1. 神田大介の経験
  2. 上前津に行ったよね
2024-11-21 10:17

上前津に行ったよね

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クラスで、前回はね、ゲームブックを書いてる子がいたよと、棚屋んとかね、山岳くんの名前をあげましたけれども。
わぁ、僕も書いてたのかなぁ。いやぁ、たぶん書いてないなぁ。何でしょうね、別に。文章を書くのとか、超得意だったのに、それはやってないんですよね。
よくわかんないけど。で、漫画を書いてる子もいましたね。僕はすごい覚えてるのは、山田たけしくんっていう。
あれ、山田たけしくんの話ちょっとしましたよね。山田太郎くんと山田たけしくんっていう双子の兄弟がいて、たけしが弟だったな。
で、太郎は全然漫画を書かないんですけど、太郎、元気かな、太郎。山田太郎ね、あいつはなんかそういう風じゃなくて、ちょっと表規院、表規院というかなんかアホっていうか、ごめんね、山田くん。
たけしの方はなんか漫画を書いてましたね。結構絵が上手くて、絵の上手い子供っていますよね。漫画読んでたんだろうな。
なんか忍者ものを書いてましたよ。それはたまたまその時書いてたんだろうけど、当時、週刊少年ジャンプがやっぱりすごい勢いになった時代なんですよね。
筋肉マン、キャプテン翼、ドクタースランパーラレちゃん、北斗の剣とかね、セイントセイヤーとか、セイントセイヤーとかちょっとあれですもんね、その筋肉マンキャプテン翼とかに比べてちょっと否定をとっちゃいますよね。
ハイスクール鬼面組とかね、もちろんコチカメね、当時からやってましたよね。コチカメもやっぱりメインハルマンガじゃないもん。ジョジョとかもう始まってたと思いますけど、馬王雷砲車とかも読んでましたけど。
馬王雷砲車とかジョジョとかって、当時はやっぱり平松慎二先生のブラックエンジェルス的な立ち位置でしたよね。先駆け男塾、いやーもうキラボシですよね。
の中にあったから、すごく漫画ってみんな読んでたし、特に人気あったのがやっぱり筋肉マンですよね。山田武史君の書いてた漫画は明らかに筋肉マンの影響を受けてて、忍者が戦うんですけれどもね、その時の戦いの中にね、筋肉マンの漫画にスクリュードライバーっていう超人が出てきて、
何言ってんの?って思ってる人もいっぱいいるかもしれないですけど、ごめんなさいね。ネジなんですよ。ネジ?ドライバーか。残虐なことをするんですけれども、そういう感じ。忍者の体にネジで穴を開けるみたいな。
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ネジで穴を開けるって言うと本当に残虐な感じするよな。もっと筋肉マン的な世界観でのっていうことなんですけど。だから人間がそのネジの形になってぐるぐるぐるって回転して、足のつま先のところから体の方にネジみたいにしてガーって穴を開けるみたいな。ギャーって言うみたいなね。筋肉マンのノリ。そういう漫画でしたよ。
これが本格的でね。しかも確か修学旅行か林間学校的なやつ。名古屋市立の小学生は5年生で中津川、岐阜県のね。6年は修学旅行でしたよね。京都奈良に行きましたけど。
中津川にたけし君が漫画を書いているノートを持ってきてて。林間学校でも漫画を書いてましたもんね。でも面白かったんで読んでましたよね。
漫画を書いている奴はたけし以外は、棚山もそれに近いけどあんま覚えてないな。ほらね。私が今まで話してきた中で出てこない登場人物名じゃないですか。漫画を書く奴ってそういう感じありますよね。
僕は漫画を消費する一方でしたね。自分で書いてたのは石井久市先生の絵は真似して書いてましたね。だから石井先生の絵って決してね。
例えば筋肉マンのゆで卵先生とかと違って、大人の新聞の4コマになるような人だから、当時から頑張れ田淵君とかね。面白いんだけど、子供が読んで面白いっていう感じだった。
子供が読んでも面白いから私も面白かったんですけど、ちょっと違うんですよね。もうちょい歳いってから笑える感じの漫画だし、絵柄もそうですよね。
前言いましたよね。白根君に絵の汚い漫画嫌いだって言われたのが石井久市先生の漫画でしたけど、どういうふざけんなって思いましたけど、それを書いてましたね。
