1. 本質志向のスピリチュアルラジオ
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2025-04-04 25:06

すでに起こったことは絶っっっっっ対に、間違っていない

【今回取り上げた本】

「ニュー・アース」エックハルト・トール
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1000冊以上の読書を経てヒーラーになった元霊感ゼロ人間です。「本質のスピリチュアルをわかりやすく」をメインテーマに、幸せのために役立つ情報をゆるく発信していきます。

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【プロフィール】

元ゲームオタク。
20代前半に新社会人として社会デビューするも、世の中の厳しさに圧倒されて人生を挫折。
その後、ゲームに費やしていた時間全てを読書に充て、
「なぜ自分の人生はこんなにも辛いのか?」
「どうしたら幸せに生きられるのか?」
といった人生の根本的疑問について本を読みながらひたすら考え続ける。
10年以上の読書の中で、自己啓発、成功哲学、心理学、科学、宗教、哲学などの分野を調べわたった末に、心から納得できる人生の答えをスピリチュアルに見出す。
現在ではシータヒーリングを学び、セッションを行いながら、幸福な人生の本質についての自らの知見をわかりやすく発信している。


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#スピリチュアル #奇跡講座 #エックハルト・トール #ニューアース #人間万事塞翁が馬 #受け入れる #宇宙の創造主 #心の平安
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サマリー

このエピソードでは、日常生活におけるパニックや逆境への対処法が語られています。特に、エックハルト・トールの教えを通じて、すでに起こったことは必ず受け入れなければならないという考え方に焦点が当てられ、状況を冷静に受け入れることの重要性が強調されています。さらに、すでに起こったことは決して間違っていないというテーマが探求され、思考の枠組みを変える重要性について考察されます。心の平安を保つためには、現実を受け入れ、自己の創造主としての役割を意識することが求められています。

