2025-07-12 33:44

1-2 リオデジャネイロでバスジャック未遂!?〜人生で大切な事は全て「18歳の世界一周旅行」が教えてくれた

【今回の内容】

独自の道を歩みすぎてキャリア相談の参考にならない問題/研修医前に結婚するという人生/医師の「中」でキャリアを考えるか、医師の「外」でキャリアを考えるか/自分の人生の全ては旅が教えてくれた/ターニングポイントは「18歳の時の世界一周旅行」/まさに「it's a whole new world」の経験/リオデジャネイロでバスジャック未遂?/たまたま私服警官が乗り合わせていた/犯人はタコ殴りにされ、そして痙攣…

 【出演者】
◯ アイジュ…ハノイ在住 腎臓内科専門医。「大事なことは全て旅が教えてくれた」

https://x.com/aijyunotoushi

◯ ゆー…消化器内科専門医+パーソナルドクター+産業医。「人生は命を賭けた思い出作り」
https://x.com/yu_tayousei

【情報】
◯アイジュ著『人生100年時代を豊かに生きる「外貨 × 投資」戦略』」
https://amzn.to/4orK5di

◯ ゆーブログ「パラレルキャリア推進」
https://ishi-tayousei.com/

 【動画編集】
◯ サトシ…医療podcastプロデューサー。「自己愛から社会愛へ」

https://x.com/yun__yun

【BGM】
◯ MusMus

※ ご意見・ご感想・誤りのご指摘などはぜひ下記からご連絡ください。

https://forms.gle/4YB2BXDtPC9zrfTx5 

サマリー

このエピソードでは、医師としてのキャリアの築き方や家族との関係についての洞察が語られています。また、旅が人生に与える影響についても触れられ、医療の枠を超えた視点が提供されています。リオデジャネイロでのバスジャック未遂事件についても話されており、特に18歳での世界一周旅行がどのように人生に影響を与えたかについての重要な視点が共有されています。リオデジャネイロでのバスジャック未遂事件を通じて、旅の経験が人生に与える影響について考察されています。特に、恐怖の瞬間を乗り越えたことで得た教訓や、旅がいかに自己成長に繋がったかが振り返られています。