ただ全然、ちょっとだけイラストを書いて終わりみたいな、そういう感じでしたね。のめり込むことはないっていう。のめり込まないんですよね。
だからゲームブックみたいなのも自分では書かなかったし、ファンタジーみたいなやつも、そこで本当に好きな人は、そらくダンジョンズ&ドラゴンズみたいなのの世界に進んでいくんですよね。
テーブルトークRPGって別に日本でもやってる人はいたわけだし、僕はそういうのやっていた人が集まっていたであろう名古屋の大須とかにはよく通ってましたし。
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大須ね。それこそ山岡くんたちと自転車であつたから、自転車越えて行ったの覚えてますね。
神前津は大須ですからほぼね。あの駅の周りにはいっぱいパソコンショップとかもありましたからね。オタクがいると。
山陽道シグマっていう本屋さん、今もありますかね。オタク系の雑誌、本いっぱい置いてありましてね。ミニ秋葉原みたいなところがあったんですけど。
5駅、地下鉄5駅分ですから自転車で全然行けるんですよね。中学生の客力でもね。つか小学生の時から行ってましたね。
小学生の時にね、ドラゴンクエスト2とかが出てた頃なんかは、ゲーム紙が攻略法を全部載せちゃうんですよね。
それで訴訟になって、ハイスコアっていう雑誌だったと思いますけど、エニックス、ドラゴンクエストを作っている会社ですね。
いやいやいや、ゲームの楽しみっていうのがなくなっちゃうじゃないかっていうような感じだったんですかね。
当時、著作権法が確立そんなに日本ではされてなかったから、例えばパソコンゲームのコピーとかって違法じゃなかった時代があるんですよね。
むちゃくちゃなと思いますけれども、ゲームコピーし放題っていうね。ゲームをコピーするという商売が普通にありましたから、公にやってましたからね。
ちなみにビデオとかもそうですよ。
で、それは著作権法が改正されていって変わっていくんですけれども。
で、ゲームね。
あ、でもなんかこれもYouTubeの動きに似てますね。
最近もやっぱりそういうストーリーもの、シナリオもののゲームに関しては、YouTubeに動画をアップロードするなみたいなことを言って、
法的な措置を取るとか取れないとかっていう話はありますよね。
それはそうだ。金を払わないとわかんない先っていうものをYouTubeで勝手に公開されちゃったら困りますよね。
っていうのが雑誌であって、で、負けたのかなかったのか全然覚えてないですね。すみませんね。
だけどそのハイスコアが確か初点からすぐになくなっちゃって、それを持っていた猪又くんとがね、ヒーローになるという。
ドラクエ2をやるために学校を休むでおなじみの。うちの中に猫の糞がいっぱいあるでおなじみのですね。
言ったことないんだけどね。他の子が言ってた話では。猪又くんね。猪又くん元気ですかね。みたいな。
だからそういうのもファミコン文化みたいなのがあって、で、名古屋におけるファミコン文化というよりはパソコン文化ですけどね。
マイコン文化の中心地であるオース神前津のあたりっていうのは足茂区通ってましたんで、週末とか日曜日とか何もないときに遊びに行ってましたから。
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それでいうといろいろ接点があったにもかかわらず、私はそんなにそこに深入りするでもなく、マジック・ザ・ギャザリングとかも別にやってないしね。
あんまハマんないんだよな。そのお出会いの人ってミリタリーとか好きだったりするけど、それもハマんなかったな。
なんなんでしょうね私はね。何も押しがないんですよね。ミリタリー押しっていう人もいますもんね。全然ハマんなかったよな。
それはあれですよ。戦争への危機感とかでもなんでもないですよ。別にそんなのもたいして強くないしね。
なんか不思議だな。どうでもいいですけど。
というわけでですね、ゲームボーイ熱みたいなのもファンタジー熱みたいなのもあっという間に去っていく。
高校に入ると部活が忙しくなっちゃって、なんかどうでもよくなるんですよね。
そこで私の人生がやっぱり少し切り替わってるなって感じはしますね。
中学の時結構読んでたっていう話ですね。
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