ネガティビティの特殊性
はい、こんにちは、カズです。 今日のタイトルは、ネガティブだけが持つ素晴らしいパワーということで、ネガティブですね、ネガティビティ、ネガティブっていうものに焦点を当てた話をしていきたいなと思います。
ネガティビティの特殊性みたいなね、そんな感じの話ですね。 えっとですね、ポジティブとネガティブって言うじゃないですか。
で、ポジティブ、ネガティブね、なんか単純にプラスマイナスみたいな関係性に、えっとね、おそらくみんな考えがちなものだと思うんですけど、でも実はですね、このポジティブネガティブっていうのは、質的に全く別のものなんじゃないかなっていうふうに僕は思っているわけです。
つまり、あの数字のプラスマイナスみたいな感じで、同列に扱うことが実はできないようなものなんじゃないかなっていうふうに考えてるんですよ。
例えば、えっとですね、水をどんどん冷やしていって、0度になったら氷になりますよね。
で、そんなような感じでですね、水と氷っていうのは、その性質とか物質としての振る舞いとかっていうのはもう全然違ってくるわけなんですよ。
もうこの水と氷っていうのは、あのもうですね、延長線上で語ることはできないわけです。
例えば、20度の水というかお湯ですけどね、20度の水と5度の水だったら、それは延長線上で同列に語ることができるわけです。
だけど、もう0度下回ると、もう水じゃないんですよね。氷になっちゃうんですよ。
だからそれは、同列に語ったり扱うことはもうできなくなっちゃうわけなんですよね。
これはマイナス20度の水なんですよ、みたいにはならないわけなんですよ。もう氷なんですよね、そうしたら。
そんなような感じ、イメージ的にはね、そんなような感じだと僕は思ってて、そんなような感じでポジティブ体験、ネガティブ体験っていうのも同様にですね、同列には語ることができないというふうに思ってます。
幸福と不幸の関係
幸福と不幸っていうのは、言葉の上では対照に思えるじゃないですか。
もしね、10の不幸がそこにあるとしたら、それと同等量の、つまり10の幸福っていうものをどっかから持ってきて、そこにプラスすれば、それでチャラだよね、みたいな、そういう発想ですね。
結構あの、なんか一般的な感覚としてなんとなくね、漠然とこういうのがみんな思っているところなんじゃないのかなと思うんですけど、
しかしですね、現実は全然そうなってないよねっていうことなんですよ。
例えば、虫歯の痛みっていうのは、まあすごい嫌ですよね、その耐えがたいわけです。
あの、歯が痛い時の、まあね、経験ある方多いと思いますけど、もうなんかどうにもならないじゃないですか。
で、この虫歯の痛みっていうものに苦しんでいる時にですね、ここに一体どんな幸福を持ってきて、引っ張って持ってきてね、そこにプラスすれば、この虫歯の痛みをチャラにできるのか。
って言うとですね、答えは、どんな幸福を引っ張ってきても、虫歯によるその痛みはですね、チャラになんかできないわけなんですよ。
その虫歯の痛みっていう、そういう不幸っていうものを打ち消す唯一の方法っていうのは、この場合ですね、その虫歯の治療なのであって、
何か他の幸福要因でそれをカバーする、チャラにする、っていうことはできないわけです。
こういう例っていうのは考えてみたらね、結構思いつくことができるんじゃないかなと思うんですけど、例えばですね、
よくある話で、物理的に豊かさ全てを手に入れたような、超億万長者みたいな人が、でも人間関係による孤独みたいなね、そういう不幸っていうものを埋められずに、
私の人生は不幸だった、みたいに言いながら死んでいく、みたいなね、そういう話とかあると思うんですけど、これっていうのも結局その孤独っていう名の不幸を物質的幸福、お金とかね、そういう物質的、他の幸福っていう要因で埋め合わせるってことができないわけ、
