僕らは2人で話すのが基本ベースで、仲の良い2人なんで、
適当に話すことが多いと思いますけど、
ゲストを呼んだりとか、リスナーが集まってくれるようなコミュニティを作りたいよね、
というふうに今妄想しています。
だんだん話がそれて、あさっての方向に行っちゃっても、
お付き合いいただければなと思います。
国語は異曲じゃないし、自由にやっていきましょう。
これ、スペースで我々今までやらせてもらっていて、
このスペースからポッドキャストに移させてもらおうかという話をさせてもらったときに、
2人で何を話そうかっていう、第1回に何話そうかみたいな話もしてたじゃないですか。
どんな話も。
第1回どんな話するかみたいな話を、どうやってまとまったかちょっと忘れちゃったんですけど、
人生の軸は何かっていう話題したの覚えてます?
覚えてます、覚えてます、それは。
多分、人生の軸って何っていう話になったときに、
多分ですけど、僕の中では軸があったりとか、自分の括弧たるものがちゃんとある人っていうのが強くて、
逆にそういう括弧たるものがない人は変化に弱いってすごく思ってるよね。
はいはい。
リスクを取る、というか取りたがる人は、取ってもいいと思う人はこの軸がすごく定まっていて、
逆にリスクを取りたがらない人はこの軸が定まってないなって僕はいつも感じてるんです。
何ができるかとかじゃなくて何をするかっていうのが問題で、最近だと直尾。
直尾ね、はい。
直尾も今の直尾の多分問題点っていうか、直尾っていう言葉には僕多分消極的にその選択をするっていう直尾っていう言葉が含まれてると思う。
どういうことかっていうと、なんか自分はこうありたいとか、こういうお医者さんでありたいとかこういう人でありたいとかっていうことじゃなくて、
今の環境が怖いから、今の環境がやばいから、このままだとやばいから、仕方ないから、あるいは逃げて直尾になろうぜみたいな。
僕の中では消極的直尾って言うんですかね。
そういう意味合いが直尾っていうのが含まれていて、多分直尾の中には積極的直尾もいるはずなんですね。
間違いないです。
だけどそれが、全部がひとまとめになって直尾っていうのが悪いことが考えちゃってるなっていうのがやっぱり僕の中ではあると思うんですよね。
はいはいはい。確かにそうですね。
そうそうでしょ。
人生の軸っていうのを考えていた時に、僕らの軸のは何なんだっけっていう話をさせてもらったじゃないですか。
うん、確かに。
優さんは人生の軸っていうか、俺の中でこれを僕がいくつか優という人間がいて、柱があるんだって言った時に、どんな柱を意識して行動してるというか、人生を暮らしてるんですか。
そうですね。
自分が今意識してるのは、とりあえず真として大きくあるのは、死ぬ時に後悔しない生き方。
かっこいい。
もう本当に全てはそこに執着するというか、いざ自分が死にそうになった時に、あれもやってなかった、これもやってなかった、ああしたらよかった、こうしたらよかったっていうのが、できるだけ少ない状態で死にたいっていうのが一番の軸になってますね。
なので、ちょっとでも興味があったりとか、これ面白いんじゃないって思ったことには、結構踏みつっこんだりとか、ちょっと変わってみるっていうのを、よく最近はしてるかなと思いますね。
でも、この生き方がちゃんとできるようになったのは、ある意味、自分も遺徳を外れてからっていうところが大きい気はしますね。
人生後悔しない生き方って、スティーブ・ジョブスが有名ですよね、その発言したのね。あれ違ったっけ?
確か、でもそうだった気がします。どこで見たか覚えてないんだな。
確か、朝起きて顔を洗って鏡を見て、今日自分後悔したいとか、今日より明日の方がいいみたいな、ちょっとごめんなさい、詳しいニュアンス忘れちゃいましたけど、
常に後悔しないというか、今死ねるかみたいなことを考えて意識してるっていうのを言われてたんですよね、あの人は。
そう、確か。そういう考え方ってめちゃくちゃかっこいいし、やっぱすげーなと思うんですけど、
なんかそれは、ゆうさんの場合は医者としてっていうことじゃなくて、人生としてもそういうのを意識してるんですか?
それとも、やっぱり医者として考えるときにそういうのを意識してるんですか?