医師のキャリアと家族
前回からの続きだよ アイジュ
ゆーの 医局の外で会いましょう
こんにちは、ベトナム在住の内科勤務医、動詞科ドクター、アイジュです。そして、人生は命を懸けた思い出づくり、パーソナルドクター及び産業医として働く、ゆーです。
この番組は、いつのキャリアって何だろう、人生をもっと豊かにするには、そんなテーマを軸にお金や家族、そして生き様について自由気ままに本音で語り合う、雑談型ポットキャストです。
ゆーさんは、スタートライン、あるいはスタートライン周辺から出発されている、普通のドクターで。
はい、そうですね。
僕は、なんかわかんないけど、スタートラインに、スタートラインこっちって聞いてたのに、違うところから行っちゃったから、ここから走って、もうあっち行っちゃえみたいな。
トラックの途中で、侵入してきちゃったみたいな感じなのかなって、最近ちょっと思うんですよ。
あー、なるほど、なるほど。
わかりますかね。
いや、言ってることはわかります。
だから、どちらかというと、やっぱり自分の場合は、医者のキャリアとして、医者を本当にどう活かしていくかっていうところに、多分フォーカスしたような話だったりとか、
どういうふうな働き方をすると、キャリアがうまく築けるよとか、面白いキャリアになるよっていう話が多いですけど、
アイドルさんだと、そもそも別に、医者であることは一つの要素なだけであって、それプラスあればこういうこともやったら面白いじゃんっていう、そっちの医者じゃないところの話の広がり方とかの方が、
より魅力的だったりだとか、面白いなって感じてもらえる部分なんだろうなと思うので、
ただ、じゃあそれを実際に真似できるの?って言われたら、
そうなんですよ。
自分は医者の中でどう生きるかをちょっと考えてるんですけど、っていうところで食い違ってしまう?
おっしゃる通り。
音が出るんだろうなと。
最近ね、キャリアのお話とかされるときに、それをすごい感じるようになって。
なるほど。
例えば、やっぱりね、人間真似できないこととか、遠すぎることだと参考にならないですよね。
興味が多くて。
面白い話聞いたで終わりますよね。
そうなんですよ。小説読んでるみたいなの終わりなんですよ。
ゆうさんだったら、例えば産業院やってらっしゃる。法人も持ってる。訪問しに来る。
専門医であるとか、いっぱいいろんな、医者としてこういう風にやって、
僕の場合、専門医です。ここまでは一緒。
腎臓内科専門医、大学病院。
法人持ってます。資産管理会社です。
もう今、日本の収入をいただくための会社とかしてるみたいな。
ちょっと通常の使い方違いますもんね。
産業院資格持ってません。訪問診療、バイトで数えるほどしか持たない。
パーソナルドクターとかも、一緒に共通のパーソナルドクターとしてやりますけども。
そう、なんかこれ人様参考になるね。
家族を持つことの影響
なるほど、なるほど。
ちょっと最近反省。それは反省するべきなのか、違うお話をしてあげるべきなのか悩む。
やっぱ、ちょっと違うかな。
同じ目線で、優さんとか、あるいは優さんのように、キャリアのことについてお話しされてる方と、
同じ目線で話すのは良くない。
あー、なるほど。
っていう風にちょっと最近思ってます。
はいはいはい。
かつね、もう一つあって。
さっき、優さんもお医者さんとして、専門医として取るとか、やっぱり働き方とか考えるようになったみたいな話の中に、
一番最初にズバリお答えしてくれてましたけど、やっぱ家族ができて働き方考えるようになったって、多分ほとんど多くの方が言うんですよ。
まあまあ、よく聞く話ですよね。
当たり前じゃないですか。
当たり前だと思います。
自分も家族いるからすげー分かるんですし、分かりますし。
もちろん、私は一人で生きていくとか、俺は結婚しないとか、子供はいらないとか、そういう方はそういう方で違う風な考え方なんで、
自分のお時間が欲しいとか、あるいはバリバリやりたいとか、いろいろあると思うんで、別に一概には言えないと思うんですけども、
お子さんが生まれたら、家族ができたら、そうやって考えられる方ってとても多いと思うんですよ。
間違いないです。
実際、ユウさんもそうだし、僕の周りにいる医者たちもだいたいそうなんですけども、ここも出発点が違って、
