二元性と非二元の理解
はい、こんばんは、カズです。 ちょっとね、あの間が空いてしまいましたが、配信していこうと思います。
なんかあの、ネタが過ぎたわけじゃないんですけど、ネタ自体は、こんなの面白いかなとか、こういうことも話したいなーみたいなストックは結構たくさんあったりするんですけど、
なんか僕の悪い癖で、ちょっと完璧主義っぽいところがね、多分ちょっとあって、もうちょっと中身を煮詰めて整理整頓してからじゃないと、出してもね、あんまり面白くないんじゃないかなーみたいな風に、
ちょっと気になるところがあってね、そこでちょっと、配信をね、ぐずってるみたいなところがあるんですよね。
まぁそんなところがあって、なのでまぁちょっと今日は、あんまりこの内容を煮詰めずにというかね、すごい緩めに雑めに配信していこうかなと思います。
テーマについては、今日は聞いてちょっとね、気持ちがちょっとふっと楽になるというか、肩の力が抜けるというか、
なんかね、そんな安心を届けるような、結果的にね、そういう内容になったらいいなぁと思いつつ、喋っていこうかなと思います。
あの僕らを取り巻く状況についての俯瞰した、総論みたいなね、雑なまとめみたいな、そういう内容にしようと思っています。
えっとですね、僕らの人生っていうのがあるじゃないですか、なんか生きてるじゃないですか、知らんけど、なんかとりあえず生まれたわけじゃないですか、この地球みたいな場所にね。
で、その現象、人生って何なんだよ、みたいなね、そういうところからなんですけど、そもそもこの三次元体験、人間体験あるじゃないですか、
スピリチュアルではこれ、二元性の夢とかね、二元性の世界での体験とかね、そういう二元性っていう言葉が使われるんですけど、
二元性っていうのは、要素が2つ以上の、みたいな意味なんですよね。
で、二元性に対応する反対の言葉が、これが非二元っていうやつで、非二元っていうのはまあスピリチュアルでもよく言われると思うんですけど、
あの、二元にあらずっていう風に書くんで、つまり要素が2つ以上とないっていう意味が非二元なんですよね。
つまり、要素が2つ以上ないので、あなたと私っていうのもいなくて、一つしかないみたいな意味ですね。源は一つみたいな、そういう意味なんですけど、非二元。
だからこれをワンレスって言ったりとかね、もすると思うんですけど、
そういうことですね。
スピリチュアルで言う非二元の教えが、最も真実に近いみたいなところで語られると思うんですけど、そういうわけなので、そういうわけなのっていうか、
だからそもそもの究極の真実っていうのは、二元性がない、分離がないっていうのが究極の真実なんですよね。
つまり神様しかいない。神様っていうのは愛そのものなんですよね。だからつまり愛しかない。ワンレス。以上、はい終わりっていう。これが究極の真実なんですよ、そもそも。
幻想としての人生
なんですけど、究極の真実はそれで、実は今もう分離なんて起きてないんですよ。
ここちょっとややこしい話をね、しちゃうかもしれないですけど、まあ奇跡講座が教えている通り、分離っていうのは実は起きたように思えて本当には起きてないっていうね、ここも結構ポイントなんですけど、だからこそ幻想とか夢とか言うわけなんですよ。ゲームとかね。
ゲームとか夢でもいいか、夢ってその夜見る夢はすごい見てる最中はすごいリアルで、あの目の前の世界が本当にあるかのように体験できるじゃないですか。
だけど目が覚めたらその夢で見た世界っていうのはもうどっか消えちゃうわけですよね。後方もなく探しても絶対見つかんない。
なんで消えちゃったのかというと、それ最初からそもそも夢の世界なんてなかったからなんですよ。
だから幻想っていうことなんですよね。そういう意味、愛なんですよ。夢とかゲームとか幻想っていうのは。
それと全く同じレベルでこの人生っていう営みも幻想であり夢なんですよ。っていうことを言ってるのは奇跡講座なんですけど。
