃらにやっててね、なんかふと、あれ、俺このままでいいのかなって思うタイミングがそこだったってことですよね。
家庭と時間の価値
いや、そうですね。まさにそれだと思います。
いや、たぶん僕はあのほら、このままでいいんだろうかって思った一番最初はやっぱ大学だから。
うん、そういうのもだいぶ前ですもんね。
で、前もね、これの前の収録の時でちょっとお話したんですけど、
子供できてとか、ご結婚されてどうこうとかっていう風にほら、いう先生はもちろんたくさんいるし、たぶんその医者に限らずいっぱいいらっしゃるでしょう。
それを考えた時に、僕は大学の時に結婚も決意しちゃって、
ずっとその時から奥さんも一緒で、もう医者になってキャリアが始まった時には家族があったみたいな状態だったから。
そうですね。
そう、だからなんかその仕事がむしゃらにしすぎて大丈夫なのかなとかっていうのは正直僕は思ったことないですね、人生で。
で、やっぱ最初から家族ありきだったから、研修員時も、もちろん研修の付き合いとかはあるけれども、
でもたぶん研修の同期でだけで飲みに行ったとかっていう回数は、他の奴らに比べれば少ないとは思うんですよね。
そういうことですよね。もう家庭がありますもんね。
奥さんいるからね。
うんうんうん。
で、僕はもうすでにその家庭っていうものがあったので、結婚した時に家庭このままでいいんだろうかって振り返ることもなく、
子供が生まれた時が3年目、後期研修1年目と後期研修3年目の時に生まれてるんですけど、
その時も一番忙しい時期だからガムシャラなわけですよ。
ガムシャラにしてても、それまで友達付き合いも別に決して良くなかった影響もあったのかもしれないけど、
別に仕事以外ですごい飲みに行くかにもいなかったし、すごいたくさん飲みに行ったとかっていうわけでもなかったし、
で、週2回はご飯、夜7時か8時ぐらいには帰るみたいに決めてたから、
それで、もちろんやっぱりちっちゃい頃に接してた時間っていうのは、今は子供たちに接してる時間に比べれば全然少ないですけど、
でも、自分の親もそうだったし、
医者っていうのはこれぐらい忙しいんだよっていうのを結構妻に教え込んで対応してもらったっていうのはあったので、
それは大きかったかな。僕の奥さんも全くOLなんで、全然関係ない畑から出身なんで、
え、医者って土日休みじゃないの?っていうことをさらっと言ってくるような人だったんですよ。
日曜日も休みじゃないことなんてザラにあるんじゃない?って。
だって俺のお父さんそうだったよみたいなこと言うと、え?だし、
当直の次の日って休みじゃないよって言ったら、え?っていう。
でも、そんな当たり前だから僕は医者の家庭に育ってそんなのが。
マジ全然変えれてなかったから、それはでも昔の時代だから、
俺はなるべく休みとかは友達と遊びに行くとかじゃなくて、
友達と若いもんだけでつるんでとかじゃなくて、家族で遊びに行きたいとかっていうのをすごい言ってたんで、
学生の時から休みとか長期の休みがあれば妻と遊びに行くとか、妻と旅行に行くっていうのが自分の中でのライフスタイルだったから、
夏休み同級生たちと旅行するとかっていうのも多分少ないと思う。他のやつに比べると。
そういうことか。
もちろん同期の友人たちと旅行行ったとかあるけれども、
同じ部活の仲間だけで毎年旅行行ってるみたいなやつは普通結構いるじゃないですか。
いますね。
そういうのはなかったな。仲のいい友人と台湾に行ったりとか、
仲のいい友達と仲のいい友達の実家に福島県まで遊びに行ったりとか、
どこどこにみんなで泊まりに行ったとか、そういうのはあるけれども、
でも決して数は多くない。
だから、アイジュと一緒に行ったの?みたいなのを言ってくるやつもいたかもしれない。
珍しいなみたいな感じですね。
むしろいつも旅が好きなやつらだけでつるんでるうちの一人だったと思うな。
そういうことか。
だから仲のいい一番仲良かった、大学時代一番仲良かったやつは、
今でもやりとりとかしてますけれども、
そいつはエジプトも一緒に行ったし、キューバとかも一緒に行ったし、
イエメンも一緒に行ったし、イエメンなんてうちの奥さんも一緒に行ってるしね。
キューバもうちの奥さんも一緒に行ってんなとか、
そういう一緒に行くっていうのを結構してるやつはいるけれども、
でも基本的にそこには奥さんが絡んでくることが多いかな。
なんか医者になった後も、そもそも別に結婚して家庭も持ったから、
