魂の発掘
こんにちは、英語指導メンタリストのはじめ先生です。このチャンネルでは、思考を変えることによって英語力と人生を劇的に好転させる秘訣についてお伝えしています。
今日のテーマは、自分の魂を発掘しよう、というお話です。
先日、自分の見残った不思議な体験について話をしてきましたが、それについてあまり語らない方がいいのかなと思う一方、でも何か語りたいという自分がいて、おそらくそれは語りたいというのは語れと言われているのだろうと解釈してお話をさせていただきます。
まずね、自分にどんな衝動が降りてきたかというと、久しぶりに絵を描きたいという気持ちがめちゃめちゃ強くなってきたんですよね。
多分この絵を描いて、僕は多分メッセージを受け取る、そしてそれを人に伝える、多分それが僕のミッションのような気がしてきたんですよ。
英語の先生として言葉で何かを伝えるということもしていて、今こうやってスタンドFMでこのように言葉で何かを伝えるということをして、皆さんに少しでも参考になることがあればいいんですけど、
そうじゃなくて、やっぱり言葉を越えてダイレクトにイメージで伝えるという、それも自分の持っている特性なんだろうなと思って、それをやりたいというかやらなきゃいけないというか、そんなような気がしてきたんですよね。
15年くらい前まではある絵画団体に所属していて、年に1回地方展をやり、また年に1回は全国展、東京都美術館での大きな展覧会をやって、そこに毎年出品していて、受賞歴もあったりしたんですけれども、
最近はもうビジネスを始めてから全然そういうことをやっていなくて、絵の道具も一旦手放したんですよね。だから今描ける状況にはすぐにはないわけですけれども、
昨日ふと思い立ってキャンバーを使って絵を描いてみようと思ったんですね。キャンバーAIというのがあって、プロンプトを入れるとそこに自分の思ったような画像が出てくると。
なかなか思ったようにならないんだけど、それで基本的なイメージを作って、そこに重層的にいろんなものを重ねていって、キャンバーの中にある素材、あるいはネットで拾った画像の加工をしたり、いろいろといわゆるコラージュというやつですね、技法的に言うと。
自分のイメージに近いものを作り上げていくということをしたんですが、なかなかこれが楽しくてですね、自分が喜んでるなというふうに思ったんですよね。
そうやって何年ぶりかで作ったデジタルアートですけど、それを作ったのを昨日Facebookに上げたんで、URLを貼っておきますから、よかったら見ていただければと思います。
改めて自分のアートを展示するだけのインスタグラムとかを作ってもいいかなと思っていたりします。それはおいおいやっていこうと思うんです。
このアートを作ること、やることによって、それがどうなるかというのは全然わからないわけです。ただ単に自分の衝動としてやりたいからやっているだけなんですよね。
僕のこのアートのディリースに名前をつけているんですよね。もう本当に20何年前からずっとやっているような一連のワークがあるんですけど、
これは英語で言うとExcavated Images。Excavatedというのは発掘されたという意味ですね。Imageというのがイメージです。発掘されたイメージというシリーズになっていて、
これ結局何かというと、この間のミッソン遭遇の話と同じように、なんだかよくわからないけど自分の心の奥底にあるものを手探りで探っていくような、そんな感じのね、手探りで発掘していくような、
土に埋められていても、もともとどこかにはある。だけどどこにあるかわからないし、それが何かもわからないものを掘って手探りで探っていくような、そんなプロセスなんですよね、作品を作る時に。
何かの絵を描きたいって思って描くのではなくて、その衝動みたいなものが先にあった時に、その衝動みたいなものに身を任せて、それがどういう形になるのかわからないんだけど、それに身を任せて、感覚に従って、すごく心もとない感覚なんです。
何となくこっちの方がいいような気がするみたいなね。それによって進めていった時に、何か一つのイメージになってくる。そうした時にだんだん自分の方向性みたいなものが見えてきて、そっちにこう、だんだん自分のイメージがまとまっていく。
おのずとまとまっていって、完成してみると、ああなるほどね、こういう感じのことが言いたかったというか、そういう感じのものを自分が求めていたんだね、みたいな結果になるようなやり方をしているんです。
このやり方というのは、精神医学にちょっと通じていて、特に昔のフロイトとかのですね、初期の頃の精神医療では自由連想法というのがあったんですよね。今もあるのかもしれないけど。
