先日あげたラジオ、幸福とは○○だっていうのを聞いてくださった方からご質問をいただきました。
ちょっと読み上げましょう。幸福とは○○だのラジオを聞きました。禁欲についてもう少し聞きたいと思いました。禁欲についてね。
少しずれるかもしれませんが、例えば性欲が強くて悩んでいるっていう場合、
その欲求に従うことで、その時は快に向かうのですが、
事後毎回不快な気持ちになります。寂しいというか虚しいというか。
これを解消するにはどのように身体と向き合えばいいのでしょうか?
どれが自分の声かわからなくて変な質問ですみません。こんな矛盾に苦しんでいたので気になりました。
これはね、あのすごく大切な疑問だと思います。ご質問だと思います。
この自分の声がどれかわからないとか、欲求に従った後の虚しさというものは、
全然変な質問じゃないし、この方だけの特殊な悩みでもないと思うんです。
これは結構万人に共通するものだと思う。
特にやっぱり現代、近代を生きている多くの方というのが、僕を含めて形を変えて抱えていることなんじゃないかなと感じるんです。
今日はこのご質問をちょっと皮切りに、欲と身体について少し丁寧に考察してみようと思います。
まず欲しいと心地いいというのは別のものなんだということですね。
欲しいという気持ちと心地いいという感覚、快というのは、
どちらも快楽として共通しているものなんだけど、似ているようで全く別のものなんだというのが、実は科学の観点から裏付けられているんですね。
どちらも広く言えば快楽で括られるもの。そういうシステムの一部です。
脳がこれはいいぞ、これに向かおうというふうに判断して体に発する信号。
生き物が生物が生き延びるために進化の中で組み上げてきた装置でもあるわけなんです。
体が今どこに向かおうとしているのかを本人に教えてくれるサインというふうに言ってもいいんじゃないかなと思うんですね。
でもその快楽というもののラベルの内側に、実は全く違う2つの働きがあります。
神経科学とかの分野なのかな、の研究でも、この2つというのはそれぞれ別の脳とか神経の回路で動いているということが分かっているんですね。
1つは欲しいです。欲しい。英語でwantかな、wanted。何かを得ようとする一つ駆動ですね。それによって借り立てられるというようなもの。
もう1つは心地いいです。
満ちているとか、ほどけているとか、質感とか手触りとか、心地とかというふうに言ってもいいかな。
この欲しいと心地いいというのは両者重なることもあれば別々に動くこともあるわけです。
天民みたいにどっちかが優位になるとどっちかが低くなってとかというわけじゃないんだよね。両方ともあるもの。
同じ気持ちいいという言葉で言ったとしても、実は全く違う場所で神経が発火しているということが起きるんです。
欲しいの方は神経科学で言うとドーパミンという物質が関係する回路です。聞いたことあるよね、ドーパミンって。
研究者の言葉を使うと、ウォンティングというふうに言われたりするんですね。ウォンティング、ウォントのことです。
これが強く発火している状態のときっていうのは、その人を観察してみると、
あれが欲しいとか、あれをしたいとか、あれを手に入れたいという強い欲しいの欲求というものが駆動するんですよね。
例えば性行為で言えば絶頂を求める瞬間とか、生きたいとかだよね、要は。
もしくはこういう一生を抱きたいとか、コレクション的な欲求とかもある方もいるかもしれない。
もしくはお金を稼ぎたいみたいなのもそうかもしれない。社会的に成功したい、認められたいみたいなものもウォントでは欲しがっている。
SNSをスクロールし続けてしまう瞬間というのも実はそうです。
次を見たいと思わせるような設計を作っているからね。
世の中の商品とかは全てほとんどがそうなんだろうけど、小道買いとかギャンブルとかもこういうものは全部この回路が動いています。
もう一つの心地いいの方。心地いいという質感とか手触りみたいなものというのはオピオイド系、オキシトシンとかセロトニンというような別のシステムが関わっています。
神経科学の言葉で言うとライキングと言われるものですね。
誰かと触れ合っている時の安らぎとか、あったかいお風呂にゆっくり浸かった時のほどけていく、わーって染みていくような感覚とかね。