よしこっからみたいな、そういうのはもう一切思ったことはない。
最初っから一緒だった。もうずっと一緒だった、今考えると。
それ考えるとやっぱ愛知産ってちょっと特殊例ですよね。
そうですね、立ち止まってこのままでいいのかっていうのよりも、
とりあえず動いてるうちに是正しなきゃいけないところを頑張って是正していこうみたいな方が大きかったかな。
忙しくても、いつか親とか見てると家庭の時間を持ってる時間来るだろうっていうのを言い聞かせてやってて、
結局自分の学年が上がってくると時間を持てるようになったりするんでね。
なので、そこで行ってたりとか、
その分土日とかも含めて時間になるときは家族にべったりだったしね。
僕もね。
っていう風にやってて、出港の時に時間ができて本格的に始めたのが投資だったんですよね。
県まで遊びに行ったりとか。
そこで投資が出てくるんですね。
で、その投資で何をしたかったかって言ったら旅をしたかった。旅の資金をする。
家事の資金。
旅がもたらす感動
結婚するときに、今これから家庭を持って子どもたちもいると、
自由にバックパッカー時代のときに世界中を巡ったっていうことはできないかもしれないけれども、
子どもたちが成長して成人したら、50歳になったらもう一回世界一周しようっていうのをそのときに決めた。
なるほど。
で、そのときの世界一周のお金をどこかで貯めなきゃいけない。
で、それはゲットするためには医者を頑張るのもそうだけれども、
医者以外の方法で旅ができるようになったらありがたい、嬉しいなくらいな、
すげー軽い気持ちで始めたのが投資。
そのレベルからだったんですね。
そしたらなんかよくわかんないけど、ファイヤーできるぐらいにね。
いやーもうだって、投資界では結構有名じゃないですか、もう愛理さん。
いやいやいやいやいや、僕ぐらいのレベルのやつなんていっぱいいるよ。
言ってないだけで一緒だから。
今ではね、それこそそれなりになんか有名な方って結構いるかなと思いますけど、
当時やっぱり少なくなかったですか、もっと。
うーん、まあそれはあるかもしれないですけど、
でも本気でやれば多分10人に1人以上多分送り人になれると思うけどな。
本当に試行錯誤しながらというか、
でもまああれですよね、自分のスタイルを築ければ。
そうですね、でまあそれがまあ投資だったけれども、
まあそもそも僕やっぱ自分の人造内科を決めたのの一番大きかったのは、
まあそれはやっぱり親かな。
僕人造内科と循環器内科で迷ったんですけど、
僕ね、旅の話にした時に、見るもの全てが新しくて感動したっていう話僕したと思うんですけど、
逆に自分の目で見て、見た時に、うわーこれすごいっていうあの感覚が好きなんであって、
いつも同じ景色だったら超つまんないんですよ。
あるかなこの感覚。
なんか目で見えたらつまんなくなっちゃう人なの。
目で見えたらつまんなくなる。
旅と医師の原点
要は想像したりとかやったり、目でパッて見た時に、
あ、こんな世界があったんだ、次はじゃあどんな景色が待ってんだろうっていうのが好きな人なんですよ。
はいはい。
いつも開けたら同じものが広がっててそこの違いを見つけるとかそんなのいらない。
カーテンを開けたら全く違う景色なのがいいんですよ。
ほうほうほうほう。
だから外科は嫌いだった。
なるほど。
そういうことか。
僕の中では自分ではそう思ってるんですけど、カメラも全く興味ない。
そういうことですね。
で、循環器が面白かったのは、目で見えない不清脈っていうものが面白かった。
そっちなんですね、不清脈なんだ。なるほど。
要は目で見えないものを見ようとして、実際にそれを見た時の感動とかが、
あ、すごいなと思って、
そっちか。
いうタイプだから、例えば念頭研とかCTとか取って、こういう仕様だろうと思って開けてみたら、
ビンゴっていう考え方もあるかもしれないけれども、
僕はなんかもう全く新しいものを見るっていう方が、
見えないものをどうやって塗ってんだろうっていうのを想像した上で見たりするのが好きだったから、
なんか一気にイメージ化されたりとか、一気に視覚的に飛び込んでくるっていうものばっかりなのがあんまり好きじゃなかったんですよ。
腎臓内科を選んだ理由
多分今考えると、アビも同じ景色絶対嫌いだから僕。
あーそういうことか。
次どんどんどんどん次いくっていうタイプの方なんで、
だから、そこでやっぱり芸家を面白いと思ったことはほとんどないですね。