とにかく自由にどんどん語らせていくと、その人の心の確信にある何か悩みであるとか課題であるとか、そこに行き着くというものなんです。
これはジャーナリングをしなさいという話をしますが、ジャーナリングというのもそうなんですよね。自分で何かどんどんどんどん書いていくと、アウトプットしていくことによって自分の心の中にあるものの、特に今気にかかっているもの、そこが出てくる。
それをさらに自己対話していくと、また何かわかってくるという、それと同じような感じのプロセスなんだと思うんですよね。
考えてみたら、今の状態になったのって、自己理解ワークセッションとか、自己理解ブームがあったんだけど、それを通じて結局自分もめちゃめちゃ深い自己理解につながったんだなという、この面白さですね、このシンクロニシティというか。
その自己理解ってやっぱりいろんな層があるというか、次元みたいなものがあると思うんです。
自分の得意不得意とか、人にこういうふうに言われるよとかっていうような、そこが割と顕在的にわかりやすい部分。
だけど自分は意外と気がついていないという。そこをこの間の自己理解セミナーでは行っていたんですけれども、もっともっと本当に魂レベルの自己理解っていうふうになってくると、結構やっぱり難しいと思うんですよね。
やっぱり言語化がすごくしにくい。自分の言葉にならない衝動とか、もやもやした感情であるとか、そういったものに向き合っていって、そういったものがあるんだということを認識していって、
その中に自分を発見していく、自分の本当の望み、自分が本当に欲していること、それが一体何なんだろうかという事故との対話ですかね。それが一番大事なんだろうなと思うんです。
体の声を聞く
ところがやっぱり日々忙しいじゃないですか。やらなきゃいけないことがいっぱいあって、非常に作能的に脳を働かせているから、自分の魂レベルのこと、そっちに向き合う時間がなかなかなくなってしまう。
そこで何かがやっぱり違うような気がするというふうに思いながら生きている方も多いと思うんですけれども。そういった時に一つヒントになるのが、体の声を聞くというのも結構大事なのかなと思ったんですよね。
特に昨日、今日あたり、新月ということもあって、非常に眠いとかね。新月満月の時ってやっぱり体調がいろいろ崩れやすい人もいると思うんですけど、そういった体の声に耳を傾けてみる。
何かあった時に、頭で考えるのではなく体とか身体感覚であるとか、やっぱり感覚ですね。ブルース・リーが映画の中で言った言葉がありますよね。
Don't think, feel という言葉ですよね。考えるな感じろというところなんですけど、そこって多くの人が考えるな感じろというのの本当の意味というのをよくわかっていないのかもしれないですね。
長年思考が最上位にあって、感情や感覚はその階にある、下にあるみたいなね。そんな風に扱われてきたというところもあるんです。
だけどそれを頭でっかちという言葉で揶揄する言葉もありますけど、それくらい思考に傾いているということが危ういということを感覚的に表した言葉なんじゃないかなと思います。
多分自分が絵を描こうと思ったのは、もっともっと感覚を使っていきましょうという感覚を欲しているんだと思うんですよね。
言語にならない、絵も言われないものを感覚で捉えていくということを多分自分が今必要としているんだと思うんです。
他にも皆さんもね、例えば自然に触れたいと思う。緑の中に行きたいとかですね。水に触れたいとかですね。
あるいは何かを食べたいとかですね。音楽を聴いたいとかね。
そういう感覚的な欲求みたいなものに耳を傾けていくというのはやっぱりすごい大事だと思います。
それは自分との調和、自分の魂と自分が調和するために多分必要なものだと思いますので、
自分がどんな感覚を欲しているかというのに少し耳を傾けてもらって、その自分の感覚的な欲求みたいなものをその都度満たしてあげるというのが結構大事になるんじゃないかなと思います。
それを後回しにしちゃったり、皆さんしますよね。感覚的な衝動に身を任せてはいけないという、ちょっと理性的なものもあるからなんだと思うんですけど、
ですがあえて自分の感覚的な欲求というものに従ってみるというのを試してみると、何かまた違ったものが得られるかもしれません。
というわけでね、今日も聞いていただいてありがとうございました。
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