2025-09-24 30:27

3-2 大学1年の春に「自分は面白い経験が足りない」と痛感、休学して世界一周の旅へ

【今回の内容】

国立と私立は受験勉強のコツが全く違う/高3の夏休みに偏差値50から25上がった/高2まで鉄拳しかしてなかった/格ゲー部の部長は東大へ行った/中学の修学旅行はカナダ、高校はニュージーランド/大学でも水泳部部長を務めた/まず興味を持ったのは総合内科/「全身を見たい」という想い/思い返すと、自分めっちゃ流されやすい性格だ 笑/暇だったら部室にたむろしてた大学時代/上には上がいる事に打ちのめされた大学一年/面白い事しないと、と大学1年の春に休学/母親が「人生長いんだから好きな事にしなさい」と後押し

 【出演者】
◯ アイジュ…ハノイ在住 腎臓内科専門医。「大事なことは全て旅が教えてくれた」

https://x.com/aijyunotoushi

◯ ゆー…消化器内科専門医+パーソナルドクター+産業医。「人生は命を賭けた思い出作り」
https://x.com/yu_tayousei

【情報】
◯アイジュ著『人生100年時代を豊かに生きる「外貨 × 投資」戦略』」
https://amzn.to/4orK5di

◯ ゆーブログ「パラレルキャリア推進」
https://ishi-tayousei.com/

 【動画編集】
◯ サトシ…医療podcastプロデューサー。「自己愛から社会愛へ」

https://x.com/yun__yun

【BGM】
◯ MusMus

※ ご意見・ご感想・誤りのご指摘などはぜひ下記からご連絡ください。

https://forms.gle/4YB2BXDtPC9zrfTx5 

サマリー

番組では、内科医のアイジュさんとパーソナルドクターのゆーさんが、自身の経験を通じて医学部での生活や高校時代の出来事を語っています。特に、私立大学と国立大学の生活の違いや、水泳の経験が医療業界における自己肯定感に与える影響についても触れています。大学1年生の春に「自分は面白い経験が足りない」と感じた主人公は、休学して世界一周の旅に出ることを決意します。旅を通じて、大学生活や自己啓発に対する考え方が変わる様子が描かれています。家族のサポートを受けながら、主人公はバックパッカーとしての冒険を選ぶことになります。