これねなんかね直感的には全く理解し難いというかちょっと意味わかんないような話かもしれないんですけど、つまり全部
お遊びというか本当じゃないんですよね。 っていうここ1個ポイントです。
っていうことです。まあまあえっと 夢とかねゲームとか幻想の世界だとかいうことなんですけど
結局この人生とかね人間体験っていうのは。じゃあ それはいいとしてなんででも目の前にあるというかね体験してるとしか思えないじゃないですか。
僕もこうやって喋ってるし。 じゃあなんでこれが今こういう体験を僕らが実際体験してるのかと。
まあ仮想現実でも夢でもゲームでも まあいいんですけどでもそのゲームをやってるかのようにしか思えないっていうこれ自体はじゃあ
どうやってそうなったのかという話なんですけど これは愛一元あの神様しかいない愛しかないって元々の究極の真実から分離が起こったから
っていうことなんですよその 全く愛想のもの
ワンネスっていう 状況
だったんだけどそこに分離っていうのが生じた かのように見えたわけですねまあ本当は分離起こってないんだけど
なんかねあの分離しちゃった ような気がしちゃったというか。つまりこれが夢を見始めたっていうことなんですけど
神の子が夢を見始めたってことなんですけどね じゃあなんでその分離が
まあ起こったかというか というと
愛一元の中にいた だから神様から全然離れていなかった僕ら神の子たちは
まあ あの
なんだ欠乏感が全くなかったわけなんですよそこにいたら ネガティビティとか
感じたくても感じることができなかった なぜならそのネガティビティの概念すらなかった世界だったからなんですよね
愛しかないからね
だからそんな世界に居続けた僕らはある時なんか退屈したのか えっと
ちょっとネガティビティってどういうもんなのかなとか 二元性の世界ってどういう感じなのかな
みたいなふと思ったらしいんですよ 間が刺したというか
でちょっと分離してみようかなみたいになったらしくて それでこの二元性の世界が立ちどころに現れて
結果的に僕ら元広波動の幸せそのものみたいなところでずっと暮らしてたらしいんですけど
それが地球という波動の重たい惑星に またね
波動の重たい肉体というものをまとって人間をやることになったと そういうことらしいんですよね
で
まあこのなんとなくそのネガティブってどういう感じなのかなとか 分離ってどういうことなのかなっていうそういうこと
それについては
なんかねお化け屋敷の例えが近いかなと個人的に思ってるんですけど だからお化け屋敷
とかまあホラー映画でもいいですけどそれを楽しみたかったから だから分離した
地球に来たっていう説明 が結構ねあったりします
お化け屋敷を 楽しむホラー映画を楽しむっていうのは
なんか怖いっていう体験をしたくてお金払ってお化け屋敷に入ったり ホラー映画の見にね映画館に入ったりするわけじゃないですか
なんかねちょっと まあ嫌いな人からすると意味わかんないことだと思うんですよこれ
なんでわざわざ怖い体験をしに怖がりにお金払って そんなところまで体験しに行くんだっていうね
ことだと思うんですけどでもそういうことをやっちゃう人も実際いるわけですよね それと同じ理屈同じ心理で僕らも分離ってものを味わってみたかったらしいんですよね
それがまあ地球は制限欲しいって言ったりもするんですけど その制限というものが制限という概念がないくらいに自由しかない
愛しかない世界に僕らずっといたんで ちょっとねその制限を味わいたくなってわざわざ地球に来たっていうそういう説明なんですね
この辺は全部その言葉通りに捉えないでほしいというかだいたいそんな感覚なんだなー ぐらいな理解で全然いいと思います
スピリチュアルな流れの変化
なぜなら結局言葉でどれだけ説明しようとしたところで結局全部 こういうのって神話なんですよね
あの なんかどうして分離そもそも分離したが起こったかみたいな説明も僕たくさん
の説明の仕方をいろんな人から聞いてきて だいたいその大筋で共通してるんだけど
