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2023-10-21 18:19

「本当に頭が良い人」の定義

#しあわせ #人生哲学
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00:07
こんにちは、カズです。
今回は、本当に頭が良いというのはどういうことか、本当に頭が良い人ってどういう人なんだろうか、というテーマでちょっと考えてみたいと思います。
というのはですね、なんでこんなことを話そうと思ったかというと、
僕自身がね、結構これを考える機会が多いというか、本当の意味で僕自身賢くなりたいなっていう漠然とした思いがあってですね。
でも、そういう思いがありつつも、世間一般で言われている、いわゆる頭が良いとかね、
社会とか学校で言われる、あの人頭が良いよねっていう、そういう使われ方に違和感をずっと感じてきたからなんですね。
で、その違和感はなんでなんだろうなっていうのを、なんか漠然と考えてたわけなんですけど、
それをちょっと言語化したいっていうのもありまして、今回こういう音声を撮ろうと思いました。
本当に頭が良い人ってどういう人なんだろうかという問いですけど、
先ほども言った、世間一般に言われているような、社会、学校で言われているような、会社で言われているような、
あの人頭が良いよねっていう時のその使われ方、どんな意味で頭が良いって言ってるんだろうっていうのを考えてみるとですね、
まず学歴、いい大学出てるからあの人頭が良いよね、良い人だよねとかね、言うと思うんですよね。
あとはIQ、IQの測定値が高いから頭が良いよね、悪いよねっていう言い方ですね。
これも結構説得力があるような気がしますよね。
IQが高い人っていうのは知識量も関係あるのかもしれないですけど、
メインは頭の回転が速い人がIQの測定値が高い人みたいに言っていいんじゃないかなと思います。
頭の回転が速いっていうのも頭の良い人の一つポイントというか要素であるような気がしますね。
それから白色、テレビで人気のクイズ王とか、歩く辞書みたいな、行き辞引きみたいな人、
どんな質問をしてもこれはこうだよって返ってくるみたいなね、
そういう白色みたいな人も頭が良い人って言われてると思います。
03:04
これは先ほどIQの頭の回転が速い人っていう話をしましたけど、
これに対してというか、この白色な人っていうのは記憶力が優れてる人とも言い換えてもいいんじゃないかなと思います。
確かに記憶力が優れてる人って頭が良いって言いますよね。
さっき学歴っていう話をしましたけど、学校のペーパーテストっていうのもほとんどは記憶力、暗記力を試すような問題が実際多いですね。
だからこれに関連してくると思います。
記憶力が優れてる人、白色な人ですね。
あと世間一般に言われる頭が良い人のイメージですけど、議論が強い人、
論破王とかいますよね。
議論が強い人っていうのもどんなに議論で戦っても負けないみたいなね。
そういう人も頭が良い人っていうイメージを持たれるかもしれないですね。
今お話しした学歴、IQ、白色、議論が強い人、論破王みたいなね。
これらは世間一般で言われる頭が良い人のイメージを、こんなのがあるんじゃないかなって今考えてあげただけの話なんですけど、
僕はこれらは、そういう要素も確かにあるとは思ってますけど、
これが本当に頭の良い人っていう定義そのままではないと思ってます。
これらの要素があったからといって、本当に頭が良い人とは言えないんじゃないかなっていうことですね。
結構そういう違和感はずっと僕は持ってきたということですね。
確かにある側面ではというか、頭の回転が速い人はその頭の回転の速いという、
そこだけ切り取ってみれば確かに頭が良いんですけど、
もっとトータルでこの人本当に賢いよね、頭が良いよねっていう風にトータルで認めるためにはやっぱり何か足りない気がするんですよね。
あと一番、これも追加で言いたいんですけど、
これらの要素、頭の良さの一側面だけは切り取って、
人に自分の優位を保つためにマウントを取ってくるような人っていうのは間違っても本当に頭が良い人ではないですよね、と僕は思います。
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学歴でマウントを取るとか、IQでマウントを取るとかね、そういえば頭が良いとは言えないなと僕は思いますね。