医学部生活のスタート
前回からの続きだよ アイジュ
ゆーの 医局の外で会いましょう
こんにちは、ベトナム在住の内科勤務医、投資家ドクターアイジュです。そして、人生は命を懸けた思い出づくり、パーソナルドクター及び産業医として働くゆーです。
この番組は、いつのキャリアって何だろう、人生をもっと豊かにするには、そんなテーマを軸に、お金や家族、そして生き様について、自由気ままに本音で語り合う雑談型ポットキャストです。
そうか元気で入ってもやっぱりそこは能力があったんですよねちゃんとまあねあの国立の先生方 はその私立の大変さというか私立の我々は国立の先生方の頭の良さ知らないとかそういうの
なんかお互いのこうミスマッチあるかもしれないですけど なんか私立の大変さって国立はまた違うので全然ね
そうやっぱ違うんですかね全然違うように勉強 だけじゃないし
いろいろあるでしょなるほどうん確かにとか やっぱ私立でその受験した先生方とかのがわかると思うんですけど
うちの ob に来てほしいとか ob のご子息に来てほしいみたいなのがあるんで 問題とかめちゃくちゃなんですよ
問題もめちゃくちゃになってあのようはその明らかに高校で履修することを超えてる っていう問題を出してきたりとかする学校とかあるんです
だけど対策した過去も解いていれば絶対解けるみたいな そういうことかはいはい
結構ね学校にと特色がかなりあるんですよ だからなるほど僕も途中まで国立
に行こうとか思ったりとかまああの頃当時医学部に入るって結構難しかったから 今はどうか知らないまあそれは多分もっと難しいのかな
あの基本的にほら東大入るように勉強させられてたじゃないですか ああそうですねなんで普通にあの頃の子その国立の問題とかもちろん3つ
だし国立がやってましたけどもなんかこう えっと純粋に頭が良くないと入れないのが国立で頭がひん曲がってたりとか
あのなんかちょっと おかしい風になってないといけないのが私立だった気がしますね
おかしい風になってないといけないなほうが気がしますよ なんかそう率とかね絶対に44つの大門のうち一つはなんか
を高校の教科書に書いてない確率の問題を出す学校とかね ちょっとこだった覚えたいよ
なんか大学によってくせみたいなのがしかも私立だとそれがより顕著に出てたんですよ 延長に出ましたねスピード勝負とか東京以来とかもなんか当時はすごいスピード勝負
だった気がする 問題があるけど多いそうですそうですなんかのえっと僕の高校はね
確か英語が60分なのに120問ぐらい問題があるみたいなそういうなんかそう いやいやいや時間との勝負系みたいな
だったかなんかね学校にやっぱ特色がすごいあったりして なんで変な特色だったりとかするんですよね
そういうのがそういうなるほど やっぱでも国立と私立はそんな系やっぱ違うってことですよね入ってくる層も違うって
ことですね 学費がね学費が全然違いますかそうですねもううちは全然そこはもう
無理そうな系やパケでしたんで まああの別に国立に行けっていうふうにも言われた私立に行けっていうのも言われ
なかったです ただあのなことはなんか壊滅的に古文とかできなかったから
あーこっはいできなかったし 現代文はむしろ得意だったんですよね
大そう僕むしろ何も言われなかったら多分一番得意だったのはやっぱ英語と現代文だっ たと思う
英語もそこで入ってくるんだでも英語はなんかただ勉強者喋るとかそういうのは全然でき なかったですし
はい多分なんか高3の夏休みにすげー勉強したの覚えてるけど やがら偏差値50ぐらいだったら20か25ぐらい上がった
それを覚えてるそんなに上がるんですか短期間ですごいなぁ 高校生の1年生2年生の時って僕ずっとゲームしかしないゲー戦しか行ってない
ああああああ 学までは僕バスケットをずっとやってて
なるほどそうだったんですけど 高校生の時はマジで鉄拳タグトーナメントっていう
あのなんですか鉄拳っていう格闘技 鉄拳はいはい
それの鉄拳タグトーナメントっていうそのシリーズの一つみたいなやつですね それにねドハマりしてね
はいはいぐらいもなんかずっとそれゲー戦とかもハマりまくってたなぁ めっちゃなんか高校生っぽいっすね
いやまじ日曜の朝渋谷会館っていう ゲー戦が50円でできるんですよプレイが渋館だったかな
そういうところに集まったりとか 僕らがよく行ってた学校の近くにあるのはもうUFOっていうゲー戦があって
UFOに十字とかマジでそんな感じだった いやいいっすねなんか青春って感じじゃないですか
青春なのかなぁ ゲー戦っすよ 違う?
青春って 合コンとかのほうが青春なんじゃないのわかんないですけど
こっちからね中目黒で合コンとかしたでしましたね懐かしいなぁ なるほど