でもあのちょっと違ったりするんですよ 細かいところとかねニュアンスが
まあでもだいたいその共通してる大筋のところだけ抑えてくれれば まぁこの辺は所詮神話なので
変えたないというかまぁそれでいいと思うんですよねまずね これちょっと打足なんですけど同じような感じでスピリチュアル用語ってたくさんあるじゃないですか
あのハイヤーセルフとか あのアセンションとかツインレイとかたくさんねあると思うんですけどそういうのも結局
あのこういうの学術的な言葉じゃないんでちゃんとした定義っていうのもないんですよね だから人によって魂っていう言葉の使い方だったりニュアンスだったりっていうのも
違うし だから
そのこういう言葉こういう単スピリチュアルなワードを なんか学術用語みたいな感覚で使っていくと絶対そのあの人と言ってることとこの人と
言ってることとおかしい矛盾してるみたいな感じになっちゃうんで この辺はゆるく
捉えておくのが一つポイントかなと思います まずちょっと余計な話しましたけどそんなわけでお化け屋敷を楽しみたかった僕らは
愛一元の世界からちょっとスパイスをね楽しみに地球に来ましたと 人間やってますと
いうことなんですけど でも今そのスピリチュアルとかね流行ってるじゃないですか流星じゃないですか
でアセンションしてねあの次元上昇していきましょうみたいなこともよく言われると思うん ですけど
これっていうのはねもういい加減お化け屋敷飽きたと 怖いのはもううんざりだとネガティブはもううんざりもう十分体験しました
だからもういい加減あの愛一元のホーム 愛に戻っていきたいっていうねそういう欲求がまあ心のね
深いレベルのところで高まってるっていうのが 今の全地球的な流れというか
なんか線 人間の集合意識的に起こっていることらしいんですよね
それがあの人間全人類の意識レベルがね 上昇しているとか地球のあの波動が上昇しているとかねそういうこと
になるらしいんですけど なのでそうもういい加減ねお化け屋敷
もう十分だからもうそろそろ帰ろうぜっていう風になってるってことですね これが最近のスピリチュアルの流れ
というかね だから今スピリチュアル学ぶ人はすごい恵まれてるっていうのはそういうこともあるわけなんですよね
現状の理解
すごくあの思い込みは手放しやすいし波動も上げていきやすい 真実の情報もアクセスしやすいっていうねすごく恵まれた状態に今いると思います
だからみんなスピリチュアルがあの流行ってるってことですね なんですけど
まあねあの そういうことなんですけどお化け屋敷の例えで言うとお化け屋敷入ったら
でお化け屋敷もう十分なんか辛い怖い思いしたし いやもう十分体験しましたとなったら別に戻りゃいいわけじゃないですか
あの出口からね外へ出れば元のね安心安全な日常に戻ってこれるので
だからいつでも出たけりゃ出ればいいホラー映画ももう怖くなったら見るのやめて シアターから出ればいいわけじゃないですか
なんだけどこのゲームは究極の没入体験ゲーム あの
忘却のゲームとも呼ばれるんですけどこの人間性のゲームですね だからマジで何もかも忘れて記憶をまっさらにリセットしてここにログインする
ゲームの舞台に立つっていうのがこのゲームのルールなので だから自分が何者かもどうやってここに来たのかも
そういうことも一切忘れちゃったんですよ 深く眠りこきすぎて帰り方がわかんなくなっちゃったっていう状態ですね
それでなんか生きててもなんかわかんないけどつらいこと多いし でもどうしたらいいのかわかんないみたいな
これが今の僕らの現状だとざっくり言えるんじゃないかなと思います まあそんな状況なのでめちゃくちゃ俯瞰してみたらだから今の世の中ね
ぶっちゃけ僕はすごい生きづらい世の中じゃないかなと思うんですよ で今の世の中が生きづらいって思ってる人がねいるとしたら僕の他にもいるとしたら
やっぱりそれは お化け屋敷の奥深くまで潜り込んでしまったからっていうことですよね
