「自分は何をやってもダメだ」「周りと比べて、自分だけ落ちこぼれている……」 そんな風に、自分を責めて、自信を失ってしまうことはありませんか? 実はブッダの弟子にもダメ人間の烙印を押され、見放された人がいました。しかし、ブッダはそんな彼をシンプルな教えが救います。
【目次】
チューラパンタカの物語
ダンマパダ第25偈
一つの正解はあるのか?
【参考文献】
ダンマパダ・アッタ・カター
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【大忍貫道プロフィール】
1987年福岡県生まれ。花園大学文学部卒業。臨済宗妙心寺派。
尾張妙興寺僧堂にて修行。
2011年より九州地方の臨済宗妙心寺派寺院にて住職を務める。
SNSでも仏教の情報発信を行い、Instagram フォロワーは4万人を超え、Podcastフォロワーは2千人を超える。
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サマリー
このエピソードでは、「自分は何をやってもダメだ」と感じるチューラパンタカという仏陀の弟子にまつわる物語を紹介します。彼は物覚えが悪く、兄からも見放されてしまいますが、ブッダは彼に「塵を除く」というシンプルな教えを通して、諸行無常の真理と向き合わせ、煩悩を取り除くことの重要性を説きます。これにより、チューラパンタカは悟りを開くことができました。この物語は、一人ひとりの資質に合ったやり方を見つけること、そして自分自身を丁寧に観察することの大切さを教えてくれます。
チューラパンタカの物語の始まり
物語で読み解く仏教。 自分は何やってもダメだ。
周りと比べて自分だけ落ちこぼれている。 そうやって自分を責めたり、自信を失ってしまうことありませんか?
実は仏教の歴史の中にはダメ人間として周囲から見捨てられたお坊さんがいました。 彼の名はチューラパンダカ。
4ヶ月かけても短い詩一つ覚えられなかったと言われています。 あまりの物覚えの悪さから実の兄からも見放されてしまった彼を、仏陀はシンプルな一言で救いました。
今回の物語の主人公はチューラパンダカというお坊さんです。 この名前、漢訳名になるとシュリハンドクっていうふうに言われまして、こちらの方が有名かもしれません。
落語に出てくるんですね。だから落語がお好きな方、また落語家の方は必ずご存知の名前になっています。
物語はチューラパンダカが生まれる前から始まります。 インドのラージャガハという地にある資産家の夫婦が住んでおりまして、夫婦には娘が一人おりました。
この家は裕福でしたので仕様人を雇ってた。今でもインドに駐在される日系企業の社員の方とかは、仕様人の方を雇って身の回りのお世話をしてもらうってことが当たり前にありそうなんですけれども、
だからまあおとぎ話というよりもね、かなり現実的な話だっていうことです。 年頃を迎えた娘は仕様人の一人と恋仲になってしまう。
しかし両親に交際が発覚してひどい目に遭うことを恐れて2人はかきおちをします。 そこまでしなくてもって感じられるかもしれないんですけど、インドはカーストがあるんですね。
このカーストが異なる人同士で接触するっていうことを意味嫌う風習があります。 ましてお付き合いとか婚姻関係を結ぶっていうのはかなりハードな話になるんですね。
現代でもたまにニュースになりますけれども、カーストが異なる同士で結婚をしたことによって親族の人から殺されるっていうこういう悲惨な事件も起こるんですね。
だからそれだけ重い背景になるんですこれは。そういうところから2人は逃げる。 そのうちに彼女の方は妊娠をします。
でも誰も知らないところで出産するっていうのは心もとないですね。 そこでこの彼女妻は実家に寄生することを夫に提案します。
しかし夫はそれを嫌がる。当たり前ですね。 夫は妻の実家に行ったら自分の命はないって考えるんです。
そしてのらりくらりとこの妻が実家に帰るのを先延ばしにしようとする。 でもその様子に妻は不審感を抱きましてもういいですと、もう私一人で帰りますということで寄生することにします。
しかし実家の途中の道で産気づいてしまってそのまま道で出産をします。 一人の男の子が誕生する。
その子は道で生まれたのでインドの言葉で道を意味するパンタガと名付けられました。 こうなると妻は実家に寄生する意味がなくなりますので妻は寄生をやめます。
そして夫のところに合流してまた元通り子供が増えましたので3人で生活をするんですけれども、もうしばらくするとまた妻は妊娠します。
そしてまた寄生をするということにするんですけれども、またその道の途中で出産をします。 前回の子供、お兄ちゃんの方も出産する途中で道の途中で生まれたということでパンタガ。
今回の生まれた男の子になるんですけれども、この子も道の途中で生まれたのでパンタガと名付ける。 また同じ名前をつけるんですね。
このパターン前にもありましたけれども、2人とも同じ名前だと紛らわしいので、お兄ちゃんの方を大きいパンタガっていうことでインド語で大きいマハーって言うんですけど、これでマハーパンタガ。
