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【講話】忍耐力は才能ではなくスキルである:フィンランド流に学ぶ「じっと座る力」の磨き方
2026-04-11 14:37

【講話】忍耐力は才能ではなくスキルである:フィンランド流に学ぶ「じっと座る力」の磨き方

▼今週のトピック


現代の子育ての難しさ/


誕生時に父が抱いた喜びと将来への不安/


占い師が予言したブッダの二つの未来/


京大出身の教授が語った教育の起点「じっと座る力」の大切さ/


フィンランドの忍耐や自制心をスキルと捉える発想/


苦しみを遠ざけた父の過保護な教育/


子供の能動性を奪わない関わり方/


好奇心を育む「問い返す」子育て術/


子は親の所有物ではないという教え/


子供の挑戦を後ろで支える親の役割


▼パーソナリティ:大忍貫道

1987年福岡県生まれ。花園大学文学部卒業。臨済宗妙心寺派。尾張妙興寺僧堂にて修行。

2011年より九州地方の臨済宗妙心寺派寺院にて住職を務める。

SNSでも仏教の情報発を行い、Instagramフォロワーは4万人を超え、Podcastフォロワーは2千人を超える。

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サマリー

現代の子育ての難しさについて、ブッダの父の経験を手がかりに考察する。ブッダの父は息子に王位を継がせるため、苦しみから遠ざける過保護な教育を行ったが、それは子供の能動性を奪う可能性も示唆される。フィンランドでは忍耐力などをスキルと捉え、練習によって習得可能とする考え方を紹介。親は子供の所有物ではなく、子供が挑戦できる環境を後ろで支える存在であることが重要だと説く。