本当ですか。
僕だってずーっと一緒だもん。
そうか。
あ、そうか。
二宮さんと。
そうか。
はいはい。
医者になる前どころってか、まあね。
そうですよね。
休学中に知り合って、日本に帰ってきた後に交際始めて、19歳から41歳に、まあ今41歳ですけど、22、23年、ずっと一緒ですから。
動いた。
はいはいはい。
だから、研修医になる時から、もう研修医の時に結婚してるんで。
あ、そうか。はいはい。
研修医になる時から既に、家族をどうしようかは、もう最初から考えてたんですよ。
あー、なるほど。はいはい。
僕も、大学4、5年生の時にこの人と結婚しようと思ってたし、覚えてるでしょ。大学6年生の卒業試験終わった後の、嫁さんの誕生日にプロポーズして、
早っ。
で、研修医で結婚してたんですよ。
早い。
だから、もうそこのスタートも結構変わりますね。
その、嫌味とかじゃなくてね。
嫌味とかそういうんじゃなくたりとか、あるいはつまんない人生だなとか思われるとか、そういう、そういうのじゃなくて。
やっぱなんか、最初のその時から、やっぱもう最初から家族のことはもう考えざるを得ないっていうか。
そうですよね。早いんですよね。
そうなんですよ。
だから、家族のこととか自分のことだけやって、ずっと過ごして、それで夜中一時になっちゃったみたいな感覚は僕はなくて。
なるほどな。
もう嫁さんがいるけれども、嫁さんは支えてくれたから。
あの時、嫁さんも僕も頑張ってたよねって今でも言えるから。
っていう感覚なんですよ。
だから、そのアドバイスもできないし、したら嫌味ったらしいっていうか、先生も決まってたし。
だから、恋愛競争とか婚活史上とかももう最初からドロップアウトしてるみたいな状態からスタートしてるから。
ある意味つまんないんですよ。
確かに。
医者になってから遊んだりとかしてないからね。
超つまんないと思う。
自分の人生嫌だっていうような先生もいらっしゃるかもしれないですけど、結構ね、人様と比較するのを。
僕は人様とか関係なく、自分の軸を持って強く生きていく。
あるいは人の手を借りながら生きていく。
自分本位だけじゃダメ。
家族の妻がいての自分だからとかっていうのをすごい意識しながら生きてきたんで。
だから、あんまり今の若手の先生に、この今後専門にとってはいいと思いますか?とか言ったときに、
最近は軽々しくアドバイスするの難しいなって思ってきちゃってるんですよ。
なるほど。確かにそれで言うとちょっと党部が違いますもんね。
そもそも早い段階で、いろいろ考えないといけない立場にあったというか。
それで言うと、だって自分とかも、今の妻と出会ったのが研修院2年目、3年目ぐらい。
で、結婚したのが5年目、6年目で、子供が生まれたのが7、8ぐらいですね。
多分王道というかね、結構いらっしゃいますよね。
それぐらいの年齢になると、やっぱりそこからより自分のキャリアをかめていける立場でもあるし、
でも一通りできるし、どっちを選ぼうっていうようなスタンスになる先生が多いと思うんですよね。
愛知さんの場合は、多分医者としてある程度道をだんだん極めていくというか、
歩み始める段階で多分お子さんもいただろうし、もっと早いんですよね。
3年4年ぐらい自分が経験したものの3年4年前に全てを経験してるから、
そこのところでやっぱり時点がずれるんでしょうね。
それがいいとは全く思わないです。
別に遊んでなくてつまんないって思われることもあるかもしれないし、
旅が教える人生の教訓
ガムシャラに家族なんて考えなくて、ガムシャラにやってた時期にいいのかよ、一人でみたいなご意見ももっともだと思うし、
どっちがいいとかどっちが悪いとかそういうことは思わないんですけども、
確かに研修院の時から妻はいたし、3年目と5年目で子供生まれてるんで、
だから専門医の試験とか取った時とかはもう子供いるんですよね、2人。
だからそういう風なのを考えると、一般的には相当早いけれども、
そもそもただの早いだけっていうわけじゃなくて、
軸として考えてきた男とも違うところに、
他の方々よりも一般的には早いぐらいのスペースで進んじゃってたから、
医者以外のことが。
だから必然的に医者自体がそんなに重いことというか、
