1. 本質志向のスピリチュアルラジオ
  2. 「退屈」も悪いものではないで..
2025-05-17 31:30

「退屈」も悪いものではないですよ😌


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1000冊以上の読書を経てヒーラーになった元霊感ゼロ人間です。「本質のスピリチュアルをわかりやすく」をメインテーマに、幸せのために役立つ情報をゆるく発信していきます。

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【プロフィール】

元ゲームオタク。
20代前半に新社会人として社会デビューするも、世の中の厳しさに圧倒されて人生を挫折。
その後、ゲームに費やしていた時間全てを読書に充て、
「なぜ自分の人生はこんなにも辛いのか?」
「どうしたら幸せに生きられるのか?」
といった人生の根本的疑問について本を読みながらひたすら考え続ける。
10年以上の読書の中で、自己啓発、成功哲学、心理学、科学、宗教、哲学などの分野を調べわたった末に、心から納得できる人生の答えをスピリチュアルに見出す。
現在ではシータヒーリングを学び、セッションを行いながら、幸福な人生の本質についての自らの知見をわかりやすく発信している。


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#スピリチュアル #奇跡講座 #心の平安 #人生 #楽に生きる #人生はゲーム #ウエルカムレイン☆サヤカさん #並木良和さん #ワクワク
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サマリー

このエピソードでは、「退屈」が必ずしも悪いものでないという観点から、目覚めの過程におけるエゴの減少とその影響を探求しています。スピリチュアルな視点から、退屈さが心地よく感じられることの重要性を伝え、焦りや不安が現代社会によるものであることを考察しています。ポッドキャストは、退屈が日常の中で必ずしも悪いものでないことや、人間の存在が珍しい体験であることについて考察しています。実際の体験の重要性や、宇宙的視点から見た自我の認識に焦点を当てています。このエピソードでは、退屈についての新たな視点や、それを楽しむ方法が議論されています。聞き手は、日常生活が特別でユニークな体験であり、自らがその創造者であるという観点から、人生をより楽しむためのヒントを得ることができます。

退屈の定義について
はい、こんにちは、カズです。 今日のタイトルは、「退屈も悪いものではないですよ。」というタイトルでお話ししたいと思います。よろしくお願いします。
えっとですね、ちょっと配信が遅くなりました。 っていうことですみませんでした。
まあね、このチャンネルというかね、僕の基本的な考え方としてはね、その気になった時だけ配信するようにしているっていうことなんですよね。
基本的には。 これどういう意味かというと、要はエゴ、自我の主導ではなくて、
精霊とか神様、主導、そういう神聖なエネルギーに導かれるような、そっち主体のチャンネルにしたいからっていうことなんですよ。
やっぱりね、あの
本質志向のスピリチュアルラジオなので、自我にハンドル握らせてやりたくないんですよね。
例えば、言いなすとかフォロワー数を気にしたりとか、で焦ってなんとかするとか、
とかですね、そういうのを自我なので、そういう感じにはしたくなくて、上からインスピレーションが要は降りてきて、
あ、なんかこれ言いたいなみたいなね、そういうその気になった時だけ、
つまり神聖なエネルギーに乗ってる時にだけ配信するみたいなスタイルを基本的にはね、貫いていきたいなと思っているわけなんですよ。
もちろんね、自我がね、全然乗らないわけじゃなくて、全然ね、僕の自我が乗ってるとは思いますけど、
まあでもその割合的になんだろうな、神聖な方を主体ね、メインではそっちにね、やっていきたいっていうことなんですよね。
で、まあ言い訳するわけじゃないんですけどね、そうすると別に配信が遅くなっても、それはそれっていうか、
なんか乗らなかったなっていうだけの話になってくるっていうことなんですよね。
あの、まあ、ウェルカム・レイン・サヤカさんっていう方がいてね、非人間系のスピーカー、あのねどじょんさんなんかと仲がいいんですけど、知ってますかね、ウェルカム・レイン・サヤカさん。