あー、でもそれはどちらかというと、今は医者としてもそうですし、でももう人生としてそうしたいっていう風な形で今は考えてますかね。
なので、当然医者としての働き方も後悔しないような働き方をしていけるようにっていうのはあるんですけど、
医者もありつつ結局、人生の中で医者の部分っていうのが後悔ないようにっていう意味でやってますね、主に。
なので、そこのところで家族との関わりだったりとか、そういったのも人生の一つ、もちろん大事な要素なので、そこのところで後悔しないためにはどうしたらいいかっていうのは考えて行動してますし、
その結果として僕も結構本当にある程度、期間が休み取れたらどっか旅行行ったりだとか、ある意味思い出作りみたいなところに最近走ることが多いなっていうふうには自分で思いますね。
でもそういう考え方ができるようになったのって、時間ができたからっていうのは大きいんですか?
おっしゃる通りで、それは大きいと思いますね。
やっぱり、消化器内科医としてバリバリ、ある意味公立病院だったりとか、そういうところで最前線で働いてたときって、
なんですかね、プライベートよりも何より優先すべきことが仕事でずっと働いてたので、そこに家族っていうものがなかなか正直入り込む余地がなかったというか、
もうそっちだけで要はリソース全部割かれてたので、そっちまで余裕がなかったっていうのが正直なところなんだろうなと思いますね。
で、そのタイミングで自分にとっては子供が生まれたっていうライフイベントがあって、ちょっと人生を考え直すきっかけになって、
仕事ばっかの人生って果たして自分にとっていい人生だったっていうふうに言えるのかっていうのを思って、結局異極を辞めるっていう選択肢を選んだんですけど。
誰もがたぶん一度は考える。少なくともご結婚を考えたりとかお子さんを考えたりするときには皆さんたぶん同じようなことを経験されるとか思うとかってことですよね、きっとね。
間違いないですね。そこでね、どういう道を選ぶか、そこでもより仕事というか意思の道をより極めたいっていう人も当然いるだろうし、
自分の場合はたまたまそれが家族だったり子供っていうところにリソースをもっと割きたいと思ったから、仕事のところをよりちょっとリソースを割かないような形の働き方を選んだっていうのが、大きな分岐点にはなったなとは今では思いますかね。
確かにね。仕事のほうが優先すんだっていう人だっていますからね。
うん、全然それでなんだろう、やっぱりそこを極めて自分で満足できるんだったらそれが全然いいと思うんですよね。
確かにね。
学者気質とか教職気質とかね。
めっちゃかっこいいと思うんですよね。
昭和だけどね、それ。
本当にそれはそうですよね。もうバリバリの仕事っていうのは昭和期だとは思うんですけど。
でも、なんだろう、医者でやっぱり仕事極めてる人って、いまだにかっこいいなって思いますしね、自分は。
なんか自分にはなれなかった世界というか、そういう意志堂になるので。
この前ゆうさんがキャリアのことについて、僕と直接じゃなくてね、お話しされてたの、聞いてた時に、専門医取るべきかみたいな、僕とも話したことありますけれども。
ありますね。
そうそう、ああいうので専門医取っておいた方がいいよとか、僕ももちろん専門医取っておいた方がいい派なんですけれども、
ああいう話をする時に、やっぱりできるとかバリバリやってるお医者さんを自分たちも見て座ったからそうやって感じるのか、それとも実理的に専門医あった方がいいっていう風に感じるのか。
多分いろいろ参考にされてるとか参考にしたそうな先生がたくさんゆうさんの話を聞いたっていうのを見る機会があったので、
思ってたんですけども、なんかどっちなんですかね、なんかほらやっぱ僕らはもう専門医だからバイアスがある。
そうですね。
だからその専門医問題、非専門医問題とかっていうのもそうだし、それで必ずキャリアの中で出てくる話だけども。
そうですね。
僕の中では人生のもう本当、医者の一部分だから人生の本当一部分にしか過ぎないっていう風に思うけれども、でもやっぱりそれでも医者の中で大きな割合を占めるというか、大きな議論の的になるのは間違いないじゃないですか。
間違いないですね。
で、その時にゆうさんとか、僕も多分その世代だけれども、まだ超バリバリやってる人たちを見てる世代だと思うんですよね。
僕らの上の先生方とかはもっとすごいのを見てて。
薄まったとはいえ、やっぱり研修院の時とか家全然買えなかったみたいな世代じゃないですか、我々ってまだ。
そうですね。
だからそういうのを見てかっこいいと思ったから専門医も進めちゃうっていうバイアスがあるのか。
それともいや、冷静に考えてやっぱり専門医雇った方がいいでしょっていうものなのか。
どう思います、それ。
難しいですね、それ考えると。
でも僕がそれこそ初期研修先の病院を選んだ時の理由としては、実はその初期研修の時に、病院見学行くじゃないですか。
そこで働いてる先生がやっぱりすごいできた3年目の先生だったんですよ。
今でも覚えてるんですけど。
3年目なのに、すごいもう主治医で患者見てて、バリバリ管理してて、主義もやってっていう姿を見て、僕はその病院に実は行ったんです。
なのでもう完全に医師としてはこういう在り方が美しいっていう像を描いていってると思うんですよね。
もうそもそも入り口で。
なのでもうそこの道でそういう病院で自分は働いてたので、周りもそういう人間しか正直いなかったんですよ。
もう今の緩い感じじゃ正直ないです。
もうみんながそれぞれ結構バリバリ働くし、いろんな種類身につけたい、管理もバリバリやっていくっていう。
話脱線するかもしれないけど、めちゃめちゃ僕らが研修院とかって、患者さんの取り合いじゃないけど症例の取り合いみたいなの、あれって今ないのかな?