そんな風な考え方で生きてこなかったのかもしれないって、
僕の中ではすっごい考えて専門に取ったりとか、もちろんしてるのはあるんで、
でもちょっと視点が違うのかなっていうのも最近結構思うんですよね。
それはちょっと大きな違いではありそうですよね。
だから一番最初に優さんが死ぬ時後悔しないようにしてるとか、
そういう発想は素晴らしいし、僕もそれをめちゃめちゃ思うし、
すげー尊敬する考え方だし、あれだと思うんですけれども、
でもそういう大雑把なものはお互いに尊敬できるところというか、
参考にすべきところかもしれないけれども、
やっぱりスタート地点が結構違うのか、そもそもの全体像の考え方が違うのか、
やっぱり人様にアドバイスするっていう立場なのかっていうのは、
すごい反省しちゃうようになりましたね。
偉そうにキャリアのこととか語れないなっていうのを優さんの話とか、
他のキャリアのこといっぱいお話されてる方いらっしゃいますんで、
どう思うなあ。
それで言うとやっぱりあれですよね、なんとなく印象として、
藍寿さんの中でそのイザっていうところの軸というか柱が、
そこまで僕と角度はないんだろうなとは思うんですよね。
やっぱり話として聞いてると。
イザでもあり、でもそれよりもやっぱり旅の方がより遠いし、
僕の中だとイザの方がやっぱり一番メインで、
そこに付随するっていう感じになっちゃってるので、
やっぱりそこのところの違いはすごい大きいとは思いますし、
ただそこが違うからこそ自分は結構やっぱり、
自分と違うことをやっぱり藍寿さんやられてるから、
すごい話聞いててやっぱり面白いし、
なんとなくそこに刺激を受けて、
自分の場合はどういうことができるかなっていうふうな発想には
持ってったりはしてるんですけどね。
なるほどね。そう言っていただけるとありがたいですけど、
僕は方から見てると優さんのアドバイスすげえなと思って。
若い子にしてるの。
なんかすげえ現実的だし、
こういうトーンで先生に言われたらめちゃめちゃ響くよなと思って。
俺の話なんて十分旅、旅、旅みたいな。
思ってるだけなんじゃないかなと思うような。
結構ね、やっぱり向き不向きじゃないけど、
医者のキャリアの話をするのは、
僕はあんまり参考にならないんだなって思って。
だからさっきの話に戻りますけど、
優さんとこういう二人で話すみたいな感じでしないと
キャリアの話が難しいのかなと思ったのが一つ。
なるほど、なるほど。
あとは優さんにも言っていただけたし、
他の方にも、他の先生方とか先生じゃない人たちにも言っていただけますけど、
人生のキャリアというか、
人生として考えたときの全体のキャリアはやっぱり面白いって
人様に言っていただけるので。
そういう意味でのお話が組み合わせられたらね、
優さんと僕の話が面白いのかなと思って。
こういうのやりませんかって言って、
僕がナンパしたんですけど、優さま。
そうですね。
最近ね、そう思うんですよ。
キャリアの話してくれませんかっていう風にね、
ありがたいことにお話を頂戴したりとか、
実際に相談に乗ってくださいって相談に乗ったりとかするんですけど、
やっぱり僕の根本には、
旅が自分の人生のすべてを教えてくれたと。
人生に必要なことはすべて旅が教えてくれたっていう。
絶賛発売中ですんで、私の書籍がね。
宣伝入ってきた。
宣伝入ってきた。
超下手くその宣伝。
あれも結構読まれてるみたいじゃないですか。
ありがとうございます。
でも、自分の人生のすべては旅が教えてくれたっていうのはマジで大きい。
じゃないとあのタイトルはつけられない。
アイさんと喋ってて、旅の話に出ないときないですもん。
そうそうそう。そうでしょ。
旅の重要性
そうなんですよ。やっぱりね、ポンポンがそこから入ってるんで。
お医者さんの話ししないで1時間話してくださいって余裕でしょ。
なるほど。
投資の話しないで1時間喋ってくださいって。
今もうほら喋ってるでしょ。
余裕でしょ。
サイドビジネスの話ししないでくださいって。
これも何かビジネスなのかわからないけど、
サイドビジネス話しないでくださいって余裕でしょ。
でもね、家族と旅の話ししないでくださいって言われるとちょっときついかもしれない。
なるほどな。確かに確かに。
旅の話しすると多分嫁が出てくるし。