で、サヤカさんがこの前言ってたのがですね、あの、ちょっと例え汚いんですけど、まあ僕じゃなくてね、サヤカさんが言ってたんで、まあしょうがないですけどね、サヤカさんのせいなんですけど、
あの、なんかこういうのね、うんちが出るのに似てるっていうことを言ってたんですよ、配信で。
で、まあつまり、便移って、なんかこっちが出すぞと思って、こっちのコントロールで、その出てくるわけじゃないじゃないですか。
出てくるわけじゃないじゃないですかとかね、言ってね、あれなんですけど。
まあなんか体の方が主体となって、そのタイミングになったら、まあ生理的なバイオリズムがあって、そうなったら、あ、なんか出たいな、みたいなタイミングかな、みたいになって、まあトイレに行くっていうことじゃないですか。
で、この感覚とそのインスピレーションが来て、あ、なんか喋りたいなっていう、これっていうのは似てる気がするみたいな話を以前してたんですよ。
で、すごい、あ、確かにな、みたいなところがあるんですよね。
つまりこっち主体ではない、まあこっちっていうのは、まあ自分のこと、つまり自我とかエゴとかですけどね、こっちがコントロールするもんではないっていうことなんですよね。
なので、まあちょっとこんだけ配信が入っても、まあ気にしなくていいかっていう、そんな言い訳なんですけど。
で、今回あの退屈も悪いものではないですよっていう、どういう話がしたいかなというとですね、いつもなんかね、恋した上に従ってくださいとか、ワクワクに従っていきましょうとか、好きなことをどんどんやっていきましょう、みたいなねことを僕も言ってると思うんですけど、
エゴと目覚めの過程
っていうかまあ、あのスピリチュアルの情報ってそういうのがね結構多いかなと思うんですけど、そういう情報を受け取り続けてるとね、なんかあの、なんか常にアクティブでエネルギッシュに活動し続けなきゃいけないみたいな感じがしてくることもあるかなと思うんですよ。
常になんかこう、自分のやりたいことを追いかけて、なんかキラキラ青春みたいなイメージですけど、アクセル全開みたいなね、そうじゃないと本当に目覚めて生きていませんみたいなね、ハイヤーセルフと繋がってないんじゃないかみたいに心配になってきたりとかね、しそうなもんかなと思うんですよね。
で、僕も結構前はね、こういう心配、こういう不安みたいなのが結構あったりしたんですよ。
あーなんか自分ワクワクしてないどうしようみたいな思ったりもしたんですけど、でもえーっとですね、でこれは並木さんが言ってたことなんですけど、退屈だなって感じることも目覚めの過程の中で自然と起こることなんで、いやむしろ良いことですよ、みたいなことを確かね並木さんがこの前言ってたりもしたんですよ。
でこれ、あのーそう目覚めの過程の中で自然と起こること、なので良いこと、退屈だな、なんか退屈だなとかなんか物足りないなっていうそういうやつがです。
その感覚っていうのは別に悪いもんじゃないんですよっていうことを確かね、あのー並木さんが言ってたんですよ。
これはまあどういうことなのかというと、つまりですね、エゴが少なくなってくる、あの目覚めてくるっていうことはエゴが少なくなってくるっていうことなんで、あの要はそれまであのー
エゴが脅迫的にやんなきゃやんなきゃみたいに思ってやってたことってあるじゃないですか。
そういうのがエゴが少なくなってくるとやんなくなってきたりどうでもよくなってきたりするんで、そうするとなんか今までやってたことをやんなくなったりすると、あのーなんか日常がまったりゆったりペースになるみたいな。
そうするとなんだかもしかして悪い感じじゃないんだけどなんか退屈みたいな、もしかしてこれ退屈なのかなみたいな風に感じることもあるっていうことだと思うんですよ。
で、そうここで言ってる退屈っていうのはあの悪い感じじゃないんですよね。おそらくね。ネガティブな感じじゃない。居心地が悪いものではない。
そう退屈ってなんかちょっとだけネガティブなイメージが一般的にはあるかと思うんですけどそういう感じじゃないってことです。
だけどそのワクワクに従ってくださいとか恋したわよで人生生きてくださいとか言うほど熱中してるものもないなーみたいなそんな感じ。
そのくらいのなんかまったりさみたいなちょっと眠気きたみたいなねなんかそういう感じ。
で今回の話はそういうのも別に悪くないですよっていうむしろあのハイアーセルフのあのと繋がって乗ってるからいいですよみたいなそういう話をしたいんですよね。