現代の子育ての難しさとブッダの父の経験
先般、小学生のお子さんをもたれる親御さん向けにお話をさせていただいたんですけれども、今回はそれも再編集してお送りしたいと思います。
現代は子育てとか育児が難しくなっていると言われてますよね。少し前までは、この三世代家族が当たり前で、共同体の中で子育てをするってことを私たちはやってきたんですけれども、
現代になると各家族化が進んで、親だけで子供を育てるっていう、これ人類史上かなり稀な形態なんだそうですよ。
それに加えて近年では、共働き家庭が増加してますね。そういう中で子育てのハードル、困難さというのがますます上がっているんですね。
こういう過酷な条件の中で、私たちは子育てにどう向き合っていけばいいのか、今回はブッダのお父さんの子育てを手がかりに考えていきたいと思います。
花祭りという言葉聞いたことがありますか。これは日本の仏教で行われている、ブッダの誕生を記念する、記念するですね、イントネーションおかしいですね。
ブッダの誕生を記念する紅葉の名前です。豪端絵とか貫仏絵っていうふうにも呼ばれたりします。
我が子が生まれると多くの場合は、親とか周囲の人はその誕生を素直に喜ばれますよね。皆さんもそういう気持ちを抱いたことを覚えておられるかもしれません。
でもブッダが生まれた時は、ブッダのお父さんは2つの相反する思いを抱いたって言うんですね。
一つは、我が子の誕生を素直に喜ぶ気持ち。これ私たちと同じですね。
でももう一つは、我が子が自分の後をついてくれないかもしれないっていう不安な気持ち。
なんでこんな気持ち抱いたのかっていうと、ブッダは現代のインドとネパールの国境付近に拠点を置いてたシャーギャ族っていう部族の出身になるんですけれども、
そのブッダのお父さんはこのシャーギャ族の王様だったんですね。
お父さんは、奥さんのブッダのお母さんの妊娠がわかった時に、当時の監修で生まれてくる子供の将来を占い師に見てもらうんです。
そうすると、子供には2つの未来が見えるって予言されるんですね。
一つは、インド全土を治める偉大な王様になるっていう未来。これめちゃくちゃいいですね。
もう一つは、出家して悟りに至るっていう未来なんです。
さっき言ったように、一つ目はお父さんにとってはすごくいいんですよ。王位を継いでくれるってことなので喜ばしいんです。
でも二つ目は、王位を継承しないってことを意味してるんですね。
これは、王であるお父さんにとっては最も避けたい未来になるんです。
そこでお父さんは、ブッダに王位を継がせるために様々な教育を施したって言われてるんです。
「じっと座る力」の重要性
親が子供に教育を施すってのは当たり前のことのように思われるかもしれないんですけど、
でも私たちは時に、子供が勝手に成長するかのような思い違いをすることがありますよね。
子供だから今はできないだけで、そのうちできるようになるだろうって。
私がお世話になっている京都大学出身の先生、教授の方がおられるんですけど、
その方が以前おっしゃってたことですごく私の印象に残っている話があって、
その方が子供に対して最初に何を教育するのかってことを話されてたんですね。
何だろうと思って聞いてましたら、じっと座っていられることから始まるって言われたんです。
これは人も含めて動物っていうものは本来じっとするのが苦手なんだと。
衝動を抑えるってことがすごく難しいんだと。
でもそれを教育によって人は身につけることができると。
じっと座れるようになると他者の話に耳を傾けられるようになると。
他者の話に耳を傾けられるようになると授業を受けられるようになると。
授業が受けられるようになるということは勉強ができるようになると。
そうやって人生というものが切り開いていかれるんだって。
これすごく説得力のある話だと思いませんか。
もちろん先天的に衝動を抑えるのが苦手な、いわゆるADHDの特性を持たれるお子さんとかもおられますし、
そういうお子さんには一定の配慮が必要だと思うんですけれども、
ただ一方でADHDじゃないのにそうやって診断されるお子さんが増えてるっていうことが精神科医の先生方の間では指摘されているそうです。
先ほども言いましたけれども、現代って友働きの家庭が増えてますよね。
親御さんも両親ともに疲れてるんです。
仕事で疲れて帰ってきたときに、いろいろ騒がしくしている子どもに対して、じっとしなさい、静かにしなさいって根気強く向き合う、この余裕がもう皆さんないんですね。
これはもう仕方がないです。もう無理もないことだなって本当に思います。
ただその結果として、本来身につくはずのじっとする力、おとなしくする力っていうものが育たなくて、
それで学年が上がって小学生とかになったときに多動的に見えてしまう。こういうケースが増えてるんだってことなんです。
フィンランド流「忍耐力はスキル」という考え方
じゃあどうすればいいのかなって考えたときに、疲れてますからね皆さんね、親御さんは。
それをいろいろ疲れてる中で創意工夫していかないといけないんですけれども、その一つのヒントになるなと思ったのが、
私が先日読んだ本でフィンランドで子育てをされているパクサラさんという研究者の方なんですけれども、この方の著書の中で言われてたことがちょっとすごくヒントになるなと思ったんです。
フィンランドの教育っていろいろね特徴的なことがありますけれども、その一つに正直さとか忍耐力、あと勇気とか謙虚さ、共感、自己規律、
こういうものを才能ではなくスキル、技術として捉えるんだそうです。
つまりこれらは生まれつきの性格ではなくて、練習によって身につけられるものなんだっていう考え方なんですね。
幼稚園とか学校、あと家庭っていうのは、そういうスキルを練習する場所なんだっていうことなんです。
日本においてはそういう要素って才能とか性格に結びつけて考えられがちじゃないですか。
でもそうじゃないんだと。単に練習が足りているか練習が足りていないかこの違いだと捉えるんだと。
この考え方によってこのパクサラさんはすごく気が楽になったって振り返っておられました。