間違いないですね。
嫁とか家族の話しすると旅が出てくるし。
もうビジネスはやっぱりここで済むって結局ね。
やっぱりその10代で旅に出させてもらった親に感謝してますけど、
やっぱりそういう若い時に、
可愛い子に、我が子には旅させろみたいなこと言いますけども、
本当に嫌がります。
そうですよね。だってそれのおかげで今すごいお医者さんの人生が明らかに変わってるわけじゃないですか。
その経験はすごい。
ビフォーアフターは。
すごいですよね。その経験をさせてあげられてる親御さんっていうのはやっぱすごいなって思います。
本当に。それだけを感謝してる。本当に。
だからやっぱ自分の人生を振り返った時に、
ゆうさんのさっきの後悔してますか?
あるいは人生楽しみましたか?
自分で納得のいく人生でしたか?
満足のいく人生でしたか?みたいなこと聞かれた時に、
そうならないように生きてるってそれはそうなんです。
でもやっぱり18歳で世界一周した時のあれがなければ、
もう全然人生のターニングポイント違うので。
なるほど。
もちろん大学受験でお医者さん、あれじゃなかった、
医学部に受かってお医者さんになるっていうことを決めた時も大きなあれだったし、
中学受験なり高校生の生活楽しかったとか、
男子高校超楽しかったからね。
そういう楽しかったのもベースにあるし、
小学校でスラムダンクにハマってバスケやったとか、
そういうのもあるけれども、
でもやっぱり、
僕はバスケ部でした。
でもやっぱり、
あなたの人生で最もあなたに影響を与えた人物、
出来事、本、書籍とかそういうのも含めて、
何か一つ挙げてくださいって言ったら、
世界一周ですよね。
あれに勝るものはね、
あれの時点は、
それの時点は多分、
子供が生まれた。
なるほど。
が多分次点。
旅の中に奥さんが入っちゃってるから、
そこを分けるの難しいんですけどね。
ただ、いい配偶者に会ったとか、
いい師匠に出会えたっていうのも人生のターニングポイントっておっしゃる方もいらっしゃると思うので、
それを考えると、
もうちょっと、
妻と出会ったのが旅っていうので、
バイアスが入っちゃってるんですけども、
でもやっぱり旅で得られたものっていうか、
旅で感じたこと、
見るもの全てが新しかった、
あの感覚の次に匹敵するものがあったとしたら、
次はやっぱり娘が生まれた時、息子が生まれた時だとか、
それの次が多分医者なんじゃないか。
なるほど、なるほど。
いいですね。
でもそういう経験やっぱり、
自分の子にも差してあげたいなって思いますよね。
改めて話聞いてると。
そうですね。
リオデジャネイロでの事件
異文化を味合わせるというか、
本当に多分ね、
見るものが全てがやっぱり新しくて、
自分が思ってたものとは違う世界が広がってると思うので。
マジでね、
It's a whole new worldだったよ。
はいはいはいはい。
あの、
分かりますかね、
アラジンっていうの、
あれね、
あれの主題歌がIt's a whole new world。
A whole new worldって言うんですけど、
全く新しい世界で、
マジである。
僕の中では。
分かる分かる。
だから、
時代背景とか、
18歳だとか、
自分の人生だとか、
人でよって違うと思いますし、
感じ方は。
例えば自分の息子とか娘が
僕と同じことをやった時に
同じように感じるかって言われると、
多分それはまたちょっと違うのかなって思う時もあるんですよ。
だからちっちゃい頃から
旅好きの親二人に連れて行かれ、
もうすでにアフリカとかまで行ってるような、
ティーネイジャーが、
すごいな。
5、6年後とかに、
世界一周してみて思うことっていうのは、
僕とは絶対違うほどだから、
誰もがその世界一周だりとか、
旅をしろとは僕は全く思わないんですけど、
でも、
興味があったりとか、
やっぱり何か知りたいっていう欲求だとかが
芽生えるんだったら、
ぜひ旅は行ってほしいし、
行かせてあげてほしいと思います。
確かに。
旅が留学だったりとか、
インターナショースクールに入れるとか、
異文化に入れるとか、
そういうのはもちろん、
人それぞれだと思うんですけれども、
いやでも僕は旅1年間で生きて帰ってきたとかね、