ありますよね絶対バリバリやってる研修病院だったら。絶対あるよね。
ありましたね。
大学病院にいてもやっぱりどれ見るどれ見たいとかって、この患者さんとかこの症例体験したい人とか経験してみたい人みたいな全員手挙げちゃって。
ちょっと不穏な空気流れるみたいなのってあるじゃないですか。
いやありますあります。
ああいうのっていうのはやっぱり今のトレンドとは違うのかな?
ちょっとそこら辺が今も大学校離れちゃってるし、僕は国を離れてしまってるからちょっとわかんないんですけど。
ちょっとなんかその、自分もなかなか若い世代の先生とそこまで深く関わる機会ないんで、わからないんですけど。
やっぱりちょっと雰囲気は明らかにその研修医の雰囲気というか若い先生の雰囲気自体は変わってるっていう風にはするので。
自分が消化器内科医として専門を選んで、僕の同期、自分合わせて3人消化器内科医を選んだんですね。
16人中3人選んで、消化器内科医って就業を身につけないと話にならないんで、
長年取り合いなんですよ。だからずっと通し室のところで大腸とかもやってる病院だったんで。
なるほどなるほど。
いかに病棟業務やら外来を早く終わらせて、そこに座る。
なるほどね。獲物待ってるのね。
そうです。
で、だいたい本当に上の先生とかがある程度件数さばきます。
じゃあ最後1、2件ちょっと時間でくるよねって余裕ができてきた時にやるっていう風に声を、それこそ大腸カメラとかにかけられたりするので、もうそれ待ちですよね。
なるほどね。
そういうある意味ちょっと古い時代の言い方を。
古い時代かもしれないし、我々が結構、僕も大学病院出身なのでね、ある程度やるっていう。
でもうちはバリバリの超名だたる病院のぐらいやる気あった方ってそういうわけではなかったと思うんですけど、でもやっぱ患者さんの取り合いって、患者さんの取り合いって言い方失礼ですね。
招兵の取り合いね。
そう、になってたし、今ゆうさんの話聞いてて、3年目の病棟をやり始めてる時の入局したての先生とか超かっこいいっすよね。
やっぱかっこよかったですね。
学生とか研修医と3、4年目あたりが付き合うとか恋に落ちるみたいなのよくあるでしょ。
すげーわかりますもんね。
だって患者のように見えましたもん、当時。
見える。で、自分が研修医の時もすげー神様に見えたけど、自分がその立場になったら、こういう感じで見てたんだ俺って思いますもんね。
もうなんてことないんですよね。
そう、なんてことない。今考えればもう。
だからやっぱり、1、4とか3個上とか5個上ぐらいまでってちょっと手の届きそうなスーパードクターたちっていう感じじゃないですか。
何年後かに俺こうなれんのかなっていうのドキドキする世代って3年後ぐらいでしょ。
間違いないですよね。
だからそこら辺の子たちって多分お互いに教えたり教えられたりとかってできる気がするんですよね。
あーなるほどなるほど。
僕らぐらいがもう15年超えちゃってるとか15年前後ぐらいとかになっちゃうと、今の3年目のことがやっぱ教えるの大変じゃないですか。
主義を教えるのも、いやこれこうやればいいんだよこう。
ああやってこうみたいな中島修行みたいになると思うし、僕もその腎臓内科として喋る時に、このデータ見たらこうでしょみたいな。
その元々の知識がないとかいう差が出てくるような気がするので、なかなか後輩を教えるって大変なんだよなっていうふうな思いとともに、
あの研修とか学生の時の3年目4年目ってスーパーかっこよかったなって思うんですよね。
そうですよね。だって未だにやっぱその初期研修の時の病院見学でのその姿ってのを覚えてるわけなんで僕も。
よっぽどインパクトを残ってるんだろうなと思いますね。
なんでこのね、その専門医非専門医の話とか、その人生の軸、医者としての人生の軸ですか、とかみたいな話を聞くときに聞いたかというとですね、
これYuuさんと話しててももちろんそうだし、僕他の方と話してても、必ずその話になるじゃないですか、専門医とか。
まあそうですよね。
でもなんかね常に僕ちょっと違うなと思ってることが1個あって、
でね、この間そのYuuの話を見てた時だとかかも思ったんですけども、