パニックからの学び
はい、こんにちは、カズです。
今日のタイトルは、すでに起こったことは絶っっっっ対に、間違っていない、というタイトルでね、お話ししていこうと思います。
今日もね、ちょっとゆるーく喋っていきたいなと思いますね。
僕の話なんですけど、ちょっとね、最近仕事に遅刻しちゃったんですよ。
時間までにその場所に行かなきゃいけないっていうシチュエーションだったんですよ。
車乗っててね、走ってたんですけど、ぼーっとその時してて、道を一歩間違えて変なとこ入っちゃったんですよね。
それで橋とか渡って行っちゃって、どんどん目的地から遠ざかって行っちゃって、やばいみたいになったんですよ。
で、間違えてからGoogleのマップのナビによると、どう考えてもこれ時間内にもう間に合わないな、みたいな感じの時間になっちゃったんですよね。
一本道を間違えて進んじゃったことによって。
で、そんなことがありまして、その時、僕がですね、どう思ったのかというと、やべーなーみたいに思ったんですよ。
そのまんまですけど、やばいなーみたいに思ったんですよね。
で、やばいなーみたいに思ったんだけど、なんか思考の上ではやばいなーっていう、なんかそんな単語も出たような気もするし、なんか思ったんですけど、
でも別にね、なんか取り乱したりとかはしなかったんですよ。
なんかね、本当に焦っちゃってる時、パニクっちゃってる時、本当にやばい時って身体反応が出てくるじゃないですか。
汗とか震えとか、あと血の気が引いたりとかね、あとお腹急に痛くなっちゃったりとか、本当にやばい時っていうのはそういう身体症状、身体反応として反応が出ると思うんですけど、そういうのはなかったんですよね。
頭の中で、やばいなーやっちまったなーみたいなのはあったんですけど、でも別に取り乱しはしなかった。
だってもう道間違えて進んじゃって、これもう状況的に引き返せないし、いや無理じゃんみたいな感じだったんで、
なんかもう今更しょうがないなーみたいな感じだったんですよね。
復水盆に帰らずみたいなね、もう取り返しはできない、リトライできないので、だからもうなんかしょうがないなっていう感じになったんですよ。
なので、なんか僕がどう思ったかっていうと、まあしょうがないからやっちまったけど、今のやっちまった状況の下でベストを尽くすしかできないよなっていう感じになったんですよね。
だから逆に、じゃあそれでいいかみたいな、そういうノリなんですけど。
だからやばいことはやばいんだけど、そんなにこう心の奥底まで、どうしようどうしようみたいな、そういう感じにはならなかったんですよね。
これ昔の自分だったらちょっと取り乱してたかもしれないんですけど、今の自分ではそういうことにならなかったんですよね。
この感覚をなんか最近始まって、何に近いかと思ったらですね、なんかね、僕中学時代卓球部だったんですけど、試合に負けてる時の状況、その気持ちになんか近い感じなのかなって振り返って思ったんですよ。
試合に負けてる時、逆境、試合で負けてる時にやばいなって思う時の気持ち、その感覚に近いような気がするんですよね。
で、やばい状況っていうのは別に事実じゃないですか。
実際その試合に負けてる時、劣勢の時、例えばオリンピックとかそういう大きな舞台でもいいんですけど、そういう時に負けてるビハインドの状況でやばいっていう、それは確かにやばいじゃないですか、状況としてね。
やばいはやばいんだけど、それと本当に日常生活の中で、ああもう本当困ったどうしようってパニックになる状況と違うじゃないですか。
オリンピックでその試合に劣勢に立たされている状況と、例えば日常生活の中で何かまずいことが起きて取り乱してしまっている状況っていうのは違うわけなんですよ。
どっちもやばいはやばいんだけど、試合で負けてる時っていうのはそれによって取り乱したりとかパニックになったりとかはしないわけじゃないですか。
変わらず、むしろ逆に感覚研ぎ澄まされる時もあるかもしれないですよね。目の前の状況に対してやることは変わらずですね、集中してただベストを尽くすだけっていう、そこに集中していく感じになるじゃないですか。
肩や日常生活のパニックってしまってる状況っていうのは思考がまとまりつかない。こんなに借金をたくさん作って本当にどうすんだよ、人生絶望だよみたいな投げ合いになっちゃってる感じとか。
エックハルト・トールの教え
そういうのとは同じやばい状況には変わりないんだけど、違うわけなんですよね。っていうことなんですよ。なんかね、そんな感じかなと思ったんですよね。
やばいはやばいんだけど、心の奥底では冷静でいられるというかね、そんな感じなんですよね。
こういう言葉も以前紹介したことがあるんですけど、配信の中でこういう言葉があります。
雨が降っているときにできる最善のことは雨を降らせておくことだけだっていう、こういう言葉があって、これ僕はすごいいいなと思って気に入ってるんですけど、