すげえ自信になる。
なるほど。
だし、
あの1年があったんだから、
失敗したってどうにかなるっていうのは、
強烈に感じてるので。
そうですよね。
だってバックパッカーで行ってるわけだから、
その行く先でいろんな当然トラブルが起こったりとか、
想定外なことは起こるわけですもんね。
そうですね。
バスジャックとかね。
バスジャック?
バスジャックか。
バスジャックの話はですね、
M3とかでも結構したりとか、
他の公演とか座談会とかの話をさせていただいてるんですけど、
ブラジルのリオデジャネイロにいるバスジャックミスに会ったんですよ。
そうですか。
ちょっとこの話すると脱線して長くなっちゃうんですけど、
リオデジャネイロっていう有名なオリンピックもやった場所があったじゃないですか、
当時は僕行ったときはオリンピックまだ決まってなかったと思うんですけど、
リオデジャネイロって治安良くないんですよ、そもそも。
それはそのつもりで言ってて、夜中とかすんげえ雰囲気悪いんですよ。
そうなんですね。
だからそれは分かってたんですけれども、
ブラジルにサッカー留学をされていた、僕より何個か上当時大学生の日本人の方がいらして、
その人とサンパウロっていうもう一つの大きなブラジルの有名な街ですね、
そっからリオデジャネイロに一緒に移動して、一緒に何日か過ごしてたんですよ。
なるほど。
ブラジル留学してただけあって、片言のポルトガル語はできる、
ブラジルはポルトガル語っていうのを話してるんで、
僕はスペイン語は片言数字とかそういうのは分かりましたけど、
ポルトガル語とちょっと違うので、よく分かんないっていう状態で、
言葉も少し喋ってくれるし、同世代だし、
すごいいい人だったんで、一緒に行動しようかなって行動してた。
リオデジャネイロのヒグダって白昼だった気がするんだけど、
バス乗ってたんですよ。
隣に怪しい兄ちゃんが座ってくるんですよ、僕の隣。
隣?
僕の隣。
僕ね、すげー覚えてるんだけど、バスの後方右側に座ってたんですよ。
いわゆる日本のバスにもあるような、二人掛けのバスみたいな、
三人掛けみたいな、長距離の一番右端に窓際に座ってて、
僕の後ろだったと思うんですけど、日本人のサッカー留学生が座ったんですよ。
なんでそういう配置にしたのかちょっと覚えてないんですけど、
最初あんまり人乗ってなかったんですよね。
その後途中から結構乗ってきて、乗ってきたはいいけれども、
座席は空いてるのに不自然に僕の隣にギュッて座ってくるやつがいて、
僕はもう結構世界一周の最後の方だったんで、
いや、怪しいぞ。
なんかまずいんじゃないっていうのを感じたんですね。
感じました。まじで直感で感じた。
こいつなんかおかしいな。
あのね、そわそわしてるんですよ。
その隣に座った人が。
絶対おかしいと思って。
自分のその左側にちょっと置いてたバッグも自分で抱えて、
すげー覚えてる。
自分で抱えて、こいつなんか怪しいかもしれないから持ってこう。
で、そういう時グルがいたりするんで、
パートナーみたいなやついないかなってばーって見回したんですけど、
後ろの方におばちゃんとお姉ちゃんが座って、
何人か立ってる人がいるっていうような、
めちゃめちゃ混んでるわけじゃなかったけども、
それなりに立ってる人もいたぐらい混んだんですよ。
それを見て、あ、でもなんか、
アイコンタクト取ってるやつがいないなって思って。
でもまあ大丈夫かと思って、
パッと荷物を前に抱えて行ったら、
そのやっぱ怪しい兄ちゃんね、後ろに行ったんですよ。
もうそこからですね。
なんかやっぱりそう、あいつ変だったよ。
絶対俺観光客だと思ったのに気づいたのかどうか知らなかった。
僕一言も喋らなかったんで。
リオデジャネイロとかだとやっぱ、
ブラジルだとアジア人もたくさんいますんで、
あんまり人種で外人とか見分けるの難しいんですよ。
なるほど。
なんか後ろ行ったし、まあいっかって思って、
どっから何分後かだったかちょっと、
ごめんなさい、記憶がさだかってないですけど、
後ろに座ってた若い女の子が、
多分僕と同じぐらいの子が、
うわーって突然言い出して、
うわーって言い出して、
は?って思ったら、
もう周りのブラジル人たちが、
ものすごい勢いで外に出ようとしたんですよ。
