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2024-07-16 10:20

FASCIIはじめました

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前回、Fコミックというところで知り合った国宝楓さんという、ソ連好きの痩せぎすのメガネのオタクっぽい青年男性との出会いについて話しましたけれども、
オフラインミーティングは、でもFコミックで出たのは、それが最初で最後でしたね。オフラインミーティングというのは、1対1だとあまり大規模なものではなかったですけれども、
Fコミックでもいろいろオフ見はやってたと思いますが、オフ見って言ってたよね、当時。オフっていう方が今は多いですよね。
ともかく、Fコミックは、ただパティオ自体は、要はFコミックの常連投稿者だけが集まる、そういう集まりはずっとその後も継続して所属を続けて、1995年がやってくるんですよ。
私が大学に入ったのが1994年で、パソコン通信を始めたのも1994年です。ここを帰れさんと会ったのは秋口だったと思うな。木から落ち葉が落ちてたイメージありますからね。そういう映像だけは覚えてるもんですね。
1995年がやってくるんですよ。阪神淡路大震災ですよね。あの時に、結構関西地方に住んでいる人っていうのもそのパティオの中にいて、私はもう完全に新参者だったんですよ、そのパティオの中では。最後に一番新しく入ってきたぐらいの感じで、94年になってるのは。
みなさんその前から知り合いなんですよね。その中のメンバーで関西に住んでる人とかもいて、支援物資を運んでましたね。
ご存知ですかね。あの当時、道が寸断されてたから、結構スクーターとか原付みたいなバイクとかで行く人っていうのがいて、そのパティオの中にバイク乗りがいて、スクーターで行ってたと思う。ビッグスクーターだと思いますけど。
現地に行くと、その知り合いのところに行くわけですけれども、水を運んだりとかですね。ああいう活動をしてる人とかいて、実際その表の方のフォーラムなんかでもそういういろんな呼びかけがあったりして、大きい地震の時にパソコン通信がすごくそういうボランティアのネットワークとして機能する。
そのパティオで行われてたのは、個人的な知り合いへのやり取りでしたけれども、ニフティサーブ上に、ニフティサーブとしては料金を取らない。
ちなみにあれですよ。電話料金のほかにニフティに金払わなきゃいけないんですけど、結構パソコン通信で金のかかる趣味だったんですよね。
ニフティサーブがしかしお金を取らないでですね、情報のマッチングをする。つまりこれがここで足りませんっていうところに分かりました持ってきますみたいな感じで、人が集まって物資を送るとかボランティアをするみたいなののサービスがすでに当時1995年の段階で行われていて、これは結構なんか私は思いましたね。
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こういう時代になっていくのかと。当時そんな安否の情報なんて全然わからない時代だったので、それこそインターネットの普及の前ですからね。
一般の人が情報を発信できるっていうこともなかったですよ。ほぼそんな手段はなかったので。逆にアマチュア無線とかをやってる人とかもいましたけれども、アマチュア無線ってそういうふうに不特定多数のしかも距離のある人に何かを届けるっていうことに関してはあんまりできないんですよね。
なので、パソコン通信自体はNiftyって多分当時そろそろ100万人会員になるとかっていう時代だったと思うんで、それなりの規模なんですよね要はね。100万人全員がMAU頻繁にサービスにアクセスしてる人ではなかったと思いますけれども、そうは言ってもそれなりにいたんで気のせいだと思う。PC版も確か同じぐらいいたんですよね。
この辺はちょびっとだけ注目されてましたね。今と違ってあんまりまだまだネットっていうのは世の中の主体にはなっていなかった時代なんで、そこまで大きく例えば新聞やテレビでバーンと取り上げられるってことではなかったですけれども、知る人ぞ知るっていう感じでは広がっていて、後に結構ね。
パソコン通信ってね、先ほどのインターネットの成り立ちとかもそうなんですけど、当時パソコンを使っている人ってやっぱりそれなりに所得があって、もしくは趣味でそういうことをやる人って勉強ができる頭のいい人が多かったんですよね。
学者もその中にはかなり含まれていて、そういうのを見てですね、論文みたいのをしたためているような人もいましたし、調査報告は聞いたことありますからね、とかね、いうようなことになっていくと。
