1. 神田大介の経験
  2. バトルはじめました
2024-07-17 10:11

バトルはじめました

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FSKのログイン会議室では、基本的にログインという雑誌も、やっぱりちょっとふざけた感じのテイストだったんですよ。
それが、いわゆる美少女ゲーム系の雑誌とかとは、ちょっと一線を隠していて。
とか言いながらね、ログインもいいログインっていうね、美少女系の雑誌を売れるんでね、出すようにはなってくるんですけども。
でもどちらかというと、オタク集は決している感じだったんですよね。オタクっぽさみたいなのからは若干距離があった感じがしますね。
陰キャというよりは陽キャっぽい。
ただまあそうは言ってもね、本当の陽キャはパソコンゲームをやるのかというとなんか微妙なところではありますけど。
いずれにしましてもですね、そういうログインという雑誌を読んでいる人たちが集まっている場所に私は入り浸るようになり、結構な常連投稿者となってですね。
そこでもまたパティオンに誘われるわけなんですけれども。
まあともかく、そこでもオフラインミーティングというのはあって、よく行きましたね。
好きなやつがいたんだよな。みんなハンドルネームだからいいと思うんだけど。
忍者何が知っているか。それ本名だから忍者〇〇ってやついて、それは当時のログインですごい人気のあった編集者に忍者増田さんという人がいたからそこからもじってるんですけど。
忍者がね、オフミーが好きで。
最初行ったのはワンダーエッグ。俺行ってないんだな。ワンダーエッグって知ってますか皆さん。
ナムコ、今はバンダイナムコですね。きっちり説明がめんどくさいですね。マッピーとかゼビウスとか作ってるゲーム会社のナムコがアトラクションをね。
テーマパークっていうほどでっかくないんですけれども、サンシャインのあたりにありましたよね。
サンシャインの中だっけ。そういうちょっとビデオゲームとテーマパークにあるようなものと掛け合わせたようなのがあって、そこに集まる。
忍者はしょっちゅうそこに行ってたんで。忍者は東京に住んでないんですよ。
北陸地方から来てたんで、そいつが来るときにじゃあみんなで集まりますかみたいな感じで集まるっていう会がありましたと。
その次から行ってるな。結構何回も行きましたよ。美和子も行ったし。
それからその中の一人が当時、高等専門学校に行ってる。でも年齢的には高校生の年齢だったな。
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山口県にいたんですよね。そいつに会いに高専に行って、ちょっと今だと考えられないと思いますけれども、その授業を見学しましたね。
どういうことかと。まずそもそもそいつが山口県に住んでます。遊びに行きます。
泊めてください。はいどうぞと。で、ただ何か別に平日に行ったんですよね。何で平日に行ったのかな。
そいつその次の日、交戦があるんですよ。焼き肉かなって食いましたけど。
晩飯はね。で、泊めてもらって、翌朝学校に行きますって言って一緒について行って、私は何々大学で教育について勉強してますと。
ついてはぜひ見せてもらえませんかって言って、そしたらいいですよみたいな感じになって、いきなり行ってアポナシですよ。見学させてもらいましたね。
そこはね、大島商船交戦って言って、諏訪大島、山口県ですからね、瀬戸内海側なんですよ。日本海側じゃなくてね。
島がいっぱいあるんですけれども、商船っていうのは秋内の船の商船ですね。に関する高等専門学校だったんで、実習船みたいなのがあるんですよね。
そこに乗せてもらう、乗せてもらうっていうか、まあ学校の中にはあるんですけど。
入って、そういうその授業、講習みたいなの受けてたりとかですね。見学をさせてもらったんですね。
だからその当時すでに、船の中だと骨伝導のヘッドホンというんですかね、イヤホンっていうのを使ってたんですよね。
今もね、ショックスとかで商品化されてますけれども、あれあれ。だから骨伝導という仕組みを初めて体験したのはその時ですね。1995年だか6年だかのね。
行って、こんな風にして人間って音を聞き取ることができるんだっていうふうに思いましたもんね。
