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魂に目覚める 魔法の知恵袋
こんにちは、こえラブのおかなです。
こんにちは、リアルスピリチュアリスト 橋本ゆみです。
ゆみさん、今回もよろしくお願いします。
はい、もう100回過ぎて101回になりますが、また積み上げていきましょうね。
積み上げていきましょう。
じゃあ、今回どういったお話でしょうか。
はい、今回もですね、リスナーのちいこさんという方からお便りをいただいております。
はい、ではご紹介をお願いいたします。
はい、いろいろなものが見えるとか感じるとか、すごいなぁ、素敵だなぁと思いますと。
でも、ゆみさんは見えなければよかったとか、知りたくなかったとか、そんな風に思うことはありませんか?と。
おお、いろいろ見えたりとか、知ったりとかっていうところってあると思うんですけど、
逆に知ってしまって、後悔するっていうか、知らなければよかったっていうようなことがあるかっていう、そんなご質問なんですね。
そうです、そうです。
これいかがですか?
これですね、見なければよかったものっていうことから言うと、特にないんですよね。
見て、見るっていうことは、ただ見てるだけなので、でもそこの後に生理的な反応っていうのが起こるケースは、それは人間なのであるんですね。
だから、嫌な気分になるとか、これ気持ち悪いなっていうのは確かにあります。
あるんだけど、出来事と個人的な反応っていうのは、これはもうだいぶ分けて捉えているので、
ここはまあ、リーダーとしてトレーニングをしてきているので、そこがごっちゃっていうか、一つにあんまりならないというか、してないっていう部分なんですけど、
そういう意味では、だから、見なきゃよかったなみたいなのは、あんまりないなっていう感想ですね。
そういうことですね。だから、そこの、そのものの起こっている事象と、自分の感情とか、そういった思いとかを分けておくと、その起こったことに対しては別にいいも悪いもないみたいな感じなんですね。
ただね、仕事でそれを深めるっていう時は、これはもうね、大変は大変です。
自分の起こる反応は脇に置いて見に行かなきゃいけないから、それは大変っていうか、それはやっぱりプロとしてやっていく、トレーニングしてやっていくところなんですけど、
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例えば、別に仕事だけど、そんな深く見なくていいこととかは、ある程度見て、そうなんだなって思いにするみたいなことは、自分でね、判断できるので、そういう意味ではあんまり見なきゃよかったはないなっていうのと、
ただ、やっぱね、知りたくないっていうのはね、これはね、これは一個だけね、ありますよ。
あるんですか?何ですか?
これは恋の結末ですよ。
あ、そうなんですか。
これだけは知りたくないよね。
知りたくない。
なんか、ドラマのワクワクしてどうなるんだろうって時に、横でほら、ドラマとか映画の最終のところを言われるみたいな感じですわ。
だから、そのワクワク感は楽しんでおきたいのに、結論聞いちゃうと、なんかちょっとダメとか、
そうなんだよみたいな。
もうちょっといろいろね、知りたかったのに、楽しんでいたかったのに。
私の期待はどこに置いたらいいの?みたいな。
でもね、それはね、プロセスとして楽しんで、もうめっちゃ楽しんで、やるしかないと。
もうこれ実らないんだなって分かりながらも、もう後腐れなく後悔なくやりきるしかないっていう、これが一番大変ですよ。
だから、そこは本当に知らないほうが良かったってなっちゃうんですね。
そこは別に分かんなくていいみたいな。
なるほど。逆に言うと、それ以外はそんなないっていうことですか?
