直感の重要性
はい、こんばんは、カズです。今日は、好奇心の後をついていくというタイトルでお話ししていきたいと思います。
スピリチュアル的にはよく言われることだと思うんですけど、頭で考えるなとか、直感で決めることが大切とか、こういうことがよく話されると思います。
今人気の根戸順さんとかもそうですよね。根戸順さんは、佐農さん、宇農さんとかっていうわかりやすい言い方を使って、無思考であることの大切さ、無思考であることが幸せへの鍵なんですよっていう主張を一貫してされている。
そこが、根戸順さんの主張の核となる部分だと思うんですけども、そういうことを言ってますね。だから、要は頭で考えるな、無思考状態で直感で決めることが大切っていう、そういうことですよね。
で、瞑想とかマインドフルネスをする目的っていうのもここにあると言えますよね。瞑想は結局何を狙ってるかっていうと、その目的とするところは思考の声、思考のノイズと言ってもいいかもしれないですけど、その思考の声、思考のノイズを鎮めることがその瞑想する目的であると言っちゃってもいいんじゃないかなと思うんですよね。
まあ、その思考の声、ノイズを鎮めた結果、どんな良いことがあるのって言ったら、やっぱりその根戸順さんの主張と同じようにですね、その直感が来るっていうことなんですよね。
思考のノイズっていう表現をしたんですけど、ノイズっていうのは、そのノイズの他に本当は別にもっと感じ取りたい、聞きたいものがあるのにそのノイズが邪魔になってそれを聞き取れない状態、そういうとき邪魔になっているものをノイズって言うと思うんですけど、だからそういうことなんですよね。
思考の声がうるさくて直感、心の声、魂の声が聞こえなくなっちゃってる、感じ取れなくなっちゃってるっていうことなんですよね。現代人の、まあ、いわゆる普通の生き方、在り方っていうのがその思考の声、思考のノイズにまみれた、そういう状態になっちゃってるので、それをね、思考をちょっと鎮めて直感力を上げていきましょうっていうね。
そういうことが、まあ、スピリチュアルでよく言われていると思います。
僕が聞いた、ちょっとわかりやすいかなと思う例があるんですけども、例えば水と砂の入ったガラスの瓶、水と砂が入った瓶ですよね。
それをこうやってガシャガシャガシャって振るんですよ、シェイクする。そうするとどうなるかっていうと、その中の砂がその水中をまって、すごい濁りますよね。
で、濁って、中の水中が砂だらけになって、濁って向こう側が全然見えなくなります。
これがまあ、要は思考の声、ノイズに乱されちゃってる状態、直感が聞こえない状態なんですよね。
なんですけど、しばらく例えば瞑想とかして、その瓶をシェイクするのをやめて、静かに床に置いとく。
そうすると、砂が棚下に落ち着いてね、落ちていきますよね。
そうすると、その瓶の中の水が澄んでいって、また向こう側の景色がだんだんクリアに見えるようになっていきます。
だから、この例えでいうと、向こう側の景色がクリアに見えるっていうのは、要は直感、心の声、体の声、魂の声を自分が聞き取れる、感じ取れる状態ということですね。
だから人間の本来の生き方、幸せに生きるには、直感が通った状態が望ましいっていうのが、結構これはスピリチュアルでよく言われる、市民権を得ている教えなんじゃないかなと思うんですよね。
好奇心に従う
有名なエッグハルトトールさんとかの、今ここにあるっていう教えも、まさにこのことですし。
あとね、僕は奇跡講座、奇跡のコースが結構好きなんですけども、これを奇跡講座風に表現すると、精霊に扇動してもらうとか、精霊を教師とするとか、そういう言い方になります。
精霊は、自我を教師とするか、精霊を教師とするか、その二者卓一だみたいなことをよく言うんですけども、そのコースですよね、奇跡講座を学ぶことによって、最も大きな学びの一つとして、こういうことがあると思います。
それは、自分で決めちゃダメってことです。自分で決めない精霊と決めるっていうこれ。これが、奇跡講座、奇跡のコースを学ぶ、最も大きな教えの学びの一つと言えるんじゃないかなと思うんですよね。
さっき言った、精霊に扇動してもらう、精霊を教師とするということです。これは結局、思考の声を採用しない、直感の声を採用するという意味ですね。
ネドジュンさんの主張もそうだし、エッグハルトトールの主張もそうだし、コースの主張もそうだし、あともっと言うと並木良和さんも、コヒシタフワヨに従ってくださいよって言い続けてるのは、要はそういうことなんですよね。
思考じゃなくて、魂の声を聞いてくださいよっていうことなんですよ。だから僕も同じような意味で、本当に自分がやりたいことだけやっていってくださいねっていうことをよく言うんですよね。
という、スピリチュアル的な、頭で考えない、無思考状態。無思考状態ってちょっとストイックっぽい言い方になっちゃうので、あんまり気にしなくてもいいかもしれないですけど、直感を採用するという話です。
今回は、この教えを僕なりに日常生活の中で実践していく中で、ちょっと視覚的に捉え直したイメージがあって、それがなんとなくわかりやすいのかなと思ったので、これをシェアしていきたいと思って撮ってる音声ということになります。