恐れの動機
お化け屋敷のすごい奥深くまで潜り込んだのでみんな暴却のゲームに参加してみんな自分の本当は神の子だっていうアイデンティティも忘れてみんなで恐怖体験をしに来てるんですよ
で みんなが怖がってるのでお互いにこう叩き合ったりもしちゃうわけなんですよね
安心できないので
これもちょっと打足なんですけど攻撃って 攻撃っていうか怒りかな
怒りっていうのは 一時的な感情じゃなくて二次的感情なんだっていう話があって
だから怒りは二次的なんですよ じゃあその怒りの元はなんだって言ったら恐れとか不安とか恐怖なんですよね
つまり何か安心安全じゃないから怒りの感情を引っ張り出して攻撃したり防衛したりして安心を得ようとするっていうそういうことなんですよ
逆に言うと安心安全を絶対的に感じている人は怒るとか攻撃するっていう必要性がそもそもないのでそういうことになったりしないんですよね
っていうことなんですよ だから奇跡講座が言う通り人の行動動機行動のモチベーションっていうのは愛か恐れの二者卓一だどっちかしかないって言うんですけど
本当にこれそうで人今の人間の何か行動をするモチベーション行動動機のほとんどがまだ恐れモチベーションなんですよね
安心安全じゃないから何か恐れに接近れて何かをするっていうモチベーションになっちゃってつまりこれがエゴとか思考で何かするとかそういうことなんですけど
これで世の中がぐるぐる回っちゃってるのでまだあの諍いも絶えないし戦争起きるしみたいな色んな社会問題も起きてるしみたいなそういうことらしいんですよね
だから世の中をもっと良くしていきたいってなった時も根本治療としては同じで結局真実に目覚めていくしかない真実に目覚めていくとどうなるかっていうと本当は分離は幻想だったんだっていうことに気がつくんで
どんどん安心感が心の中で生まれるわけなんですよそうすると人を叩いたりとか落とし入れたりとかそういうことをする必要性がそもそもなくなってくるのでみんなが安心安全に幸せになれますよということなんですよね
目覚めの重要性
でこれも一個ちょっと注意かなと思うところがなんかね目覚めてる方が偉くて眠ってる人は劣ってるみたいなねその優劣がここにすごく入り込みやすいかなと思うんですよ
これ結構ね何か注意しててもどうしたってちょっとね入ってきちゃうというかあのなんかすごい根深い問題じゃないのかなと僕は正直思うんですけど
でもちょっと考えてみてくださいっていう話でそもそも深く眠ってる人つまり愛に目覚めていない人というか
そういう人はでもそもそもお化け屋敷入ろうぜって言ってねあの僕らお化け屋敷体験したくてみんなでお化け屋敷体験しようぜって言って地球に来たわけじゃないですか
だからそのネガティビティとか制限とかそういう不自由さとかそういうのを体験するっていう目的で僕らここにやってきてるんですよ
だからそもそもそういうだからそういう観点からそのいわゆるすごく深く眠ってる人まだその目覚めみたいなのに意識が向いてない人をそういう観点から捉え直してみたら
むしろ一番楽しんでる人というかむしろお化け屋敷のすっごい奥の最深部までどんどん探究していってすごいですねみたいなね
お化け屋敷ガチ勢ですねみたいなねそういうなんか賞賛さえ向けられるような気が気もするんですよね
だからそれはそれでなんかある意味すごいというかだから全然劣ってるわけでもなくて
そもそもなんだろうお化け屋敷体験っていうゲームなので楽しみ方もねどこまで行くのかも人それぞれだし
で嫌になったら帰ればいいしっていうそんだけの話なので優劣じゃないよっていうことですね
ここでまたそれがダメだとか優劣の意識を持ち込むとまたそれも分離ということになるのであんまり目覚めたいのであれば
お化け屋敷からさっさと退散したいのであればそういうことは思わないほうがいいってことですね
で僕はわかる通りですねとっととこのお化け屋敷から脱出したいわけですよ
僕はねこのチャンネルの意図としてもうそういうことつまり真実とか愛とかね
