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2024-11-17 17:23

承認欲求って、良いもの?悪いもの?

【参考図書】
「人が自分をだます理由」
https://amzn.asia/d/esOmxSj

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1000冊以上の読書を経てヒーラーになった元霊感ゼロ人間です。「本質のスピリチュアルをわかりやすく」をメインテーマに、幸せのために役立つ情報を発信していきます。

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元ゲームオタク。
20代前半に新社会人として社会デビューするも、世の中の厳しさに圧倒されて人生を挫折。
その後、ゲームに費やしていた時間全てを読書に充て、
「なぜ自分の人生はこんなにも辛いのか?」
「どうしたら幸せに生きられるのか?」
といった人生の根本的疑問について本を読みながらひたすら考え続ける。
10年以上の読書の中で、自己啓発、成功哲学、心理学、科学、宗教、哲学などの分野を調べわたった末に、心から納得できる人生の答えをスピリチュアルに見出す。
現在ではシータヒーリングを学び、セッションを行いながら、幸福な人生の本質についての自らの知見をわかりやすく発信している。


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#スピリチュアル #奇跡講座 #承認欲求 #マズロー #マウンティング #トーク・雑談
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サマリー

このエピソードでは、承認欲求の意味やその影響について深く考察されます。承認欲求はネガティブな側面を持ちながらも、社会での成功やボランティア活動など、ポジティブなモチベーションにもなることが探られます。また、承認欲求が本当に悪いものなのか、あるいは肯定的な側面があるのかという視点についても展開されます。自己の完璧さや記憶のギャップから生じる承認欲求に対して、愛おしさを感じる可能性についても言及されています。