そんなないですね。
あんまり今のところ、知ること自体は別にどっちでも良くて、それを伝える伝えないはやっぱ迷う。
そういうことですね。クライアントさんに対して、知ったけどどういう伝え方するか、もしくは伝えないかとかっていうところですかね。
そうそうそう。クライアントさんに嘘をつくことはないので、何ていうの、なんか、歪曲するみたいなことは一切してないんですけど、
何ていうのかな、究極、なんかよくある死の告知みたいな、がんだって知ったほうが良い人と、知らずにそのまま過ごしたかったみたいな人といるじゃないですか。
そうですよね。
なんかそういうようなこととかは、慎重に相手に聞きながら伝えるっていうのはありますけどね。
それは知りたい知りたくないとは別の話になってきて。
じゃあ基本的にはそういって見たり聞いたりとか知ったりとかっていうのは、それほど全部見えたからといって、自傷はないっていうことの方が多いっていうことですね。
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そうですね。結構めんどくさいっていうか、自分、私個人がうーんってなるのは、やっぱり世の中の流れを見る、リーディングするときぐらいですかね。うーん、きもいなーみたいな、うーん、きのくさいなーみたいな。
そういうのを、基本的になんか変な事件とか、ああ、ここトッキンだなって情報が来たとしても、それはもう言わないってして、もう言わないみたいな感じの選択をしたりはして、だから知りたくなかったっていう感想は別にわかないだけですね。
そうなんですね。これはあれですかね、これからそういったスピリチュアルなことを学ぼうといった方も、同じようにそういうふうに切り離すようなトレーニングをしていきながら、聞いたりとか見たりとか知ったりとかしても、大丈夫なようにどんどんなっていったほうがいいっていうことなんですか、これは。
まあ、私はそう思いますけどね、プロとしてやるんだったら、やっぱり仕分けできたほうが、自分が楽なんでね、やっぱり変なものを見たら嫌だなとか、みんな思う、みんなっていうかね、やっぱり聞くんですよ、シャネルリングの受講生とかで、変な人、変なのと繋がったらどうしようとか。
あとは結構、最近も受講生の間であったのが、占いとかリーディングをで、自分が見たこと、カードで出たことを伝えたら、その人の人生にちょっとでも影響を与えてしまうのではないかっていう恐れとか、なんかそういう結局変なもの見たら嫌だな、なんか人変えちゃうんじゃないかなって。
究極何を恐れてるのかっていうところになってきて、それは絶対的に自分の中にあるもので、それをやっぱりね、見つける、そのプロになる、なりたい人は、やっぱりそこを見つけていくといいなって思うのと、それを言葉にすると、自分と向き合うとかなるんだけど、究極言っちゃえば恐れと向き合う。
でも、それは死への恐怖なんですよね。
で、それは肉体の死を連想するんですけど、自我の死っていうのが実は結構みんな避けたい死なんですね。
これはどういう死なんですか、自我の死というのは。
エゴの死って言ったらわかるかな、これが私、私ってこういう人っていう枠組みが失われていくこと、要するに自我の崩壊っていうことなんですけど、それをね、死の恐怖っていうのと人はリンクしていて、深いところで。
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なので、結構スピリチュアルとかのお坊さん系とか、シャーマニズムとか、修玄道とかね、なんかこう修行っぽいことやってるじゃないですか。
で、それっていうのは結局、恐れを乗り越える、その自我の死でも肉体の死も、その恐怖を乗り越えるっていうことを、いろんなワークを通じて自分を越えていくっていうのをやっているんですよね。
で、それが結局、ニューエイジの人はやんないので、ニューエイジ的なのがみんな人気なんですけど、結局、なんかね、100回目の時も話したけど、結局それは何のためにやってるのかっていうのを突き詰めていくと、
究極はね、自分っていうのを確立するのに生まれてから、環境とか文化とか、良心の影響とか、いろんな影響を受けて、私っていうのが作られていて、でも本質的な私っていうのは純粋に生まれた時にあったはずじゃないですか。
そこらへんを、その玉ねぎを剥くように、誰、なんか背負った役割、何とか家の長女、長男とか、嫁とか、何とかとか、なんかそういうのをちょっとずつ剥いでいくと、結局その私っていうのを手放していく、それが死っていう表現なんですけど、例えば肩書だったら、その肩書を剥がしていくみたいな。
肩書ぐらいはなんてことないよ、かもしれないけど、じゃあ母親っていう役割を手放すってなった時に、相当怖いじゃないですか、いろんな言い訳多分言い始めると思うんですよ、まだ子供が小さいからとか、母とはこういうもので、両親がこうだ、旦那がこうだっていうのが、やっぱりその鎧っていうか、自分に何かをまとわせて守っているっていうことなので、
そういうのをね、自分と向き合うって表現よくするんですけど、やっぱりそれはみんなやりたがらないんですよね、特に過去世でそういう修行みたいなことをやってきたり、あとまあなんか宗教でそういうのをね、体験して嫌だったとかいう人とかだと、まあやっぱりみんな嫌がるので、