でもなんかで高校2年生の冬から高校3年生になってからちょっとやっぱり やばい医学部行こうかなと思って勉強して医学部入ったっていう
ところですね なるほどでもそこである意味本気を出していけるっていうところがやっぱ能力あったってことじゃないですか
いやいやいやいや国立の先生方に比べるともうそんな地頭が全然違うよもうそれだけは間違いないですよ
やっぱね国立の医学部に行かれる先生方とかはやっぱね頭の良さは違う全然そのお勉強の出来方ですね
ちょっとあの言い方失礼ですけど僕の方が賢いなと思う先生はいっぱいいらっしゃいます
だけど今日は絶対かならないよ ああそうかなるほど穴はないかならゆうさんのが絶対全然も変異察知とかも
なも動くんだってべき嫌いだもん まあそうかでも自分も好きじゃなかったけどまぁ
ね余力があったっていうところが良かったのかもしれないですねもうずっと水泳しか やってなかったから
ちょっと勉強も頑張ってみっかみたいなそうですね でも鉄拳タグトーナメントより勉強頑張ったかって言われるとまあさすがに勉強の方が
頑張ったかな そのレベルなゲームもめっちゃやってたらやり込んでたからやもうだって一同
さが何秒ですあの動くとかな120分の3秒で120分の9秒で動くとか全部覚えたもん いやフレーム全然にお宅ですよねそれ
ブーブー言うかもう何かみんな鉄拳同好会です 作って8人9人ぐらいで何かつっ
合宿するんですよえっそう 友達んちと思ってずっと夜中まで4あの朝6時までする鉄拳スター
マジマジマジ部活部活ですね 部長副部長を言ってちなみに部長は灯台きました
いやー いやー
長は灯台って今はもう三井住友銀行で当たられてますね いやー
お偉いさんになってるじゃないですかそれ なんか
すごい懐かしい なんかそれはそんな感じで高校時代過ごしてで医学部入っているところですかね
高校時代の経験
いやーやっ全然違いますねしかもそのその話聞いたことなかったからめっちゃ面白いですね まあその高校の時の間にもね
後のその旅につながる修学旅行とか宇宙やっぱ 中学3年生でカナダ高校1年生の短期留学でまたカナダ
で高2の修学旅行でニュージーランドに行くっていう学校だったので それ学校で行かせてもらえる感じのうん
すごい 中3と高2の修学旅行は多分全員ですね
マジですか 高校1年生の時の夏休みは父親に行かせてほしいって言ったのをすごい覚えて
ます パパにちゃんと言いなさいって母親に言われて
これ行きたいって言ったのはすごい覚えてる それでももう海外デビューしてるんですねそこで一人で留学?
いや修学旅行は中3と高2は修学旅行なので学校全員で行きます
そうか修学旅行 一学年スポーツ選抜クラスっていうのがあったんでそれを除いた200人ぐらいが一学年で
200人AグループとBグループみたいな感じで分かれて100100ぐらいで行った気がする すごいななるほど
そんな感じだった気がしますちょっとごめんなさい詳しいのは同級生たちに聞かないと覚えてないですけどですね
やっぱりそれもきっかけにはなってくるんですか あの中学3年のカナダと高校1年生のビクトリアっていうカナダの
バンクーバーっていう場所の向かい側に島があるんですけどその島に1ヶ月間 短期留学みたいに行くっていうプログラムがあったんですよ
20人ぐらい一緒にいたかな あれはあの間違いなく僕に大きな影響を与えてる
そこってより具体的にどういう影響がそこで与えられることになるんですか
じゃあちょっとその話に行く前に あのユウさんの大学生活聞いていいですかっていうのは僕のこの話です
カビにつながっちゃうから大学生の話になっちゃうんですよね なるほどなるほど
そこで収穫旅行の話もしますんで ユウさんはじゃあ僕ら今大学入りました
スポーツ版の水泳バリバリユウさんと ゲーセンバリバリアイジョ君の
全然違われですけども その名古屋から 愛知県から出られて行かれたじゃないですか
でそこで一人生活も始まって 6年間過ごされたってことですよね
そうですね なんかそこでは水泳とかはやってなかったんですか
水泳やってました
じゃあやっぱりそれも 大学一応6年までは出てましたね そんなでもやっぱりその高校生までのバリバリな感じ
選手コースでやるっていうよりはもうかなり息抜いてっていうか もう余力でやってた感じですね
ただやっぱり本当に小中高である程度がっつりやってたので
そこで培ったものが医学部の中だとやっぱり早かったっていうのはあると思うんですけど
それこそ大学だと西医大に当たるところで試合出てて ある程度決勝の10人とかには全然残れるレベルだったし
大学での挑戦
上位にも入ってた時はあったので なのでやっぱりそこでちょっと気分は良くなるんですよね
上位に自分が入れるっていうのは楽しかったので
自己肯定感がね 高まりますね