人間性は幻想だっていうことを見切って見破ってどんどん真実に目覚めていきましょうよっていうね
お化け屋敷から退散していきましょうよっていうもう十分辛い思いはしてきたでしょうからもういい加減愛に戻りましょうよっていう
そういう意図でこのチャンネルもやって配信しているわけなんですけどこういう状況を改めて俯瞰してきて
じゃあ結局僕らがやるべきなのはじゃあそのためにどうすればいいのかと言うとこれはまぁととと真実を思い出してホームに帰ることなんですけど
これを周波数上げるとかね目覚めるとかそういう言葉でも言うと思うんですけどより具体的に言うとまあ
並木さんがねよく言ってるまあ僕も配信でよく言ってることですね
コヒしたふわよっていう心の声に従って人生を楽しむことですね
これをやっていけば真実を思い出してお化け屋敷から出てホームに素早く帰ることができますということですね
ちなみにコヒしたふわよは心地いいこと惹かれることしっくりくること楽しいこと腑に落ちることワクワクすること喜びを感じることですね
それでコヒしたふわよなんですけど魂のそういう感覚そういう感覚の声に耳を澄ませて行動を選択していく行動を重ねていくってことですね
そういうふうにやっていけばあの真実を思い出せますということです
でえっとなんかね周りの人も目覚めさせたいと言うことも思うと思うんですよ多分ね思うかもしれないんですけど
結局周りの人を目覚めさせるために僕らができる最強のこととしては自分が率先して目覚めること以外にないんですよ
結局やっぱそうなんですよねこれは老子も言ってる格言で馬を水辺に連れてくることはできるんだけどでも水を飲ませることはできないっていうね
ことわざはことわざしない格言があると思うんですけどなんかそういうことなんですよね人には自由意志がやっぱりあるので強制して
他者をコントロールして強制的に目覚めさせるっていうのはやっぱり原則できないっていうことなんですよね
だから人のことは最終的な自由意志があるのでそれを尊重してその人を信頼して自分は先にこっち行きますよって
お家帰りますよホーム帰りますよって言ってお化け屋敷から退散することそれが結局そのお化け屋敷を絶賛眠って楽しんでる人たちにとっても効いてくるということになるんですよね
あいつなんかどっか行っちゃったけど俺らもそろそろ行ったほうがいいんじゃないのみたいなねそういうことになってくるということだと思うんですよ
だからこういう状況で僕らがやるべきことは目覚めることですね人生を楽しむこと
で人生を楽しむ目覚めていく
そのためにちょっと役立つポイントとしてまあよりやっぱり安心感っていうのがね僕強いかなと思うんですよこれを
やるために攻略するために安心感っていうのがね結構ね大事じゃないのかなと個人的には思っているのでちょっと最後に
攻略をよりやりやすくするための安心できる話をねちょっとそのポイント1個話したいかなと 思うんですけど
それはですねさっきも さっきもというかずっと言ってることなんですけどそもそもこれはお化け屋敷なんだっていうことなんですよ
どんだけ えっとまあ辛かったりひといことがあったとしても結局それはお化け屋敷を楽しみに来たんだって
いうことなんですよね っていうこれがやっぱりね救いになるんじゃないかなと思います
お化け屋敷なので作り物なんですよ遊びなんですよ もっと言ったらだからリアルではないっていうことなんですよね
お化け屋敷じゃなくてまあホラー映画でもいいですよ ホラー映画も
本当にホラー映画の世界に自分が投げ込まれてしまったとしたらそりゃ怖いと思います けどでも
所詮映画じゃないですかあの 所詮作り物で所詮映画だから僕らは
わざあのなんだ 余裕こいて
モニターの前でね キャーとか言いながらホラー映画を見ることができているわけなんですよ
これなんでそういうことができるかっていうとリアルではないことを知ってるからなんです よね