であのそういうちょっと眠気きたみたいなそういう退屈さ。居心地そんなに悪いわけじゃないんだけどでもなんかワクワクしてるかって言ったらそんなワクワクしてるかなーみたいなそのくらいの微妙な感じ。
そういうのを、そういう状態になってくるとそのエゴの方はやっぱざわつくわけなんですね。
こんなんじゃあのさっきもあの僕が言ったやつですねその目覚めて生きてないんじゃないかとか本当はもっと活動もし自分が本当に目覚めに近づいて言ってるならもっとアクティブにいろいろ活動的になってもいいんじゃないかみたいなそういう焦りみたいなのが出たりもするかもしれないんですけど。
なんでそういう自我は要はねこういう焦りとか不安とかネガティブっていうのは全部自我が言ってくることなのでなんで自我はそういうことを言ってくるのかという話をするとですね。
そもそもその現代社会っていうのがねあのそういうふうに僕らを焦らせるようにできてるんですよそのように回ってるんですよ。
あのそういうのポジティブケイパビリティとかって言うと言うんですけどポジティブケイパビリティあの現代社会っていうのはこのポジティブケイパビリティに偏りすぎてるんですよ。
ケイパビリティっていうのはまるまるすることができる能力みたいなそういう意味なんですけど今の世の中あのねビジネスショットが見渡すと顕著だと思うんですけどまるまる力だとかね。
コミュニケーション力とかなんだろうな交渉力とかたくさんあるじゃないですかそういうまるまる力を鍛えましょうとかあとまるまるこのスキルを身につけましょうとかもうそういうのですごい忙しいじゃないですか。
あとタイパっていう言葉とか最近流行かと思うんですけどタイパつまり効率的にもっと短い時間で多くのことを成し遂げようとするっていうことですよね。
あの映画を早送りで見る人たちっていう本がちょっと前にあの流行ったりもしたと思うんですけどなんでこういう傾向なのかっていうことなんですよ。
こういうの全部その合理主義が極まっている感じなんですよね。
人間は何かせずにはいられないんですよね。
なんか不安とか焦りとかが出ると逆にこう騒がしく忙しくなってくるのがエゴなんですよ。
まるまる力まるまるのスキルとかこういうの全部能動的にこっち主体になってこっちっていうのはつまりエゴとか自我とかですけど
能動的に何かをするっていうことじゃないですか。
現代社会との関係
こういうのはあの全部エゴなんですよ。
だから人間ははっきり言ってこういうのの病気なんですよ。中毒なんですよ。
つまり何かせずにはいられないっていう病気なんですよ。
病気っていうのはエゴの本質がそうだからっていうことなんですけど。
つまり神様にお任せして生きるじゃなくて私がやらなきゃとか私が管理しなきゃとか私が自分で何とかかんとかやって生きていかなきゃみたいなね。
そういうことなんですよ。
だってそのままほっといたらまずいことになっちゃうじゃないかっていうそういう不安とか焦りなんですよね。
そう人間ってだからはっきり言ってこれこういう中毒ですみんなね。
これが現代っていう世の中はポジティブケイパビリティに偏りすぎてるんだっていうことの意味なんですよね。
例えば子育てとかにしてもあれしなさいこれしなさいとかこれは持ったこれは大丈夫手洗ったとかお手洗いはどうなったのとか先生にこの話はしたとかいろいろうるさく言うと。
つまり要は子供を自主制っていうの何もこっちが信頼しないで子供は何もできない無力な存在なんだから親である私が全部やってあげなきゃみたいなそういうせし方をしてたら
まあわかる通りもう100%自立できない人になっちゃいますよねっていうことなんですよ。
退屈と日常の重要性
これもその本来ならね子供の潜在的な力を信じてある程度任せていくっていうことをしていけばいいんだけどそれはしなかったからうまくいかなくなっちゃったっていうことなんですよね。
だからこう何かをせずにはいられないっていうことなんですよ心配だからね心配だから目の前のことに対して何かせずにはいられない。
干渉のしすぎっていうのはこのように害になることがありますね。
何かせずにはいられない不安だからむしろもっと動かなきゃっていうそういう圧力がない圧がね高まってくるみたいなことですね。
現代っていう世の中それがねすごい強いんじゃないかなっていうふうに思います。
だからそのだからそのあれですねタイトルにある戻りますけど退屈っていう今のちょっとなんか悪くはないんだけど挑みもないなぁみたいな熱中っていうのもないなぁみたいなのが何か悪いことのように思えてきちゃうっていうことなんですよね。
