1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #159 なぜ密教が必要だったの..
2023-11-01 42:48

#159 なぜ密教が必要だったのか。釈迦から空海の時代までの仏教の流れ

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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サマリー

仏教の流れを見ていると、密教は仏教の中で特別な存在ですと言えます。密教には他の教派との違いや特徴があり、その理解は空海の密教を知る上で重要です。このエピソードでは、仏教の流れを辿りながら、密教がどのように成立しているかについて語られています。密教は、お釈迦様が始めた仏教からは異なり、大乗仏教に接続しながらも、その教えを否定し、乗り越えようとしています。密教は普通の言葉では表現できない教えであり、不完全な大乗仏教の教えを補完するものとして存在しています。仏教の流れを踏まえつつ、密教が独特であり新しいものであると伝わってきました。次回は密教とは何か、空海の哲学についてもう少し詳しく話していきます。

仏教の流れ
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回は空海の話をする前に、まずは仏教の流れを見ていこうか、みたいな話をしていたと思うんですけれども、そんな感じでしたっけか?
そうですね、はい。なので、さっきから密教はこうだぜって言ってましたけど、なかなか何がすごいの?とか何が違うの?みたいな、なかなかわかりにくいなと思っていて。
これまでもね、ゴザノシタルタとかリュウジュウとかユウシキとかやってきたんですけど、前回もお伝えした通り、やっぱり仏教の流れとしてはお話できなかったりとか、そもそも全部聞いて全部覚えてますっていう人はいないと思うので。
うん、確かに。
改めて仏教の復習としてでもあるし、やっぱりそもそも仏教で何?とか、そもそも密教ってなんだ?みたいな話って結構密接につながっているってことがわかったっていうか、僕も初めてそういうふうに思ったんですよね。
へー、そうなんだ。
だから、密教って本当に仏教なの?みたいな視点もあるみたいで、その辺りが空海の密教をそもそも知る上での結構重要な論点というか観点になるかなと思うので、
この1回分は空海の密教に至るまでの仏教の流れみたいな感じを改めてお伝えしたいなというふうに思っておるというような感じですね。
おー、なるほど。あー、面白そうだね。
思ったより仏教が複雑だなって思っちゃいました。今回の台本作ってて。
あー、そうなんだ。結構流行ってて仏教側の人間だと思ってるんだけど、西洋というよりは東洋寄りの人間だと思ってるんだけども。
そうだね。やっぱり、もともとは苦しみを取り除くとか楽に生きるつもりみたいな感じから入ってるから、どうしたら楽にならないのかみたいな観点でいろいろ見てたんですけどね、仏教っていうものを。
でも、改めて、じゃあ、小僧仏教と大僧仏教ってどうなんみたいな話とか、大僧仏教の中にもこんな色んな違いあるよねとか、
そういう風に発展してきたんだとか、そういう違いがあるのねみたいなのは、逆にあんまりこれまで意識してなかったんですよ。
あー、そうなんだ。結構大枠で捉えてた部分はあったみたいな感じなのか。
そうだね。大枠だったし、思想的にっていうよりは、やっぱりいかに自分が楽になるかみたいな、ある意味では正しい仏教との関わり方だと思うんだけど。
ある意味ではね。
なるほど。
改めて思想の流れ的に、思想史っていうとちょっと大げさだけど、そういう風に見た時に、なるほど、こういう風に繋がってたのねみたいな話が見えてきたっていう感じかな。
あー、なるほど、なるほど。本当にどっちかというと宗教としてどう苦しみか逃れるか的な観点の方が仏教との関わりが強くて、
哲学的な視点っていうのは、改めて今回見てみるとみたいな発見があったって話か。
そうです、そうです、そうです。
なるほど、なるほど。
なので、ちょっとそういったものを今回お話していきたいんですけれども、一番最初、仏教とはみたいな話でいくと、
普通に言ったらね、ボータマシタールタさん、いわゆる釈迦と呼んでいるお釈迦様だよねっていうインドの王族の人が始めたものですよっていう風に言われてますと。
その基本的な考え方としては、やっぱり人生というのは苦しみだと。
まさに釈迦の会でもやったけど、諮問質疑みたいな感じで、なんか外に出たら病気な人がいてとか、歳とってる人がいて、なんじゃこりゃーってなったみたいな。
