「幸せになりたい」と人は言う。けれどその幸せがどこから来るのかを明確に答えられる人は、ほとんどいないのではないでしょうか。
19世紀ドイツの哲学者ショーペンハウアーは「幸福は積極的なものではない、苦の不在にすぎない」と書きました。人生は欲望と退屈のあいだを揺れる振り子である、と。
今回はこの振り子モデルに、身体論の側から読みを重ねていきます。古代ギリシアのアリストテレス(エウダイモニア)から、エピクロス、ベンサム、ヒルティ・アラン・ラッセルの三大幸福論を辿り、最終的にはスピノザのコナトゥス、カール・ロジャースの実現傾向、ユージン・ジェンドリンのフェルトセンスへとつながる「身体内在の動き」の系譜のなかにショーペンハウアーを置き直してみたい、という回です。
施術室で17年、人の身体に触れてきて見えてきたのは、苦と快が別々のものではなく、同じ一つのナビゲーション装置の両面であるということ。苦は、身体合理性から外れているサイン。快は、合理性に向かっているサイン。意志を否定するのではなく、サインに従って動いた結果として、「求めない」状態は立ち上がってくる。
幸福は追いかけて獲得するものではなく、身体が発しているサインに従って動いた結果、覆いを取り除かれて立ち上がってくるもの。その覆いの正体には、認知の物語だけではなく、身体合理性から外れた状態を別の快で覆ってしまう「マスキングの快」、そして社会の構造そのものも含まれます。神経科学のライキング(オピオイド系)とウォンティング(ドーパミン系)の区別を手がかりに、現代社会がなぜ身体のサインを聞こえなくしてしまうのかも、一緒に考えていきます。
▼ 今回のお話
・三大幸福論(ヒルティ・アラン・ラッセル)と、そこから外れたショーペンハウアーの異質さ
・「快は消極的、苦は積極的」というショーペンハウアーの命題に、臨床から重ねる読み
・振り子モデルが射程に入れられない「フローの瞬間」のこと
・幸福のベースラインが高い人と低い人がいるのはなぜか
・ショーペンハウアーの「意志」は思考レベルではない──スピノザのコナトゥスへの帰り道
・「意志を否定する」ではなく「サインに従う」という処方
・触れている手が受け取っている「共苦(Mitleid)」という出来事
・成果主義と感情資本主義のなかで、身体のサインが埋もれていくこと
・ライキング(オピオイド系)とウォンティング(ドーパミン系)の神経科学
話している人について
https://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma
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