できなかった、みたいな話なわけじゃないですか。ということなんですよね。幸不幸とかポジティブ・ネガティブっていうのは、なんか数字的に足し算引き算みたいな関係で、透過的にね、そういうふうに扱えるような関係性にはなってないっていうことなんですよ。
ハイヤーセルフへの道
で、なので、えーっとね、なんかここにネガティブっていうものの特殊性があると僕は思ってます。さっきも言ったね、その零度を下回った水は氷になるんですけど、なんかそんなね、氷みたいなパワーがネガティブにはあるんじゃないのかなと思うんですよ。
えーっとですね、なんか、まあ、以前の配信で繰り返し言ってる通りですね、この人生っていうのは夢なわけなんですよね。で、分離の夢なんです。人間性の夢の世界なわけなんですよね。
で、そもそもですね、この分離世界において、もしですね、ここが天国みたいな、パラダイスみたいなところだったとしたら、この人間性分離世界、あの、まあ、神の子たちが、まあ、僕ら神の子なんですけど、その神の子たちが見ている夢の世界がこの人生、人間性世界なんですけど、もしその夢の世界ですね、この人生、この人間性世界がですね、天国みたいな、パラダイスみたいな、
もう、ディズニーランドですね、夢の国ですみたいなところだったとしたら、
えー、目を覚まして真実を思い出そうとか、
えー、考えると思いますか?
っていうことなんですよね。
うん、なんかね、そうなんですよ。
えー、もし、その、この人生が、この夢の世界、人間性の世界がですね、
夢の国みたいな、パラダイスみたいな、もう、楽しい幸せみたいなね、そんなめっちゃ楽しい場所だったとしたら、
このチャンネルが、えー、求めていくような、目覚めっていう方向性に、
えー、僕らの意識を向けさせようとするような、
ん、なんかね、そう、そういうような発想が出てくるかって言ったら、出てこないわけなんですよ。
つまり、あの、ディズニーランドは、まあ、言ったらポジティブしか起こってないわけじゃないですか、その、夢の国の中には。
で、その、ディズニーランドの、えー、たくさん寄せ集まったポジティブたちが、えーと、
なんか、そこから脱出しようっていう引き金には絶対にならないわけなんですよね。
えー、そう、目覚めっていう方向性に、僕らの意識を向けさせようとするような力っていうのは、ポジティブの中にはないわけなんですよ。
ネガティブにこそ、そのパワーがあるってことです。
これが、ネガティブの力なんですよね。
えー、そもそも、まあ、前の配信とかでも、ね、あのー、繰り返し言ってますけど、
そもそも、愛一元、まあね、あのー、分離がないっていうのが、あのー、ポジティブの中にはないわけなんですよ。
あのー、真実ですから、愛しかないっていうのが、究極の真実で、その神のみがあるっていうね。
で、えーと、だから、神の子である僕らは、その、愛一元の世界の中で、神様とずっと一体で一緒だったんですけど、
もう分離もない、欠乏感も何もない、もう全てパーフェクトみたいなね、世界だったんですけど、
その中でですね、勝手に僕らがある時ですね、いや、ちょっと分離してみようかな、みたいになったわけなんですよ。
神様がそう言ったわけじゃなくて、僕らがね、いや、ちょっと分離味わってみたいな、分離がいいな、みたいになって、
で、あのー、勝手に夢をね、見始めたってことなんですよ。
分離がいい、なんか分離味わってみたい、ワンネスとかもういいよ、飽きたよ、みたいにね、勝手に夢を見始めたんですよ。
神の子たちが。しかしですね、神様っていうのは、僕らがこの分離の夢をいつまでも見ているっていうことは、本当はね、心よく思ってないわけなんですよ。
神様、本当の望みはそうじゃないわけです。あの、まあ、なぜなら神様愛なんで、あの、分離の夢の世界の中で、僕ら神の子がですね、いつまでもずっと苦しむっていうことを望んでなんかいないわけなんですよね。
早くその分離の夢から目覚めてほしい。夢から早く覚めて、もうこっちのね、神様の方に戻ってきてほしいっていうふうに、神様は思ってるわけです。