そして弟の方を小さいパンタガってことでチューラパンタガと名付けました。 このチューラパンタガが主人公ですね。
その後2人はスクスクと成長していくんですけれども、ある時お兄ちゃんのマハーパンタガがお友達がおじいちゃんおばあちゃんの話をするのを聞いて、
あ、自分たちはおじいちゃんおばあちゃんに会ったことがないなって気づくんです。 そしてお母さんにお友達はみんなおじいちゃんおばあちゃんの話をするけれども、僕たちにはおじいちゃんおばあちゃんはいないの?って尋ねます。
そう問われたお母さんは、いやあなたたちにもおじいちゃんおばあちゃんいますよって。ラーチャガハという都に住んでまして、すごく裕福ですと。
そう教えてもらった子供たちは疑問が浮かぶんですね。 え、じゃあなんで会わないのって。当然の疑問です。
でもお母さんも自分とお父さん夫がかきおちしてきたってやっぱり言えないんですね。 でも子供っていうのは疑問に思ったことは繰り返し繰り返し聞きますよね。
だからなんでなんでなんでってなんで会わないのってしつこく尋ねるんですね。 お母さんの方もちょっとこんまけしてしまってもう勘弁してってことでもう分かりましたと。
確かに私の父や母も孫たちを見て取ってくるようなことはしないでしょうと。
分かりました。連れて行きますっていうことを子供たちに約束して、みんなでおじいちゃんおばあちゃんの家に会いに行くことにします。
でもさっき申しましたように、やっぱりこの時カーストが違う中で結婚するっていうのはタブーだったので、そういう中でいきなり家にポンって行くのは怖いんですね。
だからちょっとこう近くのところまで来るんですけども、まあ宿か何かで取りましてね。
そこから使いを出してちょっと私たち来てるので会いませんかっていうふうにおじいちゃんおばあちゃんにアポを取ろうとするんです。
でもおじいちゃんおばあちゃんはこの娘とその夫、使用人ですね元は私たちに対して不義理なことをしたから会うことはできないって拒むんです。
でも財産はあげようと。だから二人で安穏なところに行って生活したらいいと。これはおそらくおじいちゃんおばあちゃんからすると最大限の情報ですね。
資産化で裕福なのでやっぱり世間体もあると思うんです。だから自分たちを裏切った娘と使用人を許すってことは自分の心的にはできたのかもしれないんですけれども、世間を見たときにそれはできなかったってことが実際じゃないかなと思います。
でも孫は別ですって言うんですね。孫は別だからこの二人は自分たちのところに送り届けなさいっていうふうに伝えます。
ここはやっぱりこのお父さんお母さんっていうのは駆け落ちしてますから決して裕福じゃないはずなんです。
でもおじいちゃんおばあちゃん裕福ですからそういう自分たちのところで養育した方が子供の教育にいいんじゃないかって判断じゃないかと思います。
そうしてこのパンタカ兄弟はおじいちゃんおばあちゃんによって養育されることになりました。
このおじいちゃんの方が熱心な仏教徒でしてしばしば仏陀の法話を聞きに行くんですけれども、パンタカ兄弟の方の弟はまだ幼いんですけどお兄ちゃんの方はもうすでに分別がつく年齢になってたみたいで、
おじいちゃんについて言って仏陀の法話を聞くってことをやってたらしいんです。
そのうちにこのお兄ちゃんマハーパンタカは出家したいなって思うようになりましてその気持ちをおじいちゃんに打ち明けます。
するとおじいちゃんすごく喜んでくれて出家を認めてくれます。
出家したマハーパンタカはその後熱心に励みましてあっという間に煩悩をすべて断ち切って悟りの最高段階であるアラカンに到達します。
その時マハーパンタカはこの安らぎを弟にも経験させてあげたいなって思いましておじいちゃんに事情を説明して弟も出家させてもらえませんかって言うんですね。
それを聞いたおじいちゃんはそれはいいことだとぜひ出家させてあげなさいって言ってくれて晴れて弟も一緒にお坊さんになります。
ここでようやく物語の主人公チューラパンタカが出家をすることになりました。
ブッダによる救済と悟り
しかし彼は大変物覚えが悪かったそうなんですね。
それを象徴するエピソードが残ってましてお坊さんになると仏陀の教えをある程度暗証できないといけないんです。
現代で言うとお経を覚えるということですね。
私も小学生の頃には般若心経をはじめとしていくつかのお経が暗証できたんですけれどもこのチューラパンタカは短い仏陀の詩も暗証できなかったって言うんです。
実際にチューラパンタカが覚えられなかった詩が残っているのでちょっとご紹介したいんですけれども
良い香りのする紅蓮が早朝に開花して香りが去らないように空中に輝く太陽のように輝いている方向車を見よ。
この詩ですね、この短い詩を4ヶ月経っても覚えられなかったって言うんです。
そしてようやく覚えたとしても次の詩を覚える時には前に覚えた詩を忘れてたと。
これおそらく現代でいうところの学習障害とか認知特性の一種になるんだと思うんですけれども
当時のインドではやっぱりそれが配慮されたりとか理解もされてないんですね。
だから単純に愚鈍な奴だった扱いを受けるわけです。