で、なので大学もずっと水泳やってたしなので大学4年生の時は部長もやってました
そうなんですね
やってましたやってました
でその永遠のライバル君は西医大決勝で当たるみたいなのなかったんですか
えっと彼は
でも出てましたね しかも彼の学校その水泳部ないんですよ
大学水泳部ないのにもう単独で出てるんですよ
意味がわからない
水泳趣味でもう彼は確か大学からバレエやってたんですけど
水泳もやりたいからって水泳で試合を個人で出てて
西医大とかも一応出てはいたんですよ
まあ余裕でしたよねなんか優勝してました確か
出るたび優勝してて何なんだお前はみたいな
あまり練習できてないんだわーって言いながら優勝かっさらってくるみたいな感じでした
もちろん会場でお会いしたりしたこともあったんですか
ありましたね
お久しぶりみたいな感じで喋ったりはしてましたし
相変わらず早いなーみたいな
あのうちの大学の野球部ですごかった奴がいて
高校の時ずっと陸上部だったのに
休学の決意
大学で野球部やってピッチャーで遠い隊優勝したっていう奴がいたんですよ
そいつが僕後で言いますけど大学1年休学してるんで
入学した時の同級生なんですよそいつ
僕は1年ちょっとだけ高校行ってその後世界放浪出ちゃったんで
1個下で卒業も1個下になるんですけど
まあ会えばため口で喋る同級生みたいな感じの奴が
5年生6年生になると引退一応するじゃないですか
なのにやっぱその先輩がいないと勝てないから
なにやりさん次の試合投げてもらっていいですか?つって
いいよ全然練習してないけど大丈夫
俺肩全然できてないけどいいの?つって言って
前日に何十球か投げ込んだだけで
次の日完封勝利だったっていう
やっぱやばい奴いるなすごいな
遠い隊の1レベリーグだから
全然強いんですよ
周りの強い強豪チーム
ゆうさんのお友達とかと同様
甲子園出てたことあるよみたいな奴とかもいるじゃないですか
いますいます
そんな中を完封勝利っていう奴がいたんですよ
それ思い出しちゃったな
すごいなでもそれと同じ感覚ですよね多分
医学生の変化
人やべえんだよつって
そういうのがいると話題になりますもんね
出てきたみたいな
6年間部活と私生活とやってて
その頃に抱いてたこんなお医者さんになりたいとか
高校生の時に例えばかっこいいなーで入ったじゃないですか
医学生時代ポリクリとかそういうのも含めて
クリクラとかやってるうちに
変わってきた意思観とかあったんですか
そうですね
それで言うと
根本的に変わったのは診療科希望の診療科とかは
多分変わってはいましたね
それで言うと多分自分たちが
その医学部に入ったりとか育っていく中で
国の施策として要は総合内科を育てましょうみたいな
キャンペーン期間あったじゃないですか
今もやってるかなと思うんですけど
多分それの走りぐらいのタイミングだったんですよ
総合内科っていうのが
結構取り上げられてるタイミングだったんで
当初結構その大学入ってから
なんか総合内科にすごい興味があって
だから学生の時は結構その総合内科方面
総合内科っていうものをやろうと思ってて
言われてみたい
でただ結局まあ
勉強してポリクリとか回ったりしていく過程で
いやそもそもそんなカバーするの無理じゃねっていう
現実に徐々にぶつかり
そんな広くカバーできねえよこれってなって
無理やって
無理やってなったんですよね
でその中で最終的に学生の
それこそ大学5年生6年生とかでポリクリで
なんか選択とかあったじゃないですか
他の選択してよりちょっと深く実習する
みたいなところがあったんですけど
そこで選んでたのが今選んだ消化器内科と
小児科でした
で理由としてはやっぱり
広く疾患をカバーできる
消化器内科はもうある意味
口から肛門までで内蔵全部
フォローするみたいな感じじゃないですか
なのでかなりカバー範囲が広い
っていうのがベースにあって
で小児科はもう子供は全部見るじゃないですか
なのでやっぱり医者であるならば
そういう広くカバーして
その患者さんを見ていくっていうのは
なんとなくもうその意識に擦り込まれてたのかな
と思うんですけど
なんで消化器内科と小児科っていうのが最後に
候補には残ってましたね学生の時は
なんか救命救急24時とか医療に憧れたんだったら
超スペシフィックでしょあの人たち
救急と神経
神経でしたよね医療って
心臓の話ですもんね
うちバチスタとかそういう話だよね
ただ当時はやっぱり
そこはあくまで何かっていうよりも
医者はこういうカテゴリー的に
医者はこういう風にかっこいいんだなっていう風に入ってて
大学とかで学ぶにつれて
その多分世間的な流れで総合内科
っていうものがどうやら良さそうだな
っていうのを頭では描いてたんだと思いますね
めちゃめちゃそれ考えると僕
世間的に流されやすいですね