だけどそれはまぁあのそっちがむしろおかしいんだっていう話ですよね。
でそもそもの話をするんであればこの日常っていうのは実はですね全然当たり前で退屈なものではないと思うんですよ僕は。
ここからちょっと話変わりますけどね。
退屈も悪いものではないですよっていう話なんですけどでも実はそもそもそれ本当に退屈なのかっていう話なんですよ。
でなんか僕としての感覚だとこの人間体験って実はねその実は全然ありふれてなくて超貴重な体験だったんだっていうことにスピリチュアルを掘っていったらあの気づいたわけなんですよ。
気づいたというかどうやらそうらしいんですよね。
結局宇宙のどこか安全なところからみんなあの魂だけねこう地球にやってきて人間としてね肉体まとって人間やってるわけじゃないですか。
僕がよく言うねログインしてるわけじゃないですか。
でこういうのって僕としての感覚だとあのディズニーランドとかねそういう遊園地にあるライド系のアトラクションってあるじゃないですか。
あの席に座ってで目の前にスクリーンがあってで椅子がこう揺れたりとか音が出たりとかしておーみたいにこう楽しむみたいな。
でスクリーンの映像はどんどん変わってストーリーが変わってってねみたいな。
まさに人間体験ってもうまさにあれだよねみたいな感じに思ってます。
人間体験って要するにあの本当にそもそもの話ですけどね。
本当はワンネスじゃないですか。
大いなる気づきの存在っていう位置なるものがわざわざその気づきの視点というか気づきのカメラですよね。
カメラを一人の人間に固定してるっていうそういう遊びが人間体験だと思うんですよ。
本当は全知全能で全てを気づいていてワンネスでみたいな。
そういう大いなる位置なる存在がわざわざその視点をすごい超ミクロな一人の人間っていう視点に限定してそれを鑑賞するっていう遊びだと思うんですよ。
同一化のことをアイデンティファイするみたいに言うと思うんですけど、まさにこの僕らの自分の肉体っていうものに自分のアイデンティティをアイデンティファイしてるわけです僕らは。
そういう遊びなんですよね。この自分の目の前のこの視界この視点っていうあなたの目の前に何でこの話を聞いてくれてるかわからない。
聞きながらね何か作業してたりする人もいるかもしれないですけど、いずれにせよ景色が広がってるわけじゃないですか。
それっていうのはさっきのライド系アトラクションの例えで言えばそのライド系アトラクションのスクリーンに展開されてる映像なわけじゃないですか。
この目の前の視界視点これが自分の持ち場自分のカメラの視点なわけなんですよね。
すごいねあのさっきからそもそもの話をしてますけどつまり僕らはみんな自分の肉体っていうねあのそういう固定されたアイデンティファイされた観点からですね人間体験シミュレーションっていうのをやるためにですね。
だからそのライド系のアトラクションに乗ってそれを体験してるんですよ。
で本当はあの何どこにいるかっていうと宇宙とかワンネスとかねあの分離っていうのはしてないので今も神様と一緒の安心安全な平和しかない場所そこにいるんですよ本当の自分は3次元世界にはいないんですよ。
人生を楽しむ意義
本当の自分は3次元世界にはいないんですよ安心安全な平和しかない場所あのさっきの例えで言ったら観客席なんですけどそこはまあスクリーンの映像の中の世界とは全く無関係なので安全は保障されているじゃないですかそういう感じなんですよねなのでそこは神様のテリトリーなんですよ。
僕らはここから離れたことっていうのはもう一瞬たりともありえないわけなんですよ。
今もずっとそこにいる安全なね観客席神様の居場所にずっといます。
だからこの3次元世界目の前に広がっている世界には本当はいないんですよそれがこの世界は夢だよっていう僕が言ってる意味なんですけど。
なので目の前の景色とか体の肉体的な五感っていうそういう感覚五感ですよねいわゆる五感が持ってくるすべての情報っていうのは全部人間体験シミュレーションゲームの画面の中での話なんですよその中の情報なんですよ。
五感が持ってくる情報ってのは全部スクリーンの中の話です。
だけど本当のあなたはスクリーンの中にいるんじゃなくてスクリーンを外の安心安全な観客席から眺めてそれを楽しんでいる存在なんですよ。
っていうことです。