そういう話をしたのを覚えてますかね、お兄さん。
覚えてる覚えてる。あれが一番、それ哲学上で超人気劇だったからね。
そう、ギャグみたいなやつがあったと思うんだけど、そういう風に苦しみの原因に気づいて、それを無くしていく。
それによって、日本で言うと涅槃、ニルバーナに入って、リンネから離れてもう一回生まれてくるっていう、生まれることが苦しみだから、それを終わらせるんだと。
そういう風な考え方とか、あとは自分というのは実体がない。自我というのはないんだと。
密教は仏教なのか
そういう感じで、苦しみ者にもないんだよ、みたいなね。
そういうようなことを正しく知るのが大事だ、みたいなものが、すごく大元の仏教、仏陀が、釈迦が言った仏教だよ、みたいにされてます。
だから、僕は普段、仏教って言われると、生まれるお坊さんがいて、お葬式をやって、みたいな感じをイメージすると思うんですけど、
もっと純粋に、人生の苦しみを乗り越えるとか、そういうことをテーマにしたのが、当時、一番最初の頃の仏教だったんですよね。
なるほどね。はいはいはい。
ある意味、ハヤトが最初言ってた、どうしたらもっと人生楽になるのだろうかと、それに対するアプローチみたいなものが、本当は純粋な仏教のあり方、スタート地点だったみたいな感じなのか。
そうだね、そうそうそう。
やっぱり最初のうちって、仏教もそんなに信者が多いわけでもないし、お寺があちこちにあるっていうことでもないから、
当時で言うところは、信仰宗教みたいな、インドのバラモン教みたいなのがあった中に、釈迦っていう奴が仏教っていうのを作ったらしいぜ、みたいな。
仏教っていうのも後から言われた言葉だろうから、別に釈迦は、これが仏教だとは言ってなかったと思うけど。
あー、なるほど、そっかそっか。
釈迦の教えみたいなものがありましたと。
ただやっぱり、時間が経つほどいろんな考え方が出てくるものでして、お釈迦様はね、死後100年くらいからすると、
時代に合わせて仏教も変わるべきだ、みたいな確信派みたいな人たちと、いやいや、むしろ釈迦の教えに忠実であるべきだ、
昔に戻れみたいな保守派みたいなものが分かれてくるらしいんだよね。
うーん、なるほどね。仏教の中でも同じ人から学んでるのにね。
元々はね、そうなんです。
その中でも有力だったものが、以前もちょっと触れた、名前覚えてらっしゃる方いないですけど、
説一切産ぶっていう派閥があって、なんとなく名前覚えてるかな。
こっちがアビダルマなんとか的な。
アビダルマとか象徴的な方だね。
それは結局、世界の構成要素とかを精密に75個とかに分けて、
世界を分解したら75個になりました、みたいな。
そういうことを分析して、それを正しく知った上で修行してネハリに入るぜ、みたいな。
結構ガチガチの、なんだろうな。
よく言えば学問的なんだけど、悪く言うと一般人を遠ざけるというか。
そうなんだ。
出家した人だけのための仏教みたいな。
そうなんだ。一切産ぶだからある前提でみたいな話の方が、
仏教って何もないのだ、みたいな感じじゃん。
よりある方が理論派で納得できそうだけど、そういうわけでもないんだね、必ずしも。
当時の学問レベルを考えたときに、
そういうロジックとかを全部理解できる人ってどんだけいるんだ、みたいな話なわけなんだよね。
なるほど、最先端の宇宙の理論みたいなのをやってるみたいな話に近いのか、今で言うと。
全員別れみたいなね。
そうです。だから僕らが物理学を学ぶために理石ぐらいできるでしょ、みたいな感じで。
分析分、分かんないの?みたいな。
そんなんじゃ宇宙の真理は知れないよ、みたいな感じなんだよね。
なるほど、75分に至るまでにもいろいろと競うが必要みたいだね。
そうそうそうそう。
ごめん、それは無理だわ。
それよりは禅とかでさ、
全てはクールだし、別に教えとかもないから自分で悟れ、とか言われたほうが、まだ取っ付けやすいみたいな。
まあ確かに言われた通りね、残善苦悩系って言われたほうが楽ではあるから。
そうそうそうそう。
みたいな感じがあったようなんですよね。
で、逆にそこに対して批判したのが、いわゆる大乗仏教という形で、
大乗仏教の経典と宗派
要は節一切分みたいな人たちに対して、それって自分たちが救われるというか、自分たちが涅槃に入るだけで、
他の人たちのことを置いてくぼりにしているじゃないかと。
そのいわゆる小さい乗り物で、それは自分たちだけを救うもので、我々は大乗という大きな乗り物で、
ある種、自分たちだけじゃなくて、民衆というかある種人類を救うというかね、
みんなを涅槃に連れていくんだみたいな。
ということが出てきます。
実はこれがですね、釈迦の死後100年くらいから、
本当に西暦数十年とかだから、何年くらいだ?500年くらい?