ということで、世間一般に言われる頭が良い人ってこういう人だよねみたいなののイメージをざっと今話したわけなんですけど、
それに対して僕は違和感をずっと持ってきたって言ってましたけど、
じゃあ僕なりのぼんやり考えている、本当に頭が良い人ってこういう人だよねっていうものの定義みたいなもの、
定義ってほど厳密なものじゃないんですけど、どんなふうに考えているのかっていうのはちょっとここでお話ししたいと思います。
僕が考える本当にこの人頭が良いよねって言えるような人はどういう人かというと、
意識的に、意図的に、つまり狙ってやっているっていうことですけど、
つまり狙って幸せを実現させることのできる人。
これは本当に頭が良いんじゃないかなって僕は思います。
狙って幸せを実現させることのできる人です。
幸せを実現させるっていうのは、例えば自分自身が幸せになったりとか、
あとは幸せにしたい誰かを、他の誰かを幸せにしてあげられたいとかする人。
これを意識的にできる人。
これが本当に頭、この人頭良いよなっていう人だなって僕はなんとなく思います。
ちょっと狙ってっていうところがポイントなのかなって思うんですけど、
これが狙ってっていうことなので偶然とかたまたまとかそういうことじゃないってことですね。
この狙ってっていうポイントがないと、
例えば人を幸せにすることができる人、自分自身がめっちゃ幸せになる人でも、
それが偶然の産物であったとしたら、
それは頭が良いというよりかはパワースポット的な人とか、
ご利益がある人とか、あの人とお付き合いするといいことあるよねみたいな風には言われるかもしれないですけど、
あの人頭良いよねっていうのとはちょっとずれる感じじゃないかなって思います。
それもすごく素晴らしい素敵な人だと思いますけど、
今頭の良し悪しっていうか、本当に頭良い人はどういう人かなっていう話をしてるので、
ちょっとその意味ではちょっとずれるのかなって思いますね。
で、僕が考える本当に頭の良い人の定義、狙って幸せを実現することのできる人ですけども、
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この僕の主張にはおそらく前提条件があって、
その前提条件は幸せをゴールにしてるってことですね。
っていうのは、どんな善人だろうが悪人だろうが、
人間である限りはやっぱり自分が幸せになりたい、幸せを目指しているっていうのが、
みんなの前提であるんじゃないのかなっていう、
そういう前提条件があります。
ここに対してはあんまり暗黙の前提条件に僕はしちゃってるんですけど、
でも幸せになるっていうゴールに対しては、
そんなにここに意義を唱えられる人もそんなにいないんじゃないかなと思っています。
でですね、世間一般で言われる頭の良さ、学歴、IQ、白色、議論が強いなどなどですね、
こういうものと僕の言う、狙って幸せを実現させることのできる人、
何が違うのかっていう話なんですけど、
その前提条件、幸せになるのが人間の目的だみたいなことを含ませてるわけなんですけどね、
僕の漠然とした定義の中には。
ここには目的意識っていう、そういう話が含まれているわけなんですよね。
ここにちょっと気を止めて欲しいというか、ここが違うポイントなんじゃないかなと思うんですけど、
これ数学で使われるベクトルを思い浮かべていただけると、
直感的に理解しやすいんじゃないのかなと思うんですけど、
ベクトルって矢印ですよね。グラフに矢印を引っ張ったりしてね。
あれですけど、そのベクトルは矢印の大きさ、長さですね、
と向き、方向性、この2つの要素から出来上がっているのがベクトルっていう概念ですよね。
で、世間一般で言われる頭が良いっていう、そういう評価っていうのは、
ベクトルの内の大きさ、矢印の長さだけに注目していて、
向きっていう部分が考慮されていないんじゃないかなって思うんですよね。
ここが僕の、なんとなくちょっと違う気がするんだよなって思ってた違和感の正体なのかなって思ってて。
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だからこのベクトルの例えで言うと、
頭の良さの大きさ、強さとその方向性、この2つをトータルで考えないと、
このトータルでそれらを満たしてないと本当に、
本当に頭が良いよね、あの人とは言えないんじゃないかなって僕は思います。