宗教なんていらないとか、私はのんびり生きたいとか、言いたくなるのをすごいわかるんですよ、私もそう思うからなんだけど、結局自分と向き合う、お墓の話ともそうだけど、死に向かって生きている中で、自分自身の生き方を見つめる、つまりは自分をどうやって大切にするか、そこに尽きるんですよね。
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だから、スピリチュアルなスクールとかでよく耳にしたり、私もそういう場に行ったことがありますけど、なんか葛藤を手放さなきゃいけないとか、自我を手放さなきゃいけないとか、なんかそれを薬器になっているっていうのは、これちょっと本末転倒。
で、その奥にある自分とか、なんでそうなったのかっていうプロセスとか、なんかそれを大切に紐解いていってあげると、本当の自分っていうのをこう、本当にお玉を救うように、救い取るような感じで自分と出会えていけるので、
うーん、なんか、なんていうのかな、やっぱり、ありていに言えば、自分と向き合う、自分を大切にする、なんだけど。
この見えるとか、見えないとか、そのあたりから、そういった自分を見つめるっていう話にくくるとは思わなかったので、
そうですよね。
ああ、そういうふうにつながるんだと思って、ちょっとびっくりしましたけど。
私は昔わかんなかったんですよ。やっぱり、こういうそういうカルマとか、なんか葛藤とか、自我を手放さなきゃ悟れないんだ、未覚醒しないんだ、みたいなことを聞いて、へえ、そうなんだ、軽い感じなんですけどね、へえ、と思って、でもまあ軽くなったら楽だよなと思って、そういう取り組みをしていった中で、
結局それだけだと片手打ちで、もともとやってた心理学で考えたら、もっと楽にいけんのにな、手放すっていうか、ほどけんのになっていうところから、まあ今に至るんですけど、なんか、ほんとそういうふうに見つめていくと、結局、苦しい時あるんですよ、これやったほうがいいなって呼吸法とか、瞑想法とか、なんかそういう行みたいなやつとか、
まだ受講生には言ってない、いろんなことがありますけど、やっぱり嫌だなって思うんですよ、怖いなとか、でもやっぱりそれをチャレンジし続けてきて、やっぱりやってみたら、ああ、こういうことで必要なんだなっていうのが、やっぱり腑に落ちる。
ね、やっぱりそれって、こう、なんていうのかな、破壊と創造っていうことなんだけど、人体も細胞レベルで、それはいろんなリズムがあるけど、行われてるじゃないですか、日々死んで、甦って、私たちはそれを意識できないだけで、こうね、皮膚とかも入れ替わってね、1ヶ月で生まれ変わってとか、なんかそういう生まれ変わり終わりを繰り返して、
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いるから、やっぱりね、5年前の私と今の私は違うし、5年後の私はまた違ってるだろうし、なんかそういうところで、見えない、見えたら嫌だな、知りたくないなっていう段階っていうのは絶対あるので、それを否定することはないと思うんですね。
ただ今、自分はその段階で、なんかが怖いんだな、何が怖いのかな、何を守ってるのかなって自分に問いかけたり、自分を、内側を見つめていってあげる時間を持ってあげると、やっぱりね、内側でまだ発揮できてないパワーみたいなのが、それがね、こう、キーになって、表に出やすくなったりもするんですよ。
なのでね、いろんなところでそういう取り組みをやるといいよって言ってるのは、元にあるからなんですけどね。
なるほど、そういった感じで、今日のお話が展開するっていうのがあったんですけど。
で、ゆみさん自身、自分軸プログラムとかで、そういった見つめるような、そういったプログラムをやっていらっしゃいますもんね。
そうですね、自分軸プログラムとリアルスピリチュアリスト養成講座っていうのが、自分の道に入る入り口のツールなんですけど、特に講座で、自分軸プログラムってオンラインで、ウェブで動画を見て実行していただくスタイルなので、かなり細かく説明してるんですよ。
何を細かくって言うと、どうやってじゃあ何が怖くて何を守ってるんだって、どうやって自分を見つめたらいいんだって、これを思考でやるとどうしても、絶対その先行っていけないので、じゃあどうやって思考を使うけど、それだけじゃなくって、感覚を使いながら自分で紐解いていくかっていう、ドリルみたいな感じで。
なので、感情と思考をどうやって分けるかっていう説明論、講義が見ていただいて、そんなふうに心の仕組みがなってるんだってなった後に、じゃあこういうワークしてくださいっていう具体的なやり方を説明しているので、それをやっていただくと。
でも、それで質問があれば専用サイトに書き込んでもらえば、お返事もするし。
ぜひまずは動画なので、自分のいいタイミングで繰り返しできるっていうところがいいと思うので、ぜひこのポッドキャストの説明欄のところからも申し込んでいただければなと思います。
はい。
はい。ゆみさん、今回もありがとうございました。
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ありがとうございました。