おお、長いね。
結構一気に時間が経っちゃうんだけど。
死後100年くらいの時代の中で、そういうものがいろいろと分かれてきます。
なるほど、100年くらいで分かれ始めて、
そこから数百年間はそれぞれの道を進んでいるわけなんだね。
それぞれバラバラやったから、それぞれ発展していって、
仏像には経典と呼ばれるものがあって、
いわゆる仏の教えとか釈迦の教えがまとまった本みたいな感じなんだけど、
たぶん名前が聞けばなんとなく分かると思うんだけど、
ケゴン教とか般若教とか法華教みたいなのを通じて、
ストーリー仕立てで民衆に広がっていくんだよね。
これって仏教の宗派みたいなものじゃなくて、
教典なんだ、法華教という教典があって、
それに基づいている宗派を、
法華教とかとうちらは認識しているみたいな感じなんだ。
そうだね、そんな感じ。
だから元々法華教という教典があって、
それに基づいたのが法華宗というのがあるかな。
法華宗があるかというとあれだけど、
そういう宗派があるとか、そんな感じなんですよね。
そういう言葉の定義もめちゃくちゃあやふやだな。
こうやって説明させると。
意外と僕も分からなかった、まさにそこで。
実際に般若教でいうと、
般若神教の方が皆さんご存知かもしれないですけれども、
いわゆる空則是識、識則是空のやつですよね。
よく社教されているやつ。
たぶんよく分からないけど、社教されているやつ。
あれとかも空みたいな話が出てきたりとか、
あとは華厳教でいくと、
微粒子な仏という仏様がいて、
その仏様が菩薩になる道を教えてくれるよみたいな、
こういうような物語を通じて、
どうやったら細けになれるかとか、
どういう風に修行するかとか、
それを知るみたいな感じなんですよね。
今パッと、
微粒子な仏が菩薩になる道を教えてくれる、
パッと言っても菩薩ってなんだっけ?
やっぱワードはなかなか独特だからね。
ちょっとだけ補足すると、
菩薩っていうのは、
他の人も、
涅槃に連れて行くぞみたいな感じで修行している、
仏教徒みたいな感じなんだよね、菩薩が。
さっき言った少女仏教の方の人たちは、
アラカンと言われていて、
それは自分が涅槃に行くみたいな、
そういうことを目的にしている人たちがアラカン。
他の人も救うぜっていうのが菩薩みたいな。
なるほどね。
同じ誘った人でもその二通りはあるよと。
二通りはあるし、大乗仏教からしたら、
アラカンなんかで止まっちゃダメだぜみたいな。
やっぱ菩薩を目指すのが生きてるぜみたいな。
そういう感じだよね。
なるほど、みんな菩薩になろうねと。
アラカンじゃなくてねと。
はいはいはい。
パッと言われるとビビるよね。
菩薩ね、みたいな。
聞いたことはあるだけに難しいよね。
なんとなく。
そうだよね、言葉としてね。
そうそうそう。
ありがとう、そこに人があってくれてありがたかったんですけど。
さっき言った華厳教も般若教も法華教も、
全部大乗仏教の経典ではあるんだよね。
そうなんだね。
大乗仏教って大きな国の中に、
そういうようないろんな経典があって、
かつてその中でちょっとずつ、
力点の置き方は何を大事にしているかとか、
どの仏様を大事にしているかとかっていうのが、
やっぱりちょっとずつ違う。
結構やっぱり違いますと。
例えばね、以前一人でも取り上げた、
ナーガールズナ、リュウジュだよね。
いう人は2世紀頃なので、
さっき言った華厳教とかできてからも、
仏教の流れの中での密教の成立
さらに100年後くらい後の人なんですけど、
この人は般若教のクーっていう人を重視して、
それをある種体系化して、
ストーリーとかよりは論理立てていって、
中間派っていう派閥をまた作っておくわけなんだよね。
それが2世紀くらいですよと。
さらに次がね、優位式もやったじゃないですか。
そういう人結構やってるね。
いろいろやってるんだよ実は。
無邪気とセシンっていう兄弟がいて、
第八アレア式から第七回しからね、
って言ったと思うんですけど、
それが4から5世紀くらい。
さらにリュウジュから100年、200年後なんだけど、
これは般若教と華厳教両方の流れを組んで、
それをある種統合してるみたいなやつなんですよね。
へー、そうなんだ。はいはいはい。
なので、やっぱり王族教典はあれど、
それをどう対策するかとか、
どう論理立てるかとかっていうところで、
いろんな人たちが頑張っていって、
その中でも有力なものがどんどん幅座として広がっていくみたいな。
次のスタンドでやっていくみたいな。
そういうような運動がこの仏教の大乗仏教の中だけでもあるんですよね。
なるほどね。こうしてみるといわゆる統配合だよね。
分かれるだけじゃなくて、
さっきの般若教と華厳教の流れを組んでるみたいな、統合してるみたいなさ。
