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こんにちは。今日はね、ちょっと雨なので、雨の日はずっと家にこもって、ゆっくりしておかなと思うんですけど、
まあ、たまってる本がたくさんあるんで、それちょっと読んでいきたいなって思うんですけど、
最近ね、母と話すようになって、
母はね、まあ恒例で、家でね、ゆっくりと過ごしていて、
お金はなくても塗り絵っていう趣味があって、家でね、塗り絵をしながらテレビを見て、自分でご飯も作れるし、
なんかそうやって穏やかに暮らしてるんですよ。で、私が、その母が、今日塗り絵して楽しかったわーとか、
美味しいご飯食べて、すごく幸せやわーっていう言葉を聞くたびに、
ものすごく安心するんですよね。誰から言われるよりかは。
で、こう別に素直に、あ、よかったなーと思って、そう安心できると思ったんですけど、ふとね、さっき思ったら、
そんな言葉を小さい頃書いてもらってなかったなと思って、
なんでもっと早く言ってくれなかったんだろうと思うけど、まあいろんなことを経験したから言える言葉なんだろうなって、
80前になってやっと書いて、それまでどんだけ不幸を作ってきたんやって思うんですけど、
私自身も同じで、それは、やっぱりこう、いやこう、ねーこう、
受け継いでいくというか、というのは何が言いたいかというとね、あの小さい頃ね、あの、
本当に不幸を絵に描いたような家庭で、貧乏、
父親がお酒を飲んで暴れて母親を殴るとか、借金があるとか働かないとか、
ぐちゃぐちゃのそういう不幸な家庭だったので、
親がいつも喧嘩している、家に帰りたくない、もう私こんな家庭嫌だみたいな、
そういう家庭だったんですよね。それをね、まあ私はすごいトラウマに思っていて、
私はそんな家庭で生まれたからかわいそうなんだ、みたいに思ってたんでしょうね。
そうやってこう自分でまた物語を作って、悲劇の広いになってたのかなって思いますね。
その時は本当に悲しくてどうしたらいいかを子供の時はわからなかったんですけどね、
悲しみという苦しみというものを味わった幼少時代だったなと思って、
そういう現実から目を背けたくて本の世界に没頭したんだろうなと思うんですけど、
私に当たられたものは祖父母からもらった本だったんですよ。
やっぱりそんな親の喧嘩とか見たくないし、
おじいちゃんおばあちゃんが買ってくれる本を喜んで読んで、
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自分の部屋で一人でその本の世界に没頭してたんですね。
でもね、よかったなと思って本があって、
そんな親となんて向き合えないし、その親だってまだ若かったから、
子供に愛情を向けて育てるとかができなかったんでしょうね。
だからね、子供なりに私はね、逃げ場を作ってたちゃんと本という、読書というね。
それが後にこうやって読書好きになり、一人で過ごす時間を楽しめて、
本を出版することもできて作家になれたということに結びついたから、
なんかこう全てがね、無駄ではないというか繋がったなって思うんですよね。
そしてね、親のせいにしてトラウマに思ってた、
私が人生うまくいかないのは親の環境が悪かったんだとか、
全部親のせいにしてたところもあったんですけど、
そういう恨んでた時期があり、大人になって30越えて20年間絶縁してた時期っていうのがあり、
私はもう親から愛されてないんだ、家族とはもう無縁なんだと。
ちょっとやさぶれてた時期があったんですよね。
その間にもいろんな自分の人生を生きていろいろあったんですけども、
そこを経て会社員というね、組織の中で生きるということも学び、
そして結婚ということも学び、子育てというのはできなかったんですけど、
子供はいなかったので、子育て以外のいろんな経験をしてきて、
現在にいたり会社を辞めてね、自営業をして、
サロン開き、本を出版し、自分の好きなことをしているという中で、
去年母と再会して、いろいろね、自分が経験を経た苦労を乗り越えてきた上で、
母は母でいろいろね、親の介護とかを経て、そして再会して今ですね、
その穏やかに暮らしているんです、お互い。
もう嫌やわと、あんな不幸な世界は。
でもご飯がおいしい、炊きたてのご飯がおいしいとか、コーヒーおいしいねとか、
やっとそこでね、今ある当たり前のものに感謝できるようになったんですよ。
やっとこの歳になって。
だからあの昔、不幸な世界にいる時はご飯の味とか覚えてないですもんね。
そんないちいち、ああ今日おいしかった、ありがとうなんて思ってもいないし、その時は。
ただただ嫌だ嫌だ、不幸だ、逃げ出したいしか思ってなかったんでね。
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だからね、何が言いたいかというと、
そういう余裕のない世界にいると、今あるありがたみに気づけないんですよね。
健康であったし、おいしいものも食べてたのにね、
そのことに気づけなかったという、それが不幸だったんですよね。
今は特に何もないけど、別に高収入でもなければ、若くもないし、
めちゃくちゃなんかステータスがどうのっていうわけでもないけど、
でも誰に何と言われようがものすごく心穏やかで心地よくて、
幸せっていうのを感じれる状況になったんですよね。
それがすごいありがたいなと思います。
これが幸せなのかなっていう。
大好きな犬を飼えて、愛犬と一緒にまったりしている時間、
大好きな本を逃げるために読むんじゃなくて、
やっと今この年になって楽しむために読む読書ができるようになった時に、
また全然違うんですよね、見える世界が。
子供の時に読んだ文学小説もまた今読みたいなと思います。
私結構竹取物語とか二郎物語とか、そういうの出たでしょ、子供の時。