このね、結構僕人生の軸ってお医者さんっていうのはもう医者っていうまとめた軸としてしか持ってなくて、割と。
なんか他、旅のこと。
僕18で世界一周してますんで、旅、それで家族、奥さん、旅仲間ですね。
で、投資とかビジネスとか。
今だったらベトナム外国にいるっていうこと。
その軸が何個かあるって言われた時に、
例えば今お医者さんのキャリアの話をするときって、
多分専門あるいは総合診療みたいなそういう、
科のこと、それから産業医、それから訪問診療、パーソナルドクターとかもそうだし、
ライティングだとか、その医療関係のお仕事。
っていうのが軸にして話されることが多いと思うんですよ。
まあ確かにそうですね。
で、そこに多分不動産とか、人によってはビットコインとか、人によっては株とか入ってくるかもしれないけども、
やっぱ医者の中のパラレルキャリアみたいなのがとても話題じゃないですか。
優さんもこの間他のところでね、講演されてたんだけども、
そういうパラレルキャリアっていうのを考えた時に、
俺なんで医者は医者だけなんだろうって、
結構自分の中で不思議に思ってたんですけど、
ちょっと自分の中で整理してて思ったことがあってですね、
まず僕自身、人生の軸で最も大事にしていることは、
前これ優さんにもお伝えしたんですけど、
僕18歳で世界一周していて、
その時世界をこの目で見て、
その時に見たものすべてが、見えているすべてが新しかったんですよね。
世界中って時。
で、例えば日本の外に出て、
まあ日本人の方が一番想像しやすい外国って言ってもハワイとかだと思うんで、
そういうところに行く、あるいは韓国みたいなところに行くとか、
もちろんそれも新しいと思うんです、初めて行くと。
だから20年前、イラク攻撃直前、911直後とかの世界を僕が放浪してたんで、
アラブの世界とか、超危ないテロ組織の国とかいうイメージだったのが、
もう全然違ったんですよ、言った時。
もう超アラビアンナイトだし、
人々はかなり人懐っこいし、ちょっとしつこいぐらい。
とても親日的だし、
エジプトとか特に親日的でした。
親日的な理由の一つはお金を落としてくれるかっていうのはあったと思いますんで、
当時の日本は世界有数の経済大国ですからね、
そのイメージが強かったと思うので、それはあるかもしれませんけれども、
やっぱり報道されてることとか、誰かに聞かされたこととか全然違ったんですよね。
なるほど。
ヨーロッパも違った。もちろん北米も違う。
だけど北米は行ったこともあったし、
カナダに短期留学してたこともあったし、
母親がカルフォルニア育ちだったとかいうこともあるんで、
なんとなく話はあったし、イメージがあったんだけども、
ヨーロッパ行って全然違ったし、アラブ行って全然違ったし、
南米行って全然違った。
世界はなんて素晴らしい、なんて新しいんだっていう、
見たもの全てが新しかった、あの感動を人生でもう一度感じたいっていうのを、
僕の人生の軸なんですよ。
なるほど、なるほど。
その軸を感じ取ったとか形成した中に、
嫁さんとの出会いっていうのがあったんですよ。
全然旅してる中で、人生で見るもの全てが新しいっていうこの感覚、
俺すげーなと思って思いながら途中から旅してたんですけども、
その途中で女の人に会って、日本帰ってきて付き合うようになって、
その人と結婚するんですけども、
そうなると必然的に旅と家族とかっていうのが複雑に絡み合ってるので、
そうですね。
最初から軸として、やっぱり旅だとか家族だとか、
旅をあげれば嫁さんが出てくるし、
家族をあげれば旅が出てくるしっていうような関係で始まってしまったんで、
旅がベースなんですよ、自分の人生の中で。
旅の素晴らしさを自分でまた感じたいし、
そして人に押し付けるわけじゃないけれども、
旅で得られるものってめちゃめちゃ多いんだよっていうことを人に伝えたいっていうのが、
僕は根底にあるんですよね。
僕はこの根底があるから、
人生の軸がいろいろ、
医者として、旅人として、家族として、
家族というか妻と一緒にね、
その後子供ができたんで家族になりますけども、