おー、なるほど。
逃げようとした。
で、え?何?何?って思って、
一瞬僕もパッて立って、
周りに押されるように逃げようとしたんですけど、
パニックの瞬間
結構後ろの方だったんで、
逃げられないっていうか逃げにくいなと思って、
パッて後ろ向いたら、
怪しいと思った奴がナイフを突きつけて、
女の子をなんかしてたんですよ。
で、首だったかな?
首ぐらいにナイフを突きつけてたんですよ。
で、すげー叫んでたんですよ。
すげー叫んだら、
みんな動くのやめ始めたんですよ。
何叫んでるのかポルトガル語が全く分からないんだけど、
とりあえずなんか言ってるなと思ったら、
なんか普通にバスを乗っとるから、
動くなお前らって言ってる。
ポルトガル語で言ってるっていう。
やべーじゃんって。
ヤバい。
やべーじゃんって言って、
言ってるのにもう後ろで、
ポルトガル語が分かってる日本人の、
名前も忘れちゃったんですけど、彼は、
ヤバいヤバいヤバいヤバいってずっと言ってるんですよ。
ガチなやつ。
もう通訳してよって。
なんか言ってんだけど、パニック。
逃げようとしても、
動くなってすっげー叫んでた。
ヤバいヤバいヤバいって後ろで言ってんすよ。
一番ピークより半分ぐらいは逃げて下りてた。
なるほど。
でも、どうすればいいの?
一瞬静寂になったんですよ。
確かに。
やべーだろって言ってんだけど、
結構叫んでんすよ。
男の子が。
やべーなーって言ってたら、
さらにその後ろに座ってたとか、
いたスーツ姿のおっちゃんが、
僕は宙を舞ったように見えたんですよ。
どういうことかっていうと、
そのスーツのおっちゃんが、
ナイフを持ってる少年を、
少年ってか若い子をガンって引き離して、
背負い投げみたいな感じしたんです。
僕は背負い投げだったのか、
ただ足転がしただけなのか、
ぶん殴ったのか、
もうね、記憶が定かじゃない。
30何年前で。
しかももう後ろでやばいやばいやばいって日本語で言ってた。
すっごい覚えてる。
日本語ですっごい言っちゃう。
やばいやばいやばいやばいって言ってたんですよ。
いやもう少年ってやばいでしょ。
バスジャック未遂の恐怖
それで、
言ってるのになんかね、
見たら宙もあったんですよ。
でも実際には、
今思い返せば、
その後の記憶では、
宙を舞ったように見えただけで、
そのスーツ姿の方の背広が
ブワッてこう流れたみたいな。
要は広がって、
スーツがフワッて広がったから
回転したように見えただけで、
実際はね、背負い投げしてるのか、
倒したのかちょっと分かんないんですけど、
そしたらね、
蝶を鳴いてた女の子が解放されて、
蝶を鳴いてた女の子はそのままね、
足元にギャーとかいって、
そのままなだれたんですけど、
今まで叫んでた男が急に静かになって、
結構一瞬ですよ。
5秒ぐらいだったかなと思って。
静寂になったというか、
その男の人が
背負い投げみたいなことをするまでには
数分あったと思う。
ただ、その背負い投げして、
なんかその人がフワッて言ったんですよ。
そしたら、
なんか言ったなって。
あれ一瞬この単語、
スペイン語でもなんか知ってるぞと思ったら、
もうね、
みんながウワァーって盛り上がり始めて。
はぁ?って。
もう僕はボカーンですよ。
何言ってんだろう。
もうマジで、
当時、
ロナウジーニョーがゴール決めたみたいなぐらい、
ウワァーってなったんですよ。
で、なんか外にいた、
逃げてたやつらも、
ウワァーとか言って。
で、よく見ると、
バスの運転手は逃げてるんですよ。
バスの運転手が外から、
ウワァーとかやって。
何言ってんの。
ウワァーって何言ってんの。
言ったら、
僕が唯一聞き取れたその単語、
ポリスだったんですよ。
つまり、
ポルトガル語できた人に確認したら、
主婦警官。
警察だったんだ。
たまたま。
たまたまだと思うんですよね。
で、もうみんな狂気があったんですよ。
で、もちろんナイフも誰か、
すっごい腹の出たおじさんがね、
ナイフをバンって蹴って、
そう、それで、
ウワァーって言ってみんな降りたんですよ。
で、もちろんお巡りさんが、
その若い男の子を引きずり下ろして、
やったんですけど、
もうね、
すごかったのは、
引きずり下ろしたその男の子をね、