そこはぐじゃぐじゃーっと離れたりついたりみたいなことを繰り返しながら、
どんどん洗練されていくみたいな話だったな、仏教がね。
洗練されていくとか、時代に即していくみたいな感じもあるだろうね。
そういう風にどんどん新しい解釈とかも出てきながら、
発展していくっていう感じなんだけど、
この辺りの4、5世紀くらいの時に、
当時のリウジとかユイシキとかは全部インドの話だったんですけど、
そこからあるシルクロードとかなのかな、そういうのを通って、
中国にも教典とかが次々と入ってくるんですよね。
この時代なんだ。はいはいはい。
もともと仏教自体が中国に座ったっていうのは、
紀元1世紀なので西暦何十年みたいな頃だっていう風に言われてるんですけど、
やっぱりそこから中国独自の仏教が出てくるとか、
教典がいわゆる漢訳、中国語に訳されて、
中国人が独自の解釈をしていくみたいなのが、
4、5世紀くらいかららしいんですよ。
その辺りで、これも取り上げましたね。
禅宗、座禅の禅で。
当時ボダイダルマさんだと思うんですけど、
インドから来て壁にずっと向き合って座ってましたみたいな人。
なんで何しに来たの?みたいな人だったよね。
皇帝とかにもいろいろふっかけて怒られたりとか、
でもやっぱりあなたすごいですって言われたりした人みたいな感じでお伝えしたと思うんですけど、
その人が中国に来たのも大体このぐらいらしいんですよね。
紀元後5世紀くらい。
結構いろんな教典もあり、教えもありで、
禅宗とかいろんな仏教が豊かになってる中で、
中国でもそういったものがどんどん継承されていって、
さっき言ったナーガルジャーノの中間派もあれば、
優衣式もあれば、禅もあれば、浄土教もあれば。
ひとっくりに仏教みたいにいっても、
いろんな教えがいろんな人が説いてるみたいな。
そういう時代だったらしい。
それは許されてたんだね。勝手にいろんな派閥に分かれてたんだね。
そうね。
そういう意味では、もともとのお釈迦様の教えというよりは、
そこからいろんなものを解釈して、どんどん広がっていったっていうのもあるし、
中国で今5世紀くらいといったんですけど、
6世紀から、西暦538年が、
聖徳太子が日本に仏教されたと言われている、
仏教伝来と言われている年で、
そういうインドから中国、やっぱり日本というような大きな流れが、
西暦5、6世紀くらいの時にダイナミックに動いているっていう感じらしい。
なるほど。とはいえ、やっぱり日本だけで見ても、
だいぶやっぱり歴史は古いんだね。
そうだね、そうだね。今からもう1500年前とかだもんね、ほんとに。
ざっくり言えば、当然仏教自体は、
それこそチベットとかそういう方にも伝わっていくから、
別にインド、中国、日本という流れだけじゃもちろんないんだけれども、
そういうものがあった中で、今回というわけでですね、
密教というものがどんなふうに成立したかみたいな話なんですけれども、
まだ密教出てきてないもんね。
出てきてない、出てきてない。
まだ密教前、密教以前の話です。
実は密教自体もインドでやっぱり成立してて、
時代としてはどうやら6、7世紀くらいなので、
結構新しいみたいなんだよね。
それまでと比べるとね。
それまでと比べると。
お釈迦さんが亡くなってから1000年くらい経っているという時代なので、
仏教の中でもやっぱりだいぶ新しい方なのかななんて思ってます。
中国にされた人が名前が残ってて、
禅無為という漢字が難しくて、
一旦禅無為さんだというふうにおっしゃってるんですけど、
この人がインドの貴族出身の人らしくて、
インドで学んだ密教というのを中国に716年に届けてます。
この時に密教されただけじゃなくて、
大日経という経典、
これを中国語版を作って布教したらしいんだよね。
あと前回聞いていただいた方がピンと起きてるかもなんですけれども、
数回が日本で出会って、
剣道士になって密教を学びに行かなきゃっていう、
思ったきっかけになった経典がこの大日経なんだよね。
ああ、言ってたね。そういえばね。
そうだそうだ。
なので、まさにこれの中国語版を作ったのはこの禅無為さんという人らしいです。
それが中国で育ったのが716年。
空海道が生まれたのは774年。
なので、大体60年ぐらいしか違わないんだよね。
へえ、じゃあその間に日本にも伝来してたってことなんだね。
漢訳されて、漢語でか知らないけど日本にも来てたんだね。
一部って感じかな。
日本では教えられる人はいなかったんだけども、
密教というのがあるぞぐらいのことが経典なんだろうね。
はいはいはい。
なので、やっぱり当時で言うと最先端の仏教、
中でも最先端である密教みたいな感じとか、
そういうものがやっぱり中国等に行けば学べるみたいな感じがあったみたいで、