すごいですよね。何を思って読んでたのか。
今見たら多分違うでしょうね、見える世界は。
だからそういうのもしたくて、
今日もちょっと用事があって、電話したら母に、
塗り絵をしてゆっくり過ごしてたよって、すごい明るく笑ってたんですよ。
それってものすごく幸せなことじゃないと思って。
自分の親が穏やかに幸せに暮らしていると、
もうこれ以上の幸せはないですよね。
子供の娘の私からしたらよかったって、
病気でもないし、いがみ合ってるわけでもなければ文句を言ってくるわけでもないし、
なんかのんびり過ごして今日も穏やかやわって、
言ってくれるっていうのがもうめちゃくちゃ、
ありがたいなあっていうか幸せやなと思いますね。
だからそういう不幸な人生をもう選択してないからでしょうね。
作ってないし、もう経験したしもうええわ、卒業、もうはい過去。
過去のこと本当に私忘れてて、
そういえば殴られたり切られたりしてたなと思って母は。
よくそんな人生を選択したなと思いますね。
私は人からあんまり殴られたことがないです。逆対ないないないない。
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そんなことされたら何十倍にもして返してやるわっていうくらいに。
いやいやいやそんな人と関わらないし、暴力とか大嫌いだし、何なんでしょうね本当に。見るのも嫌だしね、そんな親がされてるの。
いやでもね、それはもう本当に遠い昔の若い頃のことで、今年老いた母は本当にゆっくりと一人で暮らしてますけどね。
ご飯作ってのり家して、穏やかに元気で暮らしてくれてるんだなぁと思うと、
だからそれだけで本当にありがたい。幸せですね。
いやもうそんな、もうないですね、もう本当に。
なんでこの、平凡なというか、何て言うんだろう、何気ないこの当たり前の幸せに気づけなかったんですかね。
何をゴタゴタゴタゴタやってたのかなって思います。
そんでなんか、日本に生まれてめちゃくちゃ日本人っていうだけで恵まれてるのに、みんななんでこんな苦悩したり、そんな嘆いてるの?って思いますよ本当に。
だから自分自身で気づくしかないし、今不幸だなぁと思う人はとことんどんどこの落ちてみたらいいと思うんですよ。
そこから自分で気づくしかないんでね。
もう私はね、もう本当に気づきましたよ。
もうこれは選択しない、これを選択するっていうのははっきりわかっているので、そこから作っていけばいいし、
またこれ違ったわと思ったら選択し直せばいいので。
やっぱりね、それとね最後にこう言いたいのはやっぱり自分ってすごいなっていうことで、
なんかよく、よくあんな人生生き抜いたなと思いますね、本当に今思えば。
もう二度と戻りたくないし、その家庭の事情からしても、あんな無茶苦茶な家庭でよく育ってきたなぁと思うし、
よくあんな恐ろしい組織の中でね、会社員時代、私が苦手なね、そのジャッジされまくって、
よく働いてきたなぁとも思うし、
まあでもね、それも思うけれども、感謝するということにも気づけたので今、離れてみてね、
ご飯食べさせてもらったし、給料もらったし、今会社からたくさん、
そのことに感謝するっていうのにこう、離れてみてやっと気づけたので、
そのいる時はね、やっぱりもう嫌嫌嫌嫌、逃げたいしか思わないんですよね、家中にいると。
だからやっぱりね、逃げ出すって言ったら悪い言い方やけど、離れてみるってことね。
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距離を置くってことってね、本当にいいと思いますよ。
また客観的に見れるので、冷静に見れますから、
家中でごちゃごちゃごちゃごちゃもがいても、なんか溺れていくだけっていうか、
本当にこう、岸辺に上がってね、ちゃんと。
深呼吸して、冷静に物事を見ないと、それは正しい思考ができないんですよね。
本当にこう、慌てるとか焦るとか、
そういうことって、本当に無駄というか、何もいいアイディアを浮かばないよねって思いますよね。
ゆっくりとこう、待つということ。
で、ここでですね、私がこの間読んだ本のね、セリフが染みるわけなんですよ。
そういう体験をしてきたからこそ、書いた本の作者の気持ちが染みるようにわかるようになるんですよね。
これでね、何も体験してないもの状態だと、何の言葉も染みないわけなんですよね。
ちょっとそれもう一回読みますね。
私が惹かれた韓国エッセイの物語の、読みますね。
草木だけでなく、冬はあらゆる虫や雑草までもが、変わらぬ姿で厳しい時間を絶えている。
だが私たちには、それらを憐れむ資格があるのだろうか。
その小さな者たちが、無慈悲な自然に抗わず、岩のように黙々と時を待っているのに、
私たちはなぜ、時を待てずに苦悶し葛藤するのか。
無なしさを何かで埋めるためにじっとしていられない、私たちの焦りは、植物からしたら滑稽に映ることだろう。
そうなんですよ。
本当にもうバタバタするじゃないですか、人間って。
もうこんな苦悩嫌だとか、逃げたり、ごまかしたり、喧嘩したり、カットしたりね。
それは愚かなんじゃないのかって。
そうですよね、本当に。
だからここまで来たら、お金がどうとか、どうやって稼ぐかとか、そんなこともどうでもよくて。
本当に、ただ待つっていう、焦らない、ゆっくりと丁寧に作るっていうことが、
どれだけ大切なことなのかっていうのを肌で感じたので、もういいですよね、そういうことは。
とにかくね、自分の気持ちを大事にですね、そうすることでなんか母が喜び、周りの人たちが笑顔になり、
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そうやって変わっていくんだなーって、やっとやっと気づけたので、
これからも自分を大事に、心地よく、丁寧に生きていきたいなと思います。