で、そう思ってるからといって、でも神様優しいので、愛そのものなので、あのー、強制的に、あのー、僕ら神の子の頬を引っ叩いてですね、叩き起こすみたいなことはやんないわけなんですよ。
どういう、どうするかっていうと、愛ある神様はそういう強行手段は取らないで、あくまでも僕らの自由意志を優先してくれているんですよね。
僕らの自分たちの選択で、僕らの自由意志を行使して、夢から、まあ、あの、それが、その夢の世界が飽きたら帰っておいでっていうふうに尊重してくれてるわけです。
あ、そうかい。分離がそんなにいいんだね。わかったよ。じゃあ、体験しておいで。でも、まあ、私と一緒にいた時の方が良かったと思ったら、その時は帰ってくるんだよ、みたいに。そういうスタンスでずっと神様は待ってるわけです。
そういう状態なんですね。だから、あくまでも僕らの自由意志、僕らが主体的になって、神様の元へ帰っていかなければならないっていうゲームなんですよ。
だから、自分次第、次第っていうか、他に依存するっていうのはダメなんですけど、まあ、それはちょっと脱線しちゃうんでね、今日のテーマではないんで話しませんけど。
またちょっと例え話したいんですけど、例えばですね、今僕らの目の前にですね、あなたっていう肉体としてのあなたがいて、その肉体としてのあなたの目の前に100通りの道が広がっているとします。
で、その100通りの道の、そのうちどれか一つの先にあなたのハイヤーセルフがいるんですよ。だから、その100通りの一つはハイヤーセルフと繋がってる道なんですよ。
で、あなたのハイヤーセルフっていうのは、その道の、正解の道のね、一つの終着点、ゴールであなたのことを待ってます。むしろ呼んでます。こっちだよ、みたいに。
呼んでるんだけど、あなたはそのハイヤーセルフに呼ばれてるっていう声もあまり聞こえないし、あの、そもそもね、待ってるっていうことも知らないんですよ。どれが正解とかも知らない状態なんですよ。
で、その肉体としての僕らは、100通りの道をね、どの道にしようかな、どうやって、どこを選択して歩いていこうかな、みたいになってるわけです。
で、こういう状況において、どうやったら、ハイヤーセルフ視点に立ってほしいんですけどね、どうやったらハイヤーセルフは、その肉体としての僕らを自分がいるゴールに導くことができるでしょうか、っていう、こんな設定のゲームをちょっと考えてみてほしいんですけど、
これ、あの、例えばネガティブっていう選択肢がないパターンだった場合ですね、ネガティブが使えない場合を考えてほしいんですけど、そうすると、まあ一度、まあ肉体としての僕らが道を100個のうちの1個を選んで歩き出すじゃないですか、で、ポジティブしかその時使えなかったとする。
そしたらですね、まあ絶対ポジティブしか感じないんだから、まあその道をどんどん奥深くまで、ずんずんね、最初選んだ道ですけど、歩いていっちゃうじゃないですか、そしたら、まあ確率100分の1なんで、まあまず外れるじゃないですか、うん、でも、その引き返すことができないんですよね、ハイヤーセルフが僕らに歩いてほしい道はその道じゃないのに、
ポジティブしか使えなかったら、僕らは最初に選んだ、まあ適当に選んだね、その道をどんどん歩いていっちゃうわけなんですよ、そしたら、まあ自分のね、その正解の道を選ばせて、ハイヤーセルフの元に僕らの肉体としての自分をたどり着かせるのに、まあ時間かかってしょうがないじゃないですか、だからどうすればいいのかって言ったら、
道を歩いている途中でどうもこの道じゃなさそうだぞっていう風に、僕らに気づかせる必要があるわけなんですよ、つまりその肉体としての自分、あのエゴとしての自分みたいなね、ことなんですけど、子としての自分が選んだその道を引き返らせるっていう必要があるわけなんですよ、道を一つ選んでね、僕ら歩いていくんだけど、
だんだんその道が、例えばね、辛くなってくる、寒くなってきて、なんか厳しく、険しくなってきて、もう歩いていくのしんないってね、思うようになるわけなんですよ、で、そうなって初めて僕らは、僕ら自身が決めた選択を覆すっていう行動に出るんですよ、