だってボロにテレビの影響を受けて
医者になろうってなってるし
世間的に国の政策で総合内科育てようってなったら
総合内科なんかなみたいなんで流されてるし
面白いなそれ
改めて振り返ると
自分の意思っていうよりも周り
それも面白そうだよねっていうので
結局総合内科から入ってたので
ゆうさんの同級生の先生方は
大学時代のポリクリとかで
選択するとかっていうのもやっぱり
総合的に見れる系が流行りだったとか
特定の科にすごい人気が集中しちゃったとかあったんですか
そこは結構バラバラでしたね
ただどちらかというとやっぱり大学の
医局のカラーみたいなのがあるじゃないですか
何々科はやっぱり先生が優しくて雰囲気がいいとか
あとは場合によっては
大学生活の思い出
何かを選ぶと早く帰れるみたいな
あるあるある
先生たちは早く返してくれるからそっちは選ぶとか
眼科とか
そういった先生の優しさ雰囲気だとか
楽さとかで
選んでた気がしますね
大学だとあるあるが
部活がやりたいから早く解放してくれるところとかね
ありますあります
大学はそんな感じだったかな
学生時代から消化器ないかっていうのはあったんですね
たまにはありましたね
なんで疾患的に
広くカバーできるっていうのを
一番最初興味を持った領域ではあって
後々いったらやっぱり内飾をやってみて面白い
っていうのが加わってはくるんですけど
それはお医者さんになった後の話ですね
そうですね
当時は学問的に広くカバーできるから
消化器ないからっていうのが
校としては残ってたっていう感じですね
学生時代って医学的な活動とかってしました?
例えば僕の言ってるのはボランティアとか
研究会
今の学生さんってすげー真面目だから
海外自主が死にくるじゃないですか
死にくるって俺の発言だ
ああいうのってされました?
よくやってないですね
いらっしゃいました?周りで
ご友人でやってる人は
周りでも正直あんまりいなくて
やっぱり仲良く
つるんでたじゃないですけど
集まってたのはもう
部活のメンバーで
みんなで集まって出かけるとかしてたし
その当時仲良かった人の中には
全然そういう医学系の何か活動してたり
とかはなかったですね
龍さん大学の時って物質にたまるんですか?
そうですね
物質にたまってました
学校って24時間オープンでした?
大学病院と一応学校
いかさんかだったので
つながってないんですよほぼ
同じ敷地内にあるので大学病院の方から回れば大学も行けるみたいな
物質で寝泊まりしてるやつとかいました?
いました
結構そういうのって学校からは別れるじゃないですか
入れなかったとか
うちは入れたとか結構あったり
物質が飲み会の場所になってたとか
そうですね
物質は結構行きましたね
基本暇があったら物質
行けば誰かいたりとか
そこでタムロして何か喋って
びっくりしたい時に限って
怖い先輩いるんだよな
確かに
その学年になってここ訓練みたいな
あれ不思議なもんで大学の先生とかもたまに来たりしますよね
OBの先生が物質に来てとかもあったなと思って
よくないですよねあれね
そう
比較的なんかうちは仲良かったので
なので
本当に先生になった人も来てくれて
一緒にご飯連れてってもらったりとかもありましたね
ポリクリで回るとき必ず挨拶しなきゃいけない
厳しい部だと
授業で先輩が来ると前に座らなきゃいけない
とかありませんでした?
なんかあった気がしますね
前に陣取ってちゃんとやるっていう
イメージラグビー部とか野球部とかが
そうですね
学校によって部活のあれが違ったりすると思うんですけど
懐かしいな
懐かしいですね大学時代
愛知さんはどうだったんですか
大学になると旅に行っちゃうのか
大学入学するじゃないですか
4月行くじゃないですか18歳
医学部入るやつって
みんな面白いんだなって思っちゃって
お勉強ばっかりしてただけじゃなくて
一郎とかして入ってくるやつらって
それこそ優さんみたいに部活を頑張って
1年勉強して入っちゃったとか
剣道3弾4弾です
全国大会も出てました
医学部来ましたみたいな
医学部って上には上がいることを
ちゃんと教えてくれる場じゃないですか
俺鉄拳はやってたけど
バスケ部だったけど
高校の時はやってないし
あの時珍しくて自分がやってたこと
スキューバダイビングのライセンス持ってたとか
12歳でスキューバダイビングのライセンス取ってるんですよ
親父の教育で
そういうことはあっても
大会に出て優勝するとか
例えば今もそうですよ
旅に出るとかそういう旅のスキルとか面白いけど
大会に出るとかそういうのじゃないじゃないですか
競技とかそういうわけ
ナンバーワンを取るとか
将棋とか囲碁とか大会でもいいし
音楽でもいいんですけど
それこそ一芸に引い出てるっていう優さんの
なんとか高校の推薦というか評価点のような