こういうことだと思うんですよね。雨が降っているときにできる最善のことは雨を降らせておくことだけなんですよ。
だから雨は本当なら晴天の方が望ましいと思ってるんだけど、別に降ったら降ったで別にいっかみたいなね。
この言葉の中に簡単なポジティブとかネガティブとか、そういう単純に割り切ることのできない、何とも言えない絶対大丈夫みたいな、安心感に満ちたパワーみたいな、そういう領域があると思うんですよ。
こういうのがスピリチュアル的な本質だと僕は思ってるんですけど、そういうような話ですね。
すでに起こったことは絶対に間違ってないんですよ。
この時なんでこういう感じで考えられたのかというと、以前の自分ならばもっとパニクって焦ってしまっていただろう状況に対して、なんで今ではこういう感じである種平静でいられたのかというと、このルールを知ってたからなんですよね。
目の前で現象化した物事に関してはもう絶対に100%間違いなんてないっていう、そういう宇宙の絶対ルールです。
これを知ってたからっていうことになると思うんですよ。
僕らすぐに不都合なこと、自分にとって不都合なことがあるとこんなことあってはならないとか、こんなこと起こるべきではないとかみたいにごちゃごちゃ考えがちなんですけど、
でもそもそも宇宙は何でもオッケーで、何が起こってもオールオッケーな宇宙なんですよ、その前提条件は。
オッケーじゃないことなんて何一つこの宇宙には起こってないんですよ。
もっと言うと、神様がオッケーしたから目の前のことが現象化できているんですよ。
神様が許可しないとこの世界で現実にならないですからっていうことなんですよね。
っていうくらいオッケーな世界なんですよ、まず前提がね。
ということでオッケーしかないこの宇宙なんですけど、でも僕らなかなかそう思えなかったりするじゃないですか。
そんなオッケーだらけの世の中に思えない人が多いと思うんですけど、
じゃあなんでそうなるかっていうとですね、そのオッケーじゃないと考えているっていうのは自分の頭の中の思考なんですよね。
事実として宇宙にはオッケーしか起こってないし、オッケーしか現象化されない宇宙なんですけど、でも僕らはそう思えてない。
この宇宙がオッケーだらけには思えないわけです。
その理由が何でなのかというと、僕らの思考の中でオッケーじゃない、これはオッケーじゃないぞって思い込んでる思い込みっていうのがたくさんあるからなんですよね。
そういうのをたくさん背負い込んで、そういうエゴをね、背負い込んでその視点からこのオッケーだらけの宇宙を見るとオッケーじゃなく見えるっていうことなんですよね。
そういうことです。
僕らはすべてがオッケーされた神により許可され許された、そういう宇宙で、そういうバーチャルな宇宙で人生とか人間体験とかっていう遊びをやってるわけです。
本当にその人間体験シミュレーションゲームみたいなねことだと思うんですよ。
ゲームってゲームの世界だとすべてが許されるじゃないですか。
魔王が世界を、ゲーム世界を侵略して征服したとしても、それはそのゲームの中のお話であって、だからアリなわけじゃないですか、それも。
っていうのと全く同じようにこの現実と呼ばれているバーチャル宇宙も全部オッケーなんですよ。
だってゲームだから、夢だからっていうことなんですよね。
だけど僕らはそう見えないわけです。
人を殺しちゃ絶対いけないとね、もちろん僕も思うし、戦争はあってはならないと思うし、
何だろうな、いろいろね、思うわけなんですよ。
なんですけど、そういうジレンマ的な状況の中で、これが絶対ルールなんですよ。
現象化したことは1ミリも間違ってないっていう絶対ルール。
これ覚えておいてほしいなと思うんですよ。
目の前のことは1ミリも間違ってないっていうことです。
ここからすべての思考を始めるっていうことです。
そういう絶対ルールです。
で、なんでこれが大事なのかっていう話なんですけど、なんでこれがそんなに大事かというと、
ここを外すと最初の一番目のボタンを掛け違ってしまっているみたいな、そういう感じになるんですよね。
だからその後考えたことすべてがもう全部ずれたものになっていくっていう感覚があるからなんですよ。
僕らの日常生活ってね、往々にしてそんな感じだと思うんですよ。
こんなこと起こるべきじゃなかったみたいな思考になりがちだと思うんですよね。
そうすると全部ずれていくっていうことなんですよ。
それのちょっとわかりやすい話がですね、
ニューアースというエッグハルトトールさんの名著がありまして、
ここに亡くなった指輪の話が出てくるんですよね。
このエッグハルトトールさんがカウンセラーとして女性のがん患者のもとに定期的に通っていたことがあったらしいんですよね。
だけどある日尋ねてみたらですね、その女性がすごいがっかりして怒っていたと。
何があったのか尋ねたところ、その大事にしていたダイヤの指輪がなくなっちゃったって言うんですよ。