実際、前回ちょっと最澄の話も少し触れたと思うんですけど、
実はこの禅無為の孫弟子さんから最澄も密教を学んでいたらしくて、
ああ、そうなんだ。
ひまご弟子の直系の弟子というか、
そういう教えを受けていたらしいんですよね、最澄さんも。
だから、やっぱりちゃんと当時中国に行ったら、
それを学ぶっていうのがある種のスタンダードというか、
それを吸収しておくってやっぱりすごく大事だったみたいだね。
なるほど。
日本にも戻ってきた後は、
最澄よりも空海の方がいっぱい学んでいたから教えてもらったけどみたいな話か、前回の話。
そうです、そういうことです。
最澄も基本は学んでいたみたいな話なのかな。
どうなんだろうね。
やっぱり最澄はもちろん密教だけじゃなかったから、
いろんなものを学ぶ中で、
総合的に仏教を学ぶ中で、密教もちゃんと教わっていたみたいな。
そんな感じだろうね。
空海はね、もうあの、
なんだろうな、潜りみたいな感じで、
検討士になって乗り込んでいったっぽかったけど、
空海については大仏教っていうものがあるんだっていうので、
密教を学ぶぞっていうつもりで行ってるんだ、空海は。
そうそうそう。密教を学ぶつもりで行ってるからね。
なるほど。ただ優秀すぎてあれか。
2、3ヶ月で学んじゃって、
あれだよね、知識とかいろいろ他のも学んできたけどね、みたいな感じか。
そうそうそうそう。
なるほど。そこで最澄と空海の学ぶスタンスというか、
何を学ぶかみたいな目線は既に違かったのか、その時。
そうだね。
そう、行く時からね、やっぱりこう、
まあ、期待も違っただろうし、
禅宗と浄土教の台頭
自分のモチベーションも違ったっていう感じなんだよね。
なるほど。
まあ、あとはそっか、日本から何学んで来いみたいなのも違うんだろうしね。
うんうんうん。
そうなんです。
なので、まさにこう700、800年か、
世紀800年前後っていうとこに、
やっぱこれだけのこう、
仏教っていうところでいうと交流というか動きがありましたと。
で、ちょっとだけ後の話もするんだけれども、
あの禅の時にも少し言ったんですけど、
中国でね、仏教の大弾圧みたいなものが起きるんですよ。
そうなんだ。
これが842年なんだけれども、
いわゆるこう、何だろうな、
仏像全部壊せとか、
なんかお坊さんは全部捕まえろみたいな感じの動きが起きて、
いわゆる仏教をちゃんとやっぱり維持するというのは難しくなってたんだよね、中国で。
で、そうした時に残ったのがまさに禅と浄土教で、
禅はちょっとお伝えしたんですけど、
要は普通不流文字だから経典とかなくても、
我々全然大丈夫っすみたいな、
仏像とかもいらないっすみたいな。
なるほど。
そうそうそう。
はいはい。
だから別に人が集まって、
禅やってたら全然いけますよみたいな感じがあり、
続いていくとか。
うんうん。
ちょっと浄土教はね、なんでついたかちょっとわからないんだけれども、
逆に経言教とか、
いわゆる高度な体系があって、
やっぱり師匠とか弟子がちゃんと学問的に学ばなきゃいけないみたいなものとか、
あと密教もいわゆる言葉だけじゃなくて、
身体的な理解も必要だみたいなもの。
いろんな道具とかもあって修行をしなきゃいけないとかっていうのは、
やっぱりこの時にいっぱい途絶えちゃうらしいんだよね。
密教の学びと変遷
うーん、なるほど。
うわー、そんなのが原因なんだ。
そうそうそう、そういうのが原因。
で、前回言った通り、
その9回が陶で密教を学んで、
帰ってきたのが806年なので、
40年違ったら、
全然やっぱり違った。
要は40年後には仏教大ダウンされてるから。
要はやっぱりこの中国仏教の転換点の中で、
ギリギリ密教を学んできたみたいな、
そんな感じを、なんか僕も改めてこういう風に、
時系列を追ってみたときに感じたんだよね。
あー、そうだね。
じゃあその後の中国では密教っていうのは、
スタンダードには、
今は日本でもスタンダードかわからないけれども、
結構こう、何だろうな、
減速した感じがあったのかな、中国では。
そうだね、やっぱりメインではなくなったっていう感じ。
もちろん一部で続いてたりとか、
ちゃんと受け継いでる人はいたんだと思うんだけど、
やっぱり国家レベルとかすごく有名な人が、
密教に出てたみたいな感じはやっぱりないみたいなね。
はいはいはい、なるほどね。
ちょっと近いに潜っちゃった感じになったんだね。
じゃあ仏教全体がね、そもそもと。
そうですね、やっぱりこう、
今お釈迦様から密教の流れを辿っただけでも、
やっぱり仏教の広がりというか、
やっぱり縦横いろんな繋がりがあって、
やっぱり一筋縄で語れないなみたいな。
ところがなんとなく、
ご理解いただいたんじゃないかなと思うんだよね。
