00:01
心と体のケア・カフェライブ
はい、ということでやってきました。
今日もね、お願いします。
えーっと、今日は、何日だっけ?
何日だっけ?
あ、11月の8日ですね。
あー、寒いですね。
なんかもう、涼しい通り越しても寒いレベルになってきましたね。
秋どこ行っちゃったんですかね、本当に。
なんか小枯らしい苺を吹いたっていう。
ね、あの、言ってますし。
ほんとにね、うん。
秋、秋が。
あー、じゃあ、こんばんは、お願いします。
ね、秋、秋どこ行っちゃったんだろうね、みたいな話をしてるんですけど、今。
ね、寒、寒くないですか?
いや、大丈夫ですか?
体調これ崩すよなって思うぐらい寒いですけど。
うん。
ね、あの、
まあ、ぜひね、あの、
この、簡単さ。
ね。
はい、ということでやってきました。
あー、やってきました。
あの、職場でしたよね、茶田さんも。
大丈夫でした。
あの、死にそうになってないですか?
インフルの副反応じゃなくて、なんか、その職場ストレスによってなんか。
やられてないですか?
大丈夫です。
それが一番ね、あの、心配ですけど。
僕もなんか、インフルの副作用じゃなくて、
あの、職場に行くストレスの方がすごい強かったんで。
あの、ほんとね。
早く戻ってきて待ってる。
それが一番ね、それが一番プレッシャーなんですよ。
それが一番プレッシャーなんですよ。
言わないで。
そう、それが一番プレッシャーです。
なんで僕はね、もう、とにかくね、誰とも会いたくないと思って。
もう普通の、ただの一患者さんみたいな感じで。
もう、スマホすら触らずに、なんかもう。
ただ、本当になんか、もう本当に調子悪いですみたいなことを演出して帰ってきましたけど。
本当にね、誰にも声かけられずなんとか済みました。
もう、あの。
あれですね。
医療事務の方にね、まず受付で声かけないといけないというところで。
そこですら。
そこですら。
ああ、嫌だな。
なんで、なんで影山がここに。
ああ、名前言っちゃった。
なんでいるんだろうなって思われちゃうとね、嫌だなと思って。
そうですね。
僕もね、遠目でね、会ったりとかしたんですけど。
会ったんで。
王って先輩なんでね。
先輩も多分ね、仕事中なんでそんなにあれだったんですけど。
遠目で会ったんで、まあちょっと王みたいな感じで挨拶するんで。
僕もぺこぺこってやって、それぐらいで済んだんで良かったんですけど。
そう、バッタリ会うとね、最悪ですね、本当に。
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もうね、そう。
何がね、いけないのかって。
そういうね、ちょっとね。
まあ難しいですよね。
あっちも励ましの言葉でね。
来週には来れそう、無理に決まってるじゃないですかって。
そんな簡単にすぐ治るもんじゃねえんだ。
言いたいですね、それは。
ちょっとプロテインタイムに入るのも。
これバカだぞ、うるさい。
簡単じゃないですよ、本当に。
本当に。
時短。
そういう問題じゃないですよ。
それで戻れたらね、そんな悩んでないですからね。
僕はもう、時短で、
なんとかいけるように、今度来週か。
保証するんですけど。
まあそれが一番意外とは思いをしてですね。
ちょっとシャカシャカタイム入ります。
今日はね、ウォーキングだけだったんで、
まあ一応ね、筋肉痛わないので。
一応ね、普段やってることはやります。
いただきまーす。
いいですね。
主治医は私。
主治医結構厳しいですね。
すいません、このいただきますコール。
初めて人がいるときにやりました。
一生一人でやってるんですけど。
結構冷たいな、一生中も。
僕まだなんとか、
先生にはいつも、
どう?って。
そろそろ戻れるような感じ。
気持ち的にはどう?って言われて。
毎回違うの?
そうなの?