自分がこの道にしようって決めて、それでいいと思って信じて歩いてきた道っていうのを、そこで初めて引き返すんですよ、そのパワーを持ってるのがネガティブっていうことなんですよね、なんか伝わったら嬉しいんですけど、この仕事っていうのはポジティブには絶対にできないわけなんですよ、その道を引き返らせるっていう仕事は、ネガティブだけができるんですよ、
ネガティブの力
僕らの主体性を損なうことなく、自由意志をあくまでも、だから自分の意志で道を選んで歩いてるんですよ、でもその自由意志を尊重したまま、それでもその正解の道、ハイアーセルフが待ってるその道を、100個の道の中から1個を選び直して、その正解の道にたどらせるためにはポジティブだけじゃ無理なんですよね、
その僕らの歩いてきた道を、いやこれじゃないのかもしれないって自分で考えて引き返らせるっていう、そのパワーをもたらせるのはネガティブしかできないんですよ、っていうことなんです、これがネガティブだけが持つ素晴らしいパワーだと僕は思うんですよね、っていうことです。
あの佐藤光朗さんの詩で、こういうのがあるんですよね、ちょっと読みますけど、言葉でどれほど言っても休まなかったあなたを休ませる方法が他にあっただろうか、風はいつも僕に優しい、僕はいつも僕に厳しい、っていうね、こういう詩が佐藤光朗さんがね、言ってるんですけど、もう1回言いますね、
言葉でどれほど言っても休まなかったあなたを休ませる方法が他にあっただろうか、風はいつも僕に優しい、僕はいつも僕に厳しい、ね、すごいね、あ確かにみたいな風優しいみたいなね、あのそういう詩なんですけど、まあ風っていわゆるねネガティブなものじゃないですか、ネガティブなものとして捉えられていると思うものだと思うんですけど、
でもその風っていういわゆるネガティブなものが実はその本質は愛だったんだ、優しかったんだっていうことを気づかせてくれる、とってもいい詩なんじゃないかなと思うんですよ。
うん、そう、まあ同じような話で宇宙からの強制ストップみたいな話もたくさんあるじゃないですか、あの仕事ガンガン続けていったんだけど、でもあのなんか途中で体壊しちゃってとかガンになっちゃってとか、ですごい精神をさまよったりするんだけど、
その結果すごい人生の大切なものに気づけましたとか、生き方変わりましたとか、愛に目覚めましたとか、そういう話ってあったりするじゃないですか、だからこういうのはその強制ストップのいわゆるネガティブな一個を切り取ってみれば、それは確かにネガティブな体験なんだけど、でももう絶対にその目覚めのためには必要なものなわけなんですよ。
で、その仕事っていうのはポジティブには絶対にできない、ネガティブにしかできない仕事なわけです。
だからそのネガティブな事象っていうのは全部宇宙からの、もう気づいてよー、目覚めてよーっていう宇宙からの愛なわけなんですよ。
うん、そういう素晴らしい力っていうのをネガティブだけが唯一ですね、ネガティブだけが持ってる、ポジティブにはそんな力ないわけです。
もしこの人間性宇宙でもうポジティブしかなかったら、ポジティブしかない世界だったら、僕らいつまでたっても神様のもとに永遠に帰れないですからね、っていうことです。
だからそんな素晴らしいパワーをネガティブは実は持ってるんですよ、っていうことです。
体験からの学び
だから僕らはいつかは必ずね、人生のネガティブな体験に対してね、感謝できる時が来ると思います。
もちろんネガティブを体験してるその過虫にいる時っていうのは、これなかなか難しいと思うんですよね。
その過虫にあってネガティブにボコボコにやられてる時に、その体験に対して即座に感謝するっていうのはすごいね、レベルの高いことだと思うんですよ。