まあしかしなんか己の行動力に驚きますね。全然別にあったことない初対面ですよ。そいつもね。
その男の子のうちに行ってね、泊まるだけではなく学校に入っていくと、ダメ元で行ったんだと思いますけれども、普通に入れているっていうね。
で授業見学して、先生がみんな騒がないでみたいなことを言ったりとかね。なんなんでしょうね。
っていうのがありましたね。
とか、そうですね。そのF-ASCIIであった人たちっていうのはみんなキャラが立ってましたね。
例えばですね。やっぱりね、実生活で会ったことないタイプの人に次々会うんですよね。
オタクっぽい人がほとんどだったなあ。
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めちゃくちゃ太ってる人いたなあ。だからやっぱり。
中学校とか高校にも肥満体のやついましたし、そもそも私自身が肥満児でしたけれども、そういうレベルじゃない感じの。
アメリカにいるタイプの肥満みたいな肥満体の人いて。
で、東高大生なんですよね。東高大に入っている人はめっちゃ頭いいじゃないですか。
なんだけれども、ちょっと屈折してましてですね。
この人も地方出身者でなんだけれども、3人兄弟。自分で言うにはですよ。
3人兄弟で、お父さんはお医者さんなんですよね。
お兄さんだか弟だか、その3人兄弟の中で確か2番目だって言ってると思いますけれども、他の兄弟はみんな医学部に行ってるんですよ。
誰だっけ医学部に入れなかったっていうことで、そこにコンプレックスを持ってて。よくわかんねえな。そもそもですよ。
東高大に入れるぐらいの学力があったら、どこかしら浪人をしなきゃいけないかもしれないけど、入れんじゃないのかなって気がしますけど。
人がいて、当時ロビン電子っていう秋葉原にあるパートショップって言えばいいのかしらね。
ショップで働いてバイトしてましたね。元気にしてるんですかね。
彼とは電子会議室上で私、熱いバトルを繰り広げましてですね。
フレームっていうよりバトルって言ってるな。
あなたは本当にウィザードリーが好きか?みたいな書き込みを彼がしたんですよ。
ウィザードリーっていうのはロールプレイングゲームですね。
ワイヤーフレーム型って言いますけれども、直線を描くと昔のパソコンって描画能力が非常に低かったんで、そこをダンジョンに見立ててですね。
単なる気化学的な長方形みたいなのが並んでいるようなところを進んでいく。
そこでモンスターが現れて迷宮を探索するみたいなそういうゲームなんですけれども。
要は彼が言ってるのは、ウィザードリーっていうのは想像力を喚起するものであると。
線で描かれたものの中から生々しいダンジョンっていうのをきちんと自分の頭の中で想像しながら遊ぶものだっていう。
それは実際にベニー松山さんでしたっけね。小説があるんですよね。
灰と隣り合わせの青春とかっていう小説があったりして、そういうのができるぐらいウィザードリーっていうのは当時の若者プレイヤーを喚起させたわけですね。
どんな緻密なグラフィック。当時1990年代すでにグラフィックの綺麗なゲームってありましたから、それなりに今ほどじゃないですけれども。
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でもそういうのはむしろ邪道だと。やっぱりワイヤーフレームの中で自分の想像力で補うものこそが市場だみたいなことを彼は主張していたわけですよ。
私は別にそんな人の勝手だろうっていう。あれと冷水を浴びせるみたいなことを言ってまして。
実際私もそうなんですけれども、いやおかしいじゃないですか。そのワイヤーフレームがあったからといって、いちいちそこで何か想像力をたくましくさせてそこに没入してるかっていうと別にそんなことなくて、
単純にゲームとして面白いからやってたわけですよ。違和感があったんでそういう表明をしたわけなんですけれどもね。
そしたらなんか詳しい内容は忘れましたけどだいぶ喧嘩になりましたよね。
その疾走ペンみたいな人にちょっとそろそろやめてもらえないかって言われるっていうね、そういうことがありましたね。
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