そうなんですか。
それじゃああれですね。
結構大きい病院行ってるんですかね。
僕は普通のクリニックなんで。
毎回同じ先生なんで。
それはね、
ちょっとあんま信憑性がないですよね。
違う先生だと。
多分ね、ほぼ
症状ただ聞いて、
ただパソコンとにらめっこしてるような感じなのかなと
思っちゃうんですけどね、そういう先生らも。
多分ね、
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一応僕一回、
復職したことはあるんですけど。
やっぱりね、モヤモヤしてるんですよね。
だいたい僕3ヶ月休んで、
でも確かに調子良かったんですよ。
その3ヶ月目ってのが。
すごい調子が良くて、
普通に動けるようになって。
まぁちょっと、
なんかそう、
行きたかねえなって感じもあったんですけど、
でもね、
やっぱりね、
やっぱりね、
なんかそう、
行きたかねえなって感じもあったんですけど、
お金のためだしなとか思って。
いわゆるモヤモヤしてる感じで行って、
1ヶ月でギブアップしました。
3ヶ月目ですごい調子の良いサイクルになったもの。
はい、OKですOKです。
いいですよ、全然落ちてもらって。
また是非ね、来てください。
ありがとうございました。
全然いいですよ。
皆さんの都合の良いように皆さんは来ていただければ良いと思います。
ただ僕ひたすら1人で30分とりあえず話し続けると。
誰か来たらそういうね、
色々お話を交えながらやっていこうかなと思います。
えーと、そんな感じですね。
僕はそうそう。
なんで、
3ヶ月で一応ね、復職したんですけど、
やっぱりね、なんとなく嫌だなと思ってたんですよ。
また戻るのかと。
そんな気持ちで行ったらね、やっぱりね。
復帰してもう1週間くらいでね、
元の生活サイクルに戻っちゃって。
うつのやばい時の。
やばい時の。
あれで、1週間経ったくらいでもう、
あぁ、寝れない。
朝起きれないっていうのが出てきて。
そんな感じでやってて、
やばい、調子が悪い。
休む時も出てきた。
ついに職場でも症状が出てきてる。
日中でもこんな症状が出てきてる。
やばい、寝れん。
先生に民財増やしてもらったんだけど、
寝れん。
もうダメだってなって、
先生に相談して、
もうこんな感じで先生、まずいですって言って。
じゃあ休もうって言ってもらって、
休んだっていう経緯があるんで。
やっぱり無理しちゃあかんですね、本当に。
どういう基準でやっぱり戻ればいいかって、
僕もよくわかんないんですけど。
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今も正直、
戻れるかって言われるとちょっと戻れない。
気持ち的にやっぱり、
ダメだなっていうところがあって。
実際、
以前のね、
インフルエンザのバクチン打った時ですね。
向かってる時から痛くなるっていう状態で。
この道か。
もうダメだな、俺と思って。
そんな感じで痛んで。
なんかね、どうなんでしょうかね。
難しいですね。
多分戻れないのかなって感じは若干今あるんですけど。
インフルエンザの問診票、書いてる時、
僕手ブルブル増えちゃったの。
心酸が広くて。
もうダメ。
言うこと聞いてってくらい。
こんな今ベラベラ喋ってるんですけど。
家だからこんなに饒舌だというか。
今、リハテツっていう人格を被って喋ってるんで。
リハテツっていう人格なら全然問題ないんですけど。
なんかね、やっぱり
ダメですね。
元々の本来の職場でいる自分ってなると急に
ダメになっちゃう。
もう、何だろうね。
本当にね、
シャットダウンしましたね。
待合室とか、ひたすら一点見つめて
誰も来ないで、誰も声かけないでって感じで。
全てをシャットダウンしてるような感じで。
お会計済んだらサッと帰ってったという。
そんな感じでした。
マジで誰とも話したくねえ。
俺に関わらないでくれっていう。
そんな中、毎週ね。
どうしても僕が時短でね。
制作員は無理ですよ。
時短でなんとか雇ってくださいっていう。
交渉しに行くんですけど。
それが嫌だ。
それが嫌なんですよ。
非常に嫌だ。
どうなんだろうな。
上手くいくのか。
ジョージがそれを飲み込んでくれるのか。
飲み込んでくれるのが一番楽ですよ。
良かったってなって帰れるんですけど。
飲み込んでくれなかった時のことを考えると
本当にどうしようかなって思ってるんで。
もう辞めますって。
心の中ではもう辞めますって言いたいんですけど。
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それをその場で言える権利、権利というか。