かっこいいなと思うことありますよ、昇華記内科の先生方とか、
あるいはカテーテルやってうまくいったりとかね、
新芸の先生方のあれとか見てるとすげーな、ポンプのオペラなんてもうかっこいいですよね、新芸。
いやーかっこいいですね。
新芸めちゃくちゃかっこいいなと思ったもん。
だけど、やっぱいろんなあれを見てて、結局でも新しいものとか見たりとか、
医学的に学問的に面白いとかいうよりは、結局は俺人と接してる方が楽しいんだなと思って、
より長い関係、深い関係の中で、より深い関係を築きながらも、
やっぱりそこは医者と患者っていう関係もあるなっていう透析の世界は、
やっぱり俺転職だったのかなと思って、
自分の親が選んだの理由わかるなって思ったときに、
ああ、腎臓内科になろうかなと思ったかな。
なるほど、そういうことだったんだ。
なんで、基本的に腎臓内科とか透析はもうね、患者さんと医者の付き合いが長いから、
長いですよね。
いい意味でも悪い意味でも友達みたいになっちゃうから、
そこの差とかを加えなきゃいけないんだけど、
それはそれで楽しさがあったんですよ、僕には。
だから、目で見る見えないとかじゃなくて、
人間との接し方で学問というか、自分の専門決めてもいいのかなって思ったのが、
腎臓内科だったかな、腎臓内科とか透析だったかな。
なんで、今そのコミュニケーションが好きっていうのは、
外国に行ったコミュニケーションが日本とは違うっていう面白さにつながってるので、
結果的に良かったかなと思いますけれども、
学問としての腎臓学が面白いとか、
もちろん思うときはありますけれどもね。
でも、やっぱり総合的に考えて、親の影響が大きかったかな。
親父の後継ぐっていう意識が強かったんで、
結局はそこになると思います。
なるほどな。
でも、結局継がずに海外に出ちゃってますけど。
本当だよ。親不幸もんね、本当それは申し訳ないけど。
母親の影響とキャリア
でも、僕はやっぱり母親と仲が良くて、
母と僕と妹はですね。
父親は結構馬が合わないというか、性格が結構違ったんで。
僕はやっぱり優さんのお父様を見て反面教師に育ったっていうのはあるかもしれないですけど、
僕もやっぱり反面教師として、
昭和っぽい考え方の親父よりも、
新しいことをどんどん挑戦していくっていう。
うちの父はもう本当に石橋を叩いて叩いて叩いて渡るか渡らないか決めるかどうかそこでまた決めるみたいな。
めちゃめちゃ堅実な人間なんですよ。
実際はやってることは大胆なこともやりますけれども、
結構やっぱどうしようかなって安排でいくタイプなんですね、僕からすると。
逆に僕はもうとりあえずやってみようよっていう。
母親もそういうタイプだったんですけど。
なるほど。
母親そういうタイプ、ちょっと時代と女性っていうのもあるかな。
ただ間違いなく言えるのは社交的だった。
社交的だったんですね。
社交的でこういう人見知りしないとかいう性格はもう完全に僕は母親のものですね。
そういうことか。
いろんな人とか新しいことを巻き込みながらやっていこうよっていう僕とか、
楽しくやっていこうよっていう母とか僕みたいなタイプに対して、
父は真面目で堅実に新しいもんなんかとかいうタイプだったかな、どちらかというと。
そうか。
特に少なくとも僕、息子からするとそうやって感じるから、
それをつなぎ止めてくれてるのが母親だったんで。
なるほど。
母が亡くなるっていうか、もう全身がんだったんですけど、
全身炎痍というかもう助からないっていうことがわかったときに、
なんかもうすげえ考えますよね、やっぱりね。
今までの人生プランとか違ったなと思ったときに、
普通に僕もそう思ったし、妻も距離を取るっていうのも一つ選択なんじゃないっていう風になって、
外国に出たっていうのはあるんですよ。
それは結構ね、僕は大きかったと思う。
だから別に親父が嫌いで外に逃げたとかするんじゃなくて、
あと20年ぐらいで俺も死んじゃうかもしれないっていう母の死はかなり大きかったんで。
なるほど。
それまで外国に行こうとは全然思わなかったけど、
医者として外国に出るのもいいなっていう風に思ったのは、
やっぱりなんかこう、このままでいいのかなって多分考えちゃったんだと思います。
だから自分の人生でこのままでいいのかなって思ったのは、
学生時代と母親が死んだとき。
この2つだと思います。
そういうことか。
極端な大転換をさせたのはそこですよね。
学生の日が入ったときの衝撃と母親が死んだときの衝撃。