僕が考える定義をね、狙って幸せを実現させることのできる人が本当に頭が良いんじゃないかな、
それはベクトルの大きさ、強さと、あと方向性という2つの要素を、
その方向性っていうのは目的意識ですね。
それは幸せを志向するっていう話をしましたけど、
この2つが含まれていないと本当に頭が良いとは言えないんじゃないかなっていう、
その定義のお話をさせていただきましたけど、
もう1つここに何か加えて、付け加えたい条件がやっぱり、
ちょっとこれは外せないんじゃないかなと思っているのがあって、
その話をもう1個するんですけど、
それは、いわゆる無知の知っていうものを持っている人。
逆に言うと、この無知の知を持っていない人っていうのは、
本当に頭が良い人とは言えないんじゃないのかなって思います。
で、ちょっとこの無知の知、謙虚さを持っているって言い換えても、
もしかしたらいいのかもしれないですけど、
自分のやっていることを常に疑う姿勢を持つというか、
そんな感じ、そんな感覚なんですよね。
やっぱりこれがないと、何でダメなのかっていうと、
人間暴走しかねないからなんですね。
というのは、たぶん歴史上にすごいね、
極悪人の代名詞みたいに引用されることのある、
例えばヒトラーとかでもですね、
自分が本当に悪人、
自分が悪事を成しているっていう自覚があって、
あれを行ったわけじゃないと思うんですよね。
自分は正しいことをやっていると思ってたと思うんですよ。
少なくとも本人はですね。
だから誰しも、自分が間違っているとか、悪人だとか、
そういうことを自覚しながらですね、
悪いことをする人間はいないっていうことですね。
この主張もまたちょっと結構、
本当に検討するね、考察する余地のある話であるので、
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もし機会があればね、また別の話をしたいと思うんですけど、
とにかくどんな悪人でさえも、
自分が間違っているとか、自分が悪だとは思っていないってことですね。
ということは、この無知の地を装備していない人は、
暴走しちゃう可能性が絶対あるってことです。
つまり、良かれと思ったけど結果的に悪いことしちゃったってことですね。
実際にそういう例って、いくらでも例を挙げることができると思うんですけど、
一番わかりやすいのは、原爆を作りましたよね。
あれはすごく頭のいい人たちによって研究され、作られたわけなんですけど、
やっていることが幸福に向かっているかどうかって考えたら、
ちょっとそうとは言えないと思いますよね。
っていうことです。
その無知の地を持っているか持っていないかっていうのを、
この本当の頭のいいっていう条件に含めたい理由っていうのは、
そういうところからですね。
自分のやっていることが猛進の正義じゃないか、
そのチェックというか、自分を変えりみるってことですね。
その謙虚さみたいなもの、これがやっぱり大事じゃないかなと思います。
でね、その無知の地っていう言葉を何の説明もなしに今使いましたけど、
これは哲学者のソクラテスが提唱したというか、やったことなんですよね。
ちょっとこれについても、僕ソクラテスは大好きなんで、
ちょっと話したいんだけどね、これもたくさんあるんですけど、
また別の機会に、機会があればですね、
この無知の地もすごい面白い話なんで、できればいいなと思ってます。
そういうわけで、本当の頭のいい人、僕が考える本当に頭のいいってどういうことなのかというと、
狙って意識的に幸せっていうものを実現できる人、
ここにはその幸せを思考するっていう意味合いがまず含まれています。
だから悪いことしちゃダメってことですね。
そうしたらもう頭がいい人の定義から外れちゃうよってことですね。
それにプラスして無知の地を持ってるかどうか、これもポイントじゃないかなっていうことですね。
そんな感じで以上、僕なりのですね、なんかぼんやりとこうなんじゃないかなっていう、
本当の頭のいい人の定義というか条件というか、そんなものをお話しさせていただきました。
何かの参考になればありがたい幸いです。
18:03
では今回はこのくらいで失礼したいと思います。
ちょっと長くなっちゃいましたけどね。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
18:19

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