ないので、権利。
家族もいるので。
僕一人だけの生活だったら別にいいんですけど。
そうじゃないんで。
家族がいるので。
あんまり安々と辞めますって確かに言えないんですよ。
転職先も見つけないといけないしそうすると。
最悪失業ってやっててなんとかなるんですけどね。
最悪失業ってやってなんとかするんですけど。
とは言ってもやっぱり。
収入があるところがいいなっていうのはやっぱりあります。
オンライン支所の今仕事してるんですけど。
結局それで一本で食っていけるかって言われると
やっぱり難しいんですよね。正直なところ。
そうなんです。
そんな感じで難しいでございます。
だからこそ本当にどうしていこうかっていうところ。
それを決めるっていうところ。
でも行きたくねえんだよな。
これは多分前回より意外と会いたい思いをしながら行くと思います。
これは非常に難しいところでございますので。
うーんとしか言わないんですけど。
どうしましょうかっていうところですね。
どうしましょうしかしか言ってないですけど。
そんな感じで。
頑張ってきます。
そうですね。
何を喋ろうかな今日は。
今日何か喋ろうと思ったことがあるんですけど何か忘れてしまったんですね。
何を喋ろうと思ったんだっけ。
忘れてしまった。
何喋ろうとしたか本当に覚えてないわ。
何だっけな。何を喋ろうとしたっけ。
今日寒いっていう話と。
今日のあんまり言っちゃうとあれかな。
オンライン秘書の仕事の方が。
今日はバタバタしたっていうか。
でも比較的結構楽にできたかな。
あんまり案件がなかったんで。
あんまり案件がないってことはお金が発生しないってことなんで。
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結局案件が発生するってことはしっかりとクライアントさんの一方に注入も入るので。
やっぱりどんどん獲得していきたいというところですけど。
僕が関わった案件でご制約できたこととかもあったりとか。
すごいご丁寧にありがとうございますっていう褒め言葉をいただいたりとかってあったんで。
ちょっとごめんなさいパソコン開きながらなんですけど。
そういうことがあったので非常に嬉しかったです。
人間ね、褒められると嬉しいというか。
僕は特に褒められて嬉しい人間なので。
褒められて伸びる人間なので。
多分承認欲求が異常なんですよね。
人に褒められるのが快感なんですね。
人の役に立つっていうのが本当に好きですし。
喜んでもらうっていうのかな。
そういうのがたまらん好きでございまして。
ちょっと一種の変態性はあると思います。
本当にでも昔からよくよく考えればそうだったかなっていうところはあります。
小学校の頃とか、ちょっとお笑いブームみたいな。
僕らの年だとちょうど小学生ぐらいの時にお笑いブームがあったんですね。
覚えてる人。
今もやってますね。
エンタの神様とか。
笑いの君だったっけな、あの時は。
そういう感じでお笑い番組とかいろいろやってた時期ですかね。
笑う犬の冒険とか。
懐かしいな。
そういうのをやってた時期で。
やっぱりお笑いブームがあって。
そういうお笑い芸人の真似をしたりとかして。
クラスの人を結構笑わせたというか。
別に対して僕、
妖怪じゃないんですけど、陰キャですけど。
でもある意味いじられてやってった部分はあるんですけど。
でもそこでやっぱり笑ってもらうっていうか。
喜んでもらうっていうのが本当にいいなっていうか。
自分の中で面白いなというか。
なんか役に立ってるなみたいな。
今でいうと役に立ってるなとか。
昔は良かったら嬉しいなぐらいだと思うんですけど。
そういう感じでしたね。
考えてみればそう。
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あの頃からそういうことをやってたなと思います。
だいたいいじられるタイプなんで僕は。
人にいじられて、勝手に容赦されて。
いろんなことをやらされるという立場だったので。
それでもそうやってみんなが喜んでもらえると嬉しいっていう部分もあって。
若干いじめ、半分いじめぐらいの時もありましたけど。
そこまで友達に避けられてるってわけではないんで。
ちょっとあれはって思う時もありますけど。
今思うと。
でもやっぱり、
僕、結局将来の仕事を考えてる時も
やっぱり人の役に立つ仕事をしたいっていうのが
よく考えてみればそこがあったんですね。
最初のうちは野球選手、サッカー選手みたいな。