だから次たぶん衝撃、このぐらいの衝撃が起きるとしたら、
やっぱ家族がなくなるとかだろうな。
そういうことですよね。
それを超えるものはないんじゃないかな、僕は。
なるほどな。
やっと駆け足で、あれですね、
ビフォーコロナ前後ぐらいまで行きましたね。
行きましたね。
絶対1回の収録は終わんないじゃん、こんな。
ようやくですね。
ようやくコロナ前ですよ、これ。
ようやく優さんと愛事はあったぐらい。
だってこれ2020年前後ぐらいまでの話でしょ。
そうそうですね。
イメージそれぐらいになりましたね。
優さんがまだ最初に六本木で会ってね、
2人とも大学にいて、
今後の医者のキャリアどうしようじゃないっすもんね、僕らが。
どうやったらお金儲けられますかの話でしたもんね。
いやそうですよ、どの株いいっすかっていうところでした。
今後キャビリアの話はしないでしょ。
僕らも、
医者やってもう15年以上か。
優さんも15年ぐらいですか。
僕は13かな、今。
何年ぐらいか。
なんかやってて、
でもいろいろあったけど、
やっぱなんかその、キャリアのお話するときに、
最初のときに話題にしましたけど、僕。
やっぱ優さんのアドバイスとか、
優さんの今までの医者人生は、
とっても他の方々の参考になったり、
ありがたいお言葉を聞けるっていうような、
身近でアドバイスのモデルになりそうなケースにある、
優に対して、
愛事は物語として聞いてほしいみたいな。
やっぱキャリアなのはそういうところにもあるんだと思うんですよね。
やっぱずれてるでしょ。
人生を振り返ろうとしたタイミングが、
学生と専門医終わって、
しかも専門医終わって、
このままで俺いいのかっていうふうに思った理由が、
キャリアじゃないもんね、僕は。
そうですね、確かに。
このままでいいのかなって思ったのは、
家族の死だったからね。
最初に旅しようと思ったのは、
自分の今後をどうしたほうがいいかと思ったかもしれないけれども、
きっかけになるイベントが違いますもんね。
違いますね。
そういう意味では、優さんのアドバイスを、
すごい参考にしてくれている先生方も多いと思うし、
僕の話は面白いって言ってくださる方は、
確かにありがたいことにいらっしゃるかもしれないけども、
参考になるのは優さんだろうな。
ですかね。
なんかね、子供が生まれてっていうところは正直あるあるですからね、やっぱり。
そうそうそう、そういうあるあるとか、
共感っていう意味では、やっぱり優さんの方とかの方が、
優さんのキャリアの今までの経験とかっていうのは、
やっぱ他の先生方へのとてもいいアドバイスというか、
いい道しるべになるんじゃないかなと思って。
僕はもう読み物、ストーリーだと思って。
この前、昔のバックパッカーの、
昔バックパッカーやってた方と飲んでて話してたんですけど、
世界広しといえど、医者のバックパッカーも何人も会ったことある。
医学生のバックパッカーも何人も会ったことある。
不思議なキャリアをしてバックパッカーをやっていたり、
バックパッカーやった後に外国に住んでいる人もいっぱい会ったことあるけど、
18歳で世界一周したやつは僕初めて会ったって言われて、
そういうふうな時って戻れないから、
あの時放浪してて本当に良かったと思うし、
普通ではあんまりできない経験をさせてもらったっていう意味では、
旅の影響と個人的な経験
参考にはならないですよね、たぶん。
話は面白いかもしれないけど。
なんかそうですよね、バックパッカーってイメージ的になんとなくですけど、
早くても大学生の後半とかにされてたりとか、
一回就職した後に何かある意味自分を見つめ直すっていう手で、
社会人だったり。
海外行かれたりとか、
年齢的には10代でっていうのは自分もあんまりイメージないですもんね。
そうですね。
よくやったな。
頭ぶっ飛んでるよね。
すごいですね、親としても送り出せるのがやっぱすごいなと思います。
そうですね、あの時は本当後押してもらってとか、
出してくれて本当にありがたかったですね。
でも僕はもうその感謝だけで、
親父とは喧嘩しないって決めてるからね。
喧嘩っていうか、言い合いはするかもしれないけど、
絶好みたいなことは絶対しないって誓ってる。
そういうことですね。
逆にそれを誓いすぎて、
ちょっと母親が死ぬときしがらみになってるから、
それはそんなことをこだわらないで、
あなたの好きなように生きた方がいいんじゃないの?