誰かが取っていったんだ、パクっていったんだって言って怒ってたわけです。
そのダイヤの指輪はすごく大事なものらしくて、あれは祖母からもらった指輪でした。
毎日はめていたんだけど病気になって手がむくんではめられなくなってしまったんです。
あれはただの指輪じゃない、騒ぎ立てるのも当然じゃないですか、そうでしょっていうふうにすごい怒ってたわけです。
だからその盗んだ女性を問い出さすべきか、それともすぐに警察に通報したほうがいいか、どっちがいいかみたいに
エクハルト・トールさんに意見を求めたそうなんですよ。
それに対してトールさんはですね、こういうことを言うわけです。
それじゃあちょっといくつか質問してもいいですかと言って質問するんですよね。
それがですね、あなたはいずれそれも多分近いうちに指輪を手放さなくてはならないことに気づいていますか。
それを手放す用意ができるまで、あとどれほどの時間が必要でしょう。
手放したら自分が小さくなりますか。
それがなくなったらあなたは損なわれますか。
っていうね、ちょっと意味深な質問をするんですよ。
そしたらその女性はですね、しばらく考えた、沈黙した後ですね、
私は損なわれるかというのを自分に対して問うたわけです、改めて。
そしたら不意に、いやそうじゃないと、私はあるということを感じることができたと。
こんなに力強く自分を感じられるなら私は全く損なわれてはいないはず。
今でもそれを感じられる。穏やかだけどとても生き生きとした自分を感じられます。
というふうになったわけです。
そしたらエクハルトトールさんが、それが大いなる存在の喜びですよと言ったと。
頭から抜け出したとき初めてそれを感じられるんです。
それは感じるしかない。考えたって分かりませんと。
いうような、こういう話がニュアンスに出てくるんですよね。
ちょっとそれを紹介させてもらいました。
だからこのがん患者の女性はですね、起こるべきではないことがまさに現実に起こってしまって、
つまり現実を拒否してたわけなんですよね。
拒否してたというか拒否はしてないか。
現実を受け入れる
認められない事態になって、つまりなんだろう、心で受容しきれていないというか、
この現実を飲み込めきれていないというか、そんな感じだったのかなと思うんですよ。
だからその女性を責めた方が、問い正した方がいいのか、警察にそんなことしないで引き渡した方がいいのか、どうしたらいいかっていう。
だから思考がもうそこしか出なかったわけなんですよね。
どうしたら、どっちにしたらいいかっていう、
エゴによってパニックの中で導かれたすごく狭い選択肢を提示して、エクハルト・トールさんに意見を求めたわけなんですよ。
そういうパニックった時、焦ってる時って、ろくな思考が出てこないんですよね。
でも、その心の奥底で受け入れると、心の平安までは脅かされない。
心の平安は保つことができるっていうこと、そういうことだと思うんですよね。
その結構わかりやすい話なのかなと、僕は思ってよく覚えている話なんですけど、
亡くなった指輪の話ですね。
だから、ちょっと趣旨が微妙に違うんですけど、関連があるので紹介させてもらいました。
今回のテーマは、既に起こったことは絶対に間違ってないっていうのがテーマなんで、
何だろうな、偶然とかたまたまとか、そういうことはないってことなんですよ。
起きるべくして全ては起こっているっていうことなんですよ。宇宙に偶然はないので。
この目の前の現実は1ミリも間違ってないっていう絶対ルール、これを結構僕は絶対ルールだとか1ミリもとか、
結構強調して何度も言うんですけど、
そのくらい強調してもいいと思っているからやってるわけですけど、
これを絶対のルールとして受け入れると何がいいのかっていう、どうなるのかっていうと、
起きるべきじゃなかったとか、こんなのはダメだ、最悪だ、みたいな、そういう思考がだんだん減っていくんですよ。
それに変わって、むしろ何か意味があるはずなんだよなっていうのが出てくる。
そう自然と思えてくるっていう風に変わっていくと思います。この絶対ルールを受け入れてると。
意味がないわけないんだよな、みたいな。最悪だけで終わるわけがないんだよな、みたいな。
そういう感じになってくるってことですね。
現実の受け入れ
だからですね、うっとなるネガティブなことが起こったらですね、こう考えてください。
自分はどうしてこの現実を想像したんだろうかとか、
どんな思い込みがこの現実を作ったんだろう、引き寄せたんだろうとか、
この現実がうっとなってね、嫌だとしたら、
自分は何が望みなんだろうとか、そういう方向で考えるっていうことなんですよ。
なぜなら、それはあなたが自分宇宙の創造主なんだからっていうことなんですよね。
今のこのゲーム展開はちょっと気に入らないな。
じゃあどういうゲームがいいかなっていう、そういうことなんですよ。