でもやっぱり、
やっぱり、
やっぱり、
やっぱり、
やっぱり、
よく考えてみればそこがあったんですね。
最初のうちは野球選手、サッカー選手みたいな感じであったんですけど。
ある程度やっぱり、
中学生ぐらいとかになって、
だんだんとこの現実ってものが見えてくる段階。
あまり夢ばっかり語ってもなかなかなっていうところに。
僕運動音痴なんで、そもそも。
無理なんですけど、野球選手とか。
どう考えても無理なんですけど。
そういうね、あまり夢物語を言わなくなったぐらいの時からやっぱり、
人の役に立つような仕事をしたいって思ってましたね。
そうですね。
最初はそういう介護職とかっていうのもいいなって思ってました。
人の役に立つっていうとイコールそういう仕事かなって思ったんで。
そういうものもあったりとかして。
やっぱり自分の価値観の中ではそういう人の役に立つっていうことが非常に強いんだろうなっていうのは、
今まで思い返してみてもそれは確信、最近できたんですけど。
そうだな、あとなんだっけな。将来の夢。
たぶんね、人の役に立ちたいっていう、科学者とかって言ってた時もあるんですよね。
結構理科とか好きだったんで。
理科好きでしたね。
理科好きですし、科学館とか結構好きだったんで。
本当にそういう実験系とかね、結構好きでしたし。
でもそれも結局自分の研究が役立って、人の役に立つために科学者をやりたいっていうような思いだったんで。
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やっぱりそこも人の役に立つっていうのが一つなんですよね。
これ繋がりでちょっとごめんなさいね、僕の勝手な将来の夢の話をしますけど、
どうせ聞いてる人はほぼいないと思うので。
とりあえず30分間喋り続けるっていうのが僕の今のミッションですので。
とにかく一人でも喋り続けるというミッションをやっていますので、どうぞよろしくお願いします。
そんな感じで、多分科学者って言った時もあるんですけど、小学校の高学年ぐらいかな、だった気がします。
記憶だと地球温暖化を食い止めるような感じのやりたいみたいな感じの、確か記憶上なんかそんな感じでした。
そういうね、マリカ好きだし、そういうところがいいかなっていうところも言ってました。
で、多分中学ぐらいから福祉の仕事の方がいいかなっていう、やっぱり自分の頭が足りんっていうのは明確にわかったので。
福祉の仕事、福祉系の仕事かなって、介護福祉士みたいな仕事をやっていこうかなって考えてました。
で、そこからですね、自分実際にね、自分も膝の怪我したりとか、祖母もね、ちょっと骨折だったかな、骨折じゃないか。
祖母も膝のね、ちょっと手術をして、いわゆる入院したんですよね。入院してリハビリをやってたんです。
で、やっぱりその祖母の姿を見て、で、うちの母親は看護師なんで、やっぱりそういうね、医療関係のことに関してはすごい情報をたけてるので、
あそこでリハビリしてる時に、あの人はどんな仕事って聞いたら理学療法士だって言われて、
それがね、僕が理学療法士を知るきっかけとなったところなんですね。
やっぱそういう人の役に立つっていう仕事ですよ、思いっきりね。
自分もね、やっぱ怪我したあれもあって、やっぱそういうこの怪我から復帰というか、何かこうね、病気、障害を抱えてからの復帰をするっていうのは、
なんか自分の中でも、ああ、これはいいなと思ってました。
あとは、母親にですね、あんた向いてんじゃないっていう一言が結構背中押されたって感じですね。
結局ですね、理学療法士ってあんまりせかせか患者さんに焦らせちゃいけないですよね、やっぱり。
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患者さんの、ありますけどね、僕らの中でもやっぱりプランがあって、
だいたいこれまでにはこれぐらいの回復があって、あるんで焦るときもありますもん、いまいち効果が出ないと。
でもやっぱり、ドッシリと構えていくというか、体の回復ってやっぱりそんな、なんかすごい右肩上がりに良くなっていくっていうのは滅多ないんで、
徐々に徐々に上がっていくような感じ。
なので、そのやっぱり徐々に上がっていくっていうところをサポートし続けるっていう意味で、
うちの母親はあんたのんびりなんだから、そういうのは向いてるんじゃないって。
要はね、そう、のんびりとじっくりと待ってくれるっていうところだね。
言われて、じゃあ俺向いてるかもみたいな感じで。
人の役に立つ仕事だから、でもやってみたいなって。