承認欲求の定義と影響
はい、こんばんは、カズです。
えーっと、みなさん、ちょっと久しぶりになりましたが、お元気だったでしょうか?
えーっとね、まあ実は、なんでこんなことを聞くかって言うとね、僕がね、お元気じゃなかったんですけど、
昨日までね、8度7分くらいまで熱が出て、鼻水とね、あと喉も痛くてね、大変だったんですけど、
で、その喉がね、まだ完全に治ってないんで、まあこんなボソボソ具合でね、これ以上声が出せない感じなんですけどね、
うん、っていうことでした。まあこれも、あの地球全体のエネルギーのレベルがね、高まっていて、まあいろんなことが浄化されているんでしょうと、
いうことにしてですね、まあ何事も捉え方が大事なんでね、まあそういうことにして、今日も張り切ってやっていきたいと思います。
えっと今日のタイトルはね、承認欲求についてですね、承認欲求っていいのか悪いのかっていうタイトルにさせてもらったんですけど、
うーん、まあちょっとね、承認欲求って言うとスピリチュアルっていうより心理学っぽい領域の話かなと思うんですけど、
僕が心理学好きなんで、ちょっとこういう感じにさせてもらいますね。承認欲求って聞いて、あの皆さんどうですかね、どんなイメージ持ってますかね。
僕は長らく承認欲求ってものに対して、あんまり実はね、いいイメージを持ってこなかったんですよね。
なぜなら、まあ今、現代人の、現代日本に住んでる人の、現代人の悩みの多く、根本はね、おそらくこれ承認欲求だっていうことだと思うからなんですよね。
以前の配信でこの辺はお話ししたこともあるんですけど、結局その承認欲求っていうのは、そのマズローの5段階、ピラミッドで言うと、下から4番目、
なんだ、生理的欲求、安全欲求、所属欲求、承認欲求が下から4番目なんですけど、結局この下から4番目、この承認欲求までが欠乏欲求なので、
だから満たされないと欠乏、不足感を感じる、ネガティブを感じるっていう欲求なので、これもだから欠乏欲求の一つなんですよね、この承認欲求も。
つまり、負の感情、負のモチベーション、つまり、愛か恐れの二択しかないとしたら、その恐れの方ですよね。
恐れ感情、負の感情によってドライブされる欲求、モチベートされるモチベーション、行動動機だっていうことなんですよね。
だから承認欲求を満たせば満たすほど気持ちいいっていうものじゃなくて、ないとイライラするとか落ち着かないとか、何か欠乏感を感じるとか、ないと不足感を感じるっていうそういう性質の類の欲求なんだ。
だからこれがすごくタッチが悪いというか、今の世の中で問題となっている多くがこの承認欲求に基づいているのではなかろうかというふうに僕は見ているわけなんですよね。
承認欲求の悪例と良例
例えばですね、最悪のパターンの一つがですね、愉快犯っていうのがありますよね。
犯罪で世間を騒がせて、その騒動を見て自分はえつにいるっていうね。
だからそれはそういう承認欲求の満たし方なわけなんですけど、すごく歪んだ承認欲求の満たし方ですよね。
まあね、愉快犯はすごく極端な例を出しましたけど、ここまで行かなくてもいわゆるマウンティングっていうのがあるじゃないですか。
マウンティング。
このマウンティングっていう行為が、なんでこういうことをやっちゃうのかって言ったらば、もう根本はこの承認欲求の不足故に起こる行動なんですよね。
承認欲求が満たされていれば別にマウンティングを取る必要性がないので、そもそも取らなくていいわけなんですよ。
だからマウンティングっていうのは、上下関係をきっちり認識、見せつける行為というか、
自分が上でお前は下だよっていうアピールをするのがマウンティング、俗に言うマウンティングっていうことだと思うんですけど、
これは結局承認欲求が足りてないわけなんですよね。こういうことをしたがる相手っていうのは。
なので、これを聞いた皆さんは次に誰かにマウンティングされたなと思ったらですね、その時はその人に対して、
承認欲求この人足りてないんだな、お疲れ様ですと心の中で思っておいてくださいということですね。
今悪い例を、愉快版とマウンティングの例と悪い例の方を挙げましたけど、これ別論、もちろんね、
良い例っていうのもたくさんあります。もちろんね、承認欲求でモチベートされる良い例っていうのもたくさんあります。
社会で、ビジネスで活躍する、成功するっていうその動機、そのモチベーションのそもそもも、そのモチベーションの割合の多くを占めているのは、
特に活動初期の方はですね、この承認欲求が正直ほとんどなんじゃないかなと思うんですよね。
実際のところ。 あと事前活動とかもそうですね。ボランティアとか寄付活動とか。
こういうども、一般的には無視の奉仕とか無償の奉仕みたいな見方でされるような活動ですけど、
ボランティアとか寄付活動とかはですね、全く見返りがないけど良いことをするっていうことですから。
なんですけど、しっかりね、報酬は実はあるっていう話なんですよね。
何かって言うと心理的な報酬なんですよ。 良いことをしたなっていうね、そういう実感とか。
あとボランティアとかチャリティで何かやったりとか、寄付活動をしたりとかすることによって社会的な評価が高まるとかっていう、そういうことですね。
そういうのがしっかり報酬として機能するわけなんですよね。 それによって承認欲求を満たすことができるっていうことなんですよね。
何かね、こういうことをドライに言うとちょっとこいつ性格悪そうだなとか思われそうなんで、何かそう思われるとちょっと僕も嫌なので、一応概要欄にこの手の話の根拠となる参考図書を載っけておこうと思います。
人が自分を騙す理由と書いているわけなんですけど、これめちゃくちゃ面白い本なので、
こういうことに興味がある人はお勧めですね。
人間の、特にボランティアとか教育とか要は大義名分を掲げた美しい理由を名目に挙げているけど、実はその本音っていうのはエゴに基づいているんだよっていうのが、
そういうことを暴いていく本なんですけど、とっても面白いんで、もしご興味ある人がいたら読んでみるといいかなと思います。
ざっとね、その承認欲求が具体的に行動として現れたパターンっていうのを悪い例と良い例と今まであげてきましたけど、
承認欲求の社会的影響