そうだね、
密教の始まり
じゃあ自分どの仏教信じようってとこから難しそうだね。
そうそう、だから仏教とですみたいな話も、
やっぱりざっくりしてるよねみたいな。
これはキリスト教も同じかもしれないけど、
やっぱりキリスト教もね、
大きく分けたらカトリックとプロテスタントがあった時に、
それぞれもいろんな違いがもちろんあるだろうから、
やっぱり宗教の多様性というか、
やっぱり仏教もね、
その意味では一筋縄、
全部が全部一緒じゃないよっていう話なんですけど、
ここから冒頭に今回お伝えした、
仏教と何?っていう話をちょっとだけさせていただくんですけど、
本来仏教って、
やっぱりお釈迦様が始めたお釈迦様の教えなんですよね。
でもやっぱり大乗仏教からして、
本当にこうやって釈迦が言ってたの?みたいな話っていうと、
やっぱり歴史的には違うんだって言わざるを得ない感じなんですよ。
要はお釈迦様がさっき言った華厳と言うこととか、
法華経みたいなものを書いたわけじゃないし、
そもそもビルシュナブツみたいな人を別に、
お釈迦様がこの人的な仏ですとかって言ったわけでも、
多分ちょっといいんですよね、別に。
なんだろうな。
やっぱりお釈迦様が言ったことそのままっていうところが、
だいぶ離れてるんだよね、大乗仏教をしてて。
ただ大乗仏教で言うと、一応ね、
お釈迦様のこの辺の言葉に根拠があるんだとか、
釈迦じゃないかもしれないけど、
やっぱりお釈迦様の教えを通じて仏になった人の言葉を、
僕らは信じてるんだみたいな。
ちょっと苦しいけど、一応そこに源流あるよねみたいな。
なるほどね、ただ結構何でもありな感じになっちゃうね、
それ言う人は。
釈迦は言ってないけど、弟子は言ってたよ、
悟った人が言ってたよね、でいいのであれば。
結構ね、何でもありになっちゃうけど、
一応正当性みたいな話はやっぱり大事にしてるわけなんだよね。
ただ面白いのは、密教は、
僕も実は今回ちゃんと空海の話を見て初めて知ったんだけど、
密教ってそもそも別に、
うちらの教えって釈迦が説いたもんじゃねえからって言ってんのね。
そうなんだ、もう言っちゃってるんだ。
言っちゃってる、うん。
じゃあ誰が説いたのかっていうと、
まさに大日如来っていう仏さんが説いたんだと。
で、実はお釈迦様っていうのも、
仏教の創始者と言われてるけども、
実はこの大日如来に連なる一人の仏に過ぎないんだと。
お釈迦様が始めた仏教なんじゃなくって、
そもそも大日如来っていう人が、
人というかね、存在っていうか、
これはまた次回ちゃんと、
第1話って何?って話はするんですけど、
っていうものがある種語ったものを、
この世で一応体現して、
みんなに、民衆に伝えたのが釈迦であるっていう、
そこを逆転しちゃうのね。
何それ、神とイエス・キリストみたいな話?
でもほんとそんな感じね。
すごい話だね。
だいぶストーリーの大前提崩してきたなみたいな。
あれだね、釈迦よりも強い人作っちゃったみたいなね。
そうなんだよ。
面白いと思って、釈迦から始まった仏教って思ってたんだけど、
密教からすると違う。
密教と大乗仏教
仏教は釈迦から始まってないんだね。
始まってない。
あくまでもそのうちは1人みたいな話らしいんだよね。
密教的に言うとね。
密教的に言うと、そう。
しかも彼らは、お釈迦様が伝えた仏教っていうのを、
剣行っていうより剣って、剣備教の剣。
いわゆる現れるとか見えるみたいな話なんだけど、
いわゆる普通の言葉で表せる教えだっていうふうに読んだんだよね。
要は別に、お釈迦様っていうのは母大事のもとで悟った後に、
お釈迦様の言葉で教えを伝えていくわけなんだけど、
実はそれっていうのは、いわゆる不完全で、
自分たちの密教っていうのは、
秘密仏教っていうのは略されて密教っていうふうになってるらしいんだけど、
この秘密っていうのは隠されているってことじゃなくて、
普通の言葉では言い表せない教えっていうふうな意味なんだよね。
そうなんだ。
アングラとかそういうことじゃなくて。
アングラとか見ちゃダメとかじゃなくて、
いわゆる普通では解き明かせないものとか、
ただの言葉では表現しかないものっていうような意味合いが含まれてるんですよね。
面白いです。さっきの兼行か、現れるの対義語としての密教なんだね。
そうそう。
だから兼密っていうふうな話なんだけど、
これは普通の言葉ではダメなんだけど、
第一の愛っていう仏の言葉ならなれるんだっていうのがまさにそういう話で。
その密教の立場からすると、お釈迦様はね、
さっき言った通り、母大事なもとで二人を得て、
仏教って始めていくって話があるんだけど、
それって不十分なんだと。
それって言葉で言えることしか言ってないから。