オフラインミーティングといって、馬鹿にしたもんじゃないというか、本当に社会に対してですね、ポジティブな影響を与えていくようにもなっていくっていうところをね、書いておかないとね、私がなんか共産主義者の家に行ってドコンジホガイルのバックグラウンドミュージックを聴いただけっていうことではないですよと。
オフラインミーティングみたいなのでも、その後別のところで行くようになりますね。
で、それがちょっと紹介した、F-ASCIIっていうところ。
ASCIIっていう出版社の雑誌を取り上げている、そういうフォーラム、後にステーションで、そっちの方でより発言するようになったんですよね。
というのも、結構ね、ニフティサーブの一般的なフォーラム会議室って、割とね、ちゃんとしてるんですよ。
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社交の場みたいなところがあって、それなりに文章も抑制が効いていますし、なんだろうな、ちゃんとしてましたね。
で、喧嘩は起きるんですよ。
フレームって当時から、当時からじゃないね、当時は言ってましたね。
フレームって、英語でも同じ言葉を使うんですけれども、フレーミング、炎上ですよ。
フレームって炎のことなんで、フレームっていうのはしょっちゅう起きるんですが、それにしても何というか、今のツイッターで見るやり取りなんかに比べるとずいぶん大人しいというか、ちゃんとしていたと思いますよ。
ログとか当時のやつ残ってないんですけど、残してる人もいっぱいいると思いますけどね。
というのも、そんなに人数がいないからですね。
で、ROMっていうふうに当時言ってましたけど、Read Only Member、これもパソコンの記憶バイターにかけて言ってるんですけれども、
要は読むだけで書き込まない人ですね。
この比率がですね、これも何かの本に、学術的な本に書いてあったけれども、1対99から1対9999ぐらいまでの間、
要するに1万人いたら書き込みは1人しかしてないみたいなところも大きい会議室だとありますよと、大きい電子会議室だとありますよっていうね。
Niftyの場合はそこまでは行かないんじゃないかと思いますけれども、読んでる線っていうのはね。
だからそういう人もたくさんいるっていうこと自体は事実だし、それをみんな知っていた。
私はROMなんでとかROM線なんでみたいな言い方はしてましたからね。
つまりみんなが見ている前でやり取りをしているっていうところの意識。
でもこれは今のツイッターにもあるか。
ただそこら辺で一応バリ増言みたいなので、これはひどいなみたいなのはなかったですよね。
迷惑系YouTuberみたいなやつはいなかったですね。
ネッカラおかしな人っていうのはもちろんいるんですけれども、いわゆる電波系みたいな人。
それは一つの風物詩みたいになっていて、参加者の人もあしらう感じでしたもんね。
あとパソコン自体が高かったから、ネット環境自体もいくらテレ放題を使っても、
ニフティに納めるお金と合わせると月にいくらだろうな。
1万円までは行かずにできましたけど、でもそれぐらいするんですよ。
だからスポーツジムに通ったりテニススクールに通ったりするとあんまり変わらないんですよね。
いろんな諸々の経費を考えると、モデルも買わなきゃいけないし。
そもそもパソコンが高かったから、Windows95が出るぐらいのときにパソコンってだんだん安くなっていくんですけど、
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結構価格破壊的なパソコンが増えていってね。
とはいえまだまだハードルは高くて、やる人が一定落ち着いているってところだった。
今はスマホは誰でも持ってますし、SNS、Twitterなんかで倍増温書いてる人なんかでも、
例えば中学生とか結構いるっていう話なわけですよ。
自分の中学生時代の頃考えたって、スマホ持ってたら確かにTwitterとかにめちゃくちゃ格好良くしてただろうなっていう気はしますもんね。
っていうようなことはあんまりないっていう比較的落ち着いた社交場的な雰囲気があったのではないかなと。
その中ではF-ASCIIはログインの会議室は特にそうだったんですけれども、比較的若い人が多かったんですよね。
当時の私が20歳になる前の感じ。
20前後、20歳前後の人がたくさん集まっている場所で、
それが逆に当時の私にとっては居心地が良かったというところですね。
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