ここまで聞いて改めてお分かりいただけたかと思いますけども、最初に言った通り僕自身は承認欲求っていうものに対して以前からあまり良いイメージを持ってこなかったんですよね。
なんでかっていうと、最初の方でチロッと言った通りですね、この承認欲求がいつだって問題の種になる、喧嘩の種になる、みたいに僕はなんとなく思ってきたからなんですよ。
こういう承認欲求があるから、つまり他人にすごいと認められたい、周りにすごいと認められたいとか、自分は重要人物なんだっていうのを見せつけたい、実感したいとかね、そういうような欲求なので、こういう厄介な欲求を人類はデフォルトで装備しているわけなんですよね。
こういう厄介な欲求を人類はデフォルト装備しているせいで、人類史の農業と定住の生活が始まって以来ですね、所有っていう概念が人間社会に生まれた時からですね、所有ができるとどうなるかっていうと、持つものと持たざるものっていうのが出てくるわけじゃないですか。
そうするとそこに格差とか、格差が現れて支配っていうのが生み出されて、みたいな感じになっていって、結果こんな変とこない世の中になってしまったのではなかろうかと、いうふうに僕はなんとなく思っているわけなんですよね。
戦争とかだってそうですよね。個人が国家にスケールアップはしているものの、その問題の中で心理的な構造っていうのはほとんど同じようなからくりなんだとなんとなく思っています。
というわけでですね、承認欲求という言葉に対してそんなイメージを長らく僕は持っていました。
世間的に承認欲求という言葉に対して持たれているイメージもどっちかというとマイナスに偏っているんじゃないのかなと思うんですよね。
例えばやっぱり単純な話、あなた承認欲求強いよねとか言われて嬉しがる人って少なそうじゃないですか。
承認欲求モンスターとかっていう言葉を聞いたことあるんですけど、ちょっと普通はねやっぱりネガティブなニュアンスで使われたりしますよねっていう感じだと思うんですよね。
なんですけど、最近ふと思ったことが、なんでこれ思ったのかちょっとよくわかんないですけどね、そんなに承認欲求って悪いもんじゃないんじゃないのかなっていうことをちょっと思ったわけなんですよ。
それでこの動画、動画じゃないや音声をね撮ってみようかなってちょっと思ったわけなんですけど、
なんでそんなに承認欲求って世間で思われているイメージほどには悪いものじゃないんじゃないのかなって思ったかっていうとですね、
そもそもなんですけど、そもそも僕ら毎回配信のたび言っている通り、僕らね完璧な存在なわけなんですよね。
で、そのもともと完璧な存在であった僕らはですね、自分の存在価値を疑うこととか損なうこととか、そういうのをね1ミリたりとも想像することさえできなかったっていうことなんですよ。
だからこの感覚をあえて言葉にするなら、もうなんか自分すごいに決まってるじゃんみたいな感じかなと思うんですよね。
まあ全然外れてると思うんですけど、まああえて強いて言葉にするならまあそんなような感じかなと思うわけなんですよね。
つまり神の子である完璧な自分のアイデンティティっていうのがあるわけなんですよ。
完璧な自分のアイデンティティ、完璧である私っていう自己認識があるわけで、それを人間は誰一人漏れなくですね、魂のレベルでみんな記憶してるわけなんですよ。
なぜならみんな完璧な意識、完璧な神の子であって、その完璧な記憶を魂のあるレベルでは保存してるからなんですね。
その完璧な記憶があるからみんな最終的には間違いなく天国にたどり着けますよっていう、そういうデキレースなわけなんですけど。
なんですけど、今はというとですね、今現在の状況はというと、その完璧な、もともと完璧な存在であることを忘れるという、そういう忘却のゲームをやったわけなんですね、僕ら。
それは始めたおかげで、自らの完璧さを忘れてしまっている状態が今の僕らの現状というわけなんですよね。
なんですけど、でもかつての完璧さっていうのをさっきも言った通りね、魂の奥底では記憶してるわけなんですよ。
その完璧な自分という記憶があるから、地球上で肉体を持って地球人やってる今の自分が自分、これが自分なんだって思い込んでいるわけなんですよね。
そう思い込んでいるんだけど、本当はその完璧な自分っていう記憶を魂レベルでは保持してるので、その頭での自己認識と魂での自己認識にすごいギャップが生じてるわけなんですね。
本来の自分の完璧な存在価値、魂に記憶されている自分は本当は完璧なんだっていう、そういう記憶との現実とのギャップに苦しんでるんですよ。
その苦しみのギャップを埋めたいっていう衝動が多分ね、承認欲求ということなんだろうなっていう、こんなことをね、ちょっと何きっかけか全然もう忘れたんですけど思ったんですよね。
承認欲求の肯定的側面
つまり僕らが承認欲求モンスターであるのはですね、もともと神の子としての完璧な存在価値を心の奥底で知っているからだということなんですよ。
そう考えてみると、そんなに承認欲求って悪いものじゃないのかもなっていうね、むしろ神聖なる自分の真実のアイデンティティーですよ。
神の唯一の創造物としての神の子としての自分の存在記憶ですよね。
そこから生まれ出ている欲求が承認欲求なんだって考えてみたらば、なんかすごい愛おしく思えてくるというか、なんかそんなに拒絶するようなもんじゃない。むしろすごく自然でなんだろうな。
ちょっと例えがね、今適切かどうかわかんないんですけど、お腹が空いて泣いている赤ちゃんみたいなね、なんかそんなイメージ、すごい愛らしい感じに見えてこないかなっていうことをね、そんなことを考えながら僕は思い直せました。
という、すごく自分で喋っていて誰得なのかわかんない配信になりましたけど、一応思い立ったんで喋ろうかなと思って喋らせていただきました。
では今日はこんなところで終わりたいと思います。
ちょっとでもね、一個でもね、面白いなって思っていただけたところがあれば、すごい嬉しいなと思います。
では皆様、寒くなるんでね、体に気をつけて。ではお聞きくださりありがとうございました。おやすみなさい。
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