それがこのタイトルにもある通り、好奇心の後をついていくっていうようなイメージなんですよ。
ネドジュンさんの主張する、頭で考えない直感で決めるとか、UNOさんの声を聞くとか、並木さんのコーヒーしたふうに従うとか、奇跡講座のような精霊に扇動してもらうとかいうことなんですけど、
こういう教えを僕は感覚的に自分の好奇心の後をついていくみたいなイメージで捉えてます。
これどういうことかというと、どういうイメージかというと、まず自分の肉体がありますよね。
イメージしてもらうと自分の肉体があります。
そこに自分の足元に光の丸いボールがあって、それが自分の魂、心、好奇心だと思ってください。
自分の好奇心ちゃんみたいなことなんですよ。
自分が何かアクションを起こす、自分が決める、何か自分が決めて行動するっていうパラダイムだと、自分の肉体がすることも決めて、そこの肉体を起点として何か行動を起こすっていうイメージだと思うんですけど、そういうイメージが一般的なところだと思うんですけど、
この教えに従うならば、そういう図式じゃなくて、自分の足元に置かれている好奇心ちゃんのボールがありますよね。自分の心、魂。
そいつを常にモニタリングしてるんですよ。ずっとね。
日常生活でいろんな刺激が外から生活してる中で飛び込んでくるわけじゃないですか。人と会ったり、テレビを見たり、本を読んだりとか、いろんな情報、刺激に囲まれて僕ら日常生活を送っているわけなんですけど、
心の声と好奇心のモニタリング
そういう中でいろんな刺激が入ってくる中で、その好奇心ちゃん、自分の心が惹かれる瞬間が絶対あるわけなんですよね。
これはもうちょっとよく知りたいなとか、これ気になるなとか、この人ともっと深いところまで突っ込んで話したいなとか、そういう頭じゃなくて自分の魂、心が動き出す瞬間っていうのが絶対あるわけなんですよね。
その時、僕なりのイメージだと、自分の肉体は止まってるんだけど、足元の好奇心ちゃんのボールが引力みたいに引っ張られるというか、そっちにちょっとコロコロって転がり出すっていうイメージなんですよ。
その自分の心の声、魂、好奇心ちゃんを常に自分の意識はモニタリングしてるわけなんですよね。そいつの動向を常に伺ってる。自分は本当はどうしたいのかなっていう感じで伺ってる、モニタリングしてる。
そのボールが転がり出した瞬間に転がっていく方向に、あ、そっちなんだねって言って、そのボールの後を好奇心というボールの後を自分がついていく選択をするっていう、そんなイメージなんですよね。
だから、このイメージで決めていくと、自分で決めるっていう感覚じゃないと思うんですよ。好奇心の後についていくっていうイメージですから。結局自分で決めるっていうのは、自分イコール自我イコール思考なので。
だから思考の声を聞くと、結局自我、エゴですね。の言うことを聞くことになって、これだと奇跡講座で言うところの自我を教師としてしまう状況ということになるので、あまり良くないんですよね。自分の幸せっていうものを追求していくにあたってはあまり良くない選択になっちゃう。
なんだけど、自分の魂、心、好奇心ちゃんがどっちに転がっていくのかなっていうのを静かな心で常にモニタリングしてるっていう状況を日常の中で送っていって、モニタリングしてることでふっと転がり出す、その衝動を感じるというか、転がるのがわかるんですよね。
心静かにモニタリングしてると。だからそれを感じたら、あっそっちなんだねっていう認識でその後についていくっていう選択をしていく。
そんなイメージが僕は直感で決めるとか、精霊に扇動してもらうとかっていう教えを実践していくにあたって、なかなか役立った認識、イメージだったかなと自分で思うので、今回ここで紹介してみました。
例えば僕はね、今読みたい本を決める、読むべき本を決める時とか、結構こんな感覚で決めてることが多いかなと思います。
まず今自分はどんな本が読みたいのかなっていうふうに自分の心に問いかけるわけです。そしてその答えに自分の好奇心ちゃんのボールがどう反応するか、それをモニタリングする、それの様子を注目して見守るっていう感じですね。
耳を澄ましてみるっていう表現でもいいかもしれないですけど、自分は今どんな本が読みたいかな、ちょっと静かにしてモニタリングしてどうしたいかなって待ってみる。
すると自分の心、好奇心が何かしらの反応を示すのを、だんだんこれもトレーニングなのでね、実践していく中で感じ取れるってくると思うんですよ、だんだんね。
そうすると、あ、ボールがコロコロと転がっていったので、あ、そっちの方向なんだねって言って、その選択をする。じゃあこの本読もうかなっていうふうになるっていう。
なんかね、すごい自分の魂の答えを肌感覚で感じ取るみたいな感じなんですよね。すごくそもそも感覚的な話をしてるし、この感覚がしっくりくる人、あまりしっくりこない人って色々いるかもしれないですけど、
一応今回は自分なりの捉え方を何かのご参考になればいいなと思って紹介させていただきました。はい、ということでした。ではここまで。今回はこれで終了したいと思います。ここまでお聞きくださりどうもありがとうございました。