そういうものを自分は全く持ってないなって
思っちゃったんですよ
だけど今から高校生からやれるとか
そういう一芸に引いてるものはできないじゃないですか
昔からやってる人多いですもんね
高校3年生からバイオリン始めたってね
大フィギュアスケートとか無理でしょ
ちょっと厳しいですよねフィギュアとかは
そういうことを考えた時にやっぱり
自分探しの旅の始まり
せめて面白い経験したいなと思うようになっちゃったんですよ
一応部活も
なんとかいろいろ最初新刊パーティーとか
あったりしますけどもそういうのも楽しんでて
ゴールデンウィーク終わった後ぐらいの時に
うわーなんか俺このままじゃダメだなって
急に思ったんですよ
でちょっと学校行くのやめたんですよ変わるかな
旅に行くとかじゃなくてまず行かなくなったんですか
1週間くらい行かなかった
どういう風に気分変わるのかなと思って
でもなんか結構
自分の中で悩んでた時に
なんかとりあえず俺
高校3からもストレートでそのまま入っちゃったし
なんか一浪とか二浪とか
してる人とかがすごいお兄さんとかお姉さんに見えたんですよね
自分もなんか
自分を鍛えるじゃないけど
なんかそういう面白いこと体験した方がいいのかな
って留学したいと思ったんですよ
なるほど留学だったんですね
留学っていうのの理由は何だったかっていうと
そこが高校生の時の経験っていうか中学の時の経験につながってて
中学3年生で行ったカナダとか
高校1年生の交換留学で行ったカナダの
生活が楽しかったんですよ
なるほど
だいぶ辞めることは考えなかった気がするけど
ちょっと外国に行ってみてとかっていうのを
やったらどうなるのかなってちょっと思っちゃった
自分がいたんですよ
いろいろ調べてた時に1週間とかの間にね
ピースボードってあるじゃないですか
あれですよね世界一周のボートのやつ
ああいうの面白いなと思ったんですよ
なるほどなるほど
ピースボードにはもちろん乗らなかったんですけど
でもそのピースボードとかの
ああいう世界中旅するとかいうのもいいのかなって
思い始めて
留学とか考えた時に親に
なんで学校行かないのみたいな家族会議みたいな
ちょっと覚えてないけど
このまま医学部に行っても仕方ないっていうか
乗り続けても仕方ない気がするって言った時に
父親が何つったか全く覚えてない
母親が結構後押ししてくれて
普通に人生長いんだから
好きなことしてらっしゃいみたいな親だったんですよ
なるほど
本当に僕は母親に助けられた
だからその時にピースボードに乗るなり
世界中を旅するなり留学するなりとかっていうのを
自分の中で考えて
結局最終的にどうしてそうなったのか忘れちゃいましたけど
やっぱり一人で何かやらなきゃ俺ダメだなと思って
甘っちょろいんだろうなと思って
結構うち親父が昭和の人だったんで
結構お前は甘いとか
基本的に人格否定から入るようなタイプだったから
なるほど
自己肯定感が低いタイプでは全然なかったし
僕はどちらかというと楽天的な人ではあったけれども
自信はなかったんですよ今考えると
だから多分無我夢中で大人になりたくて
一人で外国行ってみようって思って
バックパッカーを選んだんですよ
すごいなあそこで
あの時日韓ワールドカップがあった年だったんですよ
なるほど
日韓ワールドカップの時は
結構準備しててずっと
海外に行くための準備ですか
そうそう準備してて
語学学校は通わなかった気がする
だけど留学とかも考えてたんで
情報収集を5月6月は結構してたんですよ
なるほど
6月にワールドカップが確かあったんだよね
ワールドカップの途中かワールドカップの決勝が終わった直後くらいから
世界一周し始めた気がする
それは大学1年生
そうです大学1年生です
結局6月1日とか5月31日付けだからちょっと忘れましたけど
話は尽きないところですが今日はここまで
家族の支援と旅の決意
いかがでしたか
最後にお二人からのお知らせです
さて今日の美曲の外で会いましょう
もうそろそろお開きの時間となりました
牛先生今回もあっという間でしたね
この番組は皆様からのお便りを大募集しています
私たちに聞いてみたいこと
番組の感想日常でのちょっとしたお悩み
応援メッセージなどどんなことでも結構です
詳細欄のGoogleフォームや
私たちのエックスのアカウントへの
ダイレクトメッセージでお送りください
ハッシュタグは美曲の外で会いましょうです
皆さんからのお便りが私たちの大きな励みになります
どしどしお寄せいただけると嬉しいです
それでは今回も最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました
ありがとうございました
またね
30:27

コメント

スクロール