ご飯がしみじみておいしいというような瞬間とか、雨の音を聞いている静けさとか、こういう質感のことです。
要は何だろうな、今流行りの言葉で言うと、今こことか、そういう言葉で表されるものかなと思います。
こういうふうに2つ並べてみると、欲しいの欲求の方は、なんか悪いものばっかりじゃんとかって思うかもしれないんですけど、実はそんなこともないんですよ。
両方とも大事なんですね。
極限までね、例えば動物、すごい野生的な動物だと思ってみてください、自分が。
お腹すいたなーって思った時に、目の前にリンゴが、リンゴの木がなって、リンゴの木にリンゴがなっている。
あーおいしそうだな、あれおいしいんだよなーっていう自分の今までの経験とかを重ねて、あれはおいしい、欲しいっていうふうにドーパミンで自分が飼い立てられるわけです。
すっごい疲弊してて、お腹すいてて、もう動けないエネルギー枯渇してるっていう状態だけれども、一旦なんかその疲労みたいなものを横にどかしておいて、そのリンゴを取るっていうところに集中することができるんですよね。
そっちに飼い立てられることができる。
そのおかげで体が動いて、リンゴを取ることができて、食べることができるわけだ。
だからね、このドーパミンのほうも必要なんですよ、すごく重要なもの。
だから片方だけが悪くて片方だけが良いということはないです。両方必要なものなんです。
で、なぜじゃあ事故に虚しくなってしまうのかということ。
この事故の虚しさというものをこの2つの回路で考えるとどうなるのか。
欲しいという回路には特徴があるんですよ。
それは手に入れた瞬間にそれが下がってしまうということなんです。
手に入れた瞬間に下がってしまう。
これは構造の問題であって、そういうふうにできてるんですよね、僕らは。
心の問題とかじゃないんです。
欲しいという回路は何かを得る前に最大発火。
欲しいってなります。
得た後は急速に静まっていくというようなシステムなんですよね。
だから強い欲しいというものを満たしたとしても、直後にもう次が欲しいというふうになったり、
OK、こんなもんねみたいに虚しさが残りやすいわけです。
だから神経学的に見るとある意味は当たり前の反応なんですよね。
さっきも言ったようにこのリンゴが欲しいみたいに思って、
満たされればOKってなるわけだ。
要はもう限界突破できる、限界突破させる劇薬みたいなイメージを持ってもいいかもしれない。
ずっとその状態が続いたらやっぱり疲弊しちゃうんですよね。
一方で心地いいというような回路の方は違っていて、
満ちていくような方向で働きます。
あったかいとか、安心しているとか、満たされているとか、ほどけているというもの。
こういう感覚というのは強烈なピークを作るというよりも、
波のように寄せては引いていくみたいな、
誰しもがきっと経験あると思うんだけど、
事後にすごい良かったなーとか。
だんだらその事後の最中にもそれを感じながら行為に浸っていると思う。
で終わった後も、何て言うんだっけ、英語とかね。
忘れちゃった、ごめんなさい。
その後も例えば、ちょっと俗っぽい言葉を使うけど、
イチャイチャタイムみたいなものもあったりするじゃないですか。
そういう要因があるんですよね。
これセコイン以外だって、ご飯食べている時も、
お腹すいたーってドーパミンが有意で欲しくなる。
で食べる。
でドーパミンは落ち着くよね。
その後の会議というのは、
食べれたーっていう達成感じゃなくて、
あー美味しいなーっていうその時、その食べ物に触れている時に感じるものなわけです。
これがオキシトリンとかセロトリン系の、
オピオイド系の心地いい会議の方ですよね。
だから質問者の方の、リスナーの方の、
その時は会議に向かうのに、
事後に毎回不快になるっていう体験は、
もしかするとこのドーパミンの方、
欲しいっていう欲求だけの方が強く燃えて、
もう片方の方が一緒に動いていない状態なのかもしれません。
そんな風にも見れますよね。
可能性としてね。
これ何度も繰り返して言いたいんですけど、
このリスナーの方が悪いとか、
性欲が強いことが悪いとか、
性欲が強いとか弱いとか、
そういう話では全くないと思ってるんです。
要は事実としてもしかしてこういう風になってるんじゃないかっていう話ですね。