これと全く同じ理屈でこの人生もリアルではないんですよ たとえこの肉体を縫うことになってもこの肉体が何かね
損傷するようなこととか
ことになっても 究極この肉体も本当のあなたではないので
この肉体もリアルではないんですよね全部幻想なんですよ だから本当に死んじゃったりとかもしないんですよね
なんかあなたの本質は魂の方なので 肉体じゃないんですよねだから
魂は殺そうと思っても死ねないみたいなねそういうことなので
不死の認識
なんだろうなだからどうやっても 死ねないんですよ僕ら不死なんですよねだから
どん底のところでそうなんですよ 僕らが不死な理由はそもそもこの人間性の物理的次元に属してないからなんですよ
僕らが
うん なんかなぁこれねあの奇跡講座の論理なのでちょっと
むずいんですけどあのなんとなくね僕があのゲームが好きなんで あの
僕のイメージですけどなんかマリオカートのゲームやったことある人はわかってくれる かなと思うんですけど
あれに8 なんかゴーストっていうねあのアイテムがあってそのと体が透けて透明になれるっていう
のがあるんですよ その状態の時に
うんとまあいわゆる無敵になるんですよね 無敵の状態だから体が透明に半分透けている
ゴースト状態でレースを続けることができるんですけど 実質僕らそんな感じなんですよね
本当はこの地球にいないんですよ 魂の方が本質なので
だからどんだけ怖い目にあってどんだけひどい目にあって 地震が起ころうが原爆が落ちようが雷が落ちる落ちようが
死なないんですよあの言っちゃえばね っていうことなんですよ
ここが究極の安心感のセーフティネットになるんじゃないのかなぁと個人的には 思っています
なんかねこれがあると本当に
だから言っちゃえば究極的にはこの世界この物理次元は夢だしこの物理次元に 僕らはいないので僕らの実態がそこにあるわけではないのでだから
何があっても大丈夫なんですよ っていうことなんですよね
ただ体験はありますよホラー映画を見続けている状態なんで すごい怖い思いだったりとか死にそうな思いだったりとかそういうのはあると思います
でも究極怖いだけなんですよ言ったら っていうことなんですね
そう究極怖いだけで 怖いことはあるかもしれないんだけどでも
実質的にノーダメージみたいなことなんですよ 肉体は自分ではないので
これ別にこのなんか言ってる話が意味わかんない 全く何言ってるんだこの人みたいなねそういう感じでもこれは別にあのなんていうの
事実なので 頭で納得しなくても負に全く落ちなくてもあなたが不死であるっていう絶対の事実に
揺るぎはないので大丈夫ですってことです そんなような感じで
だから絶対何があっても大丈夫っていうのが 一つね
だからここを知らないとやっぱ怖いじゃないですか 本当にねホラー映画の世界に自分が立ってるんだって
なんだ腹の底から信じ込んでる人って めっちゃ怖いと思うんですけどでもそういうわけではありません
体験を楽しむ
あの僕らモニターの外側にいる観客的立場の存在なので モニターの中側スクリーン上で動き回ってる
キャラクターではありませんということです なので安心して
なんだ 今のスクリーンの内容ですよね人生体験がちょっと自分の
望ましいものではないとしたらちょっとしんどいなぁみたいなね そっちが強いんだとしたら
どんどん恋したがように従って楽しく 目覚めの方向に向かってちょっとねそういうね悪い夢からは退散していきましょう
ということでした なんか
ちょっと取り留めのない話を またダラダラしてしまったかなと思うんですけどまぁ今日はね
こんなところで 雑な配信を終わろうかなと思います
またあのなんだろうな いいねとかねぜひねコメントとかなんかどういうことを皆さんが求めているのかっていうのもね
僕結構知りたかったりするので もしよかったらコメントかなんかで教えていただけたら嬉しいなと思います
それでは今日はこれで終わりにしたいと思います どうも長らくお聞きくださりどうもありがとうございました