他のことっていう、
その他のことっていうのをどんどん増やしていくことで、
自分の人生の軸をどんどん増やしていこうっていうふうに考えてきたんですね。
だから、お医者さんっていう軸が、
すごい、お医者さんの中のパラレルはキャリアじゃなくて、
お医者さんはお医者さんだと思って見ちゃってるから、
こういう話をするときに、
僕なんかはやっぱり基本的にその人生で一番影響を与えてるのは、
やっぱり医者っていうその立場になったことが、
やっぱり今の人生を明らかに形作ってるものなので、
そこが一番やっぱり役割としては大きいんですけど、
藍寿さんの場合それが旅なんでしょうね。
そうですそうです。
だから旅だからそれが大きな根本的な軸。
だから医者であればいいんですよね。
別にそこは腎臓内科だろうが、消化器内科だろうが、
そこはもうどうでもいいっていうのもおかしいけど、
ちょっと細かいことになってて、
よりもっと俯瞰的なところで言うと、
医者である自分だって、でも旅人であってっていう括りが大きい。
自分とかは医者の中でどういう生き方をしていくかっていうのが、
やっぱり医者っていうものが何ですかね、ベースにあるから、
より細かくそこからなっていくっていう形なのかなと思いますね。
だからこそですね、キャリアのパラレルキャリアとかね、
いろいろキャリア、医者のキャリア、
ユウさんの方がたくさんの学生さんなり、たくさんの若手なり研修医なから、
質問される内容がとっても現実的だし、
そしてユウさんのお答えもまたこれが、
すごい現実味帯びて回答されてるっていう印象がある。
これね、この前ユウさんがやってらっしゃるやりとりを、
先生がね、どなたかご質問されて、ユウさんが答えてみて、
やっぱりなんか説得力あるというか、
同じ目線で見てくれる先生っていうイメージです。
僕、質問してる立場だったら超いいなと。
逆に、じゃあ俺はどうなの?ってなると、
たぶんなんか、医者はやりたいことやれば、みたいな、
なんか仲間、ちょっと考えてるポイントが違うのかなって、
ちょっとね、思ったんですよ。
だから僕は、同じようなそういうパラレルキャリアの話を先生に話した時に、
飛んでくる質問って、それめっちゃ面白いですよね。
一つのストーリーとしてお話し聞かせてもらいたいです、みたいな質問。
なるほど、なるほど。
で、ユウさんは超現実的に、メンターになってくださいって言いながら。
なるほど、なるほど。
それに近いような感じでしたね。
もちろんユウさんに限らず、他の先生方もそうなんですけども、
どちらかというと僕やってることとかは、ぶっ飛んでるというよりは、
最初のスタート地点から違うっていう感じがして。
そうですね。
だから、僕こういうキャリアの話とかする時、一人じゃ絶対無理だと思うんですよ。
なるほど、なるほど。そうか。
なんでかっていうと、こういうユウさんみたいに、
より同じような悩みを抱えている人というか、
同じような悩みの考え方を持っている方っていうのが、
医者がほとんどだと思うんですけど、
僕は最初から、医者よりも別のことが軸になっちゃって、
医者になった後のこととか、別に後回しでいい。
後は後で考えればいいじゃん。
それは最初、医者になる前から、
僕の軸としてあるところの上にくっついてきただけだからっていう発想なんで、
結構、いい意味でも悪い意味でも、
僕が変とか、普通の方が遅いとか、そういうことじゃなくて、
最初の初期の考え方がちょっと違うっていうのに、
最近すごい痛感します。
なるほど。ちょっと見てる視点が違うから、
食い違うところありそうですよね。それで言うと。
そうなんですよ。
相手さんが話してることと、
ちょっと向こうが求めてることが違ったりとか。
そうそうそうなんですよ。
僕、聞かれてる先生ももちろん悪気はないし、
僕はもう別に聞かれたから答えてるだけなんですけどね。
でも多分、最初のスタートから、変なところからスタートしてるんですよ。
スタート地点が違うんですね。
りゅうさんは多分スタートラインにあるいはスタートライン周辺から出発されてる。
話は尽きないところですが、今日はここまで。