みたいなことを妻は後押してくれた。
あー、なるほど。
それは縛られる必要なくない?っていう風なのを、
僕ばっさり言ってくれたのは妻だったかな。
なんで、
なんで、親には感謝してるけれども、
それに縛られるのは良くないから、
違う形での感謝っていう意味で、
距離を置こうと思ったのもやっぱそこだったかな。
まあ、継がないっていう不幸もので申し訳ないけど。
ですよね。
今の状況を見るとやっぱりかなり活動的に動かれてて、
充実してる感じはもうひしひしと伝わってきますからね。
充実していますよね。
もうありがたいことに。
なんか何やってる人なのか最近ほんと分かんなくなってきてるけど、
でも楽しいですよね。
いやー、いいですね。
もうちょっとそこら辺でも話し出すと止まんないですよね。
そういう姿を見てるから、
娘とかもパパっ子でいてくれるんだろうけどね。
あー、なるほどなるほど。
今のところ僕子育て間違ってなかったんだなと思うのは、
二人ともちゃんとパパっ子ママっ子なのは、
良いことだったのかなと思ってます。
素晴らしいですね、それは。
いやー、話長くなっちゃいましたね、やっぱりね。
終わんねえんだよ、これ。
いやー、まあそうっすね。
でもちょうど二人のことをある意味深掘りというか、
今あるところの根底に流れてる考え方というか、
そこは振り返れたのかなみたいな。
いや、分かる分かる。
教科選手だったって全く知らなかったし。
いやいや、ちゃんとやってたんで、
そこでいろいろやっぱり人生を学ぶ、
人生を学ぶっていうのもおかしいですけど、
でも根幹作られてはいますからね。
大事大事、やっぱ根気あるもん。
ずっとスポーツやらないってことは。
家族との関係
まあね、何ですかね、当時はだから、
別に自分の意思というよりも、
それをやらないといけないからやるみたいな。
うんうん、がむしゃらにね。
そういう感?
うん。
本当はね、そこで試行錯誤してより早くなるとか、
そういう方に向けばよかったですけど、
僕はもうそういうよりも、なんか若干もうやらされてる感もありながらも、
それをやり続けるっていう感じになっちゃいましたけど。
ね。
はい。
いやー、話はつきないな。
ですね、話つきないですね。
という感じで、
今日の異極の外で会いましょうも、
そろそろお開きの時間になりましたかね。
ゆう先生、今回もあっという間でしたね。
いやー、ほんとですね、
この楽しい時間っていうのはほんとあっという間ですね。
この番組は皆様からのお便りを大募集しております。
私たちに聞いてみたいこと、
番組の感想、日常でのちょっとしたお悩み、
応援メッセージなど、
どんなことでも結構です。
詳細欄のGoogleフォームから、
私たちへのダイレクトメッセージなどで、
送りいただければと思います。
ハッシュタグは、
異極の外で会いましょうです。
皆様からのお便りが、
私たちの大きな励みになります。
年々とお寄せいただけると嬉しいです。
そうですね。
はい。
それでは、
今回も最後までお付き合いいただき、
本当にありがとうございました。
日産の皆様からのお便り、
本当にお待ちしておりますので、
どんなことでも何かありましたら、
声かけていただければと思います。
ぜひぜひコメントもいただけると嬉しいです。
お願いします。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
27:10

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