みんな殴ったり蹴ったりする。
マジですか。
要はそんなもう、
制裁を食らわしてるんですよ。
バスジャックとかやりやがって。
結構ね、
おばちゃんとかもね、
買い物袋で殴ってたんですよ。
で、
要はもう、
主婦警官に助けられて、
僕らはみんな助かったんですよ。
で、
ああ、なんかよかった。
やっぱバスジャックだったんだよね。
いや、乗っとるっていう。
なんかその、
ポルトガル語、
僕も得意わけじゃないけれども、
あれはもう乗っとるっていう、
人のものを取るっていう意味合いの、
ポルトガル語だから、
乗っとるって言ってた。
でもそれが助かったんだな、
よかったっすねみたいな。
やばかったやばかった、
マジビビった、
超ビビったみたいなことを喋ってて、
犯人どうなってんだろうと思ったら、
もうみんなタコ殴りにしてるんですよ。
で、タコ殴りにして、
よく見たら、
僕人生で多分最初に見た敬礼。
人間が敬礼してるのはあれ。
横直寛大性敬礼みたいな。
マジっすか。
すごい。
いやもうあれ、
引きずり下ろしてみんなでやる。
すごい。
バスジャックミスいってありまして。
いやちょっとそれインパクトでかすぎますやん。
すごい。
で、もうとりあえず、
僕ら外人だし、
こっから逃れた方がいいと思って。
まあ巻き込まれるより、
そうですね。
もうなんか、
走るようには逃げてないですけど、
旅の教訓と自己成長
とりあえず歩いて逃げたんですよ。
で、
いやマジビビりましたね。
いやもう、
ナイナイさんヤバイヤバイしか言ってなかったですよ。
マジっすかって。
俺もう全く、
もう結構真っ青でしたみたいな。
マジでても真っ青。
すごい色黒の、
ブラジルでサッカー留学した、
サッカー少年みたいにいる人は、
真っ青だったんですよ。
それまで覚えてた。
なのに、
いやもう真っ白になっちゃって、
全く覚えてないですよ。
なんか、
ポリスだっていう言葉にマジ救われましたよ。
あーなるほど。
もう散々10分ぐらい、
歩きながら、
街を歩きながら、
あーだからあのおっちゃん超かっこよかった、
ことを言って、
散々言ってて、
あの最後、
あ、バス代払ってないんじゃない?みたいな。
それはもう、
そういう、
もうバス代、
払ったか払ってないか忘れましたけど、
バス代の話をしたのをすごく覚えてる。
すごく覚えてる、
2人で。
いやーそこ日本人っぽいな、なんか。
それで、
えーと、
その後、
リオデジャネイロの、
あの、
B字って、
あの、
ブラジル人の、
そういう、
19歳の春。
すごい、
いやもう、
そんなインパクト強すぎるわ、
それは。
えっとね、
18、
19歳の誕生日の2日後ぐらいだったと思う。
はいはい。
3日後ぐらいだったかな。
はい。
すごいな。
そういうバスジャックとか、
あとは、
ちょっと話し始めると、
いっぱいマシンガン突きつけられたとか、
なんかもう、
あのー、
ケツから血が出まくって大変だったりとか、
いっぱいやってる。
そういうので、
そういうので、
経験があるから、
まあ、
死にはしないと。
どんなに、
医者人生は。
確かになー。
なんとかなるだろうっていう、
やっぱ、
その攻めの姿勢で人生生きてきたっていうのはあるので、
やっぱり、
旅が全て教えてくれたっていうのは、
繋がっちゃうんですよ。
ちょっと裏ばっかりすぎてますよ。
さて、
今日の異極の外で会いましょう。
もう、
そろそろお開きの時間となりました。
牛先生、
今回もあっという間でしたね。
いやー、
ほんとですね。
楽しい時間あっという間ですね。
ねー。
この番組は皆様からのお便りを大募集しています。
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です。
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どしどしお寄せいただけると嬉しいです。
それでは今回も最後までお付き合いいただき、
本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
またねー。
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