必ず何かしら原因があるんでね。
それが性格だとか、
そういう性質なんだと言ったとしても、
それが傷つくられている、
そういう現象が立ち上がっている、
何かしらの理由があるはずなんですよ。
それを正すとか、正さないとか、
そういう次元の話でもないですよ。
で、自分の声っていうのはどこから聞こえるのか。
質問の中でこう書いてくださってましたね。
どれが自分の声かわからないんだっていうこと。
僕これ聞いてすごく誠実な質問をしてくださる方なんだなと思いました。
誠実に自分に向き合っている方なんだなと思いました。
人の体にはいろんな声が同時になっているんですよ。
今これが欲しいっていうような強いウォンと欲しいの要求が、
そういう声もあれば、
今ここでほどきたい力を抜いて、
これに浸っていたいというような静かな声もあるわけです。
動いた方がいいという声もあれば、
今日は休んだ方がいいという声もある。
で、普段僕たちが自分の声だと思って聞いているのは、
大抵大きい音の方だったりもするんですね。
大きい声。
ドーパミンの欲しいっていうような欲求というのは、
強い信号を出します。
よく聞こえます。
どれだけ体が鈍っていても、
やっぱりそれを上回るレベルで出力されるように
システムとしてやっぱりできているんですよね。
その方が合理的だからね。
一方で心地いいっていう方の声は、
静かで繊細で聞き逃しやすかったりもします。
例えばすごい疲れているのに、
もう一杯飲みたいっていう声がする。
これは欲しいの声ですよね。
もう酔っ払いたいわ、今日は。
同じ夜に、
今日は早く湯船に浸かって寝たいなっていう声も、
どこかでしているはずなんですよ。
同じ人でもね。
同じ夜でも。
でも後者の方、
ゆっくりしたいなっていう方は、
前者に比べて、
もう一杯飲みたい、欲しいっていう方に比べて、
圧倒的にやっぱり小さくて、
気づかないうちに消えてしまったりもします。
だから自分の声がわからないっていうのは、
これは感受性が低いとか、
判断力がないという話、
決断力がないとか、
そういう話では全くないです。
大きい声と小さい声というのを聞き分ける、
体の状態が整っていない、
もしくはその練習をすれば、
それができるようになっていきます。
間違いなく。
考えてみればね、
小さい頃は誰しもができたはずなんですよ。
クタクタに、
例えば小学校とかで、
うちの子も今小学校行き始めましたけど、
どれだけ遊んでくるのか、
幼稚園とかもね、
どれだけ遊んでくるのかわからないけど、
休みの日と、
幼稚園とか学校ある日の夜っていうのは、
全然寝つきのスピードが違うんですよ。
パタンと寝ちゃったりするんですよね。
大人だったらさ、
ここで頑張らないととか、
みんなが寝てる時に頑張らないと成功できない、
みたいな考えっていうのが、
どっかで入ってきちゃってさ、
疲れてるんだけど、
やんなきゃっていうように、
ドーパミンを駆動するんだよね。
欲しくなるんだよ。
承認が、成功が、
そういうラベルがね、
そのドーパミンの方に駆動されることで、
ゆっくり寝る、
体が回復していく、
その心地よさっていうもの、
布団のふわーっとした温かさとか、
スーッと眠りに落ちていく、
気持ちよさみたいなものよりも、
その温度の方を優先させてしまうんですよね。
これは、
やっぱりリスナーの方が言ったように、
セックスとか性行為だけに限った話ではないんです。
じゃあどうすればいいのか。
この質問してくださった方と同じように、
私にも俺にも心当たりあること、
あるかもなーっていう方、
多いと思います。
僕もそうだった。
今でもありますよ、やっぱ。
これに対して、
今のね、僕の身体論の観点だったりとか、
SOMATIC STUDIOとか、
自分の臨床の中でどう伝えるかっていうと、
一言で言うと、
力を抜きながら、
溶けていくようなイメージを持ちながら、
心地いいっていう感覚を頼りに動いてみるっていうことです。
これはもちろん性行為の時も同じですね。
性行為そのものが全く悪いわけじゃないよね。
それはもう誰しもわかってる。
いいセックスもあれば、
嫌だなっていうセックスもあるよね。
ただ、その強度とか、
達成とか、