やっぱり自分のこともあって、素子のあれがきっかけがあって。
っていうところから、それが中学2年生のときかな、確か。
そっから言い始めてます。
理学両方針になるって。
理学両方針になるっていうんで、先生にも、
じゃあそうすると、大学とか専門学校に行かないといけないから、
高校はそういう新学校に行かないといけないよって言われて。
なので、自分の中ではもうちょっとレベルの低い学校に行く予定だったんですけど、
ヨイショヨイショさせられて、新学校に第一規模になって、
なんとかそれも受かったんですけど。
そっから、途切れることなく、自分は理学両方針になるっていう夢を抱えながら
高校生活をしていったわけで。
高校生活はあんまり花のない生活でした。
どっちかっていうと、僕もよくなかったところなんですけど、
ちょっと嫌われるところがあって。
いわゆる無視をされるというね。
これが僕の中でいじめの中で一番つらいのは無視ですよ。
いじられるほうがいい。
無視って一番つらいよ。
多分ね。
多分ね。わからないですけど。
古しかとされるっていうね。
いない存在に扱われるということもありました。
ちょっと高校はあまり花がなかったですね。
ある一定の部活の仲間とかは優しく接してくれたりとかしてましたけど、
ある一定の時期はちょっとあんまり良くなかった時期がありました。
ですし、無理やり入った学校なんで正直。
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レベルがやっぱりついていかないでございまして、
周りのレベルが高いっていう感じで。
いつもギリギリの低飛行でなんとか無事に3年間を終えまして。
やっぱり医学療法士になるんだったら大学とか専門学校って言われて、
せっかくなら大学行こうよって言われまして。
でもね、大学っていうところになってお金の事情がたくさんありますからね、大学は。
結局ね、親にもね、遠い大学は無理だよって。
ここについているならあれなんですねって。
そんな僕には頭がないでございますので。
なんでね、自分の力で入れる大学っていうところを探してちょうど地元にあったんで、
そこに進学することになっていくわけです。
やっとね、そこから本当に医学療法士っていう夢の第一歩。
医学療法士の卵として成長できるところを選べたっていうところですね。
まあひどかったですけどね、大学生活。
遊んでました。ほぼ遊んでました。
医学療法士になるっていう志はすごい高かったんですけど、
勉強する気は全くなくて。
全然授業受けねえし、授業寝てるし。
なんとなったら僕は家近かったんで結構。
車とか当時は原付きで通ってたんですけど、原付きで15分くらいのところで。
もう最悪ですよ。
本当にね、この授業だりーなと思って途中で帰って。
途中で帰ってまた次の授業を授業に行って、
途中で帰ってまた次の授業の時にもう一回行くとかわけのわかんないことをやってたりとかしたんですけど。
本当にひどかったですね。
まあそんなんでもね、さすがに一番最後の時はどうしてもやっぱり医学療法士になりたいっていう。
国家試験があるんですよ、僕らの医学療法士っていう仕事はね。
国家試験通らないと医学療法士になれないので、
その国家試験だけは必死に頑張りました。
これ落ちたらなれんっていうことで。
大学で一番勉強した時期ですね。
その時期は本当に頑張りました。
本当にね、今でも自分を褒めてあげたいぐらい。
人生で一番勉強したと思います。
一人でひたすら過去も解き続けるっていう。
この分の分厚い過去もというのがあったんですけど。
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それどのぐらいだろう。最低3回通りはやったかな。
3回通りは解くっていう。
地獄のようなことをよくやったなと思いますよ、本当に。
そんな感じでね、無事に医学療法になりましたっていうところで。
そこからもいろいろあるんですけど。
その話ししてると長いですし。
あとはもう30分経ちましたので。
今日はこれぐらいで終わりにしたいと思います。
土日またお休みになりますので。
来週月曜日、火曜日は動画できたらやるぐらいですかね。
ちょっと旅に出まして。
もしかしたらちょっと気まぐれでやるかもしれないですけど。
やらないかもしれないというところで。
ちょっとそこはわかんないです。
そんな感じでちょっとゆるーくやっていこうかなと思います。
また何かあったらお知らせしますのでよろしくお願いします。
それでは最後までお聞きいただきありがとうございました。