だからこういうシチュエーションが真実なのでだからですねまあ言いたいことはだから目の前のスクリーンの内容がどうであれそれがちょっとね例えばちょっと退屈なシーンだったとしてもあのせっかく体験してるわけなんですよ。
せっかくそのライド系のアトラクションに乗ってそれを味わってるんですよ。
だから楽しめばいいんですよ。
っていうことなんですよ。
なんかもったいないじゃないですか。せっかくアトラクションね体験しにライド系のアトラクション乗ってんのになんかそれを楽しめてないとしたらちょっともったいないじゃないですか。
こういう発想この発想においてだったらその当たり前で平凡なことなんて何一つないっていうことを言いたいわけなんですよ。
まあそうなんかねどれだけ伝わるかよくわかんないんですけど本当にそもそも話をしたらまず分離っていう体験自体がもうやばくて実は何それっていう感じだと思うんですよね宇宙的にはですよ。
だって本当は本当はワンネスなんですよあの分離がないので分かれてないんですよ。
だから私とかあなたとかっていう発想がないし概念がないしそもそも知らないんですよそんなこと。
なだからその他人ってないにみたいなそういう人たち人たちっておかしいですけどそういう人たち分離の発想がない人たちがこれこのゲームこのライド系アトラクションに乗ったら分離の世界を楽しむことができるんですよって思うんですよ。
分離の世界を楽しむことができるんですよっていうあの触れ込みにあのなんかピンときてまあそれを今楽しんでるわけなんですよ僕ら。
ということで目の前の他人っていうのは本当は全部同じなんですよ自分自身なんですよね私もあなたもいないっていうのが真実なので全部自分自身なんですよ本当は。
だから本当は自分自身な人たちとこの地球での日常だと日々ねどうでもいい些細な理由で喧嘩したりとか笑い合ったりとか競い合ったりとか愛し合ったりとかいろいろねしてるわけですよ。
こういうのもこういう分離体験っていうのもワンネスのまんまだったら絶対にできっこないすごい貴重な体験っていうことなんですよその宇宙さんからのね視点をするならばということでその宇宙さんからの視点から言ったらすごい
まあアトラクションなわけですよねだから。だからまあ言いたいのは別に泣いても笑ってもアトラクションは進むしどうせお迎えの時っていうのは来るんですよあのアトラクションの終了時間っていうのは来るわけです。
どうその体験中に過ごしたとしても。
だから別になんかそのことを焦る必要もないしまあその時になったらみんな肉体脱いで宇宙とかワンネスなりにどうせ帰るんですから。
だったらまあ僕が言いたいのはアトラクション期間中はしっかり目の前の景色を楽しんだ方がいいんじゃないですかっていうそういうことなんですよね。
だってせっかくあなた専用のゲームを目の前で上映してくれてるんですから本当にあのライド系アトラクションの例えでさっきから話してますけど目の前のそこで上映されてるやつっていうのは普通だったらねあのお決まりのパターンのストーリーが用意されててそれをみんなでこう楽しむ共有して楽しむっていうスタイルだと思うんですけど
この人間体験シミュレーションは究極の没入体験ゲームなので本当に目の前の体験できるストーリーアトラクションの中身っていうのは本当にもうあなたオリジナルのかけがえのないものなんですよ。
宇宙に同じものは2つとないまさに唯一無二この無限に広い宇宙の中でたったあなた一人だけのためにわざわざわざわざというか上映されている超スペシャルなアトラクションゲーム。
そう思えたらそう思えたらっていうか事実そうなんですっていう話なんですけどそう思えたとしたら目の前の映像が面白くないとか退屈だとか言ってらんなくないですかっていう話なんですよ。
なんかもう全部が愛おしくなってこないですか。あなた専用の映像ゲームが目の前で展開されてるんですよ常にっていうことなんですよね。
例えば今僕あの車内でね今撮ってるんで車のハンドルとかまあ目の前にありますけどだから本当はなんかこれもすごい物理的に見えて硬いし現実ですねみたいな感じを醸し出しているわけなんですけど本当はこんなもんも全然リアルじゃなくて幻想なんですよ。
だから全然ねリアルじゃなくてあのイリュージョンなんですよね。だけどここ逆説なんですけどなんかそう思えるからこそ全然リアルじゃなくて幻想なんですよ。
だから目の前のハンドルとかねあの何でもいいんですけどあの自分の自宅で飼っているペットちゃんとかなんかこの映像を見たときに本当に愛おしくなってきたりするんですよ。