絶頂みたいな方に重心を置いてしまうと、
ドーパミン回路だけが強く燃えてしまって、
やっぱり終わった後の虚しさっていうものに
繋がっていくんだと思うんですね。
そうではなくて、
触れていることそのものの心地よさとか、
温かさとか、
解けていく感覚の方に少し重心を移してみるんです。
同じ性行為の快楽だったとしても、
本当に触れているだけで気持ちいいみたいなものも、
もちろんあると思うんだ。
そっちの方に重心を移してみる。
極端にこれを性行為の分野とかで言うと、
例えば男性とかだと、
ドーパミンの回路っていうものがもしかしたら強いのかな、
性行為とかでも特に言われたりしますよね。
射精をゴールにしないみたいな話を、
よく言っている人とかもいるよね。
それってのはつまり、
射精が悪いわけではなくて、
こっちの方に意識を向けてみようよ
ということだと思うんです。
もちろん女性にも同じことが言えると思う。
男性女性の枠に入らないという方も、
同じことだよね、それは。
相手の体の温度を感じてみるとか、
自分の呼吸が深くなっていくのを感じるとか、
力を抜けていくところを感じる。
力んで力んで、
強い刺激を求めていくんじゃなくて、
できるだけ力を抜いて力を抜いて、
心地よく心地よい方向に向かわせてみる。
そうすると、
ライキング、質感の方の回路も一緒に発火し始めてくれます。
今聞いててね、
思った方もいると思うんですけど、
これ性行為に限った話ではないんですよ、全く。
食事でもそうだ。
ガガガガガガって食べるのもおいしいよ、やっぱね。
僕もマヨネーズとか辛いものとか大好きなんで、
なんか、お腹空いてきたな。
いっぱいそういうのかけてさ、
ガガガガガってお腹空いたペコペコの時にガガガガってかき込むご飯、
すっごいおいしい。
けど、やっぱりこう、
同じ食べ物だったとしてもね、
ガーってはいごっそさんで食べ終わるわけじゃなくて、
一口一口噛みしめながら、香りを嗅ぎながら、
お腹に落ちていく、お腹が満たされている感じとか、
口の中でこう、その味が染み渡っていく感じ。
それがもう全身に広がっていくような感覚を探しながら食べるのでは、
同じ気持ちおいしいなんだけれども、
駆動しているその回路というのは全く別なんですよね。
運動でももちろんそうだ。
この勝負に勝つんだとか、
これを走り切るんだっていう成果の方を追えば追うほど、
ドパミがよいようになってしまう。
走っているだけでも気持ちいいじゃないですか。
友人と一緒に、チームと一緒に、
チームメイトと一緒にプレイしているだけでも楽しいじゃないですか。
あのフローの感じね。
人とのおしゃべりでもそうだ。
ああ、身のない会話だったなあ、で、
身のある会話の方を追うのか、
それとも話しているだけでもそのテンポ感とか、リズム感とか、
その相手の声とかね、走っている自分の声とかに、
その気持ちよさ、楽しさというのを見出すのでは全く回路が違うわけだ。
同じなんですよ、全部。
もっともっとっていう方ではなくて、
ああ、ほどけていく、満ちていく、気持ちいいなあ、心地いいなあの方に
重心を置いてみる。
やっぱり最初はね、
あの、
ドーパミンの方がやっぱり有意な生活であふれてしまっていると、
感覚が小さすぎてわからなかったりもします。
で、社会にも、
そんなの意味がないだろうとか、
それじゃ成功できませんよみたいにね、
あの、ドーパミンの方に引っ張っていくような、
その駆動する装置みたいなものがたくさん散りばめられています。
だからこそ、この感覚というのが小さすぎてわからなくなっちゃうということがあるんですよ、誰しも。
それでも何度かやっていくうちに、
その小さい感覚というものが少しずつ太くなってきます。
少しずつ広がるようになってくる。
こうした行いというのが、
近年のマインドフルネスの流行だったりとか、
瞑想とかね、
そういったものに多分つながっていっているんだと思うんですね。
だからね、こう、
パフォーマンスアップのためとかに、
その瞑想をするのって実はすごい難しかったりするんですよ。
成果を追ってて、
その瞑想とかマインドフルネスのその質感というものをたまたま見つけるというのは、
結構難しいことでもあるんですよね。
だってさ、今すぐ成功したい、
そっちが欲しいって思っているのに、