そうじゃなくて、実はその後に密教の真理を到達していて、
そこで初めて本当の仏になったんだみたいな、
そういう付け足しのストーリーみたいなものが語ってるんだよね。
そこにおいて初めて密教っていうものに、
釈迦も頼りついたんだ、よかったね。
むしろ釈迦さん頑張ったね、みたいな。
密教の意味と実効性
そういう感じになってます。
前回のウィトギンシュタインっぽいね。
だいぶ根本から崩してきたよね。
我々が使ってる言葉は世界と論議空間があったみたいな。
論議空間ね。
密教である。
皆さんは兼業でしょう、これまでやってたのは兼業でしょう、みたいな。
すごいね、だいぶ根本から覆してきたね。
考えた人すごすぎるんだよ、これ。
すごいよね。大乗小乗とか言ってるのは、
どっちも結局兼業でしょう、みたいな。
ところで自分たちは密教だから、
っていうふうに違うスタンスを取ってるわけなんだよね。
だからそういう意味では、やっぱり密教って、
お釈迦様が始めた仏教から何が立ってるかっていうと、
明確に違う。
お釈迦様を超えてるんだけど、
やっぱり有意識とか空とかね、
そういう思想をちゃんと受け継いでるんですよ。
やっぱり時代的に大乗仏教の教えとかに接続するってのは事実なんだけど、
あるいはその仏教そのものを、
それまでの仏教ってものを否定したり乗り越えようとしている。
そういう意味ではやっぱり仏教じゃないみたいな、
結構そういう相反する性質があるのが密教だ、
みたいな言われ方をしてるんですよね。
すごいね。そうすると密教って何であるんだ?
そうだよね。
苦しみから逃れるのが兼業だとして、
そこが一緒なのか違うなのかって、
今日教えてもらってないよね。
次回以降でちゃんと伝えていくんですけど、
なぜ密教があるのかとか、
すごい簡単に、特に空界の仏教というところだけでいくと、
一番は仏になるとか、
涅槃に入るための実効性みたいな話らしくて、
これちょっと次回もちゃんとお伝えするんですけど、
大乗仏教って仏になれるのよ、みんな頑張ったら。
仏になれるんだけどめっちゃ時間かかるんだよね。
どんぐらいかかるかっていうと、
聞いたことある方いるかもしれないんですけど、
去年に一回県から天女が降りてきて、
めっちゃでかい山を羽衣でシュッて擦るんだけど、
それでその山がなくなるぐらいの時間かかるって言われてるんだよね。
あー、そうなの?
大乗仏教はみんなが悟れますって言ってるんだけど、
パッケージの一番右下にすごい小さいフォントで、
ただし天女が百年一度を生んで、小さく書いてて、
それほとんどの人は見えないよみたいな、
そういうただし書きがあるのか。
別にそれを聞かせてるわけじゃないし、
そういうことも普通に言ってはいるんだけど。
大乗仏教側だからそう言うんでしょ。
ここに小さい人が書いてるでしょって、
普通の人はそれ気づかないからさ。
まあね、確かに契約する時にね。
だからこの人生でやっぱりなれるとは想定を思えない。
普通は無理なんだね。
お釈迦様ですら何回も人生を繰り返して、
やっと結成したのがお釈迦様としての人生だみたいな話だから、
僕らボンプみたいな人間はそれは無理なわけではないね。
その間に輪廻転生を繰り返しながら、
虫になったりとか犬になったりとか繰り返しながら、
いつかはできるっていうことを信じて輪廻していくしかない。
守るしかない。
なるほどね。
実はなれる。
でも象徴仏教はなれない。
民衆とか出家者にとってはなれないって言われたから、
それよりはマシなんだけど、
逆に希望を持った方がきついみたいな話もあるよね。
いやー、むずいね。
それ言われちゃう。
その正しがきを言われちゃうとさ、
じゃあ自分は浄座部、荒かんでいいやと思う人もいるね。
まあね、出家できたらね。
みたいな話があったんですけど、
輪廻はあなたがなれるみたいな話なんだよね。
またちょっとずれてるなね。
あなたがなれる、なれる、悟る。
ただあなたが何かとか、
促進成仏って言葉があるっていうのを前回ちょっと言ったと思うんですけど、
これもやっぱり漢字だから、
読み方がいろいろあるよねみたいな話があって、
3パターンぐらいで読み取れるから、
どれが本当の意味かわからんみたいな話もあるんだよね。
これちょっと次回ちゃんと言うんですけど、
ただ、そういうふうに超よくわかんない時間をかけて仏になるんじゃなくて、
この身このまま、自分の、
いろんな解釈があるからひょっとしては、
この身このまま、これも体のままで仏になるみたいな、
そういうような世界観っていうのもあるんだぜっていうのが密教なんだよね。
なるほどね。そっかそっか。
今の大乗仏教の話について聞くと、それはそうだっていうのは思うね。
だって今のこの世で、
今の人生のことを何て言うの?