だけど、絶対その後々を振り返ってみて、ああ、あの体験が確かに愛だったんだなっていうふうに気づける、そういう仕組みにそもそも人生っていうものはなってるんだと思うんですよね、っていうことです。
で、この話に関連して、最後にちょっと、とはいえ、やっぱりその過虫にあってネガティブに対して感謝しろっていうのは、さっきも言ったよりハードルがすごく高いことなので、
じゃあどうしたらいいかっていうところで覚えておいてほしい言葉がこれなんですよね。
人間万事、西洋が馬ですね。これスピリチュアルでしばしば言われることかもしれないんですけど、人間万事、西洋が馬っていう言葉があります。これ中国の言葉なんですけど、こういう話があるんですよね。
昔、ある老人がいました。で、その老人が馬を飼っていました。なんですけど、ある日その馬が逃げちゃうんですよね。
で、村の人たちは本当に大変な不幸だった、大変な不幸でしたねってその老人に対して言うわけなんですけど、老人はいやわかんないよみたいに言うわけなんですよ。
これがいいことなのか悪いことなのかわかんないじゃないかみたいに言うんですね。
で、そしたらしばらくしたらその逃げちゃった馬が立派な別の馬をたくさん引き連れて戻ってくるんですよ。
で、その馬たちはみんな老人のものになるんですね。で、それを見た村人たちはもうなんてラッキーなんだっていうふうに老人に言うわけです。
そしたらまた老人はいやラッキーかなどうかなってわかんないよ。うん、これは不幸かもしれないよみたいになんか言うわけなんですよ。
そしたら今度は引き連れてきた立派な馬が加わったわけですけど、その馬に乗った老人の息子がその馬から落馬しちゃって大怪我しちゃったんですね。
そしたら村人たちはまたああもうなんて不幸なんだって言うんだけど、老人はまたいやこれがまあラッキーか不幸かなんてわからないよって言うんですよ。
そしたらその後に戦争が起こりましたと。多くの村の若い人たちは戦争に駆り出されたんだけど、その老人の息子さんはですね、落馬して怪我しちゃったもんで、怪我しているために徴兵を免れて命を落とさずに済みました。
っていうこういう話ですね。人間万事作用がうまい。つまり、まあいいか悪いかなんて僕ら人間はわかんないわけですよ。僕ら人間の限られた視野では、視界では、目の前の人生で起こる物事の本当の良し悪しっていうのを見極めることなんてできないっていうことなんですよね。
だから僕らが思考でマインドで簡単に良いとか悪いとかこれは起こるべきじゃなかったとかそういうことをジャッジ判断しないっていうことが大切なんだよっていうのがまあ人間万事作用がうまいっていう言葉なんですよね。
人生の本質
うん、っていうことなんですよね。
多分、まあこれちょっと余計、最後に余計かもしれないですけど、多分ですね、僕は最終的に人生のすべての事象に対して、人生で起こることすべてに対して、そしてまた人生っていう営み、丸ごとすべてに対してありがとうございますっていう風に本当に心から言えるような感謝することっていうのが最終的にはね、できると思います。
そしてそれが、まあある種のねゴールなんじゃないかなと考えてます。
うーん、どんなことも本当は愛ゆえに起こってるんですよ。
そしてそれにいつか僕らは気づいて、すべてに感謝できる、本当にありがとうってすべてに対して言えるような、心からですよ、心から本当にすべてに対して言えるようになる時が絶対に来ると思います。
それが言い方を変えたら、この宇宙は起こることすべてが最高最善ですって、そういう言葉になると思います。
はい、えーとまあちょっとね、そんな感じでネガティブだけが持つ素晴らしいパワーというタイトルでお話ししてみました。
どうだったでしょうか。
ちょっとまたね、ちょっと長く時間がかかりすぎてしまったかなと思うんですけど、今日の配信はこれで終わりたいと思います。
何か一つでも役に立ったとかね、面白かったみたいなことがあれば嬉しいなと思います。
それでは今日はこれで失礼したいと思います。長らくお聞きくださり、どうもありがとうございました。