だからYouTube見てて、なんかこのチャンネルの動画面白くないイマイチだな、ちょっと別のチャンネル変えようかなっていう、これと全く同じ話です。
っていうことです。
だからそこに行き通ってくる要素ってないじゃないですか。
なんだろうな、その面白くない動画をずっと同じチャンネル見続けて、
いやもうこんなのは最悪だ、ここが面白くない、ここは気に入らない、こうでこうでこうで、だからもう最悪なんだ。
だから私はこの動画のせいで私は全然楽しい思いができないって、ずっとそのつまんない動画を見続けながら言ってる状態。
これが僕らのエゴによる普通の人生の過ごし方。
亡くなった指輪に対して行き通ってる女性のあり方。
こういう感じだと思うんですよ。
なんかこれって、こう言うとすごいバカらしいじゃないですか。
そんなに嫌なら、じゃあチャンネル変えて見たいやつ、もうちょっと面白いやつに変えればいいじゃんっていう、そういう話なんですよ。
これが僕らの人生の状況だと思うんですよ。
だって僕ら創造主なんだから本当はね。
だけど創造主っていうリアルを忘れて、つまらないちっぽけな一個の肉体の中に閉じ込められた人間に過ぎないと思ってるから、その力がないと思ってるから、そういうことをね、永遠してるわけなんですけど。
っていうことなんですよ。
この悪循環から抜け出す必要がある。
そのためにはやっぱり自分がね、創造主なんだっていう。
自分がこの現実作ってんだっていう、そういうところに立ち返る必要がありますよと。
そういうことですね。
つまりですね、こんなこと起こるべきじゃなかった。最悪だこんなこととか。
あと丸々のせいでこんなことになってるんだ。こんな思いをしてるんだとか。
そういう地球的思考、そういうものをバーサス、そういうのを捨てて、そうじゃなくて、いや居心地悪い体験だったんだけど今のは、なんで自分は引き寄せたんだろうとか。
なんで自分が、この現実作ってんだって全部自分なんだけど、なんで自分はそれを作ったのかな。
どうして自分はこの体験がこんなに嫌だと、どうして自分は感じるのかなとか。
どんな思い込みがあって、こうまで自分にダメージを与えるのかなとか。
あとさっきのはすごい居心地悪い体験だったけど、じゃあどんな体験が望みなんだろうとか。
そういうような方向の思考に切り替えていくと、とても建設的というかさっきのYouTubeの話で言うといいんじゃないのかなと思います。
この思考の方向性の違いっていうのは本当にね、天と地ほどの差があると思ってます。
なぜなら、方や世界の被害者っていう視点。
もう片方は世界の創造主、宇宙の創造主、自分がクリエイターっていう視点だからなんですよ。
クリエイターでも、例えば粘土こねててなかなかいい形が決まらなかったとしても、
そこで怒ったり、こんな作品本当にくだらない、最悪だみたいに言いながら怒り狂いながら粘土こねて作ってるクリエイターっていないじゃないですか。
真実と心の平安
なんかちょっとイマイチなんだけど、もっとこうしていきたいんだよなとか、より良い方向性を模索しながら作るもんじゃないですか。
そういうことだと思うんですよ。
っていうことなんです。
ちょっとなかなか言葉で整理するの難しいので、ちょっとうまく伝わったかよくわかんないですけど、また大事な話だと思ってるんで、繰り返しこのテーマ話していこうと思うんですけど、
既に起こったことは絶対に間違っていないという、とりあえずこれが絶対ルールだということをお伝えしたくて、お話しさせてもらいました。
ちなみに遅刻の話は、結果は厳密にはちょっと遅刻したんだけど、2分くらい。それでもなんとかなったんですよね。
っていう結果になって、本当にすぐジャッジ判断しなくてよかったなというか、人間版自作用がうまくいっているのが大事なんですよとか、自分で喋っておいてよかったなっていうことを今思うのは今回の配信のネタにもなってますしね。
だから何がネガティブで何がいいのかっていうのは僕らにはわかんないわけです。
わかんないから、しかも真実っていうのは全てのものは最高最善、起こるべくして起こっているっていうのが真実なんですよ。
だから目の前の事実、現象化したものっていうのを否定するのは、心の平安をね、自分が本当に欲しいと望むのであれば、それはあんまりしないほうがいいです。
いいです。やめてください。目の前の現実を否定してはいけないですよっていうことですね。
いけないというか、間違っちゃってますよっていうことですね。
既に起こったことは絶対に間違っていないということでお話しさせていただきました。
ちょっとね、なかなか話の整理が今回難かったかなと思うんですけど、何か役に立つなとか面白かったなっていうところがあれば嬉しいなと思います。
それではなかなかごお聞き下さいましてどうもありがとうございました。
25:06

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