お兄さんからお前にはお坊さん無理だって言われてしまってもうお寺から出て行きなさいって言われてしまうんですね。
ちょうどその時熱心な仏教徒の一人がブッダの元を訪れて明日の食事を提供する旨を伝えます。
食事を提供するにはそのお寺にいる人みんなに食事を提供するので
その後食事当番のところに行って今このお寺には何人のお坊さんがいてどれだけ用意したらいいですかってことを事前に相談するんです。
この時の食事当番がお兄ちゃんのマハーパンタカでして
マハーパンタカがこの仏教徒から聞かれるんですけれども
マハーパンタカがですねここには500人のお坊さんがいますけれども
チューラパンタカというものは正体に値しませんと
だから499人分の食事をお願いしますって言うんですね。
これをチューラパンタカは聞いてたんです。
大変なショックを受けまして
あ、もうお兄ちゃんは私への愛情を失ったんだなと
このままここにいても仕方がないからお坊さんを辞めて
自分は在下者、仏教信者としてお坊さんたちを支える側に回ろうとこう決意してしまう。
ここでブッダが登場します。
翌朝ブッダはチューラパンタカが原則する
お坊さんを辞めるってことを指して彼を説得します。
君がお坊さんを辞めるかどうかは君のお兄さんが決めることじゃないと
私が決めることだよと
言うならばブッダは社長みたいなものですから
上司が言った部長が言っただからどうしたと
社長の私が辞めるなとここにいていいって言っとるんだと
こういうふうに言ってくれてるんですね。
そしてチューラパンタカの頭を優しく撫でまして
自分の部屋に連れて行きます。
そして自分の部屋で小さな白い布切れをチューラパンタカに与えまして
これを持って自分の体を拭きながら
塵を除く塵を除くと言いなさいとこう指示をされる。
チューラパンタカ大変素直な性格だったので
ブッダから言われた通りに塵を除く塵を除くって言いながら
布で自分の体を拭いていると
最初も洗った時には真っ白だった布が
自分の体を拭いていくことに黒く汚れていくのを目にします。
その瞬間にあ、諸行無常なんだと
作られたものは無常移り変わるんだっていう
こういう真理に触れるんです。
チューラパンタカが真理に触れたってことを察したブッダは
その布切れだけが怪我された汚れだと思っちゃいけないと
君の心には好ましいものに対する欲求や
好ましくないものに対する嫌悪があると
その汚れこそが取り除かないとならないものなんだと
そしてそれぞれの煩悩は塵飽たであること
それを取り除かないとならないということを
詩で唱えられます。
チューラパンタカはその詩を聞き終わると
これまで覚えられなかったブッダの教えが
すべて自身の中に染み込んでいく
そして荒感になることができました。
自分に合ったやり方を見つけることの大切さ
このチューラパンタカを踏まえて
ブッダは次の詩を唱えられます。
これは努力することによって
何にも動じることのない
よりどころを作りなさいということを言われています。
この話ってすごくいいですよね
人にはそれぞれの資質に合ったやり方があるんだということ
私たちはつい一つの正解があるかのような錯覚をしますけれども
それはおそらくないですね
10人いたら10通りの正解がある
教える側っていうのは
自分の信念とか価値観に則って
生徒子供を肩にはめます
確率的なやり方でやりがちなんですけれども
私たちが相手にしているのってロボットじゃないんですね
それぞれに個性があるんです
だから教育や指導をする上で
真っ先にやらないといけないことっていうのは
相手の特徴を把握することなんだと思うんです
ブッダがチューラパンタカに
自分の体を愚直に吹きなさいって教えたのも
チューラパンタカの性格
素直なそれをやるっていう性格を見抜いておられるんですね
加えてもう一つ大事だなと思うのが
自分自身でもどんなやり方が
自分に合っているのかを探るってこと
これ大事だと思うんです
そしてそのためにも
普段から自分がどういう人間なのか
どういう特徴があるのかってことを
丁寧に観察することも必要だと思います
例えば私自身の話して恐縮なんですけど
私は集中力があまり持続しないんですね
でもその代わり毎日コツコツと
積み重ねるってことは得意なんです
だから何かに物事に取り組んで
何かをしようと思うんであれば
長い時間をやるんじゃなくて
1日のうちの少しの時間だけをそこに当てて
それを毎日取り組むってことを繰り返します
そうすると大体狙ったというか
やりたかったことっていうのが
ある程度の成果が出せるようになるんですね
こうやって自分の特徴を把握すると
それを踏まえた上で物事に取り組むことができるので
目的を果たしやすいんじゃないかなってことを思います
今回も最後までご視聴いただきありがとうございました
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それではまた来週もお会いしましょう
15:50
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