公共の場においておとなしくできない子に静かにしなさい、じっとしなさいって言い続けるのは親もしんどいですし、
ちょっと子供との我慢比べみたいになりがちじゃないですか。
でもこのフィンランドの考え方を取り入れると、このじっとするという技術を磨く場所、練習する場所、そういう時間なんだってことになるんですね。
そういうふうに考え方を変える、発想を転換するとまた違った向き合い方ができるんじゃないかなってことを私はちょっと思いました。
過保護な教育と子供の能動性
ちょっと話が脱線したので戻すんですけれども、
仏教において出家っていうの、仏教に限らずインドにおいては出家は人生に憂いを抱いた人が選ぶもの、選択するものなんだって、
そんなふうに当時のインドでは考えられてました。
そのためブッダのお父さんは我が子の目から人生の苦しみを徹底的に遠ざけて、美しいもの、楽しいこと、幸せなことだけを経験させようとしました。
具体的に言うと老いとか老人とかですね、あと病にかかっている人、そして死を連想させるもの、これはもう見せないです。目に触れさせない。
息子のブッダの周囲には美男美女だけを配置して、食事も見た目とか味が整ったものだけを与える。
こういう関係も外出も制限をかけるんですね。
城の外に出ること、これも許さなかったって言われてるんです。
それは確かに我が子を思うためだったと思うんです。思うがゆえだったと思うんです。
ただ少々過保護でもありますよね。
当たり前のことなんですけれども、親っていうのはずっと子供のそばにいられるわけじゃないじゃないですか。
だから自分の足で立って歩いて、転んだら自分で起き上がれる。
そして自分でやりたいことを見つけて、それをやり抜く。
こういう、これもスキルって言っていいのかな。
これを育てるっていうこと、ここにも目を向ける必要がやっぱりありますよね。
人にはそれぞれ能動性っていうものがあります。
能動性っていうのは自発的に行動して自分の頭で考えるということですね。
でも子供を大事に思うがあまりに、親が先回りしてしまうことがありますよね。
その結果、子供が本来持っている能動性を親が奪ってしまうってこともやっぱりあります。
好奇心を育む子育て術
これはまたね、ちょっといろんな引用というか、いろんな話を持ってくるんですけれども、
アメリカのウィリアムズカレッジっていうところがあって、学校があって、そこのスーザン・エンゲルっていう人が研究してるんですけれども、
この人の研究によると、好奇心の強い子供が育つ家庭にはある特徴があるんだと。
それは親が子供の質問にすぐに答えない、反対に問い返す傾向があるんだってことなんです。
子供って好奇心の塊じゃないですか。
なんでとかどうしてって、もう何回も何回も尋ねてきますよね。
その時にすぐに答えを与えるんじゃなくて、どうしてだと思うと質問を返す。
そして一緒に考える。
その関わりが子供の成長にすごくいい影響を与えるんだってことなんです。
歴史上の偉人とかでも、例えば種の起源で知られるダーウィンとか、あとはノーベル物理学賞を受賞したファインマン。
彼らって子供の時にはそんなにIQ高くなかったらしいんです。
天才じゃなかったんですよ。
でも彼らは子供の頃の好奇心を大人になっても持ち続けたんですね。
そしてそれには親のこういうスタイル、姿勢ってものがものすごく影響したっていうふうに言われてます。
また話が達成したので戻すんですけれども、
子供は親の所有物ではない
ブッダはやがて老いとか病とか死っていうものを知るんですね。
当然ですね。
もうどうしても最後まで隠すことはできませんから。
そして人生に憂いを抱いて結局出家をしてしまうことになります。
その時のお父さんの動揺ってものすごく大きかったらしくて、
自分の家臣を送って息子を連れ戻そうとするんですね。
皆さんはここまでのこのお父さんの在り方、何を感じられたでしょうか。
ブッダは後々こんなこと言われてて、子供は親の所有物ではないって言われてるんですね。
そこにはですね、自分のお父さんの姿がちょっと重ねられてるようにも感じられるんです。
お父さんは我が子を、ブッダをやっぱり愛してたと思うんですね。
でも同時にその人生を自分の望む方向へと誘導しようとしているようにもやっぱり見えます。
それが本当に100%子供のためだったのか、
そこに親の願いが入り込んでなかったのか。
親子であっても子供と親ってそれぞれ別の人格ですよね。
子供のためって言いながらそこに自分の願望が混ざってないか。
ここは折に触れて自分に問い返す必要が親にはあるのかもしれません。
親の役割:挑戦を支える存在
最後にちょっと私の好きな話をご紹介したいと思います。
ある物語の話なんですけれども、
職場で子供が息子が窮地に立たされるんですね。
息子って言っても職場ですから50代ぐらいです。
そこで思い悩んでる息子に対してお父さんがこんなことを言うんですね。
お前には野手の私がついていると。
これ野球にたどいてるんですね。野手っていうのは守る人ですね。
お前がピッチャーなんだぞ。お父さんは野手だと。
お前がどれだけヒットを打たれても心配するな。
お父さんがしっかりお前の後ろで守ってお前がマウンドを降りるまでお父さんはお前の後ろにいる。
だから絶対に諦めるな。どうでしょうか。
私この話を聞いた時に思わずちょっとこう類戦が緩んでるんですけれども、
この後ろで力強く支えてくれる存在がいるっていうのはそれだけで子供は勇気づけられますよね。
私たち親の役割っていろいろあると思うんですけれども、
その根本にある部分っていうのはこういうふうな安心して若子が挑戦できるような環境を整えること。
ここも大事な在り方じゃないかなというふうに思います。
エンディング
最後までご視聴いただきありがとうございました。
ぜひチャンネル登録またレビュー書いていただけると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
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