今生かな、今生。
今生で達成したいよね。
そうそう。
そんな終わってらんないもん。
やっぱり来世とかでね、やっぱりこう、
期待を寄せるんじゃなくて、この世で何とかやりたいと。
そういう切実なニーズはありのだし、
それができるって本気で多分思って作ったのが密教なんだ。
そうだね。
そこについては納得というか、
そうなんです。
それはそうだと思うよ。
必要って思うし。
当然その仏教の中での手もあるし、
さっき67世紀のインドで生まれたって話もしましたけれども、
当時のインドって逆に昔、
仏教ある種、上を行っていたバラモン教とかヒンドゥー教みたいなものがすごく盛り上がってきてて、
逆に仏教ちょっとイケてないよねみたいな時代だったらしいんだよね。
やっぱりヒンドゥー教とかそういう別の宗教に対してもやっぱり仏教いいよとか、
ちゃんとしてるんだよっていうのをある種言わなきゃいけないみたいなところもあって、
新しい仏教ってのが求められてた。
なるほど。
確かにな、そこが仏教同士でもそういうね、
いつ悟れんのみたいな戦いがあったとして、
他の宗教と確かに戦いなった時に弱い気がするもんな、
さっきの何億年後だよみたいなね。
そうそうそうそう。
だからもう一個大事なのは促進調査と厳税利益みたいな、
今ってさもう普通にあるじゃん、
神頼みしていいことあるとか、仏様を、
昔は政治と宗教が一緒だったから、
仏様にお祈りして国の育成を良くするみたいな話っていうのは当たり前にあったんだけど、
それも結構やっぱりこの、それこそ空海だったり、
まあ衝突会社もあったかもしれないけれども、
仏教だけで考え方が出てるものらしいんだよね。
あーそうなの。
ちょっとその辺は、
何だっていうのはまた次回ちゃんと伝えていこうかなと思います。
これまでの話だけだったらさ、だってみんな涅槃に行きたいだけだから、
別にこの世とかどうでもよくはないけれども、
別に国の政治がどうなのかそんなに関係ないと思わない?
これまでの仏教の話だけで言ったら。
本当に思ったしさ、この前真理の歴史やった時も話したじゃん、
キリスト教と仏教で比較した時に、
仏教の方がそういう政治的なさ、
一つのベクトルに人民を統率してさ、
すごい個人的な営みが気がするよね。
そうね。
まさにそれかな。
そうそうそう。
やっぱりそういうところでも仏教の弱さっていうのがあったので、
それとある種乗り越えてうまく日本に持ってきたのが空海。
えー意外だな。
そこに対する回答が密教ってのも全然イメージがなさすぎてわからないけどね。
そうです。
仏教の流れと密教の新しさ
そういった意味では今回仏教の流れを踏まえつつ、
密教っていうのが仏教の中でも独特だというか、
今の流れからすると新しさがあるというのが伝わったかなと思うので、
何をもってこの権業やそれまでの仏教を乗り越えているのか、
空海のそもそも密教ってどんな星だったのかっていうところを、
いよいよ次回からお伝えしていきたいというのが、
壮大なイントロでございましたという感じですね。
まあ確かにそうだね。
前提がないといきなり密教とはって言われてもわからないかもね。
そうなんですよ。
だいぶ立ち位置が教えてもらった気がする。
これが僕が読んだ仏教空海本の第2章001項分くらいを言ってました。
そうなの?
台本です。
だからやっぱり本とかもまさにそういう導入があるんだよね。
ノートに載ってるのそれ?
あのノートにまだ載ってないんだけど、
空海の哲学っていうような新書本がありまして、
新書にしてはだいぶ分厚い。300ページくらいある。
結構骨が折れる本なんですけど。
どっちが縦でどっちが横か分かんないみたいな本ね。
そこまではさすがにないけど。
新書と思って手を取ったら崩壊するくらい。
Amazonとかで買うと分かんないじゃん厚みが。
たまにあるよね新書で厚くて読んでも読んでも終わらない本ってあるよね。
見た目軽いっていうか、新書だから小さいからさ。
すごい読む気で買ったのに全然終わらないんだけど。
本だと3冊分くらいの厚みみたいにするじゃない。
それにしないですけど、でもすごく面白い本なので。
今回は空海の哲学っていう本をベースにお話をさせていただいている。
次回はより密教とは何かというところを見ていくというところでしたので、超画前楽しみになってきましたね。
良かったです。
次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
42:48

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