ああ今日の風、心地いいな、気持ちいいなと思って、
結構全く矛盾するじゃないですか、その社会構造の中ではね。
一人の人間の中では、
全く矛盾しないものなんだけど、
やっぱりその成果ありきになってしまうと、
このちっちゃな声というのは、どうしても見えなくなってしまうからね。
ごめん、ちょっと反れちゃったんだけど、
金欲というのは多分答えではないんです。
ここまで読んでくださって、聞いてくださって、
もしかしたら、じゃあこの欲というのを抑えればいいのね、
ドーバミーをって。
欲しいというものは悪なんだ。
これを抑えればいいのかって思われた方もいるかもしれません。
最初ちょっと否定したように、
僕自身は金欲というのは答えじゃないんじゃないかなと思っています。
実際やっぱりクライアントの方でもそういうストイックな方、
真面目な方ほどその欲を抑える方向に行ってしまって、
行ったりとかして自分で試してみたりとかして、
結局やっぱり欲を抑え込むというのは、
欲しいという一つ体の声というものに蓋をする作業なわけなんですよ。
一時的にうまくいったように見えても、
体の中でやっぱり我慢が積み重なっているわけです。
その我慢している感覚というものも、
やっぱり分からないんだよね。
たまたま気づける人もいるよ、それは。
でも多くのドーパミン有因の生活に
もう浸り切ってしまっている方というのは、
特別意識を向けない限りは、
その小さな変化というものが分からなくなっちゃうんだよ。
そうするとまたどこかで強く吹き出すわけだ。
ドーパミンがポコッ。
我慢して、だけど爆発して。
自己形容して。
どんどん体の感覚が麻痺していってしまって、
また我慢してというループに入りやすいんだよね。
だから僕の提案としては、
その禁欲をするという提案ではなくて、
心地いいという方の回路を
ちょっとずつ太くしていくということを提案したいんですよね。
そうすると欲しいというドーパミンだけが
暴走することというのが自然と減っていきますよね。
そういう仕組みだもんね。
だから意思でそれを抑えるわけではなくて、
もう一方の道が育つから
結果としてバランスが変わるということなんです。
それからもう一つ。
性欲を強く感じているというのは、
たぶん本当に今の状況に必要な対応として、
今ある手札がそれだけということなんだと思うんです。
人によってはそれが食だったりとか、
ギャンブルだったりとか、
お酒、タバコ、ドラッグとか、
それがビジネスとかという方もいると思いますよ。
それがスポーツだという方もいるかもしれない。
やっぱり誰でもストレスが溜まって、
体が過酷な状況になって限界を迎え始めていれば、
強い刺激を求めるわけです、ドーパミンの方はね。
これは生き物として自然な反応で、
性欲だけじゃなくて、
お酒も甘いものも、SNSも買い物も、
ことは同じなわけなんですよ。
だからまず自分を責めないということが本当に第一。
もうちょっと話すと、社会的な話ですね。
現代社会、資本主義社会みたいなものは、
この欲しいっていう方の回路を、
強く刺激してくるものであふれているんですよ。
そうして発展してきたんだよね。
広告もそうだし、SNSとかもそうだし、
ポルノとかもそうだ。
ショート動画とか。
即座に手に入るようなエンタメとか。
これらっていうのは全部ドーパミンの欲しいを、
強く発火させるように設計されているんだよね。
満足されては困っちゃうもんね。
お金は回っていかなくなっちゃうから。
だから現代を生きていて、
欲しいが強くなりすぎてしまうっていうのは、
これ個人の問題ではなくて、
環境の側の問題でもあると思っているんです。
これに対して疑問を持っている人というのも、
たくさん出てきてますよね、今。
心地いいっていう方の回路を育てる時間とか場所っていうのは、
今においては意識して作らないと、
なかなか手に入らないんですよ。
それぐらい不利な構造の中で、
リスナーの方も含めて、
僕らっていうのは何度かやっているわけです。
偉くない?偉いですよ。
だからこそ自分を責めずに、
ゆっくり力を抜いて、
心地いい方の感覚を少しずつ太くしていってあげてほしいんです。
それが今僕がお伝えできる、
心と体の向き合い方の一つなのかなと思います。