だってこのハンドルにしても本当によくできてます。おかしなこと言ってようですけどあのまるで本物としか思えないわけなんですよ。
退屈の新しい視点
でもその物質っていうのはその物理学的にももうね明らかにされている通りその実体っていうのはスカスカなわけなんですよ。全部その物質っていうのは振動波動でできてるって言いますよね。揺れてるだけなんですよね。
だからその揺れてる揺れによってそれが硬い物質のように見えているだけなんですよね。そのように感じられているだけなんですよ。
これあのちょっと言うとなんでその物質みたいにね硬くこのリアルにただの振動なのになってるかっていう話をするならばあの自転車の車輪ホイールあれを高速で車輪を回すと投げた石が向こうに行かずに跳ね返るみたいな現象が起きるわけじゃないですか。
だからこういう感じらしいんですよね。振動が物質化するっていうのはそういう感じらしいんですよ。すごいよくできてるじゃないですか。そう考えたらね。
そんなわけで、何を言いたいかといえばさっきから言ってることなんですけど、そもそもの話をするんであればあなたの目の前に広がる全ての景色っていうのは平凡で退屈なもんなんて何一つありえないわけなんですよ。超スペシャルでユニークなあなた専用の人間体験シミュレーションゲームっていうオチだったんですよ。
こういう視点で生活してるとまず安心感があると思うんですよね。別に宇宙ライドケアアトラクションなわけなので別にそこで何をしなきゃいけないわけでもないんですよ。
だってスクリーンの中にあなたはいないし、観客席で見ている存在ですから本当のあなたっていうのはね。だから別に恐れがないし不安がないので、別にだから焦りがないので何をしなきゃいけないわけでもないわけなんですよ。
そうしたらどんなスクリーンの映像でも楽しめるし感謝することができるんですよね。楽しめるし感謝できるっていうのは、楽しめるっていうのはちょっとメタ的な意味で言ってますけど、人間的にはいろいろ辛いこととか痛いこととかあったりするかもしれないですけど、そこはメタ的な意味っていうのはお化け屋敷でマジで怖い体験をしてる自分とかね。
そういうのも怖いけどそれを楽しんでるっていうことじゃないですか。メタ的な意味で言ったらそういう意味です。
ということで、だから本当のあなたはあなた体験シミュレーションを客席でくつろいで見ている存在なわけなんですよね。この事実だけでももうすでに無敵なわけですけど、でもこれにプラスしてですね、実は僕らはこの宇宙、この宇宙って3次元世界のことですけど、この3次元世界宇宙の観光客であると同時に創造主でもあるので、
そのアトラクションのスクリーンの映像がなんかちょっと違うなと思ったら、それを自由に自分の意思で変えられるっていうそういうパワーまで実は持っているっていうことなんですよ。
これがいわゆる引き寄せとかね、言われる話になりますけども、すごいですよね。だから実はそのポテンシャルは一人一人の人間がすでに持ってるんですよ。それは一人一人の本質が神の子だからなんですよね。
だからもうこれができたらこの人生ゲームっていう今の人生っていう遊びがですね、どんだけ楽しくなるのか、想像してみてくださいっていうことなんですよね。
そのための方法、スクリーンの映像を変えるっていう方法ですけど、それはいつも言ってることです。最初にもちょっと言いましたけど、好きなことやってくださいよ、ご機嫌さんでいてくださいよ、恋したわよとか、ワクワクに従って生きてくださいよとか、そういうことです。
これをやっていけばどんどんあなたにとって都合のいいライド系アトラクションゲームの映像になっていくことでしょう。あなたが決めればそうなる宇宙ですっていうことです。あなたの宇宙なのでそれは当然ですっていう、そういう宇宙らしいですよ。
はい、ということで、ちょっとね、何の話か最終的によくわかんなくなったなと思うんですけど、そもそものタイトルは退屈も悪いものではないですよ、ということでした。
人生を楽しむ方法
はい、どうだったでしょうか。なんかそうですね、今日の話はまとまりが微妙にないような気もちょっとするんですけど、楽しんでいただけたら僕も嬉しいなと思いつつ、ちょっと配信を終わろうかなと思います。
はい、ではここまでお聞きくださりどうもありがとうございました。皆さんの素晴らしい人生、楽しい人生を心よりお祈りしております。それでは失礼します。
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